1. XCrossing
  2. ep2 根拠のない自信と思い込み..
2022-11-09 39:33

ep2 根拠のない自信と思い込みと業界のチコちゃん

根拠がなくても、思い込みであっても、それが努力することに結びつき、リアルな実力に繋がっていって、世界を変えるかもしれないという話。

  • 親に委ねていた選択
  • 大学2年生を3回やって意識が変わった、社会に出た後なりたいイメージ
  • 臨床心理士と自分の器
  • ITは虚業?
  • NECの工場で、自分はここには向いていない!と思った瞬間
  • 人生の大事な選択肢は誰かからのアドバイスに乗ってきた
  • 日本人はマゾ体質?外圧に叱られて説得しやすくなる構造
  • IT業界のチコちゃん
  • 根拠のない自信をもとにどっかで努力をしてリアルな実力をつけよう
  • ビルゲイツも厨二病
  • 自分たちはできると思い込むことが業界を破壊するものを作る
  • 自分への自信はもっと解放していい
  • 厨二病は人生の目指すべき姿

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XCrossing website https://x-crossing.com/

プロダクトマネジメントとプロダクト開発組織づくりを専門とする及川卓也。アメリカ・ニューヨークでスタートアップ投資する関信浩。マーケティング・広報・プロダクトマネジメントを幅広く手掛ける上野美香。テクノロジー業界で働く3人が、気になる話題を毎回、異なった視点で語り合います。

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関信浩 @NobuhiroSeki
上野美香 @mikamika59

00:00
Mika Ueno
XCrossing 英語でスクランブル交差点を意味します
趣味も世代も住んできた街も違う3人がスクランブル交差点に出会うように
様々な話題を行き交わせるおしゃべりの交差点です
今日のXCrossingであなたが出会うのはどんな話題でしょう
Takuya Oikawa
プロダクトマネジメントとプロダクト開発組織づくりを専門とする及川です
Nobuhiro Seki
アメリカ ニューヨークでスタートアップ投資をしている関信宏です
Mika Ueno
マーケティング広報 プロダクトマネジメントが専門の上野美香です
Nobuhiro Seki
今回のエクスクロースティングは中二病がストレッチゴールを作るという前回の話の続きです
結局外資系ばっかりじゃないですか 最初デッグを選んだのってどうしてたんですか
時期的に言うと選ぶような気もするし
どうしたのかなってちょっと思ったりしますけどね
Takuya Oikawa
なるほど デッグって知らない人も多いと思うので簡単に説明すると
デジタルエクイプメントコーポレーション
DECでデッグって略した会社で
当時はミニコンピューターっていうダウンサイジングっていうメインフレームってめちゃくちゃでかいやつから
ミニコンピューターって大きいんですけどね メインフレームと比べると小さいと
さらにワークステーション パソコンっていうふうにどんどんダウンサイジングが進んでいくときの
一番最初のダウンサイジングがきっかけを作った会社で
1980年代後半にかけて世界第二のコンピューターメーカーになり
私がいた時にはもうすぐIBMを抜くぞって言われてて
そんな勢いのある会社だったんですね
なんでここにしたのかって話なんですけれども
まず大学で私就職活動就活をしたときに
親父がさっき言ったみたいに
それを死ぬまでは私の路線を全部決めてた人なんですよ
拓也理系に行け 拓也和澤大学の理工学部
教育学部の数学科に行こうと思ってたんだけど
そっちじゃなくて理工学部に行くべきだって
学科もここはいいんじゃないかって決めてて
悔しいけど路線に乗ってたら正しかったし楽しかったんで
結構自分の選択って親に委ねてたって
親が決めるところがあったんですよ
でも大学3年生の時に彼が亡くなってしまい
自分で研究室で勉強もしてそれは楽しかったんだけど
いざ社会人になろうっていう時に
まだ当時バブルで世の中華やかで
遊んでる連中も多くっていう中
自分が仕事を一生続けていくって
イメージがなかったりした時に
ふとなんかすごい困っちゃったんですね
僕は当時心理学で
お好み稽古先生って人が言った
モラトリアム機関っていうのが言われてて
若者がモラトリアムな猶予機関を設けてるっていうのがあり
大学卒業してからすぐには
大人として社会に出ようとしない人がいるみたいなこととかも言われてて
03:00
Takuya Oikawa
まさに自分はそういう人だったなって感じたんですよ
で社会人になる時どうしようと思って
お二人社会人になる時って
いきなり自分は社会人で
何やりたいとかどんな会社行きたいって
イメージはあった?
