1. 余白のエクリチュール
  2. 「会話」や「対話」ってそもそ..
2026-02-13 1:11:52

「会話」や「対話」ってそもそもなんだっけ? ~ 我々がPodcastで長々と話す意義 ~

#40 / ※時折タッチノイズが入ります、失礼しました / 対話について語ろう / 何も言えなかった経験 / 対話ってなんだろう? / 対話 = 自分の認知を書き換えること? / よはちゅるでは対話が目的になっている? / 対話 = 目的に対する手段であるべき? / 会社の後輩との話は対話だった? / 対話 ≠ 雑談的なやり取り? = 会話? / 会話 = 機能的なやりとり? / 対話的なものは、宙吊りの状態を続けていくことそれ自体に意義がある? /ネガティブ・ケイパビリティは理論としては分かるけど / 今の社会では分かり合えなさを知ること自体が困難になっている / 人の本心を知るには時間や回数を積み重ねるしかない / つまりよはちゅるはそういう場では / “本音”ってなんだろう? / ”本音”で話すのは良いこと? / “誠実”についても考えてみる / 誠実であるために本音で話すというのは違う? / 誰にとっての誠実? / フラット派or白黒つけたい派 / 他人に対して影響力は持てない? / トランプは本音で話している?誠実? / 文脈込みで考えるか否か / ベースの価値観と文脈込みでの価値観は考え方が違うのでは / 人が何を前提として話しているかはわからないのが会話の面白さ・難しさ



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異なる時間や場所を生きてきた2人が、まだお互いをよく知らないところから始めたPodcast。

発信が溢れる時代だからこそ、“聴くこと”に価値を置く。様々なテーマの感想や解釈を起点に、埋まりきらない“分かり合えなさ”さえも楽しむ余白をあなたも。


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やぎしょーご Shogo Yagi @sho5_midday ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://x.com/sho5_midday⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

𝑃𝑜𝑚𝑃𝑜𝑚 🍮@pompomreading ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://x.com/pompomreading⁠⁠⁠

サマリー

このエピソードでは、「会話」と「対話」の違いと、その本質について深く掘り下げています。ポムさんは、対話とは問題を解決するための手段であり、関係性を更新するプロセスであるべきだと考えていますが、現在の「よはちゅる」の場が対話そのものを目的にしてしまっているのではないかと疑問を呈します。一方、しょうごさんは、仕事におけるやり取りは機能的な「会話」であり、対話は結論を急がず、宙吊りの状態を続けることに意義があるという見方を示します。また、「本音」や「誠実さ」についても議論が展開され、それらが誰にとって、どのような文脈で意味を持つのかが探求されます。最終的に、相手の前提や価値観を理解しようと時間をかけて紐解くプロセスこそが「よはちゅる」のような場で行われる対話の意義であり、現代社会においてその重要性が増していることが示唆されます。

「対話」とは何か? ポムさんの疑問と経験
はい、始まりました。 余白のエクリチュール、略して余白のエクリチュール。
今回は、対話について語ろうです。 よろしくお願いします。
はい、お願いします。
はい、じゃあ今回、対話について話していくんですけど、
これのテーマを持ってきた理由が、
私がその余白のエクリチュールをやっていて、
対話っていうものが、余白のエクリチュールをやっていく中で、何なんだろうっていうことを思ったし、
余白のエクリチュールを抜きにしても、人と話してて、
これ対話って何だろうっていうことを、すごい思った経験があったんですよね。
なので、ちょっと今回それについて話してみたいなっていうふうに思いました。
で、ちょっと持ってきました。
はい。
で、なんかちょっと私、いろいろ考えてきたことがあるんですけど、
ちょっとなんか、とりあえずね、私がこの余白のエクリチュールで、
余白のエクリチュールをやりながら、対話が何っていうのを、
分からなくなったというよりも、別のところで人と話してて、
の会話と余白のエクリチュールを比べたときに、
なんか対話って何だろうなって思ったことがすっごいあったんですよ。
で、なんかそれかですね、私がその人と話してて、
多分その前提としている価値観が違うんだなって思ったことがあって、
で、なんかそれにその、あったときになんか私は、
それに対して相手に何も言えなかったんですよね。
なんかその、それって多分その前提としている価値観がちょっと違うかもですねとか、
なんでそういうふうな、なんかそのことを言っちゃうのみたいなことを、
なんか何も言えずに私は、もうなんかそれってそのまま流しちゃったみたいなことがあって、
でもなんか、でもその、そういうその場ではなくて、
例えばこの余白だと、そういうことをなんか流さずに、
なんか自分がその疑問に思ったことは、その話すとか、
そういうことができてるけど、なんか実際本当になんかわかんないって思ったことがあったときに、
この人とはなんかわかり合いとか思ったことがあったときに、
なんか私が本当になんか言えないんだなっていうことを思って、
なんかそれが、この余白だとそのわかり合いなさ肯定するとか、
なんかその、なんだろうな、そもそもこれってそのプロセスエコノミーですっていうことでやってる、
で、そのそういう、なんだろう、そういう目目でやってるから、
もう別になんか、なんだろうな、
その私がなんか発言をすることで、その注意をしながら発言をしているけど、
なんかもしかしてそこでそこがあったとしても、それがなんか取り返せるとか、
そこのなんかすり合わせができる場ではあると思うんですね。
なんかそれはすっごいいいなって思ってるんですけど、
なんか実際なんかその人と話しててわかんないってことがあったときに、
それができないなってことに気づいて、
で、なるとなんか対話って何なんだろうなみたいなことを思ったんですよ。
はい。
はい。だからちょっと対話について話したいなって思いました。
対話は目的か手段か?「よはちゅる」の場の考察
はい。今の話聞いてて思うのが、なんだろうな、
いやまあそうだよねとしか思わんというか。
いやまあそうなんですよね。
はい。
いやそう、そうなんですよね。
まあでも結局なんかそうなんだよな。
別になんかそこで私も、なんか話し、その人となんか話して、
もうなんかわかり合おうということを、別になんかもう目指さなくていいなって思ったっていうのはあって、
うん。
で、なんかそういうときに、なんだろうな、
うん、なんか別になんかそれでいいんでしょうけど、
うん。
なんだろうな、でもなんかそれでいいっていう話でしかないのかな、なんだろう。
でもなんかなんだろう、それが、ちょっと待ってね、
これをなんか話すとそれでいいなっていう結論にしかなんない気はするから、
ちょっと待って、じゃあ別の角度から話すと、
はい。
その対話がわからない問題で、
えっとなんか私にとっての、ちょっとなんかね、
この私なんでこの、そもそもこの対話会をやろうかって思ったのかっていうのがあって、
なんか私がその対話に対して、結構なんだろうな、
