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2026-02-27 46:00

【授業】芥川龍之介『羅生門』を本気で解説してみた!【悪とは?正義とは?】

現役高校教師の僕が芥川龍之介の『羅生門』を本気で解説してみました。
本当はもっと語りたいところがたくさんありましたが、一番伝えたいところは熱く語れたと思います!

#芥川龍之介
#羅生門
#国語
#授業

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00:05
芥川龍之介『羅生門』本気解説!
ヤマル
どうも、現役国語の先生、ヤマルでございます。
僕ですね、普段スタンドFMとかでは、不動産賃貸業のこととか、あとはエンターテイナーになりたいよっていうことを喋ってるんですけども、
つい先日ですね、芥川龍之介の『羅生門』を音読してみたんですね。
朗読してみたんですよ。
これ、僕の中では、ヤマルブック、オーディブル的な感じで読んで欲しいんですけど、
ヤマルブック的なことをやってみてですね、
音声の形で、耳で芥川龍之介の『羅生門』を届けてみたいというふうにちょっと挑戦してみたんですけど、
これがですね、すごい反響が良かった。
僕の良い声がすごく良かったって褒めてくださる方もいれば、
『羅生門』って高校生の時に勉強したけど全然覚えてなかったとかね、
こんな内容だったっけとか、分かんないことだらけだよみたいな、
ぜひ解説会もやって欲しいと。
朗読、音読するだけじゃなくて、
芥川龍之介の『羅生門』を解説して欲しいというコメントをたくさんいただきましたので、
もう嬉しくて舞い上がって、調子乗ってですね。
僕今回は芥川龍之介の『羅生門』を本気で解説してみようと思っています。
何だって学校の先生ですから、
僕芥川龍之介の『羅生門』を何回も何回も授業でやってきたんですね。
その中で本当に思う文学の普遍性、
芥川龍之介の『羅生門』って本当にここ素敵だなって思う部分もありますし、
何回も何回も国語の授業で、
実際に高校生の前で授業やってきて、
やっぱりここ難しいなとか、
高校生はこういうふうに捉えてるよみたいなところもですね、
裏話的、小話的なこともまとめて喋れたらなというふうに思っております。
大体芥川龍之介の『羅生門』って50分の授業で言ったら、
4回か5回か6回か7回か結構時間取るんですよ、単元としてね。
だからそれを今からスタンドFMの音声収録だけで一本勝負、
一発収録でやると一体これが何分の収録時間になるのか、
僕全く予想もついておりませんけども、
僕の好きなところを好きなようにダラダラと解説していきたいと思っております。
文学好きだよって人とかね、
芥川龍之介って国語の授業でやったけどいまいちよくわからなかったよって人とかね、
逆に大好きだよって人とか、
山野何してんのって人とかね、
ひっくるめて楽しい時間になれば幸いかなというふうに思っております。
では早速ですね、羅正門の解説をしていきたいと思うんですけども、
まずですね、国語の先生という視点で羅正門の作品自体を語らせていただきますとですね、
03:03
国語の、高校の国語の教科書に羅正門ってほぼほぼ100%収録されてるんですね。
収録っていう言い方であってるのかな。
絶対載ってるんですよ、国語の教科書に。
だから日本で高校1年生か2年生を経験したことある人は、
ほぼほぼ100%芥川龍之介の羅正門を勉強してると思うんですよ。
じゃあ芥川龍之介を確かに勉強したことある、そこのあなたに聞いてみたい、
あるいはこれから勉強するという人でもいいですけども、
いま勉強してるでもいいんですけども、ちょっと聞きたいんですけども、
芥川龍之介の羅正門、どんな印象ですか。
はい、これね実際に授業をやった生徒に聞いてみてもね、
1番、2番か、2トップで出る感想としては、
古いです。古い。
あるいは怖いです。
暗いもあるかも。暗いとか怖いとか。
あるいは文章は古いとか。大体この意見に集約されるんですね。
そうなんです。芥川龍之介の羅正門ね、古いんです。
怖いんです。だからすごくとっつきにくいんです。
だから皆さんの記憶に残らないんですよ。
でもとっても名作。
だからあの時は嫌いだった。今は嫌いかもしれない。
でもこれを機にちょっとでも好きになってほしい。
なんで芥川龍之介を古い、難しいと捉える人もいますね。
古いから難しいと捉える人もいます。
なんでそう捉えるかというとですね、
そもそも芥川龍之介の羅正門というのが作られた日、
これがだいたい明治時代になるんですね。
だから今から100年くらい前になるんですよ。
この羅正門という作品が作られたのが。
これ一応近代文学というジャーナルに、
近現代小説というジャーナルになるんですけども、
100年以上前の文章で書かれていますので、
それは古いと感じますよね。
100年以上前の言葉で書かれているから、
それは難しいと思いますよ。
さらにですね、この羅正門がいつを舞台にして書かれているかというとですね、
これ平安時代なんですね。わかりますか。
100年前の芥川龍之介が100年前の言葉を使って、
1000年前の平安京の話を書くんですよ。
だから1000年前の舞台を100年前の言葉で書いている。
