人間の矛盾する存在
スピーカー 1
ちょっといい話が聞けたので、もう一回収録外の話を。
スピーカー 2
これ誰のポッドキャスト?
あなたが喋るんじゃないの?
スピーカー 1
いやいや、私が喋るというよりかは、私もめっちゃ喋ってるし、
私がいいと思った話とか、推しの人とかを、推しの人、推しの考えを紹介することにしようかなと思います。
スピーカー 2
はい、今思いました。
スピーカー 1
じゃあ、とりあえず今回はね。
そう、なんか、人間とは矛盾しているものだ、みたいな話で。
スピーカー 2
そう、何だっけ、最初に言ったのが、何の話からか忘れたけど、
自分の心が、自分って何だろう、単純に言うと、人に対してオープンな部分もあれば、
全然クローズドな、人を信用していない部分もあって、
それを言い方として、心の扉があった時に、
開いている状態でありつつ、閉じている状態でもあるっていう、
そういう、何だろうな、こういう時には開いていて、こういう時には閉じる、みたいな、
そういう考え方はあんまりしてなくて、
だから、根底に人に信頼しているか、信用しているか、信用していないかっていうのはあると思うんだけど、
それが、自分は今、両方持っている状態なんじゃないかなと。
両方持っている状態っていうのは、
別に、何ら不自然な状態でもないのかもしれないっていう考え方を今していて、
別に理論的に何かがあるわけではないんだけど、
人間っていうものの複雑性が、そもそもそういうものなんじゃないかと。
スピーカー 1
本当、めっちゃ、だからさっきのその話から、さっきの前回の話につながって、
好きだけど嫌い、みたいなのも全然両立するし、
それを一つに決めようとするから、付き合うとかが難しいんだなとか、いろいろ思ったんですけど。
スピーカー 2
やっぱり、人間を単純化したらいけないと思いますよ。
それは自分自身もそうだし、人に対してもそう。
だから、あえて付き合っている人、付き合っている相手っていうのは、
私のことが好きだって言うと、常に好きだっていう風にしてしまいたくなるけれども、
自分の考えてみれば、そんなわけないんですよ。
だからそこをやっぱり、理想の押し付けまで言うと別にそんなつもりを持ってやってる人はいないだろうけれども、
そういうことはやっぱりやめたほうがいいし、
やっぱり日ごとに気持ちが変わるっていうものもあれば、
この人自身に対して、その相手に対して、好きだけど嫌い、嫌いだけど好きっていう感情は当然存在するし、
自分も多分ね、結婚生活で長くやっていくみたいな人とかって、
絶対そうなっていくんだと思うんだよね。
スピーカー 1
本当にそう。確かに確かに。
時系列で変わっていくこともあり得るし、
スピーカー 2
同時に違う感情が同時に存在するっていうこともあり得るし。
逆に向こう、自分の付き合っている相手っていうのは、
自分のことを好きだけど嫌い、嫌いだけど好きっていうのを、
むしろ持ってくれてると信じてる部分がある。
それでやっぱり自分のことが嫌いっていう感情がないですって言われると、
なんか、なんだろうな、心配になるよね。
多分、やっぱりあるものそれは。
スピーカー 1
ずれというか、どんなに小さいところでも、生活上とかでもね。
本当にそもそもの人、人間の捉え方みたいな話かなと思って。
そもそもの人の捉え方を一律に言語化して、
単純にストーリーとして捉えるっていうよりかは、
もっといろんな側面があるっていう話だと思うんですけど。
でも、結構一般的に単純化した方が楽だから単純化されて考えられるじゃないですか。
それによってすごい、それこそ付き合うかどうかとか、
いろんな悩みが生まれてるんだなって思ったんですけど。
スピーカー 2
まさにそうだと思いますよ。
本当ね、やっぱり自分の目標なんだよね、今年の。
僕、会社の今年の部署のメンバー一人一人が顔や写真載せて、
その下にパワポでね、今年の目標を書きましょうみたいなやつのところで、
自分一人だけ人間を単純化しないこと、複雑な人間を複雑なまま味わうことって書いて、
こいつやばい奴やって思われたことがあるっていうぐらいで。
スピーカー 1
もちろんそれやりたい。