なんだろう、自分の認知を書き換えることが、が嬉しいで、
対話にとってそれが大事だみたいなことを思ってたんですけど、
なんかもうちょっとそこをなんか書き換えた方が、
なんかうまくなんかこのヨハチュルの場も回るんじゃないかみたいなことを思ったりもしていて、
なんかなんだろうな、今なんだろうなその対話が、
えっと今のこのヨハチュルって対話が目的になってるなっていうのが思ったんですよね。
で、えっと、えっとなんだろうな、
普通だとそれはなんか違うっていうか、っていうなんか私思ってて、
なんだろう、私も今ちょっとこれ、なんかメモはしてきたけど全然自分の中で考えがまとまってないから、
なんかこの中でそのまとまるといいなっていうか、
ちょっとなんかその対話の考え方がちょっと変わるといいのかなとか思ってるんですけど、
なんか今のこのヨハチュルって対話が目的になってるなってずっと私思っていて、
でもそのなんか自分が思う対話って、対話が、
この考えをちょっと変えたいっていうか、変わったらいいのかなと思うんですけど、
対話ってその対話が一つで成立しているものじゃなくて、
なんかその問題を解決するための手段としてあるものじゃないのかなって思ってるんですよね。
でなんかその、でその中でその人との関係性を更新したり、
その人とのなんか相互があった時にそれをそのすり合わせをするための手段が対話だと思ってて、
なんかそういう私今考えてきてるから、
なんかこのヨハチュルの場って対話って対話と言えるのだろうかっていうのを考えてるんですよ。
で、なんか多分もしかしたらその他の人はそう思わないかもしれないし、
この場が対話として成立していると思うかもしれないけど、
なんか私はそこがなんか自分が違うのかなって思ってて、
なんかなんだろうな、
だからこのヨハチュルの場を私は対話の場としてなんか行きたいけど、
なんか私の考えで言うと多分、
私のこの考え、対話感で言うとなんかずっとこのヨハチュルで、
なんか自分はがやってることは対話ではないんじゃないかって思いながら、
ここで話すことになるのではないだろうかみたいなことを思ったんですよ。
うん。
なんか言いたいこと伝わってますかね。
ちょっとなんかもうちょっと話した方がいいかな。
いや、逆に多分話しすぎているのだが、ちょっと待ってくださいね。
どうしようかな。
だから今の話の僕の理解は、
パオさんにおける対話というのは何か目的に対する手段であるっていうことを言いたいってことだと思う。
そういうことです。そういうことであってて、
だからなんかそういうなんか私の、今これを私が自分を見た時に、
それって多分なんか自分の対話を狭めてるなっていうのがすごい感じてるんですよ。
だからそうじゃないその対話のあり方があればそれを知りたいみたいなことを思ったりしてて。
ちょっと話を戻したいんですけど、
今ちょっとなんとなく分かってきてはいるのだが、
目的に対する手段が対話だとした時に、
ヨハチュルのこの場ではその考え方における目的が存在してないっていうことを言っている?
そう、なんかそうじゃない、そうなのではないかみたいなことを、
なんかちょっとそれ、これ私この話、これ結論じゃなくて、
なんか自分でもうまくまとまってないところで、
なんかこの考えの先を見たいなっていう気持ちがあるんですけど、
なんかその私がちょっと待って、なんか私今すごいなんかいろいろメモしてきたんですけど、
なんか全然ちょっとなんか手前のとこじゃなくてちょっと先のところから話しちゃったなっていうのがすごい、すいません。
なんか今ちょっと反省してるんですけど、
なんか自分がちょっと結構なんか対応、
動作的に考えてるなっていうのが思って、
なんかその私が、なんだろうな、さっきその前提の、なんだろう、ちょっと待ってね、
なんだろう、そのヨハチュルが、
なんだろう、例えば、例えばの話で、この例えばの話してもしょうがないか、
なんかその仕事でこの前インターンの話してて、後輩と、
で、なんかそのインターンの内容決めてるときに、後輩は営業で、
で、その自分はそのお客さんとエンジニアつなぐ役割だから、言葉をなんかつなぐゲームをしたいみたいなことを言ってたんですよ、
言ってて、パンとして持ってきてて。
それなんか面白いんですけど、
なんかそれだったら、別にゲームするだけだったら大学生にとって、
なんか別にその学びがないのではみたいなことを、私は思ったからそういうことを言ってたと。
で、お互いの、ちょっとそこから話をして、最終的にそのロールプレイングっぽく、
大学生にとってもお客さんの役割を大学生はしてもらって、
エンジニアもこっちから社員が出てもらって、
で、そのなんか営業とお客さんとエンジニアの、
ただなんかその言葉をつないで終わりにするんじゃなくて、
お客さんとして体験してもらったら面白いよね、みたいな話に落ち着いたんですけど、
そういうことを言ってるときって、私これで対話だなってすごい思ったんですよ。
それが何でかっていうと、私が今やりたいことがあって、私はなんかそれに対して違う考えを持っていて、
そこからお互いに話をする中で、お互いの納得するところを、
妥協点を見つけて、1個その案を考えるってことはやったんですよね。
これはなんか私の中ですごい対話だなって思ったんですよ。
それはなんかその1個、より良いインターンシップのプログラムを作るためにはっていう目的があって、
それに対して進んでいくものだったから、私はこれはすっごい対話だなって、いいなって思ったんですけど、
そう考えたときに、ヨガチュールだとこの目的がないみたいなことを思ったというのもあります。
仕事における「会話」と「対話」の境界線
うーん、なるほど。難しいな。
ちょっと待って、私なんか絶対もっと手前のところ話した方が良かったんだけど。
いや、何だろうな。まあ、はっきり言えばピンときてないです。
いや、たぶんそうなんですよ。
なんだろう、対応…私がなんかたぶん、目的を持って対応しなければと思いすぎてるみたいなところがあるかもなって思って、
なんか、なんだろう、たぶん絶対そうじゃない考え方があるはずなんですよ。
それを知りたいなっていうのがあります。
なんか、たぶん…
なんか、わかんないけど、話しちゃうと…
いや、なんかすごく今、へーって思ってるのは、
ここの考え方とか、この考え方をしているポムさんはすげービジネスパーソンっぽいなって思って僕は聞いてるんですけど、
なんか、その人格はあんまりポムさんの中にそこまでないのかなって思ってたけど、なんかすげー出てきたから、なんか僕はへーって思ってる。
あ、そうなんだ。
これまでの話の中では、比較的そういう要素はそんなにないっていうトーンで来てたのかなと思ったんだけど、
この話におけるところはすごく、結局なんだろうな、まずは目的があってそれに対してみたいな考え方をするのは、
別にそれはそれでいいと思うんだけど、なるほどそういう考え方をするのかと思って聞いています。
そうなんですよ。でもなんだろうな、なんか多分私の中で、
グラデーションの部分で考えられてないのかなっていうのはあって、
目的を持ってやるのが対話だと思っているところもあるし、
でもなんかそれだけが人と話している時に楽しいんじゃなくて、
ただただ自分の好きなものだったりを話すっていう時間もすごい楽しいんですよ。
で、なんかそれが、それはなんか会話として楽しいけど、
でもそれはなんか対話じゃなくて会話だよなみたいなことを思ってて、
じゃあなんか対話って、なんか何が対話なんだろうみたいなことを思ったんですよね。
そうなんだ、いやなんか今のまだわかってないんだけど、
じゃあ今の定義で言うと、いわゆる雑談的なものは会話であって対話でないっていう整理をしてるってことですか?