それはもうややこしい、難しい、古いと思うのに決まっているんですよ。
だからとつきにくい。だからわかりにくい。
さらにですね、内容としては、
これ前回僕が矢丸ブックで朗読したの。
もしよければ一回聞いてみてほしいと思うんですけども、
死人とか死人とか、
あとはおばあちゃんと下人の取っ組み合いとか、
生きるだ死ぬだ、殺されるだどうなこうのみたいな、
とにかく暗いんですよ。
表現も暗いし、展開、ストーリーの内容も暗い。
結局おばあちゃんを裸にして蹴飛ばして下人を刺さっていくというね、
とってもダークな仕上がりになっていますので、
それになんか嫌だなという印象を持ったりするんですよ。
今までここまですごくネガティブキャンペーンを、
06:02
羅生門のネガキャンしちゃったんですけど、
なのになんで国語の教科書に採用され続けているのか。
それはね、このわかりにくい、難しい、あるいは怖いくらいという
マイナス要素、ネガティブ要素を全部ひっくり返すような、
それをもう上回るほどの物語の秀逸性、これがあるからなんですね。
いろんな国語の授業でいろんな先生がいろんなことを言うんで、
その人それぞれの言いたいことはたくさんあると思うんですけど、
僕が思うね、僕が思う羅生門のとっても素晴らしいところ2つあります。
まず1つ目がですね、主人公下人。
この下人の心情の変化、下人の中で常に動いていく心情、心の変化、気持ちの感情ですね。
これがとても巧みに描かれているという点です。
物語がどんどん進むに従ってですね、下人の心の中はあっち行ったりこっち行ったり、
もうとっちらかっちゃうんですよ。
でもこのとっちらかっちゃうというのは、人間の真理というか、
もう紛れもない人間臭さなんですよね。
それをこの短編小説という形で描き表しているのが妙なんです。
これがまず1つすごいところ。
さらにですね、もう1つすごいところは、
主人公下人の心情描写を中心とした描写、表現力の巧みさなんですね。
メインで語りたいのは、やっぱり主人公下人の気持ちがどうやって変わっていったのかというところなんですけど、
それを芥川雄之介はどのように描いているか、この表現力にも注目したい。
メインで語りたいのはここなんですけど、それだけじゃなくてですね、
そこに至るその周囲をね、この舞台を、羅生門という舞台を形作っている風景描写であるとか、
心情描写だけじゃない風景描写であるとかね、
その時の全体の物語の構成とかというのがですね、
実に巧みに、とてもうまく描写、緻密にですね、
描かれている、作られているというところが僕本当に刺さる部分なんですね。
だから古いですよ、言葉も難しいですよ、
テーマも内容も暗いですし怖いですよ、
でもその文章を今、高校生の段階でですね、勉強することによってですね、
その文学というものの幅の広さやそこの深さを一気に体感できる、
これがね、羅生門のめちゃくちゃ面白いところなんですね。
なんかこう、まだね、高校生というのはいろんな小説を触れている人もいれば、
どんどんね、小説離れとか物語離れというか、
そんなことに触れていない生徒もいます。
どんな生徒がこの物語に触れた時にですね、
え、こんな描き方ってあるの?とかね、
こんなに暗くて怖い、でも人の真理をついた作品があるの?というこの衝撃をですね、
ぜひ感じ取ってほしい。
そのため、そういった思いで、狙いで、
この教科書に乗り続けているんじゃないかなというふうに僕は解釈しています。
09:01
てか、僕はもうそういったところに気づいてほしいと。
ただ、現実問題、授業をやればですね、眠い。
眠いですよね、だいたいね、高校の授業ってね。
で、そんな中で難しいとかね、わけわかんない言葉で暗い話されてもね、
それはもう、みんなどんどん頭下がっていきますよ。
そんなことより、放課後何して遊ぼうと思いますよ、それはね。
だから、僕はですね、こういった形ですけれども、
改めてですね、もう羅生門、芥川隆之介の良さをですね、
この場で、こういった形で語らせていただく。
それも本当に僕にとってはね、チャンスでしかない。
だから今日は、ぜひ、これを聞いている大人の方が多いと思いますから、
今更学びたい、今更感動したい、芥川隆之介、羅生門、これを解説していきたいと思います。
はい、本編、内容に入る前の前置きで、もうすでに10分近く喋っております。
今からが、文章の内容の解説になっていきますので、
すいませんね、前置き長くなって。
でも、こっからさらに長くなりますので、みなさん覚悟しておいてください。
ではですね、もし良ければ、原文あるとですね、
僕が今から解説する話が分かりやすいと思いますので、
青空文庫のホームページに原文、無料で読めますので、ぜひそちらでも結構ですし、
良ければね、僕の以前のヤーマルブックでやりました、
芥川隆之介、羅生門の朗読を聞いていただいても、大変嬉しいなと思っております。
では、いきますね。
まず、冒頭、最初の一文なんですけれども、このように書かれています。
はい、これはですね、別に国語だからとか関わらず、
どんな作品にも言えることだと思うんですけど、
どんな物語、小説においても、一番大事なものって一番最初ですよね。
冒頭の一文、これでいかに読者を引き込めるかというところだと思うんですけど、
羅生門、すごいです。
この一文に全てが書かれている。
わかりますか?