なんか思想、そういう思想の強い人見かけたら話しかけたくなっちゃう。
スピーカー 2
だからそういうところはありますけどね。
スピーカー 1
本当になんか、なんだろうな、でもなんか一般的に全然ない考え方じゃないですか。
なんかすごい難しいなと思うんですけど。
じゃあ例えば玄徳さんはその目標があるじゃないですか。
それについて、例えばどういう行動とか、どういう言動がそれに当てはまるっていうふうに思うんですか。
いまいち具体化しづらいんですよ。
すごいわかるんですけど感覚的に。
それが理想的、みんなそういうふうな共通理解を持ち上げたらいいなって理想はあるんですけど。
じゃあ何か具体的にどうできるかって言うとすごい難しいなと思ってて。
スピーカー 2
でも別に何て言うんだろうな、人と喧嘩しろみたいな話は全然ないと思っていて。
自分自身がそれに何て言うんだろうな、完璧にアラインしない、要はゲーゴーしないっていうことだと思う。
例えばどこまで言っていいかな。
仕事の話で言うと、うちの会社で組織があって、どんな組織かは伏せるけれども、その組織の中でいろんな役割、
例えばすごくぼかして言うと、営業的な社会の人とコミュニケーションをする役割みたいなのか、いろんな職種を立てられるわけじゃないですか、一つの組織の中でも。
そういうのを明確にピシッと決めていきましょうと。
それを決めて、今その組織の中にいる人たちがいろんなアンケートをいっぱいやらして、この職種に対してこれぐらいのスキルがありますよみたいなのを可視化しましょうと。
それをやることによって2ついい点がありますと、上の人は言うわけです。
一つが、その人のキャリア育成の道しるべになると、自分はこの職種になりたいです。
じゃあこれとこれを埋めてこれを伸ばしていくための取り組みをこうやっていきましょう。
みんなにつながるというのが一つと、もう一つは上の人がその組織の中で人材の配置を最適な感じにするときにそれを参考にできます。
みんなが答えてこの人はここに適性があるからこのプロジェクトに入れようみたいなことが上の人からやるときに簡単になるっていうのがあって、
これを見たときに人を単純化しているっていうふうに気づくか気づかないかっていうことが大事だと思って。
それは自分の部署でやってることで、自分は関わってないけどやってますと。
別にそれをやめろっていうことはしないしだけれども、いやーこれは良くないと思うけどなーみたいな、
なんだろうそういうねやっぱり人のなんだろうなやっぱりね自分もそうなんだけどその職種リストを見たときに、
人を単純化しないことの重要性
スピーカー 2
俺はこれ一つも当てはまんねーなって思ったんですよ。
そういうふうに思えるようながの強い人だったらいいんだけど、
やっぱりそういう隠し持った特技とか個性とかそういったものがある人っていうのが、
やっぱりその禁止化された職種ってどこに当てはめるような形になってしまうっていうのはやっぱりそれは単純化だと思うし、
やっぱり人を生かすっていう意味ではやっぱり難しいとはもちろん思うけれども、
一人一人の個性をいかに上の人が理解していって、それをベースにして最適な配置をできるかっていうことに取り組んでほしかったなという気持ちが自分はあったりとかする。
例えばそういうことにやっぱり意識のレベルで気づいてあげること。
これはやっぱり良くないぞっていうスタンス、気持ち的なスタンスでまずはいるっていうことかな。
自分は結局今年に関しては会社の人がわりといい人なので話を聞いてくれるので、
今の話は全然言ってないんだけど、そういうこれはどうなんですかねみたいなことは結構言ってる方ではあるんだけど、
まあまあやっぱりやるべき本当に一番大事なところはそこなんかなっていう気づいてあげるってことかなって思う。
スピーカー 1
なるほど、いやー本当に単純化してるなこのシステムみたいなめっちゃ思うことあって、
それこそ対人支援だからもう大量にあるんですけど、
いやでも何だろうな、大量にありすぎてもはや具体例が思い浮かばないので、
スピーカー 2
闇深。
スピーカー 1
なんか直近なんだろうその私がその具体的な人間関係の中で感じた話で言うと、
