1. XCrossing
  2. ep1 厨二病とストレッチゴール
2022-11-02 45:55

ep1 厨二病とストレッチゴール

XCrossing 第1回目は、勘違いし続けたことが今に繋がっているという話からスタートです。

  • アメリカ東海岸の会社で人間扱いされなかった
  • 同じアメリカでも話している英語が分からない
  • 同じ英語ネイティブでも国が違うと分からない(らしい)
  • 英語ができると勘違いしていて、アメリカにいって絶望
  • これじゃヤバいと思ってやった勉強法
  • 自分は人と違うんだと勘違いすることがアクセルになる
  • 子どもの頃の大病と問題児
  • これは障害ではなく「この子の特長」と言ってくれた母
  • 僕は特殊なんだ、きっと僕には超能力があるはずだ
  • 僕、プロの厨二病です
  • アマチュア無線免許をやりたい、に対して父が言った言葉
  • 理系か文系の分かれ道
  • ある日突然やってきた紙袋いっぱいの漫画とPC
  • アルゴリズムとデータ構造をちゃんと学ぼうと思ったきっかけ。要領だけじゃ歯が立たない
  • 厨二病はストレッチゴールを自分の中に持つこと
  • ”できればいいな” と ”できる” が重なったときにOKR的なアプローチへ
  • 親の接し方が違っていたら変わっていた

XCrossing Official Twitter @x_crossing_

XCrossing website https://x-crossing.com/

プロダクトマネジメントとプロダクト開発組織づくりを専門とする及川卓也。アメリカ・ニューヨークでスタートアップ投資する関信浩。マーケティング・広報・プロダクトマネジメントを幅広く手掛ける上野美香。テクノロジー業界で働く3人が、気になる話題を毎回、異なった視点で語り合います。

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及川卓也 @takoratta

関信浩 @NobuhiroSeki

上野美香 @mikamika59

00:00
Mika Ueno
Xクロッシング 英語でスクランブル交差点を意味します
趣味も世代も住んできた街も違う3人が
スクランブル交差点で出会うように
様々な話題を行き交わせるおしゃべりの交差点です
今日のXクロッシングであなたが出会うのはどんな話題でしょう
Takuya Oikawa
プロダクトマネジメントとプロダクト開発組織づくりを専門とする及川です
Nobuhiro Seki
アメリカ ニューヨークでスタートアップ投資をしております関です
Mika Ueno
マーケティング 広報 プロダクトマネジメントをやっている上野美香です
Xクロッシング 今日からこの3人でお届けします
Nobuhiro Seki
そうか 及川さんってシアトルもそうだし
シリコンバレーもそうだし
どっちも結構ずっとよく出張で行かれてたって感じなんですよね
Takuya Oikawa
そうですね もともと一番最初は東海岸の会社なんですけどね
そうですね
どこですか 東海岸
ボストンですね デックっていう会社はマサチューセッツとニューハンプ社に
本社や開発拠点を持ってた会社で
あんまり行ってなかったですけど数回行って
すごい街並みも綺麗で歴史があるのでいい雰囲気なんですけれど
私は当時あんまり英語ができなかったんですけれど
人間扱いされなく それで僕は東海岸すっかり嫌いになり
Mika Ueno
そうなんですね
Takuya Oikawa
でもその後グーグル入ってから ワシントンDCとかニューヨークに行った時には
多少英語が喋れるようになってたら
そしたら結構いろいろ楽しんでて
スミソニア博物館とかあそこたくさんあるじゃないですか
スミソニアなんとかって 全部タダじゃないですか
めちゃくちゃ面白かったですね
Nobuhiro Seki
いやでも僕も今日
Mika Ueno
いや私大井川さん留学とかガンガンして
もう英語バッチリでっていう風にずっと思ってました
Takuya Oikawa
全くそんなことないです
Mika Ueno
そうなんだ
Takuya Oikawa
全然喋れなくてよくあんな仕事してるなと
Nobuhiro Seki
西津東って本当違いますよね
Takuya Oikawa
違います
Nobuhiro Seki
僕も今日ちょっとねカイロプラクティックに行ってたんですけど
そこで昔のニューヨークの話とか出てきて
僕ニューヨークって最初来た時90年代だったんですけど
もう誰も笑わないっていう印象しかなくて
ホテルとかチェックするんでもブスッとした人がいて
愛想笑いとか一回もなくて
その後に西海岸に行くとなんかすごいもう
心が洗われるような笑顔ですごいフレンドリーで
ゆっくり喋ってくれてっていう
なんかそういう印象しかなかったんですけど
21世紀っていうかテロの後ぐらいにニューヨークに来たら
全然雰囲気変わってて
みんなすごいフレンドリーになって
ニコニコみたいな感じになって
これは何が起きたんだろうななんて
03:02
Nobuhiro Seki
ずっと思ってましたみたいな話をしてて
そうそうみたいな話をしててちょっと煽り合わせたんですけど
何が起きたんだった?
