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  2. 電波惹句なすびさんと『Z世代..
2025-11-14 1:05:32

電波惹句なすびさんと『Z世代化する社会』を語ろう!〜相対主義を乗り越える 不安とZ世代をめぐって〜

#27 / なすびさんが『Z世代化する社会』を読んだきっかけ / 舟津昌平さんのnoteが面白かった / なすびさんの大学の同期の方が編集! / 大学の講義と本で一貫したエッセンスがある / この本を読んで変化があったこと / 無関心は良くない / 相対主義が極まっていた / 客観的な姿勢があるべき姿だと思っていたけど、それが正解ではないかもという衝撃 / ゆとり以降の「人それぞれ」教育 / 客観的なものって何? / 個人に回帰している? / 「普通はこうかもですね」という留保をつけすぎていた / 「要はバランス」になるけど…… / 何でもかんでも人それぞれは違う /仕事で個人の考えは聞いていない / 不安ビジネスに惑わされない / 知識によって無知からくる不安に立ち向かう / 目的なき読書 / 働きながら本を読んでいる / 不安はどう移り変わっている? / 不安が社会を取り巻いている? / ファブリーズ/ 〜としての教養 / 推し活流行ってる言説 / 与那覇潤「デオドラント社会」 / 岡田斗司夫「ホワイト社会」  / YouTubeなどいろんなコンテンツがあっても周りの環境に煽られる / コロナのときはインターネットが世界だった / 身の回りの人と話すことが不安の打破 / 信頼にも不安にも根拠がない / インターネットの人格とリアルの人格が分断している / ネットの話通じる? / ネットの炎上より家の話 / サブウェイのメニュー多い話 / コンサル怪しい話、株の話 / なすびさんはコミュニティによって差分がない / 電波惹句のDiscordで帝国を創り上げる / SNSのアカウント数とコミュニティでの演じ分けの相関 / Z世代との関わり方を考えてみたい / インターンシップでのブレストにて / 3Dモニタと音ゲーの連携/ 客観的に自分を見ている大学生 / 会社としては社会課題を評価するかも / 正直寄せに行ったよね? / 発言の背景を深掘りしてあげる / 個性を重視している一方で肯定をしてしまった / Z世代を作ることに加担していた / 20年代のありのままの自己肯定を内面化 / なすびさんが是とするのは嘘をつかないこと / 自分の心情に則って発言しているけど / 理性が本音に覆い被さっている / ぽむのコンフリクト / なすびさん「余白とはセレンディピティ」 / 電波惹句のDiscordに入りたい方はなすびさんまで⚡️


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普通の会社員2人が様々なテーマの感想や解釈を交わしながら、埋まりきらない“分かり合えなさ”さえも楽しむ記録。

発信が溢れる時代だからこそ、“聴くこと”に価値を置く。まだお互いのこともよく知らない2人が、互いの余白に触れながら楽しむ対話を、あなたも。


▼クレジット

やぎしょーご Shogo Yagi @sho5_midday ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://x.com/sho5_midday⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

𝑃𝑜𝑚𝑃𝑜𝑚 🍮@pompomreading ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://x.com/pompomreading⁠⁠

サマリー

今回のエピソードでは、Z世代化する社会について深く考察され、舜津翔平氏の著書が取り上げられます。相対主義の影響や若者の主観に関する話題を通じて、現代社会が直面する問題点が議論されます。このエピソードでは、相対主義や不安ビジネスがZ世代や社会全体に与える影響について深く掘り下げられています。特に、知識を持つことが不安を乗り越える鍵であることが強調され、公読の意義についても考えられます。 Z世代の不安や相対主義について語り合い、情報と対話の重要性が強調されています。また、コロナ禍におけるインターネットの影響やリアルなコミュニケーションの価値が取り上げられています。Z世代との関わり方を問う中で、彼らが抱える多様な価値観や客観性についても議論されています。社会課題を意識しながら、自己の個性を出す重要性についても考察されています。 このエピソードでは、Z世代における社会課題や自己肯定感の捉え方についても触れ、現代のコミュニケーションのあり方や内面的な葛藤について考察が行われています。特に、自己肯定感の変化やその影響を見つめ直すことで、リスナーに新たな視点を提供しています。

Z世代化する社会の背景
はい、始まりました。余白のエクリチュール、略して余波ちゅる。今回は前回に引き続き、電波惹句のなすびさんがゲストにいらしてくださっています。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回、前回に引き続き、Z世代化する社会について語っていくんですが、前回ね、Z世代化する社会の本について、あまり詳しく、この本自体について触れなかったので、
ちょっとそれ、なすびさんに聞きたいんですが、まずこのね、なすびさんがZ世代化する社会を何で読んだか、そのきっかけとか、
あと、舜津翔平さん、著者の方と関わりがあるってことだったので、その辺をちょっとお話し聞かせていただいてもいいですか?
はい。読んだきっかけは、その、舜津翔平さんが書いたからっていうところになるんですけど、どういう関わり…
なるほど。
はい。自分が大学の時に授業をしてくれてた先生で、その時は、たぶんポス読っていう立ち位置だったのかなっていう感じで授業を受けてて、
で、その時は全然本とかも書いてたのかな、わかんないですけど、たぶん一般向けの本とか書いてらっしゃらなかったと思うんですね。
で、その後、経済学部なんですけど、自分が経済の本とかたまにちょこちょこ読むんですけど、
あの教授面白かったなと思って、あの人そういえば本書いてないのかなとか思って調べたら、
Twitterどうやらやってるらしいぞっていうのを見つけて、で、Twitterフォローしてたんですね。
面白っ。
で、ノートもやってらして、ノートがめっちゃ面白かったんですよね、船津さんのノートが。
この人文章もおもろいなと思ってたら、新書出ますみたいなツイートが流れてきて、はいはい読みます読みますと思って、
その時点で読むのは確定したんですけど、なんとその後に大学の同期が全く同じ本を、自分が編集しましたっていうのをツイートしてて、え、マジで?みたいな。
え、そうなの?
そうなんですよ。だから、これ著者が自分の学部時代に授業を受けてた先生で、編集者が僕の大学同期なんですよ。
え、めっちゃ面白い、それすごいな。
こんなん絶対読まなきゃやると思って読みました。
あ、なるほどね、それは読まないとダメですね。
あ、その編集者の友達は、自分は編集者やってるっていうのも知らなかったんで本当にびっくりして、編集者なんやっていうのも驚いたし、船津さんの本担当してんのやっていう、なんかいろんな驚きがありましたね。
そうなんだ。
面白い、それなかなか面白いですね。あんまりないタイプの。
互いの無関心と幸福
あんまりないですね。
あれだと思うけど。あ、あんまりないと。編集者って職業自体が今はそんなに大きくないと思うし、結構レアな職業だと思うから、それも面白いなと思うけど。
で、船津さんが、船津さん多分僕と同じくらいで1989年か?のあれだから、まあちょっと、2人からするとちょっと上、だからそれこそご所属とか、だからそういう感じなんでしょうね、きっとね。
なるほどね、面白いな。
そうなんだ、すごいな。
あれ、でもあれですか、経済学部、実はちなみに僕も経済学部だったんですけど、船津さんの授業はどういう授業だったんですか?