厳密には二文か。
ある日の暮れ方のことであるで一文で、
その次の一人の芸人が羅生門をしたで甘えみを待っていたで、
二文、ごめんなさい、二文ですね。
二文なんですけど、ここに物語がこれから始まっていく上で、
最低限必要な説明がすべて網羅されています。
ある日の暮れ方。
だから日にちは別に厳密じゃなくてもいいんだよ。
でも大事なのは夕方だよと、この時間の説明。
そして一人の芸人が、これ一人の芸人ということで、
この人は主人公だよということを説明しています。
羅生門をしたで甘えみを待っていた。
羅生門という門の下、場所で甘えみを待つ。
何をしているかというのがすべて書かれています。
だから何ていうの?
5W1H?
ちょっと国語先生だから無理して英語を使っちゃった。
よくわかってないけど。
いつどこで誰が何をしているかというのを、
このわずかな文章ですべて説明するわけですね。
12:02
ということは、読んでいる読者はこの一文で物語がどういう設定、
舞台なのか状況なのかを一度に把握して、
よし、じゃあこの次何が始まるんだという展開を楽しめるわけです。
今まだ一文目しか紹介していません。
その後もわかりやすいかつでも説明し過ぎない端的な描写で、
この羅生門がある京都、当時の京都、平安京時代の京都が
いかにボロボロなのか、いかに災いが続いていたのかというのが説明されています。
ここで僕が、さすが芥川という芥川称賛ポイントが一つあるんですけど、
ただ所々にぬりの剥げた大きな丸柱にキリギリスが一匹止まっているという描写があるんですね。
先ほど僕は5W1H、いつどこで誰が何をしているかを全部説明したと言ったんですけど、
実は一つ欠けているものがありました。
時間は夕方だということは説明しているけど、季節はいつなんだいということですね。
これを芥川隆之助は秋だよって一言も言わずして、
実は今ここが秋なんだよということを説明しています。
それがキリギリスです。
キリギリスって大体夏の終わり秋の頃に飛び回っている虫ですので、
それをさながら俳句の記号のようにですね、
季節を表すワードとしてここにポンと添えている。
これ一つ取ってもですね、僕は感動するわけですよ。
うめえ、匠!
決して無駄な説明文字数は増やさない。
でもそこに羅生門というね、
門に新塗りというのは旬の赤い塗装が剥げているという、
この状況にそっと秋だよという説明を添えている。
匠だなあと思うんですよ。
うまいね芥川って僕は思うんですね。
その後もいかにこの羅生門がボロボロなのかというね、
荒れ果てているのかという、
なんでボロボロになっちゃったのかという説明がずっと続きます。
第一弾楽はなので、この物語の一番伝えたいテーマである
主人公芸人の心情の変化というのはあまり書かれていない。
ごめんなさい、僕第一弾楽って僕の中で勝手に決めましたけど、
そうか、その説明もしなきゃ。
僕の中で言う第一弾楽というのは、
芸人、主人公芸人が羅生門に入るまでの場面です。
これを第一弾楽としています。
はい、すいません、説明しなきゃね。
芸人というのは当時で言う飯使い、今で言う飯使いみたいな感じで、
位の低い身分の低い者、その日暮らしの雇われ人みたいなね、
という感じです。
なんですけど、第一弾楽は芸人の心情描写というのを細かく書くというよりかは、
この羅生門という物語がどんな舞台でどんな状況で、
これからどういった話が展開しているのかという準備段階を丁寧に描いているような弾楽になります。
15:01
その羅生門が、京都がボロボロになっちゃって、
とんでもない災いが続いてしまったせいで、
芸人も飯使いという身分だったんですけれども、
主人から暇を出され、つまりクビになってですね、
つまりニート状態ですね。
無職状態。
明日の暮らしもどうしようもならない状態になってしまって、
羅生門の下で、ここのいい表現ですよ。
雨闇を待っていたというよりも、雨に振り込まれた芸人が、
行きどころがなくて土砲に暮れていたという方が適当である。
というような表現をしているわけですね。
ここでもね、これも語り出したらまた時間かかっちゃうんですけど、
と思うところが、
芥川隆之介というのはですね、
本当さっき言ったキリギリスのように、
無駄な説明というのは一切しない。
できる限り省くんですよね。
でも、細かい、自分が描きたいと思った描写は、
とっても細かく描きます。
というのが言っているのは、
芸人の心情の部分ですね。
芸人の気持ちの中の部分は、とっても細かく描くんですね。
さっき言ったみたいに、
芸人は雨闇を待っていたというよりかは、
土砲に暮れているんだけど、
たまたまそこに雨が降ってただけなんだよ、
という表現をしたりだとか。
あとは、これもすごく遠回しな表現で、
一見すると何を言っているかよく分からないんですけども、
芸人は何を置いても差し当たり、
明日の暮らしをどうにかしようとして、
いわばどうにもならないことをどうにかしようとして、
取り留めのない考えをたどりながら、