どうなんでしょうね
最初はだからやっぱり
ソーシャルメディアとか関係あるのかなとか
ちょっと思ったりもしたんですよ
やっぱりちょっとそれよりは早いかなっていう気もしてて
でもなんかやっぱりソーシャルメディアとかテレビとか
みんなそうですけどやっぱり
方言とかアクセントとかもやっぱりそういうのがあると
どんどんなくなっていくとかって言うじゃないですか
でやっぱりこう
そういうフレンドリーさとか多様さっていうのも
関係してるのかなとかって思ったんですけど
なんかあんまりこう実は深く考えたことなくてですね
ちょっと確かにこれ次まで調べておこうかな
Takuya Oikawa
確かに
なんかやっぱり言葉も
人々の接し方
接しられ方っていうのも
アメリカでも時によって全然違いますよね
私一番最初に
23歳か4歳かなで出張行った時が
ボストンからもうちょい北に行った
でもいずれにしろマサチューセッチューのところだったんですけれども
さっき言ったみたいに英語があんまり喋れなくて
人間扱いされなくて怖いとこだなと思ったんですけれど
そのままその出張って2週間の出張で
その後南部のノースカロライナ州のシャーロット
っていうところに1週間行ったんですよ
そっちはまた違う意味で言葉に苦労して
英語の下手な僕でもこの人たちの英語は何かが違うっていうぐらい
やっぱ南部なまりがすごいきつかったんですよ
僕がいたそのノースカロライナシャーロットっていうところのオフィスには
南部出身でない人もたくさんいて
そこでちょっと若い女性と彼女のボーイフレンドっていう人と
3人で飯を食べて
ボーイフレンドはそのノースカロライナ州南部出身で
女性社員の方はどっかその北部の方の英語が私にまだ分かる人だったですね
3人でご飯食べてて私はブロークンな日本語なまりの片言の英語で
その女性社員は比較的真っ当な英語で
南部なまりの人は私からすると何やってるか分からなくて
そうすると私が喋ったのを女の子が翻訳し
彼に伝えてくれて
彼が喋ったやつをまた翻訳して私に教えてくれっていう変な状況になって
英語って深いなと思ったし
なんか言葉が通じないっていうのも
多分私じゃなくても普通にありえるんだなっていうふうに思ったんですよね
その後西海岸の会社に移り
最初はシアトルだったので若干違ったんですけれども
シリコンバレーの方に行ったならば
ヒスパニック系の人が非常に多くて
スペイン語しか喋れないアメリカ人っていうのがたくさんいるとこだったんですよね
06:01
Takuya Oikawa
そうするとそこはそこでまた英語が通じない人たちが普通にいるなっていうのが分かって
なので英語は当然流暢に話せた方がいいなと思いつつ
これは最後は言葉はどうでもいいから
意思を伝えようとするその努力が大事なんだなっていうところを学び
学んじゃうと英語を一生懸命伸ばそうとする
努力をしなくていいっていうふうに
下手に自分の中で解釈する甘いタッチとかいて
いまだに英語があまり伸びない
Mika Ueno
伝わるって感じになっちゃうんですよね
そんな歴史がそうなんだ
Nobuhiro Seki
でも英語ってそういうとこありますよね
僕もイギリスにちょっとだけ留学してたことがあるんですけど
20年ちょっとぐらい前
知り合いとその友達とかだと
本当にシティのパブみたいなとこ行ったんですけど
全部で8人か9人いて
全員国籍が違ったんですね
でも僕以外は全員英語が一生母国語っていう状況だったんですけど
アメリカ人カナダ人イギリス人
ニュージーランドオーストラリア南アフリカ
あとイタリアとイギリスのハーフみたいな感じで
やっぱりオーストラリアとかニュージーランドの人があって
何ていうかわかんないですね正直僕とかで
だからやっぱり英語の母国の人だとみんなわかるんだよねとか
隣の彼女に聞いたら
いや俺もまあ2,3割ぐらいしかわかんないんだけどねとか
でも一応ニコニコしながら話し合わせてるだけで
俺に聞いても無駄だよとか言われて
そっかそんな感じでみんな話してるんだなっていう風に
僕もそう思って
あんまり発音がなんだ気にしなくても
だいたいその時もお酒飲んでる時もあって
とにかくちょっと話が伝わらなかったりするのも
ジェスチャーでこっち見ろみたいな感じでやれば
だいたい聞いてくれるし
Takuya Oikawa
わかんなかったら何回も聞いてくれるし
Nobuhiro Seki
面白くなかったらスッと流してくれるしっていう
そんな感じでいいんだっていうのはやっぱり
僕もその時にすごい思って
でも気にするのやめましたけどね
Takuya Oikawa
いや本当にそうなんですよ英語喋られてて
多分相手からしてもこいつの言ってるのは何語だって
一生懸命英語喋ってるつもりなのに
英語と理解されないことって悲しくなるじゃないですか
でもそれ別に日本人の英語だけじゃなくて
普通にあるなっていうのが
私もイギリスにロンドンに遊びに行ったことがあって
12月だったんですけども
ハイトパークってあるじゃないですか
綺麗な公園が
あそこで夜何かのフェスティバルみたいなのやってたから
面白いから遊びに行きました
テントの中で寒いけれども飲み物売ってて
ビールを買った買おうと思ったんだけど
そこにいたちょっと高齢の女性のスタッフの人方が
喋ってる言葉がどう聞いても英語に聞こえないから
私は他の国の人に間違えられて
その言葉で喋ってるのか
もしくはその人が英語を喋んない人なのかと思って
09:02
Takuya Oikawa
近くにいたイギリス人に
ちょっと彼女の言葉が分かんないんだけど
つったら俺も分かんないけど
なんか英語だよと思うよって聞いてるんだけどね
どうにかしてコミュニケーションをしてるんだけど
こういうもんだんだなっていうふうに思って
いやー言葉って深いなと思いますよ
Mika Ueno
本当ですね
私も英語って留学したこともないし
英会話学校でずっとなってそれもないんですよ
でも外資系企業に仕事する機会が恵まれたから
それでもうなんとかがけっぷちで
いつもやってたみたいな感じなんですけど
最終にエンジニアとしてSEをやってた時に
同僚というか一緒に仕事をする中に
インドの方がいらして
インドの名前もすごい強かったので
うまっと思ったんですけど
でも同じ例えばデータベースとか
いろんな話をして
同じプロトコルがあるから
それで理解してっていうのはありましたよね
あとIRの仕事をしてた時に
イギリスに社長と一緒に行ったんですけど
その時にエジンバラの方が来て
いろんな方がこれがイギリスの英語なんだな
と思いつつ聞いたんですけど
エジンバラの方が来られた時に
本当に何を言ってるか全然わからなくなっちゃって
社長に言われたら
大丈夫ですか?
