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シャオヘイ 435 Episodes

広島市在住のシャオヘイが、飲食店と顧客の間にある様々な課題や問題に対する僕の考えや、特定の料理についてお話します。
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快食ボイス849・城下町ではなく、宇品の港が近代の広島を作った

快食ボイス849・城下町ではなく、宇品の港が近代の広島を作った

Aug 6, 2026 17:38

無駄だと言われた港が、広島を軍都に変えた 前回、広島城の殿様が知藩事になり、そのまま明治維新を迎えたところまで書いた。 「安芸国府から広島市へ 広島湾岸の1300年史」というマガジンにまとめているので、過去4回もあわせて読んでもらえれば嬉しい。 今日は、その広島がなぜ「軍都」と呼ばれるようになったのか、というところまで話を進めたい。 --- 城を追い出された県庁 廃藩置県のあと、県庁は広島城の中に置かれていた。 ところが明治6年、その本拠地に陸軍がやってくる。 城内に置かれたのが広島鎮台だ。 元は熊本の鎮西鎮台(のちの熊本鎮台)の分営という扱いだったのが、独立した鎮台として広島に据えられた。 鎮台は全国6か所に置かれ、そのひとつが広島だった。 明治21年、これが第五師団へと改編されていく。 軍が入れば、県庁の居場所はなくなる。 追い出されるようにして移った先が、国泰寺というお寺だった。 今、広島市役所がある、正に国泰寺町の辺りだ。 当の国泰寺は後年、己斐上に移転した。 己斐峠の近くにある大きくて立派なお寺だが、かつては街中にあったわけだ。 県庁はこの寺の中で3年ほど仮住まいを続けることになる。 --- 尾道が県庁所在地になる? この仮住まいの時期に、面白い出来事が起きている。 当時の伊達宗興権令が、県庁を尾道へ移し、県の名前も「御調県」に変えたいと大蔵省に持ちかけたのだ。 尾道のある郡が御調郡だったからだ。 もし通っていれば、広島県の県庁所在地は尾道になり、名前も御調県になっていた。 だが大蔵省の前島密がこれを突っ返した。 尾道は道が狭く、平地が少ないことと、県庁をむやみに動かすことを嫌ったのだという。 郵便制度の父として知られるあの前島密である。 結局、県庁は広島に残った。 歴史のちょっとした分岐点だと思う。 --- 遠浅の海を見た、ひとりの県令 やがて県令は知事と名を変える。 その最後の県令であり最初の知事でもあるのが、千田貞暁だ。 薩摩の出で、東京府から海路で広島へ赴任してきた。 このとき彼が見たのが、広島湾の酷い遠浅だった。 広島湾は、太田川が運ぶ土砂で中州が育ってできた土地だ。 以前の回で、その一番広い中州に広島城が建ったと書いた。 千田の頃になると中州はさらに広がり、海はいっそう遠浅になっていた。 潮が引けば、江波から対岸の己斐まで歩いて渡れた。 『この世界の片隅に』にそんな場面が出てくる。 大きな船は近くまで寄れず、途中で小舟に乗り換えねばならない。 千田は上陸のために長い潮待ちを強いられ、これは不便だと痛感した。 そこで彼は、もっと沖に近代的な港を築こうとする。 それが宇品港だ。 遠浅の海を埋め立て、港をつくる。 