Mika Ueno
いやないですね
私選んだのは
女性っていうのもあると思うんですけど
5年くらい働いてその後どうなるか
人生でわからないので
手に職をつけたいなっていう
そのくらいボヤーっとした感じで
でSEと
でもう一個ファッションとかマスコミ系とかだったんですけど
そういう感じですよ
Nobuhiro Seki
僕は実はその
2年生を4回やってですね
二流してるんですけど
違う2年生3回か
で大学3年生の時に
同級生がみんな社会人1年生になってですね
だからこう
嫌顔でも社会人を意識しちゃってたんで
実は3年生の後半くらいからもう
当時はね今みたいに3年生でインターンとかしてなかった
っていうような時代だったんで
むちゃくちゃ実はその社会
どういうものになりたいかっていうのを意識してて
その時はでも
実は懐がたたになるにはどうすればいいのかっていうのは
まだその時は思っていてですね
だから戦略コンサルティングとか行くともしかしたら
懐がたたみたいになんか隣に座ってアドバイスとかするのかな
みたいな思って
実は戦略コンサルティングも結構受けてるんですけど
でも動き出しがすごい早くてそれは留年してたからっていう
で当時一方で
同級生が就職活動してる時って
最もリクルーティングに企業をお金使ってる時で
一晩何万円とか
そのだから
いきなり同級生から電話がかかってきて
今銀座に飲んでるんだけど
席来ない?とか言われて
何々?とか
僕は大学に行ったの大学から銀座まで近いんですけど
何かと言ったら
一晩一人当たり5万円ぐらいの予算があるんだけど
物は買えないから飲み食いだけ
飲み食いタクシーなんで
ちょっと来ない?みたいな感じで
すごい同級生とかみんな
就職活動中なんですけども
ヘベルケになって
電話かかってきて行ったらいないとかそういうのも普通なんですけど
そういうような時代を見てて
こういうことじゃダメだと
自分が就職する時はもっとちゃんといろいろ考えようと思っていたら
就職が氷河期になってしまって
実際には真面目にやってたおかげで
なんとか氷河期をちゃんと生き残れました
みたいなそういう感じの1年目なんですけど
そういう時代だった
実はすごい考えたんですよ
でもそれはさっき言った
大学2年の時から
108度変わった理由ってのは実はそこなんですね
留年していることによって
06:01
Nobuhiro Seki
自分の立場がすごい変わっちゃったっていう
Mika Ueno
今思い出したんですけど
私大学の時まで臨床心理師になりたかったんですよ
国家資格にあるやつなんですけど
心理学をやりたいって
本当はスポーツ選手のメンタルケアのところから興味が入って
臨床心理の研究室に入ったんですけど
大学3年とかで研究室に入ったら
その先生が臨床心理師の認定を行うような
権威のある先生だったんですけど
その当時異常心理学ってのが流行ったんですよね
テレビドラマとか犯罪心理学とか
ああいうのの関連で
その先生は人の心は使うんですけど
遺書とかいっぱい持ってるんですよ
心を病んでる方とか異常な心理学とか
いろいろ話を聞けば聞くほど
実際の病院での治療の話とか
遺書の話とかを聞いてて
結構打ち読めされるんですね
自分にはその器がないっていうのを
大学3年とかの時にはこれはと思っていて
心理学をやればやるほど
隣の研究室の先生は
自分も病みながら研究をしてるっていうのを繰り返しだったので
そういうのを見てて
自分にはその器がないんだっていうのになって
そのまま大学4年とかになっていたんですよね
心理学は勉強として面白かったんで
その中で社会に出るのかどうだろうかなって
考えた時に出会ったのがコンピューターで
心理学って東京の学問なので
その時にコンピューター
こういう仕事があるんだっていうところ
ポッと出たものなんですけど
それが今に至るまで業界も含めて
その時に出会って
システムエンジニアルの会社に就職することになったんですけど
偶然ではありましたが
良い一つのマイルストーンだったなっていうのは
今思い返して思います
Nobuhiro Seki
でもやっぱり大学ってそういう意味で言うと
人のキャリアを決める場所なんですね
学問がどうかは別にして
やっぱりそういう色んな高校まで
転勤なさり
あんまり人と接してなくても
それに色んな人と接して
色んな転機も来るから
そういう中でキャリア決まってくる
っていうのは確かに
少なくともこの3人はそういう感じなんですよね
Mika Ueno
社会人第一歩のは結構大きな影響ありますね
Nobuhiro Seki
自分には
Takuya Oikawa
間違ってたら
三河さんと同じ学部学会に行ってたかもしれないんですよ
Mika Ueno
本当ですか
Takuya Oikawa
その
さっき言ったみたいに継続校だったので
大学のところはある一定の成績値を収めれば
別に理系から文系から理系は無理なんですけど
理系から文系は行けるんですね
私ちょっと大学の本当に行きたかったところは
ちょっと成績が足りなくて行けなかったんですけど
09:02
Takuya Oikawa
理系の方の理工学部の方は
そうじゃなかったら
もうさっき言ったみたいに
本部の方で華やかなところで
遊ぼうって決めてて
だからってわけじゃないんですけど
心理学も興味があって
そっちがいいかなって高校の同級生に話したら
大井川ちゃんダメだよ
大井川ちゃんなんか
その時僕らの心理学に対する理解が
めちゃくちゃ上手いんですけど
人生相談とか来た時に
そんなことやる心理学者だって勝手に思っちゃう
それもパーシャルに言えるかもしれないけど
それだけじゃないじゃないですか
そんなこと言われたら
大井川ちゃんめんどくさいから死ねばとかって
言っちゃうじゃんとか言われて
確かになと思って
やめようと思って
Mika Ueno
はっきり伝えてしまうかもしれませんね
Takuya Oikawa
でも今でもそうなんですけど
その後
いや死なない方がいいよって話は
ちゃんとできそうな気がするんだけど
まず最初に
だって今でも
会社の悪口じゃない
会社の愚痴じゃないんだけど
愚痴的な感じで色相談を受ける時に
そんな人間だからやめた方がいいですよ
僕はまず言うことが多いんですよね
でもって風に言って
