1. 上坂あゆ美の「私より先に丁寧に暮らすな」
  2. #160 「俺のことなんて誰もわ..
2025-08-05 40:53

#160 「俺のことなんて誰もわかってくれない」の扱い方

spotify youtube
🔽 ライブ配信へのおたより宛先コチラ🕺
https://forms.gle/U7yZ7MWVC33jYuuQ9
🔽 8/29金 〜朝5時 ライブ配信会場コチラ🕺
https://youtube.com/live/GOBg_skp62A?feature=share

『いったんしゃべろ! こころの雑談室』
日程:8/29 金 〜8/30土
参加費:無料
Podcast番組「私より先に丁寧に暮らすな」では、8/29の夜から8/30の朝まで、オンラインライブ配信を行います。Xのスペースでの音声通話を用いてどなたでも電話相談をすることができます。
今回は10代からのご相談を優先して取り上げます。ぜひSNSなどでもこのイベントを広めてもらえると嬉しいです🫶

【今回の内容】 不登校だったころの心情 / 気を遣われていることに傷つく / 3割わかってもらえればいい / 傷つけるくらいなら何も言わない方がいい、は間違いだった / メンタルクリニックでの発見 / 発達障害の診断 / わかる・わからない
【出演者】
東京の歌人 上坂あゆ美 https://x.com/aymuesk
京都の僧侶 鵜飼ヨシキ https://x.com/ziruziru1986
※番組公式SNS https://x.com/yori_suna

🛍番組のグッズ公式通販サイトできました
https://yorisuna.stores.jp/
▼ご意見ご感想はSpotify上のコメントまたは #よりすな

サマリー

このエピソードでは、10代の体験や感情に焦点を当てており、特に不登校の経験とその背景を掘り下げています。上坂あゆ美さんがライブ配信を通じて、リスナーからの夏休みの思い出を募集しながら、若者が抱える孤独感やコミュニケーションの難しさについても言及しています。このエピソードでは、発達障害やメンタルヘルスに関する自己理解とそれに伴う課題について語られています。特に、過去の経験やラベリングの影響を受けて、自分を受け入れ、社会との関わり方を考える重要性が強調されています。自己理解と他者理解の困難さについて語り、特にSNS上での自己表現が個人の自我に与える影響について考察しています。作品と人格を切り離すことの重要性や、現代社会における自己ブランディングの問題にも触れています。

ライブ配信と相談募集
上坂あゆ美の私より先に丁寧に暮らすな。先日告知したとおり、今月8月29日にオールナイト配信ライブイベント?ライブ配信をyoutubeでやろうと思ってるんですけど、
いろいろ考えて、ツイッタースペースでお話しするのが良さそうだなってことになりました。
なので、ライブ配信開始と同時にツイッタースペースの部屋を立ち上げますので、ツアー希望の方はそちらに入っていただくという形にしようと思ってます。
よく考えたら、匿名でやると10代かどうかわからないという根本的な問題に気づきまして、事前にある程度アンケートを取っておくことにしました。
なので、このポッドキャストの番組詳細にURLを貼っておきますので、ご相談とかお便りいただける方は事前にそちらからお便りをいただきたいなと思っております。
うちらが見る時間があるから、ライブ配信当日の8月29日のお昼の12時ぐらいまでに送ってくださいってことにしようかなと思っております。
前も言ったけど、ずっとお悩み相談だとしんどそうだからね。聞いてる側も。
そうですね。10時間ですかね。
10時間。10時間人の悩みをお話し続けるのはちょっといかがなものかという話もありますので、お悩みがないよっていう方も、そしてもちろん10代じゃないよっていう方もどんどんお便りをいただきたいなと思ってまして、コーナーメールを作ることにしました。
コーナーメールは夏休みの思い出っていう、まじでふわっとした企画。
でもこんぐらいがいいかなと思いまして、その息抜きとしては。
確かにね。あとあれば息抜きやし。
もちろんあれだよ。重い話でもいいよ。夏休みの思い出ですげえ嫌だったこととかでもいいし、あの時食べたかき氷美味しかったなとかでもいいので、あなたの夏休みの思い出をコーナーメールとして募集させていただきます。
ということをメールフォームからお便りどんどんお待ちしております。
10代の心情と不登校
今日はそれにちなんでね、10代の頃の話をしていこうかと思うんですけど、
うかいさん、どうですか?10代の頃、何か思うことありますか?
