2024-06-24 41:43

#62 十八史略(鼓腹撃壌)

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帝堯のよく知られる逸話からの紹介です。「鼓腹撃壌」という四字熟語にもなっています。
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それでは、講義を始めてまいります。
今回は、十八史略からお届けいたします。
十八史略の比較的有名な場面、
鼓腹撃壌という四字熟語の語源となった部分を扱ってまいります。
ここに至るまで、この中国史の中で、いわゆる伝説上の人たち、
非常に聖人としてあがめられるような、素晴らしい政治を行ってきた人たちがいました。
それを聖君といった、聖人といったものですが、
その中の皇帝、黄色い帝、皇帝という人について読んだところでした。
次に出てきますのが、行という聖人でございます。
行の言葉は 帝行と 呼ぶことが あります。
帝行と書いて 帝行と 読むのです。
それ以降の 知性者の場合は 帝と呼ぶことが 基本です。
この伝説上というか、この聖人として非常に あがめられている 行と春に関しましては、
帝行帝春と 言ったりするようです。
今回は 帝行の行という 知性者の話です。
行の 古典の教科書にも 比較的 書きやすいものです。
もちろん 教科書などによっても ちがいますが、比較的 取り上げられやすい 場面です。
教科書の場合は 少し カットされていたり 部分的に 引用されていることの方が 多いかと 思います。
少し 長いですが この部分を ご紹介いたします。
まずは 本文を 読んでいきます。
帝行 尊し 戌生なり
あるいは 曰く 名は 邦君と 帝国の子なり
その陣 天の如く その地 神の如し
これにつけば 日の如く これを望めば 雲の如し 平陽に 都す
申し切らず 土海三島
草あり 庭に生ず 15日以前は 日に一葉を生じ
以後は 日に一葉を落とす 月照にして作れば すなわち 一葉を乾いて落ちず
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なお 明鏡と云ふ これを見てもって 巡作を知る 天下を治ること 50年
天下 治るか 治らざるか 屋長 おのれをいただくを願うか おのれをいただくを願わざるかを知らず
左右に問うも知らず 外町に問うも知らず
座矢に問うも知らず すなわち 微服して 広くにあそぶ
同様を聞く 曰く
我が城民をたつる 汝の曲にあらざるなし 知らず知らず 帝ののりに従う
老人あり ほぼ含んで腹を打ち
城を打ちて唄いて曰く 日入れて作し
日入りて行こう 胃を穿ちて飲み
他を耕して喰らう 帝の力 何ぞ我にあらんや
それでは読んでまいります 帝行 統統し 戦成なり
あるいは曰く 名は奉勲と 帝国の来なり
漢文の中でよく使われる表現ですね まず漢文の最初にそのメインで描かれる人について
どのような人なのかっていう ある程度の概要について
特にどのような生まれなのか その出生について簡単に書くんですね
この帝行の場合は 統統しの生まれである 戦成なり 戦は戦であった
あるいは曰く 名は奉勲と 奉勲と呼ばれたようである
そういう奉勲と呼ばれたことも あるということですね
帝国の来なり 帝国という帝の子供である と言うんですね
この奉勲という呼び名ですけれど これがどういうものだったのか
またその行という名前自体も どういうものだったのかというのは書説でございますね
簡単にこういうプロフィールを まず上げるんですね
その後から少し具体的な話になっていくことが 多いですね
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物語の場合だとその後に物語というか ある程度のそういったストーリーが
明確にあるようなものだと その後から具体的なお話が 始まっていくわけですね
その人 天のごとく その地 真のごとし
その人は 天のようであり その地は 真のようであった
その人というものが どういうものかというのは また難しい問題ですが
孔子の思想で有名な 儒家思想の中では 仁というものを 大事にしました
その仁でございますね
その仁は 思いやりと訳されたり 愛と訳されたり いろいろな訳され方を されますけれどもね
そういった何か温かみのある 感情とか人格のことでしょうか
それは まるで天のようであった
