否定することについて考える(その1)です。


【今回の内容】

否定をしてはいけません/否定は影響力が強すぎる/心理的安全性と否定的意見/システム1とシステム2/アメリカと日本の違い/否定意見の伝え方/悪魔の代弁者になる理由/根拠がない意見は否定できない/結局、言い方の問題なのでは?/スポットライトをどこに当てるか/否定する者はジャッジしてはいけない


【パーソナリティ】

とよだ:富士通で働くビジネス哲学芸人。

ショーン:シリコンバレーのテック企業で働くデータの魔術師。


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※このラジオは、個人の見解に基づくものであり、所属組織を代表するものではございません。


#白米FM #哲学 #否定 #二重過程理論 #悪魔の代弁者


サマリー

否定について考えている。ワークショップでの否定を制限するルールについて悲しい気分になっているとよだくん。否定することも必要であり、心理的安全性も重要だと考えている。リテラシーと経験を積んで意見を伝える方法を獲得するべきだと言っている。否定的な意見を伝えるためのリテラシーについて考察し、言い方や相手の受け入れ方が重要だと述べている。意見を否定するのではなく、違った視点や意見を提供し合う姿勢が大切だと話している。

否定を制限するルールについて
はい。じゃあ、白米FM 始めたいと思うんですが。
はい。
今日のテーマはですね、僕が持ってきてるんですけど。
うんうん。
今日持ってきたテーマはですね、否定について。
え?何?え?
永遠?
何?何?あ、否定について。
うん。否定。えっとね、最初考えてたのは、
なぜ否定をしてはいけないのかっていう問いで考えてたんだよね。
あー、そこそこ。そうだよね。あの文脈だよね。
コミュニティで否定をしないようにしようっていうのがいいのかとか、
そういう話をしてるんですかね。
そうそうそうそう。で、その問いで考えてたんだけど、
その背景は後ほど紹介するとして。
あのー、まあ否定の功罪について考えるっていうタイトルでもいいかなと思ったんだよね。
ほうほうほう。
あのー、否定ってさ、基本的にネガティブなイメージしかないじゃん。
うん。
否定に対してポジティブな感情を抱く人って多分、皆無なんじゃないかなと思うんだよね。
うんうんうんうん。
でも、功もあれば罪もあるよなんてか、むしろ罪ばっかりではないんではないかっていうことを今日話したいなと思っていて。
OKOK。
否定という明らかにネガティブだと思われるワードからポジティブな解釈を引き出すみたいな。
うんうん。
そういったことをやりたいと思ってます。
やってみよう。
はい。
じゃあやってみましょうか。
はーい。で、ちょっと前提を話すね。
なぜ僕がこれを感じているのか。
そもそもなぜ否定してはいけないのかっていう問いから始まってるんだけど。
うんうんうん。
よくワークショップとかをやってるのに参加すると、そこでのルールとしてまずファシリテーターというか主催してる人が、
必ずと言っていいほどですね、相手の意見を否定しないっていうのがここのルールですよみたいな。
否定するのはやめてくださいねみたいなのをまず大前提のルールとして提示してくるっていうのが結構多いなと思ってて。
否定の必要性と心理的安全性
うんうんうん。
そういうのって見たことあります?
うんあるよ。参加するとね最初は特に。
もしくはどういうワークショップかによるけども、
なんかブレインストーミングとか新しいものを生み出そうとしてる時は、
今は否定のフェーズじゃないですっていう。
否定のフェーズと発散のフェーズを分けましょうみたいな。
否定というか選択だね。選択のフェーズと分けましょうみたいな。
っていうのがよく聞くよね。だから最初に否定せずに全部もう受けましょうとりあえずみたいな。
うん。
いやブレインストーミングだったら分かるんだよね。
でもブレインストーミングとかじゃなくて、
でもとりあえずなんか不特定多数の人間が集まる場で何かしらこう話をして、
ワークショップみたいなのをやろうとすると、
まあたぶん稀に自分の考えに固執する人間とか、
他人の意見を受け入れられない人間っていうのが、
まあ何らかの確率で混入してしまうんであろうと。
そういう人がいるとそのワークショップ自体が変な感じになっちゃうので、
そういうののリスクをヘッジするためにそういうルールをまず最初に提示しているんだと思うんだよね。
なるほどね。
でもね、そのルールを僕は見せられるたびになんかすごい悲しい気分になるんだよね。
なんで悲しい気分になるの?
