正月十五日の風習
それでは、お話を始めていきたいと思います。
今回は、清少納言の枕草子からでございます。
清少納言の枕草子の第2弾から、ご紹介したいと思います。
こちらは、正月十五日。
その十五日になると、
一般でも、ある行事が行われたんですね。
ある風習がありました。
その風習に対して書かれているものでございます。
それでは、一体どのような風習があったのか。
まずは、本文をお読みいたします。
十日余り五日、節供参り据ゑ)
かゆの木ひきかくして、家の子たち、
女房などのうか号を、うたれじと用意して、
常に後ろを心遣いしたる景色も、いとおかしきに。
いかにしたるに変らん。
打ち当てたるは、意味じゅう、
今日ありて打ち笑いたるは、いとはえばえし。
寝たし、と思いたるもことわりなり、
新しゅうかよう無子の君などの、
家へ参るほどをも心もとのう。
ところにつけて、我はと思いたる女房の、
覗き、景色ばみ、奥の方に立たずもう。
前に至る人は、心得て笑うを、
あなかまと招きせいすれども、
女はた知らず顔にて、おうどかにていたまえり。
ここなるもの取りはべらん、などいいよりて、
走り打ちてにぐれば、ある限り笑う。
男気味も憎からず家へ見たるに、
ことに驚かず、顔少し赤みていたるこそおかしけれ。
また片身に打ちて、男をさえずうつめる。
いかなる心にかわらん。
泣き腹立ちつつ、人を呪い、
まがまがしく言うもあるこそおかしけれ。
内ばたりなどのやんごとなきも、
きょうは皆乱れて、かしこまりなし。
十日あまりつか、これは十五日のことですね。
満月を祝う行事
この古い言い方ですと、
一日二日三日四日五日六日七日八日九日十日といくんですが、
十日以降のことを、
例えば十日あまり一日、十日あまり一日とか、
十日あまり二日、十日あまり三日、
十日あまり四日、十日あまり五日というように数えていたします。
ちなみにですが、
二十日以降は何と言うかというと、
二十日あまり一日などのように なっていくわけです。
では三十日を何と言うか お分かりになりますか。
三十代のことを みそ字という言い方をいたします。
なのでみそですね。
みそですので、
それにかをつけまして みそかと言います。
なので、三十日のことを みそかと言うんですね。
ですから今でも、
一年の一番最後のみそかのことを 大みそかと言っております。
さてここでは十日あまり五日ですから、十五日です。
十五日というのは旧暦で言いますと、
満月の日になるんですね。
この昔は月の満ち欠けによって 一月をはかっておりました。
なので、一日が新月です。
ですから十五日が満月。
また次の一日が新月。
これをくり返していくわけですね。
なので、十五日は必ず満月になるわけです。
満月のことを持月とも申します。
持月というのは 望む月と書いて持月です。
この持月の日、十日あまり五日の話でございます。
これは正月の十日あまり五日を指すんですね。
これを古正月と言っております。
さあこの日にどんなことをするかと言いますと、
節句、参り末。
節句というのは節句のことですね。
節句を行い参り末。
参り末、節句を行いますということなんですね。
この節句というのが、これは参るというのが言いますね。
これは差し上げるということなんですが、
何を差し上げるのかというと、
これをおそらく、この古正月ですね。
古正月におそらく出されたという小豆貝を指すんでしょう。
小豆貝を食べる風習があったようなんですね。
それを据えて、それをみなさんに振る舞って、
かゆの木、ひき隠して、
その小豆貝を作るために使った薪のことなんですかね。
たきぎですね。
それをですね、かゆの木と言っています。
かゆの木をひき隠して、
それを隠して、家の子たち、
家の使い捨て人たちとか、
女房たちのことですね。
女房たちが、女房などのうか号を打たれ字と用意して、
その家に使えている女房たちがうかがっているのを、
打たれ舞と用意して、
常に後ろを心遣いしたる景色も、
常に後ろに心を使っている、気をつけている様子も、
いとおかしきに、とてもおかしみがあるのに、
いかにしたるにから、どのようにしたのだろうか。
打ち当てたるわ。
そのたきぎを当てたのは、
いみじゅうきょうわりて、
打ち笑いたるわ。
とても興味深くて、面白いので、
いとはえばえし。
とても陽気であると言うんですね。
はえばえしというのは、はれる。
はえるってことですね。
ここでは、陽気な様子なんです。
何を言っているかというと、
これはどうやら当時、
この十日丸五日、
小正月の時には、
あずき貝を炊いた、
たきぎを使って、
女性のお尻をたたくということが、
行われたようなんですね。
たきぎでお尻をたたくと、
男の子を産むと。
当時としては、よいことだとされたと。
女性の役割と陽気な様子
そこまでの深刻な意味というよりは、
そういう行事があって、
