00:00
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/pSFnsmYRxTthHjWkRKCEs9Ry8xqis8L8zH6Il9nd.jpg)
Xクロッシング 英語でスクランブル交差点を意味します
趣味も世代も住んできた街も違う3人が
スクランブル交差点で出会うように
様々な話題を行き交わせるおしゃべりの交差点です
今日のXクロッシングであなたが出会うのはどんな話題でしょう
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
プロダクトマネジメントとプロダクト開発組織づくりを専門とする及川です
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/Ub9nn6Ge6gkEi7jSOEVRiw6vhbjU93oxNbLq8BQ9.png)
アメリカ ニューヨークでスタートアップ投資をしております関です
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/pSFnsmYRxTthHjWkRKCEs9Ry8xqis8L8zH6Il9nd.jpg)
マーケティング 広報 プロダクトマネジメントをやっている上野美香です
Xクロッシング 今日からこの3人でお届けします
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/Ub9nn6Ge6gkEi7jSOEVRiw6vhbjU93oxNbLq8BQ9.png)
そうか 及川さんってシアトルもそうだし
シリコンバレーもそうだし
どっちも結構ずっとよく出張で行かれてたって感じなんですよね
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
そうですね もともと一番最初は東海岸の会社なんですけどね
そうですね
どこですか 東海岸
ボストンですね デックっていう会社はマサチューセッツとニューハンプ社に
本社や開発拠点を持ってた会社で
あんまり行ってなかったですけど数回行って
すごい街並みも綺麗で歴史があるのでいい雰囲気なんですけれど
私は当時あんまり英語ができなかったんですけれど
人間扱いされなく それで僕は東海岸すっかり嫌いになり
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/pSFnsmYRxTthHjWkRKCEs9Ry8xqis8L8zH6Il9nd.jpg)
そうなんですね
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
でもその後グーグル入ってから ワシントンDCとかニューヨークに行った時には
多少英語が喋れるようになってたら
そしたら結構いろいろ楽しんでて
スミソニア博物館とかあそこたくさんあるじゃないですか
スミソニアなんとかって 全部タダじゃないですか
めちゃくちゃ面白かったですね
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/Ub9nn6Ge6gkEi7jSOEVRiw6vhbjU93oxNbLq8BQ9.png)
いやでも僕も今日
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/pSFnsmYRxTthHjWkRKCEs9Ry8xqis8L8zH6Il9nd.jpg)
いや私大井川さん留学とかガンガンして
もう英語バッチリでっていう風にずっと思ってました
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
全くそんなことないです
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/pSFnsmYRxTthHjWkRKCEs9Ry8xqis8L8zH6Il9nd.jpg)
そうなんだ
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
全然喋れなくてよくあんな仕事してるなと
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/Ub9nn6Ge6gkEi7jSOEVRiw6vhbjU93oxNbLq8BQ9.png)
西津東って本当違いますよね
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
違います
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/Ub9nn6Ge6gkEi7jSOEVRiw6vhbjU93oxNbLq8BQ9.png)
僕も今日ちょっとねカイロプラクティックに行ってたんですけど
そこで昔のニューヨークの話とか出てきて
僕ニューヨークって最初来た時90年代だったんですけど
もう誰も笑わないっていう印象しかなくて
ホテルとかチェックするんでもブスッとした人がいて
愛想笑いとか一回もなくて
その後に西海岸に行くとなんかすごいもう
心が洗われるような笑顔ですごいフレンドリーで
ゆっくり喋ってくれてっていう
なんかそういう印象しかなかったんですけど
21世紀っていうかテロの後ぐらいにニューヨークに来たら
全然雰囲気変わってて
みんなすごいフレンドリーになって
ニコニコみたいな感じになって
これは何が起きたんだろうななんて
03:02
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/Ub9nn6Ge6gkEi7jSOEVRiw6vhbjU93oxNbLq8BQ9.png)
ずっと思ってましたみたいな話をしてて
そうそうみたいな話をしててちょっと煽り合わせたんですけど
何が起きたんだった?
どうなんでしょうね
最初はだからやっぱり
ソーシャルメディアとか関係あるのかなとか
ちょっと思ったりもしたんですよ
やっぱりちょっとそれよりは早いかなっていう気もしてて
でもなんかやっぱりソーシャルメディアとかテレビとか
みんなそうですけどやっぱり
方言とかアクセントとかもやっぱりそういうのがあると
どんどんなくなっていくとかって言うじゃないですか
でやっぱりこう
そういうフレンドリーさとか多様さっていうのも
関係してるのかなとかって思ったんですけど
なんかあんまりこう実は深く考えたことなくてですね
ちょっと確かにこれ次まで調べておこうかな
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
確かに
なんかやっぱり言葉も
人々の接し方
接しられ方っていうのも
アメリカでも時によって全然違いますよね
私一番最初に
23歳か4歳かなで出張行った時が
ボストンからもうちょい北に行った
