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2025-03-10 33:27

#17-2 ゲスト・ファシリテーター / 長谷部 可奈さん【読書のまにまに】

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ファシリテーターの長谷部 可奈さんをゲストに迎えて、トークセッション。腸内細菌の研究・プログラマー・プロジェクトマネジメントなど現在に至るまで様々な領域で取り組まれてきたことを統合しながら探求を続ける長谷部 可奈さんの人生とその時々に在った本たちについて話していきます。

 

【今回のゲスト】
ファシリテーター / 長谷部 可奈さん
生業は今のところファシリテーター。現在は、株式会社コパイロツトでプロジェクトマネージャーとして勤務するかたわら、一般社団法人アクティブ・ブック・ダイアローグ協会のディレクター、フリーランスのファシリテーターとして活動中。活動領域は広いが、全て<システム(系)>と<プロセス>に関連するもので、自身の中では区別がない。チームコーチ、コーチとして修業中。そのほか、学び、身体性、場づくりといった言葉にも反応する。


子どもの頃から自然を身近に育ち、学生時代は馬術部に所属。大学で動物の腸内細菌を研究した後、IT企業にプログラマー/SEを経てPM職として計18年勤務。現在は株式会社コパイロツトでクライアントのプロジェクト推進支援にあたるかたわら、組織の最小単位ともいえる”プロジェクト”に向き合い、自律するプロジェクトや関係性に目を向けたプロジェクトマネジメントを探求している。
個人としては2019年からフリーランスのファシリテーターとして活動。初めて参加したアクティブ・ブック・ダイアローグ(ABD)で、本からの知識吸収にとどまらない「対話から立ち上がる学びの場」に魅了され、以来、広げようABDの輪!を掛け声に個人でABDを開催するほか、企業内での開催も支援している。
日々の営みを通して、一人ひとりの「ちがい」が個性として力を放ち、それがエネルギーになる群れ(共同体、組織)の在り方を探究している。
 

【登場した本】
coming soon!!!

サマリー

長谷部可奈さんは自己理解やセルフデベロップメントに関する読書体験について話し、特に読書が他者との対話や発見の喜びをもたらすことに焦点を当てています。また、ビジネス書の独特な読み方に気づくことで、著者との対話を意識した新たな解釈を得る重要性を強調しています。長谷部さんは、著者の語りを聞きながら本を読む感覚や自身の書くことへの向き合い方についても述べています。さらに、読書体験における意識の変化や他者とのコミュニケーションの重要性にも触れています。長谷部可奈さんは本との向き合い方についての価値観を深掘りし、自身の読書のスタイルを見つめ直す様子が描かれています。リスナーには本や書くことの探索を楽しむことを勧めています。

セルフデベロップメントの探求
そっかー、なるほどねー。いやでも、あれだな、なんか可奈さん、やっぱり読んでるのって、あ、そっちなんだな、みたいなことを今聞きながらすごい思っていて、そっかー。
ちなみに、なんか今のときにして、ちょっとふと聞きたくなっちゃったんですけど、可奈さんご自身として、システムとか生態系とか意識向けてるときに、
今なのかこれまで数年間の中しかわかんないけど、可奈さんの中にどんな問いがあるのかすごい興味があって、
どんな問いをときに行こうとしてるのかというか、そういう気になっていることって何なのかなー、みたいなことをもっと聞きたくなっちゃったんですよね。
なるほど。問いね。問いは特にないですよ。
そう、なんかそれ結構自分が前はコンプレックスに思ってたんですけど、私批判的思考が得意ではなくて、あんまり問いは立たないですね、自分の中に。
