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それでは始めてまいります。 休み時間のこのコーナーですけれども、
決まったトピックスとかで、何か一つの作品とかを解説するっていうのじゃなくて、やや雑談的な内容を扱うような時間にしております。
今回お話したいのが、この間ある方から質問されたんですけれど、平安時代とか昔の古文の世界という中では、男尊女卑っていうのはあったんですか?っていうようなね。
恋愛についての教材の内容だったか、ちょっと覚えてないんですけれど、この男尊女卑とかそういうものがあったのかな?みたいなお話があって、
これもね、もちろんいろんな考え方とか、いろんな研究があると思うんですけど、個人的には、いわゆる現代でいうような男尊女卑ではやっぱりないと思うんですよね。
というのも、そもそもが、例えば紫式部とか、清少納言とか、平安時代を代表する方々、随筆作家であったり物語作家がいらっしゃるわけですよね。
もちろん当時それは作家っていう意味合いがあって、本当にそういうクリエイターだったわけではないと思うんですけど、
ただ少なくとも女性がある程度活躍しているというか、もちろんそれが大義名分であるとか、表向きであるとか、実はうだれはこの藤原家の影響があるとか、
まあそういうのはもちろんあるにせよ、ただ完全に女性が表に出るっていうことが、否定されなかったのは事実だと思うんですよね。
例えばその本当に女性別姿というか、女性を下に見るような感じっていうのは、なんかそういうのではないと思うんですよね。
例えば影郎日記っていう日記ありますけれども、影郎日記の中で旦那さんとのいろんなエピソードが描かれたりするんですけど、
その描かれ方っていうのは決して女性を下に見ているわけではなくて、藤原道綱の母っていう存在が非常に強要にあふれて素晴らしい人物であったと、
それを頼りにしていた旦那さんの姿が描かれていたりするんですね。それが大前提にあるっていう、それがあってその中でなかなかその二人の関係がうまくいかないとか、
なんか旦那さんに対する愚痴があるとか、そういうことがあるわけで、大前提としてもちろん男性と女性の役割分担みたいなのはあると思うんですよ。
宮中で何かこう政治を行うのはおそらく男性であった。ただ女性はじゃあ全くそういったものに影響しなかったかって言って、やっぱり女性の影響も大きかったと思うんですよね。
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あとはそもそも天皇、帝っていう存在も、天皇っていうのもその役にあったのは決して男性だけではなかったわけですよね。
女性の天皇なんていうのもいっぱいいらっしゃるわけですね。それもなんか色々、現代では色々言われたりはしますけれども、
ただいわゆる女性が天皇になれないっていうのは、明治時代以降に作られた皇室天般におそらくこう記されたというところから来ていると思うんですけれど、
まあ割と最近の話ではあるわけなんですよね。で、もちろん昔はそういう天皇と呼ばれる方で女性の方とか、あとは例えばですね、
取り替え早物語っていう物語の中では皇太子、東宮、春宮と書いて東宮と呼ばせて、皇太子のことを指したりしますけれども、いわゆる東宮が女性として出てくるんですね。
まあそういったことがおそらく考えられたと思うんですよ。全然そういうことが全くあり得ないとか特別なことだったというわけではおそらくないんじゃないかと。
あとはかたや民族学的に言えば、だいぶこの古いというかプリミティブな原始的な、ある種の原始的な民族っていうのは非常に母系の家族であると。
女性というのを中心にした家族っていうものを形成しているっていうのもまあわかりやすいですよね。
コミュニティの中心が女性であるっていうのは、だって女性が中心になって子育てをしたりとか、そもそも子供を産むっていうのも女性から始まっているわけですしね。
そうなっていくとやっぱり女性を中心にしたコミュニティっていうのは非常に自然ですよね。
そういうところがあるので、もちろん女性を下に見るっていう必要がないというか、例えばあとはヒミコという方が実在したかはわからないですけれども、おそらく女性としてまず中心にあったと。
もちろん実態としては男性がどうのこうのとかもあるかもしれませんが、少なくとも大義名分として表に出ていたのは女性であろうと。
あとは大きな意味での日本で言うと、沖縄の文化として沖縄の琉球王国では聞こえ王君と呼ばれる巫女にあたるような方が非常に政治的にも大きな力を持っていたとか。