えっと。
こういう系だった?
なんか、授業の名前としては英語文献講読って一応英語、なんか経済の。
あ、全然、あ、言われとった。
じゃあこれ関係ないでしょ。
でも経済のテキストの英語のやつを読むみたいな感じだったんですけど、実際の授業なんか英語そんなに関係なくて、割とやりたいことやってるのかなみたいな感じでしたね。
なるほど。
間違ってたら怒られちゃうかもしれないので、ちゃんと英語のやつやってるわって船津さんに怒られちゃうかもしれないんですけど、結構やりたいこと自由にやってるような感じで楽しかったんですよね、授業が。
その時の感じとこの本で書かれてるものの内容っていうのはなんかリンクするとこはあるんですか?それともあんまりない?
エッセンスっていうか、一貫して言いたいことは近いなっていう感じはしていて。
そうなんだ。
なんていうか、ちょっとパッと出てこないですけど、何やろうな。
結構印象に残ってるのは、よくどういう資格が役に立ちますかっていうのを聞かれるけど、なんか普遍的に役に立つものがあるわけじゃなくて、自分が何かやりたいことがあって、それに役立てるっていう辞書があるだけで、英語やってりゃいいとか、これをやってりゃいいみたいなものはないんだよみたいなことを結構おっしゃってて。
確かにね、この本でも言ってましたね。
長い目で見て頑張ったらいいんじゃないかって。
とかですね、なんか根幹のメッセージみたいなのは割とどの本にも共通して、同じこと言ってるんじゃないかなみたいなのは感じますね。
なるほどね。
分かりますっていうか、ちょっとあれだけど。
だから多分僕らの世代でもそういうことをちゃんと言ってる人と、そうでない人は二分化されてますけど、やっぱりそういうことをちゃんとやってる人はそれなりにいる気がして、
タイタンとか三宅さんとかも近い感じだと思いますけど、そういうファスト教養的な、そういうのじゃなくて、もっとちゃんとやろうよみたいなことは。
やっぱなんか分かるんですよね。
めっちゃその感じわかるみたいな。
今聞いていて思いました。
確かに伝わってますね。
ありがとうございます。
面白い。
ありがとうございます。
じゃあそんな感じでいきますか、中身。
はい、いきましょう。
後半も3テーマ用意してるんですが、
一つ目はこの本を読んで何か自分の中で変化があったところがあれば教えてほしいなっていうのは、
それはすごく私の単純な興味なんですけど、お二人に聞きたいなって思いました。
ちなみにちょっと先に私から話すと、私はなんかこの本で書いてた2つあるんですが、
1個目はその互いに無関心が互いに幸福だよねっていうことが書かれてたんですけど、
それはといってもなんかよくないよなっていうのはすごく思いましたね。
なんか私も結構その気持ちは確かにわかるけど、
ちょっとなんか踏み込んでちょっと関わっていかないといけないっていうのは思いましたし、
あともう1つは、これすごいざっくりした私の感想に結論だけ話してるんですけど、
あともう1個はZ世代っていうかこの若い世代は、
対照性を大事にしてて頑張ってない人に対して、
自分が頑張ってない立場からは何も言えないとか、
あとは相対主義が極まってしまって、
自分のことを客観的に見すぎて主観で物を語らないみたいなことを言ってたんですよね。
それって私が人と話してる時にちょっとたまに自分の中でそれを自覚する瞬間があって、
めっちゃわかる。
そうなんだ。
その空気でちょっと発言しちゃうとか、
本当は思ってないけど、みんなの総意はこれだよねみたいな感じで話しちゃうってことがあって、
それがよくないなって、すごくなんかさっき怒らないっていうのもありましたけど、
この本の中でヨダハジュンさんが今の世代をデオドラント化している社会ってのを言ってて、
結構それ無禁状態みたいな。
それは本当によくないなっていうのを思いました。
この本の中で。
那須美さんさっきめっちゃわかるって言ったところはやっぱりめっちゃわかるんですか?
個人の主張と客観性
話聞いてたらちょっと違うかもなって思ったんですけど、
自分がめっちゃわかるって思ったのは相対主義のところで、
最近の若者は客観的に話したがるみたいな話が多分あったと思うんですけど、
自分の主張は言うけど、自分はこう思うだけで他の人はわかんないですけどねみたいなことを言っちゃうみたいな話が出てきて、
それやっちゃうし、それがあるべき姿まで思ってたところがあるんで、
そっかこれって100%正解ではないのかもっていうのは結構読んでて、
衝撃を受けたっていうか、ぐさっときましたね。
これ正解じゃないんやみたいな。
そうなんですよね。
それをなぜ私たちが正解と思ったのかっていうのがちょっと気に合ってるっていうか、なんでだろうって思うんですけど、
やっぱり社会の中でいろんなSNSとかでうまくやるやり方とかいろんなものがあふれてると思うんですよね。
そういうのを見て、とかあとは他の人のいろんな生き方を知ってるから、
何だろうな、寄り添うっていうか他者に対してそれが他の人の視点も知っていますよみたいな振る舞いをすることが、
大人というかちょっとそれは短絡的かもしれないけど、それがあるべき姿で、
客観的な視点を持つことが成熟しているみたいなことを思っていたけど、実はそうじゃないし、
それはただ何だろうな、何て言えばいいんだろう、寄り添い方を間違えているというか、
っていう気もしたし、上の人と話してて、もっと上の人は客観的な話じゃなくて、
あなたがどう思ったのかを知りたいって本当は思ってるんだな、みたいなことを実際の話で感じたっていうのもあって、
そういうふうに思いました。
なるほどな、面白いな、難しいな、なんかちょっといろいろ考えながら聞いてたから、
ちょっとうまくウインを取れてるかあれなんですけど、
なんとなく僕が今聞いていて思ったのは、やっぱだからなんか僕の雑仮説ですけど、
やっぱりゆとり世代以降から、人それぞれだし、人それぞれのことをちゃんと大事にしましょうね、みたいな、
そういうムードが多分あったのかなという感じがしていて、
だからこそ多分お二人の教育、受けた教育っていうのは、
あなたはこうだよね、あなたはこうだよね、みんな正しい、みんなOK、みたいな、
そういう感じだったのではと思うから、
そうするとやっぱりみんな私とあなたはちゃんと違うよねっていう前提を持った上で話すんだけど、
お二人は普通にちょっとこういう言い方が悪いか分からないけど、
普通に頭がいいから仕事していく上で自分のことだけを考えてちゃダメっていうのは分かっているからこそ、
客観的なっていう言葉を使って、ちょっと俯瞰的な言葉で話をするんだろうと推察するんですが、
もうちょっと言うとが、そもそも客観的なものって何なんだっけみたいなのが、
ちょっと多分今結構世代間でもよくわかんなくなっていて、
お二人が思う客観というものがこっちから見ても、
それは一体誰の何の客観で、それは正しいのかみたいなのがよくわかんなくなっちゃってる気がするんですよね。
これはどの世代もそうだけど。
そうすると結局そこに客観の意味がないから、
やっぱりお二人が個人がどう思うかっていうところに頼らざるを得なくなって、
やっぱそこが大事だよねっていうのに今回帰してる感じが僕はしますって聞いていて思いました。
伝わったかな。
そうですね。
なんか自分は個人の主張はするんですけど、
それはそれとしてみたいな感覚があったんですね。
いや、言いたいことはあるし、自分はこう思うけど、
まあでもそれはそれとして普通はこうなのかもしれないんですねみたいな流布をつけがちだったんですけど。
そういうのももういらない。
行き過ぎてたなっていうのを思いましたね。
それを全くやらんのも違うんやろうなっていう気がするんですけど、
なんかそれをゼトしすぎてたなみたいな。
まあね、そうだよね。
そうなんですよね。
まあ結局バランスとかになるんだろうなとは思うんですけど。
要はバランスになるんだけど。
まあそれって言っちゃうと何も言ってないと一緒なんで。
そうだね、そうなんですよ。
それそうなんですよ。
相対主義と社会の変化
ちょっと相対主義的すぎたのかなって最近。
なんかいろんな本読んでて、よく相対主義って言葉もにしてて、
で、文脈的にそういうのがいいとされてたけど、
行き過ぎて誰に対しても何も言えなくなっちゃってるよねみたいな文脈で出てくるのが。
そうだね、そうっすね。
いやまあ確かにそうやなっていう。
なんか何でもかんでも、まあでも人それぞれなんでっていうのも違うのかなみたいなモードになってきてます最近は。
だから。
私はまさにそうですね。
いや、そうだな。
っていう感じかな。
変化した部分、僕しゃべっちゃうと、変化した部分ってあるかな?
