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2025-09-26 38:40

「正論」の謎 〜ダンバー数、ハケンアニメ、カント哲学〜

#20 / 「正論」について語ってみよう / 初のお便り!! / 「転校」が価値観に与える影響って大きそう / コミュニケーション三部作 = #16~18のコミュニケーション系の話をした回のこと / 「それは正論なんだけど」「それはそうなんだけど」 / 「あなたがいうこと、ほぼ全部"正論"だよ」 / コミュニケーションにおける20%・80%理論 / 「正論」にネガティブなニュアンスは含まれる? / 言葉の「定義」は人によって簡単に揺れる / 言葉は文脈においてその意味が決まる / テキストコミュニケーションにおいて行間を読みすぎないことの重要性 / 「あなたの言っていることは筋は通ってますよ」の意 / 「正論」という言葉は”強い” / 「"正論"こそ謙虚に言え」 / コミュニケーションのは大きく2分類ある / 「共感型」「納得型」 / ベスト・パートナーになるために: 男は火星から、女は金星からやってきた / ダンバー数 / 共同体を発展させているのは女性 / エンジニアはロジックで全て解決しようとする / 「温度感」 / ハケンアニメのコミュニケーションが良かった / 上司と部下の抽象度の違い / 自分の想定を超えて欲しい / 会話とテキストの違い? / SNS炎上と「正論」 / 炎上に飽きた / カントの定言命法と仮言命法 / 人は自分が話していることが仮言命法であることにもっと自覚的になるべき / いつかこの話の続編を超相対性理論的にやってみよう


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▼「余白のエクリチュール」(通称:よはちゅる)とは?

普通の会社員2人が様々なテーマの感想や解釈を交わしながら、埋まりきらない“分かり合えなさ”さえも楽しむ記録。

発信が溢れる時代だからこそ、“聴くこと”に価値を置く。まだお互いのこともよく知らない2人が、互いの余白に触れながら楽しむ対話を、あなたも。


▼クレジット

やぎしょーご Shogo Yagi @sho5_midday ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://x.com/sho5_midday⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

𝑃𝑜𝑚𝑃𝑜𝑚 🍮@pompomreading ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://x.com/pompomreading⁠

サマリー

このエピソードでは、「正論」というテーマを通じて、コミュニケーションにおける自己の表現と他者理解の重要性が探求されています。特に、外向的および内向的な自己の構造や、正論に対するネガティブな印象について考察されています。正論の捉え方やその影響に関する議論が展開され、ダンバー数やハケンアニメ、カント哲学が取り上げられています。特に男女間のコミュニケーションスタイルの違いに焦点が当たります。 ビジネスコミュニケーションにおける「温度感」という概念や、アニメ制作における吉岡理宝監督のアプローチについても議論されています。また、SNS上での炎上とカントの哲学的視点が関連付けられ、現代の論争について考察が行われています。正論の解釈やSNSの炎上現象についても考察され、主観的な解釈がコミュニケーションに与える影響が探求されています。さらに、教育や二項対立の世界観が人々の思考に及ぼす制約についても議論され、これに対する哲学的アプローチが求められています。

お便りから始まる会話
はい、始まりました。余白のエクリチュール、訳してよはちゅる。この番組では、普通の会社員の2人が、様々なテーマに対して、それぞれの感想や解釈を緩く交わしながら、対話を深めていきます。
今回のテーマは、正論について語ろうです。よろしくお願いします。
はい、お願いします。
はい、えっと、まず、今日テーマに入る前に、お便りをいただいたので、それを読みたいなって思ってます。
はい、お願いします。
ですが、はい、メモフリートさんにいただきました。
初めて、グループの方にお便りいただいて、めっちゃ嬉しかったです。
で、えっと、ちょっとメッセージ、読み上げたいと思うんですけど、えっと、初めまして。
ポムさんの話してた、外向きの自分、内向きの自分という構造があって、外向きにこう見せるという手法を知ると、コミュニケーションは楽になると思います。
僕は小学生の頃、転校が多くて、転校生というのは一人だけアウェーなので、初日のコミュニケーションが難しすぎると思います。
小学校、低学年の頃は、外向きの手法をよく分かってなかったから、変な感じになっていたと、今では思います。