っていう感じかな、私の中ではっていう整理してて、
でもなんか全然でも、会話とか雑談も全然楽しくはあるんだけど、
なんかそれを対話という枠に当てはめた時に、なんか対話じゃないっていう風に思っちゃって、
なんだろう、私もなんか結構なんか枠にとらわれるみたいなところあるから、
こういうなんか自分の対話という定義を自分の中で思っちゃってるから、
なんかなんだろう、そうなんだろうな、
なんかもうちょっとなんか対話を柔軟に考えたいみたいなのをすごく思っているなーっていうのはあるんですよね。
なんか例えば、なんだろう、どこからが対話と言えるのかっていうのは、
逆になんか昭和さんはどう、何が対話かっていうのを聞いてみたいなと思ってて。
今僕が考えていたのは、ちょっと難しいんだけど、
もう極端に言ってしまえば、今ポムさんが会話だと言ったものを対話だと思っていて、
ポムさんが対話だと言ったものを会話だと思ってるかもしれない。
逆の考え方してるかも。
極端に言えばね。
でも厳密に言うと、厳密に言うと多分第3のものがあって、
雑談とかで、そもそも話になってないっていうケースも、
それぞれが言いたいことを言ってるだけっていうケースも多々あると思っていて、
それは多分どちらにも当てはまらない何かがあるんじゃないかっていうのを今考えてはいたけれどっていう感じかな。
それはあるとして、確かに3人以上とかで話すとすごい会話がいろんなとこに行っちゃって、
トピックを並べるだけになっちゃってるのもあるし、それはわかるんですけど、
なんかすごい興味深いのは、私との考え方が極端に言うと逆って言って、
私が言ってる対話が会話っていうのはちょっと全然わかんないんですけど、どういうことなんだろうそれって。
僕も今すごく整理をしていったわけじゃないんだけど、直感的にはそう思っていて、
何だろうな、少し抽象化して言えば、仕事において話すことって全然対話だと思えないんですよ。
会話だなってすごく思っているし、仕事において人と何か話すときに、僕対話って言葉は使わないですね。
確実に会話って言葉を使いますね。
それって何で仕事においては会話なんだろう。
それって別に仕事っていう軸があるだけで、もっと本質的には何が会話であって何が対話でないんだろう。
そんな僕の今の仮説は非常に機能的なんだと思う。
なるほど、機能的。
それこそ目的みたいなものがあり、それを達成するために人と話すっていう、あくまで機能として話すっていうものをある種会話と呼んでる気がする。
なるほど。
私はその対話を手段として捉えてたんですよね、今の私の定義だと。
じゃあそれはしょうもさん的にはその対話っていうのは、手段になると対話ではないっていう考えなのかな。
もちろんグラデーションだと思うけど、あまりにも手段的なものは対話っていう感じはしないかな。
なんていうか、ちょっと話がそれじゃうかもしれないけど、
その対話、前回の冒頭でもちらっと言ってくれたような、その対話みたいな話、あれその時会話だったかちょっと失礼しましたけど、
僕の中での対話的なものって結局結論が出せるかどうかってあんまり重要じゃないと思うわけですよ。
とした時に、その目的があると結論出さなきゃいけない気がしていて、やっぱそこで騒が起きる気がするので、
なんかそれがやっぱ対話っていうものとなんかしっくりこない感じがしています。
うーん、なるほど。
なんか私が言った目的っていうのが、なんか一つあるのは、
えーと、なんだろう、人と考えが違った時にそれをすり合わせていく過程が大事で、
なんかそれが私自身なんか楽しいところだなって思っていて、
なんかそれをするために話を、話を、なんか話を人がする意味っていうのは、
自分と考えが違うなって思った時に、それを対立で、なんかそれは違うんだって、その対立をぶつけることでもなく、
もう違うからって言って離れるわけでもなく、そのなんか妥協点を探るとか、
妥協点を探るっていうと、ちょっとビジネス寄りになっちゃう嫌いはあるけど、
ニュアンスとしては、そういうふうになんかすり合わせていくことが、人が話をする意味だなって思ってるっていうふうに思ったかも。
「宙吊りの状態」とネガティブ・ケイパビリティ
なんか今聞いていて、僕と多分合ってないのは、
なんだろうな、すり合わせるって言葉もいろんなニュアンスがあると思うんだけど、
妥協点を見つけるみたいなのが、なんかやっぱりちょっとしっくりきてないっていうか、別に妥協点はなくてもいいんじゃないかって思っちゃうんだけど。
なんかね、妥協点がないと、ないままにいくの、合意を一回その形だけでも得ないと、
得ないまま進んじゃうと、なんかずっと平行でになっちゃうなみたいなことは、すごいなんか私の感覚としてあるのかなとか思ったりしてて。
だから多分そこが決定的に違っていて、それで何が悪いのって僕は思っている。
なんかそれが多分違うのかなって思うんですよね。
で、なんかそうした時に、なんか対話、私が多分今の、この私の感覚で対話っていうことを、なんかここでやろうってしちゃうと、
多分なんか違うから、私はなんかその自分の中の対話っていう認識を変えるか、このヨハチュレでやることは対話じゃなくて別のものって思った方が、なんかもうちょっと自分の中で、なんか話が広がりがあるのかなっていうふうに思ってるかな。
うーん、なるほど。なんか今聞いていても思うのは、だからなんでだろう、なんかその平行線だと何がダメなんでしたっけ。定義に合わないからっていう話だけなのかな。
うーん、定義に合わないっていうのと、なんか平行線なのって、なんだろう、なんか同じ場所を見てないみたいな気がするってことなのかな。ちょっと私全然今まとまってないんですけど、なんだろうな。
同じ場所を見てないんだと思うんですけど、なんていうか、どういう言い方がいいか。結局、結局じゃないな。なんか対話的なもの、的なものって言い方今ざっくりさせますけど、それは可能性が開かれてるってことは結構重要な気がしていて、
もしかしたらその平行線が交わる時があるかもしれないし、交わらない時もあるかもしれないみたいな状態、宙吊りの状態をちゃんと続けていくっていうことに、僕は結構意義がある気がするんですよ。
宙吊りの状態を続けていく。
平行であり続ける保証もないし、あり続けない、何かいつか交わる可能性もあるかもしれないっていう、流行りの言葉に言い換えればネガティブ・ケイクアビリティ的な、そういうなんかよくわかんねんだけどみたいな状態をすぐ分かろうとしないみたいなところに結構ポイントがあるんだと思ってるんですけど。