なんかあんまないなと思ったんだよな。
まあでも聞いていたところ、だからなんか今の話とかもそうだし、
なんか別にZがあっていう感じじゃないんだけど、
やっぱ世の中の空気感とかそういうのは、
まあ読んでいてそうだよねって思ったって感じかな。
さっきの怒られの話もそうだし今の話もそうなんですけど。
なんか。
なんかちょっと難しいけど、今の話も客観、普通はみたいな言い方はどうなんだろうみたいな話もあったけど、
これは正しいかどうか置いとくとして、僕が仕事する中で言われたことがあるのは、
お前の考えなんか聞いてねーんだよみたいな話は言われたことは普通にあり、
それはそれで正しいよねと思っていて、別に俺の考えはどうでもよくて、
仕事としてそれが成り立っているのかどうかが大事であり、
そういう意味では客観的っていう言葉が正しいのかわかんないけど、
そういう視点で物事を見なきゃダメだろうっていうのは、それはそれでやっぱり正しいと思うんですよね。
みたいなところはありつつも、やっぱりその今のさっきの話は本当に僕はそうだと思うから、
やっぱなんかそこらへんが空気感が変わってるのもあるでしょうし、
なんかやっぱり社会の仕様が変わってるのもあるでしょうしみたいなのが、
ちょっと結論はないですけど、なんかそういうのは聞いていて思いましたね。
不安ビジネスの影響
なすみさんとかあるんですか?なんか変化したところって。
変化っていうと言い過ぎかなっていう感じはするんですけど、
今の世の中は不安ビジネスがはびこってるみたいな話を聞いて、
確かにはびこってるなーみたいな。で、騙されてはいけないなーっていうのを思ったのと、
その後になんか知識があればそういう不安とか、
無知から来る不安に立ち向かえるぞみたいなようなことが書いてあって、
でなんか、自分本読む時って何かを得たいと思って読むことってあんまりなくて、
あ、面白そうって読むことが多くて。
だからこれ意味あるのかなと思いつつ、興味あるから読んでみるかっていう風に読んでたんですけど、
そういう目的のない知識とかいっぱいあっていいんだろうなって、
なんとなくそうは思ってたんですけど、本当にこれ読んでて意味があるのかなっていうのはちょっと疑問に思うところもあって、
でもなんかその知識があるからこういう不安ビジネスに対して立ち向かえるみたいなのを読んだ時に、
なんかどんな知識でもやっぱりあったら何かに役立つというか使える時はあるんだろうなと思って、
やっぱ本読むって直接的に意味なくてもいつか役立つことはあるんだろうなみたいなのは再認識できたというか、
思えたみたいなのはありますね。
今の話はめっちゃおもろいっていうか、やっぱりね、なんかこの際には世の中のマスから非常に離れてるんだろうなっていうのをなんか今聞いていて思ったけど、
普通の人は多分何かを得たくて本を読むんですよきっと。
何かを得たくて、ビジネスとかの何かに役を立たせたくて本を読むっていう人が多分多くて、
でもそれだけじゃダメだよねって言ってるのは三宅さんのなぜ旗なんだと思っていて、
なすびさんはそれを普通に実践をしているということを今聞いていて思いました。
そうですよね、そうですよね。なすびさんはやっぱり働いてても普通に本が読めてる方ですよね。
そうですね、本読む人ですね。
だから。
世の中の人はそんなことしないんですよきっと。
あんま興味ないでしょうね。
今みたいななすびさんがおっしゃられてくれたような、だから何のために本読むんだっけみたいなところで、
やっぱり意味がないと思ってしまって、本当に自分の仕事に役立たせられる具体的なhowとかそういうのの方に走ってしまう。
ファースト教養とかも近いかもしれないですけど、そっちに走ってしまう人が多い、
よし足を置いておくとして多いっていうのがやっぱり今の数勢なんだろうなという気がして、
なすびさんがさっき考えられたところまで至るのは難しいし、やっぱ体力がいっているんだろう、
体力、思考力がいっているんだろうなっていう感じがすごいするなっていう感じがするんですよね。
なるほど。
なすびさんの周りは本を読む人が多いですか?
多い方な気がしますし、一人バケモンみたいに本を読むの早いやつがいて、
自分はそんなに早くないんで、なんじゃこいつと思いながら話してますね。
そういう環境はやっぱりデカいんでしょうね。
自然とそういう人と仲良くなっているみたいなのはあるのかもしれないですね、どこかで。環境もあるかもしれないですし。
そうですね、多分両面あるんでしょうね。環境ってからそうするのもあるし、
そういうのがあるから一人一人と仲良くなるみたいなのもあるでしょうし、両面ありそうな気がします。
なすびさんの電波ジャックのディスコードの本のチャンネルが盛り上がっていてすごくいいなって思ってます。
そうなの?すごい、ちょっと僕はなすびさんのディスコードを見てないから。
じゃあ入ってくださいよ。
ぜひぜひお願いします。
じゃあ入ります。
嬉しい、もちろんです。
そうなんですね、私が読まないような本を読まれている方が結構いるから面白いなって思ってます。
確かに人によって読むジャンル違うから面白いですよね、あそこ。
小説もあれば新書みたいなのもあれば結構雑談になってて。
そうそうそう。
ちょっと専門的な本を読まれてたりとか。
はい、じゃあ次のテーマに行きたいんですけど、
次は私が持ってきたので、不安はどう移り変わっているっていうのを聞きたいなって思いました。
このZ世代化する社会の中で不安っていうのが一個キーワードになってたかなって思います。
さっき寺田さんが言ってた不安ビジネスもそうですし、
消えるブラックが消えない不安、職場の状態が改善しても不安は消えても不安は消えないみたいな話がありました。
今年は今が不安が社会を取り巻いているなっていう実感がずっとあったので、
お二人はどう考えているのかなとか、それを打開するにはどうしたらいいかなみたいなことを思いました。
ちょっと持ってきたんですけど、どうですか、この不安に対して感じることは。
不安ね、不安ね。
さっき那須部さんが言ってくれたところにすごい近いテーマだなと思ってましたけど、
そうだな、不安か。
あれもう一回、不安?