思うことしかなかったですね。
思うことばっかりですよ。
この2人はもう10代に思うことばっかりあったのよ。
今思えばなんかいろいろ考えて、同時にそれがすごい抽象的だったことをなんかふと思うわ。
どういうと?
なんかね、上坂さんの過去とかって結構このポートキャストもよく喋ってるじゃないですか。
僕のね、10代って多分ね、分かりにくいんですよ。
でも、同時に私は本当はもっと言葉にならない出来事とか感情とかあったのに、
分かりやすくストーリーに整えてしまっている自分っていうその口座にも気づきますね。
本当はそんな言葉にできない苦しみとかのが多いと思う。
多いと思う。
私がたまたまなんか他人から見てわかりやすい地獄があっただけで、
本当は自分にもそういうこぼれ落ちてしまった、もう言葉にならないものとかが当時はめちゃくちゃありましたね。
うかいさんの場合それがより色濃かったってことだね。
なんかもなぁと思ってて。
はいはいはい。
まあその家庭の特殊な事情といえば、その家つぐつがへみたいな。
そう、お寺をね。
まあね、あるけれども。
なんかね、それもね特殊なんかっていうのがいまいち自分でもよくわかってないんだよね。
なんか10代の時ってそこまでさ、その人間のサンプル知らないからさ、特殊性に気づかないっていうのはありますよね。
さらに言うと京都ってそういう環境の人多いから、特に多い場所。
日本で一番多いわ。
そう、みんなどっかのね、あのどこどこの息子、娘なのよ。
ああそうなんだ。確かに長い企業とかも多そうだしね。
そう、っていうのがあるんで、まあそこの特殊性は感じず、まあこのポートキャストで言ったことであれば、学校行ってなかったこと。
うんうん。
高校の時に不登校やった。
はい、それは高校何年から何年ぐらいですか?
えっとね、1年の時につまずいて、で2年で行かなくなった。
うん。
で、3年の、それこそ秋ぐらいからはほぼ毎日行ってたかな。
うーん。
うーんぐらい。だから夏休み終わったぐらいから行ってたん、いうような記憶がある。
うーん。ちなみにそれって行くようになった理由ってあるんですか?
えっとね、それはね、まずね、不登校と言いながらもたまに行ってた。
うんうんうん。
で、たまに行くねんけど、僕の場合はね、日中の授業が受けられなかったんよ。
はいはい。
で、部活にはちょっと出てた。
何部でした?
えっと、ブラバンですね。
うーん。
ブラスバンと。なので、なんかブラバンしか知らん同級生とか先輩後輩は、たまにサボるやつっていうイメージだね。
あ、ぐらいのね。
そうやね、そうやね。
不登校とは知らない。
そう。で、クラスメイトおらんかったから。
うん。
だからクラスメイトからしたら、ほんまにレアキャラみたいな。
はいはいはい。
みたいな立場。
うん。
で、僕がほんとに運が良かったのは、担任が良かったんよ。
うーん。
担任が来れへんねんやったら、来んでもいいと。ただ、何が好きなんよお前みたいになって。
うん。
で、その人が、わりとこう、なんか本とか教えてくれた。
えー、すごいね。
そう。変わり者でさ、なんか髪の毛もじゃまじゃで、いつもメガネかけてる先生やったんやけど。
うん。
そのメガネが割れてんねんけど、セロハンテープで直したって。
変なやつ。
ハハハハハ。
で、学校…
漫画、漫画のキャラじゃん。
そう。で、学校で寝泊まりした。
漫画じゃん。
漫画よね。
やばっ。
で、今思えばねんけど、私立の高校やったんで、細かいことわかんないんですけど。
私立の高校って寝泊まりできんだ。
ハハハハハ。
宿直という名義なんかもしれんけど。
あー、はいはい。
なんか、今もしそういうとこで働いてる人ならわかるかもしれないんですが、
その先生ね、ちょっとね、そういういろんなトラブルを抱えた生徒を、ひとまとめにしたクラスを作った。
えー、すごい。
もちろん、普通のクラスなんで、そうじゃない学生も半分以上。
ただ、来れへん学生やったり、ちょっとこう…ね、ケンカとか、いろいろしてしまう学生もいて。
特にいたクラスやってる。
もしかしたら、今思ったら、あの先生が集めてたんかみたいな。
あー。
可能性ある。
うかいさんもそのクラスにいたの?