で、何に興味があるかっていうと、このセルフデベロップメント、自己能力開発みたいなところとか、自己理解にすごく興味があるんですよね。
自分自身が学ぶこと、学ぶって勉強だけじゃなくて、経験を積むみたいなところも含めて学ぶことによって、新しいことができるようになっていくとか、そういうのが好きなんですね。
発見していく、これってこうなんだ、みたいな発見の喜び取り分ですね、進んでいるのは。
なるほどね。
そうそう、自分の内側を覗いて発見するのが楽しくて、それによって目の前の現実の意味付けが変わってくるっていう体験をすごくしているので、それをお裾分けしたいし、
なんか、見え方ってそんなに一義的じゃないよっていうのを伝えていきたいみたいな。
発見の喜びを共有する
発見していく喜びって聞いて、すごくニヤッとしちゃったんですよ。確かにKanaさんのFacebookの投稿とか見てて、本当そうだなと思って。
Kanaさんめっちゃ嬉しいんだろうなみたいな、っていう感じがすごいして。
でもやっぱり僕だって、ほら、リジネラティブリーダーシップの本のやつとか、Kanaさんが投稿しなかったら、多分僕、みじんもれたもん言ってないと思うし。
はい。
多分、比較的どっちか興味ある領域だから、本を売ってたことを認知したら、なんか買ってみようかなって思ったかもしれないけど、
あのタイミングで認知して行ってみようって思ったのが、やっぱりKanaさんの発見する喜び感がすごい滲み出てて、なんかいいなってすごい思ったから。
ありがとうございます。めっちゃ嬉しい。
なるほどな。
幸せで喜びか。めっちゃいいな。
あんまりなんか、頭で思考を深めていく。
はいはいはい。
こうなんか、一個の領域を突き詰めて専門家になるっていうのは、あんまり私に向いてない、性に合ってないみたいで。
はいはいはい。
なんかその発見を分かち合って、分かち合って、こう誰かと一緒に喜ぶみたいなことが割と重要で、
あー。
考えるよりもやるほうが好きなんですよね、何かを。
なるほどね。
体を動かすほうが好きで、自分の子供の時からこう外で遊んだりするのが好きだった。
登れない木はないみたいな、木登りするみたいな感じだったので。
うんうん。
こう体を動かす喜びとか、身体性が自分の中では割と大事なポイントで、なんかをやって、やって分かるっていうのがすごく楽しいですよね。
だから最初に問いがあって、なんかそれをこう色んな本読んであんまり深めていくとか、
うんうん。
こう一個のものを突き詰めていくっていうよりは、あっちに行きこっちに行き、でこうシステムとかが好きだから、
これとこれって一緒じゃない?とか、
ここ繋がるじゃんね、みたいなのとか。
はいはいはい。
そういう、そういうのが楽しい。
でこう仕組みがこうちょっとずつ見えてくると、
こんなに繋がってた、みたいな。
いやー、それ見つけて一人ごと言ってそうですもんね。
そうですね。
すごいな。
だいたい一人ごとに留まらなくて、聞いてくれる?みたいな。
ああ、そっかそっかそっか。
そうか、じゃあなんかあの、かなさんにとってその本を読むみたいなのって、
読むって比較的、なんか一人におけるまさにさっきで言う政策的というか、
一人で何か深めていく系の動詞っぽく見えるような部分もあるような気もしていたんです、僕は勝手に。
はい。
かなさん的にはそういうなんか、何でしょう、一人で何かそういうふうにしていくとか、
なんかどっちかというとその、読むということが感じる、受け取る、考える的ななんかものというよりかどっちかっていうと、
もっと動いていく系の動詞に読むっていう動詞が分類されてるのかな、みたいなことをちょっと今聞きながら思ったりしましたね。
そうですね。なんか読むというよりは、なんか目の前の現実を解釈するのが必要だから摂取してる。
なるほど。
だから眼鏡を、いろんなレンズの眼鏡をかけて見るみたいな感じに近くて。
だからあまりこの書いてあることそのもの、調査員の方が怒られちゃうかもしれないですけど、あまりこう深くすごく理解しようとして、
