人生の指導権を取り戻す
こんにちは、ゆみです。今日もラジオ撮っていきたいなと思います。 このラジオは、人間関係だったりとか、キャリアに伴奏支援している
コーチの私が、普段の気づき、あれやこれを発信しているラジオになっています。 今日はどんな話をしようかなと思ってるんですけど、
ちょっと頭に浮かんできたことをつらつらと話していくので、 もしかしたらあちこちって言っちゃうかもしれないですけど、
聞いていただけると嬉しいです。今日はですね、なんて言うんですかね、ちょっと感動した話と言いますか、
人が自分の人生の指導権を取り戻す瞬間みたいなのを、昨日見させていただいたと言いますか、
セッションでですね、あるクライアントさんが自分の人生の指導権を取り戻す瞬間っていうのを見させていただいて、結構それがこうなんて言うんですか、
改めてじんわりとですね、なんか感動したと言いますか、
すごく大事なことだなって思っているし、私もこれを今まさに実践している最中なところなので、
改めて撮りたいなと思ってラジオを撮り始めています。 人生の指導権を取り戻していくみたいな感覚って、
どういうことなのかっていう話なんですけど、人ってなんて言うんですか、私もそうなんですけど、やっぱり誰かのために何かを、
生きてるみたいな感じを無意識に持っている感じがあるなと思っていて、人ってって大きい称号で語っちゃったんですけど、
私はそう思ってるんです。私は結構そう思ってたんですね。
特に親が多いですよね。親が多くて、親の期待に応えたいとか、親のために、親の優秀と思われる自分でいたかったみたいなこととかがすごくあって、
すごくやっぱりかっこいい自分でいたかったなみたいなのはすごく思ったりするんですね。
かっこいい自分でいたい年齢どおりに、
やっぱり普通の女性でいたかったみたいなこととか、普通のやっぱり結婚して子供が生まれて家族を持てる女性でいたかった、
年収もすごく稼いで親孝行できる自分でいたかったみたいなのがすごくあって、なんでそんなことを思っていたかというと、
やっぱり親のために生きたかったんだと思うんですよね。
私はどこかで親をかわいそうと思ってた節があって、昔すごく
自分の母親と父親がそんなに、親から何かをやってもらっているイメージがなかったんですよね。
多分それも、
言うするにおじいちゃんおばあちゃんから何かしてもらっているってイメージがなかったから、
なんて言うんでしょう、なんか親がもうちょっと、
何か報われてほしいなという気持ちがあったんだと思います。子供ながらに。
報いを持たせて、親が報われてよかった、自分たちの努力が報われてよかったなって思えるような、
なんて言うんですか、子供にならなきゃなって思ってたんですよ、多分。
そういう自分がいたんだろうなと思ってて、でもそういう自分ってやっぱり意外と慣れないんですよね。
私を生きると、私という一人の人間を生きると、やっぱり
想像通りの自分ではなかったりとか、
思っていたようなことが起きないみたいなことってやっぱり人生の中で起きてきて、
私自身ももっと普通に、診察は銀行員だったんですけど、銀行員続けてたらもうめちゃくちゃ出世してたかもしれないのに、
今全然銀行員というのは外れて個人で仕事をしているわけなんですけど、
こういう人生を歩むなんて思ってないわけですよ。
だから親からすると、え、銀行を辞めるの?みたいな感じですよね、すごく。
めっちゃ言われましたし、
何だろう、もったいないってすごく言われたんですよね、やっぱ新卒銀行辞めた時は。
このままやってたら何も困ることないのに、なんで?みたいな感じのことはすごく言われたんですけど、
でも私は今すごく息がしやすいと言いますか、個人で仕事をするようになって、
選択権が自分の手の中にすごく戻ってきた感じを感じてるんですね。
選択権があるっていうことは、これから道がない、
何だろうな、人が歩んできた道じゃない道を歩んでいかないといけないっていう怖さがめちゃくちゃ明確にあるんですよね。
誰かこう、何だろうな、
みんなが、なんて言うんですか、こう、さっき言ってたように、親がこうすれば成功するよとか、
こうすれば良くなるよみたいなところではなくて、
行ってみないとわかんないよねみたいな、歩いてみないとわかんないよねみたいな道ばっかりで、
だからこうどうすればいいんだろうみたいなのが、ないんですよね。
本当に、私自身も個人でこうやってお仕事をさせてもらうようになって、より思うのは、
この先どうなるんだろうっていうのは、本当に自分で決めていくしかないんですよね。
そう、なんかそれが、
今までは、何て言うんですか、昔はやっぱりこう、親が良いと思える人生を歩んだ方が良いとか、
一般的にこういう風に良いと思われる人生を歩んだ方が良いって思って生きてきたわけなんですけど、
