1. 余白のエクリチュール
  2. 「コメント」論 〜私たちはど..
2026-02-27 45:44

「コメント」論 〜私たちはどこで/どうやってコメントをするのか〜

#42 / コメント論 / 各々の宣言 / 「会話」「対話」について考えていく→Discordにチャンネルも作ったのでぜひ / コメントはインターネット時代の会話のあり方の一つ? / 「コメントが欲しい」 / どこでコメントする? / コメントが自分のものにならない感 / X = 自分の思考・自分のアーカイブ? / 届いても届かなくてもいい? / 相手に伝えたいからコメントを書く? / プロフィールを見られたくない? / 伝えたいもの以外がノイズになる? / YouTubeでコメントしている人が多そう / YouTubeのほうが”届く”感がある / 特定の文脈だけを見せたい / ノイズを排除したい欲 / 「クックパッド衰退に関する考察」/ インターネットコミュニケーションの変遷 / コンテンツの内容とコメントの関係性 / コメントのモチベーションは何? / コメントにハードルがある? / 意外とプラットフォーム側の細かなUI設計の影響があるかも? / コメントをバズらせたいひとたち / みんなコメントを見に行っている? / 動画なのかリアルタイム配信なのかでも違う? / どうすればコメントは増えるのか? / コンテンツを基にしたまちづくりから考えるコメント / コミュニティへの貢献の意識が大きい? / UGCの隆盛 / コメントについては引き続き考えたい


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▼「余白のエクリチュール」(通称:よはちゅる)とは?

異なる時間や場所を生きてきた2人が、まだお互いをよく知らないところから始めたPodcast。

発信が溢れる時代だからこそ、“聴くこと”に価値を置く。様々なテーマの感想や解釈を起点に、埋まりきらない“分かり合えなさ”さえも楽しむ余白をあなたも。


▼クレジット

やぎしょーご Shogo Yagi @sho5_midday ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://x.com/sho5_midday⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

𝑃𝑜𝑚𝑃𝑜𝑚 🍮@pompomreading ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://x.com/pompomreading⁠⁠⁠

サマリー

今回の「余白のエクリチュール」では、「コメント論」と題し、インターネット時代のコミュニケーションにおけるコメントのあり方について深く掘り下げました。ポッドキャストでは、各々のコメントとの距離感や、コメントを投稿するプラットフォームの違いによる心理的な影響について語られました。X(旧Twitter)を自身のアーカイブとして捉え、他のプラットフォームへのコメント投稿に抵抗を感じる意見や、逆に「伝えたい」という気持ちが強く、アンケートの自由記述欄などを活用する意見など、多様なコメントに対するスタンスが示されました。 また、インターネットコミュニケーションの変遷についても考察。かつては開かれた場でのN対Nのコミュニケーションが中心だったものが、インフルエンサーと個人の一対一の関係へと変化している現状が指摘されました。コメントのモチベーションについても、単にコンテンツへの感想を伝えるだけでなく、コミュニティへの貢献意識や、ファン同士の交流といった側面が重要視されることが示唆されました。プラットフォーム側のUI設計や、コメント欄の活用方法がコミュニケーションに与える影響についても触れられ、今後のインターネットコミュニケーションの進化に注目が集まりました。

オープニングと自己紹介、そして今日のテーマ「コメント論」へ
はい、始まりました。 余白のエクリチュール、訳して余白ちゅる。
この番組は、異なる時間や場所を生きてきた2人が、お互いをよく知らないところから始めたポッドキャストです。
様々なテーマについて、それぞれの感想や解釈を起点に、違いや分かり合いなさを楽しみながら、言葉を交わします。
よろしくお願いします。
はい、お願いします。めっちゃ噛みそうでしたね。
そうですね、ちゃんともう一度答えました。
もう一度答えましたね、はい。
すいません、今日は皆さん、私ちょっと風邪ひいちゃって鼻声なんですけど、すいません、聞きづらかったらすいませんが、よろしくお願いします。
はい、お願いします。
今日はコメント論について話そうです。
各々のコメントとの距離感とプラットフォームの使い分け
はい、コメント論。
待って、すいません、私その前にちょっと1回宣言しておきたいんですけど、
このポッドキャストで宣言しておきたいことがあります。
これをちょっと。
すいません。
まず1個は、1個はまずちゃんと手前のところから話すっていうのと、もう1個は合図中はしないってことです。
そうなの?
はい、これをちゃんと言っとかないと、私は毎回心がけてはいるんですけど、いつもの自分の体の流れでこれをやっちゃうので、ちょっと注意してやりたいです。
ここでツッコむのが悪いんだけど、1個目はお任せしますけど、2個目ってそんなに合図中多いと思ってないですけどね。
本当ですか、なんか自分でそのポッドキャストを聞き直したときに、なんか結構多いなって思って、そこでかぶって、なんかこのかぶるとリモートだと音声が途切れちゃうみたいなところがあるのかなって自分では思ってて。
なるほど。
そうでもないならいいんですけど、ちょっとそこは。
わかりました、お任せします。
なんかしょうごさんの方からも宣言しておきたいことありますか?