なんかそのまあ上司教室長がいるんですけど、
なんだろうな、全然いい人ではあるんですけど、
なんかなんとなくの愛入れなさみたいなのをちょっと感じてて、
でなんか何か分からずっともやーってしてたんですけど、
なんかいい人なんだけどな、なんか分かり合えないみたいな感じがあって、
でなんかこれだけでは何とも言えないんですけど、
スピーカー 2
なんか昨日ちょっとだけ電車で若干一緒になる機会があって、
スピーカー 1
なんかちょっと話してて、
私がなんかもう何だろう体力的に8時間集合で働くのしんどいみたいな話を結構してて、
そうすると結構体調最近大丈夫ですかとか色々聞いてくれるんですけど、
まあどうだろうな、私はなんかそもそも全員にとって8時間集合で働くのしんどくないと思ってるから、
私の体調はまあええねと思ってるんですけど、
まあまあまあそれはいいとして、
そのなんだろうな、でなんか最近これが終わらなくてみたいな、
なんかそのなんだろうな、
なんかそのこういう役割がある時は時間足りなくて休憩取れなかったりとか、
あとこれを作らないといけない時も時間ないしみたいなやってて、
でもなんだろうな、なんか毎日時間ないわけではないよねみたいな、
なんかそれをなんだろうな、毎日時間ないわけではないけど、
毎日っていうふうに広げて考えると問題解決には結構なんだろうな、
なんか邪魔になるよみたいな、
だからこうなんだろうな、なんかだからこう課題解決には、
今日はどうだった、明日はどうするみたいな感じで、
ちょっとずつ小さくして考えていくのが大事だよみたいな話をされて、
私の心のシャッターがガラガラって降りてったんですけど、
それでなんだろうな、私心のシャッターを降りていくと全力で言語をしちゃうんですよ、
なんか確かにね、確かすのとか大事ですねとか言って、
じゃんって言って降りてったんですけど、
でもなんかなんだろうな、
なんだろうな、なんか一言で言うと、
なんか認知の歪みを指摘されたなって思ったんですよね、
なんか認知歪んでんでって言われた感じになったんですよね、
なんかこう、いろいろあるんですけど正論やなとか、
なんかあるんですけど、
あとはまあなんか、
いや上は仕事を減らすことが仕事やろとかいろいろ思ったんですけど、
スピーカー 2
大前提としてそのアドバイスっていうのは、
全然正論でもなんでもないと思うんですけどね、
まあまあまあそうですね、
それはまあいわゆる仕事できる人ですねのやつですけど、
でもやっぱりちょっと強引に引き付けて言えば、
なんだろうな、
仕事を細分化して、
隙間時間があるよねって見つけてそれを埋めるみたいなのとかっていうのも、
やっぱりなんていうか、
スピーカー 1
人間を単純化していると言えなくはなくて、
スピーカー 2
言えなくはなくて、
だって毎日毎日毎週水曜日はこのルーティーンでっていうのが
常々発生しているわけじゃないじゃないですか、
その人の仕事の時間っていうのには当然イレギュラーっていうのも発生するわけで、
それの考慮が何一つないわけじゃないですか、
で、もっと言えば、
労働時間の中には休憩っていうものが必要で、
じゃあ休憩60分だけ取ったら、
あとはもう適当に働かせておけばいいんですかって言ったら、
そうじゃないはずなんですよ、
バイトの世界とかだったらもちろんそうなんだけど、
それはバイトの労働形態があんまり良くないんじゃないって話になるべきで、
そっちがいいなと思いますよ。
スピーカー 1
労働ってそもそも人間を単純化してるじゃないですか。
いいこと言いますね。
スピーカー 2
僕はですね、ハンナ・アーレントの人間の条件という本をよく読んでいてですね、
重要なペアなんですけれども。
スピーカー 1
そう、だって記号だし働くコマでしかないじゃないですか。
そのために8時間労働で1時間休憩を取らしいっていうのも、
その1時間で回復するかどうかなんて時と場合によるのに、
労働時間と休憩時間は決まってるしみたいなところでそうだなとはすごい思うんですけど、
本当に人の相談に乗るとき、それこそ子供相手なので、
エビデンス主義と人間の悩み