さっきからすざこうじに降る雨の音を聞くともなく聞いていたのである、
という言い方とかね。
その後は、どうにもならないことをどうにかするためには、
手段を選んでいるいとまはない。
選んでいれば、
水地の下か道端の土の上で植え陣をするばかりである。
そうして、この門の上へ持ってきて、
犬のように捨てられてしまうばかりである。
選ばないとすれば。
芸人の考えは何度も同じ道を展開してあげくに、
やっとこの局所へ放局した。
しかしこの擦れ場はいつまでたっても結局擦れ場であった。
芸人は手段を選ばないことを肯定しながらも、
この擦れ場の型をつけるために、
当然そのあたりに来たるべき盗人になるように仕方がないということを
積極的に肯定するだけの勇気が出ずにいたので、
すごく長い。
めちゃくちゃ長くリソース割いてですね。
パンパン、文字通りパンパンになるぐらい、
言語意識パンパンになるぐらいまで説明しているんですけど、
これ一体どういうことかというと、
芸人はニートになっちゃった。
今この荒れ果てた時代、
世紀末のようなボロボロの時代でですね、
まともな仕事なんて見つかりません。
じゃあどうするかと言ったら、悪いことをするしかない。
盗人、盗みを働くしかない。
でも自分はそれを積極的に肯定、
盗人になるという勇気を持てずに、
もちゃもちゃしてたよという。
それだけなんですよね。
死んだら、死にたくないから悪いことをしなきゃ、
でも悪いことをするの嫌だななんですよ。
この芸人の気持ちを芥川隆之介はですね、
擦れ場はいつまで経っても結局擦れ場であったとかね。
18:04
わざわざすごく細かく丁寧に描くわけですよ。
だからここでは読者の解釈をできる限りわかりやすく、
読者に対して芸人が今どういう気持ちなのかを
できる限り悔しく描くっていうのをね、
凝ってやってるわけなんですよ。
こんな表現ね、できないですよ。
しかも100年前の芥川隆之介がやってますからね。
今の私たちが読んでも、
わかる、この頭の中で言語化できないような
もやもやした気持ちを100年前の芥川隆之介は
こんなにね、丁寧に細かく描写してるわけです。
これを読んだら最初何言ってるかわかんない。
そりゃそうですよ。
人の頭の中なんて大体どう思ってるかなんかわかんないですよ。
そのもやもやをうまく言語化して文字にしてるっていうのがですね、
芥川隆之介の巧みさだなと思います。
ちょっと余談なんですけども、
自分の気持ちをうまく言語化するってすごく難しいじゃないですか。
今自分がどんな気持ちだとかね、
それをどんな相手にどのように伝えるかっていうのが
さらにハードルがどんどん上がっていくことですよね。
この小説っていうのはこんな風に
自分の登場人物、芸人の気持ちをですね、
言語化、テキストにまで落とし込めてるという点でですね、
とても秀逸だなと思うんですよ。
だからさっき言った僕の魅力の一つ目、
表現力っていうのが芥川隆之介のですね、
持つとても才能だなと思っております。
僕芥川隆之介大好き。
というのが第一段階で、他にも細かいね、
触れたい描写はいっぱいあるんですけど、
とりあえず一旦ここで終わって、
あ、ごめんなさい、これだけ一個言っとこう。
芥川隆之介伏線もちゃんと貼れます。
うちの芥川伏線も貼れます。
というのが芸人の心内描写ではなくて、
見た目です。
外見の描写というのがほとんどされていないんですけど、
だから何歳とかね、どれくらいの人間だとか、
見た目の人間だとかは一切されてないんですが、
一つだけ見た目の描写として、
右の頬に大きなニキビを持っているっていう描写をするんですね。
またここでニキビというですね、
本来人間はあまりこう、
堂々と胸張って見せれるようなもんじゃない、
どちらかというと恥ずかしいとか後ろを見たいというようなものの象徴、
ニキビを顔の右の頬に大きく持っているというところがですね、
そこを持ってくるというのがまだね、
宮内の花みたいなね、
花っていう小説もありますけど、
芥川隆之介みたいなかっこいいところだと思うんですけど、
その大きなニキビを持っているということで、
芥川隆之介は、ごめんなさい、
芸人はだいたい青年ぐらいかな、若者かなっていうような、
年齢の目星というか目安がつくわけなんですね。
この右の頬にできた大きなニキビ、
ちょっと気にしておいてください。
はい、では続いて第2段落いきたいと思います。
21:01
ここでいう第2段落というのはですね、
そのさっき第1段落で、
仕事はない、死にたくない、
じゃあ生きるためには悪いことするしかない、
でも悪いことするのって何回だなっていう芸人がですね、
とりあえず一晩、
雨風の憂えのない、人目にかかる恐れのない、
一晩楽になられそうなところがあれば、
そこでともかく模様を明かそうと思ったのです、
というところで見つけたのが、
この羅生門、このものがタイトルにもなっている、
京都の大きな門ですね。
当時の平安京の玄関、
すざく王子というね、
とても大通りに入るための、
平安京の玄関口ともいえるようなですね、