これってなんて言ってるんですか?
わかんないけど多分こういうことだと思う
みたいな話をしてて
社長はベラベラなんですけど
それありましたね
でもなんとか話してる内容の方向性は
ミーティングとかメインしてる時は同じだから
それで理解しながらっていうのがありますね
Takuya Oikawa
そうですよね
今日の話
私の注入病の話じゃないですか
Mika Ueno
大岡さんの歴史の話を
Takuya Oikawa
それに関係するんですけど
私実際にマイクロソフトの本社に
20代後半に1年間出向して
Windowsの開発のチームに入ったんですけど
そこで行くまで
自分は英語ができるって勘違いしてたんですよ
それはなぜかというと
私の中高一貫校に行ってたんですけど
70年代80年代にしては
すごい聞く話すっていうことに
重きを置いた英語の授業をしてくれていた
英語の授業数もすごく多かったんですけど
そういった学校だったんですね
外人の先生もいらっしゃって
っていうところでやってたから
きっとそういった耳とかは
英語の耳にできてるし
発音もそこそこいいに違いないと思い
でも別に英語の試験そんなに良かった
悪くはなかったけど
大学とかの英語ってそんなに良くなかったし
でも僕は耳がいいと思って
当時今みたいに
ウェブとかインターネットなかったんですけれども
イングリッシュジャーナルって今でもある
アルクの本があるじゃないですか
あれって昔カセットテープが
毎回ついてきていて
そこで有名人のインタビューとか書いてたんですよ
それとかあとは今でいうAFNっていう
12:02
Takuya Oikawa
日本に駐留している米軍向けの
ラジオ放送があると思うんですけれども
昔FENって言うんですね
FENを聞いて英語を学ぼうみたいな本とかがあるから
FENもずっと分かんない中に聞いてるから
中身なんか全く分かんないですよ
でも英語が流れてるのを自分は聞いてるから
きっと英語ができると思い込んでたんですよ
しかも最初に入った会社が
オイカーオマエ、オーストラリアから2人
エンジニアが日本に来ていると
あるプロダクトを日本はまだあまり理解してなかったんで
そのスペシャリストの人をオーストラリアから送ってもらったから
オマエその2人と一緒に働けって
新卒でいきなりつけられて
ブロークンな英語でその2人と会話してて
コミュニケーション成り立って色々教えてもらった
仲良く見もらったんですよ
そういうことがあるから
俺はきっと英語できると思って
1年間ワシントン州シアトルから
ちょっと離れたレドモンドっていう街
その隣のペルビューっていうところの
そこに1年間行ったんですけど
いやー行ってみたら
全く英語ができないってことに気付いて
俺はこの土地でどうやって
暮らし仕事をしていくんだろうと思ったんですよね
でも1年も行ったらそことこう
どうにかコミュニケーションできるようになって
ただこれじゃまずいと思って
それからちゃんと勉強するようになって
自分はトイックをある意味ベンチマークして
トイックって産品両論あるじゃないですか
トイックできるからといって
必ずしも英語ができると限らない
その通りなんだけれども
ところでトイックってほぼ日本人向けで
日本人と韓国人しか使ってないような
試験になってるんで
日本人が間違いやすいような文法とかって
試験問題にたくさん入れてくれてるんで
トイックの点が良ければ
そこそこやっぱりちゃんと英語力がついてるんですよね
そういう試験って私好きだったんで
これで次は何点取る
次は何点取るっていう風に周りに宣言し
それをひたすら有限実行の形で
発生していくっていうのを数年間繰り返したんですね
最後満点取るって言ったんだけど
満点はいかないで
965点まで取れたんですよ
あれ990点が一応
すごいですね
だから本当は990点取って終わりにしたいんだけど
次やったら点が下がる可能性が
めちゃくちゃ高いと思ったんですね
965って多分5問ぐらい間違えてるかな
2、3問間違えただけでも
満点には取れるらしいんですけど
要は次やった時に点数下がるってのは
これは許されないから
かなり自信がある時じゃないと
もう一回受けるのはやめようと思って
もうちょっとしばらく受けてないんですけど
でもそんな感じで
許されないっていうのがおかしいし
勘違いして英語ができると思っていて
自分は人とは違うんだと思っていて
実際そうじゃないってことに気づき
でもじゃあちゃんと勉強しなきゃいかんということで
勉強していくっていうのも
基本僕のようにその繰り返しなんですよ人生が
なんで英語とかその最たる例だなーって
思ったりはしてましたね
Mika Ueno
その勘違いがものすごいエネルギーというか
15:01
Mika Ueno
アクセルになってるんですね
Takuya Oikawa
そうなんです
親の教育が良かったのか悪かったのか
私は小さい時に大病して
肺結晶っていう病気なんですけれども
これになってしまって
乳幼児がかかると7割くらい死んじゃう病気だったんですよ
今でも結構乳率が高いんじゃないかなと思うんですけど
それ生き残ったんですが
良くなって
ただ体がその後すごい脅弱体質になってしまって
病気も良くするようになって
正直親はこの子は長く生きないんじゃないかなとか
と思ってたところもあるかもしれないし
なんですごいこうある意味過保護にふたってられたし
あと自分はすごい問題児だったんですけど
今だったら多分
いろんな病名つけられちゃったんじゃないかな
と思うんですけれど
親がそういうのをかばってくれて
これはこの子の障害だとかじゃなく
特徴だっていうふうに言ってくれて
幼稚園だとか学校とかで問題起こすたびに
先生と戦ってくれてたんですよね
親がそういうことを言うのを
子供は嬉しいなと思う反面
勘違いしたんですよ
親はこの子は問題じゃない特徴だっていうのは
俺は特殊なんだと思っちゃって
きっと他のことは違うんだ
昔ゆりげらとかそういったのが出てきて
超能力っていうのが出てきたときに
僕にはきっとこれがあるはずだと思って
ずっとやってたりとか
なんかできなかったとしても
これはいつかできるようになるはずだから
っていうふうに思ったり
自分はなんかサムシングスペシャルな存在だ
っていうふうに
ずっと親から
母からするとそんなこと言った覚えはないの
僕は勝手に勘違いしただけなんだけれども
暗示をかけられたような
幼稚園と小学校自体を過ごしてしまったんで
それがその後もずっと引きずってて
なんか自分は特別だから
きっとすごいことができるに違いない
こういうの中二病じゃないですか
Nobuhiro Seki
中二になる前から中二病って結構
幼稚園小学校ぐらいからずっと中二病ってことですか?
