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Nobuhiro Seki
XCrossing、英語でスクランブル交差点を意味します。 趣味も、世代も、住んできた町も違う3人が、スクランブル交差点に出会うように、様々な話題を使わせる、おしゃべりの交差点です。 今日のXCrossingであなたが出会うのは、どんな話題でしょう?
Takuya Oikawa
プロダクトマネージメントとプロダクト開発組織づくりを専門とする及川です。
Nobuhiro Seki
アメリカ、ニューヨークでスタートアップ投資をしている、関信浩です。
Mika Ueno
マーケティング広報、プロダクトマネージメントが専門の上野美香です。 今回のXCrossingは、中二病がストレッチゴールを作る、という前回の話の続きです。
Nobuhiro Seki
外資系ばかりですが、最初にデックを選んだのは、どうしたのですか? 時期的に言うと、選ぶような気もするし、どうしたのかな、と思ったりします。
Takuya Oikawa
デックって知らない人もいると思うので、簡単に説明します。
デジタルエクイプメントコーポレーション、DECでデックと略した会社です。
当時は、ミニコンピューターというメインフレームがとても大きかったので、ワークステーション、パソコンなどのダウンサイティングが進んでいくときの、一番最初のダウンサイティングのきっかけを作った会社で、
1980年代後半にかけて、世界第二のコンピューターメーカーになり、私が行ったときには、もうすぐIBMを抜くぞと言われていました。
そんな勢いのある会社だったんですね。
なんでここにしたのかって話なんですけれども、まず大学で私、就職活動、就活をしたときに、
親父がさっき言ったみたいに、それを死ぬまでは私の路線を全部決めてた人なんですよ。
たくや、理系に行け。たくや、早稲田大学の理工学部、教育学部の数学科に行こうと思ってたんだけど、そっちじゃなくて理工学部に行くべきだ。
学科もここはいいんじゃないかって決めてて。悔しいけど、路線に乗ってたら正しかったし楽しかったんで、結構自分の選択って親に委ねてた。
Takuya Oikawa
親が決めるところがあったんですよ。
でも、大学3年生のときに彼が亡くなってしまい、自分で研究室で勉強もして、それは楽しかったんだけど、
一切社会人になろうっていうときに、まだ当時バブルで世の中華やかで、遊んでる連中も多くっていう中、
自分が仕事を一生続けていくっていうイメージがなかったりしたときに、
ふとすごい困っちゃったんですね。
僕は当時、心理学でおこのぎ圭吾先生っていう人が言った、モラトリアム機関っていうのが言われてて、
若者がモラトリアムな猶予機関を設けてるっていうのがあり、大学卒業してからすぐには大人として社会に出ようとしない人がいるみたいなこととかも言われてて、
03:01
Takuya Oikawa
まさに自分はそういう人だったなって感じたんですよ。
で、社会人になるときどうしようと思って、お二人社会人になるときって、いきなり自分は社会人で何やりたいとか、どんな会社行きたいってイメージは来ました?
