2024-06-19 19:17

#61 源氏物語(桐壺・御局は桐壺なり)

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源氏物語の「桐壺」の巻からです。光源氏の母、桐壺更衣が陰湿ないじめにあいます。

サマリー

『源氏物語』の桐壺の巻では、光源氏の母親が桐壺と呼ばれる場所で暮らしており、周囲からひどく扱われている様子が描かれています。 桐坪行為で落ちこんだことをあわれと感じた帝が、こうろうでんに移動させることで様子を見ています。

桐壺の皇位の扱い
それでは、今回の講義を始めてまいります。
今回は源氏物語からでございます。
源氏物語の桐壺の巻、その中で特に
光源氏の母親となる皇位がいた場所、桐壺の皇位がいた場所。
その桐壺の皇位が非常に周りからひどい扱いを受ける。
そういった場面からご紹介いたします。
まずは本文をお読みいたしましょう。
わたどののここかしこのみちにあやしきわざをひつつ
おおんおくりむかえのひとのきぬのすそたえがたくまさなきこともあり
またあるときにはえさらぬめどうのとをさしこめ
こなたかなたこころをあわせて
はしたなめわずらわせたもうときもおおかり
ことにふれてかず知らずくずしきことのみまされば
いといとうおもいわびたるを
いとどあばれとごらんじて
こうろうでんにもとよりさぶらいたもう皇位のぞうしを
おかにうつさせたまいて
うえつぼねにたまわす
そのうだみましてやらんかたなし
きりつぼという部屋
まず最初の部分です。
みつぼねはきりつぼなり
みつぼね、つぼねというのは部屋のことです。
この高貴な女性がたがに
すむ部屋をあたえるわけですね。
ここではそのきりつぼの皇位のすむ部屋
その部屋のことをきりつぼといったと
まあこれ逆なわけですね。
そのきりつぼという部屋が先にあって
そのきりつぼという部屋をあたえられた女性のことを
きりつぼと呼ぶわけです。
にょうごや皇位というものは
これは女性のその女房の位の名前ですね。
基本的にこの皇位というのが
比較的身分の低い女房にあたります。
きりつぼの皇位とありますから
これは後ろ盾も特にありませんでしたので
にょうごというふうにはいけないわけですね。
そして次です。
あまたの御方々を過ぎさせたまいて
大勢のさまざまな方々を
お過ぎになってと
その部屋の前を通り過ぎなさって
暇なき御前渡りに
暇がない御前の渡りに
これはどういうことかというと
さまざまな女房がいて
それぞれに部屋があたえられているわけですね。
その部屋の前をすどおりして
帝はこのきりつぼの皇位のもとに
会いに行ったというんですね。
このきりつぼの部屋というところがですね
非常にこの帝が住んでいるところから
遠く離れているんですね。
ですから自然とその間には
さまざまな女房たちの部屋があるわけなんですね。
で、暇なきっていうのは暇がないですから
ひっきりなしにと
ひっきりなしに御前が渡る
つまりこのきりつぼの帝が
きりつぼの皇位のもとをひっきりなしに訪れると
もうだからしょっちゅう行っていたということなんですね。
その結果どうなるか
人の身心を尽くした者も
下に断りと見えたり
人々がその心を尽くしなさるのも
下に全く断り
その通りだと理屈にあっていると見える。
これはどういうことかというと
当然他の女房たち
ここの人のというのは他の女房たちです。
他の女房たちが心を尽くしなさるっていうのも
心を尽くすのはここでは非常に気がかりであるということでしょうね。
気がかりで非常に胸がざわつかせられる様子
そういう様子があるのも
まあ当然であろうと見えると言うんですね。
もう上りたもうにも
あまり打ちしきる折々は
内橋渡殿のここかしこの道に
怪しき技をしつつ
もう上りたもうというのは
もうで舞うですね。舞いる。
舞いてその上りなさる時にも
というのはこれは
桐坪の後位、女性の方から
帝のいる
清涼殿ですね。
清涼殿の下に渡っていくという時にも
