2022-08-15 07:46

#20 土佐日記 概説

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キーワード:土佐日記、紀貫之、古今和歌集、仮名序、真名序、女手
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それでは講義を始めてまいります。 今回は、土佐日記という日記を紹介いたします。
この土佐日記というのは、ジャンルで言うと日記というものなんですね。 貴族の中では、日記というものは平安時代頃に書かれていたらしいんです。
ただ、その日記というのは、いわゆる日誌のような、何かを物事を記録するような形として、日記は書かれていたようなんですよね。
また、この日記の内容というのが、すべて漢字で書かれていた。 要するに、すべて漢文で書かれていたようなんですね。
ところが、この土佐日記というのは、すべて仮名で書かれているということなんです。
当時、仮名というのは、女でと呼ばれるように、こちらは女性が使うものとしてあったんですね。
ただ、女性以外でも、特に和歌を読むときには、この仮名が使われたと。 この土佐日記の作者は、木野津大輝という方です。
この木野津大輝という方、36歌詮にも入っている方ですけれども、有名な歌人でもあった方なんですね。
この方は、古今和歌集という直線和歌集の先者の一人でもありました。
古今和歌集の序文というものがあるんですが、これを序と言っています。
序には2種類ありまして、仮名序という仮名で書かれたものと、マナ序。
マナというのは、真実の名と書いてマナと言います。
マナ序という、これは漢文のことなんですね。 漢文のことをマナと言ったんです。
ということで、漢文で書かれたものと和文で書かれたものがあって、その仮名序の著者としても知られております。
この木野津大輝という方なんですけれども、非常に歌人でありましたので、和文にも精通していたと思われます。
この方がある時期、土佐の方で国師の役割をするんですね。
土佐の神という国師の役割をしまして、県知事のようなものですかね。
その場所を収める役割をしていたんです。
そこから都に戻ってくるまで、任期を終えて都に戻ってくるまでの行程を描いたのが、この土佐日記だと言われております。
ただ特徴的なのは、実はこの土佐日記は木野津大輝が書いたのではない設定になっているんですね。
というのも、この土佐日記を書いているのは、木野津大輝に同行した謎の女性という設定になっているんです。
ですから本文中でも、例えばある人とかある字とかいうふうにして出てくるのが木野津大輝なんですね。
ですので木野津大輝が書いているんですけれども、実際にはそういうふうには書かれていなくてですね。
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あくまで木野津大輝に同行したある女性が綴ったようになっています。
なぜそんなふうにしているのかというと、一つにはその和文で書くっていうことは、それこそ女でと呼ばれましたので、
和文で書く文章でするからにはやっぱり女性が書いているふうにした方が良かったんじゃないかとか、
和文で書きたかったのはやっぱりこの和歌に精通していたということもあったかもしれません。
事実この土佐日記の中ではですね、基本的には土佐の地を離れて、当時は陸地を行くのではなくて海の道を通ったんですね。
回路を通りました。というのもやはりこの陸路を行くというのは非常にリスクもあったんですね。
大きなものを運んだりとか大勢の人が移動するにはあまりにも過酷であった。
それに対し船であれば乗っているだけでいいわけですよね。もちろん小汽手だとかいろいろ船の管理をすることは必要にはなりますけれども、
陸路を行くよりも随分と都合が良かったと思うんですね。
またこの陸路ですと非常に治安も良くなかったとも言われます。山俗に出会ったりとかするリスクもありました。
海の方にも一応海賊というものもいたようなんですけれども、やっぱり山俗の方がリスクはあったと思うんですよね。数も多かったと思うんですよ。
ってなってくると総合的に考えてやっぱり回路を通るのが自然な流れだと思うんですね。
ましてや四国から都に戻ったわけですね。
となると、まあもちろん海は必ず通らなければいけないわけですからね。
道が繋がっていたわけではないですからね。となると結局は回路を通ったということなんだと思います。
いずれにせよ回路を通ったとしてもですね、危険なことには変わりはなくて、もちろんこの回路を大きく横断するというのではなくて、
陸地をちょっとずつちょっとずつ、陸地に上がってはまた進み、陸地に上がってはまた進みというものを繰り返して進んでいったようです。
その模様というかその様子について描かれたのがこの土産日記なんですね。
そうすると行く先々でですね、このある字とかある人という人が和歌を呼ぶんですね。
結局は自分自身なわけですけれども、その和歌が実に素晴らしいなぁなんていうことを紹介するわけですね。
それでみんな涙落としたとかみんな感動したとか、そういうエピソードが語られていくと。
そういう体裁からしてみてもやはり和文の方が和歌にうまく雰囲気が合致したのかもしれませんね。
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ということで非常に時間をかけてですね、実質3ヶ月くらいですかねかけて、2、3ヶ月かけて都に行ったわけでございます。
もちろんその先々によっていろんなエピソードがあるんですけれども、特に印象的なのがこの弊社の娘が実はこの土産の地で命を落としているんですね。
その娘のことを思い返したりとか、特に都に着いた時に娘はもういないんだなぁなんていうような場面が描かれたりしております。
というように非常にこの土産日記というのは奥深いというか面白いんですが、ただこの日記文学の中では非常にレアなんですね。
どういうことかというと基本的に日記文学というと多いのは平安時代の九中の女性たちによって描かれたものが今残っているもので有名なものなんですね。
その中で唯一男性が描いた、もちろん女性に家宅するなんて言い方もしますが、女性のふりをしてというか女性が書いた設定になっているということはあるんですけれども、
結果的に男性が書いたいわゆる古典の日記文学ですね。古典の日記文学の中では非常にレアなものとなっております。
こちらが成立が平安時代前期と言われておりまして、日記の中ではこの古典の日記の中では最古のものと言われております。
というような木野津田役が記した平安時代前期の日記文学、土産日記についてご紹介いたしました。
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