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2025-04-28 24:47

『お母さん、幸せだったと思う?』父の想いとLife Design Note

『お母さん、幸せだったと思う?』
実家で父と話をしたときに、聞かれたこの一言。

実家に帰って、実際にLife Design Noteの内容を父と話をしました。
知らなかったことや、父の母への想い。
私の中で、とても重要な時間でした。


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サマリー

『お母さん、幸せだったと思う?』では、やまと ゆきが父とのコミュニケーションを通じて、ライフデザインノートを活用し、家族の歴史や母の思い出について深く考えています。特に、父が母との結婚生活を振り返り、幸せであったかどうかを問いかける場面が印象的です。このエピソードでは、父が亡くなることを意識しながら、母への思いと共にライフデザインノートを用いたコミュニケーションの大切さについて語っています。また、父が自分の生き方や家族との関係を見つめ直す様子が描かれています。

ライフデザインノートの活用
Life Designチャンネル、このチャンネルは、介護・福祉関係で約20年間働き、現役のケアマネージャーである私、やまと ゆきが、介護の話や、自身で作ったノート、Life Design Noteのお話をさせていただくチャンネルです。
おはようございます、やまと ゆきです。
今日は、実際に私が父に、Life Design Noteをこんな感じで使ってみたよ、というお話をさせていただきたいと思います。
Life Design Noteを使ってみたいけれども、どういう切り口で話をしたらいいのかとか、どんな感じで聞いたらいいのかとか、結構難しかったりするかもしれません。
一、私の意見ではありますが、こんな感じで使ってみたよっていうのをお聞きいただければと思います。
私は今回、一人で実家に帰るという、ちょっとした用事がありました。
子供や夫を置いて、本当に私一人で帰るっていう、他にもちょっと用事がいろいろあったっていうのがあるんですけれども。
そこで、家の整理とか、父とやっぱり今後のことをちょっと話していかないといけないよなーっていうところで、実際に話をしてきました。
で、うちの父の、うちの父のというか、我が家のちょっと特徴なんですけれども、母は10年ほど前に打開しています。
父が田舎でですね、子建ての家で一人で住んでいるっていうような状態ですね。
で、まあ男性なので片付けもそんなに得意じゃないみたいな感じで、1階の自分の居住スペースというかは結構綺麗にはなっているんですけれども、
2階ですね、私たちが子供部屋として使ってた部屋とか、昔の父と母の寝室とか、
そういったところはもうあの手つかずの状態で、母のものも残っているというような状態で残っています。
ただ、今回は片付けも一緒にというところで、私たちが学生の時のものとか、実家に置いていたものっていうのをもう片っ端から片付けるということはちょっとだけやりました。
母のものに関しては、これは父に選択をしてもらわないと私たちが勝手に捨ててはいいものではないと思っています。
父にとってあの家は自分が生活をしている家なんですよね。
私が、でももういい加減ちょっとずつ整理していったらと伝えたところで、あの家で生活をしているのは父なので、
父の意見を尊重して、どうするこうするどうするこうするっていうのを今後決めていこうかなというふうには思っています。
そして実際にライフデザインノートを使うという場面になったんですけれども、
父の人生の回想
父は70代です。やっぱりどちらかというと職人系の父なので穏やかな父ではあるんですけれども、
実際に私が作ったライフデザインノートをバーンと出して、今からちょっとこのノートをこんな感じでこんなコンセプトで作ってやったからこれに答えてくれるっていうのではあまり答えてくれなさそうな父なんですよね。