Mika Ueno
ないですね。私選んだのは、女性というのもあると思うんですけど、5年ぐらい働いてその後どうなるか人生でわからないので、
手に職をつけたいなっていう、そのぐらいボヤーッとした感じで。
で、SEともう一個ファッションとかマスコミ系とかだったんですけど、そういう感じですよ。
Nobuhiro Seki
僕は実は2年生を4回やっててですね、二流してるんですけど、違う2年生は3回か。
で、大学3年生のときに同級生がみんな社会人1年生になってるんですね。
だから嫌顔でも社会人を意識しちゃってたんで、実は3年生の後半ぐらいからもう、
当時は今みたいに3年生でインターンとかしてなかったような時代だったんで、むちゃくちゃ実はどういうものになりたいかっていうのを意識してて、
その時まあでも、実は懐がたらになるにはどうすればいいのかっていうのはまだその時は思っていてですね。
だから戦略コンサルティングとか行くともしかしたら懐がたらみたいに隣に座ってアドバイスとかするのかなって思って、
実は戦略コンサルティングも結構受けてるんですけど、でも動き出しがすごい早くてそれは留年してたからっていう。
当時一方で同級生が就職活動してるときって、リクルーティング企業をお金使ってるときで一晩何万円とか、
いきなり同級生から電話がかかってきて、今銀座に飲んでるんだけど席来ないとかって言われて、
僕は大学に行ったので、大学から銀座まで近いんですけど、
何かといったら一晩一人当たり5万円ぐらいの予算があるんだけど、物は買えないから飲み食いだけ、飲み食いタクシーなんで、
ちょっと来ないみたいな感じで、すごい同級生とかみんな就職活動中なんですけども、
ヘベレ系になって、電話かかってきて行ったらいないとかそういうのも普通なんですけど、
そういうような時代を見てて、こういうことじゃダメだと。
自分が就職するときはもっとちゃんといろいろ考えようと思っていたら就職が氷河期になってしまって、
Nobuhiro Seki
実際には真面目にやってたおかげでなんとか氷河期をちゃんと生き残れましたみたいな、そういう感じの1年目なんですけど、
そういう時代だったんで、実はすごい考えたんですよ。
でもそれはさっき言った大学2年の時から108度変わった理由ってのは実はそこなんですね。
留年しているということによって、自分の立場がすごい変わっちゃったっていう。
06:04
Mika Ueno
今思い出したんですけど、私大学の時まで臨床心理師になりたかったんですよ。国家資格にあるやつなんですけど、
心理学をやりたいって本当はスポーツ選手のメンタルケアのところから興味があって入って、臨床心理の研究室に入ったんですけど、
大学3年とかで研究室に入ったら、その先生が臨床心理師の認定を行うような権威のある先生だったんですけど、
その当時異常心理学っていうのが流行ったんですよね。テレビドラマとか犯罪心理学とか。
ああいうのの関連で、その先生は、人の心は使うんですけど、衣装とかいっぱい持ってるんですよ。
心を病んでる方とか、異常心理学とかっていうのをいろいろ話を聞けば聞くほど、
実際のその病院での治療の話とか、衣装の話とかを聞いてて、結構打ち埋めされるんですね。
自分にはその器がないっていうのを、大学3年とかの時にはこれはと思っていて、
心理学をやればやるほど、隣の研究室の先生は、自分も病みながら研究をしてるっていうのを繰り返しだったので、
そういうのを見てて、自分にはその器がないんだっていうのになって、そのまま大学4年とかになっていったんですよね。
Mika Ueno
でも心理学は勉強として面白かったんで。
その中で、社会に出るのかどうだろうかなって考えた時に出会ったのがそのコンピューターで、
心理学って東京の学問なので、その時にコンピューターってこういう仕事があるんだっていうところがポッと出たものなんですけど、
それが今に至るまで業界も含めて、その時に出会ってシステムエンジニアの会社に就職することになったんですけど、
Mika Ueno
偶然ではありましたが良い一つのマイルストーンだったなっていうのは、今思い返して思います。
Nobuhiro Seki
でもやっぱり大学ってそういう意味で言うと、人のキャリアを決める場所なんですね。
学問がどうかは別にして。
やっぱりそういういろんな高校まで転軍なったり、あんまり人と接していなくても、
大学行くとそれなりにいろんな人と接して、いろんな転機も来るから、そういう中でキャリアを決めてくるっていうのは確かに、
この3人はそういう感じなんですね。
Mika Ueno
社会人第一歩のは結構大きな影響ありますね、自分には。
間違ってたら三河さんと同じ学部学会としたかもしれないんですよ。
本当ですか?
