広島市在住のシャオヘイが、飲食店と顧客の間にある様々な課題や問題に対する僕の考えや、特定の料理についてお話します。
その他には個人的な体験や経験なども。
ぜチャンネル登録をお願いします!
番組の魅力・推薦
このポッドキャストは未認証のため、最新エピソードのみ表示されます。
快食ボイス855・汁なし担々麺の「重たさ」の正体は、落花生ではないかという仮説
お盆に重たい話をしても仕方がない お盆や正月は、文章にしろ音声にしろ読んでもらえないし聞いてもらえない。 これは僕の話がつまらないからではなく、一般的な現象である、ということにしておきたい。 みんな忙しいのだ。 小難しい話に付き合っている余裕などない。 というわけで今日は軽い話をしてみたい。 ずっと引っかかっているのに、いまだに答えの出ていない話だ。 --- 新しい料理は、構造的な課題を抱えている 混ぜ麺や汁なし担々麺の構造的な問題については、これまで何度も書いてきた。 歴史の長い料理は、途方もない試行錯誤によって課題が修正されてきている。 うどんやそばの完成度の高さは、その積み重ねの結果だ。 逆に言えば、まだ何百年も紡いでいない料理は、時間によるスクリーニングを受けていない。 粗が残っているのは当たり前なのだ。 僕が長く分からずにいるのが、汁なし担々麺における芝麻醤(チーマージャン)問題だ。 --- 元祖は、芝麻醤を使っていない 広島の汁なし担々麺は、舟入の「きさく」から始まった。 2003年から汁なし担々麺専門店になった。 その「きさく」は芝麻醤を使っていない。 芝麻醤というのは要するに練りごまのような調味料で、四川の古いスタイルに則れば使わない。 「きさく」はそこを踏襲したわけだ。 だがその後に続いた店、たとえば「くにまつ」などは芝麻醤を使っている。 使う店が多いのは、味が分厚くなるからだろう。 混ぜ麺というのは、スープという逃げ場のない料理だ。 タレと麺だけで満足させなければならないから、濃い味で食わせることになる。 ところがシャバッとしたソリッドな味付けでは、その濃さがボディにならない。 しょっぱいだけの一杯になってしまう。 そこを埋める道具として、油脂とタンパク質を同時に持ち込める芝麻醤は非常に有効なのである。 --- 陳建民が足したもの そもそも日本に担々麺を伝えた陳建民の汁あり担々麺にも、芝麻醤は使われている。 というより、汁ありという形式そのものが、日本人向けの翻訳として生まれたものだ。 赤坂の四川飯店では、元の汁なし担々麺も提供されている。 そしてこの店の芝麻醤は、胡麻を炒るところから自家製している。 炒って、挽いて、温めた油を数回に分けて注ぎながら練り合わせていく。 つまり芝麻醤そのものは、担々麺にとって異物でも何でもない。 それなのに僕は、広島で芝麻醤入りの一杯を食べると、しばしば重い、しつこい、くどいと感じる。 この感覚はなぜなのか、何が問題なのか、今日この話をした時点でもまだ分かっていない。 --- 仮説は、落花生である 調べていて一番あり得ると思ったのが、市販の芝麻醤にはピーナッツを加えた製品がある、という事実だ。 ペースト状のピーナッツ、ぶっちゃけピーナッツバターである。 僕はピーナッツバターが苦手だ。 ピーナッツそのものは好きで、素煎りしたものは美味しいと思う。 千葉のものは品種も豊富で楽しい。 ただ、たくさんは食べない。 油脂が多く、油の質が重たいと感じる。 アレルギーではない。 あくまで感覚の問題だ。 その重さを持つものが芝麻醤に混ざっているとしたら、重いと感じるのは当然ではないか。 --- 反証になりそうな二つの経験 なお、しゃぶしゃぶ専門店の胡麻ダレを重いと感じたことはない。 あれは店の味の決め手になる位置にあるが、しつこくて嫌だと思ったことはなく、むしろ上手に胡麻を使っているなと感心する。 胡麻ダレに対して、僕はネガティブな感情を持たないらしい。 以前イマナマ!でも紹介した横川の「春蕾」。 ここの担々麺は汁ありも汁なしも食べたが、重いと感じなかった。 そして「春蕾」は中国産の芝麻醤ではなく、かどやの練りごまを使っていると聞いている。 ピーナッツペーストが入る余地はない。 この二つが、案外決め手なのではないかという気がしている。 --- 確かめようのない仮説 もちろん他の要因も考えられる。 ひとつは乳化の状態だ。 芝麻醤がタレの中できちんと乳化しているのか、それとも分離して油が浮いているのか。 