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2025-10-08 22:50

クライアントの人生を抱え込み過ぎちゃう時


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サマリー

このエピソードでは、対人支援職のコーチやカウンセラーが、クライアントの人生を過度に抱え込むことに焦点を当て、自己責任感や自分の問題として捉えることの影響について議論しています。支援者は、クライアントの自立をサポートするために、自分自身とクライアントの人生を分けて考えることの重要性を強調しています。また、クライアントの人生に過剰に介入することの危険性や、支援者自身の葛藤がテーマとされています。最終的には、クライアントの選択を尊重し、必要な介入のバランスを見極めながら支援する重要性が語られています。

クライアントへの支援の考え方
おはようございます、ゆみです。今日もラジオを撮っていきたいなと思います。このラジオは、人間関係だったりとか、キャリアにバンスを支援しているコーチの私が、普段の気づき、あるいはこれを発信しているラジオになっています。
はい、えっと、今日はどんな話をしようかなと思っているところなんですけれども、
えっと、そうですね、
私ですね、とか、コーチっていう仕事だったりとか、カウセリングっていう仕事をしている人に、特に今日は、
なんか向けて話をしたいなと思っていまして、えっと、理由としては、
うん、なんか最近、自分なんだろうな、私もすっごいこれ感じること。
なんか私が、私もずっと課題に感じていたし、今も感じていることだし、で、えっと、クライアントさんからもすごくそれを感じて、えっと、ちょっと改めて話したいなと思ったことなので、
まあ、ちょっと言葉にしていきたいなと思っています。はい、えっと、例えば、えっと、まあ今日、今、何か人を支援する仕事を人に、まあ大体みんな人に関わる仕事をしているっていうところが多いかなと思うんですけど、
特になんか人の人生に関わっているような仕事をされている対人支援職の方に対して、ちょっとまあ、なんか私もね、
向き合っているよっていうところの前提で、ぜひ話したいなと思っています。で、なんか正直、えっと、なんだろうな、こういう話をするときにあんまりなんか、
なん、なんだろうな、すごい苦手というか、こういう話、私なんかね、あの、コーチ向けの発信とかってあんまり、とか、あの、クライ、えー、なんだろうな、カウンセラー向けの発信ってあんまり苦手でして、なぜかというと、えっと、なんか説教臭く聞こえるの嫌だなとか思っちゃってて、なんか周り、なんだろう、自分がそういうの言うの苦手なんですね。
周りから言われるのはあんまり、まあ嫌です、嫌ですけど、嫌ですし、自分も言うの嫌だなって思っちゃうから、あの、説教臭くなるのが嫌だなと思っているんです。でも、えっと、今日はなんかでも話そうって思ったのは、自分自身もすごいなんかこう抱えていた部分もあるし、こう、クライアントさんにもでも実際そういうの現れるし、
こう、もしかしたらいろんな人にももかもっているものがあるかもなって思って、ちょっとこう勇気を出して今日話してみようかなと思っています。
で、えっと、今日話したいことは特に、あの、相手の人生を自分ごとにしてしまいすぎる人に向けて話したいなと思っていて、特に支援対象の人生ですね。
えっと、を抱え込みすぎてしまう人に向けて話したいなと思っています。
自責と自立のバランス
えっと、なんだろうな、特にまあ、あのコーチだったりとか、カウンセリングのお仕事をしている人とか、私もそうなんですけど、なんか相手の問題を自分の問題として捉えすぎると、
なんかこう、なんとかしてあげないといけないっていう気持ちめちゃくちゃ湧く気がしてるんですね。
で、あの、例えば相手がうまくいかなくなった時に、あ、自分のせいだって思ったりとか、あの、相手がこう、ちょっとぐったりしているのを見た時に、なんか、えっと、なんとか自分が、あの、変えてあげないといけないとか、
どうすれば、自分に足りてないことは何なんだろう、この人を支援するために自分が足りてないことは何なんだろうっていうのはすごく思うわけなんですね。