Takuya Oikawa
それで社会人になってもそうだったんで
僕だからある意味プロの中二病ですよ
職業中二病な状態なんですよ
Nobuhiro Seki
職業欄に書いたらどうですか?中二って
Takuya Oikawa
ただ自分の偉いところが
やっぱりどっかで気づいたんですよ
それは当たり前ですよね
だんだんと中学高校で
最初のうちは俺はおつかきの桜だからだとか
大器晩成型ってあるよねって言いながらも
別に大学になっても
やっぱりそんなに成績伸びるわけでもなく
どうしようと思った時に
これは努力しなきゃいかんなっていうのを
大学ぐらいからやっと思い始めるわけですよ
遅すぎですよね
僕はやっぱり中高一巻校行って
そのままストレートで大学に上がれちゃったんで
努力しなくても
なめた人生を過ごせちゃったわけですよ
バブル期だったから
なめたままそのまま社会人になり
18:00
Takuya Oikawa
ってことができたんだけれども
親父が大学2年の時に病気で倒れ
1年の当病の結果なくなってっていう時に
親父が病気やまいを抱えながら
仕事人間だったんで
職場に通って
小さい会社の社長を最後はやったんですけれども
それを全うしてる姿とかを見たら
これはなんかやらなきゃいかんなと思い始めて
ちょうどその時に自分の研究で
必要になってたコンピュータープログラミングを
ちゃんと今後進めてやろう
っていうふうに思ってやり始めて
っていうあたりから
やっと努力し始めるようになったんですよ
Nobuhiro Seki
コンピューターを使い始めたのって
大学からってことですか
Takuya Oikawa
大学なんですね
うちの親父がまた変わった人で
親父はもともと理系の技術系の人間で
土木設計師なんですね
結構彼の影響はすごい強いんですけれども
有名な道路だとか橋だとかっていうのを作ってて
あんまりちゃんと教えてもらわなかったんですけど
いくつかは今でも残ってて有名なものがあったりするので
これは親父が作ったものだっていうのを知ってて
それもあって私はなんか
社会に残るような仕事をしたいなっていうふうに
実は大学から社会になると思ったんですけれども
この親父が偏屈な人で
本当にザ・昭和の親父っていう感じで
厳しいわけですよ
子供との接し方もあんまり知らない人で
幼稚園とか小学校の頃って
母親が土日働いてて幼児教育をやってたんですけれども
いない時がたまにあったんですけれども
親父と二人きりになるんですけども
子供との接し方を知らない人だったんですね
なので自分がやりたいのか
子供と一緒にやりたいのか知らないんですけれど
プラモデルを買ってきたりだとか
あとは何か簡単な工作みたいなものをやったりして
っていうので一緒にやるわけですよ
一応やるんですよ
やるんだけど
幼稚園生にプラモデルで
そこそこ難しい戦車だとか
戦闘機とか装置が多かったんですけれど
そんなの作れるわけもなく
一緒にやりながらも
親父がかなりやってくれてたわけですよ
接着剤が乾くまで
「拓也、触っちゃダメだぞ」って言うんだけど
幼稚園の子にそんなこと言われても
わかるわけもなく
「触って壊して怒られ」みたいなことが続き
これは一体どっちの趣味なんだろう?
とか思いながら
怖い人だけど不器用なやり方で
子供と遊んでくれる人
みたいな感じでしか親父はなかったですね
幼稚園の時に
小学校に上がって
私は幼稚園が
ちょっとさっき言った母親の影響で
自宅近くのところではなく
歩いて40分くらいかかる幼稚園に通わされていて
それは情緒教育を先進的に取り入れているところで
21:03
Takuya Oikawa
音楽だとか図工だとか
そういうのをやってくれていたんですけど
そんなところに通うところって
自分の地元の自宅の近くからあんまりいなくて
たまたま女の子ばっかりだったんですよ
私の幼稚園とか小学校の最初の頃の友達で
女の子ばっかりだったんですね
そういうのがあったら親父が
「拓也、男の子なんだから女の子とばっかり遊ぶな」
「男の子は外で野球しろ」みたいなことを言われたりとか
「そんなこと言われても幼稚園に一緒に行ってる女の子だけなんだけどな」
みたいな感じだったりするわけですね
小学校、高学年になって
機械いじりとかがすごい好きになったんですよ
ラジオ工作だとか
いろいろやりたいって言って
当時「初歩のラジオ」っていう雑誌があって
そういったラジオ作りや電子工作みたいなことを
いろいろやってくれている雑誌を読んだりしたら
通信講座で
アマチュア無線の免許を取得できるやつとかあるじゃないですか
そういうのがあったから
「これ受けたいな」って親父に言ったんですよ
そしたら親父は何て言ったと思います?