当時は琵琶湖疏水に匹敵する大工事だった。 とはいえ、埋め立てるということは、そこで営まれていた養殖の場を潰すことでもあった。 当時の広島は海苔と牡蠣の一大産地で、『この世界の片隅に』の主人公の実家も、江波で海苔養殖を営んでいた。 宇品の埋め立てで海苔養殖はできなくなり、牡蠣は筏から吊るす垂下式の開発によって沖の養殖へ移り、生き残った。 だから今も広島は牡蠣の名産地なのだ。 築港は当時の日本では最大級の工事なので、当然、金が足りない。 あちこちから借り、国にも補助を掛け合い、そのたびに叱られた。 挙句、こんな無駄なものに金ばかり使うなと責められ、千田は完成間際に知事を罷免されてしまう。 理由は「工事計画が粗漏」だから。 港はできたが、千田知事はボロクソな言われようだった。 --- 無駄な港の大逆転 ところが、ここで逆転が起きる。 日清戦争だ。 仕掛ける側の戦争は本土の外でやる。 兵も軍艦も、どこかの港から送り出さねばならない。 さらに国内では船に代わる輸送手段が、ちょうどこの頃に生まれていた。 鉄道である。 東京からの線路が、日清戦争の直前に広島まで届いていた。 三原から広島は賀茂台地越えの難所だが、何とか広島までは敷設が終わっていたのだ。 つまり全国の兵を鉄道で運べる南限が、ちょうど広島だった。 そこに、軍艦を着けられる近代港がある。 無駄だと笑われた宇品港が、これ以上ない軍港として機能する。 広島駅から宇品港まで急いで軍用鉄道を敷き、日本中の兵が広島に集まり、宇品から大陸へ渡っていった。 --- こうして軍都ができた 宇品の周りには、軍の心臓部が揃っていく。 今の広島大学病院の場所が兵器支廠で、武器弾薬が保管された。 現在でも時々、不発弾などが発見されるのはそのためだ。 そのすぐ近くには被服支廠が置かれ、軍服や装具が保管された。 今、郷土資料館になっている建物は糧秣支廠で、兵の缶詰と軍馬の秣をつくり蓄えた。 兵さえ来れば、武器も軍服も食糧も揃い、宇品からそのまま戦地へ発てる。 これが広島を軍都たらしめた仕組みだ。 軍が根を張れば、関連する産業も膨らむ。 武器を作らねばならず、壊れれば直さねばならない。 そうやって重工業的なものが次々に育っていった。 街は戦争のたびに軍需で潤い、経済を太らせていく。 やがて、広島で意志決定したほうが早いということになり、明治天皇が広島に入る。 大本営が置かれ、帝国議会の建物も設けられ、臨時の帝国議会まで開かれた。 ほんの一時とはいえ、広島は実質的な首都の機能を果たす。 今も広島城周辺には、明治天皇が滞在した場所や使ったとされる井戸が残っている。 続く日露戦争でも、兵と船は主に宇品から出ていった。 中国とロシアのあいだの戦いも、沿岸の海戦も、多くはこの港が起点だった。 近代の広島を大きくしたのは、城下町よりむしろ宇品港だった。 そしてその港を、絶好のタイミングで用意したのが千田貞暁である。 宇品には今も千田廟公園があり、彼の銅像が立っている。 千田町という地名も、彼の名から来ている。 近代の広島をつくった立役者は千田貞暁だと言っていい。 --- stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。 https://stand.fm/channels/664b04d7316143a77174b611

