古事記序文
吉村ジョナサンの高校古典講義、はじめて参ります。
今回は、古事記の序文から紹介して参ります。
一番最初の、さまざまな神々について紹介している、いろいろなエピソードについて簡潔に紹介しているところの
真ん中あたりなんですけれども、そちらから紹介して参ります。
まずは、本文をご紹介いたします。
文字を選みて、唐津飛鳥に記したまいき。
穂と衆と、斧も斧も事に、文と質と同じからずといえども、
いにしを考えて、風遊をすでにすたれたるにただしたまい。
いまをてらして、天狂をたえなんとするに、おぎないたまわず、ということなかりき。
さあ、この場面というのは、その前の場面というのは、比較的神話的なお話でしたけれども、
もう少し唐津というか、実際にこの政治を行っているそのあたりの場面に近い話になってまいります。
訳しながら見ていきましょう。
すなわち、夢に悟りて仁義をいやまいたまいき。
これは、さて、夢に悟って、夢の中で悟って、仁義を、仁義、神々をいやまいたまいき。
うやまいました、ということです。
このゆえに健康と申す。これが理由で、健康。健康というのは、賢い。
貴先と書いて健康と言いますね。
こういった、この夢の中で神々をうやまう、夢の中のお次によって、
その札買ったものによって神々をうやまうようになりましたよ、というエピソードがあります、という話です。
これ実際には、この古事記の中では、スジン天皇のエピソードだとされています。
ただ、この条文のところでは、スジン天皇が、ということは書かれていません。
なので、こんなエピソードがありましたよ、という紹介の場面なんですね。
あとから読んでいくと、これはスジン天皇の話だったのか、ということがわかるわけです。
続きです。
煙をのぞみて霊言をなでたまいき。今に聖帝へとつたう。
今度は煙を遠くから眺めて霊言をなでたまいき。
これは要するに煙を見て、煙というのはこれは、
民が生活している時に出る煙、それが少ないのを見て、
民が貧困にあへいでいることを知って、民の負担を減らした、というエピソードなんですね。
それが理由で、聖帝、日尻の帝と書いて、聖帝と伝えられております。
これは忍徳天皇のエピソードとして知られる内容です。
なので、そのエピソードが紹介されているわけですね。
続きです。
神々のエピソードと実際の政治
近つ大海にせいしたまい。
かばねをただし、宇地を選みて、
とおつあすかにしるしたまいき。
今度はこれは2人の人のことについて書いてありますが、
まず最初が近つ大海にせいしたまい。
これはその大海という場所、今の滋賀県ですね。
ここでは、かばねをただし宇地を選みてとあります。
宇地、かばねを整えた、という人ですね。
これは少し混ざっておりますね。すみません。
境を定め、国を開きて、近つ大海にせいしたまい。
この部分で、境というのは国の境。
国というのはその国ですね。
国という言葉自体にも境という意味が、境名という意味があったようですね。
土地というものを定めた人、その方が大海にいました。
この方が清武天皇だとされています。
その次があすかというところにかまいました。
宇地、かばねをただした方が陰陽天皇だとされています。
つまりここまでが、すじん天皇、にんとく天皇、清武天皇、陰陽天皇のエピソードから
抜粋してきた部分を紹介している部分だということでございます。
ではここまでをもう一度、お読みいたしましょう。
すなわち、いめにさとりて、じんぎをいやまいたまいき、
このゆえにけんこうとまおす。
けぶりをのぞみて、れいげんをなでたまいき、いまにせいていとつたう。
さかいをさだめ、くにをひらきて、ちかつ大海にせいしたまいき。
かばねをただし、宇地をえらみて、とうつあすかにしるしたまいき。
さてここからはこれらをふまえて、少しまとめに入る場面でございます。
ほとしゅうと、おのもおのもことに、ぶんとしつと、おなじからずといえども。
直訳いたしますと、ほとしゅうとというのは、ほというのがゆっくりとここでは解釈するとよいと思います。
しゅうとというのは、これは何か急いでいる様子。ゆっくりしたり、急いだりということですね。
あるときはゆっくり、あるときは急ぎ。おのもおのもことに、それぞれがことなっていながら、
ぶんとしつとおなじからずといえども。ぶんというのはここでは花々しい様子、きらびやかな様子。
しつというのはしっそな様子、シンプルな様子ですね。
それをおなじからずといえども、それぞれちがうけれどもということです。
つまりここまでで、それぞれの政治のやり方というのが、ときにゆったりとしたものであったり、
急いでやるようなものであったり、また花々しいものであったり、しっそなものであったり、
それぞれちがったものなんだけれどもということですね。
続きです。
いにしえをかんがえて、ふうゆうをすでにすたれたうにただしたまい。
いにしえをかんがえて、つまりいにしえをふりかえり、そのいにしえのさまざまな政治というものに学びながら、
ふうゆうをすでにすたれたうに、もう風俗、政治の仕方といったものがすたれたというものをただしたまい。ただして。
つまりいにしえに学んで、いまのさまざまなすたれてしまっている状態をただして。
いまをてらしててんきょうをたえなんとするに、おぎないたまわずということなかりき。
いまのじょうせいというものをてらしあわせて、てんきょうをたえなんとするに、
てんきょう、古くおしえ、これこそあるべきだというおしえがたえようとすることをおぎないなさらないということがなかったのだと。
むかしのことがならんで、いまのじょうせいをてらしあわせて、
ちゃんとただしいみちというものがたえようとすることをおぎなおうとすることがなかった、
おぎなわないということがなかったと言うんですね。
そういったしせいが、れきだいのてんのうにはあったということをいっているばめんでございます。
ではというようなばめん、もういちどさいしょからさいごまで見てまいりましょう。
すなわちいめにさとりてじんぎをやまいたまいき。
このゆえにけんこうとまおす。
けぶりをのぞみてれいげんをなでたまいき。
いまにせいてへとつたう。
さかいをさだめくにをひらきて、ちかつおおみにせいしたまい。
かばねをただしうじをえらみて、とおつあすかにしるしたまいき。
ほとしうとおのもおのもことに、ぶんとしつとおなじからずといえども、
いにしをかんがえて、ふうゆうをすでにすたれたうにただしたまい。
いまをてらしててんきょうをたえなんとするにおぎないたまわずということなかりき。
ということで、今回も古事記の著文からご紹介いたしました。
今回の出典も門川書典のビギナーズクラシック日本の古典古事記からご紹介いたしました。
お聞きいただいてありがとうございました。