宣言?宣言なあ、別にないなあ、別にないけど、なんだろうなあ。
だからちゃんと会話をしたいですよねっていう感じかな。だからなんか、ちょっと待ってくださいね。
前回このポッドキャストとして、1つ軸があったらいいかもなあっていう話をしたときに、会話とか対話っていうのを真ん中に置いたらおもろいのではみたいな話をしたと思っていて。
でまあ、普通にそのとき面白いな、僕は面白いと思ったからそう言ったんですけど、100%面白いと思ったかっていうとまあそうでもない部分もあり、ちょっと悩みながらやってたんですけど、ちょっとまだ聞けてないですけど、だから今朝かな、TBSポッドキャストでも会話とか対話って言い方じゃなかったと思うけど、雑談とかっていうのをテーマにした文化系ライフだったかな。
あんま僕聞いてないやつですけど、とかでもテーマになってたりして、やっぱりなんかこれってこういうのが今必要なのではみたいなふうに思ってきたので、だからやっぱりこうちゃんと重要視していくのはおもろいかもと思っており、はいなんかちょっとそこらへんは改めて意識していきたいなとは思ってますって感じかな。
はい、オッケーです。文化系のそのラジオ出てる、今回出るチューヒーチョールさんも結構人類にとって会話って大事なんじゃないかっていうことを言ってて、私はまだそのチューヒーチョールさんの本は難しくて読めてないんですけど、そういうのもちょっと読みながら、なんかアカデミックなとこもなんか読みながら、あとは自分の日常の会話でも私の会話ってどうしたらいいんだろうってことを考え、それってなんか本当人類に普遍のことだから、結構考えてるの面白いって思いますね。
そういうのちょっとやっていきたいなって思いますね。
はい、いいと思ってます。
はい、オッケー宣言ありがとうございます。
宣言かわかんないけど、なんか今考えてること、はい。
はい、オッケーです。じゃあ本題に入っていきますね。
はい。
はい、本題はコメント論について話そうです。
はい。
これは多分しょうもさんが持ってきたのかな?
まあそうだったかな。あれ、記憶にないですが。
でも今の話とつながっていて、インターネット時代の会話みたいな見方をしたときに、コメントっていうものが非常に重要になってきている気がします。
し、ここ10年重要だったんだろうと思ってます。
きっかけだ、コメント論って言葉は、ききかいかいのダンチのタイタンがやってる回覧版から持ってきたと思うんですけど、
まあなんかそこでも確か、ちょっと文脈は忘れちゃいましたけど、コメント論みたいなのやったらいいかもな。
あれか、トークイベントについてのダンチラジオを撮ってたと思ってて、
なんかそこの流れだったような記憶がありますけど、
コメントみたいなのもちょっと考えたほうがいいよね、みたいなことがあったと思います。
話すぎるとあれなんじゃないですか、ダンチのディスコードとかでもコメントみたいなのは結構、
まあいろんな視点から語れるような気がするし、さっきも言った通りコメントっていうのが今重要になってきてる気がするので、
改めてそもそもコメントってなんだっけみたいな話とか、ちょっとコメントについて考えてみたいなと思った気がします。
そうですね、思い出しました。実際そのダンチの回覧版でもタイタン氏が複数回コメントが欲しいみたいな、
で、それはどうやってやったらいいのかっていうのを言ってて、
それに対してその回覧版の感想とかを書くところもあるんですけど、
私も実際に書いたんですけど、その時の回覧版の感想を結構他にも書いてる人いたので、
なんかもしかしたらいろんな人が興味持っているところかなって思います。
なのでちょっと今回話してみましょう。
はい、ってことで最初なんですけど、最初ね、もうざっくり各々のコメントとの距離感、
どういうところにコメントしてるかとかっていうところから話してみたいんですけど、どうですかね。
ちょっと。
うーん、そうねー。
そういう意味だと多分僕はそんなにコメントしてない気がするな。
ちょっとどこまで話すかあれなんですけど。
僕は基本的に書くものはXに8割ぐらい寄せてる気がしており、
なんかね、多分この後話が出ると思うんですけど、
いわゆるコメントみたいなのってYouTubeのコメントみたいな話とか、
さっき言ったDiscordのコメントみたいなのもあるし、
Spotifyにも最近コメント欄が出てきてみたいな話で、
いろんなプラットフォームに散らばってるのがあんま好きじゃないんですよ、僕個人的には。
だから、いわゆるコメントって言うとあんまなんかしてない気がするんだけど、
Xではいわゆるコメントっぽいことは結構してるっていうのが僕の感じかな。
うん、ちょっと気になってるんですけど、
確かにしょうごさんは1個のXのアカウントでいろんなことを雑多につぶやいてるなっていうイメージはあるんですけど、
その散らばってるのがあんまり嫌だっていう感覚が私はなくて、
私はいろんなプラットフォームがあれば、一方じゃとこにコメントをするっていうのをやってるので、
そこちょっと違うなって思って、何が嫌なんだろう。
それは結構明確にあって、これは感覚の問題かもしれないですけど、
プラットフォーム、Xはなんで大丈夫なのかって話はちょっと置いとくとして、
散らばると自分のものにならない感覚がめっちゃあるんですよね。
あー、なるほど。
なんか文脈違うけど、アンケートみたいなのも近しいと思っていて、
何かアンケートを書くみたいな自由記述欄とかあると思うんですけど、
例で出しますけど、セミナーとか講座を受けた後にアンケートみたいなのがよくあったりすると思いますと、
そこの自由記述欄とかにあんまり書く気になれないんですよ、個人的に。
それは何でなんだろうって思うと、アンケートみたいなのって、
そこに書いてイベント主にとっては非常に重要だし、そこに貢献したいという気持ちはあるんだが、
どうしてもそこに書いてあんまり自分のものにならないなーみたいな感じがあり、
あんまり書く気になれないんですよ。
それが多分さっきの話に全部つながっていて、
僕はXにいろいろ情報を載っけてるから、そこに載せることは僕としてのアーカイブになる感じがあるんですけど、
いろんなところに散らばっちゃうと、結局何かあんまり自分のものになってる感がなくて、
どうも乗り気になれないんですよね、っていうのが多分ある。
そういう自由記述のところで書くところは、
自分のローカルとかで整理して、このイベントのこの数はこうだったみたいなところを書くようにしてるんですか?