そうそうそう。
で、2、3年はその担任の先生のとこで、一応やってたって感じ。
はいはいはいはい。
じゃあ、それがいけるようになった一個の理由ではある?
では、あるかなぁ。
まあそうだよね。担任嫌だと結構積むもんね。
そうなんよ。
で、またその私立やったからこそ許されたんかもしれへん。
そうだね。いろんな理由がありそうだけど。
そう。いけるようになった理由が、いまいち覚えてはいないんだが、何かが解決していけるようになったわけじゃなかった。
うんうん。
ただ、たぶん、あと半年行けば卒業できるって思ってたんかもしれん。
あー。終わりが見えて楽になったってこと?
そうそうそうそう。
で、クラスで別に誰も喋る人がおらんし、そこで本読んでるだけみたいな。
あー。まあでも、行けはした。
そうそうそうそう。って感じやったな。
なるほどね。
そうなんだよね。あの、うかいさんがすごい抽象的って最初に言ったけど、私、何回もこの話聞いているんだけど、
うかいさんが行けなくなった理由も、行けるようになった理由も、いまだによくわからないっていうのがあって。
で、もしかして、うかいさんもあんまわかんないんだよね、きっと。
わからへん。
そうだよね。
そう。
でもなんか、今の多くの不登校の子って、そういう子も多いんじゃないかなって気がしてる。
思うね。
うん。私、無理に言葉にしなくていいことでもあるからね。
そうそうそうそう。
ただ思うのはね、やっぱね、クラスに友達おらんかったらしんどかったなって思ったね。
そうか、そうだね。
で、なんか、人ってさ、現実的にさ、アニメとか漫画みたいないじめであったり、
はい。
こう、あの、排除されるとか、っていうのもあんねんけど、同時に優しさの残酷性っていうのもあると思う。
あるよ。
そう。
てか、そっちのほうがリアルな問題としてあるかも。
そうそうそうそう。
だからたまに学校に行った時とかにも、変な優しさを、たぶんそれって言うても向こうは18、17でわからへんからこそ、
悪い部分に触れてはいけないけれどもコミュニケーションを取ったほうがいいみたいなのがあると思うね。
そうだよね。
そう。
なんかある種の正義感というかね。
そうそうそうそう。
で、こっちはこっちで、それを変に解釈してしまうね。
あー。しかもさ、病んでる時ってそういうの一番しんどかったりもする。
そうそうそうそう。変に気使われてるとかさ。
うん。
なんかそれがどんどん進んで、
で、さらにね、この10代のイベントの時に、このイベントがあるからこう思い出しててんけど、
はい。
孤独感とコミュニケーション
同時に地元の友達は、まあ仲良い奴多かったんやけど、
そいつらが別の高校で誰かと仲良くしてるのを見るのも辛かった。
あー。
俺だけだみたいな、そのうまくやれてないのは。
で、たまにそこに何かウカピ来るみたいなんで呼ばれんねんけど、
やっぱなんかね、俺の知らん会話が進められるのよね。
そうだよね。
そうそうそう。
で、こっちも入ろうとすんねんけど、で、向くんもそれ多分分かってんねんけど、
やっぱりこうね、差を感じていくというか。
そうだね。
で、そこで改めて思うなんていうんやろね、
今思えば自分、まあそれ今でもんすよねんけど、やっぱね、
弱音ってあったり、なんかヘルプを出すのが下手すぎるのよね。
うーん。