まずいい大人に対してそんなこと言うなよっていうのがまず最初に思うことだし、
否定をしないようにしましょうって言われちゃうと、何て言うんだろう、なんかこう萎縮しちゃうっていうか、
誰だって自分が否定する人間だとは思われたくないわけよね。
そうなんだ。
え?そうじゃない?
否定をされる人間だと思われたくない。
いや、自分が否定をする人間だとは思われたくないと思うんだよね。
で、それを言われちゃうと否定できなくなるじゃんっていう。
そうだね。
で、否定するっていろんなレベル感みたいなのがあると思ってて、
その否定しないようにしましょうって言われちゃうと、
なんかもう否定っていう方向性はもう全部ダメですみたいに言われてる感じがするんだよね。
例えばバスケットをこれからやりましょうって言ってるって、
じゃあバスケットしましょう、集まってくださいって集まっていったら、
右手だけ使ってバスケットしてくださいって言われてるみたいな感覚を俺は受けるわけ。
右手と左手両方使って本来プレイできると思っていったら、
もう右手だけで左手は縛って使わないでプレイしてくださいって言われてるみたいな感じのね。
バランスが悪い感じだね。
だからなんか、なんかね、その否定をしないようにしましょうって言わないで欲しいんだよね。
とよだくんとしては、否定をしないでくださいとまず言わなくても、
まずそもそも否定そんなしなくないっていうのが1点目ってこと?
そうだね、まずそう思ってるね。
で、かつ、でも否定するときはあっていいよねってのが2点目ってことだよね。
バランスとして、右手もあれば左手も適切なときがあるよみたいな。
そうそうそうそうそう、そういうことそういうこと、そういうことを言いたい。
なるほどね、なるほどね。
それについてどう思う?
そうね、なんかバスケね、あの否定をしないでくださいって言わないと、
たぶん50-50で否定と肯定が出たとしても、
なんか人間って確かネガティブな方に反応しやすいバイアスみたいなのがあるよね、確か。
50円を稼げたっていう場合と50円を失ったっていうと、50円を失った方が嫌だって思う人が多いみたいな。
っていうのと同じで、その否定と肯定が本当は同じぐらいの割合だったり同じようなニュアンスだったりするんだけど、
その1個否定があるだけで、なんかこう肯定が弱くなっちゃう。
なんか否定の方がもともと強いんじゃないかな。
だからそれをあえてこうハンデを与えているというか、
なんかそういうニュアンスが少しあるのかなっていうのが1つと、
リテラシーと意見の伝え方
あとは特に、ワークショップとかだったら初対面の人とかいて、
よくわかんない人に否定から入ると、さっきさ、萎縮するっていう言葉言ってたじゃん。
その否定っぽい言葉を聞くと、
それこそその他の人が次の意見を言いにくくなるみたいなことを懸念して、
最初は否定しないでくださいみたいな、そういうことをしたいのかなとか、
そういうふうに解釈はしてたんだけど。
意味わかる?今萎縮するって。
とよだくんが言っている萎縮は、否定をしないでくださいって言われるから、
なんかこう意見が言いづらくなるって言ってたと思うんだけど、
誰かがその否定をしているっていうのを聞いて、
自分はこういうこと言ったら否定されちゃうかもと思って、
意見を控える人がいるんじゃないかなと。
それを防ぐために最初は特に否定はしないで、
なるべく他の人が参加して、エンゲージメントを高めて、
ある程度信頼感とか心理的安全性じゃないけど、
まあ何でもいいんですよみたいな、
自分の自由なままでいいんですよっていうのに近づけたいのかなと。
そういう認識だったんだけど。
それを聞いて思うのがね、
なんかそういう端から相手を否定する人間が出てきたときに、
その人間に注意すればいいと思うんだよね。
それはちょっとダメでしょみたいな感じで、
ファシリテーターなのかが諫めればいい話であって、
最初からそれを封じる必要がないんじゃないのって思うわけよね。
その否定側の可能性を全部潰して、
出てくるかどうかもわからない、
そういう場の空気を乱すような人の発生確率をゼロにするために、
なんか失っているものが大きすぎるんじゃないのかなっていう感じ。
どんなものを失っているのか。
だから否定するっていうか、反対側から考えるっていう可能性を潰してしまってるという気がするんだよね。
なんかもう否定しないように、この場は否定しないようにしましょうねって言われたら、
なんかもう肯定しかできない。