それはすごいなんか理論的には私の頭の中で、私もそれはすごい大事だなって思うけど、なんか自分の実感に落とした時に、なんか実は目的を持ってやっていた、なんかやることが大事なのでは?って、
多分今思ってたのかも、みたいなことを思い、気づいたというか、思いましたね。なんだろうな、なんか、うん、なんか目的を多分持ちすぎていたというか、でもなんかじゃあそうなった時に、この対話本やることの意味って何なんだろう?みたいなことを考える。
でも多分その意味を考えるっていうことがダメなのかも、ダメではなく、それがなんか目的意識の塊なのかもしれないけど、難しいな。
なんだろうな、ちょっと話をあえて書いてみると、今ヨハチュルの概要文の最後には、生まれきらない分かり合いなささえも楽しむヨハクをあなた持って書いてるんですけど、生まれきらない分かり合いなさっていうのは、ポムさんにとってはどういう扱いになるんですか?今の話は。
なんか、生まれきれない分かり合いなさを、多分私今思ったのが、それってなんか自分は大事、大事だと頭で思っているのですよ。
なんかそれは、たぶん私がさっきちょっと話したこととも、なんだろう、さっきの分かり合えないと思った人との話にも数字いるんですけど、私がその人と話してて、私はその人のこと分かったつもりだったし、この人はこういう人なんだって決めつけてたって部分があった。
だからそれが悪いことだと、そこで私は学んだから、そうしないようにしたいっていう気持ちがあって、だからその不確実性の部分を残すってことが大事だと思っている、頭では。
だからそこを不確実にしたままってのもちょっと違うんですけど、分かろうとするとこは分かろうとしたままで、でも分かったと思い込まない、思わないってことの意味での不確実性なんですけど、それを大事にしたいということはある。
たぶん頭で理解してるんですけど、たぶん私の根本的な性質的に、それがなんだろう、それが気持ち悪いというか、気持ち悪いじゃないですけど、やっぱり目的を持ってやらないと、みたいなことを思うのはたぶんあって、
たぶんこれって別にネガティブな意味じゃなくて、そもそも私が目的意識を持ってやるっていうのがすごい、なんだろうな、それが私をポジティブな方向に動かしてきたっていう経験もあるんですよね。
なんか実際その仕事をするにあたっても、自分が今やってるその作業そのもののことだけを考えるんじゃなくて、これはこういう目的が、大きい目的があって、地域社会の果てに貢献するとか、そういう目的があって、それに対して自分は仕事をしているんだ、みたいなことを思うんですよ。
だからそのための手段として仕事をする、みたいなことをずっと考えてて、たぶんそういう人にも言われるんですよね、あなたの目的意識がはっきりしてるっていうの。
それがたぶんポジティブな方向で働いてるっていうのもあるかもしれないですけど、なんかこの話で言うと、なんだろう、それをなんかはっきりしないまま話すことがもやもやする、みたいなところもあるのかもしれない。
で、ちょっと今思ったかな、なんか自分がそれを考えすぎてる、なんだろう、こういうふうになりたいっていう気持ちはあるけど、その気持ちっていうのもたぶん自分が目的を持ってやってしまうっていうところを、
なんかある種の欠点として捉えてるからこその、なんかその分かり合いなさを楽しみたいみたいな気持ちがあるなって思ってて、なんか根源的に、なんかその目的を持つことの、持たざるを得ないみたいな、なんかそういうところがあるのかもしれない、自分の中でっていうことにちょっと今気づいたかな。
「本音」と「誠実さ」の定義と、その意味
なるほど、今聞いてて思ったのは、今そうだとして、今もやもやしてますってことであれば、そのままもやもやしててほしいなって思ったら、それでいいんじゃないかなって思っちゃったんですけど、じゃあもう少し話を進めるとして、じゃあそこで言ってる目的って例えばどういうイメージなんですかね。
目的は、なんかそれが、なんだろうな、難しいんだけど、何かな、例えばその普通に人と話してて、分かんないなって思ったことがあるとする。
で、その時に、分からないなって思った、なんでじゃあその人はこういうふうに思ったのかとか、なんで私はこの人のことを分からないと思ったのかっていう、なんかその価値観とか経験とかを降り下げていくっていうことが、
大事だと思ってる、でそれがなんかそこを、でもなんか今思ったけど、それって別に、この普通のなんか会話とこのヨハチュールって何が違うんだろうっていうのは、なんだろう、思ったけど、なんだろう、全然。
あれ、今のロジックがよく分かんなかったんだけど。
相手の価値観を知るみたいなのは、なんだ、それはどういうことか、それは対話において重要だと思ってるってこと?
分かり合えないなって思った時に、その相手のなんでその分かり合えないかと思った理由、理由には多分その人の今まで生きてきた経験で積み重ねられてきた、なんか考え方があるはずで、それを知ることで、
私はあなたのことを分かってない、分からないなって思ったけど、そういう理由があったんだねみたいなことを、納得するっていうか、なんかそういう、でなんか自分も、なんだろう、分からないから、分からないって思ってた、
なんかその自分の考えも、多分自分の考えが協量とかで、でなんか相手のことが分からないって思ってたけど、自分もなんか見直すところあったなみたいなことに気づくっていうのが大事っていうことを今思ったけど、でもなんかそれって別にでも、その普通のその会話とこのヨハチェルの会話でも、普通になんか変わんない。
分かりました。えっと、俺の中で今分かったか。勝手な分かったかも。だからなんていうか、僕が思ってるのは、その、分かり合えないなと思って、その分かり合いなさを知るっていうこと自体が普通もう困難だと思うんですよ。
なんかそれを、ポムさんさらっと言ってるけど、多分それ知って、なんか相手の価値観を分かったって思うのが、僕はもう困難だと思うわけです。それがもしそう思ったんだとしたら、それは勘違いなんじゃないかなって、僕は今思っている。
相手の、
それがいわゆる、
え、それは、何が、何が困難なんですか?ちょっと待って、もう一回。
例えば、どうやって相手の、分かり合いになったときに、どうやって相手のことを知るんですか?相手に話してもらうってことですか?何が違うのか。
うん、相手に話してもらう。相手に質問して、
それって、
うん。
そういう、なんか考えを持ってたんだねっていうのを。
そのやりとりって、普通の平場で困難じゃないですか?