なので、私が今回父に聞きたかったこと、あのライフデザインノートってコミュニケーションツールになってもらえたらなっていうふうに思いで私は作っているので、
規制した時とかの本当に話すきっかけになればいいなと思っています。それプラスいろんなことが聞けたらなというところで作っているので、
今回は父の老いたちを聞きたいと思っていたのと、父が今一人で生活をしているんですよね。
元気なうちから、なんか昔からね、自分はあの今も70歳ちょっとなってるんですけれども、
75歳を超えたら、だから後期高齢になったらですよね。
あの自分から施設に入るんだって言ってたんですよ。その母が亡くなった10年ぐらい前からずっと。
でも本当にそうなの?っていうところがあって、どうして75なの?っていう。それは体が何かがあってから入るの?とか、ただ元気なうちに入るの?とか、そういうちょっとしたところ。
ところ父自身も、もう言ったら年は重ねていっているけれども、自分がどのタイミングでどうなるかなんて正直誰にもわからない話なので、そこらへんをどう思っているのかっていう、この2つをちょっと聞きたかったんですよね。
なので、まず私はその父の老いたちから聞いていこうと思いました。
で、急にあのさぁみたいな、お父さんって何年生まれでどこで何してたの?みたいな感じのことを聞くと、どうしても不自然なので、私は今回、晩泊の話をしました。
前回の晩泊の時に何歳だった?って言うと、あ、何歳だったよって。
晩泊行った?行ってない。
で、その時の話と、うちちょっと父、父の父ですよね。父の父は、私の祖父にあたるんですけれども、父が幼い頃に亡くなっているんですよ。
だから、父は他にも兄弟がいるんですけれども、長男として、中学を卒業したらすぐ働きに出たっていう父だったので、
えーとね、その時ぐらいから働き始めたとかって言ってたかな?ちょっと詳しい話はね、あるんですけども。
行ってないと。ただ、自分のその勤めてたところは、社長が、社長同士の付き合いとして晩泊に行っていたよって言ってて、
で、今から考えたら、自分たちが、前回の晩泊の時は、私の田舎から晩泊を見に行くっていうのって、結構特殊なというか、難しいことだったみたいなんですよね。
だから、晩泊がやってるけどまぁまぁまぁみたいな感じだったんだけれども、それでもそこに参加していこうと思っていた社長が、やっぱ専権の目があったよなぁって話をすごいしてくれて、
そうなんじゃ、じゃあそこでどういう感じでどうなってどうなって、こういう仕事に就いてとかっていう、父の仕事の歴ですよね、お話してくれて。
で、母との出会いの話とかもね、結構してくれたんですよ。
で、こんなことがあってこんなことがあってって言って、これちょっと本当に笑い話って、なんかずっと父は言ってたんですけれども、
あの、一回自分は振られたと。
あの、本当に結構仕事人間だったみたいで、父は、結婚する前は。
で、あの、ただそれはお金が欲しいから仕事をしてたわけじゃなくて、自分の仕事に対してのすごい高いモチベーションがあったみたいで、
あれしたいこれしたいそれしたいっていうのがすごくあって、それはもう朝から晩まで本当に寝る間を惜しんで自分も働いていたって言ってましたね。
だからそんな感じの父の話を聞けたのも私すごく嬉しかったし、
あ、そういう、あれなんだなーって言って、そこで母のことをちょっとほったらかしにしてしまったみたいで振られたと。
あなたには、あなたとはもうなんか、なんだろうな、あなたの考えてることがわかんないみたいなことを手紙にひたためられて送ってこられたっていう。
あ、そうかそうだよなって当時はね、そんなあれだよなと思いながら。
で、あとね、父のその、父の父、だから私から見たら祖母、祖父と祖母の話とかも結構してくれて、
当時で言ったらね、あのうちの祖母ってなんか結構すごいところで働いてたみたいで、
祖母、母ね、おばあちゃんの方が若くして夫を亡くしてしまったので、女で一人で子供を育てなきゃいけないっていうことで、うちは父三兄弟なんですけど。
で、父がね、小学校何年生かの時に亡くなったって言ってたんで、
なんかその時の女性ってそんなに働くところがいっぱいあったわけ、潤沢にあったわけじゃないと思うんですけれども、