Nobuhiro Seki
「俺が受ける」
Takuya Oikawa
違うんですよ
拓也はもっともっと内向的なところがあるから
こんなことをやったならば
外に出なくて子守り気になるからダメだ
ってやらせてくれなかったんですね
Nobuhiro Seki
野球と一緒ですって外に出ろと
Takuya Oikawa
そうなんですよ
そうかと思って諦めて
Mika Ueno
諦めちゃったんだ
Takuya Oikawa
諦めました
親父はめちゃくちゃ怖かったんですよ
だから中学時期にする時の志望校も
親父の「親父はつだ大学」だったんですけども
それの系列だということで
「はつだ実業」という学校にほぼほぼ強制的に決められ
Mika Ueno
そこを受けたら受かっちゃって
Takuya Oikawa
入って中学高校を勉強してて
高校1年の時に理系か文系かの選択みたいなことってあるわけですよね
今でもあるみたいで
あれってあんまり意味ないなと私は思うんだけど
でも日本独特のやつで
その時点で文系か理系って決めるじゃないですか
どうと結構文章を書くのが好きだったり
当時中学高校の歴史の先生とか
そのままストレートに上がったら
早稲田大学にも歴史で有名な先生がいて
早稲田大学はちょうどエジプト探検隊をやっていた
吉村作二先生という高校学部の大科がいらっしゃるんですけども
ああいうとこ行きたいなと思ったので
俺は文系だなと
もともと文章を書くの好きで
ジャーナリスト志望もあったので
文系だなと思ったら
当時めちゃくちゃ私と相性が悪かった担任の先生は
及川くんがそんなところに行ったならば
左翼がかった学生にうまくまぶれ込まれて
きっとそういった学生運動とかやっちゃいますよ
お父さんつって
たまたま不計算官に親父が言ってたのが
父さんに言うの?
そうそう
親父は急に内向的になっちゃうから
24:02
Takuya Oikawa
機械人なんかダメだって言ってた人が
同じ口から君は理系が合ってると思うと
言い出して
お前が理系を封印したんだろみたいに思う
強制的に理系にさせられたわけですよ
へー
理系に行って
どっかでコンピューターやったから走ったね
でも面白かったのが
やっぱり中学高校の時に
今で言うパトコンの走りのマイコンみたいなやつが
NECからまた8bitとかだったり
他のメーカーからも出てきたんですよ
やりたいなーと思ったり
あとはポケコンっていうシャープから
関数選択に毛が生えたような
簡単にベーシックができるようなやつが出てきて
それとかもやりたいなーと思ったけれども
高いし
親父がやっぱりそういうのは
あんまりいい顔してなかった
やってなかったんですね
で、その高校3年生の時に
内部進学なんですけども
一応大学の進路が決まったという状態になった時に
これがすごいのが
それまでうちの家って厳しくて
漫画とかを読むことはあんまり心よく思われなかったんですよ
読んではいたんだけれども
いわゆる漫画の単行本とかって
家で買うことがなかったんですね
だけど親父は僕が
大学に進学すること決まったら
すごかったのが
いきなり紙袋いっぱいのコミックを
ボンッと持ってきて
会社の人から面白いって言われてたから
これを読むが良いお前って
Mika Ueno
これを読むが良い?
Takuya Oikawa
そう
何だったんですか?
大学の中で一番好きなのが
Nobuhiro Seki
手塚治虫の『ブッダ』だったんですよ
Takuya Oikawa
おー
何十巻ってあるじゃないですか
あれがいきなり出てきて
その前に僕は『火の鳥』とかをペラペラ読んでたの知ってたんで
多分それから関係してると思って
持ってきてくれたと思うんですけど
全部借りてきて
それを貸した部下の人も
これ持って通勤列車に乗せられたのかなと思うと
かわいそうだなと思ったんだけど
それをボーンッと持って
読んでいいよ
お前からはもうこれから漫画読めって感じにしてきて
もう一つすごかったのが
これをいきなり買ったんですよ
僕はその時リクエストしてなかったのに
大学に入ってあるコンピューターの一つも必要だろうって言って
NEC PC88-01 Mark2っていうのを
ボーンッと持ってきて
これで勉強しろって思ってきて
Mika Ueno
すごいですね
触れ幅っていうか
Nobuhiro Seki
昭和っていうよりも
僕に似たような感じは
おじいさんですよ僕の
僕のおじいさんはちょっとそういう感じの
明治の人ですよ
生まれなんだけど
聞いてると今すごい
そういう不器用さとか
っていうのはちょっとそういう感じはしましたね
でもすごいですね
その触れ幅本当に
Takuya Oikawa
いや本当に
なんかやっぱりね
不器用な人で
子供は工営進路に行ってほしいとかってのがある時に
27:04
Takuya Oikawa
それをちゃんとその何だろう
どの時期に何をっていうのは
彼なりに親父なりに
なんか理由はあるかもしれないけど
そういうのの説明がうまくできなかったり
もしくは順調であって徐々にとかってあるにもかかわらず
1日にして
終戦を境にガーンと日本が急に変わったかのように
なんかそんな感じの感じだったんです
振り回されっぱなして
例えば大学の行き先も学部とか学科も
自分が1回決めたものを
変えさせられて
理工学の資源工学科っていうところにしたのも
こんなマイナーな学科なんて女の子もいないし
和室大学って知ってる人は知ってると思うんですけれども
本部の華やかなバブルの時のキャンパスとは別に
なんかその大久保キャンパスっていうところで
僕は入学するまで行ったこともなかったんですけども
当時はコンクリートの打ちっぱなしっていうと
デザイン系でかっこいいみたいに言われるかも
僕は刑務所かと思うぐらいの
本当に灰色だらけのキャンパスがあるわけですよ
そんなこと言うと失礼いただき
ほぼ男子校みたいなキャンパスなんですね
そこに送られちゃって
僕はもうバブルの絶世紀の時に
当時の和室大学実況っていうのは和室大学の本部に近かったので
そういった華やかなキャンパスを知ってますから
僕はここで遊ぶぞと思ってたのが
そんなところに4年間送られちゃうことになったんだけれども
でも結果的に言うと
やっぱり言ってくるとすごい感謝してて
自分に合った学問をやれてたしっていうのがあるから
死んじゃったから今は自分の中では美化されてるんだけれども
親父に最初の頃は
こうしろああしろっていうふうに言われた通りにやったんだけれども
振り返ってみると自分としても
それがすごい合ってたし楽しかったしっていうのがあるんで
すごい感謝はしてるんですが
最初の方の親父が死ぬまで
その後もしばらくは親父じゃないんですけれども
会社の指示のままっていう感じで
結構自分がないまま
動かされてるところはあったんですけれども
そうかコンピューターなしで言うと
そんな感じで
Mika Ueno
それと中二病のところって勘違いって
お父さんの影響もあると思うんですけど
自分がSomething Specialっていうのって
その時期もあったんですか?