その日ばかりは、
女性のお尻をたたいても、
怒られない。
もちろん女性がたたくわけですけれども、
女性が女性のお尻をたたいても、
怒られないというか、
そんな行事であったようなんですね。
ですからこの日は、
もう皆さん、
これはいつ打たれるか分からないと思って、
打たれないと用意していて、
常に後ろに気を使っていた。
その様子が非常に面白いというんですね。
なんとかして、
それを成し遂げた人もいたりして、
どうやったんだろうなんて思っている。
そんな様子が陽気で、
非常ににぎやかでいいですねということですね。
続きに参りましょう。
寝たしと思いたるもことわりなり。
寝たし、寝たましいと思うのもことわりなり。
ことわりないというのは、
当然だということですね。
当然であると。
それはそれでちょっと恨みに思う人も当然だ。
悔しがる人もいるのも当然だということでしょう。
新しゅうかようむこのきみなどの、
うちへまえるほども、
こころもとのところにつけて、
われはと思いたるにょうぼうの。
ここでは新しくかようむこ。
当時はかよい婚でしたから、
女性のもと、おむこさんがかようんですね。
別邸からかよってくるわけです。
そんなふうにかよってくるむこのきみなどが、
うちへまえるほども、
うちへまえる。
うちというのはきゅうちゅうのことです。
きゅうちゅうにさんじょうすることも、
こころもとなの。
これなんかきがかりだとか、
そんな意味なんですけれども、
ここではなんかそわそわしている感じですね。
これだれかというとにょうぼうです。
にょうぼうが、
あるじのだんなさん、むこのきみが、
きゅうちゅうへ行く準備をしているのを、
なんかこう、ざわざわしながらというか、
じれったく思いながら見ている。
なんでかというとですね、
たぶんこれひめぎみのおしりをたたくすきを、
にょうぼうがうかがっているんですね。
なんとなくこう、
ひめぎみとにょうぼうのかんけいというと、
ぱっときいたかんじ、
すごいひめぎみがちからをもっていて、
にょうぼうなんかが、
なんかもういつもひれふしているイメージも、
もたれるかたもいらっしゃるかもしれませんが、
けっこうこぶんのなかでは、
にょうぼうと、
そしてひめぎみが、
たわもれあっているとか、
そういうおはなしをされていたいとか、
そういういっしょにはそんでいたいとか、
そういうようすなんかが、
えがかれたりもするんですよね。
おそらくこのしんこんのふたりなんですね。
これでたぶんじょうきょうとした。
ですからこのひめぎみも、
ひじょうにおさないんでしょうね。
そのにょうぼうが、
ひめぎみのおしりをたたこうと、
ねだっているんですね。
むこのきみがいま、
いえをでるしたくをしているところで、
ちょっとすきをうかがっているんでしょうか。
ところどこにつけては、
われはと思いたいにょうぼうの、
きかいがあれば、
われこそはと、
ちょっとおもっているにょうぼうが、
のぞいて、
そのようすをのぞいて、
けしきばみ、
おくのかたにたたずむをと、
なんかこう、
はりきってですね、
これはいつでも、
ひめぎみのおしりをたたいてやろうと、
おもっているようすでいるのが、
まえにいたるひとは、
こころえてばろうを。
まえにいるひとというのは、
おまえにいるひと。
おまえというのは、ひめぎみのまえですね。
ひめぎみのまえで、
微妙な感情の描写
せばをしているひとたちは、
こころえてばろうを。
それがわかっていて、
わらうというんですね。
それで、あなかまと、
まねきせいすれども、
あなかまというのは、
しずかにということですね。
あなというのは、
かんどうしとしてよくでてくるんですけど、
あーとか、おーとか、そんなかんじです。
かまというのは、
一小節ありますが、
だから、ちょっとしっ、やかましい、
ってかんじですかね。
ですから、しずかにしてくださいと、
まねきせいすれば、
ジェスチャーで、
わらうなというふうに、
いうわけですね。
ですから、このあたりからかんがえると、
どうやら、
いまはひめぎみのまえで、
ちょくせつせをしていない、
ちょっとおくのほうで、
いろいろおしごとをされているにょうぼうが、
すきをみつけて、
すきをたたこうとしているんだけれども、
それでなかなか、
タイミングをみつけられずにいるようすを、
すぐそばでおつかえしているひめぎみ、
あーと、にょうぼうたちが、
なんかこう、
ちょっとわらってしまっていて、
それをちょっとわらうなというふうに、
とおくからジェスチャーで、
ねだっているにょうぼうが、
せいしているじょうきょうでございましょうかね。
おんなはたしらずがおにて、
おうどかにていたまえ。
おんなはまったく、
しらずがわからないかを、
ぜんぜんきづいてないんですね。
そのたくらみには。
おうどかってのは、