で、私もすごいそれわかるなってめちゃくちゃ思っていて、あの、結構やっぱり、なんだろうな、すごい自分事として捉えるので、めちゃくちゃ何が起きるかというと、すっごい自分、
これはすごい良い意味でも悪い意味でもなんですけど、やっぱり自責で考えるんですね。
で、あの、こういう時に自責っていう言葉を使うのはあんまり適切じゃないかなって私もちょっと喋りながら思ったけど、自責っていうよりはまあ、やっぱり自分事として捉えるみたいな感じかな。
で、なんかこう、自分の人生と他者の人生を分けないといけないなっていう考えは、私もすごくここ数年でめちゃくちゃ考えるようになったというか、あの、なんだろうな、
例えばさっき言ってたようにクライアントさんの人生がちょっと大変だなってなった時に、何とかしてあげないととか、何とかしないといけないっていう風にこう思うわけですよ。
でもさ、何とかしてあげられるわけではないんですよね。これ本当に事実そうなんですよ。
この事実を多分受け止めるのは苦しくて、私たちこうやっぱり相手の人生何とかしてあげたくなっちゃうんだと思うんですよね。
何とかできるようになりたいんですよ、多分。
何とかできるようになりたいって思ってるんだけど、何とかできないものはできない時があるんですね。なんか絶対的に。
例えばですけど、働かないといけないとか、例えば誰かのサポートを求めないといけないとか、
自分でお金を稼がないといけないとか、足元の資金を調達するためにアルバイトしなきゃいけないとかもあるし、
例えば自分の得意な会社でやらないといけない仕事があったとして、それをまずこなさないといけないとかあるじゃないですか。
それって手出して私たちができること、支援者とかの私たちができることじゃないですよね。
具体的な動きは特に。
本人がやっぱりそれを選択してやるっていうことをできるようにならないといけないわけなんですけど、
それが本人が本当にやりたいと思ってるんだったら、コーチだったりとかカウンセラーっていうのは自分で選択してできるようになっていくっていうのを支援するわけなんですけど、
足元、そういうことができないクライアントさんを見たときに、コーチやカウンセラーが自分を責めるっていうことが起きてくるわけなんですね。
建設的な批判であったらいいかなってすごく思うんですよ。
こういうふうにもう少し関われたらよかったなだったりとか、
本人がもう少し自分で選択できるようにこうするふうに、こういうふうに関われたらよかったって思う。
本人が自分で動けるようにみたいな視点での反省とか建設的に対する批判だったらいいけど、
こうなってしまったのは自分のせいだみたいな極端な思考に
結構意外と落ち入りやすいのかなって思ったり、
さっき言ってたように、例えば自分に足りてないことが多すぎるからクライアントさんが成功できないんだみたいなこととか思うとか、
なんか嫌嫌みたいな感じ出すよね。
私もこれめっちゃ考えるんですよ、本当に。
これ私のせいかもなとか、
支援職としてのスタンス
私がもっと知識だったりとか経験があったら、この人はもっと前に進めたのかなって思うわけなんですよ。
もちろんクライアントさんがもっとより良く前に進めていけるように、
私も常に勉強も続けているし、そこに対して頑張っている。
けれどもまだ足りてない、このままの自分では足りてないっていう、
なんか相手が頑張るんじゃなくて、自分が頑張るみたいな方向に行きがちだなっていうふうに思っていて、
自分が相手を支援するために自分が足りてないところばっかり埋めに行こうとするみたいな、
うん。なんだろう。
もうちょっとそうなんだろうな、
私自身も最近すごく思うようになったのは、
いつまでもやっぱり相手の人生に介入し続けるっていうことは絶対的にできないわけなので、
本人が自立して自分の人生を選択していくためには、
なんか支援者としてやっぱりもう少し相手の力を信じてあげないといけないんだろうなってやっぱり思っているし、
あと自分、支援している私自身、自分のことも信じないといけないなってやっぱり思っている。
もう今の自分で足りてるんですよね、本当は。
今の自分で十分足りているし、
