2022-03-25 09:40

#7 日記

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キーワード:日記、土佐日記、蜻蛉日記、更級日記、紫式部日記、和泉式部日記、紀貫之、藤原道綱母、菅原孝標女、紫式部、和泉式部、清少納言、枕草子、女房文学、藤原家
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それでは、今回も講義を始めてまいります。
今回のテーマは、日記でございます。
日記というと、毎日の出来事なんかを綴っていったりとか、その日起きた出来事なんかを、プライベートなことをですね、自分で綴っていくものをイメージされると思うんですけれども、
もともと日記というのは記録をつけるもの、日誌に近いですかね。
ですから、その人の感情とか考えとかを持ったことなんかじゃなくて、もうありのままの事実を記録するためのものだったようなんですね。
なので、役人の人たちがその日にあった出来事、例えば何か行事があったとすると、それがどういう行事だったのかとか、
この日に参加者がどんな人がいて、みたいなのもあったかもしれませんね。
そういった淡々とした記録をつけるものというのが、どうやらもともとは日記だったようなんですね。
それが後の世になって、女性の手によってよりプライベートなこと、出来事、自分の中の非常にプライベートな、公にする必要のないことを記録していったもの、
そういったものを日記と呼ぶようになったので、古文で出てくる日記というのは基本的には女性が書いた、特に宮中の女房たちですね。
女房たちが書いたもの、プライベートな出来事を書いたもの、これを日記ということが多いんですね。
この日記というものが特に書かれたのは平安時代、もちろんその後の世も書かれてはいくんですけれども、いわゆる古文で日記というもので有名なものは平安時代。
平安時代というものは言い換えると女房たち、貴族社会の中で女房たちが活躍した、女房たちの文章が非常に現在でも残っていて愛されているという時代。
なのでこのような文学を女房文学ということもあります。
とはいえ、実は一番最初、最も古い、残っているもので最も古い日記というのは、これだけは女性が書いたものではないんです。
木の津田行という男性が書いたものなんですね。
この木の津田行という方は、土佐の上、今の高知ですね。
高知の国首として働いていた時代があって、そこの土佐から都に帰る時の旅の模様を書いた、既興文なというふうに言い方もしますけれども、その様子を描いたのが土佐日記だと言われているんです。
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ただこの土佐日記は女性が書いた設定になっているんですね。
どうやらこの影響を受けたのかわからないんですけれども、これ以降日記というものは女性が書いた、そして女性が、当時は女でと呼ばれていたようなんですけれども、金文字で書いたものなんかを日記と呼ぶようになっていったようなんですね。
少なくとも現代では日記といった時には、古文における日記といった時には、女性の書いた日記をイメージされるといいと思います。
特に女房たち、平安時代に活躍した、活躍って言ってちょっと語弊があるんですけれども、平安時代にいた、女房たちによって書かれた文章、日記なんかが代表的な日記のイメージです。
なので日記といったら平安時代、そして女性たちによって書かれたものをまずは基本的にはイメージしていただければいいと思います。
さて日記というものもいろいろありまして、代表的なものを簡単にご紹介しますと、まずはかげろう日記、こちらは藤原の道綱の母という方が書いたものでございます。
この藤原の道綱の母という人の姪っ子さんがいまして、その方が菅原の高杉の娘という方なんですが、この方が書いたのがさらしな日記というものになります。
その菅原の高杉の娘の、結果的には藤原の道綱の母の親戚にあたるのが中宮松氏という方です。
中宮松氏という方にお使いしたのが紫色部という方です。
その紫色部という方が書いた日記が紫色部日記。
また同じように中宮松氏にお使いした泉色部という方がいらっしゃいます。
この方が書いたと言われているのが泉色部日記。
この辺りの人は親族というか関係者なんですね。
何の関係者かというと、藤原家の関係者なんですね。
なのでまさにこれらの日記文学イコール、藤原氏に関わる女性たちの日記だとも言えるんですね。
また藤原氏に関わる女性たちで有名な方には清少納言という方もいらっしゃいます。
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この方の書いたものに枕草子という随筆がありますが、
こちら随筆に分類されていますが、その中には日記的な部分もあったりするんですね。
そのあたりも含めると非常にこれらの日記というのはある意味では藤原家と深く関わるものだということも言えるわけであります。
ということはさらに言うと平安時代に日記というものは平安時代に書かれたもので、
ほとんどが平安時代に書かれたもので、藤原家に関わる女性たちによって書かれたものなんだというのが主な有名な日記の特徴だと言えると思います。
さてじゃあこれらの日記というものはどのようなことが書かれていくかということも興味があるんですけれども、
いわゆる今のように毎日書かれた日記というのではどうやらないようなんですね。
晩年になってから自分の老いたちというか、自分のこれまでの人生を振り返って書かれたものというものがあるようなんですね。
例えば影堂日記やさだしな日記はまさにそういったものであります。
また一方で紫色部日記というような日記だと、こちらは単なる日記出来事というものだけじゃなくて、
自分はこういうことを考えるとか、あとは他の女房についてこういうふうに思っているとか、そういうようなことも書かれていたりするんですね。
そうなってくるとこの紫色部日記と清少納言の枕草子というのは結構似ているというか、
それぞれ日記と随筆って違った分類にはなっているんですけれども、
これはもちろん構成になってからジャンル分けされているものですから、テイストとしてはかなり似通ってくるということになってまいりますね。
このような日記の意義というのは、その中には結果的に藤原家の様々な人たちの恋模様だったりとかプライベートなことがいっぱい書かれているわけですね。
そういったものを知る歴史的な資料にもなったりするんですね。
あとは当時の貴族がどんな生活をしていたかとか、どんな行事をしていたか、どんな習慣があったのかなんてこともわかるわけですよね。
そういったことを知る上でもこの日記文学というのは非常に大事になってくるわけであります。
もちろんこの後も日記と名のつくもの、日記にジャンル分けされるものは作られてはいくんですけれども、
やっぱり日記といったらこの中古の平安時代のものがイメージとして代表的なものなのかなと思います。
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ということで日記というものを見てまいりましたが、ポイントとしては現在の日記とはだいぶ違うものが多い、イメージとしてはだいぶ違うものがある。
一方では平安時代の藤原家に関わる女性たちの内面や日常を知る上では、もちろん現代における日記と非常にかぶるところもあるということも一方では言えると思うんですね。
そんなものは古文における日記、日記文学というものでございます。
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