快食ボイス848・AI画像生成がデザイン業界の倒産に与える影響

快食ボイス848・AI画像生成がデザイン業界の倒産に与える影響

Aug 4, 2026 11:59

14年ぶりの高水準という数字 会食ボイスXの投稿で見かけて、東京商工リサーチのリリースを読んだ。デザイン業の倒産が、いま相当な高水準になっているという。 2026年上半期(1-6月)のデザイン業の倒産は40件。前年同期比で166.6%増、つまり2.7倍近い。40件を超えたのは2012年同期以来、14年ぶりだそうだ。このペースで進むと、年間では2011年の80件を抜く可能性もあるという。 内訳を見ると、倒れているのはほとんどが零細だ。従業員5人未満が36件で、全体の9割を占める。個人か、それに近い規模の事務所が、次々に立ちゆかなくなっているという絵が浮かぶ。 TSRはこの倒産を、大きく三つのパターンに分けている。顧客がデザインを内製化して受注が細るケース、紙媒体が主力の会社がデジタルシフトに置いていかれるケース、そしてインテリアデザインがハウスメーカーの倒産に巻き込まれるケース。順に見ていきたい。 --- 「内製化」とは、みんながAIで画像を作りはじめたこと 一つ目の「内製化」は、端的に言えば、みんながAIで画像を生成するようになったということだと思う。 以前は、ちょっとした告知一枚でも、デザイナーに頼まないと作れなかった。それがいまは、AIにポンと投げればそれらしいものが返ってくる。もっとも、細かく指定するほどずれていく、という難しさはある。オープンな問いのまま「こんな感じでよろしく」と投げると、トンチンカンなものが出てきて、そこを直せあそこを直せとやっているうちに、どんどんおかしくなっていく。ある程度は要件を定義して、この制約の中で作れ、と囲い込んでやる必要がある。 ただ、使い慣れた人ならそこそこのレベルまで持っていける。きちんとしたロゴや、看板になる告知はもちろんプロのデザイナーでないと無理だが、一過性のイベント告知くらいなら「AIに作ってもらったやつでいいや」となる。著作権の問題もクリアしやすい。実際、ネット上の告知でこれはAIだな、というものを最近やたらと見かける。紙の告知自体が減り、ネットの画像が増えたことも背中を押している。これはもう、仕方がない流れだと思う。 --- 紙とインテリア——AIだけではない要因 二つ目の、紙媒体からデジタルへの移行は、今年になって急に起きた話ではない。雑誌が減り続けているのはずっと一貫した流れで、今回の急増の主因とは思いにくい。 三つ目のインテリアデザインは、AIとは別の理由だ。人件費が上がり、円安で材料も高くなって、家がなかなか建たなくなっている。TSRの別のデータでは、ハウスメーカー(木造建築工事)の倒産は2026年上半期で118件、前年同期から約9割増だという。建てられないから中古をリニューアルするか、賃貸のままでいく人が増える。給料が増えないまま物価だけが上がるのだから当然だ。建てる件数が減れば、内装や家具のデザインを請けていた会社も連鎖して倒れる。 だから、TSRの見出しが「AIの広がりも影響」と、あくまで「も」で書いているのは正確だ。三つのうちAIが直接効いているのは一つ目で、残りはデジタル化と住宅不況。デザインの世界は、三方向から同時に締め上げられている、というのが実態に近い。 --- どのAIを、何に使うか 画像生成で主流なのは、いまのところChatGPTとGeminiの二つだろう。僕もこの会食ボイスのサムネイルはChatGPTに作ってもらっている。僕の感覚では、GeminiよりChatGPTの方がクオリティが高い。 一番課金して使っているClaudeは画像を生成できないが、その代わり文字を扱う仕事や深い調べ物には強い。だから画像生成は遊びのようなもので、そこは無料の範囲で十分だと割り切っている。Geminiはとにかく連携が売りで、iPhoneのSiriにも搭載されると発表された。実際、AppleはSiriの基盤にGeminiを採用し、この秋のiOS 27で載せてくる。Googleのサービスと全部つながるのだから、これは相当便利になる。 Claudeは遅い。僕はOpusを使っていて、その上にFableというのもあるのだが、Fableにすると考える時間がさらに延びる。何か聞いても、まず言葉の定義をはっきりさせてから、と前段階に入っていく。僕はそういうのが好きだが、ちゃちゃっと答えてほしい人には向かない。速く欲しい人はGemini、その中間でバランスがいいのがChatGPT。結局は使い方次第で、自分の用途に強みのあるAIを選べばいい。 --- 食われるのは、いつも下からだ デザインの世界でも、AIに食われているのは下の方からだ。トップクラスのデザイナーは食われない。これはどの職業でも同じで、税理士や公認会計士がAIに食われると言われても、上の人たちが消えるわけがない。 机の上でパソコンを使う仕事は、これからどんどん削られていく。クオリティを上げ続ければまだ有意性は残るが、それがいつまでかは分からない。だから若い人がこれから仕事を選ぶなら、物理的な何かが介在する仕事を考えた方がいい。料理は、少なくとも僕が生きているあいだにAIには作れないと思う。体を持たせたとしても、味見ができないからだ。エアコンの取り付けも、現場ごとに形が違うから調整が要る。家を建てるのも同じで、だから今あれだけ大変なことになっている。 市場経済で動いている以上、スキルに希少性があるほど値段は高くつく。大工の給料はすでに上がっているらしい。建ててもらわなければ困る人は、割高でも頼むしかない。逆に、誰でもできる——AIですらできる仕事は希少性がないから安くなり、やがて「AIにやってもらうから、あなたはいらない」となる。 同じテーマで何度か話してきたが、思った通り、デザインの世界でもAIに食われはじめた、という数字が出た。ソースのURLも貼っておくので、ご自分でも見てみてください。 --- stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。 https://stand.fm/channels/664b04d7316143a77174b611