なんか正確にこの定義はみたいなのには全然興味が持てなくてですね。
これ、なるほど、ということはここの目の前で起きてるのはこういうことなんじゃないか、みたいなのが。
はいはいはい。
そのために読んでるという感じですね。
で、なんか昔からこう、いいよねって言い合いたいけど、人に本を勧めても読んでもらえないっていう残念な体験をたくさんしてきたときに、やっぱABDと出会って、
ABDって一人で読まなくて、みんなで一部分ずつ分担して読んで、全員揃うと初めて形が見える。
で、みんな読んでるから、ここに書いてあるこれさっていう話ができるっていう。
はいはい。
その読書体験って、さっきユキさんが言ってくれたみたいに一人に閉じてる体験なんですけど、その読書の体験を開いていくことが、他者と一緒に味わうっていうところに開いていくことができるっていうので、このABDにドハマりしてるっていう。
確かに確かに。なんかあの、花音さんにも言ったけど、僕結構別にABDの協会の何か、何だっけ、ファシリテーターのやつとかに行ったこと一回もない。
認定ファシリテーター。
中の人に言うのもあれなんですけど。
全然、認定ファシリ取りたい人は取ればいいけど、別にオープンソースで公開してるので、誰でも好きにやってくださいっていう。
結構僕も好きで、何年前なんだろうあれ。7年ぐらいとか、でも多分18年とか19年とかかもな。
結構そのABDのファシリをいろんな人と集まって趣味でやるみたいなやつやり始めた時期があって、やっぱその時にABD何が好きかなって思ったときに、
うちなんかじっくり読むだけだったら確かに自分できる部分あるのかもしれないけど、なんかあの場って一人一人が一部分を読んで、紙に書いて、みんなで発表した、その一つの流れをみんなで認識し、その後対話するっていう流れがくりあると思うんですけど、
やっぱその他の人とその場ですぐに一緒に何か共通のものを見ながら対話できるっていうことの価値ってやっぱすごいなーみたいなことを思って、
読んでもすぐに対話することによってこそ自分の言葉になって、
本の内容をただ単純に目に入れてるだけじゃなくて、自分の声を通すことによって何かすごいいい接種ができることもあるだろうし、
より良く何か違う認識、咀嚼ができるみたいなものがあるなぁと思って、それってやっぱ一人じゃできないなってすごい思い、
なんか、なるほど、なんかすごい思った、数年前を今すごい、今のかなさんのを聞きながら思い返しました。
ビジネス書の読み方
そうなんですよ。
共通言語ができていく、それについてみんなが扱うことができるようになると深めていける。
現実で起きていることを扱っていくには、扱えるように形にしなきゃいけないんですよ。
でもその形を切り取るのが言葉なんですけど、
同じ言葉を持ってて、言葉の認識が合ってるよねっていうのが確認できないと、そこで起きていることは扱えるようにならないんですよね。
でも共通の言語で、一冊本を通して読んで、一定この言葉の意味ってこういうことだよねっていう共通の認識ができると、
この現実世界で起きていることが途端にできるように、一緒に扱えるようになっていく。
それがすごくいいですよね。
確かに。
さっきカナさんが言った言葉が僕の中でいい感じにリフレインしてるんですけど、
目の前の状況を解釈するために摂取するっていう言い方をしてくれてたのがすごく、
確かにその面あるし、カナさんはそれすごいしてる感じがSNSからプンプンする。
恥ずかしい。
ダダ漏れですね。
いやもう素敵なダダ漏れをありがとう。
そうだからカナさんすごい本読んでるよねって言われて、いつもうんってなるんですよね。
読んでるっていうか、ABDでサマリーを作っているみたいな。
たまに自分の中で読んでるっていう感じはしてない。
はいはいはい。
それ聞いてみるとすごいめっちゃ聞きたくなっちゃった。