いや全然そんなことあんまりしてないですね。
単純にあんまり気が乗らなくなるっていうだけなので、
書くことは書くけど、なんか積極的に書きたいなという気持ちにもなれない。
逆にXはなんかあるんですよ。
俺の思考だみたいな感じが多分あるから、結構自由に勝手に書くみたいな。
別にこれが見られても、例えばイベント主、イベント主催者に届いてもいいし、
別に届かなくてもいいしぐらいみたいな感覚を持ってるんで、
ある程度自由に勝手に書くみたいな感じがある。
ノートでたまに僕はライブとかトークイベントとかの感想を書きますけど、
あれもすげえ勝手に書いてる感じがある。
えー、そうなんですね。そこね私と全然違うなって思って。
多分ね、俺の感覚がおかしいんだと思う、これは。
なんかそれは聞きたいと思って。
自分のまず思ってね、私は自分のものにしたいという感覚も分かる分かるけど、
それ以上にその人に伝えたいという気持ちが上回るんですよ。
なのでその人に直接書きます。
アンケートの自由記述もここが良かったとか、改善してほしいとことかもあるから、
そういうのは気付いたら書く。
だし、Twitterだと、逆に私Twitterであんまりその人に届けたいって思って書くことはなくて、
もしあればYouTubeとかDiscordで書くようにしてます。
なんかそっちのほうが、
そういえば私が書くのはこの音楽を作った人がめっちゃいいっていうときは、
YouTubeに書くと、そのMVとかに書くと見てもらえてるなってのが分かるから、
書きますね、書きますね。
あとなんか、私がTwitterに書くのは私は逆に嫌で、
それはなんでかっていうと、
Twitterでその感想をツイートしたときに、
例えばそのハッシュタグつけてツイートしたとして、
見つかったとして、そしたらその人が私のプロフィールに飛ぶ可能性があると思うんですけど、
その可能性がもう嫌すぎて、
私が個人的なこともTwitterに書いてるとしたときに、
それを見られるのが本当に嫌だから、
なんかメンバー悪いって思って、
それが嫌すぎて、もう私はほぼ書かない。
書くときは、固有名詞を出すときは絶対に届けっていう気持ちで書いてるんです。
それを外したことはないです。
私が届けって思って固有名詞を書いたとき、
ほぼ100%いいねが来ます、その人から。
そこにはいろいろと思うことはあるけど、言ってることはわかるからいいや。
ちょっと待って、今のが結構僕の中では、
結構カルチャーショックで、
それはなんでだろう。
ちょっとそもそも多分僕の持ってる感覚、
さっきの話の感覚と今のポンさんの感覚に違いがあり、
それがどういう違いなのかっていうのは、
今話せる気がしたからそれを話そうと思ったんだけど、
その前に今のプロフィールに飛ばれたくない、
自分の文脈を知られたくないみたいな、
そういう感覚があるんだろうなと思っていて、
それはちょっと今の僕の話そうと思ったこととは、
ちょっと相互が起きる気がしたんで、
そこをまず聞きたいんですけど、
それってどんな感覚かもう少し教えてもらっていいですか。
インターネットコミュニケーションの変遷とコメントの役割
私が届けたいときに、
私がその人をいいって思った、
その情報だけを届けたいんですよ。
私が誰で、私こういう文脈を持った、
自分がこの人に対してこう思ってるよっていうの込みで伝えたいんじゃなくて、
あなたが作ったこの作品は素晴らしいですっていうことだけを、
ナチュラルに届けたいっていう気持ちです。
そこで私がツイッターで、
別のいろいろ作品がいいねって言ったこと以外のことを呟いてるんですけど、
それは見たらその人にとってノイズになるんじゃないかっていう気持ちがある。
なるほど、動機2つ聞きたくて、
1個目は、それはポムさん独自の感覚だと思いますか?
