対話の重要性
Life Designチャンネル。このチャンネルは介護・福祉業界で約20年間働き、現役の主任ケアマネージャーである私、やまと ゆきが、自身で作ったノート、ライフデザインのノート、介護の話をさせていただくチャンネルになります。
おはようございます。やまと ゆきです。
今日は先日ワークショップを開催させていただいたというところなんですけれども、
そこで得た気づきというか、これは大切なことだから皆さんにお伝えしたいなと思ったことがありましたので、お話しさせていただきたいと思います。
よかったら最後までお付き合いください。
先日のワークショップ、私が発表させていただいた内容というのは、対話の大切さなんですよね。話をすることの大切さ。
その会話と対話の違い。会話は日常的なコミュニケーション。対話は相手を深く理解して、それを自分の中に落とし込む行為というところのご説明をさせていただいたんですけれども、
一番最初に皆さんは親の好きなもの5つ答えられますか?とか嫌いなもの5つ、これはパートナーでも大丈夫ですよって言って、ちょっと書いてみてくださいみたいな話をしたんですよね。
ちょっと書けないかなとか、それ実際にいつ聞きました?いつ確認しました?とか、そんなのがあると思うんですけれども、
それって無意識に、いやこれってこの人こうだから、こうなんだろうなって思っていることではないでしょうか?みたいな。
ずっと一緒にいるから、わかったっていう感覚になっているけれども、果たして本当にそれはそうなのか、それを確認したのかっていう話とかね、そこら辺の話をさせていただいたんですけれども、
そことね、通ずるところがありまして、人間の気持ちって生物だから変わるんですよ、つどつど。
今日はこれって思ってるけど、明日はそう思うかってわからないじゃないですか。
今日はAがいいって言ってるけど、明日はBがいいって言うかもしれない。
で、この亡くなる前の自己決定のことだって変わるんですよ。
これは本当に全然おかしいことじゃないし、むしろ当たり前のこと。
1回決定したことを覆すっていうのは全然普通にあることだし、それをやっちゃいけないって思わないでほしいんですね。
例えば延命治療はしませんって決めてたとするじゃないですか、家族の中でね。自分だけじゃなくて家族も了承して決めた。
けれども、やっぱり1分でも1秒でも長く生きたいって思うことだってあるかもしれない。
逆に延命治療をするって決めてたけど、やっぱりその選択は自分にとって苦しいものだっていうふうに思い始めたら、もうしませんっていう選択もそれはありなんですよね。
私たち介護従事者も医療従事者も、1回決めたんだからそれでいきなさいよっていうことは一切言いません。
家族が本人が決めたことに関しては、私たちはわかりました。
リスクとベネフィット、いろいろとお話をさせていただいて、こういうふうにやっていきましょうっていうのをお話しさせていただきます。
必ずいろんなものに関してもリスクというものはどうしてもついてくることなので、人間生きてる以上ね。
だからそういったお話をさせていただいて、その人の意思決定を尊重するっていうのをすごく大事にしております。
で、この意思決定をじゃあどうするのかっていうときに、対話っていうのが必要になってくるんですね。
急にいろいろ言われた。うち母も本当にそうだったんですけれども、急にもう末期のがんですって言われて、3ヶ月のうちにコロコロと亡くなっていってしまったんですけれども、
母自身はね、特に病気のこともしかしたら、予免宣告に関してもそうかもしれませんね。
自分は聞きたいのか聞きたくないのか、伝えたほうがいいと思っているのか、この人はこういう人だから伝えないほうがいいと思っている、本当にそれどうなんだろう。
相手のためを思っていることが、もしかしたら相手を苦しめることになるかもしれない。
だから対話をして、話せる土台を作っておくって本当に大切だなって、この前のワークショップで本気に感じましたね。
意思決定の変化
そういうご意見があったんですよ。自分がこうだって思ってたけど、実は相手はこうだったっていうのを気づいたっていうご意見があってね。
いや本当そうだなって私も痛感したし、私も変な話、父とか夫のことを知ったつもりになっていることって結構あるんだろうなって。
この話を聞いて、実際に会話してみたよっていう報告をくれた人もいらっしゃいますし、すごい嬉しかった。
私の話一つ聞いて、実際にやってみたよっていう人が一人でも増えたら本当に嬉しいなって思いました。
そして私はもう一つ、次の問いを前回のワークショップの時に、ひょんなことからなんですけれども、投げたんですよね。
私がずっと思っていることの一つ、このライフデザインノートを作った時もずっと思っていた。
なんならライフデザインノートの一番最初のページにちょこっと書いてあることなんですけれども、
日本という国は生まれることに対しての勉強はする。なんだけれども、亡くなる時のことに関しては何の教育もない。
私はこれを変えていきたいって思っているっていうのをね、前回ちょっとワークショップの最後の方でちょろっとお話しさせてもらったら、
じゃあ次回はそれの授業をしてください、言われたんですよね。
私思ってるけど、どう伝えていくのが一番いいのか。
日本ってやっぱりいろんな宗教が入ってたりとかね、するから、どれも正しい、どれも正しいって思うんだけど、
でもやっぱり教育としては、どういうふうになったら人間って老いが始まるのか。
老いていくとどうなるのかっていうのはやっぱり共通。人類共通のことなんで。
そこらへんはちょっとずつちょっとずつ学んでいってもいいんじゃないのかなと思うので、
そこらへんの授業を今度、次回させていただくっていうお約束ができましたので、
もしご興味がある方、いつになるかわかんないですし、私ももうちょっと知識とか情報をアップデートしていかないといけないので、
いつになりますってお約束はまだ全然できないんですけれども、ご興味がある方、またお声掛けいただけたら嬉しいかなと思います。
今日はですね、ワークショップで感じた人間の心は移り変わるよっていうところのお話ですとか、
それは全然間違いじゃないよっていうところ。
次回今度やってみようかなと思っているワークショップのお話なんかをさせていただきました。
最後まで聞いていただきありがとうございます。
いつもいいねやコメント本当にありがとうございます。励みになります。
今日も皆さんにとって素晴らしい一日になりますように。
それではまた次回。