なんか、多分、
僕はそう思ってるんですよね。
なんか、多分私、そこが多分違ってて、私は、それが、そういうことがあったときに、
ちょっと本当になんか無理だなって思ったときは、多分無理なんですけど、そうじゃない人だと、質問も私はすごいしたいんですよ、その人に対して。
はい。
で、するようにしてて、だから、なんか、私はそれができると思ってる。
だから、そこが多分区別があって、質問するのはいいと思います。
けども、質問から出てきたものが本当かどうかなんて、誰も確証が持てないんじゃないかなと。
それは、なんか、
僕はそういう場で出て、質問して出てきてくるものは、多分、あんまり、多分、まといているものじゃないんじゃないかなと。
その場で取り繕われた、それは意図的かどうかを置いておくとして、ものなんじゃないかなって基本的に思います。
なんかね、めっちゃそれを思うんですよ。
で、それって多分、意図的なものかもしんないんですけど、
それが多分わかるのって、実際なんか、あれかな、話をその場限りじゃなくて、続けていって、その人の全体像が見えたり、
その人の考えが過去と今で変わったのとか、分かるのとかって、その人の考えを本当にその人の本心で言ってたって分かるのって、
やっぱりなんかその場限りのものじゃなくて、その人の話をやっぱり続けていく時間とか回数でしか生まれないのかなっていうのは、今めっちゃ思ってて、
っていうことは、私は思ったんですけど、それはやっぱりこのオイワチルでやっていくべきなのかなって思いました。
僕が言いたかったのは、結局やっぱりそこがそこの差異なんじゃないかなって。
そういうことか。
今の話を強引に会話と対話の定義にぶつけるんだとしたら、
ただその平和でそんなに親しくないといったんした相手とそういった話をすることはある種会話的なものであって、
それを会話を積み重ねていくっていうものが対話だと思うわけですよ。
なるほどね。
積み重ねるっていうことをやれるって、それは単純に時間的制約もあるし、関係性的な問題もあって、なかなか難しいのだっていうのが、
僕がさっき言った困難ではないかっていう話なので、もちろんそういうことができるケースもあるとは思うんですけど、
なかなかできないっていうのをこのpodcastっていう特殊な空間でやるっていうことには、目的じゃない気がするけど、いい意味はあるんじゃないかなって思ってるっていうことですかね。
いやー、なるほど、なんかね、今ちょっと私の中ですごく納得が、納得がいったというか、なんかそれって、
なんかこれをたぶん今聞いてる人は、すごい、なんだろう、簡単に納得がいったって多分思うかもしれないけど、そういうこと全然ないんですよ。
なんか、確かにそうじゃん、みたいな。
いやー、なんか思ったな、今、すごい、思ったし、ちょっと待って、ちょっと話を変えるんですけど、なんかそうしたときに本音ってなんだろうっていうのを、すごい私は思ってるんですよ。
で、それちょっとね、今日話したいなって思ったから、話したいんですけど、なんかこれが私思ったきっかけがあって、
なんか自分がね、この前、普通にその人と話してて、で、なんか自分がそれって挨拶をなんか打ったり、それってなんかどういうことですかって聞いてるタイプの会話だったんですけど、
なんかそのときにそれ聞いてた第三者から、本音で喋ってていいですねって言われたんですよ。
で、私なんかそのときに別に自分が本音で喋ってるっていう感覚って全くなくて、なんかそれって本音って何なんだろうなって思ったし、
で、なんかそのさっきしょうごさんが言った、その本音かどうかは別に人にはわからないっていうって話にも通じると思うんですけど、なんか本音ってなんだろうっていうのはすごい思いました。
って話をして。
本音って何でしょうね。
何でしょうね。
なんかね、なんかちょっと私思ったのは、自分が、なんでその人が本音と思ったのかっていうのを聞けばよかったなって思ってたんですけど、別になんかそういうことを聞くこともせず、自分が。
僕の中での定義をあえてするとすれば、多分ぽくさんピンとこないと思うんですけど、必然性がある言葉っていうのは本音に近いことが可能性が高いっていうことなんだろうと思います。
その人。
私その必然性って言葉ピンと、そもそもその言葉がピンとこないから、それもちょっとね、後で、後でじゃない、何かしらの回で話したいなって思ってたところではあるんですけど、もうちょっと聞いてみると。
だからその人らしさみたいなものって言い換えてもいいと思うんですけど、それが本当かどうかを置いとくとして、そう感じ取れるっていうことは、なんか本音で話してるなって思うじゃないですかね。
え、でもさ、そう感じ取れるっていうのはさ、それもさ、その第三者から見てって話ですよね。
そうですそうです。
それって、第三者がじゃあ本音かどうかを定義するって話ですか。
あー、だからどっちもあるんじゃないですか。なんだろうな。
自分から見ても自分らしいと思うものとそうじゃないものってあるじゃないですか。
自分から出たものが自分らしいと思う文章とかもあれば、そうじゃないものもある。
自分らしいと思えばそれは本音だと思うのかもしれないし、そうじゃないと思ったら、なんかこれは取り繕ってるなとか、縦前だなって思うこともある。
自分から出したもの、自分からのケースもあるし、第三者的にそう見るケース、両方ある気がしています。
それが一致するとも思ってない。
その本人が別に本音じゃないとしても、外から見たら本音っぽく見えるっていうことはあるんじゃなかろうかと思いますけどね。
それってなんか、今しょうごさんは、自分から見た本音と他者から見た本音っていう軸で考えてると思うんですけど、
それの必然性って観点で言うと、その人が本音で喋ってなくても、そう見えたら、なんかそれはいいって思う派ですか。
そういう話ではない。
今の話の中で、いい悪いを僕はあんまりの軸は持ってなかったし、ちょっとそれは答えられないかもしれない。
なんというか、そこにいい悪いの軸はない気がする。
今の話は、ぽんさんは本音の方がいいっていう前提っていう話ですか。
本音の方がいいと私は思ってるし、そういうふうに人と話したいと思ってます。
それが誠実だと思っているっていうことかな。
そこが違うかもしれない。
僕はあんまりそう思ってないかも。
じゃあ自分が人と話してて、別に嘘を言ってもいいっていうことはまた違うと思うんですけど、
それは本当に思ってないことでも言っていいって思ってるってこと?
その質問に対してはイエスですね、完全に。
完全にイエスだと思う。
本当のことを言ってもいいだったら全然、本当のことだけ言わなきゃいけないとは全然思ってないし、
それじゃあ絶対うまくいかないよなって思ってる、どちらかというと。
それは何か、たてまえ的にそういうふうな言葉を選び取ったことの方が、そっちの方がうまくいくからいいっていうことなんですか。
そういう場面は多々あるから、そういうことだと思いますね。
なんかそれってその本音を別に何か言わなくてもいいっていうのは、
ちょっと私が聞きたいのは、
それってその場を、たてまえ的なもので、それをカモフラージュすることで、
その場を持たせるというか、その場を成立させるということ以外に、
自分が思ってないことを言うことの意味っていうかメリットっていうかなんて言えばいいかなってありますかね。
なんかあるのかな。
大きくくくれば今の一つに修練される気がするけど、結局それは自分を守るためですね。
なんていうか結局自分が本音で言ったことを言って、
なんていうかめんどくさいことにしかならないケースは多々あると思うわけですよ。
そうしたときに本音を言うことのメリットが僕にはあまりわからなくて、むしろたてまえでそれを作ったほうが自分のためになる、自分を守ることになるって考えてるかな。
それはわかるんだけど、でも私も多分そうしてるけど、
普通の会話で本音で話してるなって思ってありますか。
対話における自己開示と「性格の悪さ」
普通の会話で本音で話してるなって思ってありますか。難しい質問だな。ケースバイケースですけど。
私はなんかこのヨハチルの場ではずっと本音で話してるって思ってるんですよ。
自分のなんか。
そういう話?
