日常生活の紹介
こんばんは、人生加速コーチのなおこです。このチャンネルでは、管理職を捨てて、ライフポーチとして独立した私が、これから企業復業を目指している方の背中を押せるようなお話をしていきます。
今日は午前中は娘のバスケの合同練習の過ぎ添いだったりとか、
その後、買い物したり、
夕食の準備をして、ホットクックにカレーを仕込み、今その間で外を散歩しながら、
さっき県水戻しもしまして、手が疲れたので歩き出したところでお話をしています。
まず、告知をさせていただきます。ヒルスナック12月も開催します。12月29日、月曜日14時から18時まで、
場所がいつもの東京赤坂三附のスナック引き出しさんです。チャージ等は概要欄でご確認お願いします。
夫が29日まで仕事みたいなんで、娘をチーママとして連れて行こうかなって思って誘ったんですけど、嫌だって言われて、
ミーちゃんが、メンコのミルクちゃんが一人でお留守番かわいそうだから、家にいるって言われたので、
チーママ作戦は失敗してしまいました。
終わった後、来てくれる方、予定の方が、終わった後ご飯食べませんかって誘ってくれてるんで、
ちょっと夫と相談して、アフターをやりたいなとも思っています。
いいですよね、このお店を閉めた後にお客さんとアフターに行くみたいなのって、なんか楽しいなって思うんですけど、
今思い出したのが、
一時、あれは新小岩か、新小岩に住んでた時に通ってたバーがあったんですけど、
そこのマスターは、私の中ではメンター的な感じではなかったんですが、普通に話してて面白かったんで、家も近所だったんで時々行ってたんですけど、
そこの常連のお姉さんがいて、
あれ絶対不倫してたなぁ、多分両方既婚者だったと思うんだけど、マスターは確実に奥さん子供いて、
ちょっと女性の方は、わかんなかったんですけど、
私も閉店までいた時に、まずそのお姉さん来る時にタバコとか買ってくるんですよ。
その2人のやりとりとかを見てると、これはなんか、うん、そういう感じだよなっていう明らかな、
お客さんとマスターではない距離感を感じて、私も閉店までいた時に見せしめて出て、2人で同じ方向に帰って行った時に、
ああ、そういうことねって思ったっていうのを、今話しながらただ思い出したという、それだけの話です。
いろいろありますよね、バーとか通っていると、そういうことも。
カマタンの時に通ってたところは、やっぱりそういうところなんかすごいスタンスが、家族系っていうのもあって、
スタンスがね、はっきりしているところで、ナンパ禁止なんですよ、ナンパ禁止。
母の生き方
そういう女性がやっぱり一人で飲みに来ても、安心して楽しめるように、
そういうスタンスとして明確に、張り紙とかして、ナンパ禁止です、うちはみたいな。
っていうのが、良かったですね。年内に行こうと思ってるんですよ、カマタンのお店も。
何年か前に、もう5、6年前かな、前のお店は、
要求か何かで一回閉めてるんですけど、すぐ近くにリニューアルオープンみたいな形でしてて、
普通に昼から営業してるところなので、ちょっと年内にね、何とかランチに顔を出しに行きたいなと思ってます、久しぶりに。
今年は昔のメンターにもう一回会いに行くっていうことをやっていて、
新橋の時のマスターにも会いに行きましたし、
あと、もしかしたら29日はその高校の部活の監督に直接誘ってて、
行けたら行くって言われてて、あの可愛い女の子がいっぱい来るから来てくださいって返信したら、
あら行こうかしら、みたいな感じでハートマークが返ってきたんで、もしかしたら来るかもしれない、
っていう感じでお会いしたいなと思ってます。
何の話だっけ、バーのマスターからですね、その話になったんだ。
今日の本題ですけれども、今日は自分の人生を生きようと思った日について話したいと思います。
バーのマスターともね、もちろん絡んでくるところはあるんですよ。
そのバーのマスターが何でいいかというか、メンター的なコーチングというものも知らなかったし、
メンターなんて言葉も知らなかったけど、でも今思うとそういう存在だったなっていうのは何でかっていうと、
やっぱりその自分の人生を生きていて、自分の生き方、スタイルっていうのは確立されてて、
それが本人が一番楽しんでて、その生き方、あり方に魅せられた、惹かれた人が集まっている、通っている。
そういうバーができている、空間ができている。
それがめちゃくちゃかっこいいよね、でもそれってめちゃくちゃリスク取ってるよねっていう、その生き方、あり方がかっこいい。
で、いろんな話聞いてくれて、話の引き出しめっちゃあって、アドバイスっていうか、いろいろ教えてくれたり、
ちょっと説教してくれたり、励ましてくれたりっていうその関わりですよね。その関わり自体が、まさにメンターコーチだよなっていう話を、
私も以前にしてたんですけど、この間、ライフコーチのけいこさん、同じお話し会のメンバーですけど、同じような話してて、
めっちゃわかると思って、面白かったんですけど、やっぱりそういうものをね、20代の頃とかって、