代表的なシンボル、羅生門に行くしかないというふうに思ったんですね。
その羅生門というのはさっき言ったように、
大きな災害、当時は京都大きな災害があった影響で、
そこにですね、死んだ人を捨てるような習慣さえできるほど、
ボロボロになってしまったんですね。
これ僕授業では例えとしては、
当時の一番の都の玄関口に、
人が死んだ人を捨てるなんて考えられるみたいな、
今で言ったら東京駅に死んだ人を捨てていくみたいな感じだよって言うと、
ああそうか、それってありえないよね、みたいな。
割と納得してもらえたりするんですけど、
そのありえないぐらい、今じゃ考えられないほど、
当時はボロボロ、廃れてた、荒廃していたっていうイメージを持つと、
この下人がいかに追い詰められていたのかという、
そういった状況からどんな心情になっていくのか、
みたいな想像力もつくかなと思います。
はい、ですみません、第二段落です。
第二段落は、そうやって一晩とりあえず眠れそうなところに行くために、
羅生門の中に入っていくという。
これで視点が変わるわけなんですね。場面が変わります。
下人は羅生門の下にいましたが、
第二段落では羅生門の中、上に入っていくというシーンになるわけです。
第二段落ですね、冒頭こんな始まり方します。
それから何分後かの後である。
羅生門の廊の上へ出る幅の広い梯子の中段に、
一人の男が猫のように身を縮めて、息を殺しながら上の様子を伺っていた。
はい、この一文から始まるんですね。
ここでちょっとピックアップしたい表現が、
一人の男がって言ってますね。
第二段落に、急にですね、さっきまで下人、下人、下人っていう表現してたのに、
ここで急に一人の男がっていうように、ちょっと客観視するようなね、
視点が広がるような言い方してるわけですね。
これつまり場面が変わったんだよということを読者に知らせるという、
一つのテクニックですね。
芥川凜介のテクニックがまだ一つ光っているシーンでございます。
恐る恐るですね、この死体がゴロゴロ転がっている廊の中を見ていくと、
はい、ここで二人目の登場人物が出てきます。
老婆ですね。
この老婆っていうのがですね、見た目の描写たくさん書いてあります。
24:04
日和田色の着物を着た、背の低い、痩せた、白髪頭の猿のような老婆であるという、
とても良い見た目、豊かなようなね、描写、見た目ではないですよね。
その通りですね、老婆はですね、死骸、死体ばっかりの羅生門の廊の中で髪の毛を抜いていたんですね。
死骸の中から長い髪を一本ずつ抜くという、そういうすごくクレイジーな行為をしていたわけです。
で、ここでですね、芸人の心情、心の、気持ちの変化が起こるわけです。
ちょっと覚えてますか。
第一段落では芸人は、仕事ないな、死にたくないな、でも悪いことするの嫌だなっていう気持ちでした。
で、第二段落、髪の毛を抜く老婆、ガリガリの老婆を見たときですね、芸人の気持ちはこうなります。
芸人は、六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、残時は息をするのさえ忘れていた。
はい、この表現もまた急に詳細なね、細かい描写するわけじゃないですかね。
さっきまでは、すればはすればはとかね、肩をつけるために包着したとか、
ありふどいわかりにくい言い方してたんですけど、第二段落のこの言い方すごくわかりやすい、逆にね。
六分、60%の恐怖と四分、40%の好奇心、すごくわかりやすい。
グラフ、円グラフが頭の中に浮かんできますよね。
これね、僕、授業でいつもやるのが、60%の恐怖と40%の好奇心に、このとき芸人はなったんだよ、みたいな。
じゃあ、みなさん、生徒のみなさん、日常生活において、60%怖いな、でも40%ドキドキ、面白そうだなって思うような経験なんかありませんか、みたいなことを投げるんですよ。
そうすると、例えばホラー映画を見るときとか、ジェットコースターに乗るときとかね、怖いってわかってるんだけど、なんかちょっと気になるな、みたいな。
そんな回答が返ってくるんですね。
じゃあ、今その気持ちでもう一回ここを読みましょう。
髪の毛を一本ずつ抜くガリガリのおばあちゃんを見たとき、このときの芸人はですね、まるでジェットコースターに乗るときのような、まるでホラー映画を見てるような、ただただ怖いだけじゃなくて、ちょっとなんだ、面白そうだぞっていう気持ちになってるわけなんですね。
全然気持ちが変わってますね、芸人ね。
で、その髪の毛を抜く老婆をしばらく眺めていたんですが、その髪の毛が一本ずつ抜けるのに従って、芸人の心からは恐怖が少しずつ消えていった。
そしてそれと同時に、この老婆に対する激しい憎悪が少しずつ動いてきた。
いや、この老婆に対すると言っては語弊があるかもしれない。むしろあらゆる悪に対する反感が一分ごとに強さを増してきたのである。
27:03
わかりますか、この表現。めちゃくちゃ面白くないですか。
最初は六分の恐怖と四分の好奇心。