最近の、例えばカナさんが改めて、解釈し直せてすごいめっちゃ発見する喜びに満ち溢れた、
出来事、シーンってどんなのがあるんですか。
それは本を読んで。
本を読んでもいいし、何か現実があって本を見ることによってそれに気がついたみたいなものでもいいし。
ちょっとずれますけど、最近の私のヒットは本にも読み方があるんだなっていうのの読み方の違いに気づいたっていうのがありますね。
私ビジネスショーを一人で読むのが長らく苦手だった。
一冊通して読めない、なかなか。
だからABDしてるんですけど。
ABDにずっと逃げてたけど、なんでこの本読めないのかなっていうので、
たまたま自分の知り合いと本の読み方の話をしていた時に、
その人はもうなんか著者が俺に語ってくれてる、もう一人講演会だと思って、めっちゃ著者と対話しながら読んでんだよねって言ってて。
あーなるほど。
何それって思って。
著者と対話って言われた時に、確かに自分が読む時は全くそういう読み方をしてないなっていうふうに気づいたんですよね。
著者が書いてるものだっていうことは理解をしているけど、著者が語ってるようには受け取って読んでないな。
なんかすごく理解しようとして読んでたなってことが気づいて。
自分の読み方が何なのかっていうと、私さっきも言ったように子供の時から小説を読んでるんですよね。
しかも結構ファンタジーとかが好きで、現実世界にないものとかを読んでるんですね。
そうすると何してるかっていうと、物語を想像しながら読んでるんですよ。
描写されるもの。風景の描写だったりとか、人物だったりとか、心情の。
描写をされるものがどういうものかっていうのを思い浮かべながら本を読んでいて。
物語だから著者はそこにはいないんですよ。
そんな著者がグイグイくる物語嫌じゃないですか。
この人苦切もなしそうだなーみたいなのちょっと入り込めないですよね。
めっちゃ面白い。
やっぱり頂上人物に気持ちを乗せて一緒にその世界を楽しむっていう風な読み方をしていて、
私にとっては文章っていうのは映像として思い浮かべながらどっちかっていうと読むものなんですよ。
訓練されて、ながら訓練されてきたのは。
その読み方のまま多分右利きだから、いつもの右利きでっていう感じだと思いますけど、
この読み方でビジネス書を読むと、ビジネス書ってすごい説明的ですよね。
風景っていうかシーンの描写とかないのが普通だから、
そうすると私、文章をどう脳内に解釈していいかがわからなくなっちゃって、
多分うまく読めない。
なるほどねー。
これをアウトプットすると思って、まとめようと思って読む方が多分、
すんなり読めてたのは、そういうことだったんだなっていうふうに思って。
同じシンプルに読むっていう行為そのものをどうやっているかみたいな。
読むという行為そのものをね。
読むという行為も読むものによって変えないとダメだったな。
確かに確かに。
あんまり意識してなかったけど変えないとダメなんだなっていうのは気づいた。
なるほどなー。
で、だから著者が一生懸命話してるっていうふうに読むと、
なんかもうちょっとすんなり読める気がする。
はー。面白いですね。
読書体験の変化
その文章の摂取の仕方には、なんかそれぞれの癖があるんだなとか、
得て不得てがあるんだなっていうのは、
最近の発見でした。
いいですね。
なんかそれを聞いてみると、僕がなんだろうなーって言いながら思ってたんですけど、
2人、今言ってくれたかなさんのとそのご友人のとはちょっと違う感じがして、
なんとったらいいかな。
著者の方の講演みたいな感じではないんですけど、
著者の方の語りを聞いている感じではあって、
ただ、それを、著者という主体者がいないと思っていないというか、
著者の方と一緒にそれを話し、歩きながら話してる的な。
歩きながらそれの話を聞いているみたいな感じのシーンとして僕は認識している感じがあって。
なるほどなるほど。
例えばですけど、
最近僕、内藤玲さんっていう方の本というか、いろいろが好きで、