コーチングなんていう言葉も知らなかったですけど、やっぱりそういう存在って必要だったよなっていうふうに思っている。
だからお酒を飲みに行ってるんだけど、その目的ももちろんあるんだけど、本当の目的はあのおっさんに話して、
会いに行きたかった、エネルギーもらって帰るみたいな、そういうことをしていたんだなということなんですが、
話は戻りまして、自分の人生を生きないとどうなるかっていうところなんですが、いろんな背景あると思うんですけど、
やっぱり自分の人生を生きていないと病気になるんだなと思うんですよ。なんか本で読んだことあるんです、自分の人生を生きていないと病気になるみたいな、
というのがあるんですけど、私はそれをまさに自分の母で感じました。うちの母は、私の目には自分の人生を生きれていない人に映っていました。
いろんな背景があると思うし、別に父親のせいだとは全く思っていないんですけれども、
やっぱりその家庭に結婚して、家庭に入って、子育てとかそういう家庭に尽くした生き方だったなと思うんですよね。
自分のことは全部、全部とは言わないけれども、もちろんできる範囲のことで精一杯楽しんではいたのかなとは思うんですよね。
ママさんバレーとかもやってたし、それはすごい楽しそうだったなっていう記憶があるんですけど、
バレーボールが楽しかったのもあると思うんですけど、やっぱりそのバレー友達、ママさんバレー友達との交流がすごい楽しそうだったなと思って、
やっぱり母として妻としての自分ではない、自分自身でいられる時間だったのかなと思うんですよね。数少ない、数少ない自分でいられる時間だったのかなと思います。
ほとんど仕事もしていなかったので、ほぼ専業主婦で、時々ちょっとパートに出るみたいなぐらいだったので、
結構その性格的にも飲み込みやすいタイプだったので、
義理のお姉さんのいびりとかにも黙って耐えたりとか、
そういうのを、ストレスをかなり抱え込んでいた人だなぁと思い出す姿は結構そういうところなんですよね。
いびる義理の姉もいるし、いびってはこないけど、長電話が2時間ぐらい、長電話で話しつき合わされて、
疲れたみたいなのとか、そういうのは結構、とにかく疲れているなという印象でした。
父親も当時は全然家のことはほとんどやってなかったんじゃないかなと思うんですけど、そういうのも全部やるし、
よくため息をついていた気がする。
たまにもう出て行きたいみたいな感じになってて、
あんたたち、私に対して子どもを置いて出て行くわけにいかないでしょ、みたいな感じで、
逃げることもできないというか、
そういう感じでしたね。平日の昼間のちょっとした子どもが帰ってくるまでの時間だったりとか、
あとはちょっと深夜に、たまに夜更かしして、好きな音楽聴いたりとか、見たりとか、
そういう時間が唯一、自分の時間みたいな、そういう感じだったのかなって思います。
そういう自分軸で生きれていないと、やっぱりそのストレスが体を芯芯を蝕んでいったのかなと思うんですよね。
自分の人生を生きる決意
いろんな原因はあると思うんですけど、一応その若年性アルザイマーという病気だったんですが、
それって原因も、今、いろいろ脳のゴミみたいなものがたまるとそうなるとか、いろいろ言われていますけれども、
西洋医学的な観点だとそういう話になると思うんですが、
やっぱり寝不足とかストレスとかっていうのはどうしても関わってきている病気だと思うんですよね、メンタルの部分には。
なんかちょっと偏食気味の人でもあったんで、そういうのももちろんあるとは思うんですけど、
なんかいつも文句っていうか愚痴っていうか、辛かったろうなと思います。
父親が外食が好きじゃなかったから、ほぼ毎日ご飯作ってましたね。
そういう手抜きみたいなのはあんまりできないっていうか、そうですね。
本当に父親がなんかで、忘年会とかそういう用事で食事がいらないときだけ、
ケンタッキーとか行けたのすごい嬉しかったんですけど、今日お父さんがいないからって。
ケンタッキー行けたときすごくめっちゃ嬉しかったんですけど。
あとは、なんかカップラーメンとかもそういうときしか食べたことなかったんで、
子供的にはそういう日はちょっと特別の、ちょっとジャンクなものを食べられるラッキーな日だったんですけど、
本当にそういうときしか手抜きができなかったんでしょうね、赤親的には。
それはまあしんどかったろうなと思いますよ。
そう、だからね、私は自分の人生を生きようと思ったんですよ。
自分の選択肢を広げる
まずその専業主婦というものがどれだけ自分の選択肢を、生きる選択肢を狭めてしまうのかっていうこともすごい感じましたし、
だからずっと正社員で、いじでも辞めねえぞみたいな感じでやっていましたし、
お金、お財布に関しても、自分の金は自分の金っていうふうにしたかったんですよ。
これはあれですよ、専業主婦の方を否定する意図はないんですけど、私はそれは嫌だと思ったっていう話だけなんですけど、
旦那に稼いでもらったお金で美容院に行くとか、そういうのは私は嫌だったんですよ、私はね。