相手の話を聞いて、うんうんわかるわかる、うんうんわかるわかるしか言えないような気がしていて、
それに対してちょっと、いやここはちょっと違うんじゃねえのと思って、
いきなりそんなバッて言わないとしても、
そういうちょっと違うんじゃねえのって思うことすら封殺されてしまう気がするんだよね。
なるほどね。
なんかさっきその心理的安全性って言ってたけどさ、
心理的安全性があるのって、そういった意見もちゃんと言えるっていうことが心理的安全性だと僕は思うわけよ。
ああそうだね。
多少自分が否定的なことを言ったとしても、
まあ大丈夫だよねって思える場が心理的安全性の高い場だと僕は思うわけよね。
うんうんうんうんそうだね。
それを否定しないようにしましょうって言われちゃうと、
なんて言うんだろう、言えないじゃんっていう。
って僕は思うわけだ。
今言ってる中で、否定するって言ってる中にも良い否定と悪い否定みたいなのがあるってことかな。
言い方が例えば悪いとか、
そうだねそうだね。
あとは否定してる内容がその相手の人格とかさ、
なんかこう本来の論点とは関係ないところに行ってしまう可能性があったりして、
まあそういうのも全部ひっくるめて可能性をゼロにするために否定しないでっていうと、
本来あるべき建設的な否定みたいなものとか、
その心理的安全性が確保できているという場には必要な否定意見も抹殺していて、
それはむしろマイナスなんじゃないかっていうことかな。
そう、そうそうそうそう。
そうです。僕が言いたいのはそれです。
そうか。でもそれをさ、
なんかリテラシーの問題というか、否定の仕方の作法みたいなのがもうちょっとこううまくなっていけば、
もしくは否定だけじゃない気がするんだけど、
そうそうそうそうって言う以外の同調。
同調にも作法があったり、
なんかそこをもうちょっとこうリテラシーって言う以外に何か言葉ないかな。
なんかうまく自分の意見を伝える方法っていうのがまあ獲得できれば、
なんかこううまくいくような気もしたんだよね。
例えばその、まあ最初その相手を端から否定しないように反応して、
でも自分もこう思うっていうところをうまく伝えると。
なんかそれってそんなに自然にできるようなことじゃないというか、
ある程度なんか訓練とか、なんか経験を積んでないと難しいのかなとは思ったんだよね。
意味わかる。
結構頭を使うというか、
そのシステム1とシステム2の、システム2の力がいると。
だからシステム1で自然体で反応したりとか、
パッと思いついてきたものを口にしただけだと、そうならないんじゃないかなと思ったんだよね。
おお、なるほどね。
なんで、しかもシステム2を使うためには確かなんか6秒とか7秒とかある程度時間を経たないといけません、
使えませんと。
なると手っ取り早いのはとりあえず6秒黙れみたいな。
否定しないで6秒間待って、
その後、もし否定するうまい方法があるならシステム2を使ってちゃんと伝えてくださいっていう、
そういうことなのかな。
そういうふうに解釈できるような気がしてきたんだけど。
ちょっとね、聞いてみたいのが、
この相手を否定しないっていうのは、
日本人に強い感情なのか、
それとも例えばアメリカとか、
海外でも同じなのかちょっと違うのか、その辺りちょっと聞いてみたくって、
日本人はその和を以て貴しとなす民族だと思うんですよ。
だから相手に極力波風立たず、
その場を収めるというか、
そういうことを良しとする民族だから、
その相手を否定しないみたいなのが結構強く出ちゃってるのかなと思っていて、
例えばアメリカとかで暮らしていたりとか、周りの人とかで見てると、
なんかどうなんだろう、違った感じに見えたりするのかな。
でもね、意外とアメリカ特に会社とかって、
表面的にはやっぱりちゃんと相手を立てるみたいな、
言ってくれてありがとうとかっていう、
否定的な意見の伝え方
ポジティブから入るみたいなのはあったりするから、
日本みたいにある程度周りを見てというか尊重してるっていう意思も意外とあるなとは思った。
けど、言いたいことを言うとか批判的な意見を言うみたいなのも、
ちゃんと言うなっていうのはあって、
そういう作法みたいなのを、
より多くの人がもしかしたら意識して、
意識してないのか意識してないのかわかんないけど、
もしかしたら会得してるのかなと思った。
自分だったら上手く言えないようなことが上手く言えてる人が多いなと。
自分がそんな得意じゃないっていうのはあるかもしれないけど。
それは何?