同じ材料でも、口の中に入ってくる順番が変われば重さの感じ方は変わる。 もうひとつは鮮度と酸化。 油の多い調味料だから、開けてから時間の経ったものは、それ自体が重さとして出てくる可能性が十分ある。 ただ、料理として必要のない重さ、すっきりしない後味の正体としては、僕はやはり落花生の混入を疑っている。 問題は、確かめる手段がないことだ。 アレルギーがあるわけでもないのに「お宅の芝麻醤、ピーナッツ入ってますか」とは、なかなか聞けない。 自家製している店で食べ比べたいとも思うが、広島でそれが確実に行われている店をどう探すのかという話になる。 というわけで、この仮説が明らかになる日が来るのかどうかは分からない。 ふわっとした話だが、お盆なので軽くても許してほしい。 ピーナッツバターのように重くなかったのであれば幸いだ。 --- stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。 https://stand.fm/channels/664b04d7316143a77174b611
快食ボイス853・神様には興味ないが、神社には興味がある
神様は、物語である 僕は時々、神社やそこに祀られている神様の話をする。 ただし、パワースポットやスピリチュアルの類にはまったく興味がない。 気を悪くされたら申し訳ないのだけれど、神様というのは物語だと思っているからだ。 ギリシャ神話も北欧神話も、世界中に神々の話がある。 物語を共有することで共同体を作るというのは、ホモ・サピエンスの特性だろう。 日本で起きたことも、それと同じだと思う。 では、なぜ神社には興味があるのか。 そこには土地の歴史や風俗、そこに住んでいた人々の生活が、最も色濃く残されているのではないかと考えているからだ。 --- 歴史書は、勝った側が書く 『古事記』『日本書紀』——記紀は、大和が日本を統一していく過程で書かれた、勝ち組の歴史である。 歴史書とはそういうものだ。 カエサルの『ガリア戦記』は紀元前の書物だが、自分の戦いを実にポジティブに書いている。 あれは歴史書として書かれたのではなく、ローマ市民に読ませて支持を得るために書かれたのだから当然だ。 鎌倉幕府の『吾妻鏡』もそうだ。 源頼朝が開いた幕府を北条氏が簒奪した、などと書くわけがない。 北条の歴史書なのだから。 記紀が大和に甘いという指摘もあるが、それは当然と僕は思っている。 --- 東国三社という引っかかり その記紀の中でよく知られているのが、出雲の国譲りだ。 大国主命が自らの国を譲る。 この話で前から気になっていたのが、東国三社の神々である。 茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、千葉県香取市の香取神宮、茨城県神栖市の息栖神社。 この三社を東国三社という。 格式が非常に高い。 平安時代の『延喜式』神名帳で「神宮」と記されているのは、伊勢・鹿島・香取の三社だけなのだ。 鹿島の武甕槌神と香取の経津主神が出雲に派遣され、息栖の天鳥船神がその乗り物として道案内をしたとされる。 だが、なぜ出雲の国を大和に譲らせる場面で、茨城や千葉の神が出張ってくるのか。 二年ほど前に実際に行ってみたのだが、由来の説明も伊勢や出雲ほど整っておらず、これが神宮なのか、という感触だけが残った。 --- 途中で止まった本 そんな時に、東北大学名誉教授の田中英道さんが「古代の東国には大和とは別に日高見国があった」と主張していると知った。 なんだそりゃと思って本を買った。 『日本創世史』(ダイレクト出版、2025年3月)である。 最初は面白かった。 人類が東へ進み続けたのは太陽を目指したからだ、という。 アフリカに生まれ、中東を経てユーラシアをひたすら東へ。 その果てが日本である、と。 いやその先、ベーリング海峡を越えてアメリカ大陸まで渡っているだろう、とは思った。 ただ太陽をネガティブに祀る文明というのはまずないから、なるほどとも思った。 だが途中から、どうもわからなくなる。 古代の日本にユダヤ人が渡来したという説が出てくる。 空海が聖徳太子を尊敬したという話も出てくる。 親鸞についてはよく知られているが、顕教を土台にその先へ進んだ密教を学んで帰ってきた空海はどうだろうか。 何より、根拠が書かれていない。 ご本人も美術史が専門で、自分の目で見て感じたことを書いているのだという。 