内藤玲さんって、ざっくり言うと現代アーティストで、
かなさんは知ってそうな気もする。
あれ見に行きました。
国立博物館でやってたやつ。
最近、生まれておいで生きてる。
そうそうそうそう。見に行きました。
そこの展示してた方で、他だと一番大きいのはあれかな。
瀬戸内海の手島っていう手島美術館っていうのがあって、
美術館と言っても本当に一つの大きい空間なんですけど、
そこの設計とかやられてる方で、その方は結構文字も言葉も書かれてるんですよ。
エッセイみたいな。
その方のエッセイが最近好きで毎日夜読んでるんですけど、
その方が感じていることを説明して伝えようとしているわけではない。
みたいなものを日々日々夜に摂取している中で、
その方がちょっとボソボソ歩きながら言ってるのを、
僕もし横で耳をそばらせて聞いているみたいな感覚を持って、
僕は読んでいるというか触れている感じがしていて、
なんか結構僕は最近この1年ぐらいとかそういう読み方をしているのかもしれないな、
他の本でもっていうのを今、
かなさんのを聞きながらすごい思いましたね。
なるほど。
書くことへの向き合い
面白い。
そうですね。
なんか今話聞いてて、やっぱり本を視聴者っていう死体がいるものとして受け取ってるか、
もうこの切り離された1個のものとして見てるかっていうところが、
スタンスとしてやっぱり大きく違うんだなって思いました。
私はすごく切り離してたなーって。
そっか。
まあでもそうだよね。
ハリーポッター読んでる時にJKローリングの目線をすごいなんかめっちゃ意識しないもん。
大人になったらそういうふうに。
視聴者はこういう思想があってこう書いてるんだろうなみたいなのあるけど、
でもそれ解釈の領域であんま物語楽しめてない。
本当ですよね。
考察はちょっと後でしてくれるみたいな。
小説とか物語だとやっぱそこってないもんな、確かに。
そうですね。
まあそういう読み方をする方もいらっしゃるかもしれないですけど、
私は割とドボンって物語に入るほうが好きです。
なるほどね。
面白い、それ。
最近はその読み方の切り替えはうまくいってるんですか?
かなさんの中で。
うまくいってるかいってないかで言うと、意識が変わりましたね。
意識が変わった。
うん、読む時の。
それってなんか、ほら、意識が変わっていくと、
おそらく意識の向け方、向け先によって摂取する内容だったり質感って全然変わるんだろうなって僕は今妄想したんですけど、
かなさんはその変化感って今感じたりするのはあるんですか?
変化はあんま感じてなくて、なぜかって言うと、
なんかABDで自分がやってたのってそれだったなって思って。
あー面白い。
なんかABDだとやっぱりその、これ社員先生が書いてる本だみたいな。
特にファシリテイトしてるので、自分でこの本がどういう経緯でいつ頃書かれた本なのかみたいなのは、
最初に調べておいたりするので、そうするとすごい著者の方が書いてるみたいな。
で、馬田さんいつもめっちゃ丁寧だな本みたいなのとか、
そういうのを思いながら読んでたなって思って。
で、なんかABDとその普通にビジネスを読むっていう時に、
すごく自分のスタンスが違ってたんだなってことに気づいたっていう感じ。
へー。
ですかね。
面白い。
確かにな。
そうなんですよ。
まだちょっとそこら辺探求の途中なんですけど、
まあなんか本、そもそも本って何だったかなみたいな。
で、その読むっていうところのこう、自分の中でのみんなを意味の最低義みたいなのとか、
今書くもやってるんですけど、書く。
あとその読んだり書かれたりする本って何だろうみたいなところの、
そこら辺は今自分では探求しているところ、意味の再構築をしているところみたいな感じかな。
他者とのコミュニケーション
書くのをやってるっていうのは今なんか書かれてるんですか?
あ、そう。長く書く、書けないことが長くコンプレックスで。
書けないって何を書けないですか?