相手を傷つけない形で上手く否定的というか、
ちょっとそれは違うんじゃないの?みたいなのを上手く伝えてるってこと?
そうだね。
割と上手く伝えてるような気がするよね。
アメリカの英語の方が表面的な面で言えばテンション高かったり、
結構シンプルにものは言えるんだけど、
それでもそういう明るい感じで相手をポジティブにコメントしつつ、
その後にちゃんと言いたいことを持ってくる。
結構こういうふうにいっぱい話をすると無理があるというか、
やっぱり本当にストレートに言う人は言うしね。
でも日本もいるよなとか思ってくるんだよな。
シチュエーションとかにもよるとかね、ビジネスとプライベートの場合と。
じゃあそれは日本とアメリカの傾向差みたいのはそんなにないんじゃないかってこと?
結局人次第というか。
そうだね、ケースバイケースな気もするしシチュエーションとかな気がするかな。
なるほどね。
でもどうだろう、日本で僕が話してきた人たちがどっちかというと、
割と批判的なこととかを上手く伝えたりとか言えてる人が多かった気もするけどね、
仕事場だと特に。
それ日本の人?
日本でもね。
なんだろうな、それがもうちょっとコンサバティブな市役所とか、
あとは町の町内会とか行くと、
言いたいこと全然言えてないって感じるのかなとかね、
そういうちょっとステレオタイプはあるかもしれないけどね。
そういう上下関係とかヒエラルキーが強そうな組織ではってこと?
そうそうそうそう。
そうねー、なるほど。
どうだろう、とよだくんの方は、そういうのは上手く言えてない感じする?
特に職場とか、お前は職場のことはあんまり言いたくないか。
いやー、そんなに否定したら村八分にされるみたいな感覚はないけど、
でもやっぱり周りと比べて、僕自身が否定というか批判的に、
基本的に世界を見ているので、
批判的な発言をする割合は、
周りの人と比べて高いなっていう感じがするな、自分自身が。
ちなみにさ、どうやって批判的な意見を伝えてるんだろう?
自己表現と否定のバランス
例とかない?こういう話をしてて、
こういう時に自分は批判的な意見を持ってて、
それをどうやって伝えた?みたいな、
ちょっと一方、具体的に聞いてみたいんだけど。
それで言うと、今までよく話してるコミュニティの中とかで、
会社で今起こってることが、なんかちょっと偏ってるというか、
なんだろう、一面しか見えてないんじゃないかみたいなのが感じられた時に、
それに対して、いや、本当にそうなのか?とか、
こういう面もあるんじゃないか?とか、
こういうのを見落としてないか?とか、
そういうのを結構社内のSNSとかで書くね、僕は。
今言ってるのは、最初の問題的としては、会社は一面しか見てないと。
で、それに対する否定っていうのは、いや、一面じゃなくて他も見てると。
で、その例として、これもあるし、これもあるしっていう否定の仕方を
とよだくんはしたっていうことでやってる?
違う違う。会社の雰囲気というか方向性というかに対して、
僕が批判というか否定というかしているってことだね。
ああ、そういうことか。
誰かの意見に反対してるっていう、そういう立てつけじゃないわけね?
そうだね。誰か特定の人に対して反対とか否定とかしてるわけではないかな?
なるほど。
そういう場合はどうなんだろう?
誰かとディスカッションしてる時のとよだくんの振る舞いは同じ?
ああ、なるほどね。
それはでも、面と向かっては否定はしないと思うんだよね。
言い方と相手の受け入れ方
おお。
面と向かっては否定はしないけど、僕はこう思うよっていうのは伝えるかな?