Takuya Oikawa
例えばコンピュータープログラミングにしても
多分みんな普通にプログラマーとして優秀になった人っていうのは
最初は社協のように
当時の雑誌の後ろにあったやつを打ち込んで
ゲームを作ったりしましたとかってやるわけですね
それで自分なりに工夫していったりして
独自のプログラミング
ゲームを作ったりして
プログラミングを学びましたってやるわけじゃないですか
僕も同じようなことやってるわけですよ
当時のThe Basicっていう雑誌の後ろについてるやつ
いろんなやつがあったんですけど
OPCっていうようなやつがあったりとか
何個もあったんですけど
後ろのやつを打ち込むんですけど
苦行なんですよひたすら
苦行なんですね
僕ひたすら容量だけを
良くすることを考えるんで
これは友達がきっと同じことをやってるに違いない
と思ったら
やってるわけですよ
そうしたら悪いんだけど
ちょっとそれフロッピーに落としてとか
フロッピーの前だとカゼットテープなんですけど
30:01
Takuya Oikawa
落としてとかってやると
くれるから
これでいいんじゃねって思って
誰かが作ってくれたものをやる人になったんで
全然やってなくて
ただ基本的な勉強だけはしてたんで
こんなもんいざ必要となったらきっと
できるだろうと
俺は特別だからみたいに思ってたんですけど
いやいやいやいや
そんなことはなくっていうのが
やっぱりしばらくして本当に
僕らの頃C言語が出てきて
その後C言語とかパスカルっていうのが出てきて
もともとフォートランダとかコボルとかっていうのは
一緒なんだけれども
そんなにコンピューターサイエンスよりも
事務処理とか技術処理
技術計算っていうところだけの
それをたまたまコンピューターに処理できるようにした
だけのものなんですけれども
C言語とかパスカルっていうものになってから
こういったものがやっぱりプログラミングっていうのを
体系として学ばなきゃいけないっていう風に
モジュール構造が出てきたりだとか
C言語なんていうのは
本当にそのコンピューターのアッセンブラーに
毛が生えたようなもんだったんで
ちゃんと中の仕組みが分かんない限りは
理解できなかったりするもの
これはなんか完成だけで
適当にやってりゃできんじゃねえ
みたいに思ったやつが
分かんねえぞマジでってなってくるわけですよ
そうするとやっぱり今でもありますけれども
アルゴリズムとデータ構造っていう
基礎の基礎のところ分かんない限りは
これもプログラム書けないなってなって
きたりするわけですよね
なのでそこから学び始めたり
でさっき言ったみたいに
親父が病気になった時に
じゃあコンピューターちゃんと学ぼうと思った時に
手っ取り早く
僕は資格試験とか大好きだったんで
じゃあこれは情報処理試験を取ろうと思って
今と違うんですけど
昔は2週1週特集オンライン
4つしかなかったんですけれども
2週から順番に勉強していったら
面白いし難しいんですよ
なのでこれはちゃんと学ばなきゃいけないと
いつか必要になった時に
適当にやってりゃできるようになるんじゃないな
みたいなもんじゃないなってことが
やっぱり分かった感じだったんですね
Nobuhiro Seki
それ聞くと中二病っていうよりは
最近だと大井川さんとか
例えばOKRとかって言っても
よく出てきたりされますけど
今の資格試験とかも目標を持って取っていくとか
教育やっていくとか
そういう姿を見ると
中二病と割と離れているような印象もあるんですけど
それは内面と外面が違うってことですかね
Takuya Oikawa
でもだからあれなんですよ
中二病っていうのは
一種のある意味
ストレッチゴールを自分の中で持つことを
伝わらないところの最たる例なのかもしれないな
と思うんですよね
自分が特別かもしれないとか
違うことができるかもしれないっていうのは
ある意味ムーンショットを狙うっていうところと
一緒なんじゃないかと思うんですよ
Nobuhiro Seki
やっぱりOKRみたいな感じなんですよね
ストレッチなちょっと難しそうなことでも
俺ならできるって思い込むとこから始まるみたいな
33:01
Takuya Oikawa
そういう感じですね
最初だから俺ならできるっていうのも
具体例がないんですよね
学生の頃とかって別に具体的に何々っていうのは
すごいあるわけじゃないか
もしくはあったとしても遥か彼方なんですよ
本当にあの月に行きたいぐらい
いつか月に行けるといいなと思っていた
原始の日から今に至る人
アポロ計画ある前の我々のような
人間の存在だと思うんですね
行けたらいいな
いつか飛べるかなってぐらいだったのが
社会人になったり
あとはできるってことと