その中に自分を当てはめると、すごく私は苦しかったんですよね、やっぱり。
その中に当てはまろうとすると苦しくて、
なんか当てはまることができない自分がダメだと思ってました。
なんかちゃんとこう、
なんならやっぱり一般企業に勤められる自分でいたかったし、
一般企業のなんか役職ついて、しっかりとかっこいい自分でいたいなと思ってたんですけど、
まあ、どうやらその生き方は私には合ってないらしいという感じを数年前に気づきまして、
どうやら私は個人で仕事をして、そこからチームを作ったりですとか、
何かしら関わり、いろんなところに関わりを持って仕事をしていくのが向いてるらしいっていうのも気づいたのはこの1年、2年っていうところなんですね。
自分の人生を生きる
なんかやってみてすごく良かった。この辺りもだから自分自身で道をこうかも、こうかも、みたいな仮説を持って自分で選択してきたみたいな感じなんですよね。
で、もともとだってそもそもこういう、なんていうんですか、仕事をする前、銀行になってくる、
銀行とかで働いてた時もそういうのも自分で選んできてはいるんですけど、やっぱり無自覚と言いますか、自分で自分の人生を選んでるっていう自覚がなくって、
どこかやっぱ親がこう言ってるからっていう、なんか無意識で親のせいにどこかしてる人生だったんですよね。
で、でもそうじゃなくてそういうのも自分が本当は選んでたんだとか、今言ってたように道ない道を自分自身でこういうふうに選んでみようかなっていうことを選択して、自覚的に選択するみたいなことってすごく怖い。
けども、なんか、あの、私はすごく息がしやすくなったみたいな感じの生き方だなと思っているんですね。
だからこう、人というのはこう、なんていうんですかね、自分の人生だったりとか生き方みたいなところ、歩み方みたいなところって無自覚で何かのせいにしてる時っていうのは、やっぱり自分の人生に主導権を持ててない感じなんだなと思っているんですね。
で、あの、何かのせいっていうのは決してこう、表面上ですね、なんかこういう言葉が強くなっちゃってるんですけど、何かのせいっていうのは、なんかこう、本人は何かのせいにしてるつもりないんですよね。私もそんなつもりなかったですし、もはやむしろ誰かのためにやってるみたいな、私は親のためにやってる、困ってる人のために頑張ってるみたいな感じの気持ちでなんならこう決めてるんですけど、
なんかそういうのもこう、あの結局は自分が決めていることという、あの、自覚を持てるか持てないかみたいなことって、なんかすごく大切だなぁと思っているんですね。
なんかあなたが決めたんだよね、それを、みたいなことだと思うんです、やっぱり。で、やっぱりこう予想外に外部的な要因で、なんかいや、自分がこうせざるを得なかったみたいなこととかもあると思うんですけど、なんかその中でもやっぱり人というのはやっぱり決断しているということで、できることをやっぱり決断できることを最大限やっぱりやっていくしかないんだな、みたいなことをすごく私も思うようになっています。
で、そうしたらやっぱり、なんかこれはもう突然なんですけど、やっぱり誰かのせいになんかしてる場合ではなく、やっぱりこう全力で自分の人生を生きるしかなくなるんですよね。
あの、そんな余裕ないあると言いますか。誰かのせいにしている間というのは、ある意味楽です。やっぱりこう、自覚しなくていいから。でも自分の人生を自分で決めていって、今の選択行動というのは自分次第で変わるんだ、みたいなこととかがわかってくると、やっぱりね、もう大変ですよね。大変なんだけど生きてるなって感じがします、私は。
たまにご質問いただくときがありまして、楽になりたいみたいな話とかっていうのもすごくあると思うんですけど、人生っていうのはやっぱりこう、私も別に何かを達している人ではないので、正解があるわけではない話なんですけど、なんだろうな。
なんかこう、楽にはなるとき、自分を意図的に楽させてあげることはできるなって私は思うんですよ。でもそれが幸せかどうかとか、それが不幸かどうかっていうのは、やっぱり本人にとって何を全うしたくて生きているのかっていうのがわからないので、
自分の人生の主導権
なんか何が幸せか幸福か、何が不幸かとかっていうのは推し量ることはできないかなと思うんですけど、でも自分が自分の人生を選ぶということ、自覚的になるということで、なんかすごく矛盾したことを言うと思うんですけど、すごく楽になるし、すごく苦しむようになるとも思うけど、腹落ち感はすごく出ますっていう感じかなと思います。
やっぱり腹落ち感がないんだと思うんですよね。自分の、誰かのために生きているとか、誰かの人生に自分が左右されている感覚という時っていうのは、たぶん腹落ち感がない。
