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それでは始めて参ります。 今回は源氏物語でございます。
冒頭の起立語の途中から扱って参ります。 まず本文をお読みいたしましょう。
父の死と母の苦悩
父の大納言は亡くなりて、母、北の方なん、いにしえの人のよしあるにて、親討ぐし、さしあたりて世の覚え華やかなる御恩方々にも意図をとらず、何事の儀式をももてなしたまいけれど、
取り立てて墓場かしき後ろ見しなければ、事ある時は、なおよりどころなく心細げなり、先の世にも御恩千切りや不かかりけん、世になく清らなる多摩の御子御子さえ生れたまいぬ。
いつしかと心もと流らせ給いて、急ぎ参らせて御覧ずるに、めずらかなる知子の御恩形なり、一の御子は、有大人の女子の御恩原にて、寄せ重く、疑いなき儲けの君と世にもて貸しづききこゆれど、
この御恩匂いには並び給うべくもあらざりければ、大方のやん事なき御恩思いにて、この君をば、わたくしものに御申し貸しづき給うこと限りなし。
この御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御
あの、いきかの忘れしあます。
お父さんのお父さんの大な宮という地位があったのですが、
そのお父さんは亡くなってしまっていて、
母、北の方なん。
北の方というのはこれは妻、正式な奥さんのことを表しますね。
これはここでは、その、女性の、お母さんのことです。
親の人のよしというのは、古風な、非常に昔からの伝統を重んじるというか、そういう名家に生まれた方であって
親討ぐし、さしあたりて世の覚え華やかなる御御方々にも意図を劣らす。何事の儀式をももてなしたまいけれどとあります。
これは、親討ぐしというのは、親がぐす、ぐすというのは備えるという意味ですから、親が両親ともそろっていて、世の覚え華やかなる御御方々。
世の覚え華やかなるということは、非常に後立にも恵まれて、非常に名声を持っているような方々にも全く劣ることなく、何事の儀式をももてなしたまいけれど。
さまざまな儀式、例えば成人しますとか、育っていくうちにいろんな儀式があるわけですね。
そういう儀式をも非常に丁重に扱ったんだけれども、取り立ててはかばかしき後ろ見しなければ。
ただそこで明確な後ろ見がいないというんですね。後ろ見、これは後ろを見ると書きますが、後見人のことです。
当時この女性の後ろ立てとなる、ここで大体はお父様だったりするんですが、そういう権力者、地位を持った方がいらっしゃるといいんですが、そういう方がいらっしゃらなかったので、儀式なんかは非常にしっかり行っていたんですが、
ことある時はなお寄りどころなく心細げなりと。
なんだけれども、なかなかそういう場面では、そういう儀式があったりとか、
そうですね、何か宮中の行事なんかそういったことも含めてでしょうか、そういうところではどうしても心細げなりと、今一つはかばかしい影響力はない。
つまりこの女性は非常にもともとは恵まれた、ある程度は恵まれていたところの女性だったんでしょうけれども、お父様が亡くなってしまったということがあって、非常にこのお母様は頑張るんだけれども、結果的にあまり
いい、地位にはいないというか、はかばかしい成果をあげられていないという女性だということなんですね。
ところが、そんな女性を御門は愛するようになり、夢中になってしまうんですね。
さて続きの場面です。
前世の縁と光源氏の誕生
先の世にも御恩千切りや不可借り献。
先の世というのは、これ前世のことです。先世にも御恩千切り、千切りというのは約束のことなんですが、ここでは前世の縁ですね。
何かこの前世の御縁が深かったのだろうか。
これはその御門とこの女性との間の縁というのが深かったのでしょう。
世になく清らなる玉のおのこみ子さえ生まれたまいな。
世になく清らなる玉のおのこみ子。
非常に美しい玉のような玉、宝石ですね。
そういうキラキラ輝くような美しいおのこみ子ですから、その御子が生まれたって言うんですね。
いつしかと心もとながらせたまいて。
いつしかっていうのは、これ早く何々したいということですね。
もう早くここでは父親である御門が、この王子に会いたいと思いなって、急ぎ参らせて御覧すると。
急ぎそこに参上して、その王子を御覧になったところ、