それだと空想の物語を聞いている気分になる。 300ページ以上あるうち、100ページほどで手が止まった。 AIに聞いてみたら、学界からはあまり相手にされていない内容らしい、という答えが返ってきた。 --- 負けた側の歴史 神社には、負けた人たちの歴史がある。 諏訪大社の御柱祭で山から大木を落とすあれなど、縄文の文化が最後まで残ったものだろう。 大和に吸収される前、そこにどんな人が住み、どんな文明としきたりを持っていたのか。 僕はそこに興味がある。 征夷大将軍の「夷」は、東夷の夷だ。 東に住む蛮族を征服するための将軍、というのが本来の意味である。 最初にこの職に就いたのは大伴弟麻呂で、有名な坂上田村麻呂はその次にあたる。 つまり東日本は、長く大和の外にあった。 だから古代史にもほとんど出てこない。 支配下に入っていないのだから、当然といえば当然だ。 その中で鹿島・香取のあたりだけが、早くから大和と何らかの関わりを持ち、うまくやろうとしていたように見える。 そこを足がかりに、大和は東へ広がっていったのだろう。 東国三社は、その結び目にあったのではないか。 日高見国の話は、僕にはやはり違うように思える。 全部読んでいないので申し訳ないのだが。 ただ東国三社が何だったのかは、別の本を取り寄せたので、そちらで勉強してみようと思っている。 --- stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。 https://stand.fm/channels/664b04d7316143a77174b611
快食ボイス852・ドライブという趣味は、どこへ行ったのか
3位から8位へ 飲食店のレビューを読んでいたら「ドライブがてら寄ってみた」という一文があった。ドライブという趣味は、まだ生きているのか。気になって調べてみた。 日本生産性本部のレジャー白書によれば、2016年のドライブは参加人口3,880万人で3位。国内観光旅行、外食に次ぐ位置にいた。ところが2025年は8位まで落ちている。参加人口も2023年時点で3,180万人まで減った。 順位だけを取り出すと少し大げさかもしれない。余暇全体が細っている中での順位変動ではある。それでも参加人口が7年で700万人減ったのは、実数としての事実だ。 僕が子どもの頃は、車を持っていない家もまだあった。車で移動すること自体が特別で、それだけで楽しかった。人間は、好きなときに好きなように動けることを本能的に喜ぶ生き物だと思う。それができないと、動物として衰えていく感覚がある。旅行が嫌いだという人にあまり会わないのも、同じ理屈だろう。 出かけることが嫌われたわけではない。車が特別な乗り物という地位から下がっただけではないか。 --- 移動が手段になった 若い人が車に乗らないのは、必要がないからだ。必要なら乗る。都市圏に住んでいれば、車両代も維持費も駐車場代も税金もかかって、割に合わない。同じ金額を移動費に回した方がいいし、カーシェアもレンタカーもある。 運転手は、運転以外のことができない。何人かで出かけるなら電車の方がお喋りできて楽しいし、気を遣わなくて済む。移動は、目的地に着くための手段になった。 --- ドライブインを、道の駅が食べた 僕が子どもの頃は山陽自動車道がなかった。中国自動車道はあったから、山陽側は下道を走る。だから沿道にドライブインがたくさんあった。広い駐車場、食事、トイレ。この3つがセットになった店だ。 名前を残す店は今もある。庄原の「ドライブインミッキー」、呉市安浦の「ドライブイン灘」、東広島市安芸津の「ドライブイン黒浜」。名がつかなくても、大竹の「みずなか」、廿日市の「丸忠」あたりも成り立ちが同じだ。丸忠は10年ほど前まで24時間営業で、真夜中でもうどんが食べられた。 そこへ道の駅が増えていった。ドライブインは完全な民業で、道の駅は市町村などが整備し、国が登録する。民業圧迫の構図ではある。 昔は確か30kmだか40kmに一つという基準があった。現在は「道の駅相互の機能分担の観点から適切な位置にあること」という定性的な条件に変更されている。その他、駐車場20台以上、便器10器以上、24時間無料、ベビーコーナーなどの要件がある。廿日市市大野のADOA大野は「まちの駅」を名乗っているのは、道の駅として条件を満たしていないからだ。 もっとも、駐車場とトイレと食べものを24時間そろえた施設なら、この30年で全国に5万軒以上できている。