それに対して僕は何か違和感を感じているっていうことは多分普通に言うと思う。
何か違うんじゃないかとか、ここはもっとこうなんじゃないかとかいうのは普通に言うけどね。
じゃあある程度、きっと多分とよだくんの中で否定をうまく伝えるリテラシーみたいなのがあって、
自然にやってるんじゃないのかと思ったんだけど。
人に対して発言するとき。それを。
それを自分は得ているのに、得てない人に合わせてというか、
何かそれを含めて全部否定されるからちょっと違和感が感じるってそういう可能性はある。
ああ。でもね、あると思う。
何だろうな、やっぱりあんまり否定的なことを言う人って少数派だと思うんだよね。
だからこそ自分がそこで輝けるというか、価値を出せるというか、ポジションを取れるというか。
だからそういうあえて反対側から見るとかちょっと斜めから見るとかを意識的に自分がやってるような気がしていて。
で、そこが俺の見せ場なのに、その見せ場を奪わないでくれよっていうふうには思ってるのかもしれない。
なるほどね。
俺の輝く場を奪わないでくれって思ってるのかもしれない。
そうだね、その先が閉ざされてる感じすると。
で、一方でさ、とよだくんの考えが8割9割の人が思ってる主流と一緒だった場合はどうする?
どういうことどういうこと?
自分が否定じゃない立場だよ。自分がもうメインストリームを行ってる場合。
そういう場合は否定って立場じゃないと思うんだけど。
あーそれは、まあ否定はしないね。否定はしないけど、そのメインストリームがあまりにもなんか偏ってるなとか、
そっちの方向の議論しかないなってなったら、自分が思ってることと違ったとしても、ちょっと別の方向から多分議論のネタみたいのは放り込む気がする。
うんうんうんうん。
なるほどね。だから自分で常に客観視をしようと意識してるわけだ、常に。
そうだと思うよ。
で、捉われてないかをチェックしてるんだよね、きっと。
うんうんうん、そうそうそう。
なんか具体的にそのね、例があったら面白いなと思うんだけど、その会話して、僕があるなんか問題提起とか意見を発して、
とよだくんがそれに対してどうやって実際に答えてるかとかね、その自分が否定してる意見とか違う視点っていうのをどうやって伝えるんだろうなーってちょっと、なんかロールプレイじゃないけどさ。
あーなるほどね。
なんかできないかな。
はいはいはいはい。じゃあなんかしおくんがさ、そのすごい非常識なことを言って、それに対して俺がなんか否定するとか。
まあ非常識どうなんだろうな。もしくは僕がまあ一般的にはまあ今それが正しいとされてて、でもとよだくんはそれに対してえ、それってどうなのってこう思ってることとか、なんかそういうトピックでもいいのかなとは思ったけど。
うん。そうね、なんかある。
非常識ね。ちょっと待ってね。
うん。
例えば、今ねチャットGPTに聞いてみたんだよ、なんかいろいろ。
うん。
一見非常識に思える問題提起で。
うん。
なんかないですかって言って、その中から今、例えばね、なんだろうな。
いやちょっとこのロールプレイ難しいな、なんか。
例えば、音楽とかアートっていうのはこの世の中にいらないんじゃないかみたいな。って言われたとして。
うん。
どうだろうな。それに対してなんか反論できる?できるっていうか。
あーでもそれは、なんだろう、なぜその主張してるのかの理由がないと反論できないね。
そうだよね。
単純にその。
うん。
そうだよね。
単純にその主張にされても。
僕がある程度、そうだよね、説得力あるようなその主張を作らないと、で、突きようがないよね、そこに。
そうだね。
そうだよね。
相手の論を崩す足がないから。
そうだよね。
そうだよね。で、しかもそこを、僕が別にそれを支える根拠というか、ロジックがないと議論にならないってことだよね。
そうだね。
そういうこと。
うん。なんだろうな。
なんか、ない?そういう最近、自分は否定的な意見を持ったけど、世の中一般的には今正しいとされてること。
まあそれは、なんか思いついたらやるか。
そうだね。
出てこなそうだから。
うん。
うーん、それで言うと、なんだろうな、僕がさ、今なんかこう自分の考えみたいなのを主張してるじゃない?
うんうんうん。
それに対してさ、しおくんは率直にどう感じるのかをちょっと教えてほしいんだよね。
その、俺のわがままなんじゃないかとかさ、なんかいろいろあるじゃない?俺を悟す。
悟す。悟してほしいの?