天を仰ぎ見るような 広々とした そのような 雰囲気だったのでしょうかね
また その地 これは 知性の地ですね その地は 真のごとし
神という字を 当てますけれども 神様の 真というのは 漢文の中で言うと
頂上現象とか 非常に不思議なこと 奇妙なことに 対して 使われます
ですから 日本の神という字と 同じ字ですが それに比べると 少し 奇妙で 不気味な感じも 含む言葉です
ここでは その地性が 非常に 優れていて 本当に 他から見たら 驚くような ものであった ということでしょうか
これにつけば 日のごとく これを望めば 雲のごとし
ここまで ごとし ごとし ごとし ごとし で つながっていますね
ごとし というのは 何々の ようである という意味です
このように 非常に 良い言語を 踏んでいます
これにつけば 日のごとく これに つけば これは 修飾の修 と書いて つけば と読ませています
この 解説では 近寄って 見てみる というふうに 解釈しています
近くで 見ると 日のごとくですから 太陽のようで ある
あたたかみが ある ということで 元に 出ますし 非常に 輝いて 見えた という 感じでも あるかも しれません
これを 望めば 望む というのは 望遠鏡の 望です
遠くから 見ると という 意味が あります
つけばと 望めばを 対比させると 考えると つけばが 近くで 見たとき 望めばが 遠くから 見たとき なのでしょう
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遠くから 見たときは どうでしょうか
雲のごとし まるで 雲のようだと 言います
これも どうでしょうか
このテキストでは 雲が 湧いている ようだと 解釈されています
もしかしたら 雲が 遠くから 雲を 眺めていると すごく 速く 動きます
ゆったりとして 雄大である と思いのほか すごく 移り変わっていく 様子をさせる という イメージ全体も 含めた 雲のような イメージだと いうことでしょうか
続きです
平陽に 都す
平陽 という 場所に 都を 置きました
坊志切らず 土海三島
これは 京を 構えた 場所 宮殿でしょうか
そういった 場所に ついての 記載だと 考えられています
坊志は 屋根の ことです
かやぶき屋根 なのでしょうか
かやぶき屋根を わかりますか
いねかの 植物を 思い浮かべると いいと 思いますが
茎が ストローのように なっています
それを 乾燥させて 屋根の 素材に したわけです
植物で 屋根を 作っている イメージでしょうか
そうすると そのままだと ぼさぼさしている わけです
伸ばしっぱなしの 髪の毛のように なっている わけです
それを ふつうだったら 切りそろえる わけです
端を 切って ととのえる わけです
ところが それを ととのえなかった と言います
しっそな 作りに していた ことの 象徴の ようです
また 土海三島が あります
土の階段が 3段階 ある という 意味です
おそらく もう少し 階段を 作って 立派な 宮殿のように するのでしょう
地上から 少し 距離を 置いたり するのでしょう
もしくは 何段階かに 分けたり するのでしょう
この 平陽の 都にある 宮殿は 階段が 3段くらいの 高さしか ありませんでした
これらが 言いたいことは 非常に しっそな 作りであった ということ でしょう
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そのような ことが まず 書かれて おります
続きです
続きは 少し 面向きが 変わります
草あり 庭に生ず
なぞの草が 庭に 生えてきた という 意味です
なぞの草は 何でしょう
このような 草でした
十五日以前は 日に一葉を 生じ 以後は 日に一葉を 落とす
これは 月日の中で 十五日以前 つまり 一日から 十五日までの 間は 日に一葉を 生じ
一日に 一枚ずつ 葉が 出てきた という 意味です
以後は 日に一葉を 落とす
それ以降 つまり 十六日から 三十日までは 毎日 一枚ずつ 葉を 落とした という 意味です
つまり 一日は 葉が 一枚 生じ
二日に もう一枚 生じ つまり 二枚に なって
三日に もう一枚 生じ 三枚に なって
そして 十五日には 十五枚に なる
それが 十六日には 一枚 落ちて 十四枚 十三枚 十二枚と 減っていって