今いるあなたの会社も
意義のある会社だし
いい会社だと思って
やめる気になって
こういうことはできないかな
こういうことも考えておらんってことは言うんだけど
最後の最後楽だったら
やめちゃえばいいじゃんって風に
まず言っちゃうことがあったりするわけですよ
でもそんなの
起死念領を持ってる人に
じゃあ死ぬのも一つの選択肢かもしれませんね
電話がガチャンとか切られちゃったら
Mika Ueno
大変なことになるので
Takuya Oikawa
本当に行かなくてよかったなと思ってるんですよね
それもあるし
あと関さんのごまんの話とかっていうの
バブルの時だからすごいわかるんですよね
これ僕すごい言いたいことがあるのが
やっぱりドットコムバブルの時
日本でもITバブルがあったりして
一般の当時の上場企業の人たちからすると
ITは虚業だとか言われるじゃないですか
バブルの時知ってたら
お前らの方が虚業だよって
マネーゲームで
もうなんか完全にゲーム遊んでただけだろって
今に至るっていうのが
彼らの方が責任大きいわけなのに
新しい経済を作ろうとしてるITを虚業って言っちゃったがゆえに
未だ日本はITを理解しない状態になってるから
何回彼ら犯罪を犯せば気が済むんだって感じはしますけどね
というのをちょっと思い出しました
Nobuhiro Seki
昔の銀行とかマスコミとかの
25年くらい前の
25年くらい前ですよね
30年前か
30年前です
30年前のやつを見ると
本当虚業もいいとこですよね
Takuya Oikawa
本当にそう思いますよ
普通になんか
未だにまだギリギリ残っていらっしゃる方々とか
普通にバクロボン出てるじゃないですか
やっぱり色々攻撃を起こしたところで
実名で色々出てるやつとかありますけど
本当にひどい仕事にしてる人たちたくさんいますよね
ありえないですよ
Nobuhiro Seki
今だね本当に
Takuya Oikawa
話ちょっと脱線しまくっちゃったんだけど戻って
社会に出る時に
12:01
Takuya Oikawa
僕は全くそんな自分が大人になって
会社勤めをして
1日8時間1週間働いてっていうのを
何十年も繰り返すってことを考えた時に
考えてなかったから真っ暗になったんですよ
俺の実はこの後も会社の奴隷となって働くんだけど
うわーみたいになっちゃったんですね
でもやってみたら面白いはずだと思うし
実際自分に何ができるのか
何がやりがいがあるんだろうって
結構真面目に考えたんですね
その時にやっぱり親父のことが出てきて
いつか死ぬと
死ぬまでに親父はあの道路やあの橋を作って
社会の基盤を作ったし
子供である私もそれを誇らしげに思えるし
多くの人たちの役にも立ってると
やっぱりそういった社会基盤を作りたいし
世の中に何かいい功績を残したい
自分がやっぱりちょうどコンピュータープログラミングだとか
コンピュータITを勉強して
それなりに向いてるかなと思い始めたんで
じゃあそういったものを使うようなことをやりたい
最初は職業プログラマーというか
エンジニアになるっていうよりも
それをツールとして使って
スキルとして使って何かできないかって考えたから
最初はThinkTankに行きたいって思ったんですね
やっぱりジャーナリスト志望で文章を書くのもすごい好きだったので
そういったことをやりたいと思って
野村総研を受けたんですよ
今のNRIとは違って
いわゆるコンピュータのシステムインテグレーターじゃない
純粋なThinkTankだけの鎌倉の方にだけに
オフィスがあるような会社なんですけども
そこにおじさんの骨を頼って話に行ったら
結構その骨入れ
今言っちゃうあれなんですけど
骨入れってどうにかなりそうな経験を感じたんで
これは楽勝だな
また俺要領よくやっちゃったと思ってたら
しばらくして
やっぱり印刷じゃないっていうのと
専門がちょっと特殊だったこともあったりして
ダメになっちゃったんですよ
バブルの時代で売り手市場だったんだけれども
みんな同期がぽこぽこ決まり始める中
一旦振り出しに戻っちゃって
どうしようかなと思い
じゃあやっぱりコンピュータも得意だから
そういったところを行くかっていうので
NECとか
あとソニーは電気系しか取りませんって
モンゼバルくんが言って
他どこを探してたかな
でも国産で言うと
富士通も考えたんだけど
富士通はやったら厳しいって聞いたから
じゃあNECかなと思って
NECで一緒に府中事業所に同期と一緒に行ったんですね
簡単にしてくれて
案内してくれてって非常に良かったんですけれども
昼飯をある特別システムみたいなところで
食べさせてくれて
OBの人食べてる時に
12時のベルが鳴ったわけですよ
そしたら中の社員の方々が作業着着たまま
ぐわーっと走って車植に駆け込んでいくのを見て
俺無理だと思って
ちょっと交渉勤務は無理だなと思って
15:00
Takuya Oikawa
NECは辞めたんですよ
でどうしようと思ったら
YHP今の言うHPの横川ヒューレットパッカー
当時は横川との語弁だったんで
YHPっていう会社だったら
コンピュータと計測機器があり
計測機器の方が自分がやっていた地下探査っていうところでも
馴染みのあるような計測機器を作っていたんで
YHPがいいやと思って
そこにしようかと思って
少し話を進め始めてたんですね
そしたらその時私の研究室からは
私と4年生で私と大学院の2年の先輩と
2人しか就職しなかったんですけれども
その上の大学院の先輩が
最初にデックを受けて落ちまして
YHPを受けて
そっちの内定が決まりかけてたんですよ
彼が「及川くん同じ研究室からYHP2人はまずいと思うな」
「君デックがいいんじゃない?」って言って
デックですかって
悪い意味じゃなかったんですよ
本当にハッカーが行く集団みたいな感じのことを
結構言われてたりして
ちょっと受けてみようかなと思って受けたら
トントントンと決まりかけ
でもデックも決まるかどうか分からなかったんで
不安だったんで
あと2つ会社を選んで
もう1つは全然社会システムじゃなくて
自分の研究室とかに近い
アラビア石油っていう
エジプトの方で
石油掘削開発と掘削をやってる会社があったんですけども
そこに行って
そっちは現地で
IBMのワークステーションを使って