俺の今言ってる主張をさ、否定することもできるじゃない?
うん。
どう思ってる?無理に否定しなくていいんだけど、率直にどう感じた?俺が言ってるこの主張に対して。
うーん、なんだろうね。え、今そういうのを聞くっていうのは、なんか頭の片隅で、なんかもう自分を否定、自分は否定されるべきなんじゃないかとか、その他の否定はないのかってのをちょっと探してる感じなのか?
そうだね。俺はこれが正しいと思ってるんだけど、もしかしたらなんか俺が見えてない何かがあるのかもしれないし、もしそういうのを指摘してくれるんだったら僕は嬉しいし、
もしそういうのが特に思いつかないんだったら、なんだろう、もうちょっと深い議論、このままの方向性で深い議論の方に進もうかなと思ってるんだけど。
そういう意味ではね、なんでその1個具体的な例をね、こう出そうとしたか、ロールプレイしたいなと思ったかというと、やっぱりなんかその言い方っていうのが結局大事なんじゃないかと思ってて、
その抽象的にはある意見があって、それに対してとよだくんが否定してるっていう構造だったとしても、多分とよだくんはその否定意見をダイレクトに何か伝えてないんじゃないかなと思ったの、無意識に。
で、それができてたりするなら別に問題ないんじゃないかなと思っていて、言いたいことをちゃんと言えてるっていうのはむしろいいことだと思うわけよ、否定だろうが、肯定だろうが、
自分の意見を相手に伝えることが僕はコミュニケーションで大事だと思うんだけど、でも伝えるときにやっぱり作法とか言い方っていうのがあって、
まずは相手を受け入れるとか、人間って感情面が大きい動物で、相手をまず受け入れるっていうステップがあって、その上でそれをちゃんと理解して、
その上でさらに相手とかグループにとってポジティブになるようなお互い共通の目的があって、それに対してこういう意見見てますか?
しかもそれ自体否定とも取れないというか、同じ方向で共同作業してるという意味では相手を否定してないと思うんだよね。
一見否定かもしれないんだけど、だからそういう観点で見ればいいんじゃないかなと思ったんだけど、それの一歩具体例を見たらそれがどうなってるかが見えるかなと思って聞いてみてたんだね。
今思ったのがね、僕は僕の視点からはこう見えるよとか、あくまで自分の視点、僕がどうかっていうのを論点において、相手の意見に対して反対ないし否定ないしを伝えてる気がするんだよね。
で、そうじゃなくて、相手の言ってることもしくは相手がダメだっていう言い方をしたら、それはダメなんじゃないかなと思ったんだよね。
あーそうそう、そうだと思うんだよね。
そうそう、相手がどうかじゃなくて、自分、僕がどうかっていうので何か言ってる気がする、僕は言ってるというか。
それがすごくいいと思うんだよね。
言葉の使い方による否定
自分はどう思うって話を、たぶん徹底できていて、無意識に、意識的なのかもしれないけど、でも普通に会話をしていて何にも意識しないと、相手がこういった、相手のダメなところを指摘したり、
これできてませんよねとか、これ間違ってますみたいな、事実と違いますとか、あとは、何かそういう発言も否定だと思うんだよね。
はい。
で、それはしちゃうと、たぶん発言者の人はまず感情的に受け入れられないと、何だこの人敵かなみたいなっていう捉え方をして、次意見を言いたくなくなるみたいな。
とか、もしくはこの人を倒すにはどうしたらいいだろうっていうモードに変わっていっちゃって、何かこう共同作業をしていて、お互い良い方に持っていこうという姿勢になくなると。
で、それって本当にやりたいことだっけってなっちゃうから、それをやめましょうっていうのが、その否定はしないでおきましょうの意味だったのかなとかね、もともと。
なるほどね、なるほどね。
うん。
あー。
だからとよだくんが言ってる否定は、仮にワークショップで否定はやめましょうねって言われてても、言っても問題ないやつなんじゃないかなと思った、そもそも。
あー、その否定をしてはいけませんというルールには抵触しないと。
しないと思ったよ、うん。
へー。
じゃあ俺が言ってんのは何なの、これは。
否定じゃなくて、何だろうね、建設的にその議論を良くする一つの代替案とか、何かそういう風に見えたけどね、違った視点、違った視差を提供してる。