文章。
あ、文章。はいはい。
ほう。
で、その書く、何故か自分は書けないのかに向き合ってるところです。
へー。
え?
え?
そうか。
向き合った先にどんなものを見てるんですか?
向き合った、あ、どうなる、どうなるといいかってことですか?
うんうんうん。
え、書けるようになったらいいよね。
へー。
いや、なんか書きたいって思ってるのは、
はいはいはい。
なんか一人でやるのには限界があるなって思っていて、
うんうんうん。
まあね、人一人ができるスケールなんて高く知れてますから、
まあまあまあまあ、そうですよね。
誰かと一緒に何かやろうって思って、
でもそんな喋って届く範囲に、
何だろう、必ずしも自分に共感してくれるとか、
志同じにする人がいるとは限らないっていう風になったら、
やっぱり文字として形にしないと。
ああ。
どこまでと、まあね、本格ってそういうことだと思うんですけど、
まあ確かに確かに。
文字を書いて誰かに届けるっていうことができないと、
うん。
なんかうまくスケールできない、
他の人の力を借りることってできないんだなって思って、
うんうんうん。
なんか自分がやりたいと思ってることとか、
自分の主張したいことみたいなことを、
うん。
担当文章に書けるといいなーって思って、
へー。
でも、何だろう、この書きたくないっていう気持ち。
そうなんだ。
っていうのに今向き合ってるところですね。
ああ、そうなんだ。
そうか、そういうところにも意識が向いてるんですね。
なるほどなー。
そうですね。
なるほどなー。
そっかー。
そう、そこら辺の探求の道も面白いですよ。
パーソナル編集者っていうサービスを使って、
そんななんか、それ何なんですか?パーソナル編集者?
そう、なんか書き、アウトプットしたいって思ってるけど、
一人だとアウトプットできない人はいませんか?
パーソナルにあなたに編集者がつきますよっていう。
へー、面白いそれ。
世の中には。
すごいサービスがあった。
世の中には、はい。
まあでも、エールでやってるキクと一緒ですよね、書く。
書くの伴奏版みたいな。
確かに、書くよってことか。そっかー。
エールのキクも定期的に聞いてもらえる時間がやってきて、
確かに確かに。
喋るっていう、こう、何だろう、定期的に喋る。
自分の内側を喋るみたいな、
なんかそういうのと一緒の形だと思うんですけど。
面白ーい。
その伴奏してくれるやつがあって、
なんか多分正しい使い方じゃないと思うんですけど、
書かなくてもいいから私の書くに向き合う時間を一緒にやってくれみたいな。
なるほどね、なるほどね。
じゃあ、締め切りのリマインドとかしなくていいですみたいな。
めっちゃ面白いですね。
なんか、この今ページ見てるんですけど、
利用者の声見てると、なるほどなって思いますけど、
はじめの読者として私の発信を受け止めてくれる存在って。
そうそうそうそう。
なるほどなと思って今。そっかそっか。
それ、いやそうよね。
うん。
めっちゃいい。ちょっと後で見ます?