最後に 全部 葉が 落ちる という ような 草が 生えた という 意味です
月正にして 作れば すなわち 一葉は 乾いて 落ちず
月正は 昔の 暦です
今の 暦でも 共通する ところは ありますが
一ヶ月の 中で 短い月と 長い月が あります
月正は 短い月です
この時は 二十九日しか ないのです
その時には 一枚の 葉だけが 乾いて 落ちなかった という 意味です
このようにして この不思議な 草は 一ヶ月の 移ろいを 表す 草だった わけです
名を 明鏡と 言います
これを 見てもって 順作を 知る
この草の 名前を 明鏡と 言いました
これを 見て 順作を 知ったのだ と言います
この草を 明鏡と 名付けられました
この 明鏡という 草を 見て 順作を 知ることが できた
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順作は 上順下順の 順です
作は 月の 道かけの 話の中で 満月が 丸くなっている ところです
満月が どんどん 小さくなって ほとんど 見えなく なって しまいます
この 状態を 作と 言います
順作は 月の 道かけを 基準とした 一ヶ月の 流れの ことです
つまり この 明鏡という 草によって 一ヶ月という 時の 移ろいを 知ったのだ という
この 世界の 成り立ちの 一つの 話です
この 草の 影で 一ヶ月を 手に 出ることが できた という 話が ここに 挿入されて います
それでは 後半に まいります
ここまでが 前半です
今度は 後半で ここは 一つの 話として つながります
天下を おさむること 五十年
天下を おさまるか おさまらざるか
屋長 おのれを いただくを 願うか おのれを いただくを 願わざるかを 知らず
天下を おさむること 五十年 とあります
定行は 天下を 五十年 おさめたと 言います
今の 時勢から くらべると とても 長い 感じが します
どうやら 寿命も 長かった という 考えも ございます
そのため 五十年は あっという間 なのかも しれません
定行は 天下を おさまるか おさまらざるか
天下が ちゃんと おさめられているか おさめられて いないのか
屋長を おのれを いただくを 願うか おのれを いただくを 願わざるか
屋長というのは 庶民の 人々が おのれを いただく
ですから 私 定行自身のことを ちゃんと 知性者として 評価しているのか
信頼しているのか それとも それを 信頼できない
それを 上に立つことを 望んでいないのか
ということが 分からなかった というのです
この 知性者を どうやって 決めるかというのは
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文化や 歴史や 時代や 国によって 全然 ちがいます
もちろん 民によって 選ばれることも あれば
世襲制で 選ばれることも あるでしょうし
神からの 信託を受けて 選ばれることも あるでしょうし
クーデターなどによって 異性者が 決まることも あるでしょう
ただ 定行は そこが 非常に 心配になったのでしょう
天下は ちゃんと 治っているのかな
そして みんな 自分のことを
信頼しているのかな 評価しているのかな ということが 分からなかったと 言うのです
例えば 日本では 選挙で 国民の 信を問うことを 言います。
いろいろな 評価の 方法が ございます。
定行は どのような 方法を 取りましたか
まずは このような 方法を 取ります。
左右に問うも 知らず 外町に問うも 知らず 座矢に問うも 知らず
どうしたの でしょうか
まず 身近な人たちに 聞いてみたと 言います。
それは そうですよね
左右に問うも 知らず
左右は 左と 右と 書いて 左右です。
左右に 尋ねても 分からなかった ということです。
左右は 異性者の 左と 右にいる ような 存在です。
つまり そっきんの ことです。
そっきんに 尋ねたけれども 分からない ということに なりました。
外町に問うも 知らず
外町は 外に 朝と 書きます。
内町と 外町が あります。
内町は 内側に 朝と 書きます。
内町は 定業などの 異性者が 質問を 行う ところや 普段の 居室が ある 部分です。
外町は それに 比べると 外側の 応接室や 異性者が 外に 面倒しを 行う 場所です。
内町のことを 場所的には 指します。
内町は 定業の 内側の 姿勢を 行っている ところです。