相手が自分の人生を自分で決断できるっていうことを信じて委ねていくっていうこともすごく大事な視点だなと思っていて、
なんかそうじゃないとずっと自分、私が相手の人生を背負い込もうとするんですよね。
これすごく難しいなって思うところでもあるんですけど、
ビジネスの品質保証っていう話と対人支援者としての今言ってたスタンスみたいなところってすごく別だなっていうふうに思っているんですよ。
例えば私たちみたいなコーチングの仕事をしているっていうのは、
品質保証っていうのが、ビジネスの文脈で捉えると品質保証っていうものがあって、
それが例えばこういう具体的な成果が得られるみたいな話、費用対効果みたいなのがあるとと、
そうじゃなくて、
対人支援者としてのスタンスとしては、今言ってたように、
ここまでの人生のスタンスは相手に委ねるっていうところですよね。
私たちの仕事の難しさってここなんだろうなって思ってるんですけど、
ビジネスの品質保証と、
本人の人生、本人の手の中にあるっていうことをちゃんと渡すっていうことが対人支援職の本来ある方がいいスタンスなんだけど、
ビジネスの品質保証とかをすごく気にしすぎると、
この対人支援職としてのスタンスが崩れるというか、
私が何とかしてあげないとってやっぱりなるんですよね、品質保証に偏ると。
でももともと私たちの品質、本来の価値の品質保証っていうのは、
自分の人生を自分ごとにしていくみたいなことですね。
自分の力で人生を切り開いていけるようになるっていう支援をするのが本来の私たちの支援の保証の在り方なのであれば、
介入しすぎるってしまうとやっぱり別問題になってくる。
介入しすぎると私たちがもともと保ちたい品質保証も崩れるし、
もっとなんかめっちゃ硬い話しちゃったけど、
ぶっちゃけ疲れるじゃないですか、これはもう本当に疲れるというか、
続けられなくなるんですよね、対人支援者が。
私一番ここが大変なところだと思ってて、
人の人生を背負いすぎると、自分、対人支援者がこの仕事を続けられなくなる。
全部自分のせいだって思ってると、人の人生をどれくらい背負おうとしてんねんみたいな感じになってくるので、
なんかできないことをやろうとしないっていうのが一番大事なのかなって思ったりしています。
なんかこれめっちゃ怖いな、この話。これどう思われるんだろうな。
これはね、なんか疲弊しないっていうことすごく大事だなって思っていて、
なんか支援者として元気でありたいじゃないですか、クライアントに向き合う時に。
私はね、元気でありたい。
疲弊した状態でやっぱりクライアントに向き合いたくなくて、
エネルギーをやっぱり相手にもちゃんと与えたいし、受け取りたいし、
支援者の葛藤
この循環を生んでいきたいと思っているのに、与えるばっかりになってしまって苦しみを生む。
なんとかしないといけないなっていうふうに思う。
相手の人生を背負い込むっていうことはすごく美徳に感じるんだけど、
結局なんか相手が自分の人生を選択する機会を支援者が奪っちゃうっていうことでもあるし、
支援者本人が疲れちゃうっていうのもあるし、
みんな自分の人生を背負い込まないといけない要領って絶対あるんですよ。
それを背負っちゃってる感じな気がしてます。
めちゃくちゃそんな気がしてきました。
私のラジオは本当にまとまりがない感じでして、
思考の途中みたいなこともちょっとパッと出すみたいな感じになっているので、
結論が出ないこともあります。
その上でちょっと聞いていただけると嬉しいなと思うんですけど、
でもここはクライアントさんにもすごく感じることでして、
欲も悪くも、特に上の立場の方だったりとか、
なんか今支援職を中心に話してますけど、
上の立場に立たれている方とか、
義務として相手を何とか成長させないといけないとか、
役割として何とか成果を出せるようにしてあげないといけないと思う部分はきっとあると思うんですよね。
その役割を持った上、役割の線引きもやっぱりどこかでした方がいいなっていうのも思うところではあります。
なんか成長する機会を与えてあげるのは、
もちろん管理職だったりとか責任ある人たちにとってすごく大事。
部下に対してそういう成長する機会を与えてあげるっていうのはすごく大切なことなんだけれども、