あまり打ちしきる折々はと
あまりにも数が多い時
あまりにもその秘書中である時々には
内橋渡殿というのは
これは廊下のことですね。
特に渡殿というのは渡り廊下のことですね。
廊下の奇妙な出来事
その渡り廊下やその廊下のところの
ここかしこの道に
あちらこちらの道に
怪しき技をしつつ
怪しき技
直訳すると何か奇妙なことをしてやった
って言うんですね。
この奇妙なことって何をしてたんだろうか
続きはこうあります。
送り迎えをする
これはもちろん後位という女性は
一人で移動するわけじゃないんですね。
お月の世話をしている女性もまた
一緒に渡っていくわけです。
移動していくわけですね。
そうした時に
移動する女房たちの裾が
耐えられなくなっている。
裾が耐えられないということは
何か裾に
付着してしまうって言うんですね。
これはどうやらそこに
お仏を撒き散らしたらしい。
何か大便や小便のようなものを撒き散らした
と解釈されることが多いですね。
当時お手洗い、トイレって
どうしていたかと申しますと
何というかお丸のようなものに
配便したようなんですね。
ですからそれは持ち運ぶわけですね。
それを廊下に撒き散らしていたと。
おそらくお仏の女房たちが
この霧壺の行為の前に立って
前に歩いて廊下を進んでいったと思うわけですね。
ですからその女房たちの足元の裾が
汚れてしまっていたと。
当時の着物、現代も着物というものがありますけれども
またちょっと違うわけですね。
当時の女性たち
服を引きずるようにして歩いておりました。
もと呼ばれるような
何というかある意味では尻尾のようにですね
腰につけているようなものもつけていました。
ですから当然廊下に散らばっているものは
全部引き集めてしまうわけですね。
その様子を増さなきこともありと言っております。
増さなきことというのは恐ろしく
怖いことというんですかね。
びっくりするような驚くようなひどいことですね。
そういうことを増さなきことと言いますが
そういった驚くようなひどいことも
あったのですよと言っているわけです。
またある時には
さらぬ目頭の戸を差し込め
こなたかなた心をあわせて
はしたなめわずだわせたもうときもおほかに
またある時には
えさらぬというのは避けられない
避けられない目頭の戸を差し込め
目頭というのは
目頭これは馬の道と書いて目頭と言いますね。
今でも瞬目と言ったりいたしますよね。
馬の道というのは
これは当時の建物は
渡り廊下で仕切られていましたが
渡り廊下の一部分をはずすのです。
はずして渡り廊下の
建物と建物の間のところを通って
馬を馬親に入れていった
というところがあるようなのです。
移動させていったと。
その通り道の渡り廊下のことを
特に目頭と言ったようなのです。
おそらく目頭のところというのは
内側から戸を閉められるようになっているのです。
おそらく馬を移動するときに
馬が入ってこないようにするためでしょうか。
避けられない目頭の戸を
差し込めというのは閉じてしまって
つまりそこには扉があるわけですから
ちょうど桐坪の行為が
その目頭を渡っているときに
戸を閉めてしまったと言うのです。
帝のあわれなる感情
そしてこなたかなた
こちら側とあちら側が
心を合わせて
心を合わせて多分閉めた
つまり同時に閉めたと言うのです。
桐坪の行為たちは
この目頭の上に取り残されてしまうということです。
そんなふうな
はしたなめ、わずらわせたもうとき
はしたなめというのは困るということです。
わずらわせ、困って、わずらうようなことを
なさる、そういったときもあったのだ。
多かったのだと言うのです。
もうさまざまな
嫌がらせをされたわけであります。
さあ、そのままにも
しておけないわけですね。
当然自体は帝にもしれるわけです。
さあ帝、どうするんでしょうか。
ことにふれて、かず知らず
苦しきことのみまされば
いといとおもいわびたるを
いとどあわれとごらんじて
さまざまなそういったことにふれて