やのくせに、なんで俺が苦しいのを誰も分かってくれへんやっていうエゴも生まれる。
それってでももう10代のゴンゲじゃないですか。
いや、マジで10代のゴンゲ。
そうなんですよ。
そう。
これをね、説くのは時間かかったね。
あー。
で、なんかね、それってさっきも言ったように、どこかで明確に何かが解決したわけではなくて、
だんだん分かってきたことで、自分が思ってること、それはもしかしたらこのポッドキャストも同じかもしれんけど、
自分たちの発言の、俺の感覚では3割楽しんでくれたらええ場合が今のベストやねん。
はい。
で、7割勘違いされても、もしくは勘違いされるならまだしもいい。7割も伝わらへんと。
うん。
けど、3割で面白いって言ってくれる関係って、実はむちゃくちゃいいなと思うことができたね。
え、そうなの?私10割伝えたいよ。
あの、伝えたいっていうのはある。
けど、伝わらへんっていうのも知ってる。
あ、まあそれはね。
そう。そっちそっち。
で、伝わらへんっていうのを知らんから辛かったっていうのはある。
あー。
どうして伝わらないんだってずっと思ってた。
そうそうそうそうそうそう。
でもそれって、なんていうんだろう。
俺はその、3割やからこそ、7割伝わらへんからこそまだ頑張れるっていうのはある。
うーん。
それってなんかその、いろんな条件あるけど、自分のテクニック次第っていうのもあるやん。
はい。
もしかしたらこの組み立て方の方が面白かったんじゃないかな。
はいはい。
っていう部分に目が行かへんかったんだ。
あー。
こんなに言ってんのに、こんなに伝えてんのに、こんなに頑張ろうとしてんのに、なんで誰も分かってくれへんねん。
あー。
でもその時できることをやってたんだよね。
そうそうそうそうそうそう。
っていうのがあったね、10代の時は。
うーん。
なんかね、責任の取り方が下手やったんやろな。
あー、責任。
うん。さっき言ってた、伝えたいっていうのは責任やと思うねん。
あ、そうなんだ。
伝えたいからこそ言葉を選んだりするわけやん。
うん。
勘違いされへんようにするわけやん。
うん。
だからこそ自分の中で責任を持って何かを発言するってことやと思う。
うんうん。
けど、全てのことをそのまま言うっていうのはある種の責任放棄やと思ってて、それによって傷ついてもいいみたいな。
はい。
それとは違うっていうのが、やっぱりこう、分からなすぎた。
はぁー。
メンタルヘルスへの取り組み
でも大人でもできてない人いっぱいいるよ、私とか。
いやいやいやいや。俺だってできてへん。
というよりも、次の罠に引っかかんねん俺の場合。
逆に言わなさすぎるにか入ってくねん。
あー、傷つけられるくらいなら言わないほうがいいと。
そう、そっちになっちゃう。
心を閉ざしちゃう。
はい。
結局、あの、コインの表裏で物事を考えちゃう。
うーん。
でもそうだよね、極端なのって若い頃の特徴じゃないですか。
特徴ですね。
グラデーションがあんまり分からないと。
でも直近の話やねんけど、最近ちょっとメンタルの浮き沈みが激しいと、俺最近。
うんうん。
なんか月に1回重たい日が1週間くらい来ると。
うん。
そんなんかあるから、1回ちょっと見てもらおうと思って、この前メンタルクリニックに行ってきたんすよ。
うん、あれ初めてだっけ?