それとももう少し、例えば同年代とかに共有されている感覚だと思いますか?
どうかな、あんまり私が、あんまりちょっとわかんないんですけど、
今までこのポッドキャストを収録するにあたって、
私の周りの人に聞いたんですけど、コメントしてるかみたいな。
あんまりツイッターでコメントしてる人いなくて、
YouTubeでコメントしてるって人が多かったんですよ。
で、そこでは別に文脈運動の話には至らなかったので、
全然意図はわかんないんですけど、
YouTubeだと、YouTubeの方が届く感がある、みたいなことを言ってる人はいました。
なるほどな。
じゃあもう1個、もう1個の方を聞くと、
なんか僕の肌感は、世の中の人は知られたい欲がむしろあるような気がしていて、
プロフィールに飛んでほしいとかっていうのはちょっと置いとくとして、
なんか僕がイメージしたのは、例えば結構僕よくわかんないんですけど、
サイン会みたいなのって結構人気だなと思っていて、
そういうのってどっちかというと、私のことを認知してほしいみたいな感覚が一定あるんじゃなかろうかと思っており、
それはさっきのポムさんの文脈を知られたくない、
ただこの言葉だけが届いてほしいっていうのとはだいぶ違う感覚な気がするんですけど、
それってどう思います?
なんか多分その人は文脈があると言いつつも、
多分そのアカウント、そのある特定の作品用のアカウントを作っていて、
その作品についてしかつぶやいていない、
その作品をめっちゃマスターしている人として認知されたいみたいなのがあると思っていて、
その認知されたいっていう気持ちはわかるんですよね。
確かに私がやっているK-POPのアカウントとかでも、
それはもう雑多に書いている人ってほぼいなくて、
私はK-POPのことだけを書くんで、
ライブ行きました、サイン会行きました、グッズ買いましたとか、
本当にその自分の純粋の愛をアピールしているっていうのがあって、
そういう文脈といっても、それってオタクとしての文脈なので、
それはなんかわかるなって感じです。
私は逆に、そっちだとそうだけど、アカウントによって違うかも。
そっちだとその気持ちわかるし、そうだけど、
今の私がTwitterに載せている、ポッドキャストに載せているアカウントだと、
別に雑多のことをつぶやいているから、そこの文脈が知られなくていいやって。
でも、聞いていて思ったのは、ノイズをできるだけ排除したいみたいな感覚は、
今聞いていてあるのかなと思いましたが、あってます?
めっちゃあります。
そうなんだろうな。
そうですね。
私の感想以外のことは知られないでいいよ、みたいな感じ。
なるほどな。
なんかね、ちょっとまだあんまりしっかり来てないんだけど、
まあ、何か多少はわかった気がしていて、
で、さっきちょっと話そうと思ったのは、
僕の感覚とぽんさんの感覚は決定的に違うものがあるなと思っており、
その話を少しだけしたいんですけど、
直近読んだ記事、エックスの記事で、
クックパッドがなんでこんなダメになったのかっていう、
超威厄だけど、なんかそれについて書いてる人がいて、
めっちゃ面白かくて、結構バズってた。
読んだ気がする。
なぜか読めないのをちょっとなんか忘れた。
で、超ざっくり僕の理解としては、
だからインターネットってそもそも結構誰でも参加ができ、
自由に発言ができて開かれた場所だっていうのが、
当初というか2010年代とかの感覚だったように、
僕も思っています。
なんで、SNSみたいのも2010年代としては、
本当にいわゆるツイッターですよね。
つぶやきみたいなどうでもいいものとか、
そういったものが比較的普通に許容されていたもの。
クックパッドもその時代のものであるので、
本当に素人の別にレシピでよくて、
どっちかというとクックパッドの中で求められていたのは、
そこで発生するコミュニケーションみたいなもの。
そういう素人同士でも発生するコミュニケーションみたいなものに
価値があったんじゃないかみたいなことを書いてあったと
僕は理解してます。
ただ、2020年代になってって言うと、
そこが多分決定的にインターネットのコミュニケーションが
変わってきた感覚が僕もあるし、
その人もそう言っていたんだけど、
そこで言っていた言葉の言い方は忘れちゃいましたけど、
インフルエンサーと私みたいな、
そういう感じになってきている。
あえて言っちゃえば一対一みたいな、
今まではN対Nみたいな感じだったのが、
結構一対一的な、
そういう感じにすごくなっている気がしていて、
その世界観ではクックパッドの2010年の素人の中で
コミュニケーションするみたいなのはもはやノイズでしかなくて、
そんなのよりかは、
より専門家と私みたいな、インフルエンサーと私みたいなのが
直接ダイレクトにつながれるっていうことが、
今の結構求められている感じなんじゃないか、
みたいなことが書いてあった気がします。
僕の理解。
それは今のポムさんの感じと僕の感じに
全くフィットしていると思うんですよね。
完全にフィットしていると思う。
フィットしている。
私は全然分かっていないです。
分かっていない。
どこから分かります?逆に。
インフルエンサーと私っていうところで、
それを私とフィットしているって話ですかね。
しょうごさんとフィットしている。
ポムさんとフィットしている。
それはやっぱりインフルエンサーって言葉を使ったのはあれですけど、
要はだから、
制作者とそれを受けてっていうのが
ダイレクトにつながるっていうことに
やっぱり結構価値を持っている。
そこで感想を伝えることに
ノイズが入ってほしくないっていうことを
言ってるんだと思っていて、
そこの、
それはすごく
ぽいなと思う。
僕はあんまりそういう感覚ないんですよ。
その人に伝えたいっていうのがない?