でもこれは一瞬で、そのお婆ちゃんが抜いていく髪の毛が一本一本抜けるのを見ていくうちに、だんだん恐怖、60%の怖いという気持ちがなくなってきたんです。
それの代わりに、このお婆ちゃんに対する激しい憎む嫌悪感が増してきたわけです。
みなさんの頭の中の円グラフの60%が、だんだん恐怖じゃなくて憎悪感。
なんだこいつ。激しい憎む気持ちに変わっていっているというのが図示できるような、とてもわかりやすい表現。
そしてさらにここに注意書きが入ります。
いや、この老婆に対すると言っては語弊があるかもしれない。むしろあらゆる悪に対する反感が一分ごとに強さを増してきたのである。
これが芸人の人間らしさ。わかりますか。
普通の小説というか、僕らが想像できる領域というのは、最初はジェットコースターのように見て、なんだこいつ。
お婆ちゃんと見てて、髪の毛抜いているぞと。
え、なになになに。何しているんだこいつ。
60%の恐怖が憎悪に変わっていく。ここまでは想像できるよ。
でもこれが芸人の細かい心情を描写しているのが、お婆ちゃんに対する憎悪ではなくなっています。
あらゆる悪に対する反感、ここがポイントなんですね。
だからいつの間にか芸人は、お婆ちゃんを通り越して、全ての悪いことに対して憎む気持ちになっている。
一種のスーパーヒーローモードになっちゃっているんですよ。
ここが芸人の人間臭さ、ここが芸人の青さだと僕は思うんですね。
冷静にその状況を判断できるのであれば、お婆ちゃん何やっているんだ。ダメじゃないか。って済むはずなんですけど、
この時の芸人はそれを通り越して、ある種その悪を憎む自分に酔いしれているとも言えますね。
全ての悪を憎んでいるスーパーヒーローモードなんです。
だから冷静な正しい正義感と言われれば、それはちょっと疑問なわけなんですね。
しかも気づいていますか?40%は好奇心なんですよ。
だから必ずしも芸人は正しい行いをしているとは限らない。
それがこの後の行動に移ります。
じゃあ第三段落か。
第三段落はまだ場面が変わるシーンで、
ラショウモンの梯子からお婆ちゃんを見ていた芸人が、
ラショウモンの中に入ってお婆ちゃんとガチバトルを展開するというシーンですね。
また場面が動きます。
そこで第三段落の冒頭。
30:00
そこで芸人は両足に力を入れていきなり梯子の上へ飛び上がった。
そしてひじりづかの太刀に手をかけながら大股に老婆の前へ歩み寄った。
そのまま老婆をとっつかまえるわけですね。
老婆の腕をつかんで無理にそこへねじ倒した。
ちょうど鳥の足のような骨と皮ばかりの腕である。
何をしていた?
いえ、いわゆるとこれだぞよ。
芸人は老婆を突き放すといきなり太刀の鞘を払って、
白い鋼の色をその目の前へ突きつけた。
というわけでスーパーヒーローモードになってしまった芸人は、
この許すべからざる悪、老婆を何としてでもとっつかまえようとして、
その場で押し倒しねじ伏せた後、
刀を突きつけて、
お前何しとったんやと打ち取ったりという気持ちで成敗しようとしたんですね。
そうしたらまた心情の変化です。
芸人の気持ちはコロコロ変わります。
これを見ると芸人は初めて明白に、
この老婆の生死が全然自分の意思に支配されているということを意識した。
刀を突きつけてガリガリのおばあちゃんを倒したとき、
このおばあちゃんが生きるか死ぬかは全て自分の手にかかっている。
自分の意思に支配されているということを意識したんですね。
権力、力を持ったんです。
芸人はね、その小さな対人関係の中ですけど。
そうすると人はどうなるのか。
そしてこの意識は、今まで険しく燃えていた憎悪の心をいつの間にか覚ましてしまった。
後に残ったのは、ただある仕事をして、
それが円満に成就したときの安らかな得意と満足とがあるばかりである。
ここもですね、とても皮肉が効いているというかね、
僕はアイロニックやなあと思うんですけど、
正義に酔いしれている人が、自分の思う悪を倒したときに残っているものっていうのは、
自己満なんですよ。
円満に成就したときの安らかな得意と満足とがあるばかりである。
自分で決めた正義は、自分が決めた悪を滅びて、
そこに残ったものは自分への喜び、自分が気持ちいいという感情、それだけなんですね。
これってなんか深くない?
何が正しくて何が悪いのかって、
それってもう本当に往々にして、その当事者感でしか起こり得ないもので、
でも自分が振りかざした正義って、その正義を成就したときって、ただ満足があるだけなんです。
何か問題解決されてますか?
解決されてないんですよ。深くない?ここ。
でね、この下人の青さ、人間臭さ、
もっと言うと薄っぺらい正義感みたいなのが、この後のセリフにも隠れてるんですよ。
その突きつけた後、満足、自己満しちゃった芸人は老婆に対してこう言います。
33:06
俺はけび石の蝶の役人などではない。
今しがたこの門を通りかかった旅の者だ。
だからお前に名をかけてどうしようというようなことはない。
ただ今自分この門の上で何をしていたのだか、それを俺に話しさえすればいいのだ。
嘘ついてます。
わかりますか?