さっき言ってた重たい時には診療内科行ってんねん。
うんうん。
けど診療内科の先生にも、もう、あの、イラついてたから。
あーね、あるね、そういう時ね。
だから病院ちゃんと行くのはもうそれ以来。
で、こういろいろ話していく中で、発達障害のちょっと検査してみましょうみたいな。
うん。
なって、それしてチェックリストみたいな作って。
うん。
で、その後にちょっとこの数値高いんで、この薬飲んでみましょうみたいな。
うん。
この辺医学的なこと僕よく分からないんで。
うん。
あの、詳しい人いたらもうちょっと教えてほしいんですけれども。
この薬出すんで、効いたらもしかしたら発達障害ですみたいな。って言われて。
え、そんな感じなん?みたいな。
そんな薬ってリトマス試験師みたいにしていいんだ?みたいな。
そうそうそうそう。
で、さっきだって飲んでしばらくしたら、むっちゃ今クリアになってて。
あ、効いたんだ。じゃあ。
そう。
で、これが僕ちょっとね、なんか助かったというか。
うん。
ほんまにシンプルに、なんか自分は病気だとか、自分はこういう障害だみたいになって。
今の歳じゃなかったらそっちになってた可能性はある。
あー。
なんかそれこそ。
重く捉えていた。
そうそうそうそう。俺なんてもううまくいかないんだみたいな。
そうだね。
なんやけれども、なんかね、僕それでそのいろいろこう、もしかしたら発達障害の可能性があると。
まあ軽いですけどね。だいぶ。
うんうん。あの、社会生活は遅れているしね。
そうそうそうそう。
だけど見てみたら、なんていうんやろな。
あー、俺の選択とか、なんか自己責任じゃない部分にもちゃんと問題あるんだっていうのがありがたかった。
そうだよね。
そう。
自己認識の変化
なんか発達障害とかっていう理論ってさ、本来的にはそのためにあるもんね。
そうそうそうそうそうそう。
それがすごいありがたくて、そこで10代の時に返ってくるね、話が。
はい。
あのね、僕ね、学校の先生の言うことが全然聞けなかったんですよ。集中して。
で、なんか全然点数取れへんみたいな。
勉強できひんみたいな。そういう実はコンプレックスがあったことにようやく気づいて。
あー、でも確かに前から言ってたね、それね。
そう。だから僕、大学時代ってずーっと教室一番前やったんすよ。
え、なんで?
あの、集中できるから。
え、それは前にしてもらってたの?
あ、まあ、授業なん、大学なんで自分で選べるんや。
あー、そっかそっかそっか。
そうそうそうそう。だから一番前の真ん中にずっと座らんと、話入ってこーへんね。
そっか、後ろの席に行くと、視界がね、視界にそれ以外のものがたくさん入ってしまうもんね。
で、学生いろいろやってるんや。
そうだね。
今やったらもうパソコンとかもやってるから、絶対俺無理なんよ、後ろの席とかやったら。
なるほど。
そうそうそうそう。
っていうのが、なんか全部繋がってきた感じもして。
うーん。
あ、だからなんか、俺が悪いんだってなってたのって、全然的外れやったんやみたいな。
そっか。
そう。俺の性格が良くないからだ、みたいな状態。
うん。
を、もしかしたら脱却する鍵、できたかも、みたいな。
あー。
あー、これに気づけるまでなんとかやってきたなっていう気持ちはある?
そうだよね。でもさ、かといってさ、それこそ幼少期とか学生時代に気づいちゃってたらさ、
はい、俺病気、おしまい、みたいにさ。
そうそうそうそう。
だから、今で良かったかもね。
良かった。
うん。なんか早く気づけばいいってもんでもなかったりするね。
えー、だからもうずっと引っかかったりしてたことがあって。
うん。
ある大学の時に教えてもらってた先生、ちょっと癖の強い人やねんけど、
うん。
僕が、たとえば死んだら、この世界は終わると思ってるんだって言ってた。
癖強いね。
いやろ。
うかいさんの周りの先生ってどうしてこんな全員癖が強いの?