快食ボイス846・本通りの原型は、西国街道だった

快食ボイス846・本通りの原型は、西国街道だった

Aug 1, 2026 16:04

山を下りた城 ―― 広島はなぜ川の中州に建ったのか 広島市域の歴史も4回目になる。 今回は毛利輝元が広島城を築くところから始めたい。 輝元は元就の孫にあたる。 父の隆元が早くに亡くなったので、輝元は11歳で毛利家の家督を継いだ。 祖父・元就の後見のもとで育ち、元就の死後は実質的に毛利家を切り盛りしていく。 その輝元が、なぜ本拠を安芸高田の郡山城から、はるか南の中州へ移したのか。 郡山城は山の上に築かれた、典型的な戦のための山城である。 その山を、輝元は下りた。 --- 戦の城から、経済の城へ この頃にはもう豊臣秀吉が天下人になっていた。 もともと秀吉は織田信長の中国方面軍の司令官で、備中高松城で毛利とぶつかっていた相手だ。 ところが本能寺の変が起きて秀吉が京へ引き返すとき、毛利は背後から追い討ちをかけなかった。 逃げる相手を後ろから叩けば大きな痛手を与えられたはずだが、あえてしなかった。 この抑制が信任につながる。 やがて秀吉は、老いた自分の死後を託す補佐役として五大老を置くが、徳川家康とともに輝元もその一人に名を連ねた。 その輝元が城の手本にしたのが、秀吉の大阪城だと言われている。 大阪の地は広島と同じで地盤が緩く、その多くは埋め立てだが、南から伸びる上町台地だけは古くから堅牢な土地。 その北端に建つのが大阪城だ。 かつてここには石山本願寺があり、信長が攻めあぐねた。 毛利が海から兵糧を運んで支えたのも、この寺である。 その跡地に建った城が経済の中心になっていくのを見て、輝元は悟ったのだと思う。 もう山の上で戦をする時代ではない、と。 天下はほぼ統一され、本気で喧嘩を売る相手はいない。 ならば城は、戦の砦ではなく経済を回す拠点であるべきだ。 そう考えて、川と海に囲まれた中州に城を築いた。 むろん、いざという時の砦の役目も残してはいる。 だが主眼は、もう戦ではなかった。 --- 川と海に囲まれた、広い島 広島という名の由来は諸説あるが、大田川がいくつもの筋に分かれて海へ注ぐ、その中州でいちばん広い島だったから、という説が挙げられる。 城は川の中に建つので、川そのものが堀の役目を果たす。 人の手で掘らずとも、地形がそのまま守りになっているわけだ。 毛利は石見銀山を持ち、江戸期に入れば中国山地はたたら製鉄の一大産地になっていく。 山から掘り出した銀や鉄を、川を使って城下まで運び下ろす。 当時の陸路は人か馬、せいぜい牛に頼るしかなく、大量に運ぶには船に勝るものがなかった。 太田川の上流、可部の町にいったん鉄や銀を集め、そこから船で城下まで下ろす。 可部が物資の集散地として発展したのも、川あってのことだ。 逆に、集めた物を沖へ、外へと売りに出すのにも船が要る。 海沿いの平城は、そのまま海運の城でもあったわけだ。 この時代以降こうした城が増えるのは、もう戦争のための城ではないことの表れでもある。 --- 9年で去った毛利、20年で町をつくった福島 ところが関ヶ原で、喧嘩相手が現れる。 