でもいずれにしろマサチューセッチューのところだったんですけれども
さっき言ったみたいに英語があんまり喋れなくて
人間扱いされなくて怖いとこだなと思ったんですけれど
そのままその出張って2週間の出張で
その後南部のノースカロライナ州のシャーロット
っていうところに1週間行ったんですよ
そっちはまた違う意味で言葉に苦労して
英語の下手な僕でもこの人たちの英語は何かが違うっていうぐらい
やっぱ南部なまりがすごいきつかったんですよ
僕がいたそのノースカロライナシャーロットっていうところのオフィスには
南部出身でない人もたくさんいて
そこでちょっと若い女性と彼女のボーイフレンドっていう人と
3人で飯を食べて
ボーイフレンドはそのノースカロライナ州南部出身で
女性社員の方はどっかその北部の方の英語が私にまだ分かる人だったですね
3人でご飯食べてて私はブロークンな日本語なまりの片言の英語で
その女性社員は比較的真っ当な英語で
南部なまりの人は私からすると何やってるか分からなくて
そうすると私が喋ったのを女の子が翻訳し
彼に伝えてくれて
彼が喋ったやつをまた翻訳して私に教えてくれっていう変な状況になって
英語って深いなと思ったし
なんか言葉が通じないっていうのも
多分私じゃなくても普通にありえるんだなっていうふうに思ったんですよね
その後西海岸の会社に移り
最初はシアトルだったので若干違ったんですけれども
シリコンバレーの方に行ったならば
ヒスパニック系の人が非常に多くて
スペイン語しか喋れないアメリカ人っていうのがたくさんいるとこだったんですよね
06:01
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
そうするとそこはそこでまた英語が通じない人たちが普通にいるなっていうのが分かって
なので英語は当然流暢に話せた方がいいなと思いつつ
これは最後は言葉はどうでもいいから
意思を伝えようとするその努力が大事なんだなっていうところを学び
学んじゃうと英語を一生懸命伸ばそうとする
努力をしなくていいっていうふうに
下手に自分の中で解釈する甘いタッチとかいて
いまだに英語があまり伸びない
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/pSFnsmYRxTthHjWkRKCEs9Ry8xqis8L8zH6Il9nd.jpg)
伝わるって感じになっちゃうんですよね
そんな歴史がそうなんだ
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/Ub9nn6Ge6gkEi7jSOEVRiw6vhbjU93oxNbLq8BQ9.png)
でも英語ってそういうとこありますよね
僕もイギリスにちょっとだけ留学してたことがあるんですけど
20年ちょっとぐらい前
知り合いとその友達とかだと
本当にシティのパブみたいなとこ行ったんですけど
全部で8人か9人いて
全員国籍が違ったんですね
でも僕以外は全員英語が一生母国語っていう状況だったんですけど
アメリカ人カナダ人イギリス人
ニュージーランドオーストラリア南アフリカ
あとイタリアとイギリスのハーフみたいな感じで
やっぱりオーストラリアとかニュージーランドの人があって
何ていうかわかんないですね正直僕とかで
だからやっぱり英語の母国の人だとみんなわかるんだよねとか
隣の彼女に聞いたら
いや俺もまあ2,3割ぐらいしかわかんないんだけどねとか
でも一応ニコニコしながら話し合わせてるだけで
俺に聞いても無駄だよとか言われて
そっかそんな感じでみんな話してるんだなっていう風に
僕もそう思って
あんまり発音がなんだ気にしなくても
だいたいその時もお酒飲んでる時もあって
とにかくちょっと話が伝わらなかったりするのも
ジェスチャーでこっち見ろみたいな感じでやれば
だいたい聞いてくれるし
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
わかんなかったら何回も聞いてくれるし
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/Ub9nn6Ge6gkEi7jSOEVRiw6vhbjU93oxNbLq8BQ9.png)
面白くなかったらスッと流してくれるしっていう
そんな感じでいいんだっていうのはやっぱり
僕もその時にすごい思って
でも気にするのやめましたけどね
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
いや本当にそうなんですよ英語喋られてて
多分相手からしてもこいつの言ってるのは何語だって
一生懸命英語喋ってるつもりなのに
英語と理解されないことって悲しくなるじゃないですか
でもそれ別に日本人の英語だけじゃなくて
普通にあるなっていうのが
私もイギリスにロンドンに遊びに行ったことがあって
12月だったんですけども
ハイトパークってあるじゃないですか
綺麗な公園が
あそこで夜何かのフェスティバルみたいなのやってたから
面白いから遊びに行きました
テントの中で寒いけれども飲み物売ってて
ビールを買った買おうと思ったんだけど
そこにいたちょっと高齢の女性のスタッフの人方が
喋ってる言葉がどう聞いても英語に聞こえないから
私は他の国の人に間違えられて
その言葉で喋ってるのか
もしくはその人が英語を喋んない人なのかと思って
09:02
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
近くにいたイギリス人に
ちょっと彼女の言葉が分かんないんだけど
つったら俺も分かんないけど
なんか英語だよと思うよって聞いてるんだけどね
どうにかしてコミュニケーションをしてるんだけど
こういうもんだんだなっていうふうに思って
いやー言葉って深いなと思いますよ
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/pSFnsmYRxTthHjWkRKCEs9Ry8xqis8L8zH6Il9nd.jpg)
本当ですね
私も英語って留学したこともないし
英会話学校でずっとなってそれもないんですよ
でも外資系企業に仕事する機会が恵まれたから
それでもうなんとかがけっぷちで
いつもやってたみたいな感じなんですけど
最終にエンジニアとしてSEをやってた時に
同僚というか一緒に仕事をする中に
インドの方がいらして
インドの名前もすごい強かったので
うまっと思ったんですけど
でも同じ例えばデータベースとか
いろんな話をして
同じプロトコルがあるから
それで理解してっていうのはありましたよね
あとIRの仕事をしてた時に
イギリスに社長と一緒に行ったんですけど
その時にエジンバラの方が来て
いろんな方がこれがイギリスの英語なんだな
と思いつつ聞いたんですけど
エジンバラの方が来られた時に
本当に何を言ってるか全然わからなくなっちゃって
社長に言われたら
大丈夫ですか?
これってなんて言ってるんですか?