できるために努力が必要で
努力を積むのできるっていうことが
重なった時に今関さん言ったみたいに
OKR的なアプローチを取ることになったし
それを私は取ることが多かったかもしれない
関さん上手いですね
OKRと結びつけるなんて
Nobuhiro Seki
僕そういう記者だった時から
位置を聞いていくつ作るか
みたいなことをいつも考えたんですよ
だからなるべく
いろんな話題のポケットを持っていると
右と左をつなぐみたいなことをすると
みんな「おお」みたいになるじゃないですか
でも一個一個あまり深くなくて
逆なんですよ
だから僕一個一個あまり深くないんで
深く掘っていくと
ある日突然飽きちゃうんですよね
隣の穴がすごい急に
面白いみたいな感じになって
だから穴は結構空いてるんですけど
ちょっとそこら辺はなかなか
ストレッチ行く途中で
飽きたりするみたいなところがありますね
だからなかなかOKRが難しいかもしれない
Takuya Oikawa
そうですね
でもやっぱり何かをやりたいっていう
最初は漠然かもしれない夢とか目標を持ったり
と同時に自分たちはそれができる
何かがあるんじゃないかっていう
根拠が希薄なだけれども
そこに漠然とした自信があったり
っていうところが中二病的なものなのかな
と思いますね
Mika Ueno
ストレッチムーンショットだっていう意識は
当時あるんですかね
自分だったらこうだなっていうふうに
自然に思っているのか
後から振り返った時に
これはストレッチゴール自分にとっては
そうなってるのかもしれないっていう
後から自覚的になるんですかね
Takuya Oikawa
どうなんだろう
でも僕はずっと
小さい時って子供はみんなそうなんじゃないかな
と思うんですよ
例えば野球をやり始めた子とか
サッカーをやり始めた子って
今の自分は無理だけれども
プロになりたいな
プロになれるといいなとかって思ってやってる
多いと思うんですよね
でもみんなどっかで現実を知り
無理だなっていうの分かっちゃうんだと思うんだけど
それが
単に僕はやっぱめっちゃ
精神年齢が低かっただけで
36:00
Takuya Oikawa
現実を知るのがやたら時間かかっただけなのかもしれない
Nobuhiro Seki
僕結構対極的なんですよ
子供の頃みんな宇宙飛行士とか
なりたいものあるじゃないですか
僕なんかね
組織のナンバー2になりたいって言ってたんですよ
Mika Ueno
具体的なすごく
Nobuhiro Seki
ずっとそれはなんだろうと思って調べて
よく社長の懐がたなとか言うじゃないですか
僕がなりたいものは何ですかって言ってたんですよ
懐がたなって言った時期があって
逆に言うとすごい冷めた子供
Mika Ueno
老成した子供ですね
Nobuhiro Seki
それも小学生の時ですね
小学校の時の文章を調べてくると出てくるんですよ
Mika Ueno
そういうのが
Nobuhiro Seki
まさに逆です
僕はストレッチゴールじゃなくて
どっちかっていうと
僕自分が長男で下に妹がいるんですよ
だからいつも最初に新しいことをする時って
当たって
同級生とかお兄ちゃんお姉ちゃんがいると
常に受験があるよとか
色んなこと知ってるじゃないですか
でも何も知らない状況でいつも歩いてるから
割とすごい
注意をして歩くみたいな
何かあった時も周りが本当にどうかみたいなことを
結構調べてから行くみたいな感じで
かなり実は石橋を叩いて歩く系で
それが太る方だってとこに繋がってるんですけど
要はあんまり一番上に立つんじゃなくて
二番目ぐらいであんまり目立たないところで
自分のできることを黙々とするみたいな
そんなイメージを極めて持ってたんですよね
Takuya Oikawa
多分大学2年までそうだったんですよ
Mika Ueno
すごい具体的ですね大学2年までなんだ
Nobuhiro Seki
大学3年の時は留年2回してて
そこで実は自分の思考が180度変わったっていうのがあって
Takuya Oikawa
なるほどね
Nobuhiro Seki
その話はまた次回にとっておきますけど
Takuya Oikawa
僕は多分親が悪いんですよね
親が悪いというかいいというか
やっぱり体が弱かったってことが一つと
僕がやっぱりすごい問題児で
少なくとも中学入ってだいぶマシになったんですが
小学校の間はいろんな先生に
この子は大人になったらすごい子になりますよ
すごい子って褒め言葉じゃないですよ
犯罪とかやるんじゃないかっていうのを
そういうことを小学校の担任にも言われたし
6年生的には塾の先生とか先生からも言われたんですよね
Nobuhiro Seki
どういう方向ですか?