輝元は西軍の総大将となり、東軍の徳川家康に敗れた。 責任を取って周防・長門、のちの長州へ減封される。 築城から数えて9年目、輝元は広島を去った。 代わって入ったのが福島正則だ。 秀吉の縁者、いとこだったとも言われる武将で、20年ほどこの地にとどまり、実質的な広島城と城下町を築いた。 喫水の浅い城下まで大船は入れないので、江波に沖からの大船を着ける港を設け、そこから北は平底の船に積み替えて物を運び込む。 北前船のような外の船とつながって、城下町は大いに栄えた。 そして福島は、古代からの西国街道を城下へ引き直す。 府中から祇園のあたりを抜けていた古い道筋を、南の城下へと付け替えたのだ。 それが今の平和公園を突っ切り、本通りへと真っ直ぐ抜けていく。 宿や薬屋、呉服屋、金物屋といった旅人相手の店が並び、本通りにいまも刃物や鎌を売る店が残るのは、その江戸以来の名残だ。 本通り商店街の原型は、福島正則がつくったと言っていい。 その福島も、大坂の陣で豊臣が滅んだあと、城を無断で直したという因縁をつけられ、信濃へ転封された。 豊臣を滅ぼしたあとで、その縁者を広島ほどの大国に置いておくのは危うい。 当初は津軽へという話もあったらしいが、そこはさすがに酷というので信濃に落ち着いた、と伝わる。 --- 幕府軍の本拠地になった城 福島の次に来たのが浅野家だ。 徳川に近い家で、豊臣に近い福島から徳川に近い浅野へ、という交代でもある。 城下の仕組みはすでに福島が整えていたから、浅野の時代に大きな事件は少ない。 そのまま幕末まで続くのだが、その終盤になって、この城は思わぬ役割を担うことになる。 第一次長州征討では、長州を討つべく諸藩の兵が広島城に集まった。 総勢15万とも伝わる大軍である。 このときは西郷隆盛が岩国の吉川経幹と談判し、三家老の切腹などを条件に、交戦のないまま兵を引いた。 ところが第二次で長州はふたたび幕府に逆らい、幕府は再び広島に大軍を集めて攻め込む。 広島城の軍勢が受け持ったのは玖波あたりの戦いで、芸州口の戦いと言う。 旧式の装備で挑んだ幕府軍は、新式の銃で戦う少数の長州軍にまるで歯が立たなかった。 数で圧倒するはずが、逆にねじ伏せられたのである。 これで幕府の権威は地に落ちる。 武威の論理で保ってきた権威がひとたび崩れれば、あとは大政奉還、廃藩置県へと一気に転がっていく。 浅野家はそのまま、廃藩置県のあと知藩事となった。 ともあれ広島城は、幕府軍(徳川家)と長州軍(毛利家)が正面からぶつかったこの局面で、幕府方の本拠地としての役割を果たしたのだ。 ここから先は、いよいよ近代の広島の話になる。 いま僕たちが暮らすこの街が栄えていくきっかけへと、歴史がだいぶ近づいてきた。 城が戦の道具でなくなったところから、街の物語のほうが動きはじめる。 続きは、また次回に。 --- stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。 https://stand.fm/channels/664b04d7316143a77174b611