わかんないけど多分こういうことだと思う
みたいな話をしてて
社長はベラベラなんですけど
それありましたね
でもなんとか話してる内容の方向性は
ミーティングとかメインしてる時は同じだから
それで理解しながらっていうのがありますね
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
そうですよね
今日の話
私の注入病の話じゃないですか
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/pSFnsmYRxTthHjWkRKCEs9Ry8xqis8L8zH6Il9nd.jpg)
大岡さんの歴史の話を
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
それに関係するんですけど
私実際にマイクロソフトの本社に
20代後半に1年間出向して
Windowsの開発のチームに入ったんですけど
そこで行くまで
自分は英語ができるって勘違いしてたんですよ
それはなぜかというと
私の中高一貫校に行ってたんですけど
70年代80年代にしては
すごい聞く話すっていうことに
重きを置いた英語の授業をしてくれていた
英語の授業数もすごく多かったんですけど
そういった学校だったんですね
外人の先生もいらっしゃって
っていうところでやってたから
きっとそういった耳とかは
英語の耳にできてるし
発音もそこそこいいに違いないと思い
でも別に英語の試験そんなに良かった
悪くはなかったけど
大学とかの英語ってそんなに良くなかったし
でも僕は耳がいいと思って
当時今みたいに
ウェブとかインターネットなかったんですけれども
イングリッシュジャーナルって今でもある
アルクの本があるじゃないですか
あれって昔カセットテープが
毎回ついてきていて
そこで有名人のインタビューとか書いてたんですよ
それとかあとは今でいうAFNっていう
12:02
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
日本に駐留している米軍向けの
ラジオ放送があると思うんですけれども
昔FENって言うんですね
FENを聞いて英語を学ぼうみたいな本とかがあるから
FENもずっと分かんない中に聞いてるから
中身なんか全く分かんないですよ
でも英語が流れてるのを自分は聞いてるから
きっと英語ができると思い込んでたんですよ
しかも最初に入った会社が
オイカーオマエ、オーストラリアから2人
エンジニアが日本に来ていると
あるプロダクトを日本はまだあまり理解してなかったんで
そのスペシャリストの人をオーストラリアから送ってもらったから
オマエその2人と一緒に働けって
新卒でいきなりつけられて
ブロークンな英語でその2人と会話してて
コミュニケーション成り立って色々教えてもらった
仲良く見もらったんですよ
そういうことがあるから
俺はきっと英語できると思って
1年間ワシントン州シアトルから
ちょっと離れたレドモンドっていう街
その隣のペルビューっていうところの
そこに1年間行ったんですけど
いやー行ってみたら
全く英語ができないってことに気付いて
俺はこの土地でどうやって
暮らし仕事をしていくんだろうと思ったんですよね
でも1年も行ったらそことこう
どうにかコミュニケーションできるようになって
ただこれじゃまずいと思って
それからちゃんと勉強するようになって
自分はトイックをある意味ベンチマークして
トイックって産品両論あるじゃないですか
トイックできるからといって
必ずしも英語ができると限らない
その通りなんだけれども
ところでトイックってほぼ日本人向けで
日本人と韓国人しか使ってないような
試験になってるんで
日本人が間違いやすいような文法とかって
試験問題にたくさん入れてくれてるんで
トイックの点が良ければ
そこそこやっぱりちゃんと英語力がついてるんですよね
そういう試験って私好きだったんで
これで次は何点取る
次は何点取るっていう風に周りに宣言し
それをひたすら有限実行の形で
発生していくっていうのを数年間繰り返したんですね
最後満点取るって言ったんだけど
満点はいかないで
965点まで取れたんですよ
あれ990点が一応
すごいですね
だから本当は990点取って終わりにしたいんだけど
次やったら点が下がる可能性が
めちゃくちゃ高いと思ったんですね
965って多分5問ぐらい間違えてるかな
2、3問間違えただけでも
満点には取れるらしいんですけど
要は次やった時に点数下がるってのは
これは許されないから
かなり自信がある時じゃないと
もう一回受けるのはやめようと思って
もうちょっとしばらく受けてないんですけど
でもそんな感じで
許されないっていうのがおかしいし
勘違いして英語ができると思っていて
自分は人とは違うんだと思っていて
実際そうじゃないってことに気づき
でもじゃあちゃんと勉強しなきゃいかんということで
勉強していくっていうのも
基本僕のようにその繰り返しなんですよ人生が
なんで英語とかその最たる例だなーって
思ったりはしてましたね
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/pSFnsmYRxTthHjWkRKCEs9Ry8xqis8L8zH6Il9nd.jpg)
その勘違いがものすごいエネルギーというか
15:01
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/pSFnsmYRxTthHjWkRKCEs9Ry8xqis8L8zH6Il9nd.jpg)
アクセルになってるんですね
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
そうなんです
親の教育が良かったのか悪かったのか
私は小さい時に大病して
肺結晶っていう病気なんですけれども
これになってしまって
乳幼児がかかると7割くらい死んじゃう病気だったんですよ
今でも結構乳率が高いんじゃないかなと思うんですけど
それ生き残ったんですが
良くなって
ただ体がその後すごい脅弱体質になってしまって
病気も良くするようになって
正直親はこの子は長く生きないんじゃないかなとか
と思ってたところもあるかもしれないし
なんですごいこうある意味過保護にふたってられたし
あと自分はすごい問題児だったんですけど
今だったら多分
いろんな病名つけられちゃったんじゃないかな
と思うんですけれど
親がそういうのをかばってくれて
これはこの子の障害だとかじゃなく
特徴だっていうふうに言ってくれて
幼稚園だとか学校とかで問題起こすたびに
先生と戦ってくれてたんですよね
親がそういうことを言うのを
子供は嬉しいなと思う反面
勘違いしたんですよ
親はこの子は問題じゃない特徴だっていうのは
俺は特殊なんだと思っちゃって
きっと他のことは違うんだ
昔ゆりげらとかそういったのが出てきて
超能力っていうのが出てきたときに
僕にはきっとこれがあるはずだと思って
ずっとやってたりとか
なんかできなかったとしても
これはいつかできるようになるはずだから
っていうふうに思ったり
自分はなんかサムシングスペシャルな存在だ
っていうふうに
ずっと親から
母からするとそんなこと言った覚えはないの
僕は勝手に勘違いしただけなんだけれども
暗示をかけられたような
幼稚園と小学校自体を過ごしてしまったんで
それがその後もずっと引きずってて
なんか自分は特別だから
きっとすごいことができるに違いない
こういうの中二病じゃないですか
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/Ub9nn6Ge6gkEi7jSOEVRiw6vhbjU93oxNbLq8BQ9.png)
中二になる前から中二病って結構
幼稚園小学校ぐらいからずっと中二病ってことですか?