名前は言いませんけども、その人の。
で、俺それがすっごい腹立ってん。
うん。
ずっと腹立っててん。
はい。
今でも若干腹立ってんねん、その発言に。
あのね、私も今ちょっと腹立ってる。
やろ。
でも、なんで腹立ってるかがずっと分からへんが。
はい。
で、それが、なんか、なんていうんやろな、この世界はお前のもんやと思うなよとか、
そんなんじゃないねん、俺の腹立ち方。
うん。
なんか、そんなつまらないものじゃないやろって感覚やねん、俺は。
うーん。
そんな自分の認識ひとつで、この世界がすべてだって、思うつまらなさには負けたくないっていう。
あー。
っていうのが、もしかしたらさっきの自己責任論とかともくっつくんかもしれん。
なんか、自己責任ですべては動いてないよっていう。
あー、なるほど。
そうそうそうそうそうそう。
自分のコントロールできないことが、この世にはたくさんあって、
で、それが良かれ悪かれ、そんな範囲で世界は動いてないってことを信じてる。
そう。もっと豊かであれって思ってる。
なるほど。
うん。
これがなんか。
すごい、すごい、すごいな。いいムカつきだな。
ははははは。
そういう意味では、いい言葉やったんかもしれんけど、あの言葉と戦うために俺はやってるって感じ。
あー、そうなんだね。
そうそうそうそう。
なるほどね。
そんな10代やったな。
うん。
うん。
でも、その大学の時のそのムカつきがあったから、今その発達障害とかも受け入れるに至ってるわけだもんね。
そうそうそうそう。
だからある種の自分の選んでないものっていうのは何かみたいな。
はい。
うん。
だからそういうものをちゃんと認識できるのはいいなと思ってね。
うん、そうだね。
えー、私も検査受けよう。
ははははは。
でも、私も社会生活できてるから、10度じゃないのはわかってるんですけど、まあ薄々そうだろうなとは思ってて、もしだから薬とか診断で何か楽になるならそうした方がいいもんね。
いや、そう。なんかね、昔はね、それをすごい、まあこれはね、その人その人の受け入れ方ではあるんやけど、なんかそれを怖なかに言うことがなんかちょっと怖かったんよ。
うん。
例えば何かの症状を持ってる人とかが、それをすごいこう言われるのが。
うん。
そうしたらこっちが何も言えなくなるみたいな。
ある、ある。
あるやん。
うん。
私発達障害やから、みたいな。私うつ病やから、みたいな。
俺はもうアルチョーやから、みたいなとかを言うのって、なんかコミュニケーションが終わってまうなっていう怖さがあって。
あー。
なんやけど、なんか自分に今考えたときに、まあ自分の中では言い訳にはせんとかみたいな。
うん。
なんか、これは言い訳やなってどっかで思うことができればそれは言わんでいけると思って。
うんうん。
なんかそういう付き合い方ができるかなと思って。
あー偉い。
あははははは。
私うつ病のとき、うつ病ですって言っちゃってた。
いやだから、言い訳じゃなかったのに。
え、でも言い訳にせざるを得ないときもあったんよね。
あーなるほどね。
なんか、どうしても、どんだけ大事な予定があっても、ベッドから起き上がることができないとか。
うーん。
なんかそうなってくると、開示せざるを得ないみたいな。
あー。
なんか自分もつらくてさ、なんか、とかいうこともあると思うけど、でもなんか今最近思うのはね、発達障害、ADHDだったり、アスペルガーだったり、うつ病だったり、そういうものが平成初期中期よりも、ちょっと身近にめっちゃなってて。
なってますね。
昔もそれがさ、明らかになっただけで、うわ、病気みたいなさ、もう差別されるみたいな時代もあったことを考えると、今ってちょっとカジュアルになりすぎかなって感じはあるので。
ありますね。
なんかさ、ツイッターのプロフィールにも書いてる人とかいてさ、
それを受け入れて乗り越えることとか、自分の特性の一つとして認めることと、それをアイデンティティみたいにしていくことはちょっと違うよね、みたいなことは思うね。
だからアイデンティティ化しすぎると、確かに恐ろしさはあるなと思いますね。
性格なんてみんな違うしね。
そうなんだよね。
なんかやっぱ、病気とか発達特性のラベルを貼ることってなんとなくさ、その枠に自分を押し込めてしまうような気もするしね。
なんか社会が作ってるでかい種類に自分がそのまま入っていくみたいな。
うん。
なんかそれはちょっと違うなっていう。
うん、そうだと思う。
なんかでもそういうことって規模感違うけど、すごくあるんですよ。
社会のラベルに自分から乗っかってしまうタイミングってすごくあって、例えばオタクであることを自称するとか、メディアが作ったお一人様とか、装飾系とか美魔女とか、いろんなラベルがあって、そこに自分から乗りに行くことの怖さってちょっとあるんですよね。
まあなんかサブカル系とかもそうですけど。
うん。いや、それはある。
これね、すごいなあ、心に残ってるなんかツイッター漫画かな、あれ。もしかしたら書籍かもしれないですけど、のがあって、それこそ発達障害っていうのがある出身同士の中で、あるサラリーマンの、多分ね、作者の人もそれ多分あると思うんやけど、が、その同僚に自分は発達障害やと言うと。