ない。ないね、あんまり。
ただ、
ただただそこに共有するように
感想を置いておいて、
それがいつの間にか伝わっていたら
それはそれでいいなみたいな話。
そっちの方が近い。
言い方を変えると、
そもそも多分、
今までのインターネットって
不特定多数、
日暗の刑事版とかもそうだけど、
不特定多数に見られるっていうことが
大前提で、
そこでやり取りするようなもの。
単純にシステム設計とかアーキテクチャ的に
そうでしかなかったんだけど、
最近はそうじゃなくなってる気がしていて。
僕はインスタのDMみたいなのも
結構そんな感じはしてるんですけど、
結構やっぱり今は
ツイッター上、
X上でやり取りするっていうよりかは、
XのDMでもいいんだけど、
やっぱりその1対1でやり取りする
みたいなことの方が多いのではないか。
Discordも含めて。
閉じられた空間の中で
やる方が多いんじゃないかっていう気がしていて、
ちょっとどちらかっちゃったかもしれないけど、
やっぱりコミュニケーションのあり方とか
考え方が根本的に違う。
だからもうちょっと
2010年代の人は
やっぱりこう、なんだろうな。
インターネット上にこう知識があって
誰でも検索できたら嬉しいよねとか、
それが価値だよねみたいなことを
結構無批判に思っていた気がするんだけど、
なんかやっぱりそうじゃなくなってる感じが
結構すごいというか、
っていう感じ伝わります?
ちょっとどちらかとか。
伝わります。
なんかしかもそれは
世代的なものもあるけど、
多分これはヨハチュレで前話した
しょうごさんにとっての
雑魚論のところとかなり近いのかなと思って。
そうかもしれない。
私は逆にしょうごさんの方が、
私は自分のような考えを持っている方が
今の時代は多いって思ってるし、
世代に限らず
本当に誰でも
アーティストに届けられるようになったから
っていうのもあると思うんですけど、
それ以上にこの
私としょうごさんのお話の中では
そっちのしょうごさんの雑魚論の
考え方の割合の方が
高い気がするなって思いながら
聞いてましたね。
それもあるかもしれないけど、
なんか結構
世代っていうか
やっぱり時代が進んできたことで
決定的に変わってきた感覚な
気がするなっていうのを
ククバとネット読んでも思った
って感じかな。
コメントのモチベーションとプラットフォーム設計の影響
そうですね、確かに
私も最初はツイッターは
10人以上前からしてるけど
その時とか、その人に伝える
っていうのが
意識がなかったですもんね。
なんかそれでツイッターは
オタクのものだって思ってたから
そこにまず公式が入ってくることが
すごくなかった。
なるほどね。それもそうかもね。
そうそう。もうなんかそのショックを乗り越えて
それが普通になったから
届けられるのが当たり前みたいな。
で、届けると
そのアーティストも多分
えっとなんだっけ、YouTubeで
最初にいいねをすることが
副理的に効いてくるから絶対
なんかそのもらったコメントについて
いいねをしろみたいなのがあると思うんですけど
まあね。
アーティスト側もそれを利用して
いるから、ファンも
いいねをもらうと嬉しいみたいな。
そういうのが相乗効果で
今になってるのかなって
感じですよね。
うん、まあそうね。
まだ
プラットフォーム設計みたいな話
なんだけど
ちょっと一個だけ話してもいいですか?
今の話と繋がるか分かんないですけど
昨日見てて、なるほどなーって思ったのが
三宅さんと
名前で忘れちゃった
ページターナーズ
竹下さんか
やってるページターナーズの最新回を
昨日見ていて
別に面白いなーって思いながら見てて
コメント欄を見たんですけど
大抵が
ちょっとあえて言い切ると
あんま内容と関係ないことをコメントしてるな
と思ったんですよ。
そうなんですか?