一方でそのチャンスをつかみ取るかどうかっていうのは本人次第みたいな感じなんですよね。
つかみ取らないっていう選択をする可能性だってあるし、
そうだなっていう風になる可能性だってあるし、
やっぱりやらないとか成長しないっていう選択をした人の選択を私たちも尊重する、それを見守るっていうことも大事なんじゃないかなって思っていて、
なんとかしたがって、
良くなろうよとか良くした方がいいよみたいな、
よくも似たいって本人が思っているときに、
やっぱりやらないとか成長しないっていう選択をした人の選択を私たちも尊重する、それを見守るっていうことも大事なんじゃないかなって思っていて、
なんとかしたくなるんですよね。
やっぱりそういうのって分かるんですよ、私も。
良くした方がいいよみたいな、
よくも似たいって本人が思わないとやっぱりなれないんですよね。
そこまでやっぱり待つだったりとか、本人が決断できるようになるまで、
必要な介入はするけれども過剰な介入はしないっていうことですね。
ここがやっぱり私たちの難しさなのかなっていうのはすごく思うんです。
私もだからまだ発展途上なので、
葛藤のまま出してます。
葛藤を出すのはどうなんだって思ってるわけです。
葛藤を出してプロっぽくないなって思われたりするのすごく嫌だなって思いながら言ってますし、
こんな人に頼っていいのかなって思われることもすごくあるんじゃないかなって思うわけですけど、
でもこれが人だしっていうところもあるんです。
人?
人っていうか私みたいな感じですね。
これが私でもあるんです。
だから完璧ではないです私は。
完璧な支援者ではないと思っているし、
全然私なんかよりも全然素晴らしい支援者の方はたくさんいらっしゃるけれども、
葛藤がある、葛藤っていつでもあるっていうのを認めながら進むっていうのが私でありたいなっていうふうに思っていて、
こうしたい、今言ってた、
クライアントさんの人生を良くしたいって思っているけども、
一方で自分のことも大切にしたい。
し、クライアントさんの選択も大切にしたい。
でも尊重したいけど、尊重するともしかしたら成長が遅くなっちゃうかもとか、
なんだろうな、なんかうまくいかなくなっちゃうかもとかが怖くて、
いっぱい介入必要以上に介入してしまって自分も疲れちゃってみたいなことが、
クライアントさんの人生にとっても結果としてあんまり良くなくなっちゃってみたいなこととかも、
もしかしたらあるのかなみたいなことはすごく思っていて、
なんかこういうところっていうのが、
なんだろうな、もうちょっと私自身も乗り越えていきたいなって思っていることです。
これは完全ではないんです。
完全ではないけど、
なんかこことここは相手と私の持たないといけない荷物の量っていうのが人生の中にあって、
これ以上持っちゃダメだなっていうのをちょっとずつ見極めてるみたいな感じなんですね。
なんかやっぱクライアントさんが進む、ちょっと山に登っていくときに、
今もう荷物に押しつぶされてるみたいな感じであれば私が持てる量はちょっとだけ持ってあげるけど、
持たないといけない最低限の量って絶対あるじゃないですか、食料とか、
水とかでも大丈夫ですけど、
本人の命を保つためにそれ以上持っちゃうと逆に命が途絶えちゃうみたいなものがあるのは奪わないで、
なんかこう、本人に持たせてあげて、
それ以上、それなんかちょっと今持ってあげて、
もう私が余裕を持てる部分は持って対馬をして前に進んでいくとかっていうのはやっぱりやっていくけど、
でもあなたが最終的には自分で決断して歩いて前に進まないと山には登りきれないんだよっていうところは、
なんかずっとちゃんと線引きをしていかないと私自身も続けられないなって思ったっていう感じの今日はお話でした。
選択と尊重
はい、ということでなんかこうちょっと私の今の葛藤っていうところもこう話したところですが、
ちょっとまた気になること、ちょっと今日の話聞いてみてよかったなと思ったらいいねとかフォローしていただけると励みになります。
はい、今日も聞いていただいてありがとうございました。
井美でした。
22:50

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