当時で言う、結構今で言うITなのかな、ちょっとわかんないんですけど、そういうところで必死になって働いてくれてたんだみたいな話を聞いて、
私ね、正直祖母、祖母、自分の祖母にあんまりいい印象っていうのが実はなくて、
すごい自由奔放な人だったんで、
うちは母がね、仕事に出ててね、
ちょっと娘を見ててくださいって言った時に、
私をこう、なんて言うんですか、お尻に入れて、なんかうるさかったからわからないですけど、お尻に入れて祖母出かけていったとか、
そんな話とかがあって、記憶はないんですよ、私は全く記憶がないからわからないんですけど、
なんかそういう話を大人になったら聞くから、なんかちょっとうーんって思うところがあったんですけれども、
でも祖母は祖母で、やっぱり子供を育てていかなきゃいけないっていうので、今で言うすごい逆境の中、
本当になんかこう男性だけの職場みたいなところで一生懸命働いてきてたんだっていうのをね、
今回知ることができて、後はなんかこういろんな我が家の家系と言いますか、こうなって、あなって、こうなって、みたいなのも父が話してくれてね、
なんかそうなんだって言って、母との慣れそみをね、
お酒をすごい飲んでたんで、今回父は私とお酒を飲みたいってずっと言ってたんですよ、
だからはいはいはいって言って、じゃあそっちに帰るからっていうので、そういうきっかけとかしてね、話聞いてたんですよ、
そこでも結構いろんな本当にいろんな話をしてくれて、なんかすごいなーっていうのと、
家族の未来についての対話
なんか話をしていくうちにね、うちの父がちょっと聞きたいことがあるんだって言うんですよ、
で、「どうしたの?」って、「な、何聞きたいこと?」って言ったら、
お母さんは俺と結婚して幸せだったと思う?って、幸せな人生送れてたと思う?って私に聞いてきたんですよね、
なんかそんなことを父が私に聞くっていうことは今まで全くなかったし、
なんか姉にはね、本当に糖病中とかに、
母は1月に入院して、4月にそのまま病院で亡くなっちゃったんですけど、
その間はずっと姉が実家に帰ってきてくれてて、
で、父のこととか、ちょうどね、父から見たら孫で、私から見たら甥っ子が2歳とかそれくらいだったから、
癒やしになってたんですよ、甥っ子が。
で、その時にも聞いたりとかしてたみたいなんですけど、
多分、父はずっと母に言ってたのが、自分より頼むから、3日だけでいいから長く生きてほしいっていうのを言ってて、
でも、うちの母は父の言うことを何も聞いてくれてなかったっていうのを結婚した時からずっと言ってたみたいで、
で、最後まであの人は自分との約束を守ってくれなかったっていうのを言ってて、
で、そんな風に父は思ってたんだっていうことで、
幸せだったんじゃないって、私は。
正直、母がどう思ってたかとか、私は母の最後には会えなかったし、
分からないけれど、
でも、私が見る限り母はあまりギャーッと怒るようなタイプでもなかったし、
何故も多分、いろんなことは夫婦であったと思うんですけど、
私たち兄弟は父と母が夫婦喧嘩をしてるのを一回も見たことがないんですよ。
それは絶対に見せないって言ってたみたいなんですけど、
だから、すごいなって思って、
だから幸せだったと思うよって、
で、私もそう思ってて欲しいなっていう話をして、
まあそうだよねって、
父は言ってて、
やっぱりいろんな後悔はあるっていうのもまあはっきり言ってて、
何もしたかった、これもしたかった、
今ね、もう生きてて暮れてたら、いろんなことができたのにっていう、
まあそうだよなっていう話をね、
でもまあ父がそういうふうに思ってるんだっていうのを聞けたから、
まあ良かったなっていうふうに思ったのと、
あとはですね、もう一つは、もう一つ聞きたかったことっていうのが、
家をどうするのかっていう、
うち田舎の家でもう継ぐもんがいないので、
この家どうするんだっていう話をしないといけないなって思ってて、
で、そういえばさ、話の流れで、
ネズル万博の話からかーって流れていって、
まあ母のこととか話をした時に、
そういえばなんだけどって言って、
まあ今まではね、昔の話とか言ったりしてくれて、
今後の話?