うんうん。
なんか。
100%本音かって言われたら多分ノーってことですね。
何をもって本音と定義するかっていうのはあるんですけど。
私も別に100%はないけど。
なんていうかそこはまた本音と本音の考え方の違いなのかな。
なんていうか本音っていうか、考えてることを全部言ってるわけじゃないと思うんですよね。人間って。
それはそうですね。それはなんか自分が言葉にできないこともあるし、
考え、ここでなんか言ったら別になんか話広がりすぎるなとか、
ここで言ったら人を傷つけるなっていうのは言わないっていうのはもちろんそれはあるよね。
だから言わないということもメッセージになっちゃうと思うので、そこが難しいんですけど。
何だろうな、本音。
別に言ってもいいけど、多分言わないほうがいいから言ってないこととかもいっぱいあるはずだし。
それはありますね、何だろう。
言わないところにある本音っていうのはあるとして、
私はなんか自分が話してることは出してないところの本音でそれは置いといて、
言ったことは全て本音で話してるなっていうのはあるかな、私は。
でもなんかちょっと違うかでも。
まあいいや、これはちょっと堂々めぐりになっちゃいそうだ気がする。
本音って何だろうって話をもう少ししたほうがいいかもね。
ここの話だけだと。
なんかちょっと角度を変えてもいいですかね。
この前、ひらりささんと、しょうがさんがちょっと紹介してくれたやつで、
ひらりささんのポッドキャストに三宅さんが来たときがあって、
ひらりささんは対話の話をしてたんですね。
ちょっとそれの話を1回するんですけど。
ちょっと今の話を続けてると、ちょっとなんか堂々めぐりになりそうだ。
1回ちょっとこの話をするんですけど、ひらりささんが大事なのが、
相手が自己開示してくれるかが、対話において大事だっていうことを言ってて、
それがちょっと待って、対話か開話かそこの区別はあんまり重要視されてなくて、
人と話しにあたって自己開示をしてくれるかが大事って言ってたんですよ。
で、なんかここの、私はこの回のポイントは自分の中で2つあるなって思ったんですけど、
1個は三宅さんが言ってたのが、自分の性格の悪さをどこまで出せるかが大事だって言ってて、
それがひらりささんとはちょっとそこが似てるとこかなって思ってるんですけど、
ひらりささんはそれを自己開示という言葉で表して、
三宅さんはそれを自分の性格の悪さをどこまで出せるかという言葉で言ってたんですけど、
で、その性格の悪さの宗派が違うとゾッとする。
社に構えた感じっていうのが三宅さんの中で言う性格の悪さらしくて、
それを出せると、この人の話が合うなというか、できるなというふうに思っているらしい。
で、あともう1個は気づきを恐れない会話ができるのがいいということを言ってました。
ひらりささんは言ってました。
で、私がちょっとこれを聞いて思ったのは、
私はこれは同意で、
私は基本的に心が、
最近はあんまり言われないんですけど、しかも言われるのが嫌だからあれなんですけど、
心が広いとか、成人だねっていうふうに私は言われてきてたんですよ、大学生の頃ぐらいまでは。
で、そう思った時に、そういう相手に対しては私は本音で話せないなっていうのはすっごい思ってて、
ずっといいね、すごい肯定的な自己像が相手に、私の自己像が相手にあった時に、
そういうふうに見られるとずっと自分を出せないなって思ってて、
だから、自分が、私の中での本音を語るっていうことの定義を言うとしたら、
自分が人に見せたくない事故とかを開示した相手に対して話す話は全て本音だなって思ってて、
で、その相手が逆に、私が今大学生の頃まで見られていたように、相手が私に心が広いねとか、成人みたいだねみたいなことを投影した相手と話す時は、
全然なんか自分は本音で話せてないなっていうのは、すごい思うなっていうのを思いました。
うーん、まあ、なるほどって感じかな。
うーん。
まあ、そうね。
うーん。なんかずっとその、私は人に対して、てかもう嫌いな人はあれなんですけど、好きな人に対しては誠実でありたいとは思っていて、
なんかその誠実な言葉を紡ぎたいとは思っていて、それとは別に、
でもその誠実であるってことは、全て自分の良いところだけを見せるのは誠実ではないと思っているから、
欠点とか弱みを見せて開示した上で人と接することが誠実だと思っていて、
で、それを開示しないまま人と話していると、それはなんか自分が嘘じゃんって思うから、
なんか最近はそれをもう、いい人間だと思われると自分も辛い、きついから、
私ずっとそれで自分を出せない時期がすごいあったから、
もうなんか最近はそれを見せそうだなって思った相手には開示をして、で、その話をしているっていうのがあって、
そういう人に対してはすごい、なんだろう、本音で話せている感はすっごい自分の中ではあるなって思っています。
っていう風に今ちょっと思ったかな、なんか自分の中の本音感としては。どうなんだろう。
今きっちり思うのは、やっぱり誠実ってものの考え方がまた出てきて、ちょっとそれも違うんだよなって聞いていて、
今の話は、僕からすると別に誠実とかじゃないんじゃないかなっていう感じがするんだよな。
ちょっと気になります、それは。どういうことなんだろう。
なんかなんだろうな、誠実で、僕自身も誠実であろうとするっていうのは結構根本にあるんですけど、
だから本音で話したいんだみたいなのってあんまり直結しない気がするんだよなと思っていて、
誠実であるために、取り繕ったものを姿を出すっていうことも全然あり得るはず。
誰にとって誠実かって話かもしれないけど、そこがなんかもうちょっと多分、ちゃんと考えないとかなーって感じはしたかな。
だからそれも本音も多分一緒で、誰にとっての本音なのかって話した気がするな。
トランプ氏を例に考える「誠実さ」と「本音」
それってなんだろう、私は、私に、なんだろう、本音っていうと、私は自分にとっての本音が大事だと思ってる。
それはそれでいいんだと思う。
それはそれでよくて、誠実なのはなんだろうな、でも私が、私は多分、なんかその自分の今までの経験からそれを思ってることでもあると思うけど、
なんかその場をうまく、なんかなんだろう、波風を立てないようにすることが大事で、そのための言動をしているときって、
多分、相手にとって誠実、それもなんか一種の相手とその場においての誠実さではあったと思うけど、
なんかそれって多分、自分にとってはずっと嘘をつき続けて、自分に対して誠実じゃないなっていうことを多分思ったんですよ。
だから、
そういうことあるんですかね。
だからこそ、それはなんか自分にとって良くないなんてことを思っている話かな。
自分にとって、まあそれはそうなんじゃないかなって感じかな。
だからなんか誰に対しても、
あ、どうぞ。
なんか誰に対しても、その自分を開示するってことはしない。
で、えっとなんだろうな、ちょっと待ってね。
なんかうまくまとまってないんだけど、
自分が誰に対しても自分を開示しずに来ると、もう自分が辛いなっていうのはわかってるから、
なんかそうじゃなくて、
あ、この人とは関係を続けていきたいなって思ったときに、
でも、それをなんか見せないまま、その人と関係を続けていくっていうことは、表面上はできるかもしれないけど、
それをなんかずっと自分の中で、自分が嘘だと思って、それが私はすごく嫌だって思ってるから、
開示をするけど、それはなんか私にとっては、私にとっての誠実さでもあるし、相手にとっての誠実さだと私は思ってる。
って思いました。
それがなんか私の考えではあるんだけど、なんかしょうごさんから見たら、いやそれは違うだろうっていうこともあるかもしれない。
それがあったら聞きたいな。
わかんない、なんかちょっとどこに行きたいのかわかんなくなっちゃってるんですけど、
僕はこの話を聞いてずっと思ってるのは、トランプのことをずっと考えています、僕は。
トランプ大統領のこと。
あの人は誠実なのか本音なのかって、どう思います?