あれごめんなさい、さっき那須部さんの不安に対して何て言ってくれてましたっけ?
なんかすごい、そうではなかった気がするんだけど。
この本で書いてたことなんですけど、不安ビジネスっていうのがいっぱいはびこっていると。
で、それに対して知識を持ってたら対処できるみたいなことが書いてあって、
自分が思ったのは具体例とかで、例えば就活で新卒カードがどうのこうのとか言われてるけど、
世の中見渡してみたら、新卒で入らずに成功してる人なんていくらでもいるし、
普通に生きていけるし、
別に新卒で大企業に入らなくたってどうにでもなるんだろうなっていう知識があれば、
騙されるじゃないですけど、過度に焦らされる必要もないみたいな感じで、
知識を持っていれば不安に立ち向かえるのかなみたいなことを思いましたね。
なるほどな。不安ビジネスについてもう少し考えたいんですけど、不安ビジネスって今言った就活とかは確かにそういう感じの気もするんですが、
他にどういうのがあったりします?
本で出てきたのは広く言うと、何でしたっけ、それこそさっき出てきたデオドラントのヨナハさんの話で。
ファブリーズとかも自分が用意してるんじゃないかって思わせることで、ファブリーズを売るみたいな。
周りはこうですよ、こう思われてるかもしれないですよみたいなのを煽って、それを解消するみたいな。
なるほどね。そっかそっか、なるほどね。でもなんとなく今のしっくりきた。
そうね。難しい。
今の広告とかね、そうですよね。
でも仕事関係が多い気がしますね。何々としての共用とかも一種の不安ビジネスと言える気もしますし。
確かにね。
そうですね、確かに結局人がお金払うのってそういうとこだよねって話なのかな、今の話は。
なんかそういうところでないと、お仕勝かそういうのじゃないとお金を払ってくれないみたいな世の中になってるのかな。
なんかそれで言うと、お仕勝とかも不安ビジネスとは違うかもしれないですけど、多分これも本に出てきてて、
なんかお仕勝って一番最初に出てきたのはどっかの調査機かシンクタンクがお仕勝っていうのが流行ってるみたいな記事を出してたけど、
一番最初のレポートで出てきたお仕勝の中身って旅行とかゲームとか読書みたいな、ただの趣味やんけみたいなところから、
流行ってるらしいぞみたいな言説を流行らせて、今ではアイドルとかそういうのに体験を継ぎ込ませるみたいな。
だから一種のこれも不安ビジネスって言えると言えば言えるのかな、みんながそうしてるから自分もしないと。
なるほどね、確かに。
気持ちにさせるっていうのはなんか近い気もしましたね。
多様な生き方と不安
それはそうかもな。
やっぱなんかちょっとさっき話聞いてて思ったのを一個だけ言っておくと、だから不安ビジネスみたいなもそうだし、さっきのレオドラントみたいな話も多分そうで、
岡田斗司夫って人がホワイト化する、ホワイト化社会って言ってるんだっけな、やっぱり社会がホワイト化していく、どんどん漂白化されていくみたいなことを言ってるはずで、
やっぱだからそういう方向にはなってるんだろうなっていう感じがしますね。
それはやっぱ人の不安に対してこうすればその不安はなくなるよみたいなのをどんどんやっていくとそうなっていくんだろうなみたいなのは聞いていて、
それがいいのか悪いのかちょっとむずいですね、なんか資本主義を極めるとそうはなるんだろうなという感じはしてくるんだけど。
でもさっきから聞いていてちょっと聞きたくなったことが一個あって、なすみさんに聞きたくなったことが一個あって、
就活とか知識がないと、やっぱだからその企業に就職してみたいなものしかイメージできなくなる、知識があればもう少し他の多様な生き方があるよねみたいな話をしてもらったと思っていて、
それはそうだと思うんだけど、それこそみなさんの世代はやっぱそういう多様な生き方をさっき言ってたYouTubeとかそういうものから摂取をしているのではないかと思い、
なんかそういう多様な生き方を普通に内面化しているようにも思えたから、なんかそこでのある一面ではそういう不安は低減されているのではとかってふと思ったんですけど、
そういうのを見ている一方で、たぶんそれなりにちゃんとした大学行ってたら、やっぱ行かないと、周りの焦りとかもありますし、YouTubeとかでもそういう練習堂のコーナーみたいなやつとかめっちゃあるじゃないですか、
だから結局いろんなコンテンツがあっても、周りの環境とかに泡られてそっち見ちゃうのかなみたいなのはちょっと思いましたね。
なるほど、そうだろうな、確かにおっしゃる通り、ちょっといろいろあるかもしれないけど、ある程度ちゃんと自分で考えている人はYouTubeはYouTubeでしかないということをちゃんと自覚していて、
もう少しリアリティのあるものは、身の回りの環境とか、親とかもそうかもしれないけど、そういうところからちゃんと情報把握して考えていると、やっぱりそういう不安ビジネスみたいなところに行って、ちゃんと考えるとかそういうことになるのかなっていうふうになんとなく聞いていて思いましたが、ぽんぽんさん的にはどうですか。
私もですね、今私が持っている不安っていうのが結構インターネットの中にある不安を見て、この世の中不安なんだみたいなことを思ってたなっていうのはすごいわかるんですよね。
それが一番強かったのはコロナのときだったんですけど、周りで話し出る人もいなくて、インターネットがもうこの世界だったんですね、そのときって。
なるほどね。
でも、今はちょっと変わってきていて、那須美さんが言っていた不安に打ち勝つのが知識っていうのはすごく思うんですけど、私でいうとその知識っていうのが私は本でもあるんですけど、人と話すことで、その人と話すっていうのは実際に自分の身の回りの人と話すこと。
で、この人、インターネットではないその人の生身の生活があって、その人の感じた思いがあってっていうのを、その一対一の目の前の人と話すことがすごい大事で、私の中ではその不安の打破の方法っていうのはすごくわかります。
なるほど。
話してるだけで課題は解決しないけど、自分の、なんか喋ってるだけで自分の心は解決するんですよね、っていうのはすごく思います。
なるほどね、面白い。
でも、そういう意味では那須美さんもそうなんじゃないですか。だからきっとポッドキャストだとめっちゃ雑談してるんですよね。
そうですね、はい。
自分は人と会話するのめっちゃ好きですし、なんか今の話に関連して言うと、知識を持つことで余裕が生まれることで不安に打ち勝てるみたいなことが本に書いてた気がしてて、その余裕っていう部分で言うと人と会話する、生身の人と会話するっていうのはかなり大きいかなっていう気がしましたね。
そうですね。
なんかその自分がこの不安って思ってることをそのままなんか、誰にも言わない状態で、しかもなんか言いたいこととか見ちゃうと、やっぱなんか不安なんだって思い込んじゃうっていうのもあるけど、なんかその人と話してると、それってなんか全然、なんか自分は全然こう思うけどねみたいな感じで、
その一言がすごくなんかね、支えになるというか、気持ちが明るくなるみたいなっていうことはすごくありますね。本当に大事だなって思います。
この中で言ってたのが、信頼にも不安にも根拠がないっていうのはすごく私は発動したんですよね。
コミュニケーションの重要性
なるほど、確かにそれはそうかも。
そうなんですよ。なんかどこかに正解が、どこかになんか今よりいい場所があるんじゃないかとか、その情報がありすぎて、自分の想像で考えちゃうけど、別にそのどこがある確証はなくて、なんかその自分の中で不安を増大させていっているっていうのはあるのかなって、私があるなんて思いました。
そうだろうな。インターネットっていうのはデカいんだろうな。ちょっと世代で多分語れないんですけど、僕はインターネットというものにちゃんと触れるようになったのって、やっぱ柄系とかだとインターネットには触れづらかったわけですよ。
一応ブラウザーみたいのはあったけど、さっき言ったパケットみたいのもあったし、そこまでインターネットどっぷりみたいな感じじゃなかった。
人には言われると思うんですけど、ギークみたいな人は多分もう学生時代からだったんでしょうけど、僕はあんまりそういう感じでもなかったんで、それこそ大学ぐらい、ツイッターが普及した時ぐらいからインターネットに触れるようになったっていう感じなんですけど、お二人はもう本当に物心ついた時ぐらいから下手したらインターネットがもうほとんど身近にあるっていう存在なんだとすると、やっぱまぁなんかちょっと感覚が違うっていうか、やっぱそのインターネットの中が世界だみたいな感じは、
僕よりもあるんだろうなという感じがなんか聞いていてしましたね。
とはいえ、今なんかもうもはやネットの話を現実ですることはほぼ不可能、不可能だと僕は思ってますけど、あまりにも話が合わなすぎて。
え、それどういうことですか?ちょっと気になりました。
ネットで流行ってることとか?