うん。
やけど、それに対して何が困るかってなったら、発達障害だから一つのことに長けてるんですよねっていうラベリングされちゃうと。
あー、はいはいはい。
でも全然自分は仕事としては普通やと。
うん。
なんなら、うまく普通にやってるだけ。
頑張ってね。
そう。やねんけれども、そう見られてしまうのが怖くて、逆に言えなくなってきたみたいな。
まあそれもあるね。
こういうことは、ほんまに世界に何百何千何万とあるんやろなと思って。
あー、あると思う。
なんかよくある話だとさ、ゲイであることをカミングアウトしたらさ、じゃあ女の気持ちもわかるんですねみたいなさ。
なわけねえだろみたいなさ、ことがこの世にはすごくありますよね。
アイデンティティーの保ち方、それでアイデンティティーを保つっていう人たちは確かにいるから、なんか不思議よね。
そう、逆に自分はゲイなので両方の気持ちがわかりますみたいなことにアイデンティティーを持ち始める人もいるじゃん。
いますね。
で、発達障害もきっと近いことをやる人もいると思う。
でもなんかなんとなく世の中のラベルに合わせない方が本来的に生きやすい気はしている。
そうだね。
社会との関わり
なんか私もよくやりかけちゃうから気づくんだけどね。
自分を何かのラベルに押し込めて、なんだろう、やっぱり10代の頃誰もわかってくれないっていう思いが強すぎたから。
ありますよね。
少しでもわかられようとしてしまうがためのラベル張りみたいなことってすっごいあるけどしない方がいいなーって最近は思う。
誰もわかってくれない、誰も自分のことをわかってくれないみたいな気持ちはあれなんないよね。
なんないやろうね。
なんかそういう話は多分、具体的にこの話が来るとは思わないけども、やっぱ10代抱えがちというか。
それとどう俺、やりつけてきたかみたいなんて、案外よくわかってなかったりするんだけど。
わからんままの人もいるだろうし。
だからこそ大切なかけがえのない誰かに私のことを思って、俺のことをわかってよっていう。
若干だから俺は冷たくなりすぎてる可能性もあるのよ。
諦めによって?
諦めなんか、俺のことは誰もわかってくれないよみたいになっちゃってるのは逆に悪いというか。
俺の距離感の作り方なんかな?
なんか私の場合多分ちょっと違うところにあって。
これもこれでって話なんですけど、最近の私は分かられてたまるかようになってますね。
でも10代の頃ももしかして、わかってほしいわけじゃなかったんだと思う。
分からないけど受容されたかったんだと思う。
お前何言ってんの?ってノリでただ存在を認めてほしかったというか。
お前変だね。全然意味わかんないわ。のまま一緒にいてほしかったっていうのが正しい気持ちな気がする。
だからむしろ今は分かられたくないって思ってるけど。
多分ここは人によると思う。私みたいな人ももしかしたらいるかもしれないけど。
もっと分かられたいとか、身近な一番大事な人には分かっててほしいとかあるかもね。
結構分かるべき社会みたいになりつつあるやん。
だからこそ、分かるよって言いやすくなりすぎな気もするんだよね。
分かるのってすごくいいことだとされている。
本当に分かるならいいんやけど、惰性の分かるよがたまに感じるときはある?
いや、あります。はびこっています。
両親を否定してるわけじゃないのよ。
分かりたい、分かられたい気持ちは否定したくない。
10個の選択肢が自分の中にあって、例えば誰かの話を聞いたときに、
これは自分の中ではここは分かったら変な俺みたいな。
やからこそ、もうちょっと聞こうみたいな。
ここはあえてスルーしようみたいな。
とかの中で、これは分かるなって言ったらいいと思う。
けど、全部が分かる、なるほど、分かるわ、大変やったなって全部から2人になるというか。
そうだよね、全部は分かんないもんね。
SNSと自我の関係
たまにそれは感じるときある。
なんか、あかべこみたいに首振ってるなみたいな。
でも、10分かるを求めてる人もいるというね。
ああ、まあね。
もう、全部分かる分かるで言ってほしいって人もいるかもしれない。
これはなんかちょっと美学の問題かも。
美学か。
我々は結構さ、分からないことは分からないって。
分かることだけ分かりたい人じゃん。
確かに。
すごい当たり前口文みたいになってるけど。
分かりますか、これ。これもう分かりますか。
分かっていただいていますか。
分かっていただいていますか。
まあ、そういうね。
これはなんか、相手というよりこちらの美学の問題な気はしますけど。
今度のイベントではね、分からないことは分からないのですけれど、
分かりたいとは思っていますというイベントなので。
そうだね。
あと、理解と共感は違うからね。
大事、それ。
共感できないことけど、理解できることはたくさんある。
逆もまたしかりやしね。
逆もまたしかり。
自分の行為のすべてが自分の自我みたいに見えてたな。
ちょっと今思い出した、10代の時。
行為のすべてが?