三宅さんの髪の毛の外ハネが
かわいいとか
そうなんだ。知らなかった。
あとなんだっけな
ファッション会みたいなやったら
いいですねみたいな。まあこれ内容と
関係してるんですけど
話をしてたので
ファッション会聞きたいですみたいな
コメントとか
あとページターナーズ毎回面白いです
みたいなコメントとか
僕が今内容に関係ないって言ったのは
あの番組の僕の理解は
本について語る番組
なので
僕の感覚としては
僕がコメントするんだったら
この本確かに
面白そうみたいな話とか
この本は確かにこういう視点で面白かったみたいな話とか
そういうことをコメントする
かもなと思ったんですけど
少なくともそれはマジョリティではなかったな
と思っていて
なんかこれはやっぱだから
俺の感覚がずれてるし
やっぱ世の中のコメント
コメントのモチベーションって何なんだろう
みたいなのがすごいそれ見て思ったんだよな
って
思ったんですけど
どう思います?
コメントのモチベーション
私は本当にその人に届けたい
なんです。その人に届いて
このいいなって思ってくれてる
思っている
この気持ちを
知ってほしい
あなたは素晴らしいってことを知ってほしい
っていうモチベーションでやってるんですけど
YouTubeに関してはですね
やってます
なんでしょうね
でも私は別になんか
本の話をしない
ってことが別に
マジョリティだとは思わないんですけど
なんかそのページターナーズ
なんでしょうね
例えばアイドルの
あれだと
YouTubeだと
タイムスナップとかつけて
この言動が
こういう
何なんだろうな
ページターナーズは
でもそういう意味では
ページターナーズは
三宅さんっていうキャラクターを
その魅力を伝えることには
成功してるのかなって思ってて
それってもう本の内容じゃなくて
三宅さん独自の
三宅さんに対するコメント
だからそれはそれでいいんじゃないかな
みたいな思ったんで
ごめんなさいそういう意味だと
全然悪いと思ってなくていいと思うんだけど
そこに結局やっぱコメント
どういう
難しいな
コメントのモチベーションみたいな
問題が結構
あるんだろうなと思っちゃったんですよね
モチベーションっていうのは
私がさっき言った
伝えたいっていうこと
以外の話
いや
もうちょっと喋っちゃうと
だから一番冒頭に戻って
そもそもは
ピンピンランチの
タイタンの
回覧版に
起因してますって話をしましたと
さっきちょっと見直してたんですけど
やっぱりそこでおっしゃると
コメントが欲しいってことを
言ってるわけですよね
めちゃくちゃ切実に
それは
ひっくり返せばコメントが少ないと思ってる
ってことだと思うんですよ
言い切っちゃうとね
それってどういうことなんだろうな
って思っていて
お!
っていうのはコメントが
コメントはなんか
それで十分だろうって
思ってるって話なのか
ここまで言わない
ならぬような
状態になっている
というか
これってさっきも
ポムさんもおっしゃってくれたとおり
何度かこういうことを言ってると思うんですよね
タイタンは
ってことは言っても
コメントは増えない
っていうことはどういうことなんだろう
っていうのはすごい僕考えちゃうんですよ
うんうん
それはわかるんですけど
なんでしょうね
そこに私が思ったのは
その回覧板を受けて
他のファンの人が書いてた
のが
そのコメントのハードルが高いみたいな
ことを言ってたんですよね
多分そこが結構
大きいのかなって思って
私はあんまりそういうのないから
そこは私も不思議ではあるんですよ
別に
書きたいこと書いたらいいんじゃない
みたいな思うんだけど
でも
結局
あれ
そこは
でもそれはそんな気がするんですけど
要は
逆に僕さっきの
ページターナトの話とつながるとして
うーんと
まあでも
結局はその
さっきの三宅さんの外跳ね可愛いみたいな
ああなるほどそういうコメントあんのか
普通に思ったんですけど
そういう中身にあんまり関係ない
ことであってもコメントって
いうものはあったらいいのか
それともやっぱりコメント
っていうのはできるだけ中身に即して
そのコンテンツ
言い方むずいな
そのコンテンツの
魅力がより伝わるようなもの
さっきの外跳ね可愛いみたいなのも
全然別の角度から入ってる気がするから
それはそれでいい気がするんだけど
なんかそういうさっき言ったハードルの
をちゃんと超えてくるような
クオリティがあった方がいいのか
みたいななんかそういうの結構
どっちがいいんだろうな
みたいなことを考えちゃうんですよね
そうですね
質問どっちがいいのか
今の
たちのコメントに限っていえば
本当に
コメントの増加とコミュニティへの貢献意識
みんな長文書いてるから
それで
ディスコードが
長文を書けてしまう
っていうのも
結構あるなって思ってて
spotifyとかyoutubeだと
もうその長文って
文字数って
一定以上長いと
続きを読むみたいな
そういうこと
それに
それで長文を書かなくなるから
結果的に
気軽に
関係ないことでも
投稿できるかもしれないけど
ディスコード長文書けちゃうから
みんなが長文になっちゃって
ハードルが上がるとか
あるかもしれないですよね
なるほどね
いろいろ
考えてきたことあったんですけど
何か
俺が喋りすぎた
全然そんなことないですよ
そうか
この間に
間をつなぐと
ディスコードが長文書ける問題は
そうだなと思ったけど
別にyoutubeも同じじゃんって
俺は思っていたが
続きを読むみたいな
UX設計だけでも
もしかしたら変わるかもって可能性はあるのか
そうですね
全然話変わるんですけど
コメントについて
話してた
友達に聞いてた時に
自分は一時期
youtubeのコメントを
バズらせることに
懸命になっちゃった時期があって
どうやったらバズるのか
考えてたらしいんですよ
答えが
続きを読むっていうのを
わざと表示させ
続きを読むっていうのを
わざと押させる
最初に
引きつけるようなことを
書いておいて
続きを読む
それで投稿したら
結構
いいねが増えた
みたいなことを言ってたんですよね
これが何につながるかって話なんですけど
最近のXと全く同じ
感じですよね
俺はそれが好き嫌いなんだけど
それはね
確かに
それ聞いても
1個前か2個前に話したけど
やっぱりみんなコメント見に行ってますよね
コンテンツ見てる感じしないんだよな
って思っちゃうんだよな
なるほどね
それでコメントに対する
危機感があり
別にコメントしたくない
みたいな気持ちに向かっちゃうのかな
しょうごさんは
もしかしたらそれはあるかもしれない
今そこまで考えてないけど
結局YouTubeとかそういうのみんな
コメント見に行っちゃう気がするし
自分自身もコメントに
集中力
削がれる気はする
あー
そっか
それは感覚として
あるかもしれないけど
私は違うのは
コメントに集中力削がれるってのは
全くないかな
坂井さんの
坂井風太さんって分かる?