なので、初対面ではそこまでオープンにはせず、外向きのインターフェースを使いますが、これはもっと早く知りたかったですね。
というお便りをいただきました。ありがとうございます。
ありがとうございます。お便り、初お便り。ありがとうございます。
これは、何の回の感想的なやつかというと、16回の初対面は人見知りフレンドリーどっちってやつか。
そうですね。私も外向きのインターフェースをよく使うので、すごく分かるなって思ったし、
メモフレイトさん、今日朝からディスコードでめっちゃ長い感想を書いてくれたんですよ。
それもちょっと後で返そうかなって思うんですけど、めっちゃ分かるって思ったのがすっごいありました。
さすが、さすがだな。
すごい。
転校とか確かに、かなり自分の価値観にめっちゃ影響を与えそうだなっていうのは、これを読んですごく思いましたね。
本当に、その環境は。私はずっと転校なかったんですけど、でも自分は外向きのインターフェースを身に付けなかったのかなっていうのは、
すごい気になってて、それをちょっと掘り起こしたいなって自分で思いました。
そうですね。いろいろあるんでしょうね。
あんまりちゃんと考えたことなかったから、面白かったです。ありがとうございます。
はい、ありがとうございます。
正論とその認識
じゃあ、ちょっとテーマに入っていきたいと思うんですけど、今日のテーマ、性論について話そうです。
で、なんでこれ選んだかっていう理由があるんですけど、私ちょっと生後さんとコミュニケーション三部作、
セナさんが名付けてくれたコミュニケーション三部作っていう、ヨハチュルのコミュニケーションについて話す回で、
なんかそのトータル3回の中で生後さんに結構なんかそれは性論なんだけどとか、それはそうなんだけどっていうのを結構言われた記憶があるんですよ。
で、私としてはなんかそれを性論と全然認識をしていなくて、
なんかなんでまずなんか性論とは、生後さんにとって性論は何かなのかとか、
もしその私が、私はこれは性論とは認識しないけど、ここにもしかしたら私の認知の歪みがあるかもしれないので、
それがあればその話す、話をすることでそれを解消したいなっていう思いがあって、今回これを取り上げてみました。
最初に話しておきたいんですけど、私この性論なんだけどって言われたのが気になって、
自分の友達とこの前話した時にこの話をしたんですよ。
同じ話をして、その友達になんか私性論なんだけどって何回か言われたんだけど、
なんかあなたが私と話しててそれは性論だなって感じることってあるっていうことと、
あともう一個、なんかあなたにとって性論ってどう思うっていうことを聞いたんですよ。
へー、面白い。
そう、そういうのが聞ける友達なんですごい嬉しいんですけど、
なんかそしたら友達に言われたのが、なんか私が話してることほぼ全部性論だよみたいな言われて、
え?って思って、え?って思って、どうしようって思って、
なんかこの友達の方には私が言うことがなんかいつも偶能でも出ないらしくて、
なんか私に言われたことが、え?って思って、
そう、でなんか私がその友達と話しててすごいなんか一個教訓を得たことがあって、
それが私が友達とか他の人と話すときに、
自分の考えを20とか30%の状態で出力せずに、80%の状態でいつも出力するようにしてるんですよ。
なんかロジックができると状態で話をするので、
それがなんか性論と受け取られかねないのかなって思って、
なんか私は自分の春巡とかの過程をあんまり人に見せることってなくて、
なんか問題があっても自分の中で解決した上で、
なんかその人に伝えるみたいなことがあるから、
なんか多分他の人の話を聞いてても、
なんでなんかそこで春巡するんだろうみたいなことを思っちゃって、
なんか私のなんか乗り越えてきた経験から、
これはなんかこうすればいいよみたいなことを話すようにしてるんですけど、
それがなんかその人によっては、
性論と受け取られかねないのかなっていう教訓をすごい得たんですよ。
で、なんかその今回このビファチルの場で話すにあたって、
なんかちょっとまた別の角度から、
その性論について話ができればいいかなみたいなことを私は思いました。
正論の定義と印象
はい、なるほど。わかりました。
そうですね。
まずでもちょっと1回話を戻しちゃうと、
性論とは何ぞやみたいな話なのかな。
まずあれか、そもそも多分僕は会話の中で、
会話の中でじゃないかな、
このポッドキャストでは確かにそれは性論なんだけどとか、
それはそうなんだけどっていう言葉をめっちゃ使っている気がする。
めっちゃ言われてる気がするもんな、私。
で、それは性論とは何ぞやに近いと思うんですけど、
まあだからでも今言った話と近いなと思っていて、
まあロジックが通っていることを僕は性論と言っていると思いますね。
なんか定義と違うかもしれないけど。
あのですね、私が思うにその性論っていう言葉を受けると、
それはネガティブな意味が含まれていると私は感じてしまうんですよ。
え?