外町は もう少し 外側の エリアです。
外側で 働く 役人たちです。
自分の すぐそばの 側近ではなく 直接 定業と 関わる ようではない 人たちに 尋ねてみた ところです。
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それでも 分からなかったです。
そして 罪也に とるも知らずです。
罪也とは のにあり と書いて 罪也です。
罪也は さらに 外に 広がって 民間レベルの ことです。
罪也は 宮廷の 外に 出ていきました。
しかし 罪也は 庶民よりは 宮廷の 外に すぐある ような 人でした。
直接 何か 交易を している 人や 商人や 取引を している 人などの 人たちの 意見を 聞いてみました。
しかし それでも 分からなかったです。
これは どのような 聞き方を したので しょうか。
おそらく 定業自身が そこに 自ら 押しかけて いった ということでは ありません。
もしかしたら その 回答する 人たちを 呼び寄せたのかも しれません。
もしかしたら 人づてに 話を 聞いた だけかも しれません。
そのあたりは よく 分からないですが それでは 分からなかったです。
そこで 定業は どうしたの でしょうか。
定業は こんなことを するのです。
美服して 広くに 遊ぶ。
美というのは 顕微鏡の 美です。
そして 服装の 服です。
つまり 軽い 服装の イメージです。
これは 定業の 普段の オフィシャルな 服装では ありません。
庶民が 着ている 軽い 服装を して 広くという 街に 遊ぶ。
漢字の 意味は 現代の プレイの 意味の 遊ぶです。
遊ぶと 似ています。
英語の プレイと 似ているのは プレイとは いろいろな 意味が あります。
例えば 演奏を する時は プレイと 言います。
運動や スポーツを する時も プレイと 言います。
いろいろな 意味が あります。
遊ぶという 言葉も もちろん 幼い子どもが 遊んでいる 意味で 取れなくもない 場合も あります。
漢文の中で よく 使われるのは エリアを めぐる 旅して 回る うろつく という 意味で 使われます。
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広くに 遊ぶとは 広くを 少し うろうろ してみた ということです。
つまり 定行は 庶民のふりをして 町に 繰り出してみた と言います。
日本では 暴れん坊将軍や 東山の金さんなど 比較的 えらい人たちが 庶民の 暮らしを はかるため
もしくは 自分自身の 暇を 紛らわせる とか 指摘好奇心 だとか そういうことも あってなのか
庶民のふりをして 町に出る というものが モチーフとして 使われます。
そういう モチーフが 実は 定行にも あるのです。
暴れん坊将軍や 東山の金さんは 現代においては 知らない方も 増えてきたかも しれません。
少し 簡単に しょうかいします。
暴れん坊将軍は 将軍と あるとおり 徳川家の 将軍が 身分を かくして 庶民に まぎれて 解決を していきます。
大事なのを 一つ 忘れました。
水戸公も そうです。
東山の金さんは 武行が 直接 庶民に 触れることは 基本的に ないのです。
しかし 金さんという 愛称の 庶民として 外に出て 暮らします。
その中で 見聞きしたことを 参考に おさばきを するような 話です。
水戸公もは 水戸の公文様です。
公文様が 身分を かくして 旅を するわけです。
旅を する中で さまざまな 人たちに 出くわして 身分を かくしながら 解決を はかります。
最終的には 権威を 自分の 正体を 明かして いけなくちゃくに するような 話です。
いずれにも 共通しているのは 庶民には まず 接さないような 方が 身分を 明かさずに 庶民のふりをして さまざまな 庶民の声を 聞いて その事件を 解決します。
庶民は 悪い者たちの 悪だくみを 阻止します。
庶民は 悪事と 民事を 重ねています。
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庶民は 民間の 親子関係の トラブルや 恋人同士の トラブルなどを 重ねています。
庶民は 両方を 解決して しまうような モチーフが あります。
このような モチーフが 定行の 話に あります。
十八略の中に もうすでに そのような ものが あります。