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
それで社会人になってもそうだったんで
僕だからある意味プロの中二病ですよ
職業中二病な状態なんですよ
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/Ub9nn6Ge6gkEi7jSOEVRiw6vhbjU93oxNbLq8BQ9.png)
職業欄に書いたらどうですか?中二って
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
ただ自分の偉いところが
やっぱりどっかで気づいたんですよ
それは当たり前ですよね
だんだんと中学高校で
最初のうちは俺はおつかきの桜だからだとか
大器晩成型ってあるよねって言いながらも
別に大学になっても
やっぱりそんなに成績伸びるわけでもなく
どうしようと思った時に
これは努力しなきゃいかんなっていうのを
大学ぐらいからやっと思い始めるわけですよ
遅すぎですよね
僕はやっぱり中高一巻校行って
そのままストレートで大学に上がれちゃったんで
努力しなくても
なめた人生を過ごせちゃったわけですよ
バブル期だったから
なめたままそのまま社会人になり
18:00
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
ってことができたんだけれども
親父が大学2年の時に病気で倒れ
1年の当病の結果なくなってっていう時に
親父が病気やまいを抱えながら
仕事人間だったんで
職場に通って
小さい会社の社長を最後はやったんですけれども
それを全うしてる姿とかを見たら
これはなんかやらなきゃいかんなと思い始めて
ちょうどその時に自分の研究で
必要になってたコンピュータープログラミングを
ちゃんと今後進めてやろう
っていうふうに思ってやり始めて
っていうあたりから
やっと努力し始めるようになったんですよ
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/Ub9nn6Ge6gkEi7jSOEVRiw6vhbjU93oxNbLq8BQ9.png)
コンピューターを使い始めたのって
大学からってことですか
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
大学なんですね
うちの親父がまた変わった人で
親父はもともと理系の技術系の人間で
土木設計師なんですね
結構彼の影響はすごい強いんですけれども
有名な道路だとか橋だとかっていうのを作ってて
あんまりちゃんと教えてもらわなかったんですけど
いくつかは今でも残ってて有名なものがあったりするので
これは親父が作ったものだっていうのを知ってて
それもあって私はなんか
社会に残るような仕事をしたいなっていうふうに
実は大学から社会になると思ったんですけれども
この親父が偏屈な人で
本当にザ・昭和の親父っていう感じで
厳しいわけですよ
子供との接し方もあんまり知らない人で
幼稚園とか小学校の頃って
母親が土日働いてて幼児教育をやってたんですけれども
いない時がたまにあったんですけれども
親父と二人きりになるんですけども
子供との接し方を知らない人だったんですね
なので自分がやりたいのか
子供と一緒にやりたいのか知らないんですけれど
プラモデルを買ってきたりだとか
あとは何か簡単な工作みたいなものをやったりして
っていうので一緒にやるわけですよ
一応やるんですよ
やるんだけど
幼稚園生にプラモデルで
そこそこ難しい戦車だとか
戦闘機とか装置が多かったんですけれど
そんなの作れるわけもなく
一緒にやりながらも
親父がかなりやってくれてたわけですよ
接着剤が乾くまで
「拓也、触っちゃダメだぞ」って言うんだけど
幼稚園の子にそんなこと言われても
わかるわけもなく
「触って壊して怒られ」みたいなことが続き
これは一体どっちの趣味なんだろう?
とか思いながら
怖い人だけど不器用なやり方で
子供と遊んでくれる人
みたいな感じでしか親父はなかったですね
幼稚園の時に
小学校に上がって
私は幼稚園が
ちょっとさっき言った母親の影響で
自宅近くのところではなく
歩いて40分くらいかかる幼稚園に通わされていて
それは情緒教育を先進的に取り入れているところで
21:03
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
音楽だとか図工だとか
そういうのをやってくれていたんですけど
そんなところに通うところって
自分の地元の自宅の近くからあんまりいなくて
たまたま女の子ばっかりだったんですよ
私の幼稚園とか小学校の最初の頃の友達で
女の子ばっかりだったんですね
そういうのがあったら親父が
「拓也、男の子なんだから女の子とばっかり遊ぶな」
「男の子は外で野球しろ」みたいなことを言われたりとか
「そんなこと言われても幼稚園に一緒に行ってる女の子だけなんだけどな」
みたいな感じだったりするわけですね
小学校、高学年になって
機械いじりとかがすごい好きになったんですよ
ラジオ工作だとか
いろいろやりたいって言って
当時「初歩のラジオ」っていう雑誌があって
そういったラジオ作りや電子工作みたいなことを
いろいろやってくれている雑誌を読んだりしたら
通信講座で
アマチュア無線の免許を取得できるやつとかあるじゃないですか
そういうのがあったから
「これ受けたいな」って親父に言ったんですよ
そしたら親父は何て言ったと思います?
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/Ub9nn6Ge6gkEi7jSOEVRiw6vhbjU93oxNbLq8BQ9.png)
「俺が受ける」
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
違うんですよ
拓也はもっともっと内向的なところがあるから
こんなことをやったならば
外に出なくて子守り気になるからダメだ
ってやらせてくれなかったんですね
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/Ub9nn6Ge6gkEi7jSOEVRiw6vhbjU93oxNbLq8BQ9.png)
野球と一緒ですって外に出ろと
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
そうなんですよ
そうかと思って諦めて
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/pSFnsmYRxTthHjWkRKCEs9Ry8xqis8L8zH6Il9nd.jpg)
諦めちゃったんだ
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
諦めました
親父はめちゃくちゃ怖かったんですよ
だから中学時期にする時の志望校も
親父の「親父はつだ大学」だったんですけども
それの系列だということで
「はつだ実業」という学校にほぼほぼ強制的に決められ
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/pSFnsmYRxTthHjWkRKCEs9Ry8xqis8L8zH6Il9nd.jpg)
そこを受けたら受かっちゃって
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
入って中学高校を勉強してて
高校1年の時に理系か文系かの選択みたいなことってあるわけですよね
今でもあるみたいで
あれってあんまり意味ないなと私は思うんだけど
でも日本独特のやつで
その時点で文系か理系って決めるじゃないですか
どうと結構文章を書くのが好きだったり
当時中学高校の歴史の先生とか
そのままストレートに上がったら
早稲田大学にも歴史で有名な先生がいて
早稲田大学はちょうどエジプト探検隊をやっていた
吉村作二先生という高校学部の大科がいらっしゃるんですけども
ああいうとこ行きたいなと思ったので
俺は文系だなと
もともと文章を書くの好きで
ジャーナリスト志望もあったので
文系だなと思ったら
当時めちゃくちゃ私と相性が悪かった担任の先生は
及川くんがそんなところに行ったならば
左翼がかった学生にうまくまぶれ込まれて
きっとそういった学生運動とかやっちゃいますよ
お父さんつって
たまたま不計算官に親父が言ってたのが
父さんに言うの?