あとは日本の神道の流れで言うと伊勢神宮に西宮という役割がありまして、この方っていうのは大体帝の天皇の娘とかが任命されたりはするんですけれども、その伊勢神宮の巫女っていうのは非常に大きな重要な役割を示したということらしいんですね。
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そもそも天寺荘美神という女性の神様を日本の神道のトップとして、比枝敦のトップとして持ってきているっていうのも、女性というものを下に見るっていう価値観が大きければ、少し違和感のあるところではあると思うんですよね。
ですからそもそもが歴史の古文という中で、やっぱり現代文と古文というのを大きく分けた時に、圧倒的に長い古文の世界の中では、圧倒的にこの女性を下に見るっていう文化はあまりないというか感じられないんですよね。
例えば和歌集で言っても、女性の和歌、男性の和歌問わずいっぱい入っていますし、もちろん男性の方が多いとか、女性が少ないっていうのは多々あるんですよ。
でもそれって、もちろん女性を下に見たからなのかっていうと、なんとなくちょっとこの感覚的に、もちろん女性はそもそも和歌を読むっていうのは男性だっていうふうに言われていたと。
そうですね。この和歌をたしなんだりとか、漢文をたしなんだりっていうのは、基本的には男性のたしなみであるというところがあると。
ただ和歌自体は、もちろん女性も読んだわけですね。そういったものが優れてなかったわけでは、もちろんないわけですね。
そういう、なんて言うんですかね。必ずしも男性的なものはこうである、女性的なものはこうであるっていうこと自体と、女性が下で男性が上だっていうことは必ずしも同じではないと思うんですね。
それぞれ違う、住み分けがあったとか区別はあったけれども、でも全くそれが男性が上で女性が下っていうことではなかったと思うんですね。
そういったことは古文を読んでいると、やっぱり女性と男性で、女性が下だっていう描写ってあんまりないんですよね。
もちろん、例えば恋をするといったときには、恋愛で男性、例えば男性優位であれば男性の思いのままになって、女性は後に従って、もう男性の思うままになるなんてことはないわけですよね。
全然女性でも断りますし、女性が男性に対してお断りしたりとか、反抗したりなんてことも全然ありますしね。
男性がすごく苦しむ様もいくらでも描かれておりますしね。
ですから、それぞれ違いはあったにせよ、決してそれは男尊女卑という感覚とはだいぶ違うように私には感じられるんですよね。
だからその時もお話ししたんですけれども、そういったことを考えてみると、いわゆる男尊女卑というのはだいぶ近代のものではないかと。
私が思うにはおそらく、戦争前後、戦争前後だと思うんですね。
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戦争前後のいろいろな、例えば、お家制度とかですね。
家という制度、それからそこから強化していく家族という制度ですよね。
家族というまとまりを作っていくということ、戸籍制度なんかもね、近代の戸籍制度なんかもちょっとそこらへんにかかわってくると思うんですけど。
その中にあって、男性優位社会というか男性優位の文化というのは作られていったというか、かなり人工的に作られていったような印象なんですね、個人的には。
それこそ江戸時代くらいにあっても、極端に男尊女卑的な感じというのは、あんまりそういう概念を持って古文を眺めるというか、文章や文学に触れるということはあんまりないんですよね。
もちろんそれぞれの魅力はあるんだけれども、どっちが上、どっちが下とかいうわけでもないと。
よく言われるのが、例えば戸籍の中でイザナギ・イザナミっていう二柱の神様、神様柱って数えたりするんですけれども、二柱の神様がいらっしゃると。
二人の神様というのは二人で一つなんですね。
二人で一まとまりの神様というふうに認識されるんですけれど、この二人でワンセットの神様であると。
そうした時に有名なエピソードとして、天の三柱っていう柱があって、国を作り出す時にある儀式を行うんですね。
その時に男性から声をかけるか、女性から声をかけるかで、結果が変わると。
女性から声をかけたことによって何か不都合があったのか、うまく国産みができなかった。
ところが男性から声をかけ直したらうまくいくという流れがあるんですね。
男性が先にしなければならなかったから 男性が優位かと言うと、それってまた少し違うと 思います。
最初に言った方が偉いというわけでも なくないですか。
最初に言った方が 男だった方が 良かったということは 文章内容的には 読み取れます。
男性が優位に立っているから 男性を敬っているから もしくは 男性が強い力を持っているから 先に名乗るべきだ というのは