ちょっと聞きたいんだけどさ、
お父さんは75歳になったら施設入るって前から結構言ってるけど、
それは本当なの?
それは本当にそう思ってんの?って話をして、
そしたら父が、
いや分かんない。
それは分かんないよね。
今元気だし、今こんな感じだしって言って、
でも父は父で、
自分はそんなきちんとした生活はしてないんだって、
だからいつ何時何が起きても、
もうおかしくないと思ってるし、
で、そこら辺は理解はしてるって言って、
延命とかはしてほしくないって言って、
父との会話
ただまあ延命はしないって言っても、
救急車で運ばれて病院に行ったら、
それは治すっていうような処置をしていくんだから、
それは分からないよって話をして、
でまあ父の中では、
元気なうちに入ってた方がいいんじゃないかっていう、
なんか自分でご飯を煮たきするのもしんどいし、
誰かに挙げ伝、聖伝してもらった方が、
自分的にはもういいんだって。
で、いろんな話をしてて、
じゃあこの家のことはどう思ってんの?
この家は?
言ったら、
全く未練がないって言ったんですよ。
お前たちは出て行ったし、
出て行って、
お前たちはお前たちの家庭があるから。
だから、
どうしてほしい?ああしてほしい?
家なんか本当に、本当に何も思ってない。
だから、ただ、
まあ亡くなったら自分が住めないから、
今は住んでるけど、
ここを何とかしたいとかどうにかしたいとか思ってない。
あ、そうなんだ。
じゃあもう一つ質問を変えるけどって言って、
体が動かなくなるまでは、
ここにいたいの?
って聞いたんですよ。
そしたら、
ここにいたいと。
分かった。
じゃあ、
ここにいれるっていうことは、
やっぱり自分で元気な状態でいないといけないから、
それが一つでもできなくなったときは、
もともと施設に行きたいっていう気持ちがあるんだねって言って、
そうだって言うから、
分かった。
なんかね、私の中では、
父はそうは言っても、
やっぱり母との思い出もあるし、
家にこだわってんのかなって思ってたんですよ。
できることなら誰かと一緒に過ごすっていうのは、
まあ難しいってわけじゃないけど、
10年もずっと一人で住んでるから、
今さら誰かとっていうところもあるかなと思ってね。
思ってたんですけど、
逆なんだって。
これは別にいいんだって。
ただ、家の始末に関しては、
父がはっきりしてるうちじゃないと、
どうしようもできないからねって話はしてて、
でも、もうそうなったらそうなったで、
変な話、後継人つけて何とかするよみたいな。
残されたもんで、
やってもいいって言うんだったら何とかするよって言ったら、
父は、
安心したって言ったんですよね。
お前に任せるって。
どこまで任せてもらったかはわかんないけど、
話をね、実は妹も一緒に聞いてくれてて、
だから、お前らに任せるよ。
で、あとは一つ心配なことがある。
どうしたら何が心配なのって。
お墓って言ってたんですよね。
誰も見なくていいから。
自分が死んだら、
永大供養にするなりなんなりしてくれって。
もちろんそうするよって。
あなたが生きているうちは、
私たちはお墓のことは一切触らないよって。
言ったら、すごい笑って、にっこり笑って、
わかった。じゃあもうそれでいい。
自分が生きているうちはやっぱりそこには、
父の親もいるし、兄弟もね。
実は父は兄弟も亡くしてるから、
あと私の母も入っているし。
やっぱり自分が生きているうちは、
そこを置いておきたいって言ってたから、
いいよ、わかった。
あとはもう正直、
父がいなくなったら、こっちで何とかするからって。
安心してって言ったら、わかった。
で、ライフデザインノートで漢字で書こう。
Your Historyのところとかね、書くところに
今ちょっと書いて振り返ってるんですけど、
やっぱりね、会話をしないとわからないことっていっぱいあって、
普段、このノートがあるからって言って、
パンって開けて目の前で、
これとこれとこれとこれに答えてもらってもいい?っていう方法ももちろんOK。
OKっていうか、ありというか。
本当にこのノートは手に取った人が
いろんな使い方をしてくれたらいいって思っても、
手に渡った瞬間にあなたなりに使ってくれっていうところがあるんですけど、
一つの使い方として、やっぱりそれが難しい。
日常の会話の一つのピースにしてほしいんですよ。
私みたいに万博の話から始めて、
今年なんか一番聞きやすいですね。
万博が前回どうだった?行った?行かない?とかから始めて、
じゃあさ、って言って。
その時何してたの?これしてたの?あれしてたの?って言って、
何歳の時だったの?