快食ボイス845・ 加賀恭一郎と過ごした20年、そして防げたかもしれない病のこと

快食ボイス845・ 加賀恭一郎と過ごした20年、そして防げたかもしれない病のこと

Jul 31, 2026 12:46

東野圭吾さんの新しい本が、もう読めない 東野圭吾さんが亡くなった。 68歳、大腸がんだったという。 訃報からもう一週間ほど経つのに、いまだに実感が湧かない。 まだ若いのに、と思う。 うちにある本を探してみたら20冊ほど出てきた。 だいぶ整理したあとでこれだから、以前はもっとあったかもしれない。 人に借りて読んだものや、映画で観たものまで数えれば、僕はずいぶんこの人の作品に付き合ってきたことになる。 大阪のご出身で、もともとは自動車部品のデンソー(当時の日本電装)で技術者として働いていた人だ。 そこを辞めて専業作家になった。 理系の目で人と社会を見ていたことが、あの緻密なプロットの土台にあったのかもしれない。 --- 東野作品に、ハズレなし ミステリー好きなら誰もが言うと思う。 東野圭吾の本には外れがない。 傑作か、大傑作か。 たまに「普通かな」と思うものでも、どこか味わいが残る。 読みにくいということも、まずなかった。 一番好きなものを挙げろと言われたら、僕は『白夜行』と『幻夜』を選ぶ。 どちらも女性が主人公で、名前こそ違うけれど、『幻夜』の彼女は『白夜行』のあの人ではないか、と思わせる。 2作がつながっているとも、いないとも、ご本人は語らなかった。 3部作の3作目が出るのでは、とミステリー好きのあいだで囁かれていたが、もう叶わない。 この2つは、僕にとってミステリーの金字塔だ。 --- 加賀恭一郎と過ごした20年 シリーズものでは、加賀恭一郎ものが一番好きだ。 彼がまだ大学生だった頃から始まり、20年近くかけて物語が進んでいった。 作者と一緒に、登場人物が歳を重ねていく感じがいい。 犯人は最初から分かっているのに動機が見えない、AとBのどちらが犯人かを最後まで明かさない、といった挑戦的で実験的な作品も多く、それでいて、きちんと読めばちゃんと腑に落ちる。 ミステリーの型を、いくつも自分の手で壊しては組み直していた人だと思う。 映像化された『麒麟の翼』もよかった。加賀を演じた阿部寛さんの佇まいがいい。 中でも僕が好きなのは『祈りの幕が降りるとき』だ。舞台になった日本橋や人形町のあたりが、もともと好きな場所なのだ。 父のこと、母のことで長く思い悩んできた加賀の背景が、ここで一つに結ばれる。 先に逝った父との別れの場面も、母の死をきっかけにいろいろなことが明らかになっていく終盤も、シリーズを追ってきた者ほど胸に来る。 積み上げてきた伏線が静かに回収されていく感触が、たまらなくよかった。 ガリレオシリーズも忘れがたい。 物理学者・湯川学を主人公にしたこのシリーズは、福山雅治さん主演で映像化され、ちょっとした社会現象になった。ドラマや映画で東野作品に触れた、という人も多いだろう。 中でも『容疑者Xの献身』は、原作も素晴らしいが、映画がとにかくすごい。 小説を映像化して原作を超えることなど滅多にないのに、あれだけは超えたのではないかと思うほどだ。 何度観ても、結末を知っているのに泣かされる。 そのガリレオの最新刊が、8月5日に出るという。 106冊目にして、僕たちが最後に受け取れる新作になる。 --- 人の心を打つ、ということ 東野作品の凄みは、プロットの巧みさだけではない、と僕は思っている。 仕掛けの上手さで読ませる作家なら、ほかにもいる。 東野さんが違うのは、犯人であれ被害者であれ、その人の気持ちがこちらまで伝わってくるところだ。 ページをめくるうちに、いつのまにか登場人物の側に立って、その人の痛みを一緒に抱えている。 読み終えたあとに残るのは、トリックの鮮やかさではなく、誰かの人生に触れてしまった、という感触だ。 『ナミヤ雑貨店の奇蹟』のような、そう重たくない短編にも、その温かさは流れている。 だから、これから初めて読むという人には、『白夜行』のような重い一冊ではなく、まずこのあたりから入ってみることを勧めたい。 多くが文庫で手に入るから、値段の心配もいらない。 --- 防げたかもしれない、ということ 悔しいのは、大腸がんだったということだ。 知り合いの医者に言わせれば、大腸がんは検査さえきちんとしていれば早期に見つかり、ポリープのうちに取ってしまえば防げる病なのだという。 東野さんの事情は公表されていないので、実際のところは分からない。 分からないけれど、これだけ賢く優れた人でも、と考えると、身につまされる。 僕はポリープができにくい体質らしく、そう頻繁でなくていいと医者に言われているが、それでも数年に1度は、内視鏡で中を診てもらっている。 下剤を飲むのは難儀だし、お尻から管を入れられるのも気が進まない。 それでも、最近は意識を落として、眠っているあいだに終わらせてくれる。 だから、思っているほど辛くはない。 まだ受けたことのない人には、ぜひ勧めたい。 あれだけの人が惜しまれて逝ったことが、誰かの検査の一歩につながるなら、それはそれで意味のあることだと思う。 思えば小説から長く遠ざかっていた。 ここ数年は食文化や歴史の本ばかりで、物語に没頭することがなかった。 小野不由美さんの『十二国記』を読んで以来かもしれない。 東野さんにしても、村上春樹さんにしても、こういう素晴らしい書き手が同じ時代を生きて、たくさんの作品を残してくれた。 それは、当たり前のようでいて、実はとてもありがたいことなのだと思う。 未読の本は、まだたくさん残っている。もう新しい一冊が増えないという寂しさを抱えながら、それでも、読んでいない東野圭吾がこれだけあるのは幸運なのだと、自分に言い聞かせている。 よろしければぜひ。 --- stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。 https://stand.fm/channels/664b04d7316143a77174b611