Takuya Oikawa
僕はまず授業を聞かない
でも授業は理解していて
先生にそれを指摘したり問題点を言ったり
先生をバカにしているなどなどですね
39:00
Takuya Oikawa
嫌なやつですよねと考えても
嫌われたんですよだから結構
それでちょっちおふくろが学校に呼び出されて
学校とも対立していたんだけれども
おふくろからそれで怒られたことはないんですよ
先生がおかしいとか学校が悪いとか
常に私がにたって彼女は戦ってくれてたんですね
そういうある意味体が弱くて顔を出し
異常行動をとっていてもそれを
むしろいいことだって言ってくれるっていうのがあると
自分は特別だとか特殊だっていうのを
プラスの方向に考えているんですが
それが続いちゃったんですよねきっと
Nobuhiro Seki
でもやっぱりアメリカにいると
アメリカがみんなそうなのかどうか分からないですけど
やっぱりそういう傾向ってより強いじゃないですか
みんな違う個性だからそれを確実的にするっていうのではなくて
今のまさにうちの例えば
タクヤはこういう子供なんですと
だからそれで受け入れてくださいねっていうのがある意味
今いると当たり前だし
そういう環境にいると
特に僕も今スタートアップの投資してますけど
スタートアップの人たちってやっぱり
そういうふうにしないと
普通の枠には収まらない人が多いんで
やっぱりそういうふうにしないとすぐ
シューンとしちゃうっていうか
やっぱりそれはすごい親御さんが
ある意味少し先取りした形で
それが今逆にアメリカの会社の方が
フィットしてるっていうところにつながってるのかなとも思ってますよね
Takuya Oikawa
そうなんですよね
日本の企業に普通に勤めてたらどうなったんだろうっていうふうに
考えることもたまにあるんですよね
で、なんだろうな
部長とかって呼ばれたこともないし
自分の個室を持って仕事してるようなこともないし
なった時に
もし大学を出て社会人になる時に
入る会社が違う会社だったりとかって考えたら
こういった別の人生もあったのかなと思うことはあるんですよ
でも一瞬そう思うだけで
全然それ羨ましい
そういった会社にいて
そういうポジションにいる人を
バカにしてるわけでは全くなく
自分に向いてるかどうかって言うと
やっぱ違うなって思って
結構やっぱり人と違う生き方をしちゃってるのは
さっき言ったみたいに
自分が特殊だって思い込まされて
その暗示が今たり解けてないかのかもしれないし
一方でそれを心地よく思ってるんだろうな
っていうふうに思ってますね
それはすごい感じることはありますね
Mika Ueno
お母さんの影響っていうか
いつも擁護してくれたっていうのは大きそうですね
Takuya Oikawa
そうなんですよ
だから今年の春にちょっと亡くなって
高齢でも老齢で老衰で亡くなった形なんですけれども
42:05
Takuya Oikawa
だけど本当にその時にいろいろ思い出したけど
本当に親父もそうですけど
ご袋にはとても感謝しています
ちょっとそこでの私に対する接し方が違ってたら
もっともっと違う性格になってたんだろうなと思います
この間ちょっとあれなんですよ
Googleの時の後輩というか
久しぶりにご飯食べて
お袋の死んだ話とかしたり
自分が今やってることとかあったりして
倉岡さんって言うんですけれども
彼に倉岡さんなんか僕多分そう見えないと思うんですけれど
実は子供の頃結構問題児って言われていて
母親がいろいろかばってくれて
お母さん今でも全然見えますよって言われて
普通じゃないですって言われたんですよ
お母さんなんか常に尖ってるというか反発してて
革命家みたいな感じで見えますって言われて
えーそうなの?と思ったんだけど
Mika Ueno
ずっと継続中ですね
Takuya Oikawa
いやいやなんかボトなしくて争いも好まない
好むんですけれど
見た目は好まないようにしてるつもりだったんだけど
見る人は見られてるんだなと思って
Nobuhiro Seki
一緒に業務をしてるとその辺は分かっちゃうんじゃないですかね
そうかもしれないですね
人当たりがいいことと新しいことにチャレンジしてるのって
別に両立するじゃないですか普通に
Takuya Oikawa
確かに
Mika Ueno
私もお会いしてからずっとその印象変わんないですね
Takuya Oikawa
笑いながら厳しいことがガンガン言ってくるよねって
今一緒に働いているVC立ち上げ会社の代表が
Mika Ueno
今ちょっと音が途切れちゃったんですけど何て言いましたっけ
Takuya Oikawa
今一緒にやってるVCが高校の同級生なんですね
VC立ち上げてその代表が高校の同級生なんですけど
そうなんですね
彼からおいかはニコニコ笑いながら
すげーきついことばっか言ってくるよねって言われて
きついことっていうか厳しいことですね
笑いながらフレンドリーなんだけど
言ってることは鋭いとか厳しいっていうことがあるので
確かに昔の部下からおいかはさん目が笑いながら
言ってること怖いんですけどって言われたことがあって
これまずいなダブルスタンダードだなと思ったんですけど
Nobuhiro Seki
それは手段じゃないですか
やっぱり正論を言い方によって聞き方も違うじゃないですか
多分どっちかっていうと厳しいっていうよりも
おいかはさんは正論をちゃんと言ってるっていうような印象なんですよね
どっちかっていうとね
だからそこで相手に合わせて妥協して言わないとかっていうことはあんまりないっていう
それは業務で直接やってると時々怖い時あるかもしれないですけど
でもやっぱり見てるとそこがなくなっていくと
らしさがなくなっちゃうなって思います
特に酔っ払った時とかにもいろいろ出てくるので
45:03
Nobuhiro Seki
一回これ酔っ払ってやると面白いと思うんですけどね
Mika Ueno
前の方がおっしゃったおいかはさんの表って私も全く同じ思いで
いつも穏やかなんですよ穏やかですごくコミュニケーションもすごく上手
その中でそこに乗ってくる言葉はすごく切れ味鋭くて
はっきりおっしゃるじゃないですか
前すごい前ですけどこの会社についてどう思いますかっていうのを
一回ヒアリングをさせていただいた時があって
その時もすごくにこやかにズバーっと切って教えてくれたので
すごくそれは印象的ですね
おいかはさんの印象は私はいつもそうだし全然変わってないです
Nobuhiro Seki
Takuya Oikawa
(字幕視聴ありがとうございました)
45:55

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