そうそう、インターネット、僕が見ているインターネットの情報を、なんだろうな、ちょっと二人は違うかもしれないけど、僕はインターネットの人格とか、インターネットで関わる人とリアルで関わる人っていうのが完全に分断されてるんですよね。
とした時に、リアルの、例えば会社の動機とか、会社の動機とかとそのインターネットとTwitterのXとかで、僕が普段してるような話、もしくは見聞きするような話をするってことは、ほぼゼロに近いわけです。
しても全く話が噛み合わない。
だから、動機とかと話すときは、僕は会社辞めちゃったんであれですけど、今の会社がどういう話でとか、先輩がどうこうでみたいな、そういう話とか。
この間飲み会したときは、もう世代的に家の話ばっかりしてましたけど、家をいくらで買うとか、そういう話ばっかりしてるわけですけど、だから本当に会話のテーマが分かんないっていうか、ネットとリアルと全然違うっていう感じですね。
そうなんや。え、それってちょっと気になったんですけど、いいですか。それどっちの方がより本当の自分とか、どっちの方が楽しいとかってあったりするんですか。
本当という言葉を使うのが適切かわかんないですけど、もちろんネットとかの方が自分の興味関心をより深めてるっていう感じは確実にあります。
ただ、社会と接続をちゃんとしているのはやっぱりリアルの方で話してる感じかなと思っていて、やっぱりマス、世の中のマスのこの世代は、そんなネットの炎上なんかよりも、今目の前の家をいつ買う、いくらで買うとか、そういうことばっかり考えてるんですよ。
やっぱりとって、これも一緒のサンプルですけどね。4人で飲んで、1人は家を買った。1人はちょっと前に家を買った。1人は結構最近家を買った。1人は家を親族から相続してリフォームをする。
で、僕は家を買おうかちょっと考えてるみたいな。みんな結局家の話をちょっと違うから考えるみたいな、なんかそういう感じなんで。ちょっと世代的にはそんな感じ。一般は、これも正しいかわかんないけど、なんかそうなんじゃないかなと。本の話とかする余裕ないですよ、正直。目の前の生活の話になるんだろうなって感じがする。
それはなんか、マジで世代が違うからそうなのか、私たちも昭和さんの世代になったら、年代になったらそうなるのかはちょっとわかんないですね。どうなんだろう。
インターネットとリアルの分断
それはね、それはわかんない。ちょっとこれは完全に個人差かもしれないし、ちょっとあれだけど。でもお二人はあれなんですか。やっぱりネットでの人格ないし話すこととリアルで話すことはある程度リンクしてる感じがあるんですか。
いや別にリンクはしてないんですけど、人格はリンクしてないんですけど、ただその後輩と話すときにネットで話題になった話が通じるっていうのは普通にあります。だからなんか全然。
例えば、例えばどういうんですか。
例えば、すっごいちっちゃい話なんですけど、この前ツイッターでサブウェイがすごくメニュー選ぶの困るみたいな、ありすぎて困るみたいな話があって、後輩とサブウェイちょうど行ったときに、この前話題あったよねみたいな。
で、なんかいろいろあるから楽しいねみたいな話になった。なんか全然引きになれなんですけど。
いや全然、でもそれは話題になったっていうので、確かにそうですねみたいな感じの空気になるとか。
そうなんですよ。だからなんかそう、同じ人がネットの同じ話題を見てるんだなみたいなのは感じた。
俺そんな研究一回もないわ。マジで。
でもしょうごさんがオススメなのを見てないからっていうのもあるかも。もうしょうごさんにされてきた情報が。
それもあるかもだけど。
なすびさんもあります?