めずらかなる知語の御恩形なり、非常に珍しい知語の見た目であった。
形というのはこれは見た目のことです。
珍しいというよりは、それだけ驚くほどかわいらしい王子であったと言うんですね。
そういうふうにして生まれました男の子。この子が後の光源寺と呼ばれることになってまいります。
それに対して、もともとこの御門には他にも子供がおりました。
次の場面では、そのもともといた子供について書かれております。
光源氏と兄の関係
光源寺の兄の須作邸についてのお話です。
一の御子は、有大人の女子の御恩肌にて。
一の御子は、長男ということです。御子というのは皇太子のことです。
党羽とも申します。一の御子は、後の須作邸です。
光源寺の肌違いの兄ということになります。
一の御子は、有大人の女子の御恩肌です。
御恩肌というのは その女性から生まれた子供だ ということです。
有大人の女子というのが 一の御子のお母さんです。
このお母さんは 光源寺のお母さんとは ちがうお母さんです。
こちらの有大人の女子という方が 妻子になります。
つまり 御門の正式な奥さんだ ということです。
正式な奥さんの子供としての 一の御子がいた ということです。
御子とある通り 後の御門になることは 決まったような存在です。
よせ重く 疑いなき儲けの君と 世にもて貸しづき聞こゆれど。
これは よせ重く 皆さんの期待 皆さんの思いは 非常に重たくて。
疑いなき儲けの君 間違いなくこの子が 将来の御門になるであろうと。
そういう存在であった。
世にもて貸しづき聞こゆれど。
世でもてはやされていたけれども。
この御恩臭いには 並び賜うべくもあらざるければ。
御恩臭いは 見た目の表現に なります。
この御恩臭いは 雰囲気と 言います。
ここでは 今生まれたばかりの 赤子の 光源氏の 雰囲気には とても 並ぶことも できないと 言います。
一の御子は 非常に 勇者正しい 間違いなく 御門の 後継ぎになると 考えられます。
それにも 上回って 生まれたばかりの 男の子の 雰囲気には 魅力があったと 言います。
大方のやんごとなき 御恩思いにで とあります。
大方の やんごとなき 御恩思いは あったと 言います。
やんごとなきは 後継ぎだと 考えられます。
ここでは 御門による 長相のこと でしょう。
御門は 一の御子を 大事にしたと 言います。
しかし 大方は 普通だと 言います。
大方は 一の御子にも 長相を 愛したのですが この 君を 私ものに 思うし かしずき 保うことは 限りなし。
この 君が 光源氏です。
一の御子は かわいいのですが 生まれたばかりの 赤子の方が 私ものです。
この 赤子は 自分の 私のものです。
この 赤子は 私のものと 思って かわいがったと 言います。
この場面では 光源氏の 誕生を 表しています。
ところが 光源氏には 彼の お兄さんが いて そちらの お兄さんが 気高に 権力を 握っていくはずです。
しかし 御門は 光源氏を 長愛して 生まれたばかりの 赤子を 非常に 大事にして いきます。
そうなってくると これは 争いの たねに なります。
ここからは 光源氏を とりまく 周囲が さまざまな 困難に 満ちていく 様子が 描かれていきます。
では 最後に もう一度 本文を 読み出します。
父の大名言は なくなりて 母 北の方なん 古の人の よしあるにて 親うちぐし
さしあたりて 世の覚え華やかなる 御恩方々にも 意図をとらず 何事の儀式をも もてなしたまいけれど 取りたてて 墓ばかしき 後しどみしなければ 事ある時は なお 寄りどころなく 心細げなり
さきの世にも 御恩千切りや 不かかりけん 世にいなく 清らなる 多摩の御子御子さえ 生れたまいな。
いつしかと 心もと 流らせたまいて 急ぎ参らせて ごらんずるに めずらかなる 千語の御恩形なり 一の御子は 右大人の 女子の御恩を 腹にて 寄せを向く
疑いなき儲けの君と 世にもて貸しづき聞こゆれど この御恩においには 並び給うべくも あらざりければ 大方のやんごとなき 御恩思いにて この君をば 私ものに思うし 貸しづき給うと 限りなし。
ということで今回は 源氏物語です。出展は 門川 ソフィア文庫 ベキナーズクラシックス 日本の古典 源氏物語からお送りいたしました。
お聞きいただき ありがとうございました。