では どうだったの でしょうか。
この 場面ですが 動揺を 聞きます。
動揺は 章歌動揺のような 歌の種類で 現代の 日本でも 使われます。
ここでの 動揺は バラベが 歌った 民謡のような ものです。
言葉遊び 遊び言葉のような ものかも しれません。
子どもたちや 大人が 歌っているものが 子どもにも 伝わることが あります。
そのような 自然発声的に 歌が 広がることが よくあります。
例えば 今のように テレビや インターネットや ラジオなどが ありません。
人から人に 情報が 渡り歩く時に 歌は 非常に 効果的だったと 思います。
単に 言葉で このようなことが ありました というよりも このようなことが あったことを 歌にすると 伝わりやすいです。
結果的に 少し リフォルマされたり 極端になったり するのですが ただ 面白くなったり 批判めいたことも あったりします。
そのようにして 歌で いろいろなものが 流れていくことは よくありました。
その中の いくつかが 中国や 日本でも 民謡として 残っていったり します。
ここでは 子どもが そのようなものを 歌っていたようです。
どのような 歌だったの でしょうか。
我が 城民を 立つる 汝の 曲に あらざるなし。
我々 城民は 庶民のことです。
庶民を 立てているのは 汝の曲で ないものは ありません。
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おかげで あなたの曲によって すべては 成り立っているのです。
曲は 極端の曲 北極の曲です。
北極や 極端という 意味の曲だと 両側や 橋という 感じが します。
一方で 極地や 最高の 極地に 至ると 言ったり します。
基本的に 曲は 一番上や 高い方に 持っていくのです。
悪いことよりは いいことに 行くのです。
ここでも 良い方の 橋の イメージです。
あなたの 最高の 素晴らしい あり方によって われわれは 生活できているのです。
ありがとう ございます。
知らず知らず 手への 乗りに 従おう。
知らず知らずのうちに 手への 乗りというのは 規則です。
あなた様の 法則や 決まりや 規則に 従っています。
あなた様の おかげで このようにして 生活が うまく いっています というような 定行を 称えるような 歌でした。
これだけ 聞くと まずは 子どもまで歌う ような 歌を 歌うくらいに 非常に 良い 政治を 行っていると 受け止められる わけです。
もう一つ あります。
今度は 子どもでは ないです。
今度は 老人です。
老人あり 穂をふくんで 腹を打ち 錠を打ちて 歌いて 曰く。
今度は 老人がいて 穂をふくんで 腹を打ちと あります。
穂を ふくんで 食べ物を 食べて もぐもぐ しながら ということです。
もぐもぐ しながら 腹を打ち 腹音を たたきながら ということです。
お腹を たたきながら 酔っぱらっているのかも しれません。
陽気な 感じなのかも しれません。
くつろいだ 様子が 伺えます。
ふざけている ようにも 受け止められます。
錠を 打ちて とります。
錠は 土錠の錠 つまり 地面のことです。
地面を 打って 歌って 言うには と言います。
地面を たたきながら 歌っている と言います。
打ち手は もしかしたら 足踏みを しているのかも しれません。
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足で リズムを とっているのかも しれません。
もしかしたら 地べたに すばりこんで 地面を 手で たたいているのかも しれません。
ただ 腹を打ち というのも あります。
お腹を 打つのは たぶん 手でしょう。
地面を 打ちているのは 足かも しれません。
ここは 分かりません。
いずれにせよ 陽気な 様子で 歌って このように 言いました。
歌っている わけです。どのような 歌詞で 歌っていた でしょうか。
日 入れて 咲くし 日 入りて 行こう
胃を うがちて 飲み たを たがやして 喰らう
手の力 何ぞ われに あらんや
日 入れて 咲くし これは 太陽が 出ては 農作をして 日 入りて 行こう
太陽が 落ちたら ゆっくり 休む
これは 昔の人の 生活としては 当たり前だった ものです。
現代の 電気のような 照明器具のような ものは あまり ありません。