スピーカー 1
自殺リスクとか上がった子とかそのアンケートでは聞き取りしたりとかいろいろするんですけど、
それも自分にとって安らぎというかストレス発散になることを聞くみたいなのとかも、
私も逆にお休みの日とか何かしてることはありますかとかめっちゃ聞かれるんですよ、
時と場合によるし、だからといって調子良いと思われても困るとか思って、
めっちゃなんか自分にとってのストレス発散とか調子悪い時にこうなったら治るみたいなことなんてないんですよ。
ないじゃないですか。
調子悪い時になんだろうな、なんかストレスコーピング的な。
調子悪い時にいつもどうしたら浮上してますかみたいな。
分かりませんみたいな。もうすごいもがいてたら浮上してるし、
これがいいと思って味を占めるとダメになったりもするし、
なんか分かんないんですよ。でもそういうことをひたすら人から引き出されるし、
引き出す立場にあるからめちゃくちゃなんか、
いや時と場合によるし何もわからんよな、終わりにしたいんですけど、
なんかそこで普通に何か時と場合によるよなみたいな話がしたいのに、
なんかそれができない。
スピーカー 2
いやそれはめちゃくちゃいい話で、
要は人間の悩みには全て明確な原因があるっていう、
科学的な前提のもとに立っていて、
これもやっぱり抗議の単純化と言えなくはない。
もちろんそういう人もいるかもしれない。
例えばもちろん失恋したから悩んでいるとか、
そういうね、例えばお腹が空いてるから調子が出ないとか、
そういう一対一でちゃんとつなげられるっていうのが常っていう人もいるかもしれないけど、
大体はそうじゃないはず。
そうじゃないってわかっているはずなんだけれども、
それを前提にして人とコミュニケーションを取ってしまうっていうのは、
やっぱりその、これはなんだっけな、
千葉雅也さんと空軍さんの対談をまとめた本があって、新書で。
スピーカー 1
聞いたことあるけど読んだことない。
スピーカー 2
あれはめちゃくちゃ読みやすくて、
しかもめちゃくちゃいいこと言ってて好きなんですけど、
そこで指摘されるのがエビデンス主義っていうので、
要はその証拠があるっていう、要は説が採用される。
証拠がないと説として納得されない。
特にビジネスの世界とかそうですけど、
それエビデンスは?って聞かれるわけじゃないですか。
それって今これ聞いてる人も、
いやそれは当たり前じゃない。
証拠がないと説得力ないよねって思うかもしれないけれども、
こと人間にまつわる問題っていうのは、
そうじゃないことって全然あるっていうことを、
やっぱり下敷きにしないといけなくて。
スピーカー 1
いや本当にそう。
スピーカー 2
そういう世界にエビデンス主義を持ち込みすぎてしまうと、
今みたいなことが起きるし、
本音とたてまえの乖離みたいなことが起きちゃうっていう、
そういう誰にとってもあんまり良くない、あれがあるので。
スピーカー 1
なんか相談支援とかも何でもそうだけど、
フォーマットみたいなのがあるから、
それをフォーマットはフォーマットだから別に守る必要ないんですけど、
でも基本的に対策を立てるとか、
人間においてPDCAを回そうとしすぎるみたいなところが。
スピーカー 2
なので今ヤギリンさんがやってることっていうのは、
やっぱりエビデンス集めなわけですよ。
エビデンスを集められるフォーマットに基づいて、
コミュニケーションにおける感覚の重要性
スピーカー 2
多分相手に質問をしているはずだし、
そこから返ってきたってものを、
これが我々の組織の、
例えば今の時点では、
例えば自分で自分にダメージを与えるような、
そういうディスクは低いと思いますっていうことの、
エビデンスとして提出される。
スピーカー 1
リスクが高い時にそれにどう適切に対処するかみたいなところ。
スピーカー 2
そういうエビデンスを持ってないと、
いろんな人に文句を言われるわけですよ。
だからそれがどうなのっていう話なんですよ。
結局そのエビデンスで人を突っついていく社会自体が、
どんどんおもんないというかね、
誰も幸せにならない、
そういう方向に向いていきません?