それはね、120%思ったことなかった。
そうなんですか、待って私はそれ。
え?だって性論ですよ。
はい。
性論って、辞書を引こう。
聞いてください。
性論とは道理の正しい議論っていうのが出てきますけど、
ウィキペディア、性論とは正しい議論のことである、しか書いてない。
えー、なんかむちゃくちゃ極めて客観的な辞書的な定義なんですけど、
あの私、え、それめっちゃ今びっくりしてるんですけど、
私は性論って言われると、ほんとそこにネガティブな意味が含まれると思っていて、
その私が言ったことが正しすぎるからいけないとか、
それはなんかその正しいは正しいけど、
それは人を傷つける要因になるよっていうことを案に言われているというふうに、
私は受け取ってしまうんですよ。
なるほど、確かにね、今適当にGoogleでの検索で引っかかったノート、中身見てはいいんだけど、
最初に出てくるところに、世の中には性論と呼ばれるものがある。
言ってることが至極真っ当で偶のでも出ないことって書いてあって、
なるほど、なるほど、そういう、そういうことなの、
そういうことを思う人もいるのかと思いつつ、ちょっとジェミンに今聞いてみてますが、
そうなんだ、いやでも僕は少なくとも、
性論に対してネガティブな印象はないし、
そういう時にそういうのを込めてもないですね。
性論とはってジェミンに聞いてみたけど、
道理にかなった正しい意見や議論を指す言葉。
文脈によって肯定的な意味にも否定的な意味にも使われるのが大きな特徴ですと言っているから、
だからやっぱりこの言葉自体はフラットなはずだけど、
多分その使い方とかその場面場面によって、
ポジティブだったりネガティブだったりっていうのはあるんだろうという気は。
なぜ性論は嫌われることがあるのかって出てくるから、
やっぱり嫌いな人が多いのかな。
言葉の定義ってめちゃくちゃ曖昧っていうか、
言葉に対して受ける印象って本当に自分が今まで人生で築いてきた経験とか、
そういうことからすごく左右されるんだなっていうのが今めちゃくちゃ分かりましたね。
そうなんだ。
しょうこさんは、じゃあ性論という言葉に出会うときは、ネガティブな意味では出会ってきてなかったってことですね。
いやだから文脈だと思うんですよね、基本的に。
なんか前回か前々回か話したのと近いと思うんですけど、
だから僕は比較的その言葉を、
何だろうな、ちょっと前回言ったら違うこと言ってるかもしれないけど、
できるだけフラットに捉えるようにしてる感があり、
別にそれだけの言葉であんまりニュアンスとかを読み取りすぎないようにしている気がする。
特にここ数年は。
それは何でかっていうと、ちょっと話が飛んでっちゃうかもしれないけど、
今考えたことを喋ると、
多分僕は、今会社が3社目ですけど、2社目に転職したのが2022年とかか。
その会社はフルリモートだったんですよね。
フルリモートで、しかも打ち合わせも別にそんなスルーって感じじゃなかったんで、
基本ずっとスラックで仕事してる感じだったんで、テキスト情報が全てだったんですよ、基本的に。
そうするとテキストに書いてあること以上のことを読み取ると、
ハレーションというか、やっぱり意思疎通が、
テキスト以上のことを勝手に読み取ると、やっぱり勘違いみたいなのが結構起きるなっていうことがよくわかって、
やっぱりそういう言葉は言葉としてちゃんと捉えて、
それ以上のことを読み取りすぎないほうがいいんだなっていうのを、
その時学んだ気がするんですよね。
それは正しい言葉を置いとくとして。
多分それくらい時ぐらいから特に意識して、
あんまりニュアンスみたいなのを強く勝手に読み取ろうとはしないようになった気がしていて、
だからなのかわかんないけど、正論という言葉も、
少なくとも今考えると別にネガティブでもポジティブでもなく、
ただロジックは通っている。
最近もっかいXによく書きますけど、ロジックすら通ってないものっていうのが世の中にいっぱいあると思っていて、
それではなくロジックは通っているから理解はできる。
けどそれが正しいのか正しくないのかは、
そこでは僕は一切判断を入れていないっていう意味で、
それは正論なんだけどとか、それはそうなんだけどってことを言ってますね。
なるほどね。
私なんか本当聞いてて、
しょうごさんのそれはそうなんだけどに、
しょうごさんの主観が含まれて、
なかなかの主観が含まれているのかなって思ってたんですけど、
あれはあくまで客観的な、
あなたの言うことは筋は通ってますよっていう意味だったんですね。
そうですね。
それを言い換えて全くそこがないと。
なるほど。
いやー、分かりました。
よかった、なんか。
分かりました。
いやー、誤解が、私の中で誤解が解きました。
そういうことね。
でも、例えばそういう場面の時って、
ポムさんはどういうことを扱いをするんですか?
なんか相手の言ってることは理解はできるけど、
その先の話をしたいみたいな時。
理解はできるけど、その話をしたい、
その先の話をしたい時は、
とりあえず私は、
正論の捉え方
私はこう思うよって言うんですけど、
いや、でもどうかな?
でも私が客観的に自分の意見を訴えられてないから、
なんかどうなんだろう?
私が正しいことを言ってるつもりはないけど、
どうなんだろうな?