下人、嘘ついてます。下人は下人です。
これね、けび石の蝶の役人などではないって言ってますけど、これは当時の、今で言う警察官です。
だから俺は警察官じゃないよと。
今たまたまここを通りかかった旅の者だって言ってますね。
だからお前を捕まえたいとかじゃないよって言ってるわけですね。
嘘ついてます、下人。
お前は下人だぞ。
自分の身分を偽って、自分がここに来た目的も偽ってですね、
お前が何をしてたのか、老婆が何をしてたのかを知ろって言ってるわけですね。
もう本当に下人の薄っぺらい正義感がここで現れてますよね。
それを聞いた老婆は何を答えるかと言いますと、これが羅生門の名シーン。
この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、かつらにしようと思ったのじゃ。
かつらにしようと思ったんですね。
それを聞いた下人の気持ちまた変わります。
下人は老婆の答えが存外平凡なのに失望した。
そうして失望すると同時に、また前の像が冷ややかな無別と一緒に心の中へ入ってきた。
つまり下人はまずがっかりしたんですね。
わかりますよ、この心情。
自分の正義を振りかざして、もう悪の代表、悪の権下、老婆をねじ伏せてて、
お前は何をしてたんだって聞いたらですね、かつらを作ってました。
え、普通や。
こんな正義のヒーロー、俺が倒した正義の権下、お前がやってることは悪いことでないとダメだろう。
それじゃないと相場は合わないじゃないか。
っていう風に下人の中では勝手な拡大解釈が広がっていってるんですね。
だから、え、何それ。ただかつら作ってただけ?ということでがっかりして。
そしてがっかりすると同時に、また前の象が冷ややかな無別と一緒に心の中へ入ってきた。
だから、また前の象、これはつまり老婆許さねえぞっていう憎しむ気持ちがまたちょっと性格を変えて、色を変えてきてます。
冷ややかな無別、冷たくあざける、侮辱する、詐欺すむような気持ちですね。
一緒に心の中へ入ってきた。
だから、なんだこの老婆みたいな。
倒すまでも俺が刀突きつけるまでもザコキャラじゃねえかみたいな勝手な下人のエゴイズムがどんどん拡大していきます。
その様子が老婆にも伝わったのであろうということで、老婆がここからめちゃくちゃ長々と言い訳をするんですね。
36:08
すぐこれギュッてすると、またできれば、良ければ僕の朗読の方を聞いて欲しいんですけど。
ギュッてすると、ここで老婆が言いたいことは何かっていうと、
私がカツラを作ろうと思って抜いた死骸の女の髪の毛を抜いてたんですけど、この女も昔生きてた時に悪いことをしていたと。
だから、この悪いことをしていた女が死んだ後、髪の毛抜かれても仕方がないよ。
悪いことをした人には悪いことをされてもいいよっていう主張、これが一つ目。
もう一つが、私もカツラを作って売らなきゃ死んじゃう身ですよと。
だから死んでしまう、どうしようもない時にやってしまう悪いこと、仕方のない悪というのは許されるんですよという、この二つの論調で老婆は主張をしたんですね。
ここも考えてみると面白いです。
じゃあ皆さんどう思いますか?
悪いことをした人には悪いことをしていいですか?
死んでしまうほど仕方のない状態でする悪って許されるんですか?
これってもう哲学ですよね。
哲学なのかな?ちょっとわからない。説法かもしれないですけど。
答えってきっと分かれると思いますし、状況により環境によりシチュエーションにより変わってくるものかなと思うんですよね。
これをみんなで考える、これだけでも楽しい。
じゃあ老婆は悪いの?
じゃあ死んだ、今髪の毛抜かれてる女の死害は悪いの?
芸人は悪いの?
誰が悪いの?
何が悪いの?
これを考えるだけでも止まらないくらい楽しいですよね。
これが羅生門ですよ。
これが芥川龍之介。
ごめんなさい、話を本編に戻すんですけど。
それを聞いた芸人、その老婆の主張ね。
悪いことをした人に悪いことをしてもいい。
仕方がないときにやる悪いことは許されるんだ。
この主張を聞いた芸人はですね。
これを読みます。
芸人は太刀に鞘を納めて、その太刀の束を左の手で押さえながら、冷然としてこの話を聞いていた。
もちろん右の手では赤く頬に海を持った大きなニキビを気にしながら聞いていたのである。
みんな覚えてる?
みんな思い出して?