さっき言ったみたいに継続校だったので、大学のところはある一定の成績値を収めれば、別に理系から、文系から理系は無理なんですけど、理系から文系は行けるんですね。
Takuya Oikawa
で、私ちょっと大学の本当に行きたかったところは、ちょっと成績が足りなくて行けなかったんですけど、理系の方の理工学部の方は。
09:05
そうじゃなかったら、さっき言ったみたいに本部の方で華やかなところで遊ぼうって決めてて、だからってわけじゃないですけど、心理学も興味があって、そっちがいいかなって高校の同級生に話したら、
Takuya Oikawa
三河ちゃんダメだよ。
その時僕らの心理学に対する理解がめちゃくちゃ上手いんですけど、人生相談とかって来た時に、そんなことやる学問だって勝手に思っちゃう。
それもパーシャルにイエスかもしれないけれども、それだけじゃないじゃないですか。
そんなこと言われたら、大岡ちゃんめんどくさいから死ねばとか言っちゃうじゃんとか言われて、確かになと思ってやめようと思って。
Mika Ueno
はっきり伝えてしまうかもしれませんね。
Takuya Oikawa
でも今でもそうなんですけど、その後、いや死なない方がいいよって話はちゃんとできそうな気がするんだけど、
まず最初に、だって今でも会社の愚痴的な感じで色相談を受ける時に、そんな人間ならやめた方がいいですよって僕はまず言うことが多いんですよね。
でもって言って、今いるあなたの会社も本当に意義のある会社だし、いい会社だと思って、やめる気になって、こういうことはできないかな、こういうことも考えておらんってことは言うんだけど、
最後の最後楽だったらやめちゃえばいいじゃんってまず言っちゃうことがあったりするわけですよ。
でもそんなの起死年齢を持ってる人に、じゃあ死ぬのも一つの選択肢かもしれませんねって言われて、電話ガチャンとか切られちゃったら大変なことになる。
本当に行かなくてよかったなと思ってるんですよね。
Takuya Oikawa
それもあるし、あと関さんのごまんの話とかっていうのはバブルの時だからすごいわかるんですよ。
これ僕すごい言いたいことがあるのが、やっぱりドットコムバブルの時、日本でもITバブルがあったりして、
一般の当時の上場企業の人たちからすると、ITは虚業だとか言われるじゃないですか。
バブルの時知ってたらお前らの方が虚業だよって、マネーゲームで完全にゲームを遊んでただけだろって言うんだ。
今に至るっていうのが、彼らの方が責任が大きいわけなのに、新しい経済を作ろうとしてるITを虚業って言っちゃったがゆえに、
いまだに日本はITを理解しない状態になってるから、何回彼ら犯罪を犯せば気が済むんだって感じはしますけどね。
というのをちょっと思い出しました。
Nobuhiro Seki
昔の銀行とかマスコミとかの25年くらい前の、30年前か。
30年前のやつを見ると、本当虚業もいいとこですよね。
Takuya Oikawa
本当にそう思いますよ。
普通にいまだにまだギリギリ残っていらっしゃる方々とか、
普通に暴露本出てるじゃないですか。
やっぱりいろいろ焦げ付けを起こしたところで、実名でいろいろ出てるやつとかありますけど、
本当にひどい仕事をしてる人たちたくさんいますよね。
ありえないですよ。
Takuya Oikawa
話ちょっと脱線しまくっちゃったんだけど、戻って、社会に出る時に、
12:01
Takuya Oikawa
僕は全くそんな自分が大人になって会社勤めをして、
1日8時間1週間働いてっていうのを何十年も繰り返すってことを考えたときに、
考えてなかったから真っ暗になったんですよ。
俺の人生はこの後もう会社の奴隷となって働くってうわーみたいになっちゃったんですね。
でもやってみたら面白いはずだと思うし、
実際に自分に何ができるのか、何がやりがいがあるんだろうっていうのを結構真面目に考えたんですね。