そうそう
親父は急に内向的になっちゃうから
24:02
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
機械人なんかダメだって言ってた人が
同じ口から君は理系が合ってると思うと
言い出して
お前が理系を封印したんだろみたいに思う
強制的に理系にさせられたわけですよ
へー
理系に行って
どっかでコンピューターやったから走ったね
でも面白かったのが
やっぱり中学高校の時に
今で言うパトコンの走りのマイコンみたいなやつが
NECからまた8bitとかだったり
他のメーカーからも出てきたんですよ
やりたいなーと思ったり
あとはポケコンっていうシャープから
関数選択に毛が生えたような
簡単にベーシックができるようなやつが出てきて
それとかもやりたいなーと思ったけれども
高いし
親父がやっぱりそういうのは
あんまりいい顔してなかった
やってなかったんですね
で、その高校3年生の時に
内部進学なんですけども
一応大学の進路が決まったという状態になった時に
これがすごいのが
それまでうちの家って厳しくて
漫画とかを読むことはあんまり心よく思われなかったんですよ
読んではいたんだけれども
いわゆる漫画の単行本とかって
家で買うことがなかったんですね
だけど親父は僕が
大学に進学すること決まったら
すごかったのが
いきなり紙袋いっぱいのコミックを
ボンッと持ってきて
会社の人から面白いって言われてたから
これを読むが良いお前って
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/pSFnsmYRxTthHjWkRKCEs9Ry8xqis8L8zH6Il9nd.jpg)
これを読むが良い?
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
そう
何だったんですか?
大学の中で一番好きなのが
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/Ub9nn6Ge6gkEi7jSOEVRiw6vhbjU93oxNbLq8BQ9.png)
手塚治虫の『ブッダ』だったんですよ
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
おー
何十巻ってあるじゃないですか
あれがいきなり出てきて
その前に僕は『火の鳥』とかをペラペラ読んでたの知ってたんで
多分それから関係してると思って
持ってきてくれたと思うんですけど
全部借りてきて
それを貸した部下の人も
これ持って通勤列車に乗せられたのかなと思うと
かわいそうだなと思ったんだけど
それをボーンッと持って
読んでいいよ
お前からはもうこれから漫画読めって感じにしてきて
もう一つすごかったのが
これをいきなり買ったんですよ
僕はその時リクエストしてなかったのに
大学に入ってあるコンピューターの一つも必要だろうって言って
NEC PC88-01 Mark2っていうのを
ボーンッと持ってきて
これで勉強しろって思ってきて
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/pSFnsmYRxTthHjWkRKCEs9Ry8xqis8L8zH6Il9nd.jpg)
すごいですね
触れ幅っていうか
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/Ub9nn6Ge6gkEi7jSOEVRiw6vhbjU93oxNbLq8BQ9.png)
昭和っていうよりも
僕に似たような感じは
おじいさんですよ僕の
僕のおじいさんはちょっとそういう感じの
明治の人ですよ
生まれなんだけど
聞いてると今すごい
そういう不器用さとか
っていうのはちょっとそういう感じはしましたね
でもすごいですね
その触れ幅本当に
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
いや本当に
なんかやっぱりね
不器用な人で
子供は工営進路に行ってほしいとかってのがある時に
27:04
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
それをちゃんとその何だろう
どの時期に何をっていうのは
彼なりに親父なりに
なんか理由はあるかもしれないけど
そういうのの説明がうまくできなかったり
もしくは順調であって徐々にとかってあるにもかかわらず
1日にして
終戦を境にガーンと日本が急に変わったかのように
なんかそんな感じの感じだったんです
振り回されっぱなして
例えば大学の行き先も学部とか学科も
自分が1回決めたものを
変えさせられて
理工学の資源工学科っていうところにしたのも
こんなマイナーな学科なんて女の子もいないし
和室大学って知ってる人は知ってると思うんですけれども
本部の華やかなバブルの時のキャンパスとは別に
なんかその大久保キャンパスっていうところで
僕は入学するまで行ったこともなかったんですけども
当時はコンクリートの打ちっぱなしっていうと
デザイン系でかっこいいみたいに言われるかも
僕は刑務所かと思うぐらいの
本当に灰色だらけのキャンパスがあるわけですよ
そんなこと言うと失礼いただき
ほぼ男子校みたいなキャンパスなんですね
そこに送られちゃって
僕はもうバブルの絶世紀の時に
当時の和室大学実況っていうのは和室大学の本部に近かったので
そういった華やかなキャンパスを知ってますから
僕はここで遊ぶぞと思ってたのが
そんなところに4年間送られちゃうことになったんだけれども
でも結果的に言うと
やっぱり言ってくるとすごい感謝してて
自分に合った学問をやれてたしっていうのがあるから
死んじゃったから今は自分の中では美化されてるんだけれども
親父に最初の頃は
こうしろああしろっていうふうに言われた通りにやったんだけれども
振り返ってみると自分としても
それがすごい合ってたし楽しかったしっていうのがあるんで
すごい感謝はしてるんですが
最初の方の親父が死ぬまで
その後もしばらくは親父じゃないんですけれども
会社の指示のままっていう感じで
結構自分がないまま
動かされてるところはあったんですけれども
そうかコンピューターなしで言うと
そんな感じで
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/pSFnsmYRxTthHjWkRKCEs9Ry8xqis8L8zH6Il9nd.jpg)
それと中二病のところって勘違いって
お父さんの影響もあると思うんですけど
自分がSomething Specialっていうのって
その時期もあったんですか?
