2024-01-03 15:46

#57 枕草子(高欄のもとに)

今回は、枕草子第20段をご紹介します。清涼殿の穏やかな春の日が描かれています。


【原文の引用・参考文献】

角川書店(編)『ビギナーズ・クラシックス日本の古典 枕草子』(2001)角川ソフィア文庫

サマリー

「枕草子第20弾では、高欄に亀を置いて、桜の枝を糸で飾り、さくらの花が甲乱の外まで咲きこぼれる様子が描かれています。また、大名言殿が桜色の重ねを着て中宮帝司を訪れる様子も描かれています。後半では女房たちがくつろいでいる様子が描かれ、和やかな日常の光景が広がっています。」

甲乱から桜色の重ね
それでは、始めて参ります。
今回は、枕草子から、ご紹介しましょう。
枕草子第20弾からです。
では、まずは本文を、お読みいたしましょう。
高欄のもとに、青き亀の大きなるを据えて、
桜の忌みじゅう面白き枝の五尺ばかりなるを、
糸多くさしたれば、
高欄の戸まで咲きこぼれたる比率方、
大名言どの桜の濃紫の少しなよらかなるに、
黄き紫の片紋の差し抜き、
しどき音ぞども、
上には黄き綾の糸鮮やかなるを、
いだして参り給えるに、
上の小形におわしませば、
戸口の前なる細き板敷にいたまいて、
物などもしたも、
蜜のうちに、
女房、桜のからぎぬども、
くつろかにぬぎたれて、
藤、山吹など、
いろいろ好ましゅって、
あまた、小端とみの、
蜜よりも押し入れたるほど、
日のおましの方には、
おもの参る足音たかし、
けいひちなど、
押しという声きこゆるも、
うらうらとのどかなる日の景色など、
意味じゅうおかしきに、
はての五番鳥たる黒うど参りて、
おものそうすれば、
なかの戸よりわたらせたも、
おんともに、
ひさしより、
だいなごんどのおんおくりに参りたまいて、
ありつる花のもとにかえりいたまえり。
まず、甲乱のもとにから始まります。
甲乱というのは、
清涼殿。
清涼殿というのは、
宮中の建物の名前ですね。
宮中というのは、
小さな建物が、
わたり廊下でつながっているような構造になっています。
その一つの建物を、
清涼殿と言います。
こちらに、
みかどがふだんいらっしゃいます。
清涼殿のところに、
青い亀の大きいのをそこにおいて、
さくらの意味じゅうおもしろき枝の、
5尺ばかりなるお糸をおくさしたれば、
さくらの花の枝、
5尺ばかりですから、
1.5メートルくらいでしょうかね。
くらいのものを、
とてもおおくそこにいけてあったと。
なので、
さくらの花が、
甲乱のとまでさきこぼれたるひるつかた、
その甲乱、
えんがわですね。
えんがわのそとまでひろがって、
さきこぼれていた、あるひのひるのことでした。
大名言殿。
大名言殿というのが 出ています。
大名言殿は、
中宮廷子のお兄さま、
藤原の小列家という人物です。
中宮廷子のお兄さま、
藤原の小列家、
大名言殿が、
やってきました。
その大名言殿は、どんな服装をしているのか。
桜の濃紫の少しなよらかなるに。
桜の濃紫。
濃紫は、
ふだんの貴族の服装です。
ふだんの服装である濃紫。
それを桜のと言います。
桜色です。
大名言殿の訪問
正確には桜の重ねです。
重ねは、
当時の貴族の方が、
自分の服装について、
二色を重ね着して、
レイヤーを作って、
そのレイヤーで、
季節を表したりしました。
そのレイヤーには 名前がついていました。
今回の場合は、桜という色の取り合わせでした。
桜という色の取り合わせで、
レイヤーの濃紫を、
少しなよらかなるので、
少ししなやかな、
着こなしている ということです。
当時は、なよらかにするために、
服をたたいて、
わざと柔らかくしました。
今では、柔軟剤を使います。
そのような なよらかなものに、
濃紫のかたもんの さしぬきをします。
さしぬきは、はかまです。
つぼんです。
濃い紫色の かたもんですから、
模様のある さしぬきを、
白きおんぞとも、
衣のことを おんぞと 言います。
その下に 白い着物を着て、
上には、小きあやの糸、
あざやかなるを 出して、
あやは 赤のことです。
紅です。
紅のあや織りをしたものの、
あざやかな色のものを 出して、
舞い玉のような 服装で、
中宮帝司のもとを 訪れました。
当時の人にとって、
服装を1つとっても 非常に大事です。
服装で 季節感や、
品位や センスが 分かりました。
今回の場合は、
衣装は、
女房たちの日常
衣装は、
衣装は、
衣装は、
今回の場合は、
藤原の小嶽地下 帝司のお兄様 ダイナゴン殿が、
帝司のもとを 訪れました。
上の上というのは、
上様のことです。
上様は 帝のことです。
帝が 来たのは、
こちら側に いらっしゃいました。
おそらく 帝司のところに 帝が 訪れていたのか、
もしくは その近くに いらっしゃったのかです。
帝司は 戸口の前など 細き板敷きに いたまいて、
清涼殿の 端の方に、
戸口の前の 玄関のところに いらっしゃいました。
帝司は 物などを 申しました。
帝司は あれこれと 話を していました。
今のは 藤原の小嶽地下の 様子です。
外から 来た小嶽地下は このような 感じでした。
このエピソードから すぐに 春の話だと 伺えます。
桜の重ねを 着ています。
後半は 女房たちの 様子です。
みすのうちに 女房さくらの からぎぬども くつろかに ぬぎたれて、
ふじやまぶきなど いろいろ このましゅうて、
あまた 小はじとみの みすよりも おしひでたる。