コンビニだ。ドライブインを削ったのは道の駅だけではない。 --- 今度は高速道路が食べる 30年前、山陰へ行く時は、三次から赤名峠を越えて国道54号を走った。だから沿道に店があった。三次市布野の「くれ竹」は今も頑張っているが、ドライブイン赤名54は2011年に店を閉じた。 そこへ2015年、尾道松江線が全通する。大半の区間が無料で、サービスエリアやパーキングエリアも付いてくる。下道を走らないのだから、沿線の道の駅にも寄らない。ドライブインを食べた道の駅が、今度は食べられる側に回っている。 --- 自動運転が来たら 車が自動で走るようになれば、道の駅は「わざわざ寄るように設定しておく」場所になるだろう。車内ではゲームをしたり、映画を観たりできる。トイレに行きたくなったら車に頼み、車が勝手にどこかへ寄る。 それが日本で走るのを、僕は生きているうちに見られるのだろうか。外国ではもう動いている。ただ日本には、相当な技術がないと走れない道が多い。土地が広くないぶん道幅も狭く、そのぶん制御はタイトになる。制限は多いだろうと思う。 僕自身、運転は嫌いではないが好きでもない。長く走れば疲れるし、高速は速度が出る分だけ精神的な負担が大きい。ドライブそのものが楽しくて仕方ないという感覚は、子どもの頃の記憶の中にしかない。誰かが運転してくれたらいいし、自動で動いてくれればもっといい。現在でも車の中ではポッドキャストばかり聴いている。 渋滞する国道2号をだらだら走り、腹が減ったからドライブインに寄る。あののんびりした時間を懐かしがりながら、僕も現代の感覚にすっかり侵されているようだ。 --- stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。 https://stand.fm/channels/664b04d7316143a77174b611
快食ボイス851・日本料理店で羊の生姜焼き、と言われたら
カレーといえばビーフなのか? よくあるインネパ系のインド料理店に入った 聞き耳を立てていたわけではないのだが、近くの席で若い男性2人が「カレーといえばビーフだろう」と言いながらビーフカレーを注文していた。 口には出さなかったが、いろいろと言いたくなった。 確かに日本人には「カレーといえば牛」という感覚が埋め込まれている。 特に西日本は強い。 家庭のカレーに使う肉を調べた調査でも、東日本は豚が圧倒的で、西日本は牛が多数派になる。 三重と滋賀のあたりが境目だという話もある。 ではなぜそうなったのか。 そして、その感覚をインド料理店に持ち込むと何が起きるのか。 --- カレーはイギリス経由で入ってきた まず、「カレー」という言葉自体がインドの言葉ではない。 南インドのタミル語の「カリ」が語源とされるが、多様なスパイス料理をひとまとめに「カレー」と呼ぶ発想は、イギリスが持ち込んだ包括的な、つまり植民地支配的な分類だ。 インドの人たちは、素材に合わせてスパイスをその都度調合する。 僕も現地の家庭に入り込んで一緒に料理を作ったが、まったくそのとおりだった。 ただ、これは相当に難しい技術でもある。 スパイスを6種類も8種類も渡されて「これでカレーを作ってください」と言われても、どれをどれだけ入れればいいのか見当がつかないだろう。 イギリス人も同じだった。だから彼らは、あらかじめ調合済みの「カレー粉」を生み出した。 インドには存在しないものだ。 そのカレー粉を、本国のシチューに入れた。 これが日本のカレーライスの原型になる。ルー(roux)はフランス語で、小麦粉を油脂で炒めたもののこと。 とろみはここから来ている。 そして庶民に牛のシチューは手が届かない。 海軍や上流階級が食べていたのが、ビーフシチューにカレー粉を入れたものだった。 ちょうど明治維新の頃、日本は産業革命を最初に起こしたイギリスから多くを学ぶ。 カレーもその流れに乗って入ってくる。 当時の軍隊には最も優秀な人材が集まり、予算も潤沢だった。 今とはまるで違う。 日本人の「カレーといえばビーフ」は、この経路の産物だ。 --- インドに牛肉のカレーはほぼない 一方、インドで最も多いのはヒンドゥー教徒で、牛は神に等しい存在だ。 当然、食べない。 メニューに「ビーフ」と書いてあっても、実態は水牛であることがほとんどだ。 もちろんゼロではない。