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2020-10-09 05:50

#88 日記の持つ驚くべき効果 外山滋比古氏の「知的生活習慣」から 【日記回】

今回は,遊園地的なところで収録してみましたら,
まわりの賑わいがまともに入ってしまい,
あんまりだと思いました。
 
もうしませんすみません。
00:00
第88回目のきょうは、日記回です。
日記の持つ驚くべき効果について、
外山滋比古氏の著作「知的生活習慣」から語ります。
今日は驚くべき日記の効果、
それは、いらぬことを忘れるためであることについてお話しします。
いらぬことを忘れるために日記はある。
これですね、外山滋比古さんの「知的生活習慣」という本に出てくる言葉です。
忘れるために日記を書く、これ一体どういうことですか。
私たちって、日記を書くときに記録しておきたいと思って書くんじゃないでしょうかね。
今日の出来事を記録することで、いつでも見返して思い出せるようにする。
つまりいつまでも今日の出来事を覚えておくために書くんじゃないかなと、そういうふうに思うんですけどね。
しかし外山氏は全く逆のことを言われてるんですね。
忘れるために書くのだと言われてるんです。
外山氏はですね、日記を何十年も続けてきた方なんですが、次のようなことを言ってるんですね。
日記というものは一般に考えられているほどありがたいものではない。
将来の歴史のために資料として役立つかもしれないと、うぬぼれるのは思い上がりで滑稽であると、そのように書かれてるんです。
よほどの偉い人など、歴史に名を残すような人の日記というのは、それなりに価値がありますけど、
一般の人間の日記はそれほど人の役に立つものではないというわけですね。
さて私はといえばですね、特に人様のお役に立とうと思って書いてるわけではないです。
あとから自分の役に立てようと思って書いてるんです。
そういう方の方が多いんじゃないかとは思いますね。
私はこういう記事を前に書いたんですよね、ブログにね。
それは私が24年間書き続けているデジタル日記を印刷して、本としても残しているわけ。
この記事を書いたんです。
そこでは過去の自分に出会い、忘れていたことを思い出したり、アイデアの再発見をするために書いているのだと私はそこで言ってます。
そしてですね、過去の自分に出会って忘れていたことを思い出したり、アイデアの再発見をしたりする。
この人様に読んでいただくというようなつもりというのはもう冒頭なくて、
あくまで将来の自分のための貯金のようなもので書いているわけですね。
さてそのようなですね、過去に書いた日記を読んでいて、
時々ですね、こんなことを書いたのかと書いたことを全く忘れてしまっているというような、
そういう内容によく出会うんですね。
日記に書いておいて良かったなぁと思い出せたから良かったなぁと思う反面ですね、
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日記に書いたから忘れたのかもしれないとも思うわけです。
日記に書かなかったら、もしかしたら忘れなかったのかもしれないですね。
でもですね、必死に覚えておこうとするあまりずっと脳に負担をかけていたかもしれないですね。
日記に書いておいたからこそ忘れることができたかもしれないとも言えますね。
するとですね、こういうことが言えるんじゃないかと、
それは忘れるためには書くことが良いということですね。
覚えておくほどのことでもないような雑多なこととか、
頭の中で整理できないもやもやとか、
そういうものは本来睡眠中に脳の中で整理されると、
そしていらないことというのは忘れられていくわけですね。
これと同じことを日記を書くということによって雑多なことを忘れて、
脳内を整理するという、そういう働きっていうのがね、日記にあるんじゃないかなと。
つまり雑多なことをどんどん書いていくことによって忘れることができる、
そして脳のリソースを別のことに使えるというようになっているのかもしれないですね。
さてここでですね、冒頭に戻るわけです。
いらぬことを忘れるために日記はある。
そう考えるとね、なるほどと思うわけですね。
人間はどんどん忘れていくことが必要ですね。
忘れないで溜め込んでいくと、本当に大事なことを覚えるリソースというのは少なくなってしまいますよね。
だから忘れ方というのを身につけるのは、今の人間の課題として大事なことなんですね。
文字に書いてみると忘れやすいということを忘れ方の一つと考えてもいいんじゃないでしょうかね。
だからですね、もう雑多なこと柄の忘れ方として日記を書くのだと、忘れるツールだというわけですね。
ここがね、外山重彦氏の軽眼なところだと思いましたね。
長年日記を書き続けてきたからこそ言える言葉じゃないかなというふうに思いました。
はい、いかがだったでしょうか。
外山重彦さんの言葉からいろいろ考えを巡らせてみました。
日記ですね。
改めて考えてみると、物を書くことによって忘れるというのはいろんな場面であると思いますね。
メモ自体がやっぱりそうでしょうしね。
モニーページなんていうのもずらずら頭の中の物を出していくために書くといっぱい言われてますしね。
やっぱり今の人間というのは、頭の中にもありとあらゆる雑多なことがあるので、
それを吐き出す、書いて忘れる、そういう忘れるツールとしての捉え方、こういうこともいいんじゃないでしょうかね。
それではまた、ニューサイドでした。
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