いろんなタイミングなにかにつけて
かず知らず、苦しきことのみまされば
苦しいことばかりがふえるので
いといととっても
とってもおもいわびたるを
わぶというのは
つらいという意味です。
気分が沈んでしまうことを言います。
すごく気分が落ちこんでしまう状態のことを
わぶと言いますが
このきりつぼの行為がわぶ状態になっちゃったわけですね。
つまり、非常に落ちこんでしまっていた。
そのことを
帝は、いとどあわれとごらんじて
なんともあわれなのだと
ごらんになったと言うんですね。
このあわれという言葉を
どう訳すかは、むずかしいところですね。
例えば、そのまんまとれば
かわいそうにおもってでもいいですしね。
もしかしたら、そんな
きりつぼの行為をますます
いとおしくおもってのような感じで
とらえてもいいような気はいたします。
あわれというのは、いろんなことがあります。
ネガティブなときに、オンポジティブなときにも
使われる言葉ですね。
いとどあわれとごらんになって
それでどうしたのか。
こうろうでんに、もとよりさぶらいたもう
こういのぞうしを、ほかにうずさせたまいて
うえつぼねにたまわす。
これは
こうろうでんに
こうろうでんへの移動
もとよりさぶらいたもう、こういのぞうしを
こうろうでん、こうりょうでんとも
いいますけれども、これは
みかどのいらっしゃる、みかどがすむ場所
すむ、仕事をしたり
うちあわせ、ミーティングをする場所は
ししんでんとよばれる、ちょうどだいり
きゅうちゅうのまんなかにあるところです。
そこからちょくせつつながっているところに
せいりょうでんというところがあります。
せいりょうでんが、みかどのおすまい、しんじょなわけです。
せいりょうでんのすぐとなりが
こうろうでんなんです。
せいりょうでんというのは
きよくすずしいとのと書きます。
こうろうでんは、うしろのすずしいとの
と書きます。
すぐとなりなんです。
すぐとないで、ここにいるにょうぼう
すぐとないで、ここにいるにょうぼう
おせわをするにょうぼうたちです。
みかどのふだんのおせわをするにょうぼうたちがいる
ほんとにすぐとなりのへやです。
そこにきりつぼのこういを
つれてきたというんですね。
そのこうろうでんにもとから
さぶらいたもいた
そこにいたこうい、べつのこういです。
きりつぼのこういではないほかのこういの
ぞうし、へやをほかにうつさせたまいて
ほかのへやとこうかんして
ほかのへやにうつさせて
そこにきりつぼのこういを
いどうさせたというんです。
自分のへやのすぐそばのへやに
いどうさせたわけです。
うえつぼうねにたまわすと
おわたになった。
さあ、そうなるとまわりのにょうぼうたちどうでしょうか。
そのうだみましてやらんかたなし
そのうだみといえば
ましてやほかにやるようなところがない。
まあ、ようするにもう
ましてや非常に
うだみねたみがもえあがった
ということでございますね。
それでは、ひととおりもういちど
ほんぶんをよみいたしましょう。
このここかしこのみちに
あやしきわざをひつつ
おおんおくりむかえのひとの
きぬのすそたえがたく
まさなきこともあり
またあるときには
えさらぬめどうのとをさしこめ
かなたかなたこころをあわせて
はしたなめわずらわせたもうときもおおかり
ことにふれてかず知らず
くるしきことのみまされば
いといとおもいわびたるを
いとどあわれとごらんじて
こうろうでんにもとより
さぶらいたもうこういのぞうしを
ほかにうつさせたまいて
うえつぼねにたまわす。
そのうだみましてやらんかたなし
今回も源氏物語から
起立物巻の部分から
ご紹介いたしました
出典は門川書典
Beginners Classics 日本の古典
源氏物語からお送りいたしました
今回もお聞きいただきましてありがとうございました
19:17

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