あの人のYouTubeの
コメントって結構面白いんですよ
それは本当私はYouTube
コメント込みで見てるって感じかな
そこに
Z世代とかタイトルに入ってると
Z世代の人も見るし
Z世代管理してる人も見るから
双方の意見が
分かる
それは面白くて
それはそれ込みで見てて
その
実際の会社の人が
会社員が思ってることとかが
生の感じがして
それはすごい好きなんですよね
それは
そこはいいんだけど
なんか
むずいなぁむずいなぁ
どういうと
コメント
コメントで削がれるってのは
どういうことなのか
僕が今思ってたのは
やっぱ
ちょっとあれなんだけど
動画の場合は
なんか
動画を見てるときに
コメントとか見出すと
動画よりもコメントの方に
集中がいっちゃう気が
すごいするんですよね
コメント読む方に
気がいっちゃう気が
する
なってるかも多分
一回動画止めてコメントバーって読んで
僕は
動画止めてみたいな面倒くさいことしないから
どっちかというと結局
コメントを見てる
それはなんかききかいかいとかでも
話した気がするけど
そんな感じがききかいかいじゃなかったかな
なんかで喋ってた気がするけど
僕はなんか今ちょっと
話が逸れちゃうかもしれないけど
思ってたのは
動画なのかリアルタイムの配信なのかでも
ちょっと違うなって
思っていて
リアルタイムだったら
適当に流しちゃう
流れるじゃないか
そもそも設計的に勝手に
その時間そのタイム流れていくから
別にそれはだから流れていくことは
流していけばいいんでいいんだけど
動画とかだと
そこに固定されてるから
なんかそれを
ある程度一生懸命見ようとしちゃう感じが
なんかするなー
っていう気がしていて
もしかしたらなんかそういうのも
一定関係があるのかもなー
みたいなことを
話してて思ってました
そうですねまさにタイタン氏が
やった20っていうイベントでも
あれはなんかリアルタイムだったから
ディスコードって固定されたところであっても
いっぱい流れていくから
それで書きやすいっていうのは
あると思います
まあそうねそういうこともあるかもそういう話も
あるかもね
いやーなんか難しいですよね
なんか私いろいろその
今回コメントについて
なんかその
どうやったらコメントできるかっていうのを
考えてみたんですけど
結局なんか難しいんですよね
こっちから設計して
どうこうっていうのは
難しいなって思ってて
私の結論
その人の
結局
こっちから呼びかけても
その人の自主性に
よるしかなくって
めちゃくちゃ面白いコンテンツでも
この人が書きづらいとか
いろいろハードルはあると思うんですけど
なんだろう
私が
私も結構
ポッドキャストを人に勧めたときに
コメントくださいって言って
勧めるんですけど
なんか私にコメント書けるかな
みたいなことを
言ってる人が
友達がいて
全然なんかそういうことなんか
起用はなくていいのに
ただただコメントくれたらいいのに
みたいな思うけど
そういうところの心理的なハードルも
あるのかなって思ってて
なんか
私がちょっと
考えてきたのが
私大学の卒業研究で
コンテンツを基点にした街づくりについて
勉強したんですよ
そのときに
ファンの愛着がどのように形成されるのか
っていうのを
研究したんですよ
それとこのコメント論って
結構同じだなって
思ってて
その
ファンの愛着が形成されるときの
段階で
先行的な愛着と感情的な愛着と
持続願望っていう
段階があって
最初は好みとか
最後はもうなくなってほしくない
みたいな
愛着の段階に推移するんですけど
それと
結果だけ
話すんですけど
その結果としては
結論としては
行政とか運営とかが
街づくりのイベントをして
そこでファンが愛着を持ってくれる
ってその愛着の初期の段階で
最終的に
これそのファンの
行政の人にインタビューして
ファンの人にもインタビューして
ってのをやったんですけど
最終的に何がそのファンの愛着に
関係するかっていうのは
ファン同士で交流する
につれてその土地への愛着が
増大していくっていうのが
あったんです
運営ができるのは仕掛けるまでで
あとは交流を促して
ファン同士の愛着に
交流に
いくっていうのが
それが結構大事なのかなって
思いましたね
その中でファン同士で
このコミュニティを
今自分がこの
コミュニティに属している
このコミュニティを守りたいみたいな
そういう内発的な動機で
このコミュニティを
盛り上げるために
ここで
やり取りされることを
大事にしたい
みたいな気持ちが
湧いた時に
盛り上がるのかなって
私は結構その気持ちが
元から強いんですよね