みたいなことが書いてあるはずです。
スピーカー 1
なるほど。
本当にそう思うんですよ。
めちゃめちゃ悩んでるっていう話をしたら、
それに対する原因と対策を立てられるのがすごく嫌です。
だから面談もしたくない。
スピーカー 2
それは本当にそう。
それで傷つく感覚を持っている人がとても大事で、
そこに対して感覚がまひっていってしまうと、
結構やっぱりまずいっていう話なんですよね。
そこの感覚をちゃんと持っておくっていうのは大事だと思います。
私の悩みに原因があると思うなっていう感覚を。
スピーカー 1
間違いない。
スピーカー 2
でもやっぱりそれを感覚として持ってない人もいるはずなので。
スピーカー 1
逆に原因を知ることによって安心するっていう視点もあると思うんですよ。
だからなんかもやもやしてる、なんか言語化したい、
私の中にもあるんですよ、そういう気持ちは。
だし、周りの人たちも原因と対策を立てたいみたいな。
それは別に間違ってはないし、人間言語化したいから。
スピーカー 2
それは全然いいじゃないですか。
原因を自分なりに探っていきたいっていうことであれば、
それはやったらいいけれども、
スピーカー 1
それはその人の自由じゃないですか。
人から押し付けられることじゃないんですよ。
スピーカー 2
だからそれがやっぱりエビデンス主義っていうことだと思います。
エビデンス主義じゃなければ、
そこは別に周り側の人のことじゃないよね、
終わるわけじゃないですか。
スピーカー 1
そうなんですよね。
なんか私は昨日、
なんか正論というか、
課題を分解したらみたいなことで言われて思ったのは、
なんだろうな、
人の相談を聞くときのセンスみたいなものがすごい問われるなと思って、
なんだろうな。
なんかその人が、
その内容がどうかとか、
その話された内容について、
こうしたらいいと思うよというよりかは、
その人がなんでそれを言おうと思ったのかみたいなところを想像できないと、
全然人の話を聞けるのやなって思ったんですよね。
スピーカー 2
そういうコミュニケーションを要求されているって感じだった?
スピーカー 1
いや、もしも私が上だったならって感じ。
私は全然そういうことを求めてなかったけど、
求めてるものを返すのは難しいんですけど、
でもただ、
なんでそういうことを言ったんだろうかとか、
何を言いたいんだろうかみたいなことの背景を考えるみたいな視点がないと、
スピーカー 2
そういうコミュニケーションを取っちゃうなって思ったんですよ。
その感覚自体はあっていいものだと思うけど、
それを全面に持ちすぎてしまうのもやっぱり危険なんだよね。
そういう知らない人と人との関わりの中で、
相手の直接は聞いてない部分を推測するに近いような話っていうのは、
よほどの信頼関係を持った上でやらないといけないっていうことは
抑えておかないといけないと思う。
それがあればいいんじゃないかと思うけど、
それはある程度ちゃんと確認しながらやっていかないといけないと思うし、
自分は一応そういうのを類推するときに、
スピーカー 1
確認をしながらコミュニケーションを取っているつもりです。
認知の歪みと開かれた態度
スピーカー 1
そうなんですよね。
うまく相談というか話がかみ合わないなっていうのは、
うすうす思いながら本当にうすうすって感じだったんですけど。
スピーカー 2
今の話につながるかわかんないけど、
自分ってあんまり嫌いな人の話とかあんまりしないじゃないですか。
基本的に言いないんですけど、
嫌いっていうか嫌いに近いけど、
こういうタイプの人嫌いやなみたいな苦手やなっていう人がいて、
それが自分のことを全然わかってないのに、
スピーカー 1
わかったような顔で話してくる人。
スピーカー 2
めったに言いないんだけど、
この人全然自分のことわかってないじゃんみたいな、
自分も多分人に自分を理解されたいという気持ちが強くて、
一つの承認欲求かもしれないけれども、
それがこの人全然自分のことわかってくれないなっていうときに、
心のシャッターがバッて降りる。
多分そこの感覚は多少近いと思う。
多分その何て言うんだろう。
ヤギンさんもさっきの教室長だっけ。
その人に電車の中で話聞いて、
帰ってきた答えが仕事を分割してみたいな話だったときに、
この人私のことわかってないなって思って、
心のシャッターが折れたんじゃないかなって聞きながら思った。
スピーカー 1
自分もそんな感じで言われたら同じようになる。