見てください。
すごい興味ある。
やっぱり伝えたい、誰かに伝えようっていう気持ちがないまま書くのって結構辛い。
いやーそうですね。
人によりますけど。
うん。
もうね、息を吸って吐くように書く人もいますから。
うん。
あれですけど、やっぱりこの人に向けて書くよなっていう方が自分の中でも言葉が紡がれやすいし。
いやでも、あれですよ、本当にエールの聞いてもらうのと一緒で、聞いてくれる人がいるから話すんですよ。
読んでくれる人がいるから書くんですよ。
いやー。
全く同じ構図だなって思いながらサービスを利用しております。
いいこと聞いたな、確かにな。
読んでくれる人いないで書くのってね、それが好きだったり得意だったりする人もいるかもしれないけど。
大多数の人は得意じゃないですよね。
そうですよね、そうですよね。
だってそんなこと言ったらね、AIコーチが聞いてくれるんだったらもうAIに向かって喋ればいいじゃないってなるんですけど。
まあね、なりますよね。でもそうじゃないってことはね。
そう、それでもいい人もいるけど、いやでも本質的にコミュニケーションってそうじゃないよねって私は思っているので。
確かに、確かに。
そうかー。
そう、なんかそこは自助努力で頑張るよりも、もうなんか他者の力を借りた方が早いなって思います。
自然、ナチュラルな構図になるし。
なるほどなー。それからなんか、なるほど、面白い。
読む、書く。読む、書くはちょっと去年の後半ぐらいから今、自分の探求で。
そこでおいて、かなさんのことだから、摂取している本とかがありそうなのかって一瞬思ったんですけど、あるんですか、そういうのは。
摂取を控えてます。
控えてるんだ。
そう、なんか自分なりの意味を構築しないと意味がないなと思って。
そもそも書くとはみたいな本っていっぱいある。
めっちゃありますよね。
読むとはみたいな本もあるんですけど。
なんかそこで安易に納得したくないなっていうふうに思っていて。
てか多分そこ、それで乗り越えられる感じじゃないなと思っていて。
もう一回なんか、自分の中から意味を紡ごうとジタバタしてるところ。
確かに書く系の本はいくらでもありますもんね。
そう。
確かに。
でも書く、うまく書くみたいな本は多いですけど、そもそも書くという行為がどういう行為なのかって、ちょっと哲学的になるから。
あんまりない、あるけど。
そっかそっか。
ちょっとなんか哲学。
かなさんあれ読みました?自分の声で書く技術。
そんである。
見える本なのがあそこにある。
あります?
あれとか比較的、実際のスキルベースというよりかは結構どう自分の声と向き合うかみたいな。
そうですよね。
まさにこのフォトキャスト第1回見てくれた、AD出版の上村優弥さんが編集してた本ですけど。
でもね、そういうことじゃないね。今やりたいのと。
今違うんだ。そっかそっかそっか。
さっき言ってたその読むって、私の読むと友人がシェアしてくれた読むって、本に書いてあることじゃないと思うんですよね。
本との向き合い方
自分との比較、自分が普段やってることを振り返って、何をしてんだろう、自分の中で何が起きてんだろうってところを深掘りしていかないと、そこじゃないんだよなと思っていて。
なるほど。
本、本好きだよねって言われるんですけど私。
うんうんうんうん。
好き。うーん、うん、本好きだねみたいな。好きですって感じじゃないんですよね。
確かに本自体が大好きですかって言われて、確かにちょっと大好きって何かなって。
そうすると自分にとって本って何だろうって。
はいはいはいはいはい。
なる。
なるなる。
し、いや本読んでますよねって。読む、読むとはみたいな。
いやそうなんだよな、読むとはってすごいなるんだよ。
で、そうなった時にやっぱ欲しいのって自分、自分がどう思ってるか知りたいだけだから。
うんうんうんうん。
そう、なのであんまり本、本読んでヒントにはなるけど、
はい。
そういう、今やってるやつはそういう向き合い方をしたいわけじゃないんだよなと思って控えてるって感じです。
それこそほらさっきカナさんが目の前の状況を解釈するために接種するって言い方してくれてましたけど、
はい。
そういう目の前の状況を解釈するという状況、状態ではないわけですもんね。
そうそうそうそう。
なるほど。
いやーなんかそこらへんすごい大事じゃないですか。
いやもう今は違うんだって。
でもそういう時にでも、なんかそういう時はこの本読むといいよみたいな話の時に若干あの、
