手間暇をかける建築の概念
どうも、宿木建築設計者の吉田よしはるです。
大阪を中心に、つながりが濃くなる場所づくりをコンセプトに、建築設計をしたり、
学生とのまちづくり集団、ひろまちの代表として活動しています。
どうぞよろしくお願いします。
今日は建築のお話で、不便な建築みたいな、不完全な建築みたいなお話をしたいなというふうに思っています。
すごい抽象的な表現なんですけど、ちょっと格好つけた感じかもしれないんですけどね。
これ、前からちょっと不便な建築ってずっと言っていて、
結局、なんでもかんでも至れるつくせりだと、特に設備とかね、バリアフリーもそうかもしれないんですけど、
なんでもかんでもハードに頼って便利にしすぎちゃうと、人生の豊かさみたいなものが減っていくんじゃないかなっていうところなんですよね。
例えば一人ですること、例えばトイレだったら、大体の人一人ですよね。
小さいお子さんとかを除いたら、4を足すっていうのは一人でやるので、そういったところは便利な方が何らいろんなくいいと思うんですけどね。
ただ、二人以上でみんなで過ごす時っていうのは、なんでもかんでも便利になっちゃうと、
人と話すことがなくなっちゃうというか、必要性がなくなってくるんじゃないかなと思うんですよね。
そういったものを、なんでもかんでもカバーし続けてしまうと、人と過ごす必要性とか、会話することがなくなってしまったりとか、寂しくなるんじゃないかなと思うんですね。
だからちょっとぐらい不便な方が、不完全な方が、結局は人の生活、これはもう住宅だけじゃなくてね。
特に施設とかは思ったりするんですけど、その方がより人と人の協力というか、その人の必要性みたいなもの。
だからそこで過ごすのに建築が全部してあげるんじゃなくて、ある人たちがいないと成立しないみたいなね。
そんなものがあったら、もっといいんじゃないかなと思うんですよね。
ずっと言ってる中で、不便な建築ってあんま受け入れられないんじゃないかなと思うんですよね。
聞いた感じでは、不便って不便じゃないですか。ネガティブな言葉なんで。
そのまま受け取ると、そんな建築わざわざ欲しくないよって思うと思うんですよね。
でね、ちょっとふと今日喋ったのは、このワードが出てきたのは、不便じゃなくて手間暇をかけるっていうことなんだろうなと思うんですよね。
人生とか、その行為。例えばキッチンだったら料理するし、ダイニングだったらみんなでご飯を食べるし。
外でもそうですよね。施設でも、公共の場所でも。
それぞれの行為そのもの自体に手間暇をかける必要がある。手間暇がかけれるかなっていうような場所ができれば、
もっと関係性は深くなるし、それは人だけじゃなくて自然とかね、周りの環境とか。
そういう風になっていくんじゃないかなと。
すごい漠然となんですけどね。例えがなかなか出てこないんですけど。
そんなことをちょっとふと思って。これがちょっと不便なとかね、不完全な建築みたいな。
人との関係性の重要性
そんなことよりも手間暇のかかる建築みたいな。そんな表現したいなと思ったりしてます。
これあくまでも設計するときに手間暇をかけて設計するっていうわけじゃなくて。
問題はそのできた建物に皆さんが住むとか使うとか利用するとかっていう時に、
その人たちが手間暇をかけてそこの目的のことを行為をしてもらうということなんですけどね。
だからそういった意味では設計って結構緻密にやっていかないと。
ある種不便な建築の方が楽だったかもしれないですけどね。
なんか機能をなくしてしまえば不便になって、
それがその場にいる人が保管し合わなければならないみたいな関係性になればいいんですけども。
手間暇になってくると単に機能を便利さを取るだけじゃちょっと話はそんな単純なもんじゃないと思うんで。
思いついて今ちょっと発言してるので、
本当に具体的にどういったものになるのか、
それはちょっと今から設計しながら答えを探してみたいなというふうに思ったりしてます。
すいません今日は漠然とした話でこんなことを最近考えています。
というようなお話でした。
今回も最後まで聞いてくださりありがとうございました。
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ではまた次回もよろしくお願いします。