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
例えばコンピュータープログラミングにしても
多分みんな普通にプログラマーとして優秀になった人っていうのは
最初は社協のように
当時の雑誌の後ろにあったやつを打ち込んで
ゲームを作ったりしましたとかってやるわけですね
それで自分なりに工夫していったりして
独自のプログラミング
ゲームを作ったりして
プログラミングを学びましたってやるわけじゃないですか
僕も同じようなことやってるわけですよ
当時のThe Basicっていう雑誌の後ろについてるやつ
いろんなやつがあったんですけど
OPCっていうようなやつがあったりとか
何個もあったんですけど
後ろのやつを打ち込むんですけど
苦行なんですよひたすら
苦行なんですね
僕ひたすら容量だけを
良くすることを考えるんで
これは友達がきっと同じことをやってるに違いない
と思ったら
やってるわけですよ
そうしたら悪いんだけど
ちょっとそれフロッピーに落としてとか
フロッピーの前だとカゼットテープなんですけど
30:01
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
落としてとかってやると
くれるから
これでいいんじゃねって思って
誰かが作ってくれたものをやる人になったんで
全然やってなくて
ただ基本的な勉強だけはしてたんで
こんなもんいざ必要となったらきっと
できるだろうと
俺は特別だからみたいに思ってたんですけど
いやいやいやいや
そんなことはなくっていうのが
やっぱりしばらくして本当に
僕らの頃C言語が出てきて
その後C言語とかパスカルっていうのが出てきて
もともとフォートランダとかコボルとかっていうのは
一緒なんだけれども
そんなにコンピューターサイエンスよりも
事務処理とか技術処理
技術計算っていうところだけの
それをたまたまコンピューターに処理できるようにした
だけのものなんですけれども
C言語とかパスカルっていうものになってから
こういったものがやっぱりプログラミングっていうのを
体系として学ばなきゃいけないっていう風に
モジュール構造が出てきたりだとか
C言語なんていうのは
本当にそのコンピューターのアッセンブラーに
毛が生えたようなもんだったんで
ちゃんと中の仕組みが分かんない限りは
理解できなかったりするもの
これはなんか完成だけで
適当にやってりゃできんじゃねえ
みたいに思ったやつが
分かんねえぞマジでってなってくるわけですよ
そうするとやっぱり今でもありますけれども
アルゴリズムとデータ構造っていう
基礎の基礎のところ分かんない限りは
これもプログラム書けないなってなって
きたりするわけですよね
なのでそこから学び始めたり
でさっき言ったみたいに
親父が病気になった時に
じゃあコンピューターちゃんと学ぼうと思った時に
手っ取り早く
僕は資格試験とか大好きだったんで
じゃあこれは情報処理試験を取ろうと思って
今と違うんですけど
昔は2週1週特集オンライン
4つしかなかったんですけれども
2週から順番に勉強していったら
面白いし難しいんですよ
なのでこれはちゃんと学ばなきゃいけないと
いつか必要になった時に
適当にやってりゃできるようになるんじゃないな
みたいなもんじゃないなってことが
やっぱり分かった感じだったんですね
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/Ub9nn6Ge6gkEi7jSOEVRiw6vhbjU93oxNbLq8BQ9.png)
それ聞くと中二病っていうよりは
最近だと大井川さんとか
例えばOKRとかって言っても
よく出てきたりされますけど
今の資格試験とかも目標を持って取っていくとか
教育やっていくとか
そういう姿を見ると
中二病と割と離れているような印象もあるんですけど
それは内面と外面が違うってことですかね
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
でもだからあれなんですよ
中二病っていうのは
一種のある意味
ストレッチゴールを自分の中で持つことを
伝わらないところの最たる例なのかもしれないな
と思うんですよね
自分が特別かもしれないとか
違うことができるかもしれないっていうのは
ある意味ムーンショットを狙うっていうところと
一緒なんじゃないかと思うんですよ
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/Ub9nn6Ge6gkEi7jSOEVRiw6vhbjU93oxNbLq8BQ9.png)
やっぱりOKRみたいな感じなんですよね
ストレッチなちょっと難しそうなことでも
俺ならできるって思い込むとこから始まるみたいな
33:01
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
そういう感じですね
最初だから俺ならできるっていうのも
具体例がないんですよね
学生の頃とかって別に具体的に何々っていうのは
すごいあるわけじゃないか
もしくはあったとしても遥か彼方なんですよ
本当にあの月に行きたいぐらい
いつか月に行けるといいなと思っていた
原始の日から今に至る人
アポロ計画ある前の我々のような
人間の存在だと思うんですね
行けたらいいな
いつか飛べるかなってぐらいだったのが
社会人になったり
あとはできるってことと
できるために努力が必要で
努力を積むのできるっていうことが
重なった時に今関さん言ったみたいに
OKR的なアプローチを取ることになったし
それを私は取ることが多かったかもしれない
関さん上手いですね
OKRと結びつけるなんて
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/Ub9nn6Ge6gkEi7jSOEVRiw6vhbjU93oxNbLq8BQ9.png)
僕そういう記者だった時から
位置を聞いていくつ作るか
みたいなことをいつも考えたんですよ
だからなるべく
いろんな話題のポケットを持っていると
右と左をつなぐみたいなことをすると
みんな「おお」みたいになるじゃないですか
でも一個一個あまり深くなくて
逆なんですよ
だから僕一個一個あまり深くないんで
深く掘っていくと
ある日突然飽きちゃうんですよね
隣の穴がすごい急に
面白いみたいな感じになって
だから穴は結構空いてるんですけど
ちょっとそこら辺はなかなか
ストレッチ行く途中で
飽きたりするみたいなところがありますね
だからなかなかOKRが難しいかもしれない