快食ボイス843・広島市が中国地方の中心になる前は振り回される側だった

快食ボイス843・広島市が中国地方の中心になる前は振り回される側だった

Jul 28, 2026 15:29

広島が中心になる前、この土地は振り回される側だった 前回、広島市域の歴史の第2回を話したら、どうも反応が薄かった。 最初の回のほうがよほど良かったくらいだ。 安芸武田氏と厳島神社、この二つが広島市域で勢力を争っていた——そんな話をしたのだが、聞き慣れないというより、たぶん「小さい話だな」と受け取られたのだと思う。 なので今日は、少し補足をしておきたい。 なぜ小さく聞こえたのか。 答えは単純で、当時の広島市域が中国地方の中心ではなかったからだ。 --- そもそも安芸国がバラバラだった 安芸武田氏は安芸の守護、いまでいう知事のような立場だった。 ただ、その力は安芸全体には及んでいない。 各地には国人領主——その土地に根を張った小さな領主がいて、たとえば安芸高田市の郡山城を拠点にした毛利家も、そのひとつだった。 広島市域に限れば、先の安芸武田氏と厳島神社の社領、この二つが主な勢力だった。 だが中国地方全体で見ると、安芸も備後も、どちらも中心ではなかった。 --- 中心は、山口の大内氏だった では中心はどこか。大内家の山口だ。 大内は守護大名であると同時に、日明貿易をほぼ一手に握っていた。 当時は倭寇が海で荒稼ぎしていたから、これは正式な国の貿易船だと証を立てる必要があり、その割り符が勘合符だ。 堺の細川氏と寧波で衝突して以降、大内はこの巨利を独占する。 貿易は昔から莫大な利益を生む。 銀や生糸で儲け、博多まで抑えていた。 30代の大内義興にいたっては、京都を追われた将軍を奉じて上洛し、11年も京にとどまって、管領代として幕政を動かした。 家柄の壁で管領そのものにはなれず「代」がついたが、実質は副将軍だ。 京に長くいた義興は、山口を小京都に造り替えていく。 山に囲まれた盆地の真ん中を川が流れる地形は、たしかに京都によく似ている。 屋敷も、城ではなく京都御所を思わせる造りにした。 応仁の乱で荒れた京から公家や文化人が移り住むほど、山口は栄えた。 のちに宣教師フランシスコ・ザビエルが人口一万ほどと書き残したとも伝わり、数字の確かさはさておき「西の京都」と呼ばれた。 九州や四国を別にすれば、織田信長より前に西日本で最大の勢力を誇った、天下人に片足をかけた家だったといっていい。 象徴的な話がある。 全国の神社の頂点である伊勢神宮は、その分霊を各地に勧請させなかった。 伊勢神宮に唯一並び立つとすれば出雲大社くらいで、伊勢が表なら出雲は裏、天を治める側と人を治める側、といった対の関係になっている。 その伊勢を、初めて勅許を得て勧請したのが義興だった。 山口に迎えたのが山口大神宮で、伊勢から直接分霊を受けた神社は、明治になるまで全国で唯一。 それだけの権勢だったということだ。 --- 広島は、二つの巨大勢力に挟まれていた 義興が京にいるうちに、山陰で尼子氏が力を伸ばしてきた。 本拠は島根・安来の月山富田城。 これが侮れない相手で、大内も京での権力争いに見切りをつけ、山口へ戻ることになる。 大内と尼子は、石見銀山を奪い合った。 銀はそのまま日明貿易の元手になる。 だから両者ゆずらず、銀山は取ったり取られたりを繰り返した。 この二大勢力のせめぎ合いの中に置かれたのが、安芸と備後だ。 挟まれた領主たちは、しょっちゅうどちらにつくかで揺れた。 あの毛利元就でさえ、尼子についたかと思えば大内につき、またその逆へ、と行ったり来たりしている。 東広島市の西条は大内が持っていたが、そこを尼子が狙い、尼子方についた元就が鏡山城を攻めたこともあった。 安芸と備後(広島県)の国人たちは、二つの大勢力に踊らされていたのだ。 --- 崩れて、ひっくり返って「広島」が生まれる 日本でも有数の名門だった大内家は、外敵にではなく、内側から崩れる。 1551年、家臣の陶晴賢が、主君・大内義隆とその世継ぎを長門の大寧寺で討つ(大寧寺の変)。 西国随一と謳われた家が、あっけないほど内から折れた。 屋台骨が抜ければ、大内についていた国人たちの結束も乱れる。 大内家の殿様についていたのに陶なんぞは知らん——そんな空気が広がって、足並みが崩れていった。 そこを突いたのが毛利元就だった。 1555年、陶晴賢と元就は厳島でぶつかる。 兵力は陶が約二万、元就は四、五千。 四倍の差を、元就は謀略を尽くしてひっくり返した(厳島の戦い)。 かつて広島市域の一方の主だった厳島神社の島が、勝敗を決める舞台になった。 元就はそのまま大内の版図を呑み、返す刀で尼子も倒す。 二つの勢力に振り回されるだけだった郡山の一領主が、一気に中国地方の覇者へと駆け上がった。 昨日まで翻弄される側だった家が、翻弄する側に回ったわけだ。 そして元就の孫・輝元の代になって、毛利は太田川の三角州——葦の茂る低湿地に、あえて城を築く。 そこを「広島」と名づけた。 ここで初めて「広島」という地名が世に出て、この土地が中国地方の中心になっていくのだ。 つまり広島市域は、中心になる前は、振り回される端っこだった。 府中町に国府が置かれ、古くから人は多く住んでいたが、大きな支配者の都ではなかった。 だからこそ、前回の話は小さく聞こえたのだと思う。 広島市は最初から中心だったわけではない。 いま僕たちが当たり前に呼んでいる「広島」という地名の裏には、そういう長い前史がある。 前回の話では広島がまだ、その前史の中にいたのだ。 次回は毛利輝元が広島城、いや、広島の街を作るところから始めよう。 --- stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。 https://stand.fm/channels/664b04d7316143a77174b611