特に 農耕を すると 言った時に 太陽が 出たら 外で 農作をして 太陽が 入って 日が 沈んだら ゆっくり 休む という ような 生活です。
日常の ことです。
胃を うがちて 飲み たを たがやして 喰らう
胃を うがつは ほる ということです。
胃を うがつで 胃というのは 井戸の 意です。
井戸を ほって その水を 飲んで たを たがやして 喰らう。
田んぼや 畑を たがやして それで 食べていくと 言います。
水や いろいろな 農作物を 飲んだり 食べたり しています。
ここまでが 日常です。
働いて 休んで 飲みくいをして という 日常に 関しては 帝の 力は 何ぞ われに あらん でしょうか。
これは どういうこと でしょうか。
帝行の 力は どこが 私に かかわっている だろうか。
つまり 帝行の 力は 関係ないと 言います。
われわれが のんびりしている時に 帝行の 力は 関係ないと 言います。
全然 無関係で われわれは 生活を していると 歌って 言います。
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これを どのように 評価する でしょうか。
帝行は 関係ないと 言っても いいです。
これは 評価しない ということです。
われわれには 関係ない という 取り方が まず 出てきます。
子どもが 歌っていた 内容は 褒めていた。
老人が 歌っていた 内容は 関係ないと 言っていた という 評価です。
このような 取り方が まず 素直な 取り方です。
しかし どのようなことを 言いたかったの でしょうか。
少し ふに落ちない 感じが あります。
現代では どちらかというと 最後の 老人の歌は 少し 逆説的に 取ります。
つまり 老人が そのように 思うくらいに うまく 生きていると 言います。
われわれの 暮らしも そうですよね。
日常に 不満が あったりすると うまく 生きていないと 言います。
何だ この 異性者は ということに なります。
毎日 のんびりしているし 幸せだし 何にも 苦しいことがない という 様子だったら 特に 異性者の おかげだとも 思わない 可能性は あります。
自分たちが ちゃんとしているから うまく 生きていると 思うかも しれません。
現代では そのような 取り方を することが 多いかと 思います。
もともとの 文章からすれば どちらでも 取れます。
この 最後の部分を 取って 言われるのが 幸福劇場 という 言葉です。
この 幸福劇場は そのまま 取ると 腹づつみと 大地を打つ という 言葉を 合わせて 幸福劇場 と言います。
幸福劇場は 平和な 世の中で ゆったりと 過ごしている 様子です。
これを 幸福劇場 と言うように なりました。
幸福劇場な 生活は 認識しにくい 世の中では あるかも しれません。
それは 社会や 時代によっても 変わってくる 言葉では あるかと 思います。
今回は 18略の中から 定行の 幸福劇場の お話から ご紹介しました。
では 最後に もう一度 通して ご紹介します。
39:00
定行 等々し 意気勢なり
あるいは 曰く 名は 方君と
帝国の子なり
その人 天の如く
その地 神の如し
これにつけば 火の如く
これを 望めば 雲の如し
平陽に 見やこす
坊し 切らず
土海 散と
草あり 庭に生ず
十五日 以前は 日に一曜を生じ
以後は 日に一曜を落とす
月 正にして 作れば
すなわち 一曜 乾いて 落ちず
なお 明鏡 と言う
これを 見て 持って 巡作を知る
天下を 治ること 五十年
天下 治るか 治らざるか
屋長 おのれを いただこう 願うか
おのれを いただこう 願わざるかを 知らず
左右を 左右に問うも 知らず
外長に問うも 知らず
座矢に問うも 知らず
すなわち 離服して 後句に 遊ぶ
同様を聞く 曰く
我が 城民を 立つる
汝の 曲に あらざるなし
知らず 知らず
帝の 法に 従う
老人あり
穂を 含んで 腹を 打ち
錠を 打ちて 唄いて 曰く
碑 入れて 作し
碑 入りて 行う
胃を 穿ちて 飲み
他を 耕して 喰らう
帝の 力 何ぞ 我に あらんや
今回も出典は
門川 ソフィア文庫 ビギナーズ クラシックス 中国の古典から
十八詩略から
お届けいたしました
お聴きいただいて ありがとうございました
41:43

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