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
そうですね
でもやっぱり何かをやりたいっていう
最初は漠然かもしれない夢とか目標を持ったり
と同時に自分たちはそれができる
何かがあるんじゃないかっていう
根拠が希薄なだけれども
そこに漠然とした自信があったり
っていうところが中二病的なものなのかな
と思いますね
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/pSFnsmYRxTthHjWkRKCEs9Ry8xqis8L8zH6Il9nd.jpg)
ストレッチムーンショットだっていう意識は
当時あるんですかね
自分だったらこうだなっていうふうに
自然に思っているのか
後から振り返った時に
これはストレッチゴール自分にとっては
そうなってるのかもしれないっていう
後から自覚的になるんですかね
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
どうなんだろう
でも僕はずっと
小さい時って子供はみんなそうなんじゃないかな
と思うんですよ
例えば野球をやり始めた子とか
サッカーをやり始めた子って
今の自分は無理だけれども
プロになりたいな
プロになれるといいなとかって思ってやってる
多いと思うんですよね
でもみんなどっかで現実を知り
無理だなっていうの分かっちゃうんだと思うんだけど
それが
単に僕はやっぱめっちゃ
精神年齢が低かっただけで
36:00
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
現実を知るのがやたら時間かかっただけなのかもしれない
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/Ub9nn6Ge6gkEi7jSOEVRiw6vhbjU93oxNbLq8BQ9.png)
僕結構対極的なんですよ
子供の頃みんな宇宙飛行士とか
なりたいものあるじゃないですか
僕なんかね
組織のナンバー2になりたいって言ってたんですよ
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/pSFnsmYRxTthHjWkRKCEs9Ry8xqis8L8zH6Il9nd.jpg)
具体的なすごく
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/Ub9nn6Ge6gkEi7jSOEVRiw6vhbjU93oxNbLq8BQ9.png)
ずっとそれはなんだろうと思って調べて
よく社長の懐がたなとか言うじゃないですか
僕がなりたいものは何ですかって言ってたんですよ
懐がたなって言った時期があって
逆に言うとすごい冷めた子供
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/pSFnsmYRxTthHjWkRKCEs9Ry8xqis8L8zH6Il9nd.jpg)
老成した子供ですね
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/Ub9nn6Ge6gkEi7jSOEVRiw6vhbjU93oxNbLq8BQ9.png)
それも小学生の時ですね
小学校の時の文章を調べてくると出てくるんですよ
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/pSFnsmYRxTthHjWkRKCEs9Ry8xqis8L8zH6Il9nd.jpg)
そういうのが
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/Ub9nn6Ge6gkEi7jSOEVRiw6vhbjU93oxNbLq8BQ9.png)
まさに逆です
僕はストレッチゴールじゃなくて
どっちかっていうと
僕自分が長男で下に妹がいるんですよ
だからいつも最初に新しいことをする時って
当たって
同級生とかお兄ちゃんお姉ちゃんがいると
常に受験があるよとか
色んなこと知ってるじゃないですか
でも何も知らない状況でいつも歩いてるから
割とすごい
注意をして歩くみたいな
何かあった時も周りが本当にどうかみたいなことを
結構調べてから行くみたいな感じで
かなり実は石橋を叩いて歩く系で
それが太る方だってとこに繋がってるんですけど
要はあんまり一番上に立つんじゃなくて
二番目ぐらいであんまり目立たないところで
自分のできることを黙々とするみたいな
そんなイメージを極めて持ってたんですよね
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
多分大学2年までそうだったんですよ
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/pSFnsmYRxTthHjWkRKCEs9Ry8xqis8L8zH6Il9nd.jpg)
すごい具体的ですね大学2年までなんだ
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/Ub9nn6Ge6gkEi7jSOEVRiw6vhbjU93oxNbLq8BQ9.png)
大学3年の時は留年2回してて
そこで実は自分の思考が180度変わったっていうのがあって
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
なるほどね
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/Ub9nn6Ge6gkEi7jSOEVRiw6vhbjU93oxNbLq8BQ9.png)
その話はまた次回にとっておきますけど
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
僕は多分親が悪いんですよね
親が悪いというかいいというか
やっぱり体が弱かったってことが一つと
僕がやっぱりすごい問題児で
少なくとも中学入ってだいぶマシになったんですが
小学校の間はいろんな先生に
この子は大人になったらすごい子になりますよ
すごい子って褒め言葉じゃないですよ
犯罪とかやるんじゃないかっていうのを
そういうことを小学校の担任にも言われたし
6年生的には塾の先生とか先生からも言われたんですよね
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/Ub9nn6Ge6gkEi7jSOEVRiw6vhbjU93oxNbLq8BQ9.png)
どういう方向ですか?