まあそうですね、ネットの話題っていうよりももっと狭い話題で、自分は同僚と話すことが多いんですけど、コンサル界隈のなんか怪しいコンサルの話とか。
それ面白そうだ。
またこいつ嘘ついてるぞみたいな。とか、あとは株とか結構好きなんで、株が厚いとか暴落した話とか、ニデックの不正会計の話とかします。
ニデックとかね。
そうなんだ。これ完全に俺の問題かもしれない。だからそもそも仕事、今の職場とかで雑談をするみたいなことはほとんどないし、あんましようとしないからっていうのはあるかも。
なるほどなるほど。
仕事とプライベートが分かれてるみたいなノリで、ネットとプライベートが分かれてるみたいな感じなんですかね。
その言い方は結構そうかもしれない。
なんかちょっとずれちゃうんですけど、すいません。自分結構どのコミュニティでも割と同じキャラクターっていうか、あんまり差分がないんですよね。
気になってた。
で、結構人によっては、コミュニティによってちょっとキャラの違いがあるみたいな子が多くて、そういう子って違うコミュニティ、自分とだから、自分が入ってるAコミュニティとBコミュニティの知り合いが一同に対するのを結構嫌がる、ずれが生じちゃうからっていう子が結構多くて、
自分はそうじゃないから、もう全部ひとまとめにしたいんですよね。ひとまとめにするほうが楽、全員やってくれるほうが楽しい。
だからそれをしたくて、電波ジャック、ディスコードを作って、自分の帝国を作り上げようとしてるっていうのがあるんですけど。
なんか話聞いてて、しょうごさんは結構人文主義とか言いますけど、結構いろんなところでキャラが違う人なのかなって聞いてて思いました。
どうでしょうね。世界99みたいな話もちょっと思い出しましたけど、僕の感覚は、まずは比較的コミュニティによって人格が分かれる。
だからSNSの、僕はSNSのアカウント1個しか持ってないですけど、SNSのアカウントも複数持つみたいなのもあるみたいなのをよく見聞きするから、
そういう人は多いんじゃないかなっていうのがまず前提の話で、僕自身は、なんかちょっと相反する気もするけど、
別にコミュニティによって人格を変えているつもりはあんまりない。人格を変えてるつもりはないんだけど、話しているトピックは全然違うと思う。
スタンスとかそういうのは結構どこでも共通してる気がするなぁ。別に自分、なんかあえてちょっと言っていくと、自分からめっちゃいろいろ話していくタイプではないけど、
そこに少し話に肉付けをしていったりとか、ツッコミを入れたりとか、そういうのが多分僕の比較的なスタンスで、そういうのは別にコミュニティによって違うとかはあんまないかも。
どこでも同じかも。逆にそうじゃないと多分、僕がすごいしんどくなっちゃうから、そのコミュニティにいない気がする。
何だろうな。
それは、何だろう。それもSNSの使い方とか関係あるのかな。アカウント運用とか。
いや、分かんない。
SNSにおける自己表現
でもそうか。僕は、僕のアカウントの特色をあえて言うとすれば、あの一つのアカウントの中で全ての話をするタイプだと思っていて、あんまりそれって多分SNS運用としては良くないと思うんですよ。
分かりづらくなるから。別に目的があるかどうかは別として。でもそれは僕らしさを表してるかもしれないですね。スタンスとしては結構一貫してるけど、話はすごいばらついてるみたいな感じはあるかも。
確かにいろんな話をしてる。
ぽんぷさんはどうなんですか?
私は結構変わるタイプかなと思ってて、私SNSのアカウントはいくつか持ってるんですよ。
推しがいて、それ用のアカウントとか。それが結構日常でも出てるのかもしれない。場合によって人を変えるとか。あるかもしれないと思いましたね。
どう変えてるとかって例あります?
どう変えてる?
無意識なのかな?
無意識ですね、多分。
多分無意識だし、場合によって変えてるとか人によって変えてるとかいうのはすごくありますね。
これがあんまり良くないのかなと思ったりして、さっきの客観的に見過ぎてるのもありますけど、
自分の自己を持っていて、どこでも変わらない自分でいたほうがいいのかなと思ったりもしますけど。
分かんないな。
僕はぽんぷさんのこと全然知らないので、超適当なことをあえて言いますけど。
僕が今までぽんぷさんと接してくる中では、確かに表面上はコミュニティとかによって変えてる気もするが、さっきのラディカル話もありますけど、
結構芯が強いから、周りから見たら、やっぱりこの人はこの人らしさみたいなのが出ているのでは?みたいなことは聞いていたような思いましたけど。
確かに。
分かんないけど。自認がないっていうだけで。
多分そこを客観的に見れてないんだと思いますね、私は。
見る必要があるのかっていう話はあると思うから、別にいいと思うけど。
いついない気がしますね。
なんかそんな気がしましたけど。
そうそうね、そうですよね。確かに芯は強い自覚があるから、多分それで私変えちゃってるんですよね、人によって。
自分で言ったら、うまくいかないよねとか、分かるので、寄せにいっちゃうってところはあるんですよね。
よくよくないのかなとか思ったりしますね。
いいんじゃないかなと思いますけど。
Z世代とのインターンシップ
じゃあ最後の方いきますか。
はい、いきましょう。最後ですが、私Z世代との関わり方、ちょっと考えてみようみたいな話を持ってきたんですが、
私が実際前半でも話したんですけど、大学生のインターンシップとかメンターとかでZ世代と関わることがあります。
で、その時に結構ね、さっき前半で話した二極化っていうのを感じてます。
やる気がない子も、やる気がないというか、多様性の中で育てられすぎた子もいれば、
周りもちゃんと見えていて、それこそ客観的な視点を持っている子がいるんですが、
そういう子に対してどうやって接したらいいのかなっていうのがあって、
多様性の中で育てられてきた子、そうなんですけど、私の関心としては、
自分がそうだのもあるかもしれないけど、客観的に自分を見ている子をどうしたらいいのかなと思っていて、
一個具体例があるんですけど、私インターンをやった時に、
うちの会社で3Dモニターとかを買っているんですけど、
これを使って、何でもいいからアイデアを出してみてみたいなことをプレストみたいにさせたんですよね。
その時に、一つのグループですごく活発な意見を出してくれている子がいて、
その子すごくゲームが好きで、いろんなゲームの自分が知っている技術とか、
あとは実際自分がおとぎを作ったから、それを活用したりとか、
すごい。
街作りのゲームをやっているから、それを3Dモニターと関連させてできないかとか、
いろいろハード系と組み合わせられないかみたいな、すごくいろいろいいアイデアを出していたんですよ。
いいねって言っていたんですけど、実際それをみんなの前で発表してねって言った時に、
発表したアイデアがすごく、これを使って災害をハザードマップとかと連携させて、
災害を防ぐような、未然に防ぐようなアイデアを考えましたみたいな感じで、
出てきたアイデアがすごくいい子というか、社会の課題を解決するんだという認識を持ってやってくれて、
それ自体はすごくよかったんですけど、私はもうちょっとすごく面白いものを持っていて、
個性というか尖りみたいなものを持っていたので、それをもうちょっと出してほしかったんですけど、
実際アイデアとして、ファンとして発表してもらった時に、すごく考えすぎているというか、
客観的というか大人びった視点で持ってきたということがあったんですよね。
だからもうちょっとその子に対して、あなたはもっと自分のありのままでというか、
もっと個性を出していいんだよみたいなことを言いたいんですが、どういうふうにそれを伝えたらいいか分からなくて、
私も社会の課題とすごく接続できていいんだよみたいなことを褒めをしてしまって、
ちょっと仲良くなかったなみたいなことを思ったんですが。
社会課題と個性のバランス
二つ聞いてもいいですか?今の話で。
一個は今の話は複数人で議論をして最後アイデアを出しましょうというテーマであって、
その中の一人がすごい面白いものを持っていたけど、その議論をする中でそれが削れていって最終的には、
社会課題みたいなのになりましたっていう話?
そうですね。その4人いて、2人ぐらいはすごく面白いアイデアを持っていたんですが、
3人、4人半になった時にそういう話題になっちゃった。
じゃあもう一個質問で、その尖がりが面白いと言っているのはPOMさんだけ、それとも他の人も面白いと言っている?
他の人も面白いと言っている。
私だと一人だけだったんですけど、その社員がそこにいた。
なるほどね。
僕から今の話の感想、一旦感想を言うと、だからむずいなと思うのは、やっぱり
まずもってある程度客観性がある人は、そういう仕事の場では社会課題みたいなものが評価されるっていうのはかなり内面化されている気がするから、
そっちに行くのはそうだろうなという気もするし、今POMさんだけが評価したのって聞いたのは、やっぱりPOMさんとか、僕とかはそういうのを評価すると思いますけど、
会社としてそれを評価するかどうかわかんないなと思っていて、やっぱり会社としては社会課題みたいなことを評価する可能性があるから、
そこが今難しいなって聞いていて思ったんですよね。
そうですね。
那須美さんはどう思いました?