おおらかってことですね。
おおらかなようすで、
おすわりになっていると。
そんななかで、
いよいよこうどうおこします。
ここなるものとりはべらん、
などいいよりて、
はしりうちてにぐれば、
あるかぎりわろう。
そしてとうとうとおくで、
みていたそのにょうぼうが、
ここにあるものをとりましょうね、
といって、
ひめいぎみにちかよっていって、
そのままはしりうちてにぐれば、
パッとおしりをたたいてにげたら、
あるかぎりわろう。
そのまわりにひとたちがみんなわらった、
というんですね。
そんなようすをみて、
おとこぎみもにくからず、
うちえみたるに、
ことにおどろかず、
かおすこしやかみていたる、
こそおかしけれ。
それをみていたおとこぎみも、
にくからず、うちえみたるに、
それをにくたらしくおもったり、
わるいことだと思うかんじではなくて、
にっこりわらっている、
というんですね。
にこにこしてみていると。
それにたいして、
ひめいぎみじしんは、
ことにおどろかず、
うちえみたりもせずに、
かおすこしやかみていたるこそ、
かおをすこしあからめて、
はずかしがっているようすが、
おかしけれ。とてもすてきと、
いっているわけですね。
また、
かたみにうちて、
おとこをさえぞうつめる。
かたみというのは、
たがいにという意味です。
おたがいにうちあって、
にょうぼうどうしでうちあったりして、
おとこをさえぞうつめる。
そういうしおにんなんかの、
おしりをうつるものさえいる、
というんですね。
いかなるこころにかわらん、
なきはらだちつつ、
ひとをのろい、
まがまがしくゆうまある、
こそおかしけれ。
どのような、
こころなのか、
そうぞうすると、
おもしろいんだけれども、
なきながらはらだちつつ、
なきながらおこって、
ひとをのろうようなことばをいったり、
まがまがしくゆう、
ふきつなことをいったりする、
そんなにょうぼうもいるようすが、
おかしいというんですね。
おもしろいというんですね。
だから、ほんきになって、
おこっているようなにょうぼうもいる、
ということなんでしょう。
うちわたりなどのやんごとなきも、
きょうはみなみだれて、
かしこまりなし。
うちというのは、
きゅうちゅうのことです。
きゅうちゅうのあたりなどの、
やんごとなきも、
やんごとなきとは、
こうきなことです。
こうきなかたがたも、
きょうだけはみなみだれて、
えらいひとも、えらくないひとも、
みだれて、
かしこまりなし、
えんりょうするきもちもない、
というんですね。
そのひだけは、
ぶれいこうで、
いつおしりをたたかれるともわからない、
いるというようすでしょうね。
なんかひじょうに、
おおらかなくうきがつたわってくる、
ぶんしょうですよね。
かいているのは、
せいしょうなごんというかたですが、
くりかえしにもなるかもしれませんが、
せいしょうなごんは、
ちゅうぐうていしというかたに、
おつかいいたしました。
そのちゅうぐうのところで、
すごしたひびをつづったのが、
このまくなのそうしでございます。
今回はそのきゅうちゅうでの、
きゅうちゅうでのおもいで、
じっさいにはこれをかかれたのは、
きゅうちゅうをはなれたあとのようなんですけれども、
きゅうちゅうの、
なごやかなおもいで、
これがえがかれるのが、
だいにだんでございました。
こちらしゅってんのほうは、
ていほんとしましたのは、
かどかわソフィア文庫、
中宮の思い出
ビギナーズグラフィックス、
にほんのこてんの、
まくなのそうしからおとりいたしました。
では、今回はこれくらいにいたしましょう。
きいていただいてありがとうございました。
すいません、
さいごにもういちどをよんでおきましょうね。
さいごにもういちどおよびいたします。
わるは、いみじゅうきょうわりてうちわらいたるは、
いとはえばいし、
ねたし、
とおもいたるもことわりなり、
あたらしゅうかようむこのきみなどの
うちへまえるほどをも
こころもとのう。
ところにつけてわるは、
とおもいたるにょうぼうの、
のぞき、
けしきばみ、
おくのかたにたたずもうを、
まえにいたるひとは、
こころへてわろうを。
とまねきせいすれども、
おんなはたしらずがおにて、
おおどかにていたまえり。
ここなるものをとりはべらん、
などいいよりて、
はしりうちてにぐれば、
あるかぎりわろう。
おとこぎみもにくからずうちへみたるに、
ことにおどろかず、
かおすこしあかみていたるこそ、
おかしけれ。
また、
かたみにうちて、
おとこをさえずうつめる。
いかなるこころにかわらん。
なぎはらだちつつ、
ひとをのろい、
まがまがしくゆうもあるこそ、
おかしけれ。
うちわたりなどのやんことなきも、
きょうはみなみだれて、
かしこまりなし。
それでは、
今回はこれあたりにいたしましょう。
ありがとうございました。