2022-08-15 08:51

#21 蜻蛉日記 概説

キーワード:蜻蛉日記、藤原道綱母、藤原兼家、藤原道隆、藤原道長、女房文学
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それでは、今回は陰楼日記という日記について、ご紹介したいと思います。
陰楼日記というのは、平安時代中期に成立した日記でございます。
この日記文学というのは、主にこの平安時代の九十の女性たちによって描かれたものが非常に有名なんですね。
その中でも、特に古いものですね。たくさんあるんですけれども、その中で特に古いものになってまいります。
この陰楼日記というものを書いたのは、藤原道綱の母という方です。
藤原道綱という人のお母さんだから、藤原道綱の母と呼んでいるわけなんですけれども、
この藤原道綱の母、少し関係のある人をご紹介していきたいんですけれども、
藤原道綱の母の息子にあたるのが道綱という方なんですけれども、夫にあたる方が藤原金家という方です。
この金家という方は非常に有名な方なんですね。
この藤原道綱の母というのは、金家の精子ではなかったようなんです。精細、中心となる奥さんではなかったんですけれども、
非常に知的で強要のある女性だったようで、そういった点で藤原金家から徴用されたようなんですね。
藤原金家との様々なやりとりが描かれているのが、このかけどう日記になります。
この藤原金家という方はどういう方かというと、息子に藤原道綱、道綱、道金、道永といった、いわゆる藤原家の中でも特に重要な人物なんですね。
例えば藤原金家の息子の道高の娘が 中宮帝子です。
中宮帝子にお使いしたのが 清少納言です。
また一方で藤原金家の別の子供、道永というのがございます。
道高の弟にあたります。道永という方の娘が 中宮少子にあたります。
その中宮少子にお使いしたのが 紫式部になるわけですね。
この道高と道永というのが、非常に権力争いをする間柄になった。
この道永が、藤原家の中でも出世がしだというんですかね、 非常に権力を握っていく存在になってまいります。
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そんな元となったというか、藤原家というものを作り出した一人の重要人物というのが、この藤原金家という方なんですね。
その藤原金家の奥さんということになります。
書かれている内容というのが、よく言われるのが、藤原金家が浮気をしたりとかする話だ、なんていうふうに言われることもあるんですけれど、
ことはね、そうか単純なものではないんですね。
そもそも性質として、他にいるわけですね。奥さんというのが。
他にいらっしゃって、それとは別に、特に強要のある人物として徴用されたというポジションを、この道綱の母が持っていたということなんですね。
ただ、それはそれでですね、また重要なところでして、当時、この陽道日記というものがありますけれども、この陽道日記がですね、
書かれたっていうのはどういうことなのかってことを、ちょっと考えてみたいんですけれども、
普通に考えたらですね、当時の女性がただ書いたものっていうのは、そんなに残らないわけですよね。
そう簡単にこう残って、なんていうか、いろんな人に読まれたりとか、後世まで語り継がれることはないわけです。
でもなぜかっていうと、おそらくやっぱりお旦那さんが、金家というすごい権力者だったからだと思うんですね。
で、その内容として、エピソードとしてもですね、これ別にこの日記というのがですね、毎日起きたことをただ書いていくってことではなくてですね、
晩年になってから、その当時のことを思い出して書いているんですね。
でも普通に考えてみると、晩年になって当時のことを思い出すって言うと、まあ脚色もいっぱい入りますしね、
非常にこのフィクション性が増すんですよね。当然なんですけれども。
ですからこの作品というのも、なんとなくこう、何て言うんですかね、金家との愛情とか、いろんな葛藤、夫の間との葛藤だとかね、
いろんな思いっていうものが書かれてはいるんですけれども、まあそれは過ぎ去った過去でもあるんですよね。
で、なんとなくそういうストーリー性があるというか、個人的にはそういうフィクション的要素っていうのをなんとなく感じる作品ですね。
で、もちろんその中では決して何かこう、金家と賢悪なムードの時ばかりでもなくて、すごく愛に満ちた様子が描かれていたりとか、
あとは息子である道綱が非常に活躍するところが描かれているとか、非常にですね、全体を通してみると、なんとなく決してその金井を批判しているとか、金井を訴えるとか、なんかそういう内容とも取れないんですね。
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もちろんなんか、賢悪になったなって言ったりとか、なんかそれからまた打ち解けていくとか、まあいろんな流れはあるんですけれどね。
なのでなんとなくその、もちろんですね、この金井というものを単純に批判して、なんか悪く言うような文章だったら、きっと今に残ってないわけですよね。
ある意味では金井、幼少の上というか、結果的にこの金井の和歌とかエピソードが、このかげろう日記という形をとって伝わっているということがあるんですよね。
これはですね、非常に他の日記文学とか、こういう平安時代の女房たち、宮中で偉い方にお使いしていた女房たちによって描かれた、こういう作品というものを、女房文学なんて言ったりすることもあるんですが、
いわゆる女房文学は、当時の女性たちのセキュラナなその思いをただ伝えるっていうことでは、おそらくはないんだろうと。
やはり男性貴族の社会の中において、その権力関係とやっぱり結びついていると思うんですね。
源氏物語は、やはりこれは紫色部が中宮少子にお使いしていた。
またその中宮少子が道長の娘であったこと。
また清少納言の枕草子は、清少納言が中宮弟子にお使いしていた。
中宮弟子が道高の娘だったこと。
ということが無関係なわけはないんですよね。
同じように、かげろう日記についても、かねいえという存在なくしては書かれなかったものでしょうし、今に残っていなかったということは考えられるんですね。
平安時代中宮を代表する、日記文学の代表作ですね。
日記というのは、いわゆる毎日の出来事をただ単々と書いていったということよりは、
昔のことを回想してまとめて作られた、多少ないともフィクション的要素があるような文学という印象が個人的にはいたしますね。
もちろん日記として楽しむ分にはいいんですよ。
こういうことが毎日起きたのかなと、こういうドラマがあったんだろうなとは、読み方をしても全然いいんですけれども、
ことはそんな単純ではないだろうなというものでございます。
そういう、いわゆるこのかねいえとのいろんなやりとりで、かねいえとのいろんな葛藤について書かれている、
藤原道綱の葉のかげろう日記についてご紹介いたしました。
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