今のだけ聞いてて思ったのは、
分かんないですけど、僕の聴取感だと、
一般的な人は別に、
それはそうなんだけど、それは正論なんだけど、
という言葉を挟まずに、
私はこう思うとか、
そういう言葉の重ね方をするのかもしれないなと、
今聞いていて思っていて、
僕はあんまりそれをやりたくない。
意識的にあんまりやりたくないんですよ。
それは何でかっていうと、
要はあなたの言っていることは、
見方によっては正しいと思いますっていうことを、
言って伝えたいので、
だからそれは正論なんだけどとか、
逆ですね、ポムさんの捉え方と、
むしろそれは多分正しい局面が普通にあると思いますってことを、
ちゃんと伝えた上で、
別の見方とか意見を伝えたいから、
それは正論なんだけどっていう真っ暗な言葉をつけて、
別のことを言っていることが僕は多い気がします。
なるほど、
てか今しょうごさんの質問の意図が分かったんですけど、
私はね、どうかな、
私は一回ね、
それはそうですよねって一回受け止めます。
正論ですよねとは言わない、
クエスチョン言葉として、
次に私が言いたいことがあるから、
もう頭の中にあるから、
でも私がそこで何を間髪入れずに、
私がこう思っているってことを伝えると、
絶対に受け入れてもらえないってことが分かっているから、
分かります、その考えもありますよねっていう、
一回その受け止めをした後で、
言うってことはやりますね。
じゃあそこは多分近しいんだろうな。
そうだとすると、
正論って言葉は強いのかな、やっぱり。
それはそうなんだけどだとあんまり違和感はないですか?
それはそうなんだけどは、
違和感はない。
正論の方がなんかもっと、
そこにニュアンスを、
ある種のニュアンスを感じ取ってしまうからですね。
なるほどね。
多分一般的にそうなのかなって思ってて、
私なんか前、後輩と話してた時に、
ちょうど正論の話になって、
後輩がお父さんに言われたことが、
正論こそ謙虚に言えっていうのを言われたことがあるらしくて、
それはむちゃくちゃなるほどって思ったんですよ。
それは今思ったんですけど、
私がその正論という言葉にネガティブなニュアンスを感じていたからこそ、
それはそれこそ人を傷つけている可能性があるから謙虚に言えっていうことは、
すごく私は納得がいって、
だから一般的にはもしかしたらそう感じている人の方が多いのかな、
みたいなことを今思いましたね。
なるほどな。
それこそ偶然が出ない正論だなと。
そう言われれば僕は何も言えないし。
別に僕はそれは正論なんだけどという時と、
それはそうなんだけどという時で、
何か違いを持って言っているかというと、
あんま分からないんだよな。
単純な言葉の流れで喋っている気がするから、
そこに意図を持って使い分けている気もしなくて。
そうなんだ。
コミュニケーションの違い
ちょっと私が気になっているのが、
私が友達と話した時に出た仮説が、
私が80%で出力しているっていうのがあったんですけど、
それがちょっと今気になっていて、
しょうごさんはどうですか?
話をする時に自分の考えるパーセンテージで、
どのくらいの状態のものを人に伝えますか?
もうちょっと確認したいんですけど、
80%と20%の違いはどういう感じですか?
友達が言っていたのは、
私はもう20%とか30%のものをそのまま出力するって言ってて、
私が思うにそれは、
自分の中で課題とか悩みとかあった時に、
それを悩みをそのままとか、
俊々していることをそのまま言わないみたいな。
一回自分の中で、
自分なりに何かの仮説とかロジックを持った上で、
こういう論理で私はこういうことを考えました。
今こういう状況ですっていうのを筋立てた上で、
友達とか人に話す時は話すようにしていて、
そこに何の仮説もないままとか、
何の自分の中での話の流れがないままに伝わるってことが、
ほぼないなって思って、
それで私は80%で、
これ個人の主観ですけど、
出力しているなっていうふうに考えましたね。
言っていることはめっちゃわかるんだが、
どういうふうに答えたらいいんだろうな。
まずもって、
前回の話とつながると思うんですけど、
僕は会話が苦手ですみたいなことを最初から言ってる気がするんですけど、
それは言ったことあるかもしれない。
基本的に僕は一度考えたことがあること、
もしくはちゃんと準備してきたこと以外のことは、
あんまり話せないという自認があります。
つまり今の話でいくと、
ポムさんと全く同じで、
基本的には既に考えたことじゃないと、
あんまりしゃべれないんですよ。
だから結論があるかどうか置いとくとして、