時々イラッとする僕がなんかいるっていうシーンが稀にあるなってちょっと今ふと思い返してました。
そうですね。
なんかそれ、それってなんかその進めてくれてる相手のありようによってイラッとするんだよなって思って。
あーそれはそうかも。
いて、なんかその読みゃあなんとかなるんだよ。
はいはいはい。
とか、これが絶対だよみたいな感じで来られると。
あーそれは分かるな。
私も、ん?ってなりますね。
分かるな。
けど、なんか自分が読んでこれ良かったから、なんかヒントになるかもねみたいな。
その自分にとっては良かったけど、他者にとってはどうか分からないっていう姿勢を持ったまんま進めてもらえたりすると、
あーじゃあちょっと見てみるわみたいな感じになったりとか。
あとなんかこれも良かったけど、これも良かったけど、これも良かったけどみたいな。
どれが合うか分かんないけど、私がお勧めするならここらへんかなみたいなのだとすごく嬉しい。
けど、知識がありゃなんとかなるでしょみたいな。
そういう話じゃないことがね、多いですよね。
そう。スキルと知識じゃどうにもならないんだよみたいな。
確かに。
そんな技術的課題なわけじゃない。
そうですよね。
確かにありようだな、結構。
相手のありようもあるし、自分のコンディションもあるかもしれないしね。
そうですね。
そうか。
いやー面白いな。なんかもう気がついたら1時間経ってしまったな。
探索のすすめ
1時間、あ、そうですね。
うん。いやいや。
あっという間に。本の話してないけど大丈夫?
まあ多少したんじゃないですか。
多少したと思います。ある意味、広い読みかけというものをちょっと俯瞰して捉えながら、ちょっと一部本の話を出しながら話したみたいな、そういう感じ。
そうですね。
はい、でもこういうのもすごく嬉しかったです。ありがとうございます。
はい、よかったです。ありがとうございます。
なんか、普段このホットキャスト終わるときって、僕も忘れてることも多いんですけど、最後ちょっと今日の話を受けてお呼び。
まあ別に今日の話しか関係なく、最後に何か一つゲストの皆さんに、改めてなんかご自身で気になっていることだったりとか、リスナーの方に問いかけたいことみたいなものを問いとして出してもらうみたいなのをやっていたりするんですけど、
でもさっきあの、かなさんが問いとか好きじゃない的な話をされていたなーみたいなことを思っていて、
まあちょっとなんか、問いでもいいし、はたまた今日やってみての感想でもいいですとか言いながら終わっていけたらなと思いましたがいかがでしょうか。
はい、ありがとうございました。今日すごい楽しかったです。
なんか、問いではない、問いまでいかないけど、こういう探索をしたら面白いよはあって、やっぱり最後のさっきに言っていた書くということ、そして読むということが自分にとってどういうふうに普段やってるかなって改めて見返してみて、
で、自分一人で見返しても面白くないんですけど、それを隣の人にちょっと分けると、え、そんな読み方?みたいなのが見えてきてめっちゃ面白いので、
ぜひその読む、書くみたいなところを探索してみてくださいというおすすめでしょうか。
いやー、いいですね。読むや書くを見返してみたときに、たぶん自分のそれからの読み方だったり書き方だったり、もしかしたらなんか変わったり、よりなんか楽しくなったりとかってあるかもしれないですね。
はい。
うん。すごいそれ、さっき見ながら思ったな。いや、ありがとうございます。
はい。聞くもたぶんいろんなね、聞くがありますよね。
うんうんうん。
それと、読む、書く、聞く、みたいな。
読む、いやそうなんすよね。
いやー。
はい。
もうちょっと話したくなったけど、すごい伸びそうだからやめとこうかな。
はい。じゃあ改めてですね、今日お越しいただきまして、かなさんありがとうございます。
はい、こちらこそありがとうございました。
はーい。ではですね、今日のこの読書のまにまに、ここで終わっていこうと思っております。
次回は鎌倉のアービットというケーキ屋さんのオーナーがやってくる予定でございまして、そちらもですね、ご興味あればお聞きくださいませ。
というわけで、聞いていただいている皆さんありがとうございました。そしてかなさん、改めましてありがとうございました。
ありがとうございました。
33:27

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