コンピューターグラフィックで地下探査のところの解析をするような
それをやってくれって言われた
輸送の解析かな?忘れたけど
これ面白そうだなと思って
それもトントントンと決まって
あとは形だけの社長面接ってのまで行ったんですね
もう1個はTBSに技術職員の枠で応募し
これはTBSの局内を一周して見学させてもらって
ザ・ベスト10かなんかのリハーサル見れて
それだけで僕は満足したんで
それから先進まなかったんですけど
このアラセキがほぼデックと同じ状況で
デックの方が1日内定が早かったんですよ
アラセキから次の日に内定出したいんですけど
と言われて僕デックにもうOK出しちゃいましたって言われたら
残念ですって言われたんですけど
1日違いだったんです
このアラビア・セキューっていうのは
関さんご存じだったと思うんですけど
山下太郎別の名前はアラビア太郎って言われた
昭和の時代のすごいピクサーみたいな存在の人がいて
この方が日本のエネルギー政策上
絶対に航空をちゃんと中東に持った方がいいっていうことで
王家と交渉して取ったすごい人ですね
でも航空は借地が借りてるんで
常にこれをリニューアルしなきゃいけなかったんですけども
1990年後半にリニューアルに更新に失敗するんですよ
それからアラビア・セキューって基本解散状態になっちゃって
今ギリ会社名が残ってるのか
どっかで吸収されたのかだけども
全然違う会社になっちゃったんですけれど
もし僕アラビア・セキューに入っていたならば
18:01
Takuya Oikawa
会社のそのゴタゴタのところで
これはドラマチックで本になってるんですけれども
でもこういったところに入ったりっていうことだったのかなと思って
人生ちょっと変わったら全然違ったなって思ったんですけれど
そんな感じでデックに入りっていう感じですね
Nobuhiro Seki
そういう大学院の先輩が出てきて
急にデックが決まるってのがすごい面白いですね
Takuya Oikawa
僕だからさっき言ったみたいに
親父が生きてた時には親父の胃のままに動かされて
その後も結構周りの人からのアドバイスだとかっていうので
人生の大事な選択肢を選んでるんですよ
「おいかくこっち行けば」「うーん」言ってみたら
「悪くなかったが先輩の勧めにそっちにしようかな」とか
会社から「おいかくこれやれ」って言われたから
「じゃあやりまーす」ってやったりっていうことで
っていうのでやっててっていうのが
結構20代の一杯ぐらいは途中まではな
結構会社からのとか誰かからの指示だとかアドバイスに
そのまま従うことが多かった
途中から自分の行きたいっていう方向を
しっかりと持つようになってたんです
20代後半から結構そっちを強く持つようになってきて
なのでその後も転職だとかってのは
基本的に自分の意思で決めていくようになったんですけど
最初の方は結構いろんな人のアドバイスとかに
そのまま乗ってみて乗ってみたら
実は合ってたっていう風に
幸運が続いたっていうところがあるかなと思います
Nobuhiro Seki
そうですねYHPのデックとかって
一見似たような感じだけど
デックに行ってるからマイクロソフトって道ができてるんじゃないかな
っていう風になんとか思うし
HP側ってそういうパスあんまないじゃないですか正直言って
だから割とHP側に行ってるとずっと残ってるみたいな感じに
逆になってるかなっていう気はして
MSに行ったからやっぱり次の道も開けてるっていうか
そういう意味ではすごい
運なのか
でも運って結局本人が意識しないとつかめないもんだから
やっぱりそういう意識とか周りの人たちとの
関係性の中でやっぱりそういう場所が選ばれていくのかなって
やっぱりナンバーワンの会社に行くのは
さっきのストレッチっていうのをやりたいっていうのが
なんとなくみんなお役さんのこと知ってるから
そういうアドバイスも出てくるのかなって思いますよね
Takuya Oikawa
そんな感じです
Nobuhiro Seki
面白いのは僕はお役さんと割と逆張りみたいなことを
ずっとやることが多いんで
だから聞いてて
僕だったら逆をやるなみたいなのも今聞いてて思いました
Mika Ueno
本当に面白いですね
人に歴史ありってよく言いますけど
もちろん自分とは全然違うわけで
おそらく自分の道を後から振り返った時に
21:03
Mika Ueno
整理してみられるっていうのもあるじゃないですか
大井川さんの中二病っていうか
自分が特別ってどこから始まって
多分ずっとそれを持ってらっしゃると思うんですけど
そこからお父さんの影響があってっていうのって
一見両極に見えるんですけど
それが両方いい作用を大井川さんご本人に及ぼしてて
それで今に至ってるっていうね
それがすごく面白いですね
Takuya Oikawa
僕の反省面白いですよ
まだ僕が迷惑かけた方々が
ご本人存命中生きていらっしゃるんで
あんまり詳細は言えないですけど
小学校3年生の時に同級生5人ぐらいと一緒に
学期大賞だった同級生に脅迫状を出した話とかね
これもまたお袋が学校から呼び出されて
こんなことやんな大井川君しかいませんって言われて
いろいろ証拠があったやん
でもお袋はこれは拓也一人じゃないって
勘付いたのかしらけど
僕が登校中で呼び出されたお袋が
学校から戻ってくるところで連れ違って
僕は別の友達と歩いてたんですけど
拓也高校に言われたけど
お前やったかって言われてやったって言ったら
一人かって言うから
何々くん何々くん何々ちゃん一緒だって言ったら
そうだと思ったら行ってくるって言って
一人じゃなかったら罪が軽くなるっていう
背景が僕じゃ全く分からないけど
お袋はもう一回学校に戻り
一人じゃありませんって言って
朝の会議の時に誰誰君脅迫状を出した人って言って
僕以外の人の手を挙げて
みんなで怒られっていうのであって
そういうのもお袋はよく分からないですよ
一人じゃなかったら何がいいのかが
友達を巻き込んでから返って
罪が深くなるんじゃないかと思ったけど
というようなことがあったりとかね
いろいろやりましたよ
Nobuhiro Seki
今思うと小学校とかって
今の学校だったらありえないことやってますよね
とかちょっと思ったりしますけどね
大罵とかも普通にやったりとか
ありましたね