何かある程度言って考えたものをしゃべるという意味での80%であれば、
それは多分僕も全くそうで、
その20%が多分何も考えたことがないものを、
その場で考えながらしゃべるだと、
それは少なくともそういうことを、
積極的にやることはないだろうという気がしますね、僕は。
そうですよね。
何か20%の状態で相手に投げたときに、
それがちゃんと受け止めて返ってくるかっていうのを、
私は多分そこに対しての疑義があって、
多分80でやっちゃう。
例えば悩みを投げたときに、
自分はもう何か20%状態で、
今何か悩んでるんだよねって言ったときに相手に、
それを何か相手がちゃんと返してくれればいいけど、
何かそれに対して、
あんまり何か私が期待する答えが得られなかったときに、
何で何か私20のものを言っちゃったんだろうって、
何か多分思ったことがあって、
それで何かもうそう思うなら、
自分が何か納得するまで80の状態で高めた上で、
何かこういうふうに思っていて、
こういう解決策があるんだけどどうかなみたいな話をするっていう
コミュニケーションを私は取ってしまっているのかなとか、
今思っていますね。
なるほど。
いや、まあそうですね。
なんかね、すごい今話を聞いていて、
ちょっとあえてジェンダー的にあんまり良くない話をするんですけど、
なんかぽんさんの今の話を聞いていて、
めちゃくちゃ女性っぽくないなと思って今聞いてました。
それでも私自覚あるんで、
やっぱそうなんだ。
大丈夫ですよ。
いや、まあ男女で分けるべきなのかって話はあるんですけど、
なんか僕別にそんなに異性の友人とかほとんどいないんで、
別にそんなに肌感があるわけじゃないんですけど、
やっぱりなんか世の中を僕の目線で見ていると、
女性の人は比較的、
それでいう20%あんまり何も考えずに話す人が多く、
男性の方が80%比較的考えて話す人が多いと思っております。
それはちょっと言い換えると、
なんか女性の方は、
ぽんさんが言ってもらった相手に理解をしてもらうという意味でのコミュニケーションというよりは、
自分が言葉を発するとか、
自分が話して整理するとか、
なんかそういうコミュニケーションの仕方をしている気がしているんですよね。
そうなんですよね。
ちょっと男女で分けるのはあれかと思うんですけど、
一般的に女性は共感を求めて、共感をしてほしい。
男性は納得をしてほしいのかなって思っていて、
私ね、納得してほしい派なんですよね、多分。
そうなんだろうね。
男性のことを話していると、それが違うってわかるから、
私はかなり気を使って共感を示すんですよ。
なるほどね。面白い。
すごい努力してるなって思ってます、自分は。
めっちゃすごい努力してる。
そうなんですよ。
ちょっと今調べてたんですけど、
この違いはやっぱり難しいなと思っていて、
僕もパートナー、異性のパートナーがいるんですけど、
そのコミュニケーションの中でも結構顕著に出るんですよ、その差が。
僕は結構今の話だとわかりやすく男っぽいし、
パートナーは結構わかりやすく女っぽいんですよ。
この本読んでって言われて、ベストパートナーになるためにっていう本読めって言われたんですよ。
これ副題が面白くて、男は過性から、女は近性からやってきたっていう副題で、
これ多分2001年とかだから多分許してほしいんですけども、
明らかに今の時代のジェンダー的には多分結構叩かれる可能性が多いと思うんですけど、
完全に男と女、男はこういうコミュニケーションをする、女はこういうコミュニケーションをするっていうふうに分けて、
でも書いてあることは結構正しいと思うんですけど、
やっぱり違いがあるからそれをお互い理解することによって、
より良いパートナー関係を作りましょうねっていう本なんですよね。
この中でもちょっと具体覚えてないですけど、やっぱりその、
さっき言った女性的なコミュニケーションっていうのはそういったものだし、
男性的なコミュニケーションはそういうものだしみたいなのが書かれていて、
共同体の発展
やっぱりそれは男女でくくらない方がいいと思うけど、
やっぱりそういう人とコミュニケーションの仕方として大きく二分類あるっていうのはそうなんだろうなみたいなことをちょっと聞いていて思いましたね。
そうですね。ほんとそれを知っていた方がお互いにとって幸せだなって思いますね。
そのまま合わせたコミュニケーションを取る方が。
それはマジでそうなんだよ。
そうなんだ。なんかダンバースって提示した人がいるんですけど、
150人ぐらいで一つの集団ができるみたいな。
それで私なんかこの前すごい面白いなって思ったのが、
女性はその、女性が実は共同体を進化させてきたんだよって話で、