はい、自分とかはそういう会社にとってどうみたいな責任感は結構薄い方で、自分がいいと思ったらもうそれがいいんじゃないかって思うタイプなんで、
だから自分がPOMさんの立場だったら、これ自分のコミュニケーションの取り方でよくやるのは結構素直に言うっていうのをするんですけど、
その子に、え、正直これ寄せに行ったよなみたいな。寄せに行ってないみたいな。
そうです。
いや正直寄せちゃったんですよねって来たら、さっきの音ゲーのやつとかめっちゃよかったからそれやればよかったのにみたいな話をすると思いますね。
それで、もしほんまにいやマジでこっちがいいと思ったんですよねと思ったら、俺はなんかもっと前のアイディアの方がよかったと思うけどねみたいな話をすると思います。
なるほどね。
あーそう、そっか。
めっちゃこれは良いアイディアだな、それは。
いいアイディア。
そう、そうっすね。
今度から行かそうって思って。
僕も聞いていて思いますし、なすみさんの言う通りだなと今聞いていて思いましたけど、結局なぜそうなったのかが多分大事な気がするんですよね。
だから普通に率直に多分おっしゃられた通り、本当にそれが良いと思ったのか、そうじゃないんだけど何かしらの力学でそうなったのかとかによって多分フィードバックの仕方が変わると思うので、
そこを深掘ってあげた方がいい気がするし、やっぱりだからなんかちょっともう少し話しちゃうと、もう本当に人それぞれに良くも悪くもなったんだと思うので、やっぱりその人に合ったやり方を考えるしかないと思います。
それを全員分なんてできるわけないから、その中で自分が気になった子に対してはその背景とかちゃんと深掘ってあげた上で、自分ポムさん自身がどう思ったのかっていうことをちゃんとフィードバックしてあげるっていうのが一番現実的かつ良さそうなコミュニケーションと思いますけどね。
今聞いてて思ったんですけど、ポムさんがその子に対して社会性を内面化しているのに対してもっとやりたいようにやればいいのになって思ったっていう話ですよね、これ。
でもそのポムさんがその子に対して社会性のある褒め言葉をしているのが面白いなと思いましたね。
いやそう、ほんとそうなんですよ。めっちゃ思ったんですよ、私。今ほんとそうそれ思って。
だからそのなすみさんが、なすみさんは率直に言うって言った時にほんとそうだなって思ったんですよ。
多分私も、これなんか自分の矛盾なのかわかんないんですけど、私もなんか内面化してしまっていいんですよ、過度に。
で、それはなんかいいことだね、多分私も個性を重視するっていうのも大事だと思ってるし、
社会的な問題接続も大事だと思っていて、でなんかその時にその相手が社会的な問題について持ってきた時に私はそれに対して肯定をしちゃったんですが、
そりゃ何なんでしょうね、よくないなって思ったんですけど。
今聞いてて思ったのは、なんか自分はそもそもそういう言語っていうか優等生的な答えをそもそもそんなに良いと思ってないっていうのはあるかもしれないです。
だからその褒めることが嘘になっちゃうっていうか、そういう災害に生かすみたいなのって結構テンプレやなって思うんですよね。
それってみんな思いつくから、なんか特に褒められたものではないっていうか。
素直に音ゲーと連携させるとかでしたっけ、なんかそのゲームと連携させるの方がシンプルに良いと思うから、シンプルに褒めるみたいな、なんかそうなる気がしました。
このZ世代化する社会って本読んだ時に、Z世代は上の人が作ってるっていうのがあったんですよね。
上の人がレールを引いて、下の子がそれに沿って行けばいいみたいな考えになっちゃうとか、
で、怒らない話もそうですけど、なんかね、これ今の時にその時のなんか私の体験とリンクして、
なんかその、なんだろう、客観的に見ちゃうとかっていうのは、やっぱなんか私のようなその上の世代がそれをなんか良しとしちゃうとか、それいいねとか言っちゃうっていうのはあるなって思って、
そこでなんか私自身も、なんかそれに加担しちゃってるんだなってすごい気づいたんですよ。
で、うわって思ったんですよ。
だから、なんか今のその話を聞いて、私もそこめっちゃ反省点というか、なんかそうなんですよね。
真面目っすね。
いや、めっちゃポムさんっぽいなと思って。
だから多分、僕もナスビさん寄りで、僕多分ナスビさんは結構アナーキーだから、なんかそういうのに担当してくる。
むしろ、社会が良しとするものは良しとせず、俺が良いと思うのを良いとするのだみたいなのがあるから、多分そういう感じなんだけど、ポムさんはもう少し社会寄りだったりもするから、なんかそういう感じなんだろうなって感じがする。
面白い、そうですよね。
社会課題と自己認識
いや、なんかめっちゃありがとうございます、なんかその視点をくれて。
それは意識すればできるものなのかどうかちょっとよくわかんないですけどね、難しいっていうか。
確かに。
そうですよね。
でも、ちょっと考え、改めるきっかけになりました。
今、ぶっちゃけ言うと、だからそれもすげえテンプレっぽいんですよ、正直。
その感じも、なんかね。
なんかね、多分そんな簡単にできるものじゃないと思うんだよなと思って、多分ね、結構難しいんだよな、これっていうのは。
僕とかは、なんかね、自分が受けて嫌だと思ったことは人にしないみたいなことを、特に社会人になってからすごく感じた感じっていうか、自分の中で刻んだことはあるから、
そういうので、別に自分が褒められて嬉しくなかったことは他の人にはしないみたいなとか、
そういうのはすごく意識するようになってるんですよね。
さっきの話も多分そうで、僕別に、そんな社会課題みたいなの出してそれで褒められても全然一ミリも嬉しくないから、
そういうのじゃない方向に行こうっていうのが、多分結構積み重ねられたものがあるからこういう考え方ができてるんだと思うんですけど、
やっぱなんかね、そういうところで何かをちゃんと積み重ねていかないとできるものじゃない気もする。
なすみさんはもしかしたらちょっと違うかもしれないけど。
うんうんうん。
自分はなんか積み重ね来たっていうか、思ったままやってるだけなんで。
むしろ逆に。
ちょっと感性タイプな気がする。
社会課題を褒めるのが正しいって言われても、いやー、うーんみたいな、それで悩んじゃうかもしれないですね。
いや、ほんまかみたいな。
上の人にこれが正しいから、これを褒めてくださいって言われても、うーん、うーんみたいな気持ちになっちゃう気がしますね。
それは何がそうされてるんでしょうね。
何ですかね。
それはやっぱり、環境とか教育とかそういうのはデカいと思いますよ、かなり。
正確な気がしますね。
そういうのとかね。
別にポムさんのその感じが悪いとは全然一味思わないから、それを変えなければみたいな方になる方が僕はちょっと違和感があるんですけどね。
それはそれとした時に、なんかもうちょっと違うあり方を考える方が、なんか少し健康的な気がするっていうか。
そうか。
聞いててなんかその、外部環境に強制されてるんじゃなくて、ポムさんがなんか変えようと思ってるのであれば、なんか変わって、ここでハッとしたんだったら、それをきっかけにちょっとずつ変わっていったりはするのかなと思います。
それが正しいかどうかは別として。
そりゃそうか、そうかそうか。
自己肯定感の変化
そうですね。
なんか目の前の人、それでいいんだよっていうのを肯定しちゃうっていうのがあるんですよね。
それがやっぱり本当にそれでいいのかっていうのはまた別問題としてあるなと思いましたね。
なるほどな。
それは難しい、難しいですね。
言いたいことはなんとなく今わかった。
その人のありのままを固定するみたいなのが結構強くあるっていうことなのかなと思いました。
それがね、それで、それこその私の行為だったんですけど、出てきたものに対していいよっていう。
なるほど。
私もなんか今のありのままでいいよねっていう、今言説があるじゃないですか。
音楽もそうですけど。
昔は今の自己肯定感と昔の自己肯定感でちょっと違うなって思ってて、
さっきその天然体の話したときに思ったのが、
ホンダケース系的な自己肯定感っていうのは何かを成して、権力と富を得て、
やってきたことに対しての自己肯定をする姿勢だと思うんですけど、
今のその自己肯定感って、何かを成した上での自己肯定じゃなくて、
ありのままの自分を認めてほしいとか、認めようねみたいな動きだと思うんですよね。
それを私が結構内面化しちゃってるのはあるのかなって思いました。
ちょっと振り返ってみて。
いやでも、なんとなく僕はしっくり、しっくり来る。
しっくり来るし、そうだろうという気はする。
はい、なんかちょっと長くなっちゃいますけど、
喋っていいですか?