Takuya Oikawa
もう一個あれですよ
やっぱり1年生の時に
さっき言ったみたいに
頭の回転は当時は早かったんで
学校の勉強とか全然面白くなかったんですね
先生の話聞いてても面白くないし
40分か何かそんな長い間ずっと座ってんのはダメなんで
歩き回ったりしてるし
ある時僕は口笛が吹けるようになったんですよ
嬉しかったんで暇だからずっと事業中口笛吹いてたんですね
そしたら怒られるんですよ
怒られますね
Nobuhiro Seki
当たり前なんですけど
Takuya Oikawa
で、おいかく廊下に立ってろと
いつも廊下に立ってされてまた帰っても廊下に立ってるわけですよ
その日は先生がなかなか呼びに来てくれなかったんですね
なんでつまんねえなと思って
僕は家帰っちゃったんですよ
24:00
Takuya Oikawa
小学校抜け出して
Nobuhiro Seki
荷物全部置きっぱなしで帰った
Takuya Oikawa
朝早くなんですね
帰ってきたらその時は家にお袋がいたんですよ
お袋は週の半分ぐらいがさっき言ったみたいな
幼稚園で幼児教育をやってたりして
先生じゃなかったんですけども
幼稚園に色々やり取りしてて出かけてたんです
その日はいたわけですね
学校からも電話かかってきたらしく
なんで帰ってきたって言われて
つまんなかったからと言って
ちょっとよく覚えてないんだけど
先生が帰ってきても
あの子は大学に行って
大学に行っても
その子はお年寄りの子だったんです
Nobuhiro Seki
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
Takuya Oikawa
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
Nobuhiro Seki
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
Takuya Oikawa
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
Nobuhiro Seki
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
Mika Ueno
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
Takuya Oikawa
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
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大学に行っても
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Nobuhiro Seki
大学に行っても
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大学に行っても
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大学に行っても
27:00
Nobuhiro Seki
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
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大学に行っても
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大学に行っても
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大学に行っても
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大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
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大学に行っても
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大学に行っても
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大学に行っても
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大学に行っても
Takuya Oikawa
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
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大学に行っても
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大学に行っても
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大学に行っても
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大学に行っても
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大学に行っても
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大学に行っても
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大学に行っても
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大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
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大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
Nobuhiro Seki
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
Mika Ueno
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
Takuya Oikawa
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
30:00
Takuya Oikawa
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
Nobuhiro Seki
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
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大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
Takuya Oikawa
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
Nobuhiro Seki
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
Mika Ueno
大学に行っても
Takuya Oikawa
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
Mika Ueno
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
Takuya Oikawa
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
Nobuhiro Seki
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
33:00
Nobuhiro Seki
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
Takuya Oikawa
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
Nobuhiro Seki
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
Takuya Oikawa
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
Mika Ueno
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
Takuya Oikawa
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
Mika Ueno
大学に行っても
Nobuhiro Seki
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
36:00
Mika Ueno
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
お年寄りの子だったんです
大学に行っても
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お年寄りの子だったんです
大学に行っても
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Nobuhiro Seki
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Takuya Oikawa
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Takuya Oikawa
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Nobuhiro Seki
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Takuya Oikawa
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Nobuhiro Seki
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Mika Ueno
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Nobuhiro Seki
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Mika Ueno
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Takuya Oikawa
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39:00
Takuya Oikawa
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Mika Ueno
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Nobuhiro Seki
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Takuya Oikawa
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Nobuhiro Seki
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サブタイトル:ひかり
39:33

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