その時にやっぱり親父のことが出てきて、いつか死ぬと。
死ぬまでに親父はあの道路やあの橋を作って、社会の基盤を作ったし、
子供である私もそれを誇らしげに思えるし、多くの人たちの役にも立ってると。
やっぱりそういった社会基盤を作りたいし、世の中に何か良い功績を残したいって思ったんですよ。
自分がやっぱりちょうどコンピュータープログラミングだとかコンピューターITを勉強して、
それなりに向いてるかなと思い始めたんで、じゃあそういったものを使うようなことをやりたいと。
最初は職業プログラマーというかエンジニアになるっていうよりも、
それをツールとして使って、スキッドとして使って何かできないかって考えたから、
Takuya Oikawa
最初はシンクタンクに行きたいと思ったんですね。
やっぱりジャーナリスト志望で文章を書くのもすごい好きだったので、
そういったことをやりたいと思って野村総研を受けたんですよ。
今のNRIとは違って、いわゆるコンピューターのシステムインテグレーターじゃない、
純粋なシンクタンクだけの鎌倉の方にだけオフィスがあるような会社なんですけども、
そこにおじさんの骨を頼って話しに行ったら、
結構その骨入れ、今言っちゃうあれなんですけど、骨入れってどうにかなりそうな気配を感じたんで、
これは楽勝だな、また俺容量よくやっちゃったなと思ってたら、
しばらくして、やっぱり印刷じゃないっていうのと専門がちょっと特性だったこともあったりして、
Takuya Oikawa
ダメになっちゃったんですよ。
バブルの時代で売り手市場だったんだけれども、
みんな同期がぽこぽこ決まり始める中、
一旦振り出しに戻っちゃって、どうしようかなと思い、
じゃあやっぱりコンピューターも得意だからそういったところに行くかっていうので、
NECとか、あとソニーは電気系しか取りませんってモンスターバイルドに行っちゃって、
他どこを探したかな。
でも国産で言うと富士通も考えたんだけど、富士通はやったら厳しいって言ってたから、
Takuya Oikawa
じゃあNECかなと思って、NECで一緒に府中事業所に同期と一緒に行ったんですね。
行ったら勧退してくれて、案内してくれてって非常によかったんですけれども、
昼飯をある特別室みたいなところで食べさせてくれて、
OBの人が食べてるときに12時のベルが鳴ったわけですよ。
そしたら中の社員の方々が作業着着たまま、
ぐわーっと走って車植に駆け込んでいくのを見て、
俺無理だと思って、ちょっと交渉勤務は無理だなと思ってNECは辞めたんですよ。
15:03
Takuya Oikawa
どうしようと思ったら、YHP、今の言うHPの横川ヒューレットパッカー、当時は横川との語弁だったので、
YHPっていう会社に行ったら、コンピューターと計測機器があり、
計測機器の方が自分がやっていた地下探査っていうところでも
馴染みのあるような計測機器を作っていたので、YHPがいいやと思って、
そこにしようかと思って少し話を進め始めてたんですね。
その時、私の研究室からは私と、4年生では私と大学院の2年の先輩と2人しか就職しなかったんですけれども、
その上の大学院の先輩が最初にデッグを受けて落ちまして、
YHPを受けてそっちの内定が決まりかけてたんですよ。
彼が、「及川くん、同じ研究室からYHP2人はまずいと思うな。君デッグがいいんじゃない?」
Takuya Oikawa
デッグですか?って悪い意味じゃなかったんですよ。
本当にハッカーが行く集団みたいな感じのことを結構言われてたりして、
ちょっと受けてみようかなと思って受けたら、トントントントンと決まりかける。
でもデッグも決まるかどうか分からなかったので不安だったので、
あと2つ会社を選んで、もう1つは全然社会システムじゃなくて自分の研究室とかに近い
Takuya Oikawa