桃山商事

桃山商事

コミュニケーション、男性性、恋愛、人間関係、ジェンダー、ケア、孤独、性欲、会社、友情、老い……メンバーがその時々で気になったテーマを1つ設定して、モヤモヤを言語化していくNEOな座談Podcastです。2011〜2016年「二軍ラジオ」(ApplePodcast)、2017〜2024年「恋愛よももやまばなし」(ニコ生→Podcast)を配信していました。清田隆之(文筆業)、森田(会社員)、ワッコ(会社員)、さとう(会社員)の4人でお届けします。

私より先に丁寧に暮らすな

私より先に丁寧に暮らすな

東京の歌人・上坂あゆ美と、京都の僧侶・鵜飼ヨシキによる雑談配信。人生の呪いからファミレスの好きなメニューの話まで幅広くお届け。 【初めての方におすすめ回】 #30 お菓子が人間だったら誰と付き合いたいか真剣に考える https://open.spotify.com/episode/751EzuNXjpgP2i53P7OtX7?si=XxN2eddURsas_JWE6KFu-A #163 恋愛ってマーージでクソだと思っている人の話 https://open.spotify.com/episode/1WgeglhRT5GQfqzkBO2bNF?si=1l0b2OBlTJq 📩おたより宛先 https://forms.gle/E6oFMLDcrJhUH2g57 番組公式SNS https://x.com/yori_suna (インスタもある) 🚗🚥番組公式コミュニティ  https://rooom.listen.style/p/ 📨その他、番組へのお問い合わせはコチラまで yorisuna24@gmail.com

シットとシッポ

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Dos Monosの荘子itと哲学者の福尾匠によるPodcast 毎週月曜更新。 📣有料 / 無料で入れる "疎の街" はコチラから ⁠ 📍番組のフォローをお願いします https://linktr.ee/shitshippo 📍X シットとシッポ @shitshippo 荘子it @ZoZhit 福尾匠 @tweetingtakumi 📩シットとシッポへの問い合わせはコチラ

LISTEN NEWS

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LISTENは、AI文字起こしとコミュニティで、ポッドキャストを「聴く・配信する・つながる」ためのプラットフォームです。 公式番組「LISTEN NEWS」では、開発の裏話や近況も交えつつ、最新情報をお届けします。 LISTENはこちら→ https://listen.style/

近藤淳也のアンノウンラジオ

近藤淳也のアンノウンラジオ

株式会社はてな創業者であり現在もITの第一線で働く近藤淳也が、京都の宿UNKNOWN KYOTOにやって来る「好きなことを仕事にしている人」を深堀りすることで、世の中の多様な仕事やキャリア、生き方・働き方を「リアルな実例」として紐解いていきます。 . 【ホスト:近藤淳也】 株式会社OND代表取締役社長、株式会社はてな取締役、UNKNOWN KYOTO支配人、NPO法人滋賀一周トレイル代表理事、トレイルランナー。 2001年に「はてなブログ」「はてなブックマーク」などを運営する株式会社はてなを創業、2011年にマザーズにて上場。その後2017年に株式会社ONDを設立し、現在もITの第一線で働く。 株式会社OND: https://ond-inc.com/ . 【UNKNOWN KYOTO】 築100年を超える元遊郭建築を改装し、仕事もできて暮らせる宿に。コワーキングやオフィスを併設することで、宿泊として来られる方と京都を拠点に働く方が交わる場所になっています。 1泊の観光目的の利用だけではなく、中長期滞在される方にも好評いただいています。 web: https://unknown.kyoto/ . こちらから本文を読んだりコメントが書けます! https://listen.style/p/unknownradio

歴史を面白く学ぶコテンラジオ (COTEN RADIO)

歴史を面白く学ぶコテンラジオ (COTEN RADIO)

歴史を愛し、歴史を知りすぎてしまった歴史GEEK2人と圧倒的歴史弱者がお届けする歴史インターネットラジオです。 歴史というレンズを通して「人間とは何か」「私たち現代人の抱える悩み」「世の中の流れ」を痛快に読み解いていく!? 笑いあり、涙ありの新感覚・歴史キュレーションプログラム! ☆Apple & Spotify Podcast 部門別ランキング1位獲得! ☆ジャパンポッドキャストアワード2019 大賞&Spotify賞 ダブル受賞! ※正式名称は「古典ラジオ」ではなく「コテンラジオ」です ーーー COTEN RADIO is an entertainment radio talk program for history , published by the crazy history geeks group "COTEN" in Japan. ☆Apple & Spotify Podcast in Japan category ranking No.1 ! ☆Japan Podcast Awards 2019 Grand prize and Spotify prize !