現代の価値観から 手出した時に そう見えるだけだと思うんですよね。
だって 順番と序列って 必ずしも一致しないですよね。
例えば 大事な人ほど後に持ってくるという文化とか そういうシチュエーションとか儀式とかも あるわけじゃないですか。
そもそも その順番が 権力とか力とかと 一致しているとも 言えないと思うんですよね。
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そういったことを 考えると 基本的には いわゆる 少なくとも 現代で伝奏する 男尊女卑みたいなものは
古文の世界 古文の1000年以上に わたる時代においては 特に 古文を読む時に おいては ちょっと ちがうのではないかと 思います。
そう読まないと 追い詰まらないですよね。
そういう ジェンダーの概念は よく 古文の世界は 大らかだとか 平安の世の中は 大らかだ という言い方を します。
しかし 今の ジェンダーの 価値観は だいぶ 狭すぎると 思います。
色々な 考え方が あります。恋愛観だとか 家族に対する 考え方とか 価値観は 狭すぎて あまりにも 狭すぎるだけで あって むしろ 古文は とても 広いです。
1000年以上に わたって 色々な文化や 価値観や 色々な 考え方が 行ったり 来たり するので そのようなものと 比べると 今の 数百年の 価値観は かなり 狭いのは 当然です。
だから 大らか というよりは 今が 特殊すぎると 今 この 短期間の中で 得られている 価値観とかは 非常に 局所的なものを 頂戴な 流れの中では 非常に かなり 尖ったものだと 思うんです。
そう 見えてしまう ということです。 言ってしまえば 大きな 流れの中の 1つだ ということなんです。
古文を 読んでいると 色々な 価値観や 色々な 考え方が 行ったり 来たり しながら 変化したり 組み合わされたり 混ざり合ったり 対立し合ったり という 色々なことが その 文章文章で あるわけです。
そう見ると 何か もう 何か ここ数年の 流れは もちろんだし ここ数百年の 流れなんかも まあ まあ こんなの あるよね みたいな こういうことは 昔も 言っていたし
もちろん 今の課題や 現実で 向き合わなければ いけない 課題は 昔と 状況が ちがうので ちゃんと 向き合う 必要は あるにせよ。
ただ あまり 早急に すぎないように しても いいのかな というか あまり 葛藤なる 必要はない というか もう少し 穏やかに よく 冷静に 見ることも 対極的に ものを見ることも 時には 必要なのでは ないかと 思います。
というふうに 思わせられるんですよね。
もちろん いろんな シチュエーションにも よりますし 状況にも よりますよ。
ただ 特に 文学的な 視点というのは まあ まあ ゆったりとは しているんですよね 結果的には。
ゆったりと 見る必要が あるというか あまり 狭いものの 見方とかで 見ちゃうと かなり 曲解してしまう というんですかね。
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やや 極端な 読みというか 極端な 読解を してしまう ところが あるので いろんな 価値観とかを 少し ニュートラルに するというか 言ってみれば ちょっと 広げる というか そういった状態で 古文というのは 読んでいく というか 今の 言ってしまえば すごい 端的に言うと 現代の 常識を そのまま 古文に あてはめる ということは 普通 しないわけでしてね。
ただ それを 意識しているんだけれども それでも われわれというのは 現代の 常識というものに とらわれているというか そこから 抜け出して 文学を 眺めるということは なかなか 難しいわけですので そういったものを 気づかせてくれるというのが 古文の 学びであったり その古文を読む 価値なのかな というふうにも 思ったりいたしますね。
ということで 一つの 問いとしては 男尊女卑というのは 古文の世界で どう 描かれているのか というか 男尊女卑って あったんですか という問いに対して 今の 私が 思っていることですね。
もちろん これも いろんな 考え方も あるでしょうし 私も 決して 古典文学の 研究を ずっと してきたわけでもないし その道を 専門家でもないですので ただ いろんな ご意見は あるし いろんな 専門書も あるでしょうし
あくまで 古文の 愛好家としては そのように 今は 思っておりますね。
ということで 休み時間の お話でございました。
お聞きいただいて ありがとうございました。