そのコミュニティに対して
こういうことを
自分は寄与できるんじゃないか
気持ちでやることが多いから
コメントとかも
やりたいんですけど
そうじゃない人もいっぱい
いるんだろうなっていうのは
結構その
私が今このポッドキャスト
収録するにあたって
友達に聞いた時に思ったことではあるなって
なるほどね
だいぶいい時間になってきたので
プラットフォーム戦略と今後の展望
あれですけど
今の聞いてて思うのは
つまりは
コメント
そのものに対して
何か思ったからコメント書くっていう
直線的な話ではなく
やっぱりそこで
コミュニティみたいなものに対して
意識があって
そこからコメントが生まれるみたいな話だな
って聞いてたから
やっぱりそうなっちゃうんだよなって思った
そうなっちゃうっていうか
私的には
それがいいことだって思うんですけど
しょうごさんの懸念としては
それはコンテンツそのものへの
感想ではないのではみたいな
ことなんですかね
それが悪いとも思ってないけど
やっぱりそのルートしかないのかみたいな
そういうことかなと
今まで話してきた
youtubeとかのコメントみたいのは
それとも違う気がしていて
そこは僕の中ではまだ消化不良ではある
そうですね
youtubeは
あれはコミュニティじゃなくて
私も思ったんですけど
1回完結する動画に対しての
ことだから
ちょっと違うんですけど
どうなんだろうな
youtubeは
難しいですね
youtubeはyoutubeで
どうなのかな
youtubeが
1つのコミュニケーションプラットフォームになってる
っていう
今友達と話しててもあったんですよね
前どっかで見たんですけど
youtubeも
コメントとしての
プラットフォームを
目指してるみたいな
どっかで見たんですよね
youtubeって今
コメントが階層になるようになったんじゃないですか
階層
今まで
返信があった時に
階層で
表現されるんですよね
今までって返信でも
同一のレベルで並んでたんですよね
そういうところで
見やすくしたり
するのか
そういう工夫を始めたのかな
そういう意味だと
メガテック
ビッグテックのプラットフォームは全部そうだと思います
x含め
facebook、instagram、youtube
全てやっぱり
UGCと
きれいな言葉を使えば
UGCだと思うんですけど
UGCって何ですか
User Generated Content
TikTokとか
結局
一般
市民
クリエイターが
コンテンツ作るのはそうなんだけど
それを見る側とか
そういう人たちから生まれてくる
一般のコンテンツ
みたいなものをいかに取り込むか
そこのエンゲージメントをいかに取り込むか
っていうところが結局やっぱり
パイがでかいから
圧倒的に
すごく苦心してるんだと
思っていて
コメントっていうのはやっぱり
コメントはできるだけ
コメントが増えれば明らかに
プラットフォームへのエンゲージメントは
高まるはず
みたいなことは
全てのプラットフォームがめちゃめちゃ考えてる
ことだと思う
それがいいかどうかはちょっと置いとくとして
そうですね
そこでそのコメントを
高めることで
良い双方にとって
発信でも受けてでも
双方にとって良いものが生まれれば
いいけどって話ですね
それが結局バズーオの構造とかになっちゃうと
そうなんだよね
そこなんだよね
これはこれからも
いろいろ変わっていくでしょうから
ちょっと
注視したいところですね
あんまりごめんなさい
エンディングと今後の告知
まとまらなかったけど
面白かった
コメントはちょっと考えたいんだよね
わかりました
じゃあこんなところでいいですか
OKです
ということで今回はここまでです
VirtualではDiscordにて2人の放送後の
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まあそうですね
こんな話をした手前どんなコメント
なんでも
なんでも構いませんので
なんでも構いませんが逆に
むずいって説もありますから
なんでも構いませんっていうのもちょっと
違うんだよな
私は特定のここが
ここがなんか自分と考え違ったとか
この意見は
ちょっと面白いなみたいな
そういうところがあれば聞きたいから
って
じゃあそういうことでお願いします
はい
じゃあここまでお聞きいただきありがとうございました
次回もぜひお会いしましょうさよなら
ありがとうございます
45:44

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