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第32回、高校国語について話すラジオの時間となりました。
この番組では、高校の高校科教員であるなんばが、
普段の授業の話や、研究の話などをして、
高校科の先生のみならず、いろんな先生に、
授業や教育について教えてもらうではないですね、
考えてもらうことを目的としたラジオです。
みなさんこんにちは、パーソナリティを進めます、なんばむっとです。
よろしくお願いします。
前回は31回で、
物資領収について少しお話をしたかなと思います。
今回32回では、みんな大好き羅生門について話していきたいと思います。
大好きかどうかはちょっと置いておいて、
どんな風な授業とか、
どんなことを教材として捉えるかということを
話していきたいと思います。
よく羅生門だとね、
高等学校の入門期の小説教材として
一致しているかなと思います。
国語総語の時には、
一番最初の小説教材として、
教科書にも再録画されていたかなと思います。
背景としては、
場面の設定が、
最初に説明的に書かれていたりしますので、
小説の読み方、
場面設定や情景を
しっかり読み込んでから、
教材のストーリーに入っていくというところの
指導がしやすいというのが、
教材として捉えられていたところかなと思います。
そこから、
いろんなところで実践が
蓄積されている、
定番教材になっているわけなんですけれども、
多くは、
今は多分違うかもしれませんが、
中学生だった頃なので、
8年前くらいの時は、
芸人の行方を考えてみようとか、
そんなような授業をしてしまったなと思うんですけど、
そういうような感じでやっているところも
多いのではないかなと思います。
僕も去年に、
高校1年生をもって、
羅生門でその後の創作を
実際にやらせてみたんですけど、
芸人の行方は誰も知らない後ですね。
ただそれも、普通に読解をして
創作をするというような実践ではなくて、
生徒から問いを最初に、
所得の関数で問いを集め、
それを学年生と分、
教員で16個くらいに問いを分類して、
ちょっと整えて、
学校司書さんにレファレンスサービスをお願いするという。
レファレンスサービスで
必要な書籍とかを準備していただく間に、
こちらの方でも授業をしていくような感じでした。
流れとしては、
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一番最初に羅生門の所得をした後に、
その後の創作をしてみる。
それでイメージを持ってもらった後に、
ずっと大きいA3のメモ用紙みたいなものを
生徒に渡していって、
それはノート代わりではないんですけど、
ノートのように生徒に扱ってもらっていまして、
それには最後に創作をするから、
自分が必要だと思う知識だったり、
情報だったり考えたことを
とにかくとにかく蓄積していって、
というのでずっと授業をやっていったような感じです。
課目担当者間でも
創作のところで思考判断表現とかを読み取って、
低校さんのところでは羅生門を出さない
という風に行わせてもらって、
だから読解指導のところも
最低限情景の設定だったりとか、
芸人の心情描写の推移を見るだとか
というところは必ず抑えてください。
それ以外は自由にやってください。
というので他の先生とも関係なく
やっていきました。
僕のところは、
情景設定とかをよく
いつの話?季節は?
って聞いて、
みんな読み取れるんじゃないの?っていう
思いもあって、
最初にAさんの紙に
場面を区切って
よくある絵を描いてください。
っていう風に指導しました。
絵を描いて、その羅生門の最初の情景を絵に
描いてもらったんですけど、その後には
本文のどこの根拠から引っ張ったか
全部何ページの何行目みたいので
根拠を書き記してください。
たくさん根拠が挙げられたってことは
文章を幅広く読めてるってことだよね。
その後に
せっかく自由な読解ができましたので
次の場面では
下人の表情の移り変わりを
絵で記してみましょう。
その根拠となる部分と
なんでそういう表情になったかっていう考えを書いてください。
表情を考えさせて
より解像度を上げて
イメージを持ってもらったり
あと下人と老婆の問答のところで
下人はうまく
納得はしなかったわけなんだけれども
どういう風な語りをしたら老婆は
最後日上げをされなかったのだろうか
実際に語りを演じてもらう
自分で創作して演じてもらう
あとは最後に
最後の開口とかの話をしながら
最後は創作に持っていくっていうので
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最初の小説教材なので
その世界観をしっかりイメージしてもらう