あれだけ大きな国だから、イスラム教徒もキリスト教徒もいる。 ケララ州のように、ビーフカレーが土地の料理として根づいている地域もある。 ただ、僕がケララ州を旅した時に目にすることはなく、全体の中では例外的な位置にとどまる。 そして日本のインド料理店の多くはネパール人が営んでいるが、ネパールでは牛は2015年憲法で国獣とされ、屠殺は刑罰の対象だ。 ついでに言っておくと、イスラム教徒は牛肉を食べる。 避けるのは豚のほうだ。禁忌の中身は宗教ごとにまったく違う。 もっとも、豚を口にするイスラム教徒もいれば、牛を食べるヒンドゥー教徒の地域もあって、細かく言い出すときりがない。 ここでは単純化して話している。 --- 羊の生姜焼きを、うまく作れるか どのくらい外れた話なのか。 海外の日本料理店で、豚の生姜焼きの代わりに「羊の生姜焼き」が出てきたらどう思うだろう。 生姜焼きは豚だから生姜焼きとして成立する。 ヤギでも牛でも、それは別のものだ。 牛丼をマトンで作られても困る。 そもそも味付けが合わないはずだ。 しかも問題は、作る側にもある。豚の生姜焼きをうまく作れる人でも、羊の生姜焼きの正解はわからない。 本国にない料理なので「本当にこれでいいのか」と思いながら作ることになる。 インド料理店のビーフカレーが正にそれだ。 作っている本人も食べたことがない。 ヒンドゥー教徒なら味見すらできない。 牛が好きだから頼む、それはいい。 メニューにあるのだから。 ただ、それを食べておいしい・おいしくないを論じるのは、海外で羊の生姜焼きを食べて日本料理を評するのと同じくらい奇妙なことなのだ。 --- 迷ったらチキンでいい タイやスリランカのような仏教国は比較的自由で、スリランカのポークカレーはうまい。 だがインドやイスラム圏では、宗教の価値観を織り込まないと話がおかしくなる。 そして一番無難なのは鶏だ。 鶏肉を食べない文化を、僕は思いつかない。 イスラムでもハラルであれば食べられる。 チキンカレーが世界中どこにでもあるのは、どこにも禁忌がないからだろう。 同じ理屈で、親子丼は海外でもわりと成立する。鶏と卵で組み立てられているからだ。 宗教が絡んで崩れる料理と、崩れない料理がある。 知らない国のカレー屋で迷ったら、ビーフやポークではなく、チキンがいい。 チキンなら、たぶんその土地の味になる。 --- stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。 https://stand.fm/channels/664b04d7316143a77174b611
快食ボイス849・城下町ではなく、宇品の港が近代の広島を作った
無駄だと言われた港が、広島を軍都に変えた 前回、広島城の殿様が知藩事になり、そのまま明治維新を迎えたところまで書いた。 「安芸国府から広島市へ 広島湾岸の1300年史」というマガジンにまとめているので、過去4回もあわせて読んでもらえれば嬉しい。 今日は、その広島がなぜ「軍都」と呼ばれるようになったのか、というところまで話を進めたい。 --- 城を追い出された県庁 廃藩置県のあと、県庁は広島城の中に置かれていた。 ところが明治6年、その本拠地に陸軍がやってくる。 城内に置かれたのが広島鎮台だ。 元は熊本の鎮西鎮台(のちの熊本鎮台)の分営という扱いだったのが、独立した鎮台として広島に据えられた。 鎮台は全国6か所に置かれ、そのひとつが広島だった。 明治21年、これが第五師団へと改編されていく。 軍が入れば、県庁の居場所はなくなる。 追い出されるようにして移った先が、国泰寺というお寺だった。 今、広島市役所がある、正に国泰寺町の辺りだ。 当の国泰寺は後年、己斐上に移転した。 己斐峠の近くにある大きくて立派なお寺だが、かつては街中にあったわけだ。 県庁はこの寺の中で3年ほど仮住まいを続けることになる。 --- 尾道が県庁所在地になる? この仮住まいの時期に、面白い出来事が起きている。 当時の伊達宗興権令が、県庁を尾道へ移し、県の名前も「御調県」に変えたいと大蔵省に持ちかけたのだ。 尾道のある郡が御調郡だったからだ。 もし通っていれば、広島県の県庁所在地は尾道になり、名前も御調県になっていた。 だが大蔵省の前島密がこれを突っ返した。 尾道は道が狭く、平地が少ないことと、県庁をむやみに動かすことを嫌ったのだという。 郵便制度の父として知られるあの前島密である。 