男性に納得させるのに自分が納得してほしいっていうので、
なんかコミュニティを築き上げるけど、
それだとどうしても不和が生まれてしまう。
女性は共感を求めているから、
共感し合うことで、
なんかうまくそのなんか、
接触をして、
女性がそのコミュニティの中の干渉剤になることで、
実はその共同体を発展させているのは女性なんだよみたいなことが書かれてて、
なるほどねって思ったんですよね。
確かになんかね、やっぱそうなんですよ。
本当に納得させたいっていう自覚がある人は、
ちゃんと共感のバランスを持つことが大事だよっていうのは、
私の経験から思います。
いやーそうなんだよなー。
昨日、前職の人とすげー久しぶりに飲み会をして、
ちょっと話したんですけど、
前職は僕は一応職種はエンジニアだったんですけど、
やっぱエンジニアってもう分かりやすく今の男側の思考なんですよね。
ビジネスコミュニケーションの温度感
全てロジックで解決できるものっていうのが前提の知識としてあるから、
やっぱセールスとかビジネスサイドの人とは話がかみ合わないんですよ。
だからすごく印象深いのは、
僕は結構使うんですけど、
温度感っていう言葉をよく仕事の中で使います。
ちょっと人によって使う使わないあると思うんですけど、
それはどういう意味かっていうと、
例えば相手が結構急ぎなのかとか怒っているのかとかだと、
温度感が高いと表現するし、
別になんかそんなに重要そうじゃなければ温度感が低いとかっていう表現をして、
優先度を下げるとかっていう意味合いで使うっていうのは、
僕はそんなに立派的かなと思ったんですけど、
前職のエンジニアの間ではその温度感という言葉が非常に不評でして、
それは一体何を指しているのか分かりませんと。
いつまでに解決してほしいのであればそう言うべきだし、
別に急ぎでないのであればそう言うべきであり、
温度感というふわっとした言葉で片付けるべきではないということが、
結構エンジニアの界隈では、
その会社のエンジニアの界隈では一般的解釈であって、
なるほどねと思ったんですよね。
私はそのエンジニアの人の言いたいことが分かりますね。
しょうもさんが温度感というときは、
この温度感でお願いしますみたいな、
そういう文脈で使うってことですか。
この温度感、そういう使い方っていうのは、
どのくらいの温度感なんですかねみたいなことを確認したい。
どっちかというと直接ストーリーに確認するっていうよりかは、
誰か間を挟んだときに、
これは一体どのくらいの温度感なんですかね、
温度感高いんですかねみたいなことをとかで使うことを。
でも私それなんか言われると、
そんな温度感とか分かんないよって、
そんな人によって自分と違うだろうって思っちゃう。
でもそれは本当そう。
それは本当そうなんだけど、
だからそういう意味だと、
でもそこら辺のニュアンスを捉えたいっていう感じはあるんだよな。
今話しながら考えてますけど、
やっぱり世の中の人は、
例えば今の話でも、
自分で明確に優先度をつけることができる人って少ないなと思っていて、
それいつまでにやってほしいみたいなとこ、
なかなか自分で決められないんだろうなっていう感じがするんですよね。
そうですね。
そうしたときにやっぱりそれを、
いつまでですかって聞くコミュニケーションができたらいいんですけど、
そういうコミュニケーションができる間柄でもないケースも多々あるでしょうから、
そうしたときに温度感っていう言葉で、
アニメ制作のアプローチ
なんとなくのそこを推察するっていう意味で使ってるかもしれない。
なるほどね。
今思ったのが、
ハケインアニメがめっちゃ良かったって、
その点でめっちゃ良かったって話で、
イメージついてると思うんですけど、
あれって新人のなんだっけ、
あれって女監督だったっけ、
吉岡理宝さんがやってたのが、
いろんなアニメーションの現場っていろんな人がいて、
色付ける人とか、
絵描く人とかいて、
人によって感性とか感覚とか全然違うから、
これをこんなイメージでやってくださいって、
イメージだけパッと伝えて、
例えばイラストレーターにお願いしたら、
それは分かる人もいるけど、
それをこのイメージでお願いしますって言って、
色を付ける人にそれを伝えると、
それはイメージって何ですか、
何の色ですかっていうのが、
多分聞き換えされるんですよね。
色を付ける人はその色には、
多分色を扱う人は、
私たちが見ている以上に色を区別しているから、
どの色なんですかっていう、
イメージって分かんないですみたいな、
多分そのやりとりがあったと思うんですけど、