登場人物の下人というか
今回の中心である下人を
リアルに考えてもらうために表情を確認して
創作は物語るという行為なので
老婆の物語ったことが
相手を納得させなかったということは
どんな物語がいいのかという風に
語りについて考えてもらいながら
最後の創作に移っていきました
読解が終わった後には
順番が前後しちゃったクラスもあるんですけど
古典の比較よくある
羅城門のやつだとか
比較をしながら
参考の書籍とかを付箋も貼って
やってくれたんですけど
生徒たちはそれでいろいろ見ながら
やっていました
僕も
例えば羅城門の55の
ちょっと名前忘れちゃったんですけど
書籍が出ていたかと思うんです
実際に教員だった方がまとめられた書籍が
そのところでもいろんな疑問が
記されていたかと思うんですが
やっぱりレファレンスサービスで
紹介していただいた書籍を
生徒たちが自分で見て
そうなんだっていう風に
気づいて学びを得ていくっていうのが
すごい良かったんですね
その中でも僕は面白いなという風に
思ったこともいくつか挙げていきたいなと思います
例えば剣を
腰に携えて
ひじいずかの太刀を携えていくんですけど
平安時代の時代
創作なのでどこまで
あれかってのは分からないんですけど
腰に直接刺していたっていうわけではなくて
腰にひもみたいなもので
鞘とかを腰から振り下げていたっていうような
感じらしいんですね
物によってはもしかしたら違うかもしれないんですが
って考えると
腰にぶらぶらする刀を携えながら
下人は音を立てずに
梯子を上がっていくみたいな
そんな描写を見た時に生徒が
下人ってすごくね?みたいな
そういう話をしていて
そうすると運動ができそうな下人像が
伺えるかもしれないし
逆にそれが音が鳴らないくらい
静かに山下のように上がっていった
みたいなところも
リアルに見えてくるのかなっていうのが
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結構面白かったことです
あとはたくさんあるんですけど
俺は蛇医師の長の役人などではない
っていう風に言っていて
単純に蛇医師っていうものが
当時の警察みたいな役割をしていたから
そうなのかなって思っている節もあったんですけど
どうやらそれだけではなさそうだな
っていうのも出てきました
当時人間の死体を平安時代
どのように処理していたか
貴族は火葬が一般的で
中には土葬もあったと
そんなような感じなんですけれども
庶民は風葬、遺体を放置するっていうのが
基本だったみたいです
放浄機とかも道にいろいろ死骸があって
っていう描写があったかと思うんですが
やっぱり遺体放置
あとは使用人とか下人あたりは
病気になると主人から路上に捨て去られてしまう
出されてしまう
そうした病人が雨風とか
というものを避けるために
門とかに集まっていたみたいなんです
その死はやっぱり穢れだったわけなので
遺棄された死体の処理は
掃除とかを担うのは
厳しそうな管轄だったみたいなんですね
ということを考えると
俺は厳しそうな役人ではないっていう風に
あそこで言ったのは
もちろん警察みたいな役人もあるけど
俺は掃除をしに来たやつではないんだよって
門の上で死体がたくさんいて
っていうところにも合致をして
そういうような意味合いが実はあるんじゃないか
っていうのが生徒たちの中から上がって
なんかすげえな小説って
みたいな話をしていたのが印象的でした
あとはですね
たくさんあるんですけど
色とかもね
紺色とかは下級の人が着る洋服の色だとか
日和田色っていうのは
代表的な色だったよとか
だと老婆っていう風に出てくるんですけど
年齢とかはどれくらいなのかって
見てみると
2つくらいに分けられるそうで
1個は今と変わらず60歳くらいから
当時そこまで生きていない人もいたと思うんですが
あとはだいたい40歳くらいから
老人という風に
やっぱり扱われていたみたいです
だから老婆っていうものも
年齢がどれくらいなのかわからないですけど
僕たちが想像するような老婆じゃなくて
もう少し若い中年女性くらいのイメージかもしれないな
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っていうのがありました
ただおば捨てとかっていう文化もあって
それとはどうなんだとか
っていうのも実は聞いてみたんですけど
やっぱり基本的には
古代の律令制では
父母に対する不幸っていうものは
思い詰みで天罰の抜けがある
っていうことが考えられていて
基本的には老人養護っていうものが
ベースだったみたいです
ただそういう風に養うことが
現実として難しい場合には
捨て去られたりとか
やっぱり否定的な扱われ方をしていた