じゃあその子からこうなった、こうなった、こうなった、こうなったって言ったら、
違和感なく話ができるんですよね。
で、あとは好きなもののところとか、
こんな話をしてた時に、
自分の父が生まれてきてからのこのヒストリーを話してくれたんですけどね、最終的には。
その時に、そうって言って、
最後に自分の父が急にですよ、ほんと急に、
長渕剛の曲をYouTubeに流して始めて、
俺はこの曲が好きなんだ。
あ、そうですか。
あ、そうなんだ。
そんな話とかはね、お風呂で歌ってるとか聞こえてたことあるけど、
それが長渕剛の歌だったっていうのは知らなかった。
で、あと、F1が好きだっていうのがあったんですけど、
で、アイルトン・セナが亡くなってからやっぱりちょっと見えなくなっちゃったんだけど、みたいな感じだけど、
これとこれとこれが好きで、今これが好きで、
あーそうそうそうって言って、
お世話になってる人の話とかもね、その後ずーっとしてくれて、
なんかすごい良かったなって思って、
思うと作っても良かったし、
さっきからちょっと涙が出てるんですけど、
母のことをね、ずーっと今後も思ってると思うんですよね、父は。
本当に幸せだったのかなって、うちの母は。
ずっとずーっと、たぶん自分を責めるわけじゃないけど、
自分と結婚しなかったら良かったんじゃないかって、
一回振られたとかって話があったからね。
そこで別れてて、
じゃなかったら母はこういう人生歩まなかったんじゃなかったのかなとかっていうのがあるっていうから、
それを考えるとね、ちょっとうーんっていう気持ちにはなるんだけど、
でも娘から見ても幸せだったろうなって思うし、
なんか父のいろんな面が見れたから良かったなって思いました。
はい、ちょっとビラビラ喋りすぎました。
そんな感じでライフデザインノートを実際に私が使ってみた感想です。
母への思い
やっぱり作って良かったし、こうやってきっかけを作ったりとか話をして、
知らない父の話が聞けたりとかして、これはやっぱり良いなって思いました。
だから皆さんも良かったら使ってみてください。
ベースで購入もできますし、本当に何なら声かけてください、私に。
送りますんで。
使ってみてやっぱり広げたいから、知ってもらわないといけないんですけど、
広げたいから、いろんな人に使ってほしいなって思いました。
使い方がちょっと分かりにくいとか、いろんなことあると思います。
なので、どんな風に使ったら良いのかとか、どんな切り口でやっていったら良いのかとか、
全然聞いてくださったら、レターとかくださったら個別にアドバイスとかもさせていただければと思いますので、
何でも、本当にこのノートに関して何でも聞いていただけたらと思います。
はい、長くなりましたが最後まで聞いていただきありがとうございました。
今日が皆さんにとって素晴らしい一日になりますように。
それではまた次回。
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