結局、県庁は広島に残った。 歴史のちょっとした分岐点だと思う。 --- 遠浅の海を見た、ひとりの県令 やがて県令は知事と名を変える。 その最後の県令であり最初の知事でもあるのが、千田貞暁だ。 薩摩の出で、東京府から海路で広島へ赴任してきた。 このとき彼が見たのが、広島湾の酷い遠浅だった。 広島湾は、太田川が運ぶ土砂で中州が育ってできた土地だ。 以前の回で、その一番広い中州に広島城が建ったと書いた。 千田の頃になると中州はさらに広がり、海はいっそう遠浅になっていた。 潮が引けば、江波から対岸の己斐まで歩いて渡れた。 『この世界の片隅に』にそんな場面が出てくる。 大きな船は近くまで寄れず、途中で小舟に乗り換えねばならない。 千田は上陸のために長い潮待ちを強いられ、これは不便だと痛感した。 そこで彼は、もっと沖に近代的な港を築こうとする。 それが宇品港だ。 遠浅の海を埋め立て、港をつくる。 当時は琵琶湖疏水に匹敵する大工事だった。 とはいえ、埋め立てるということは、そこで営まれていた養殖の場を潰すことでもあった。 当時の広島は海苔と牡蠣の一大産地で、『この世界の片隅に』の主人公の実家も、江波で海苔養殖を営んでいた。 宇品の埋め立てで海苔養殖はできなくなり、牡蠣は筏から吊るす垂下式の開発によって沖の養殖へ移り、生き残った。 だから今も広島は牡蠣の名産地なのだ。 築港は当時の日本では最大級の工事なので、当然、金が足りない。 あちこちから借り、国にも補助を掛け合い、そのたびに叱られた。 挙句、こんな無駄なものに金ばかり使うなと責められ、千田は完成間際に知事を罷免されてしまう。 理由は「工事計画が粗漏」だから。 港はできたが、千田知事はボロクソな言われようだった。 --- 無駄な港の大逆転 ところが、ここで逆転が起きる。 日清戦争だ。 仕掛ける側の戦争は本土の外でやる。 兵も軍艦も、どこかの港から送り出さねばならない。 さらに国内では船に代わる輸送手段が、ちょうどこの頃に生まれていた。 鉄道である。 東京からの線路が、日清戦争の直前に広島まで届いていた。 三原から広島は賀茂台地越えの難所だが、何とか広島までは敷設が終わっていたのだ。 つまり全国の兵を鉄道で運べる南限が、ちょうど広島だった。 そこに、軍艦を着けられる近代港がある。 無駄だと笑われた宇品港が、これ以上ない軍港として機能する。 広島駅から宇品港まで急いで軍用鉄道を敷き、日本中の兵が広島に集まり、宇品から大陸へ渡っていった。 --- こうして軍都ができた 宇品の周りには、軍の心臓部が揃っていく。 今の広島大学病院の場所が兵器支廠で、武器弾薬が保管された。 現在でも時々、不発弾などが発見されるのはそのためだ。 そのすぐ近くには被服支廠が置かれ、軍服や装具が保管された。 今、郷土資料館になっている建物は糧秣支廠で、兵の缶詰と軍馬の秣をつくり蓄えた。 兵さえ来れば、武器も軍服も食糧も揃い、宇品からそのまま戦地へ発てる。 これが広島を軍都たらしめた仕組みだ。 軍が根を張れば、関連する産業も膨らむ。 武器を作らねばならず、壊れれば直さねばならない。 そうやって重工業的なものが次々に育っていった。 街は戦争のたびに軍需で潤い、経済を太らせていく。 やがて、広島で意志決定したほうが早いということになり、明治天皇が広島に入る。 大本営が置かれ、帝国議会の建物も設けられ、臨時の帝国議会まで開かれた。 ほんの一時とはいえ、広島は実質的な首都の機能を果たす。 今も広島城周辺には、明治天皇が滞在した場所や使ったとされる井戸が残っている。 続く日露戦争でも、兵と船は主に宇品から出ていった。 中国とロシアのあいだの戦いも、沿岸の海戦も、多くはこの港が起点だった。 近代の広島を大きくしたのは、城下町よりむしろ宇品港だった。 そしてその港を、絶好のタイミングで用意したのが千田貞暁である。 宇品には今も千田廟公園があり、彼の銅像が立っている。 千田町という地名も、彼の名から来ている。 近代の広島をつくった立役者は千田貞暁だと言っていい。 --- stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。 https://stand.fm/channels/664b04d7316143a77174b611
こちらもおすすめ
歴史を面白く学ぶコテンラジオ (COTEN RADIO)