どうぞどうぞ。
全然喋ってください。
そう、自分がゼトしてるのは、嘘をつかないっていうのを結構ゼトしていて、
なんかひっちゃばんというか表面上のコミュニケーションがあんまり好きじゃないんですよね。
だからなんかその自分の心情にのっとって発言をしているだけなのかなって思いました。
ポムさんも自分も。
うんうん。
そうそうそう、だからそこはそんな気がする。
そこは別にね、たぶん違いがない。やっぱり。
そこはそう、なんか違いがないんだけど、
私はやっぱもうちょっとなんか、自分の気持ちよりも相手のありのままであることを優先しちゃうみたいな。
じゃあなんか、心の奥底よりも理性が追いかぶさってるみたいなことなんですか?
そう。
そうあるべきだみたいな。
そんな感じかもしれない。
だからコンフリクトしてるんですね。なんか本音と理性が。
めっちゃそうなんですよ。
なるほどな。
コンフリクトしては。
で、悩んでるんですね。
はい、悩んでおります。
私の内緒の時間になっちまった。
そうなんですよ、まさに。
確かにね、それ言ってたらちょっときついかもしれないですね。
なすりさんはよくテントジャックでもそう、言われててそうなんですよ。
よくなすりさんは本当に自分の本音を語るっていうのを言われてる印象はすごくあって。
やっぱそうだよなっていうと、やっぱなんかまたさっきの私。
いや、禁止すぎですよ。別に思ったら言っていいんじゃないですか。
いや、面白い。面白いですね。面白いって言ってられるかもしれないけど。
でも、わかんない。ちょっとこういう言い方するのもあるかもしれないけど。
現代よくある悩みなんじゃないですかって、なんかきっと。
それ悩んでる人結構いっぱい言いそうな気がする。
確かに。
ある種、やっぱある程度は、なんだ、ちゃんと自分で考えられて、
頭が回る人は、なんかそういう方向に行くケースなんかすごいありそうだなって聞いていて思った。
余白の重要性
ちょっと見つけていきたいですね、自分のいい感じの。
いやだから、ぜひ、ぽんさんに対するアドバイス、知った激励を、いろんなところでお便りを募集し。
待っております。
ぽんさんの悩みに対してのご意見、ぜひ募集しますという感じで、じゃあこの回終わりますか。
はい、終わりましょう。めちゃくちゃいい時間だったと思います。ありがとうございます。
ぽんさんは、あれを選ぶんですか。
私からはもう、あ、そうです。
なすびさん、この余白中ルールではですね、ゲストに来てくださった方に、あなたにとっての余白って何ですかっていうのを聞くことにしています。
なすびさんにとっての余白って何だろうっていうのを教えてください。
はい、えっと、自分にとって余白はセレンディピティなんじゃないかと思っていて。
おお、かっこいい。
ちょっと調子乗りましたけど、なんか自分の中で、余白って、なんかさっきちょっと話したんですけど、
どこで生きるかわからない知識みたいなのが余白なのかなっていう認識がちょっとあって、
本とか読んでて、別に直接すぐ何かに役立つわけじゃないんですけど、
なんかそういう知識あるのかっこいいと思ってるし、なんかどっかで役に立つんだろうなみたいなのを思ってるんですね。
で、なんかそういうのが、全く予想しないところで何かにひも付いたりするときって楽しいし、なんか勉強していってよかったなと思うし。
でもそれって必ず役立つとか、どっかでひも付くってわかってるわけじゃないっていう意味で言うと、余白なのかなと思ってて。
その意味でセレンディピティなんじゃないかなと思っています。
いいですね。それは本当に、なんかそう…
セレンディピティっていう言葉は僕もいいですね。いいアイドル。
いいですね。なんか目的ありきで、なんかその本を読んだり情報摂取するんじゃなくて、
なんかそのふとした出会いとかで、これ面白そうだなって思って、読んだときの、すごくわかります。
すごくいい、なんか豊かな時間ですよね。そういうものに触れるって。
本当にそう思います。
ちょっと言論人の真似事をしてみました。
はい。
いいじゃないですか。
ちゃんと分析したら、全く意味わかんないこと言ってると思うんですけど、なんかそれっぽさがあるかなと思って。
大事ですよ。そういうのが大事。それっぽいことをしっかり。
ありがとうございます。
はい。じゃあこんな感じですか。
はい。ありがとうございます。
2回にわたっていろいろと話せてよかった。
楽しかったです。
ということで今回はここまでです。
ありがとうございます。
よはちゅるではレスポートに行って2人の補足の感想を書いていたり、エピソードの中に出てきた参考リンクを載せたりするので、ぜひお気軽に覗いてみてください。
あれですか、那須美さんのディスコードに入りたい人は那須美さんに連絡をするのがいいですかね。
はい、じゃんじゃん、ご応募待ってるので、ぜひご連絡ください。
待ってます。
はい。
じゃあお好きな場所であなたの感想も聞けると嬉しいです。
Xではハッシュタグはひらがなよはちゅる、Googleホームでもお答えを募集しています。
そちらとデスコードと合わせて概要欄にURLを掲載していますので、ぜひお待ちしています。
いろいろご意見、ご感想いただければと思いますのでよろしくお願いします。
ぜひぜひ。
ではここまでお聞きいただきありがとうございました。
次回もぜひお会いしましょう。さようなら。
ありがとうございます。
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