それを受けて吉岡理宝さんが、
その触手に合った伝え方をしてる場面があって、
それでむちゃくちゃ現場が良くなったみたいな、
私は記憶してるんですけど、
すごいね、いいなって思いました。
めっちゃ大事って思いました。
そのシーンのことは全く覚えてないけれど、
今の話を聞いていて、
僕はちょっと感性が違うかもって思ったかも。
言ってることはめっちゃ分かるし、
それはいいなと思うけど、
僕がその吉岡理宝の立場だとしたら、
あなたがいいと思う形にしてほしいという意味で、
一旦のイメージはこれで、
あとは任せるっていう言い方ですか、僕が。
そうか、それはなんか、
相手をどれだけ信頼してるかにも、
言えるかもしれんですね。
このどっかのエピソードで話したような気もするけれど、
僕は基本的に自分の想定を超えるものが好きなわけです。
SNSと哲学的視点
なので、僕のイメージのものを作られても、
嫌なわけです。
だから、このイメージでって言って、
それ通りに上がってきても、
そうだなとしか思わないので、
フォワーファクトをまたせたくて、
もちろん大きな枠でもディレクションがないと、
ぐちゃぐちゃになっちゃうんで、
僕、仕事の指示とかをするときとかも、
意図的にそうすることが多いんですけど、
8割ぐらいは決めるけど、
あとの2割はあえて余白を残して、
その人のやりやすいようにしてもらうっていうのは、
結構やってるかもしれないですね。
めっちゃ大事ですね。
上司と部下の関係でうまくいかない理由が、
部隊と中小度が違う。
それはマジでそう。
そう、めっちゃそれですよね。
私、前なんか本読んだときに、
これは説明うまくできる自信ないんで、
リンク貼っておきますね。
はい。
本当そうですね。
そうだな。
そうですね。
部隊と中小みたいなのはむずいなって思う。
いい時間になってきたんですけど、
1個だけめちゃくちゃ冒頭に戻るんですけど、
僕が若干感じてた話を確認したいんですけど、
2割8割の話で、
ポムさんは話すときは、
8割ぐらい固めてから話すっていう話だと思ったんですけど、
テキストは考えながら書いてるじゃないですか。
それって同じ感じですか?
それともやっぱ違うんですか?
考えながらっていうより、
出力の段階でどうなるかって、
どうするかっていうのが、
私はポイントかなって思ってて、
テキストは考えながら書くんですけど、
実際その出力するときは、
ほぼ90、自分の今考えられることこれだね、
の90の状態で出すんですよ。
話すのもそれと同じ。
考えながら話すっていうか、
自分の中で普段考えてることがあって、
それを出力するって感じで、
考えながら話すってことがあんまりないかも。
なんか話すときは、
普段考えてるからそれを出してるみたいな。
でもその気持ちはわかる。
なんで、意図としては、
ノートとかは、
そういうふうに読めば、
考えながら書いてるように見えるんだけど、
今の話だとすると、
1回考えた後に、
それをトレースする形で考えたことを、
テキストに残してるっていう感じだった。
ほぼそうですね。
80%くらいは考えて、
考えたものをトレースするように書いて、
残りの20%で文字打ちながら考え、
考えながら書くみたいな感じ。
そこらへんは流派がありそうだけど、
普通に本当に考えながら書く人も、
いる気がするんだよなと思ってて、
どうなんだろうな。
多分、それなんか気になる。
テキスト、相関はあるのか。
テキストでも考えながら書く人は、
話すときも考えながら話すのか、
みたいな。
気になるな。
ありそうですけどね。
ありそうですけどね。
そうか。
ジョーさんはテキストを書くとき、
考えながらではなく、
トレースするように書く。
どうだろうな。
基本的には、
プロットは絶対にあります。
大枠はあって、
それをベースに書くんですけど、
大体そのプロット通りにはいかない。
で、
書いているうちに、
どんどん新しい話が入ってくるので、
さっきの話、自分がした話と近い気が、
話しながらしていて、
8割くらいはなんとなくあるんだけど、
結局2割は全然違った、
もともと考えていたものとは違ったものが、
入り込んでいるという感じはしますね。
そうなんだ。
そこを自分の中の想定だとね。
そうそう。
そういうこと。
そういう感じがしますね。
わかりました。
あともう一個、
もう一個話したいことがあったんですけど、
SNSの炎上と、
大丈夫かな、時間。
いいですよ。
SNSの炎上と
人と性論の関係についてちょっと考えたんですよね。
なるほど。
SNSの炎上を、
私なんか見るの、
ウォッチするの結構好きだったんですよ。
わかります?