歴史を愛し、歴史を知りすぎてしまった歴史GEEK2人と圧倒的歴史弱者がお届けする歴史インターネットラジオです。 歴史というレンズを通して「人間とは何か」「私たち現代人の抱える悩み」「世の中の流れ」を痛快に読み解いていく!? 笑いあり、涙ありの新感覚・歴史キュレーションプログラム! ☆Apple & Spotify Podcast 部門別ランキング1位獲得! ☆ジャパンポッドキャストアワード2019 大賞&Spotify賞 ダブル受賞! ※正式名称は「古典ラジオ」ではなく「コテンラジオ」です ーーー COTEN RADIO is an entertainment radio talk program for history , published by the crazy history geeks group "COTEN" in Japan. ☆Apple & Spotify Podcast in Japan category ranking No.1 ! ☆Japan Podcast Awards 2019 Grand prize and Spotify prize !
桃山商事
コミュニケーション、男性性、恋愛、人間関係、ジェンダー、ケア、孤独、性欲、会社、友情、老い……メンバーがその時々で気になったテーマを1つ設定して、モヤモヤを言語化していくNEOな座談Podcastです。2011〜2016年「二軍ラジオ」(ApplePodcast)、2017〜2024年「恋愛よももやまばなし」(ニコ生→Podcast)を配信していました。清田隆之(文筆業)、森田(会社員)、ワッコ(会社員)、さとう(会社員)の4人でお届けします。
LISTEN NEWS
LISTENは、AI文字起こしとコミュニティで、ポッドキャストを「聴く・配信する・つながる」ためのプラットフォームです。 公式番組「LISTEN NEWS」では、開発の裏話や近況も交えつつ、最新情報をお届けします。 LISTENはこちら→ https://listen.style/
シットとシッポ
Dos Monosの荘子itと哲学者の福尾匠によるPodcast 毎週月曜更新。 📣有料 / 無料で入れる "疎の街" はコチラから 📍番組のフォローをお願いします https://linktr.ee/shitshippo 📍X シットとシッポ @shitshippo 荘子it @ZoZhit 福尾匠 @tweetingtakumi 📩シットとシッポへの問い合わせはコチラ
私より先に丁寧に暮らすな
東京の歌人・上坂あゆ美と、京都の僧侶・鵜飼ヨシキによる雑談配信。人生の呪いからファミレスの好きなメニューの話まで幅広くお届け。 【初めての方におすすめ回】 #30 お菓子が人間だったら誰と付き合いたいか真剣に考える https://open.spotify.com/episode/751EzuNXjpgP2i53P7OtX7?si=XxN2eddURsas_JWE6KFu-A #163 恋愛ってマーージでクソだと思っている人の話 https://open.spotify.com/episode/1WgeglhRT5GQfqzkBO2bNF?si=1l0b2OBlTJq 📩おたより宛先 https://forms.gle/E6oFMLDcrJhUH2g57 番組公式SNS https://x.com/yori_suna (インスタもある) 🚗🚥番組公式コミュニティ https://rooom.listen.style/p/ 📨その他、番組へのお問い合わせはコチラまで yorisuna24@gmail.com
IBUKI STATION
ここはアウトドア向けGPSトラッキング「IBUKI」にまつわる人々が集まる場所。 トレイルラン、登山、冒険、ランニング、自転車、ロゲイニング、、 スタイルは数あれど、共通しているのは自然を楽しみ、そして人とのつながりも楽しむ姿勢。 自然を目一杯楽しみ、苦しみながら、人と接する喜びにも気付く。 アウトドアを満喫するみなさんが、ほっとできるIBUKI STATIONです。 IBUKI https://ibuki.run/ 近藤淳也 IBUKIを提供する株式会社OND代表。ポッドキャストプラットフォーム「LISTEN」も展開 桑原佑輔 OND所属。IBUKI事業担当営業・テクニカルディレクター 中川和美 OND所属。IBUKI担当。トレイルランナー