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
僕はまず授業を聞かない
でも授業は理解していて
先生にそれを指摘したり問題点を言ったり
先生をバカにしているなどなどですね
39:00
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
嫌なやつですよねと考えても
嫌われたんですよだから結構
それでちょっちおふくろが学校に呼び出されて
学校とも対立していたんだけれども
おふくろからそれで怒られたことはないんですよ
先生がおかしいとか学校が悪いとか
常に私がにたって彼女は戦ってくれてたんですね
そういうある意味体が弱くて顔を出し
異常行動をとっていてもそれを
むしろいいことだって言ってくれるっていうのがあると
自分は特別だとか特殊だっていうのを
プラスの方向に考えているんですが
それが続いちゃったんですよねきっと
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/Ub9nn6Ge6gkEi7jSOEVRiw6vhbjU93oxNbLq8BQ9.png)
でもやっぱりアメリカにいると
アメリカがみんなそうなのかどうか分からないですけど
やっぱりそういう傾向ってより強いじゃないですか
みんな違う個性だからそれを確実的にするっていうのではなくて
今のまさにうちの例えば
タクヤはこういう子供なんですと
だからそれで受け入れてくださいねっていうのがある意味
今いると当たり前だし
そういう環境にいると
特に僕も今スタートアップの投資してますけど
スタートアップの人たちってやっぱり
そういうふうにしないと
普通の枠には収まらない人が多いんで
やっぱりそういうふうにしないとすぐ
シューンとしちゃうっていうか
やっぱりそれはすごい親御さんが
ある意味少し先取りした形で
それが今逆にアメリカの会社の方が
フィットしてるっていうところにつながってるのかなとも思ってますよね
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
そうなんですよね
日本の企業に普通に勤めてたらどうなったんだろうっていうふうに
考えることもたまにあるんですよね
で、なんだろうな
部長とかって呼ばれたこともないし
自分の個室を持って仕事してるようなこともないし
なった時に
もし大学を出て社会人になる時に
入る会社が違う会社だったりとかって考えたら
こういった別の人生もあったのかなと思うことはあるんですよ
でも一瞬そう思うだけで
全然それ羨ましい
そういった会社にいて
そういうポジションにいる人を
バカにしてるわけでは全くなく
自分に向いてるかどうかって言うと
やっぱ違うなって思って
結構やっぱり人と違う生き方をしちゃってるのは
さっき言ったみたいに
自分が特殊だって思い込まされて
その暗示が今たり解けてないかのかもしれないし
一方でそれを心地よく思ってるんだろうな
っていうふうに思ってますね
それはすごい感じることはありますね
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/pSFnsmYRxTthHjWkRKCEs9Ry8xqis8L8zH6Il9nd.jpg)
お母さんの影響っていうか
いつも擁護してくれたっていうのは大きそうですね
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
そうなんですよ
だから今年の春にちょっと亡くなって
高齢でも老齢で老衰で亡くなった形なんですけれども
42:05
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
だけど本当にその時にいろいろ思い出したけど
本当に親父もそうですけど
ご袋にはとても感謝しています
ちょっとそこでの私に対する接し方が違ってたら
もっともっと違う性格になってたんだろうなと思います
この間ちょっとあれなんですよ
Googleの時の後輩というか
久しぶりにご飯食べて
お袋の死んだ話とかしたり
自分が今やってることとかあったりして
倉岡さんって言うんですけれども
彼に倉岡さんなんか僕多分そう見えないと思うんですけれど
実は子供の頃結構問題児って言われていて
母親がいろいろかばってくれて
お母さん今でも全然見えますよって言われて
普通じゃないですって言われたんですよ
お母さんなんか常に尖ってるというか反発してて
革命家みたいな感じで見えますって言われて
えーそうなの?と思ったんだけど
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/pSFnsmYRxTthHjWkRKCEs9Ry8xqis8L8zH6Il9nd.jpg)
ずっと継続中ですね
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
いやいやなんかボトなしくて争いも好まない
好むんですけれど
見た目は好まないようにしてるつもりだったんだけど
見る人は見られてるんだなと思って
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/Ub9nn6Ge6gkEi7jSOEVRiw6vhbjU93oxNbLq8BQ9.png)
一緒に業務をしてるとその辺は分かっちゃうんじゃないですかね
そうかもしれないですね
人当たりがいいことと新しいことにチャレンジしてるのって
別に両立するじゃないですか普通に
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
確かに
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/pSFnsmYRxTthHjWkRKCEs9Ry8xqis8L8zH6Il9nd.jpg)
私もお会いしてからずっとその印象変わんないですね
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
笑いながら厳しいことがガンガン言ってくるよねって
今一緒に働いているVC立ち上げ会社の代表が
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/pSFnsmYRxTthHjWkRKCEs9Ry8xqis8L8zH6Il9nd.jpg)
今ちょっと音が途切れちゃったんですけど何て言いましたっけ
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
今一緒にやってるVCが高校の同級生なんですね
VC立ち上げてその代表が高校の同級生なんですけど
そうなんですね
彼からおいかはニコニコ笑いながら
すげーきついことばっか言ってくるよねって言われて
きついことっていうか厳しいことですね
笑いながらフレンドリーなんだけど
言ってることは鋭いとか厳しいっていうことがあるので
確かに昔の部下からおいかはさん目が笑いながら
言ってること怖いんですけどって言われたことがあって
これまずいなダブルスタンダードだなと思ったんですけど
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/Ub9nn6Ge6gkEi7jSOEVRiw6vhbjU93oxNbLq8BQ9.png)
それは手段じゃないですか
やっぱり正論を言い方によって聞き方も違うじゃないですか
多分どっちかっていうと厳しいっていうよりも
おいかはさんは正論をちゃんと言ってるっていうような印象なんですよね
どっちかっていうとね
だからそこで相手に合わせて妥協して言わないとかっていうことはあんまりないっていう
それは業務で直接やってると時々怖い時あるかもしれないですけど
でもやっぱり見てるとそこがなくなっていくと
らしさがなくなっちゃうなって思います
特に酔っ払った時とかにもいろいろ出てくるので
45:03
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/Ub9nn6Ge6gkEi7jSOEVRiw6vhbjU93oxNbLq8BQ9.png)
一回これ酔っ払ってやると面白いと思うんですけどね
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/pSFnsmYRxTthHjWkRKCEs9Ry8xqis8L8zH6Il9nd.jpg)
前の方がおっしゃったおいかはさんの表って私も全く同じ思いで
いつも穏やかなんですよ穏やかですごくコミュニケーションもすごく上手
その中でそこに乗ってくる言葉はすごく切れ味鋭くて
はっきりおっしゃるじゃないですか
前すごい前ですけどこの会社についてどう思いますかっていうのを
一回ヒアリングをさせていただいた時があって
その時もすごくにこやかにズバーっと切って教えてくれたので
すごくそれは印象的ですね
おいかはさんの印象は私はいつもそうだし全然変わってないです
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/Ub9nn6Ge6gkEi7jSOEVRiw6vhbjU93oxNbLq8BQ9.png)
♪
![](https://listen.s3.isk01.sakurastorage.jp/profile-photos/dwk3383bytxbFn59wz0dt3VGTo7ZZv0Jm66IIZRn.jpg)
(字幕視聴ありがとうございました)