これ結構ね、芸大とか行ってつまずく子にありがちで。
俺もそうやねんけど。
自分が出した創作物とか、自分が出した文章、なんでもいいわ。
それを自我として出してる気がしてしまう。
だからその自我っていうのは、否定されたら自我を否定されることになるやん。
でも本来、創作物ってそうじゃないやん。
そうだね。
作品と人格、人物は切り離して存在するものではあるね。
なんだけれども、そのバランスが分からず、自分が作るもの、自分が出すものの否定は、
すなわち全部自分に傷をつけてた気がする。
そうかも。
これが、創作物ならまだマシではないんだが、まだ数が少ない。
けどこれ、SNSとかになったらだいぶヤバいなと思って。
炎上したら死にたくなりますからね。
ただ、どこかSNSを投稿する時とかにも、ちょっと冷めた目線でやってるのはその保証なのかもしれない。
炎上したらとは思ってへんけど、
反感というか、反対意見はこれもあるやろうなーぐらいの気持ちのものをやってる気がするな。
もしくはこれ思わないと思う人いるやろうなぐらいの気持ちかな。
だから多分自撮りとかあんま載せへんのかもしれない。
普通の人は自撮り載せないだろ。
普通の30代は自撮り載せないよ。
みんなフェスとか行ってる写真あげるからさ。
それも自撮りに含めるのであればね。
自分が載ってる写真って意味ね。
確かにね。自分の写真を載せすぎない人もそれはそれで自我が強いからね。
私それです。
逆に今のSNSの兆候でいうと仕事としてやりすぎてる人も怖いなとは思うんだよ私。
自我と話しすぎてもうウケることだけをポストする人。
それもそれで結構メンタリティー心配なのよね。
個人のアカウントで罰狙いばっかりしてるみたいな。
そう。だからつまり自分の好みや個性ではなくもうウケるかどうかに軸を置いて投稿するみたいな。
なんかやっぱYouTuberの友達の話とか聞いてるとそうなる人がすごい多い気がしてて。
なるほどね。
もうそこに自我がないみたいな。作業みたいな。
それも結構現代の病の一つだなとは思いますね。
それはなんかセルフブランディングとかでもかかわってくる話?
うん。でもYouTuberとかいう仕事もしくはTikTokerもそうだけどを始めると数字が伸びることが正義になってしまうんだよね。
直接的に収入にもかかわってくるし。
そうなった時にもう自分が好きかどうかとかじゃなくて伸びるかどうかみたいになってしまい
最初はセルフブランディングの中でやってたはずがこういう動画がウケるんだってなったらもうそれずっとやるとか
もう自我を捨て去ってやるみたいな。
ことがすごく起きやすい社会なので。
なるほどな。
切り離しすぎるのも怖いかなみたいなこともある。
同一化しすぎるのも怖いし。
怖いね確かに。
そういうことがすごく起きるのが現代ですので、
俺たちはどう生きるかっていう話です。
宮崎駿のバトンをね。
受け継いでいきましょうよ。
というわけで8月29日夜7時から良かったら皆さんお便りもどしどしお待ちしております。
お待ちしております。
植坂由美の私より先に丁寧に暮らすなでは、
リスナーの方々からのトークテーマのご提案、ご質問、ご相談などをお待ちしております。
送り先はポッドキャストの説明文にあるURLまでお願いします。
また番組の感想やご意見など、スポティファイ上のコメント機能またはハッシュタグよりすなで教えてください。
40:53

コメント

スクロール