アラビア石油っていうエジプトの方で、石油開発と掘削をやってる会社があったんですけども、
そこに行って、そっちは現地でIBMのワークステーションを使って、
コンピューターグラフィックで地下探査のところの解析をするような、それをやってくれって言われた。
輸送の解析かな?忘れたけど、これ面白そうだなと思って。
それもトントントンと決まって、あとは形だけの社長面接ってところまでになったんですね。
もう1個はTBSに技術職員の枠で応募し、これはTBSの局内を一周して見学させてもらって、
ザ・ベスト10か何かのリハーサル見れて、もうそれだけで僕は満足した。
それから先進まなかったんですけれど。
このアラ石油がほぼデッグと同じ状況で、デッグの方が1日内定が早かったんですよ。
アラ石油から次の日に内定出したいんですけど、僕デッグにOK出しちゃいました。
残念ですって言われたんですけど、1日違いだったんですよ。
Takuya Oikawa
でもこのアラビア石油っていうのは、関さんご存知だったと思うんですけど、
山下太郎、別の名前はアラビア太郎って言われた、昭和の時代のすごいピクサーみたいな存在の人がいて、
この方が日本のエネルギー政策上絶対に航空をちゃんと中東に持った方がいいっていうことで、
Takuya Oikawa
OKと交渉して取った。すごい人なんですね。
でも航空は借地というか借りてるんで、常にこれをリニューアルしなきゃいけなかったんですけども、
1990年後半にリニューアルに更新に失敗するんですよ。
それからアラビア石油って基本解散状態になっちゃって、今ギリ会社名が残ってるのか、
どっかで吸収されたのか、全然違う会社になっちゃったんですけど、
もし僕はアラビア石油に入っていたならば、会社のそのゴタゴタのところで、
18:04
Takuya Oikawa
これはドラマチックで本になってるんですけれども、
でもこういったところに入ったりっていうことだったのかなと思って、
人生ちょっと変わったら全然違ったなっていうふうに思ったんですけど、
そんな感じでデックに入りっていう感じですね。
Nobuhiro Seki
そういう大学院の先輩が出てきて、急にデックが決まるっていうのがすごい面白いですね。
Takuya Oikawa
僕だからさっき言ったみたいに、親父が生きてた時には親父の胃のままに動かされて、
その後も結構周りの人からのアドバイスだとかっていうので、
人生の大事な選択肢を選んでるんですよ。
大岡くんこっち行けば、行ってみたら悪くなかったから先輩の勧めにそっちにしようかなとか、
会社から大岡くんこれやれって言われたから、じゃあやりますってやったりということでやっててっていうのが、
結構20代の一杯ぐらいは、途中まではな。
結構会社からのとか誰かからの指示だとかアドバイスにそのまま従うことが多かった。
途中から自分の行きたいっていう方向をしっかりと持つようになってた。
20代後半から結構そっちを強く持つようになってきて、
なのでその後も転職だとかって基本的に自分の意思で決めていくようになった。
Takuya Oikawa
最初の方は結構いろんな人のアドバイスとかにそのまま乗ってみて、乗ってみたら実は合ってたっていう風に
幸運が続いたっていうところがあるかなと思います。
Nobuhiro Seki
YHPのデックとかって一見似たような感じだけど、
多分デックに行ってるからマイクロソフトって道ができてるんじゃないかなっていう風に何とか思うし、
HP側ってそういうパスがあんまりないじゃないですか、正直言って。
だから割とHP側に行ってるとずっと残ってるみたいな感じに逆になってるかなっていう気はして、
で、MSに行ったからやっぱり次の道も開けてるっていうか、
そういう意味ではすごい、
運なのか、でも運って結局本人が意識しないとつかめないもんだから、