なんかこうじゃ、なんか別に悪いことが起きているわけじゃないし、今なんか結構なんなら恵まれているのに、私の銀コインの時そんな感じですね。あの環境としては恵まれているはず。まあでも人間関係最悪でしたけど、人間関係最悪だったけど、でもなんかこう腹落ち感がないというか、このままじゃってなんかダメなんだよな私はみたいな感覚があるということという、なんて言うんですかね、やっぱり
なんとなく自分で決めてるようで決めてない感覚があるっていうのはやっぱり自分の人生にやっぱり腹落ち感がないみたいな感じなんだろうなと思っています。
で、この選択、自分の人生の主導権を自分に戻すっていうのはやっぱり意図的にやっぱり自分で人生をここは選んでいるっていうことを自覚的になれるということなんだろうなっていうのはすごく思っていて、
で、結果としてなんかこう今起きていることがそれがポジティブであってもネガティブであってもすごく納得して受け入れることができるみたいな、
なんかそんな風になれるのかなみたいなことはすごく私の体験としても思いますし、昨日ですねクライアントさんの言葉を聞いてよりそれを思ったりしました。
あの素晴らしかったんですよね本当にそのクライアントさんが、もういいよねみたいな、なんかある意味もしかしたらその方は厳しい決断をすることになったのかなというふうに思うんです。
なんか大変な決断をされた部分もすごくあるなと思っているし、想像を絶するご決断だなっていうのを私は聞きながら思っていたところなんですけど、
それでもやっぱり私を生きるんだって決めたみたいな感じ、本当にそんな感じがしました。
なんかこう具体的なことはやっぱりね、個人情報もあったりするので言えないんですけど、
あのすごく何だろう、めっちゃ涙流されながら本当にむちゃくちゃこうありがとうございますって言ってくださった部分もありつつ、
でもやっぱり私の人生は私のものなんだなみたいな、誰かに侵害されていいものじゃないし、誰かのに手渡していいものじゃなかったんだっていうことで、
自分の人生はあの私の手の中にあるんだっていうことを取り戻してあげていいんだよみたいなことをやっぱりこうクライアントさん自身が自分で気づかれた瞬間に、
やっぱりそうしますみたいな感じ、やっぱりこう厳しい、周りにとったらこうもしかしたら期待を裏切る行為になるかもしれないし、
残念に思われることがあるかもしれないけど、でもやりますっていう感じのあの強い言葉が出てきた時に、もうなんて素晴らしいなんだろうな、愛おしいんだみたいな気持ちになりましてですね。
責任の共有
なんかこれは、じゃあすごく結果として悪いことが起きるのかっていうと、私の体験でいくと真逆のことが起きると私は思ってるんですね。
今まではむしろこう、何だろうな、例えば人の期待を裏切ることはダメだみたいな話とか、人の思った通りに動かないとダメだっていうことっていうのは、
なんか意外とそんなに怖いことじゃないと言いますか、まああの、怖いんですよ。怖いです私も嫌だなと思うんですけど、でも逆の、
自分が今までこれをやってはいけないと思っていたことをあえてやってみると、意外と周りはそれなりの反応があるんですよ。
じゃあ、あなたはこれをやらないって決めたんだね、じゃあ私はこうしますみたいな、なんかネクストアクションがちゃんと相手も出てくるので、
今まで逆にあなたが何かをしてあげてたからそれに甘えてきていたみたいなことは、絶対的に結構やっぱり人の期待に応えてとか、
自分の人生を自分で生きてないという感覚がある方多いかなと思うんですけど、
なんか、相手にちゃんと相手がやるべきことを戻してあげることとか、自分のやらないといけないことを自分でやるっていうことをお互いにやっていけると、
なんか悪いふうには回らないんですよ本当にこれは。あのむしろお互いがお互いの責任を果たすようになったりするという感じ。
お互いがお互いの人生を生き始めるみたいなことがあるので、なんかこういうことを本当はなんか、
あのお互いに、なんだろう、自分自身でもやっていけるといいですし、周りとの関係に悩んでいる方は特にそういうのを相手に取り戻してあげさせる。
あげさせるって言い方あれだな。なんか戻すって言い方。戻す。まずは自分の人生を取り戻していくってことですね。
相手の期待に応えるっていうよりは、私がやりかえたいことをまずはやるみたいなことの方が意外と大切だったりするという話を今日はさせていただきました。
ちょっとねめちゃくちゃ今日は抽象度が超高い話ではあるんですけど、すごく大事な話だなと思ったので、あえてあのしっかりとお話をさせていただきました。
こんなことをですね、もう少し話を聞いてみたいなって思った方は是非いいねボタンだったりとかフォローしていただけると嬉しいなと思います。
はい、では由美でした。ありがとうございました。