人文ウォッチ的な。
まさに好きだったんですけど。
それは、
あえてこんなことを使いますと、
それはそうなんじゃないですか、
そういう人もいると思う。
でもね、私ね、
この前明確に、
この炎上飽きたなって思ったことがあったんですよ。
へー。
それがね、この性論と
結びついてるなっていうのが
思ってて。
うーん。
具体はちょっと伏せるんですけど、
なんかね、
ベルサイユ宮殿で
コスプレイヤーの方が
自分がコスプレをしたみたいな。
それに対して、
これはマナー上よくないよみたいなことを
言ってる人がいて、
私その一見を見て、
飽きたなって思ったんですよ。
あ、そう。
そうなんですよ。何をしてるかっていうと、
あれはもう本当になんか、
自分の正しさを持って
相手を攻撃してるだけで、
これは違うよみたいなことを
言ってたとしても、
自分の正しさの土俵に
相手の発言を当てて、
乗せて、それは違うよって言ってるだけで、
そこで
自分の信念同士で
対立をしてるだけだなっていうふうに
すごい思ったんですよ。
で、私これをね、
ちょうど見たときに、
ちょうど読んでる本が、
私今、チクマ・プリマー神書にめっちゃハマってて、
そこで、
カントの定言名法と
加言名法について書かれてるのが
あったんですよ。
なんで人を
殺してはいけないかみたいな話の中で、
定言名法は絶対に
殺してはいけない。
広く一般的に、普遍的に
これはダメだとされている
物事について
命題を与えるのが
定言名法で、
条件付きの、
それとは違って、条件付きに
この条件だとこれはいけないよみたいなことを
言うのが
加言名法なんですけど、
正論とその解釈
私その本を読んでるのと、
そのツイートを見た時期がすっごい一緒だったから、
これそうじゃんって思って、
自分、人は
これは絶対に
自分の言うことが
正しいっていう風に言ってるんですけど、
さもそれを定言名法かのように
言ってるんですけど、実はそれって
加言名法であって、
この条件だとダメだよね
みたいな、このルールでは
この文面を
読むとこういう風に解釈が
できるからダメですみたいなことを
言っていて、でもそれって
自分の解釈であって、ある人によっては
そのグレーゾーンを
勝手に解釈をしてこれは正しい
っていう人もいれば、
そのグレーゾーンを勝手に解釈して
これはダメだって言ってる人がいて、
そこの定義が曖昧だったり、
解釈がずれているから、
ずれた状態で
話をしているだけだから、
全然噛み合わない当然だし、
そこで何か言っていても
全然生産性がないなって思って、
それでめっちゃ飽きたんですけど、
人は自分が言っていることが
加言名法であるっていうことに
もっと自覚的になるべきだって
私はそこで結論付けたんですよね。
なるほどね。
はい。
そこでね、
SNSの炎上について
私は考え、
そして今なんか、
もう炎上飽きたなって思ったから、
今Xにいる時間が短くなっている。
いいんじゃないですか。別にX
いないほうがいいかも。
でも今聞いていて
思ったのは、
私の考えはですよ、
人は自覚できないんだと思います。
その話は。
無理。
やっぱり無理なんだと思うんですよ。
まず一般的に。
やっぱり、
これは話を広げすぎな気もするけど、
あえてそういう話をすれば、
普通に教育の中で、
これが正解ですみたいなことを
ずっと言われる教育を受けるわけで、
全ての物事は、
性語で判断されるんだみたいなのは、
ごくごく一般的な多数の人は。
ということは結局、
自分の考えは、
性語であり、
相手の考えも性語であるとなった時に、
自分が正しいことを言っていれば、
相手は間違ったことを言っているみたいな、
そういう対立、
二項対立の世界でしか、
物事を考えられないんだと思うんですよね。
さっきのベリサイユ宮殿の話も、
自分のことが正しいのであり、
相手のことは間違っているのである。
相手のことが正しいという可能性には、
考えが及ばない。
考えることができないというのが、
ごく一般的な感覚なんだと思うんですよね。
そうですよね。
だから、
その前提で物事を考えないと、
多分無理かなって、
そんな気がしています。
そうですよね。
そこを分かってもらえるとか、
人間はそれに気づくことができる、
みたいなことを、
そこの希望的観測を
持っていると、
自分が疲れるだけだなって思う。
もちろん、その希望的観測が必要だし、
それができない。
それができない。
そこら辺がうまくいっていないのが、
最近のいろんなことだと思う。
それをやってほしいのが、
僕の中では哲学みたいな分野だと思うんですけど、
そこも行き詰まっている感じは、
どうすればいいんでしょうね、
という感じがしますね。
そうですね。
それを考えていきたいよ。
これから。
どうなんでしょうね。
むずいなって思います。
これはなんか、
この予波中が進んだ時に、
1回テーマとして挙げて、
どう乗り越えられるのか。
いいんじゃないですか。
教育と二項対立
先生理論みたいな。
いいと思います。
そういうテーマでやってみたい。
そういうことにしましょう。
そんなとこですか。
そんなとこです。
今回はここまでにしたいと思います。
予波中ではDiscordで、
2人の放送後の感想を返したりとか、
今日もいくつか出てきたと思うんですけど、
エピソードの中に出てきた参考リンクを
載せていたりするので、
ぜひお気軽に覗いてみてください。
Xもやっているのと、
ぜひ概要欄からお願いします。
私はこう思うとか、
ぜひあれば教えてください。
お好きな場所であなたの感想も聞けると嬉しいです。
Xでは、
お待ちしています。
ここまでお聞きいただきありがとうございました。
次回もぜひお会いしましょう。さようなら。
さようなら。
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