ここでですね、ニキビが出るわけなんですね。
一番最初に出てきたニキビっていうのは、
雨闇を待っててですね、雨に降り込められたときに、何もすることがなく呆然と触っていたときのニキビ。
ここで出てきたニキビっていうのはですね、老婆の話を聞いていたときのニキビなんですね。
この続きです。
しかしこれを聞いているうちに、芸人の心にはある勇気が生まれてきた。
それはさっき門の下でこの男には欠けていた勇気である。
そしてまたさっきこの門の上へ上がってこの老婆を捕らえたときの勇気とは、全然反対な方向に動こうとする勇気である。
39:06
芸人は飢え死にをするか盗人になるかに迷わなかったばかりではない。
その時のこの男の心持ちから言えば、飢え死になるということはほとんど考えることができないほど意識の外に追い出されていた。
また芸人の心情が変わっていくわけなんですね。
この門の下での勇気と、門の上での勇気といろんな説明があるんですけど、
要するに芸人は盗人になる勇気というのが確固たるものに変わったということですね。
それが実は門の下では嫌だな、悪いことしたくないなという勇気。
門に上がってからは悪い悪の言言、老婆を完全にねじ伏せた正義のヒーローとしての勇気。
だけど今はまた、今はどんな勇気かというと、悪いことをして生き延びよう、つまり盗人になってまででも生き延びてやろうという勇気がフツフツと湧いてきたんですね。
そして続きます。きっとそうか。
老婆の話が終わると、芸人はあざけるような声で念をした。
そして一歩前へ出ると、不意に右の手にニキビから離して、老婆の襟髪をつかみながら噛みつくようにこう言った。
では、俺がヒハギをしようと恨むまいな。俺もそうしなければ飢え死にをするからだな。
さっき呆然として考えていたときに触っていたニキビを右手から離して、老婆をつかんで、俺はお前を今からヒハギするぞと。
それは許されることだよなと念を押すわけなんですね。
この時にあざけるような声で念をしたと言っています。
これなんで芸人は老婆をあざけているかというと、完全なブーメランが起こっているわけですね。
老婆は悪いことをした人に悪いことをしてもいい。
仕方がなくする悪いことは許されるという言い訳主張を二つしていて、それがそっくりそのまま老婆に返ってくるわけですね。
芸人が悪いことをした老婆に対して悪いことをしてもいいだろう。
そして芸人は悪いことをしなければ死んでしまうんだから悪いことをしてもいいよなというブーメラン関係が起こるわけなんですね。
結局芸人は老婆のひものをすべて剥ぎ取って、そこに蹴倒して逃げていったわけです。
ここも最後の第四難楽です。
第四難楽というのは羅生門の中から芸人が逃げ出してしまうというシーンですね。
老婆を蹴倒して逃げ出すシーンなんですけど、読みます。
老婆はつぶやくようなうめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光を頼りにはしごの口まで這っていった。
そしてそこから短いしがらをしらがわを逆さまにして門の下を覗き込んだ。
42:01
外にはただ濃くとうとうたる夜があるばかりである。
そして最後。
芸人の行方は誰も知らない。
はい、という終わり方なんですね。
僕がちょっと二つ取り上げたいのがあって、まず一つ目が濃くとうとうたる夜があるばかりであるということですね。
この濃くとうとうというのは本当に真っ黒、暗闇、洞窟の中のような黒という表現なんですけども、
ここで真っ暗闇というものを彷彿させるような描写をするというのは、
そっくりそのまま登場人物の心情にも反映されていると思っていて、
ローバーは丸裸にされて、自分の着ているものを脱がされて蹴飛ばされて、
何もない状態になってしまったという絶望感が濃くとうとうたる夜という表現につながりますし、
芸人も真っ黒な気持ちになったわけです。
ダーク芸人ですよ。
悪いことして生き延びてやろう、盗人になってやろうという決心をした真っ黒な気持ちというのが、
ここでこの濃くとうとうたる夜というのに反映されているかなと思います。
そして一番最後、芸人の行方は誰も知らない。
一番最後のオチをぼやかすんですよね。
これは読者に想像を委ねるんですよ。
芸人の行方は誰も知らないよと。
ということはこの後芸人はどうなったのかというのは、あなたが自由に考えていると。
だから最後まで投げるんですよ。
特に第三弾の後半からですね。
悪って何なのかと。
老婆の言い訳というのがどっちにも断言できないものですよね。
誰が悪い、何が悪いという考え方。
深い問いをポンと投げて。
さらに芸人は取った判断というのは、老婆の主張そのままで悪いことをするための悪は許される。
仕方がないから仕方がない、悪は許されるという論調。
エゴイズムで思ってしてですね、逃げていった。
それってみんなどう思うというのをここで投げかけているんですよね。
芸人の行方は誰も知らない。
芸人はその後成功するんでしょうか失敗するんでしょうか。
それとも何か別の展開が起こるんでしょうか。
これもね最後ね、みんなで考えるととっても面白いわけですよ。
楽しい。
はい、というわけでですね、ちょっとものすごい速さで喋ってしまいましたので、
ちょっと聞きづらい、分かりづらい点ただあったかもしれませんが、
ヤマルなりのですね、現役高校国語の教師ヤマルによる
ガチラショーマン、ガチ考察、ガチ解説させていただきました。
本当はね、まだまだ取り上げたい描写はいっぱいあるんですよ。
サンチマンタリスムとかね、引っかかるキーワードがあったりとか、
45:02
いっぱいあるんですけども、ちょっとね、全部はやれなかった。
全部は説明しきれなかったんですけど、
でも僕が一番言いたかったことを紹介したかったところっていうのは、
主人公芸人の心情がとっても細かく大きく何度も揺れ動く、
移り変わっていくっていうところに、
人間臭さとか人間の本質みたいなところを学ぶ機会があると思いますし、
あとはそれを描写する表現力の巧みさっていうのが、
テキストで文章だけでそれを想像させる、深く考えさせる、
心を打たせるっていうこの魅力をですね、僕は伝えられてとっても満足しました。
もし反響がありましたらですね、ヤーマルブックの朗読、
そしてヤーマルのガチ解説、ガチ考察、またやってみたいと思います。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
ヤーマルでした。
46:00

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