あの人は誠実だと思います?本音でしゃべってると。
いや、あの人は、なんかあの人の、でもなんかなんだろうな、2つあって、
あの人は、あの人の、なんかそのアメリカをもうナンバーワンにしたいとかいう気持ちがあって、
それがなんか自分の行動に現れていて、
なんかそれはなんだろうな、自分の目的があって、
そういう風に、えっと、なんか、えっと、言、言動、激しい言動になっていくっていうのは、
なんか自分の中ではそれはなんか、あると思う。
で、なんか自分に対しては、その、なんか自分の思った目的に対して誠実、誠実とは思わないけど、えっと、
っていうのがあります。
で、なんか、で、一方ででもそれ、なんかその人がやってることっていうのは、えっと、
一個なんか誠実じゃないなって思うのは、なんかその目的がありながらも、なんかその自分がやりたいことが、
何なのかがわかんないというか、えっと、結局なんか、自分が自分で決めてるんじゃなくて、
で、その、大衆の判断を見ながら、えっと、行動してるなっていうことがあって、
なんかなんだろうな、この、この制作一回撮ってみたら、大衆がどう動くのかっていうのを、
見て、えっと、やってる。だから、なんかそこに対して、で、しかもなんかそれ、それが、えっと、
結果的にその、なんか人をやっぱ、傷つける、もう多くの人、ね、ってなってるので、えっと、
今もなんか、毛玉との移民政策で、えっと、射殺したみたいなニュースがありましたけど、
結局なんか、そういうふうに、えっと、傷つけているから、なんだろうな、なん、
えっと、それは人に対しては全然誠実ではないと思う、けど、えっと、なんか自分の大義があるのかなっていうのは、
ある。
だから、なんか聞いていいと思ったのは、まあ、あの、ちょっと今のは、
試行実験的に聞いてみただけなんですけど、あの、僕のトランプ感は、あの人には別に何もないんですよ。
何もない、やりたいこともない、何もない、何もない人だから、たぶんそこから掛け違ってるんですけど、
今の話はね、それ別にそれでいいと思うんですけど、いやだから別に、たぶんあの人は、
あの人は、その時その時では、本音で、自分のやりたいことに誠実に、
なんかやってんじゃないかなって、僕は思っているんですよ。
別に何か大目的があって、なんかやってるってわけじゃないと思う。
もっとその動物的な感性、直感だけで、えっと、物事を動かしている気が、ものすごく僕はしている。
へー。
で、だからあの人、僕、今の話からちょっとどう整理するかあれなんだけど、
だから僕の感覚的には、あの人はずっと本音で話してる。
自分に対してはずっと本音で話してるし、自分に対してはずっと誠実に、えっと、誠実というものをしている人なんじゃないかなって思うわけです。
はい。
っていうのが、なんかその、本音って何なんですかね、みたいな話に対しての、僕がずっと今考えていたこと。
うーん。
それがいい悪いとかそういう話じゃない気がするんだけど、みたいな、そういうことかな。
文脈と前提の重要性:会話と対話の難しさ
うーん。
そんな、いい悪い、なんかたぶん私も、私がその、いい悪いっていうのを、しろころをつけたがるっていうふうに思うんですよ。
で、たぶん話し聞いてると、しょうごさんは、別になんかそこの、えっと、判断をしない、
しない人だと私は思ってるんですけど、その今までの話を、今回に限らず話し聞いてて。
なかなかそこはまあ違うのだと思うんですけど、えっと、なんかそこがたぶんでも違うんでしょうね。
そこが、なんだろうな。
まあそうじゃないですかね。
うーん。それがなんだろうな。
うーん。じゃあ誠実か、いいか悪いか。
じゃあ誠実の話に戻すと、それは、なんだろう、いい悪いはどう思いますか?
それもいい悪いもない、ないと僕は思っていて、
ただ僕自身の美学的には、誠実であろうとはしているっていうのはありますけど、別に誠実じゃないからどうこうっていう話じゃないんじゃないかなとは思いますね。
それも何に対して誠実かって、たぶんいろいろ話が変わってくるから、ちょっと難しいんだけど。
それは、えっとじゃあ、うーん、なんだろうな。
自分が、しょうもさんはなんだろう、自分の美学的に誠実でありたいって言ってる、今言ったんですけど、
それはなんか自分がそうであればよくて、別に他の人はどうであれ関係ないっていう感じなんですかね。
そうですね、まあ、それにイエスの方で答えるんだったらイエスだと思うけど、
なんていうか、根本的に僕は他人に対して影響力を及ぼすってことはできないって思ってるタイプの人なので、
なんかその、なんていうか、他の人も誠実であってほしいとは少なくとも思わないというか、
もちろんそうであったらいいのかもなぐらいには思うかもしれないですけど。
目の前の人が誠実じゃなくてもいいですか?
だってそれはその人が選択してるんであれば、なんていうか、それはそれ一つのファクトなんで、
それに、その誠実であるかどうかは別にあんまり関係がなくて、
それによって何が及ぼされるかっていうことでしか物事は判断できないって思いますね、基本的に。
資本主義みたいなのってそういうことじゃないかなと思うんですけどね。
相手が誰であろうと、お金のやりとりは成立するっていうことだと思うんですよ。
別に相手が犯罪者だろうが、コミュニで物を買うこと。
犯罪者に対してコミュニで物を売ることは全然できる、資本主義のおいては。
っていうようなことを基本的には多分僕は考えていて。
相手がもちろん、どうあってほしいみたいな話はちょっとまた別にあるんですけど、
それだからダメだとか、それだからいいとかっていう話はないんじゃないかなと思いますかね。
それはもうその資本主義というシステムが成り立っているから、
その中でだと、それは成り立たせるための手段として人間が存在していて、
だからこそ多分それってシステムを回すことの方に視点を置いてるって考えだと思うんですよね。
それはなんかその資本主義にまで拡大してしまうと、それはまあそうじゃんってなっちゃうんですけど、
実際じゃあなんかそのしょうごさんが日常で思っていることとしては、
なんかどうなのかなっていうのは聞いてみたいかな。実感として。
今の話はちょっとピンとかなかったんだけど、でも時間も同じですよ、同じです。
別になんかその相手が誠実じゃない、いや全然こいつ誠実じゃないなんて思う人はいくらでもいますけどね。
それはなんかわかるんですよ。確かにその誠実じゃない人はいくらでもいるし、
別になんかそういう人とは関わりたくないと思うし、関わるとしても、
それがなんか別に仕事であれば、その仕事が回ればいいので、
別になんかその人の誠実かどうかは関係ないというのは私はすごいわかるんですよ。
で、それっていうのはそのさっき言ったその資本主義のシステムを回すことが大事っていうことの方にも私は関係するんですけど、
じゃあそうじゃなくて、その仕事とかそのシステムとかそういうところを抜きにして、
その抜きにしたとしてその人が誠実であるかどうかっていうのを、
いいか悪いかって判断ってしょうごさんはそうであってもしないんですか。
ちょっと場面が想像できないな。よくわかんないな。
その問いがあんまりわかってないかもしれない。
その問いは何の問いなんだろう。
目の前の人が。
それは僕は結局文脈コンテキスト次第だなって思うんだけど。