スピーカー 2
確かに確かに。
スピーカー 1
私がどういう、難しいんですけど、
それをわかってもらおうとする努力をしてるのかみたいな話で、
全くその人に私は自分の考えを伝えてないので、
わかってもらえないのは当然だと思いつつ、
でも言おうともあんま思えないみたいな。
スピーカー 2
それはね、自分に言わせると、
教室長の側の人が判断するのが早すぎる。
要はその段階でその話をするのは、
明らかにまだ関係値がそこまでいってないのに、
これでなんとかなるやろうっていうので、
言った答えっていうふうにしか、
自分は今の話の限りが聞こえなくて、
スピーカー 1
たまに面談したりはするんですけど、
結構、私が悩みがちみたいな視点で捉えられてるなと思ってて。
だから私が悩みがちで、私が体調悪いがちみたいな。
だから何とかしてあげないといけない、
みたいな感じで捉えられてるんだなと思って。
前もストレスでしんどくなるみたいな話をしたときも、
認知の歪みみたいな、
それを矯正するアプリみたいなのがあって、
みたいな話をされて。
なんだろうな、記録をつけていく。
それって本当にそうですか?とか、
周りの人に言われましたか?とか、
いろいろ質問に答えていって、
私が思い込んでただけやな、みたいなものに気づかせる。
で、なんだろうな、
私、認知の歪みって言葉大っ嫌いなんですよ。
なんか、なんだろうな、
言葉自体に罪はないんですけど、
それを使う人が苦手というか、
スピーカー 2
どっから見て歪んでんねん、みたいな話で。
それは間違いなくて、
スピーカー 1
人に言われる言葉ではない。
スピーカー 2
ひっくり返して言うと、
人に言う言葉ではない。
自分は割と好きでっていうのも、
自分が中高の時代に、
それに対して向き合ってきたっていう歴史がある。
それは試みとして、
比較的成功してきたっていう実感があるから、
そう思うんだけど、
それは全て自分の中で完結してることであって、
人にそういうふうに言われたこともないし、
自分が自分を対してそういうふうに言ったことはあるかもしれないけど、
人に対してはやっぱり言ったことはないので、
それは全く言う通りだなと思いますよ。
スピーカー 1
確かに。
偏ってるなということに、
自分が気づくみたいな機会に開かれるみたいなことは、
すごい大事だと思ってて。
例えば、いろんな人の話を聞くとかで、
私こうやって思ってたけど、
実はそれじゃなくてもいいかもしれない、
みたいなのも認知の偏りに自覚するってことじゃないですか。
その機会に開かれるみたいなのは、
めちゃめちゃ大事だと思うんですよ。
なんですけど、
それこそいろんな人と話して、
自然に気づくみたいなのとか、
自分がこうしたいって思って、
自然に気づく機会を与えられるみたいなことは大事だと思うんですけど、
人が機会を作ったりとか、
誰かから見て誰かの認知が歪んでるみたいな話にするのがめちゃめちゃ嫌で、
そういうふうに持ち入られがちだし、
昔から嫌でしたね。
中高の時とか、
小学校とかもか、
私が誰々ちゃんにいじめられたみたいに言うじゃないですか。
そうすると、誰々ちゃんは思ってないかもしれないよとか、
人間の矛盾と意見の聞き合い
スピーカー 1
誰々ちゃんはそんな悪気なかったのかもしれないよとか、
そんなことは知っとるね。
そういうことを言う大人に昔は結構ガラガラってシャッター降りてましたね。
スピーカー 2
それがやっぱり記憶の中にちゃんと残ってるっていうのが、
やっぱりこうなんだろうな、
その人間性をやっぱり感じるよね。
やっぱりそれは、
簡単には難しい言えないけど、
その言葉をさらっと体験として言葉で聞く以上に、
辛い経験なので、
そういうのはね、
スピーカー 1
それは間違いないことだなとはね、思いますけどね。
そうですね、なんかなんだろうな、
だからその、誰々ちゃんは思ってなかったのかもしれないよとか、
いろんな可能性があるよっていうことを、
言いたいのかもしれないけど、それが、
私の考え方が歪んでんじゃないって言われたように受け取ってたんですよね。
それを昨日の話でも同じように感じたんですよ。
課題解決できない、
多分悩みがちな人は問題を大きく考えすぎるみたいなフォーマットに沿って、
だから切り分けられない、
今日無理だったから全部明日も無理だってなっちゃうみたいな、
それはわからんでもないんですけど、
それが問題だから切り分けていこうや、
みたいな話をしたかったんじゃないかなと思うんですよね。