はいはいはいはい。
相手の意見を尊重する姿勢
否定してるとはもう聞こえなかったね。
だとしてさ、最初にこの場では否定はなしねっていうルールを提示されて、
うん。
何だろう、その僕が言ってるようなが否定ではないとしたら、そこは何だろう、みんなそのルールを聞いてそこを汲み取って、自分の意見を述べられるのかなっていうのが、何だろう疑問というか。
あーそういうことか。
そう。
だからとよだくんが今言ってるのは、他の人がその否定しないでくださいっていうのを聞いて、
うん。
で、その何か振る舞いがちょっと変わりすぎてるというか窮屈になりすぎてるっていうことだよね。
そうだね。
あとは自分の言いたいことがその制約のせいで言えなくなったり、もう頭こなしにある領域にある意見はもう蓋をしちゃってて、出てこないようになっちゃってると。
うん。
そういうふうに見えるってことだよね、とよだくんからすると。
そうね。
とよだくん自身もそうなってたのかな、自分のさっき言ってたのを否定だと捉えてたなら。
うん、そうだね。
それが言いづらいくなりそうだなって。
言いづらい感じ。
あー。
そうだよね。
うん。
だからまず、とよだくん自身はそれを否定と捉えなくていいんじゃないかなっていうのは思うし、
それを他の人がもう同じようにどうやったら、否定じゃなくうまく自分の意見を言えるかっていうことだよね。
うん。
そうね。
いやー、うん、そっか。否定じゃない。
否定じゃないのか。
否定じゃないよね、だってあなたはそう思うんですねーって。
で、自分はこういうふうにも見えますけどねーって言って、否定してないように聞こえるんだけどね。
まあでも自分からはこう見えるっていうのを伝えて相手の論を否定してるんだけどね、結局は。
うーん、そっかそっか。
言い方というか、なんていうんだろう、スポットライトの当てる場所が違うだけで結局は相手の意見を否定してることは変わらないと思うんだけど。
うん。
あー。
でもその方がいいんじゃないかな。相手の受け取り方としては、あ、あなたはそう思うんですねーだと思うんだよね。
うーん。
だからそのとよだくんの意見を聞いてそれを採用するかどうかもその人次第だし、
そうだねそうだね。
なんかその事実として、そのあなたが間違ってるかどうかについては触れてないよね。だから、
そうだね。
受け取りはその人にまだ、何だろう、依存というかボールは託されていて、結構違いがある気がするんだけどね。
あー。
あなたは間違ってるというのと、私はこう思うっていうのって全然違うんだよね。
ジャッジングするのが誰かっていう話だね。
そうだね。
相手の言ってる意見に対して僕がジャッジングしてあなたの意見間違ってますよねって言うと、それはちょっとダメというか、
うんうん。
NGなやつだと思うんだよね。
うんうんうん。
でも、僕、あなたの意見に対して僕はこういう風に感じますよっていうことを伝えてあんに向こうの意見を否定しても、それをジャッジするのはあくまで向こうの方というか、向こうの側にそのジャッジする権限が残ってるのであれば、それは良いってことか。
かなあ。
あー。
うん。
あー、ちょっとなんか分かった気がする。
自分でジャッジしちゃダメなんだね。
自分というか、否定をしようとする人間は自分でジャッジしちゃダメなんだね。
そうね。
ほのめかしはするけど。
なんかすごい抽象的に話してるから、ちょっとどっちのケースでも結局ジャッジしてるように聞こえたりジャッジしてないように聞こえる可能性もあるなあと思ってきたんだけど、
でも、自分がどう思うか。
でも自分がどう思うかだけだとさ、あなたは間違ってると思うっていう風に私は感じたみたいな。
なんか言えちゃうから。
なんだろうな。
本質的なところは、相手が主役というか相手がどう思うかはまだあなたの自由ですっていうその余地があるかどうかなのかな。
うん。
なんかね、よくさ。
うん。
何?
具体例があったほうがちょっと分かりやすいかなと思ったんだよ。
具体例。
なんかあるんだったらいいんだけど。
ないね。
どうぞ。ちょっと遮っちゃったから。
次回へ続く。
38:17

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