やっぱりそういう意識とか周りの人たちとの関係性の中でやっぱりそういう場所が選ばれていくのかなって。
やっぱりナンバーワン、ナンバーワンの会社に行くのはさっきのストレッチっていうのをやりたいっていうのが
なんとなくみんな及川さんのこと知ってるから、そういうアドバイスも出てくるのかなって思いますよね。
Takuya Oikawa
そんな感じです。
Nobuhiro Seki
面白いのは僕、及川さんとは割と逆張りみたいなことをずっとやることが多いんで、
だから聞いてて、僕だったら逆をやるなみたいなのも結構今聞いてて思いました。
Mika Ueno
本当に面白いですね。人に歴史ありってよく言いますけど、もちろん自分とは全然違うわけで、
おそらく後から振り返って、自分の道を後から振り返った時に整理して見られるっていうのもあるじゃないですか。
21:05
Mika Ueno
及川さんの中二病っていうか、自分が特別ってところから始まって、多分ずっとそれを持ってらっしゃると思うんですけど、
そこからお父さんの影響があってっていうのって、一見両極に見えるんですけど、それが両方いい作用を及川さんご本人に及ぼしてて、
それで今に至ってるっていうね、それがすごく面白いですね。
僕の反省面白いですよ。まだ僕が迷惑かけた方々がほぼほぼ存命中生きていらっしゃるんで、
Takuya Oikawa
あんまり詳細は言えないですけど、小学校3年生の時に同級生5人ぐらいと一緒に、
学技大賞だった同級生に脅迫状を出した話とかね。
これもまたね、おふくろが学校から呼び出されて、こんなことやるのは及川君しかいませんって言われて、
いろいろ証拠があって、でもおふくろは、これは拓也一人じゃないって感じたのかしらいけど、
僕が登校中で呼び出されたおふくろが学校から戻ってくるところで、
Takuya Oikawa
僕が別の友達と歩いてたんですけど、拓也高校に言われたけど、お前やったかって言われて、やったって言ったら、一人かって言うから、
何々くん、何々くん、何々ちゃん、何々ちゃんと一緒だって言ったら、そうだと思ったら行ってくるって言って、
一人じゃなかったら罪が軽くなるっていう背景が僕じゃ全くわかんないけど、
おふくろはもう一回学校に戻り、一人じゃありませんって言って、
朝の会議の時に誰々に脅迫状を出した人って言って、
あいつは僕以外の人の手を挙げて、みんなで怒られって言うので、
そういうのもおふくろはよくわかんないですよ。
一人じゃなかったら何がいいのかが、友達を巻き込んでから返って、
罪が重くなるんじゃないかと思ったけど、というようなことがあったりとかね。
いろいろやりましたよ。
Nobuhiro Seki
今思うと、小学校とかって、今の学校だったらあり得ないことやってますよねとか思ったりしますけどね。
対話とかも普通にやったりとか。
ありましたね。
Takuya Oikawa
もう一個あれですよ。
1年生の時に、頭の回転は当時は早かったので、学校の勉強とか全然面白くなかったんですね。
先生の話聞いてても別に面白くないし、
Takuya Oikawa
40分か何かそんな長い間ずっと座ってんのはダメなんて、
歩き回ったりしてるし、ある時僕は口笛が吹けるようになったんですよ。
嬉しかったんで、暇だからずっと授業中口笛吹いてたんですね。
そしたら怒られるんですよ。
Nobuhiro Seki
怒られますね。
当たり前なんですけど。
Nobuhiro Seki
怒られますね。
Takuya Oikawa
とにかく廊下に立ってろと。
いつも廊下に立ってされたのでまたかと思って廊下に立ってるわけですよ。
その日は先生がなかなか呼びに来てくれなかったんですね。
なので、つまんねえなと思って、僕は家帰っちゃったんですよ。
24:00
Takuya Oikawa
小学校を抜け出して。
荷物全部置きっぱなしで帰ったの?