みすのうちが 女性たちがいる エリアです。
そちらの方に 行きます。
そちらの 女房たちが さくらの からぎぬです。
からぎぬは また ふだんぎです。
からぎぬは 清掃時の 浮気です。
式典用の 服です。
これも シュエーションに よっても ちがいます。
ふだんぎは 男性が 着ることは あるかと 思います。
ここでは からぎぬは 女性の 清掃時の 浮気のことを 指します。
からぎぬども くつろかに ぬぎたれて、ゆったりと くつろいで 着ています。
また かさねです。
色の バリエーションが ふじややまぶきです。
これは かさねの 名前です。
レイヤーの 名前です。
この衆は さまざまな 女房たちが 一人一人 ちがった 服装を 着ている ということです。
あまた そういったものが たくさん あります。
こはじとみです。
こはじとみは 水の 下のあたりの ところから 見えます。
水よりも 押し入れたら ほど 見えます。
女房たち 一人一人が おそらく 水の中に います。
直接は そとから 見えないように なっています。
しかし そとから 見ると 服の 端っこだけが 見えます。
服の端っこだと ちょうど かさね着を しているので 身色が 見えます。
その かさねが よく 見えます。
ひの おましの方には おものまいる 足音たかした。
ひるの おましは 昼の 昼食のことです。
昼食の おましの方は 昼食を 運ぶ人の ところには おものまいる 足音が すると 言います。
足音が 大きく 聞こえます。
けいひちなど おしという 声を 聞くよりも けいひちと 言います。
けいひちは おましです。
昼食を 運ぶ時に 今から 運びます。
けいひちは おおし おおしと 言いながら 昼食を 運びます。
けいひちの 声が 聞こえてくるのも うだうだと のどかなる日の 景色など 意味上 かしきです。
非常に のどかな 昼の 様子です。
それが 非常に すてきです。
日常の中で 色とりどりの 服装を 身につけた 貴族たち そして そのに つかえる 娘たちが います。
日常を 感じさせる 毎日の お昼の 何気ない 日常の 声です。
特別な 声ではなく 毎日 日常的に 聞こえてくる 音や 声などが すてきです。
はてのごばんとりたる くろうどまいりて おもの そうすれば と言います。
はてのごばんとりたるくろうどまいりました。
食事が 出来ましたと 言うことを 知らせる くろうどです。
くろうどは いろいろな 場合が あります。
ここでは おぜんがかり 連絡がかりの 人が います。
食事を 用意できたので 中の都より わたらせた ものです。
中の都は 帝が 奥の方に いたのでしょう。
そこから わたる と言います。
わたるとは 帝が 女性のもとを 訪れることを わたる と言います。
帝が 建物か 建物を 移動したり 部屋から 部屋を 移動することを わたる と言います。
帝が 来たと 言います。
おんともに ひさしより ダイナゴンドの おんおくりに 参りたまいて。
そこに ダイナゴンドが 出てきました。
藤原の 弟子の お兄さんが やってきて 帝は そこで おおくりに なりました。
ありつる花のもとに 帰りたまえ。
さくらの ところに もどって 行きました。
大きな 亀に 入れた さくらの えだに もどって 来ました。
帝の動きが 少し 分かりにくい ところです。
少し さらかではない ところです。
ここは 全体的な 雰囲気です。
とにかく 春の のどやかな 様子です。
貴族たちの 華やかな 様子と 何気ない 日常の 穏やかな 日々が ここです。
穏やかな 日々が あります。
しかし 現実には それとは 対照的です。
これ地下には この後 悲劇的な 結末が 待っています。
それと 共に 中宮帝氏にも 悲劇が 訪れます。
そのような 伏線に なります。
しかし 幕段草子は 随筆なので 物語では ありません。
時系列的に 何かがあって こんなことが 起きて というわけでは ありません。
幕段草子は あくまで ある日の 一場面を 切り取って います。
歴史を 知っている われわれからすると このような 穏やかな 日々も ありました。
この後に あんな 悲劇的なことに なったのかを 思わせる エピソードとしても 読めます。
それでは 最後に 本文を 読みます。
だいなごんどの さくらののうしの 少しなよらかなるに、
こきむらさきの かたもんのさしぬき ひどきよんぞども、
うえには こきあやの いとあざやかなるを いだして まえりたまえるに、
うえの こなたに おわしませば、
とぐちのまえなる ほそきいたじきに いたまいて、ものなど 申したも。
みすのうちに にょうぼう さくらのからぎぬども くつろかに ぬぎたれて、
ふじ、やまぶきなど いろいろ このましゅうて あまた、
こはじとみの みすよりも おしいれたるほど、
ひの おましのかたには おものまえる あしおとたかし、
けいひちなど おしというこえ きこゆるも、
うらうだと のどかなる ひのけしきなど いみじを かしきに、
はての ごばんとりたる くろうど まえりて、
おものそうすれば、なかの とより わたらせたも。
おんともに ひさしより だいなごんども おんおくりに まえりたまいて、
ありつる はなのもとに かえりいたまえり。
おききいただきまして ありがとうございました。
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