老婆に対するイメージとかも
変わったなっていう風に思います
よく包条記と一緒に
羅正門を読んで読んで
イメージさせるようなものもあるんですけど
単純にあれとかもイメージするためだけに読む
もちろん大事だし必要だと思うんですが
それだけだともったいないなって思いました
なんでそう思ったかっていうと
一番最初の学習活動で
一番最初の場面を絵に描く時に
死体とかを描いている生徒がいたんですよ
それはなんでなのって話をしたら
包条記で読んだ世界観が
ここにも繋がっているのかなと思って
という趣旨の発言をしていて
そういう風な表現する場面があると
今まで読んだ文章の中身とかも
生きるんだなあっていうことを
すごく感じたわけです
そんなような自分の実践に
引きつけてなんですけど
今回この羅正門
自分がさっきやった概要のところなんですけど
一番大切にしていたのは
こちら側が教えるではなくて
学習の中で生徒たちが
教えたいことを気づくような
学習展開をすごく気を付けて
考えていました
レファレンスサービスの中でも
こっちが説明したいなとか
羅正門55の疑問だったっけ
書籍の中でも扱われているなっていうのも
たくさんあったんですけど
そうすると最後創作の時に出てこないかなとか
生徒たちにとって十理解されるわけではなく
もしかしたら二とか三かもしれない
でも気づきが五だったら
その五の気づきが大切かなって思ったりだとか
これからたくさんのことを学んでいく学習者にとって
気づくことを大切にしてほしい
そんなような学習をやってきました
やっぱり僕も
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僕の固定的な見方で
導入期とか入門教材は
こちらが丁寧に教えなきゃいけないみたいなところで
考えていたんですけど
そういうような授業展開とかもできると
面白いんじゃないかなと
今回レファレンスをやって
すごく学校司書さんが意欲的にやってくれたっていうのも
背景にはあるんですけど
そういう専門家の人の力を借りながら
ひわだ色とかをデザインできるとすごくいいんだなと思いました
例えばね
ひわだ色のさっきちょっとチラッと終わっちゃったんですけど
ひわだ色とかも
基本はほぼ下使いによるもので
節によってよく使われるようになった
中年以降の人が着る色として
ひわだ色はあったよとか
それをこちら側が教えるのではなくて
生徒たちが読んで気づくっていうことは
今後も忘れられなかったりとか
それを見ることによって
こちらが意識しなくても
登場するアイテムとかに意識が向くようになって
すごくいいかなと思います
生徒の中にやっぱりひじいずかのたちっていうところに
意識を向けている生徒もいました
今回は創作をやったんですけれども
例えば僕が羅生門で創作をする価値っていうのは
やはり語りっていうものを
意識的に考えることになるかなっていうのが
すごく羅生門でその後を創作する価値だと思ってます
下人の行方は誰も知らないっていう風に
語りが下人の行方を
分からないっていう風に表現した
その後にじゃあ誰の語りをするのとかっていう風に
自分はどっからの視点で語ろうかっていうのを
考えるきっかけにもなると思います
あえて同じ下人をその後も追っていくような
創作もあったんですけど
すごく視点を変えるのは
やっぱり往々にして
いいねいいねって思うんですけど
同じ視点から語った中でもすごくいいなって思ったのは
下人の行方は誰も知らない
ただそこには一人の盗人がいたとか
ある男がいたっていう風に
その認証を変えるというか
っていうのはすごく面白いなって
語る立場はあまり変えないけれども
下人というものはいないんだよっていう意味では
すごく今までの
相交からの開口とかのものも踏まえながら
創作してる例だなって思って
面白いなと思って
そういうようなものが
クラスの中で出てくると
生徒が読み合うとかっていうのもすごく面白いし
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どっちがいいとかどっちが悪いとかじゃなくて
いいねいいねっていうことを言いながらね
生徒たちがクラスの中で関係性を作っていく
そんなような実践だったかなと思います
ということで長々喋ってしまって
教材価値とかっていうよりも
以前やった実践のところから
羅生門こんな風にやってみたら面白かったですよ
みたいなことが趣旨になってしまいましたが
皆さんはどんな感じで考えるのでしょうか
ということで長くなってしまいましたが
うまな皆様いつもありがとうございます
レファレンスの実際の資料とかも
興味ある方は言っていただけましたら
共有したいと思いますのでぜひお声掛けください
それではありがとうございました