Takuya Oikawa
浅はかなですね。
帰って、その時は家におふくろがいたんですよ。
おふくろは週の半分くらい幼稚園で幼児教育をやってたりして、
Takuya Oikawa
先生じゃなかったんですけど、幼稚園に色々やり取りしてて出かけてたんです。
その日はいたわけですね。
学校からも電話かかってきたらしく、なんで帰ってきたって言われて、
つまんなかったかなと言って、
ちょっとよく覚えてないんだけど、おふくろと一緒にまた学校に戻り、
授業に戻りってのをしたとか、これは強烈に記憶に残ってるんですけど、
たぶんこんなのがたくさんあったんですよね。
Nobuhiro Seki
だんだんお絵かがさんの子供の頃の像が少しずつ生まれてきまして、
この前まではすごいぼやーっとしてて何も見えなかったけど、
今何だかいくつかのエピソードが、
どっち系の中二なのかっていうのは何だかちょっとわかってきましたね。
Takuya Oikawa
そうなんです。やばいんですよ。
本当に一歩間違えると大変な人間になってたと思います。
Nobuhiro Seki
いい意味で今は大変な人間だからそれはそれでよかったと思いますけどね。
Takuya Oikawa
いまだにいろんな人に迷惑かけてるんですよ、きっと。申し訳ない。
だいぶ丸くなったと思いますけどね。
Nobuhiro Seki
迷惑は人間一生かけるもんだからそれはそれでわからないじゃないですかね。
それこそ北極とかで一人住んない限り無理だと思う。
Mika Ueno
迷惑というか影響を与えてることが多いじゃないですか。
Takuya Oikawa
でも嫌な人は嫌だと思うんですよ。
誰でもそうだと思うんですよ。
今関さんが言ったみたいに嫌なら聞かなきゃいいんですよね。
別に私無理に誰かの耳こじ開けて俺の話を聞けって言ってるわけじゃないんで、
相性ってあると思うから、
私に限らずちょっとこの人の話とかこの人はあまり好きじゃないなと思ったら選択権あるわけなんで、
別に私は公共の電波に乗っかって多くの人にボーンとこういった聞きたくもない話を届けてるわけでもないわけなので、
そういう意味で言うとやっぱりシュガーコーティングされた話が世の中あふれてるっていうのは私はあまりよろしくないと思ってるんですね。
すごいファクトがないような陰謀論みたいなものであったりだとか、
そういった情報がばっこするような社会が良くないと思うんですけれども、
いろんな意見があるべきだと思うのに、やっぱりその重んばかったようなことばっかりをしてしまっていたら何も変わらないなっていうところがあり、
それがニコニコしながらかもしれないけど言いたいことはガンガン言うっていうのになっているのかなと思いますね。
Nobuhiro Seki
でもそれって罪を憎んで人を憎まじゃないんだけど、
でもやっぱり日本って限らないですね。
言った人が憎くなっちゃうケースとかってあるじゃないですか。
27:00
Nobuhiro Seki
別に偶然聞かれたからそれに対する答えってこれしかないよねって言ったら、
それを言ったあんたが憎いみたいなことになったりすることってまあまああるんで、
それを避けるために情報をちゃんとフィルタリングというか、
Nobuhiro Seki
届いてほしくない人には届かないようにするとか、
あらかじめ来た時にも、いや私の話聞いてもしょうがないと思います。
Nobuhiro Seki
これ謙譲じゃなくて、多分合わないと思うからやらない方がいいと思いますよってことは結構言ったりするんですけど、
やっぱりそれをなんとかとかってきて、
それで話してすごい不快になって帰られるっていうケースって昔は結構ありましたね。
だから別にもう全然賭けなしで、
多分この話聞いたら、場合によっては不快になるかもしれないけどそれでもいいんですか?