それが、私の認知を強制しようとしてくる、
みたいに感じられて、すごい抵抗があったんですよ。
スピーカー 2
でもやっぱり、認知を強制しようっていう、
それも問題なんだけど、
それよりもやっぱり深刻なのは、
ちゃんと話を聞いてくれないっていうことだと思うんだよね。
スピーカー 1
環境にも問題はあったんですけど、
時間がなかったっていうのもあるんですけど、
でもスースーと思ってたから。
スピーカー 2
そこに結局行くんだけど、
やっぱりね、話をちゃんと聞くっていうことが、
圧倒的に足りてないと思う、
社会全体で。
それでみんながみんな時間がない時間がないって言ってるから、
いろんな、今までの経験の型に当てはめたりとか、
あるいは、例えば、
認知学ではこう言ってた、みたいなとか、
アプリがそうかもしれないけど、
それこそエビデンス主義ですよね。
そういうのに頼るのかもしれないし、
っていう中で、やっぱり最終的に、
芸人さんの日々の生活であったりとか、
考えていることのちょっとした変化であったりとか、
そういう揺れがあるっていうことが、
リアリティが取り落とされた状態で、
アドバイスをされるから、
何のあれにもならないっていう。
スピーカー 1
本当にそう。
相談の楽しみと言語の大切さ
スピーカー 1
最近思うのが、中高の友達とか、
中高からだから、
もう10年以上の付き合いになってくるんですよ。
その子たちの相談に乗るのがめっちゃ楽しいのは、
もう全部知ってるからね。
本当にそうなんですよ。
あの時もそうだったし、
あなたこういう考えの癖あるよね、みたいなのが、
体験から分かるんですよ。
それが何だろう、
うすうすっと思ってたんですけど、
付き合い長い人と相談し合ったりとかするのって、
ものすごく深まって楽しいなって、
すごい最近思うんですけど、
実際に自分のことをよく知ってるから、
その時間の積み重ねがあるから、
スピーカー 2
だからすごいそれは信用できるんですよ、一番。
自分は最近あんまり生身の人と話す機会が、
ここ数年めっきり減ったんですけど、
今の話聞いてて思い出したのが、
大学1回生ぐらいが一番人とよく喋ってて、
それで収録の合間に言ったかな、
親友会っていうのとかもよく喋ってたんだけど、
その辺で思ってたのが、
変な例えなんだけど、
人と喋ることを本を読むことに例えてた時期があって、
相手の人自体が本なんだけど、
スピーカー 1
その本のページ数は増えていくわけですよ、
スピーカー 2
相手と会ったらね、
そのページを今度は毎回毎回ランダムなページから、
ペラペラペラペラめくって読んでいく感じに近いなと思って、
スピーカー 1
めっちゃいい例え。
スピーカー 2
そう、いい例えって言ってくれるの嬉しいんですけど、
だから時々はページ被ったりとか、
スピーカー 1
で全然、そんなページあったみたいなのもあるじゃないですか。
伏線回収みたいなのもありますよね。
あの時こう言ってたことこうなったとか、
今のこの悩んでるの、あの時と一緒やんみたいな。
それが面白い。
スピーカー 2
これダメやったらごめんって言おうかなと思うけど、
自分の親友の人が、
ハーフだったんですよ実は。
で、そのことを知ったのが、
仲良くなってから多分ね、
4年5年目ぐらいの時に初めて知ったんですよ。
自分の家でその子が来てて、一緒に遊んでて、
パソコンで動画とか見てて遊んでた時に、
なんかの話の流れで急にそれを言われて、
スピーカー 1
えーっつって。
面白い。
スピーカー 2
なんでそれ教えてくれへんかったんって言ったら、
聞かれんかったから。
聞くわけないやろ直接みたいな。
そういうね、あのことがあるわけです。
確かにそれは聞かれんかったら言わないよねって言われてみればね。
スピーカー 1
わざわざ言ってないことっていっぱいありますね。
スピーカー 2
だからそういうこともあるから、
そういう人と話すのって改めて面白いなって思いましたけどね。
そういう楽しさがね、
もっともっと大事にされてほしいなと思いますけどね。
スピーカー 1
本当に本当にめっちゃわかります。
しまったんじゃないですか。
確かに。一旦切れますか。
スピーカー 2
最後にですね、さっき言ってた千葉さんと国分さんの対談なんですけど、
スピーカー 1
言語が消滅する前にっていう新書なので、
スピーカー 2
こちらをぜひ読んでください。
読みます。
スピーカー 1
ありがとうございました。
ありがとうございます。