それをコンテキストを取っ払ってその問いをかけることの意義があんまり僕はわかってない。
それはなんか正義と悪どっちがいいですかって聞いてるように聞こえる。
だからそれは正義のほうがいいよねっていう大前提。
誠実か正実じゃないのどっちがいいですかって聞かれたら、
それは正実のほうがいいに決まってますよねっていう大前提。
だけどいろんなコンテキストがある中で、
それはいろいろ変わり振るよねっていう話をしていると思うんですね。
なるほどね。でもそれは確かに、それはそうなんですよね。
あ、なるほど。
なんか私はそのしょうごさんがフラットすぎて、
その誠実であるかどうかの、
私がその今回のその話を聞いて、さっきまでの話を聞いてると、
別になんかその誠実も、
その良し悪しは別にその判断しないって話をしてたから、
なんかそれってなんか私の価値観ではそうではないから、
私はそのフラットに見たいと思わないし、
自分はなんかどっちかというと白黒つけたい派だから、
そう思ってたんですけど、
だからしょうごさんなんかめっちゃフラットだなって思って、
その誠実に対しても良し悪しを判断しないのかなって私、
今思ったんですけど、別にそういうことじゃなくて、
なんかもっとその、私はなんかもっとそのミクロなところで今話をしてたけど、
しょうごさんはちょっともうちょっとその広いところで、
文脈込みで話をしてたんだっていうのは今ちょっと納得しました。
そうですね。
「よはちゅる」で対話を行う意義と結論
なんかタイタンが毎日言ってた気がするけど、
なんかそれは今の世の中、それはリベラルはもう、
タイタンじゃなかったかな、誰かが言ってた気がするけど、
リベラルであることはもう大前提の上で、
じゃあどうしましょうかみたいなことを今考えてるんじゃなかろうか、
みたいな話を誰かがしてた気がするんですけど、
そこがめっちゃわかるんですよ。
ベースリベラルだけどみたいな話、
それはみんな人それぞれだよねみたいなことは、
もうなんかある程度合意されてるっていうのが、
もちろん全部が全部じゃないと思うけど、みたいなことを、
ちょっと今のところ切るかもしれないけど、
そういうような考え方をしているので、
その誠実であるのが良いか悪いかみたいな話は、
それは誠実の方が良いよねみたいなこと、
それはこれに限らずいろんなものはそうなんだけど、
結局でもそれはコンテキストによって色々変わりうるものでもあったりするから、
っていうことをずっと話してるつもりではいますね。
不定心で考えてる。
それは分かった。
分かったし、たぶん私はその話を聞いてて、
それは誠実はそうなんだし、
たぶん人もそう思ってると思うけど、
しょうごさんの話を聞いていて、
私はたぶんそれが見えなかったから、
たぶんずっと聞いてたんだと思う。
しょうごさんが。
それは面白いところですね。
会話の面白いところだと思います。
前提としてそう思ってる。
そう思ってはいるんだろうけど、
別にその会話の中で今、直接的に見えたところではなかったから、
それって本当はどうなのっていうのを、
根源的にはどうなのっていうことを、
私は聞きたかったんだと思いましたね。
それは分かったので、見えたので。
分かりやすく、会話とか対話の難しいところだと思いますけど、
結局その人が何を前提として喋ってるかって分かんないわけですよね。
そうですね。
それがちょっと見えましたね、今。
そこをちゃんと紐解くっていうことは、
普通の会話ないし、対話ではなかなかできないことだと思うわけですよ。
結局それは別にそういう話じゃないかもしれないし、
目的があったとしても、目的のために話してるわけで、
そこの裏にどういう背景があるかってあんまり関係なくて、
結局出てきたもので判断するしかないんで、
みたいな話だと思うんですけど、
結局その裏にどういうことがあるんでしたっけみたいなのを、
ちゃんと紐解くみたいなことをやるのがこの場なんじゃないかなと、
僕は思ってますっていうところに帰ってきたかなと思う。
今さ、それが実感として分かったのがすごい面白かったなって思いました。
私は冒頭で言ったように、
それを頭で考えつつも、
頭ではそれが大事だと思って、
ヨハチュールで今掲げていることが大事だと思っているし、
でもそれでも目的的になってしまう、みたいな自分がいて、
ヨハチュールってこの目的ないよなとか思ってたけど、
実際今の会話を重ねていくことで、
目的とかじゃなくて、目的を考えないところで、
そもそも本当に人が話している前提で、
なんだっけっていうのは見えないものなんだと。
それを、さっきもしょうごさんがまとめてくれたことと重なるんですけど、
それはこういうふうに時間をとってやらないと見えてこないし、
しかもこれに対して、テーマに対して話すってことが日常で、
時間もないっていうのもあるし、
それを喜んで話してくれる相手を見つけるのも難しいし、
それに対して、
それを多分この場ではわかりやすさを認め合うっていう行動があるからいいんですけど、
それをない状態で話しちゃうと、
どっかで祖母が生まれたときにこいつとやっていけないってなっちゃうかもしれないから、
そうなるんですね。
それが、その安全性が確保されている場だから、
ここで話すことには意味があるって言うとまたちょっと私の悪になっちゃうんですけど、
いいとしてまず意味があると思うし、それはやっていきたいし、
そういうところでこのポッドキャストがこの時代にあることの意味っていうのはあるんじゃないかなっていうのは思いましたね。
はい、そう思います。
っていう結論。
はい、そういうんじゃないでしょうか。
はい。
そう、そうだね。
今まで話してても、
今まで話してたのってなんだろうな、
あんまりなんだろう、私祭は生まれていたけど、
本当になんかわかってなかったなっていうのを、
実感ってあんまなかったんですよ、このヨハチュールで話してて。
なんかそれ、普通の会話の方がそれって生まれてたんですよ、私の中で。
だからなんか、それは良かった、今。
今このヨハチュールでこの会話ができて良かったっていうのは思います。
なるほど、はい、わかりました。ありがとうございます。
はい、ありがとうございます。
いいですか、じゃあ、一旦そんな感じで。
はい、OKです。
じゃあ、ということで今回はここまでです。
ヨハチュールではディスコードにて2人の放送後の感想を書いていったり、
エピソードの中に出てきた参考リンクを載せていたりするので、
ぜひお気軽に覗いてみてください。
お好きなお知らせのあなたの感想も聞けると嬉しいです。
Xではハッシュタグはひらがなヨハチュール、
Googleフォームでもお便りを募集しています。
ディスコード等と合わせて概要欄にURLを記載していますので、
ぜひお待ちしています。
Spotify使いの方はコメント欄でもお待ちしています。
そうですね、会話対話、そういうので何かあれば、
ぜひいただければなと思います。
この回で対話とは何かっていうことが、
ちょっとでも見えたんじゃないかなって思いました。
私はよかったなって思ってます。
はい、じゃあここまでお聞きいただきありがとうございました。
次回もぜひお会いしましょう。さようなら。
ありがとうございます。
01:11:52

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