服を買うとか、そういうのも全部許可がいるとか、出してもらうみたいな、それが嫌で、自分のことには自分で金を出したいんですよ。
なんか買ってもらいたいとか、あんまりないんですよ、そういうの。
だから結婚してからも基本的に財布は別々で、お互いいくら持ってるか知らないみたいな、
そういう価値観がいいなと思っている自分は、経済的に依存したくないっていうことですね。
精神的にも依存したくない、そこが絡んでると思うんですけど。
それは今ももちろんそう思っているし、今後もそうでありたいなと思っています。
その企業を考え出したのはもちろんいろいろなことがあってですけれども、
母が亡くなったのが2023年の11月なんですが、私はその翌月に開業届をいたしました。
それが亡くなったからというわけだけではないが、いろんなタイミングがもちろん重なってのことでもあるんだけど、
でも一つの区切りというか後押しというか、自分の人生を自分で作っていくっていう一つの意思表明じゃないけど、
そういうタイミングだったなって思います。
死を通じての気づき
お母さんのようになりたくないみたいな、そういうネガティブな感じではなく、
なりたくないという気持ちももちろんあったな。そこは正直あるな。
母の分も、自分の人生を生きようというか、二の前にならないようにしようというか、なんか上から目線だけど。
私が自立をして、自分の人生を生きて幸せになるということが一つの供養というか、そういうことなんじゃないか、そういうことを教えてくれたのではないかと解釈している感じですかね。
身近な人の死というのは、やっぱり何かを教えてくれているのかなと思っていまして、
そこから何を受け取って、どう生きるかというのが、残されたものの使命というか、
無駄にしないというのかな。
宮崎駿じゃないですけど、君たちはどう生きるかみたいな、でもそういうことを問い直す一つのきっかけを与えてくれているものなのかなと思います。
やばい、雨が降ってきた。
うちの母はやっぱり寝たきりの期間が長かったので、
寝たきりというか、動けなくなった時期が長かったので、本当に骨がすっかすかだったんですよ、最後。
焼き場で骨焼くじゃないですか、残った骨がもう本当に少なくて、すっかすかだったんですよ、すごい少なかった。
それを思うと、やっぱり筋トレとか頑張ろうって思いますよね。
ちゃんと負荷をかけて、体に筋力、骨力つけておきたいなと思うんですけど、
対照的だったのが、母の母、私のおばあちゃんはフィジカルの人だったんで、
80後半で亡くなったんですけど、骨めっちゃ残ってたんですよ。
結構、80代後半まで普通に仕事をしたりとか、ゲートボールやったりとか、結構体を動かしてたので、
動けなくなった時期が短かったのもあって、
80代後半でこんなに骨残ってるの珍しいですねって言われるぐらい、
大腿骨、骨ぶっといの残したりとかしてたんで、すごいフィジカルの人でした。
やっぱりその生き方が骨の残り方に現れるので、そこを目指していきたいなと思います。
あともう一人のおばあちゃんも、父方のおばあちゃんですね、祖母も、97ぐらいで亡くなりましたけど、
ちょっと骨の量は覚えてないんですが、小柄な方だったんで、そんなに量はなかったかもしれないんですけど、
最後まで自分でご飯を食べて、自分でトイレに行ってっていう、寝たきりになりきってないままお亡くなりになったので、
それもフィジカルの人でしたね、そう考えると。だって本当トイレ行って、自分でトイレ行って、戻ってきて、パタって、
お亡くなりになったそうなので、フィジカル強すぎですね。
そういう死に方をしたいですね。
やっぱり死に方が残されたものに、こういうふうに死にたいなとか、
自分はこういう死に方したくないなっていうと、うちの母にも失礼なんだけど、
そういうことを思い直させてくれるものなのかなと思いますね。
人の一生は、寿命は実は決まってるなんていう話もありますけど、
いつ死ぬかというのは、自分の寿命は自分ではわからないので、
月並みな表現ですけど、明日死ぬかもしれないし、
100まで生きるかもしれないっていう、そのいつ死ぬかわからないという中で、
じゃあどう生きるかっていうのは、やっぱり自分で勝ち取っていくものなのかなと思うので、
いつまでもあると思うな、自分の人生ということで、
今の生き方をそのまま続けていいのかなと疑問に思っている方は、
早めに決断した方がいいこともあるんじゃないかなと思います。
人が死ぬときに後悔することは、
だいたいもっと調節すればよかったとか、もっと遊べばよかったとか、
もっと家族を大事にすればよかったとか、
ということに集約されるって言うじゃないですか。
仕事はそんなにしなくてよかったとか、
だいたい言うらしいので、
そういうことなんじゃないでしょうか。
ちょうど年末年始とかで、また家族と久しぶりに会うっていう方も多いのかなと思いますので、
その生き方を見つめ直すいいきっかけになるのかなと思います。
はい、こんなところで終わります。
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