Takuya Oikawa
いいです。
Nobuhiro Seki
じゃあ話しますって話してすっごいムカつきましたって言われて帰られたりすることはありますけどね。
Takuya Oikawa
それとはちょっと違うんですけれど、私も含めて日本人って魔女体質なんですよ。
だからシーナリンゴの曲にあった気がするんですけれども、なんか叱ってほしいんですよ。
Takuya Oikawa
なんだっけシーナリンゴ、東京事変の曲に叱ってくれっていう感じのやつがあったと思うんですけど、毎年で。
なのでやっぱり私に社内勉強会で話してくれとかって言われて、
僕はその内製化率100%、ITの開発ですね。
開発の内製化率100%を目指せとは言っていないんだけれども、
必然的にしっかりとITを中心に据えた事業を作ったりプロダクトを作ったりしたならば、
内製化率は高くなっていきますって話をしているんで、
内製化なんか外部の会社に任せとけばいいと思っている会社からすると、
あまり心地よくない話を私はするわけじゃないですか。
というのが分かってても呼ぶ方々がいらっしゃるわけですよ。
本当にいいんですかって言ったら、
いやぜひぜひ社長に聞かせてあげたいですって、お前が話せよみたいなことを
僕の口を聞いて、僕の口から話させるわけですね。
Takuya Oikawa
その方々も痛いとこ疲れましたってニコやかに嬉しそうなんですよね。
なので、こういう人たちは叱ってほしいんだって思うんで、
そういう人たち多いなって気がしますよ。
Nobuhiro Seki
外圧ですよね。あれ一種の外圧ですよね。
Takuya Oikawa
そうですね。黒船ですね。
Mika Ueno
第三者の力を借りて行ってもらって、それじゃないと動かない、動けないっていうところはありますよね。
Takuya Oikawa
これはちょっと今悪い感じで言っちゃったけど、悪くはないんですよね。
これは一つの手段としてとてもいいと思います。
中の人が行っても、外部の人が業界の動向がこうですとか、
世界的にはっていうような感じで行ってもらうことにより、
自分たちの裏付けにもなるし、説得すべきステークホルダーの人たちに対しても
非常に影響力を持つような形で、
30:03
Takuya Oikawa
影響力を持つ方が、私が本当にそうかどうかわかんないけれども、
それにより説得がしやすくなりますっていうところは、
これは一つのやり方なんで、これ自身は全く否定はしないです。
Nobuhiro Seki
戦術的には正しいですよね。きっとね。
Takuya Oikawa
ですね。
Nobuhiro Seki
戦略的にはね、多分さっきおっしゃってたみたいに、
やっぱりいろんな、人は一人ずつみんな違う、
バックグラウンドも違えば意見も違うんだから、
本当はそれがいつもある程度許されていれば、
多分その外圧が来なくてもいいんでしょうけど、
やっぱりそれはもう、やっぱり同質化の良いところと悪いところがありますけど、
Nobuhiro Seki
悪い方は多分そういうことなんですよね。
なかなかマイナリティの意見を聞けないっていう。
Takuya Oikawa
そんな形で、でもあれなんですよ、別に、
そういった業界のご意見版だとか、
IT業界のチコちゃんを目指す、
チコちゃんと言っても通じない人がいるんですけど、
関さん知ってます?ずっとアメリカにいるから、
チコちゃん知らないんじゃないですか。
Nobuhiro Seki
でもね、チコちゃんって知らない?
よく聞くけど知らない。
NHKの。
Takuya Oikawa
NHKがやってる、あれ英の何歳でしたっけ?
Mika Ueno
5歳。
Takuya Oikawa
5歳か、5歳で、物事よく知ってて、
ぼーっとしてんじゃねーよって。
Mika Ueno
ぼーっと生きてんじゃねーよ。
Takuya Oikawa
ぼーっと生きてんじゃねーよってやつがあるんですけど、
なので僕はIT業界のチコちゃん的な存在かなと思ってましたが、
別にチコちゃんをやりたいわけでもなく、
チコちゃんは問題なのは、チコちゃんを聞いて、
あ、そうだったんだってみんな思うけど、
1週間も経つと忘れちゃうわけなんで、
1週間経って忘れてほしいことを言うわけでもないんで、
叱りたいわけじゃなくて、
私が言ってることも正しいわけでもないから、
それを一種の刺激というか材料として、
Takuya Oikawa
一緒に考えていきましょうということを
したいなという感じではあります。
ということで中二病は、
Takuya Oikawa
こちらしてもこの年までは楽しく生きてられるんで、
みんなちょっとどっかで勘違いして、
自分は何かできるんだっていう根拠のない自信をもとに、
それを本当に自信をつけるために、
どっかでちゃんと努力をして、
少しでもリアルな実力をつけたならば、
Takuya Oikawa
楽しく生きていけるんじゃないかなということを
言いたい回でした。
Nobuhiro Seki
ありがとうございます。
Mika Ueno
素晴らしいね。
Nobuhiro Seki
アメリカのスタートアップとか見てると、
中二病全開の会社名とかプロダクト名とか
普通にあるじゃないですか。
今はちょっとそうでもないけど、
昔とかもやっぱりそんなのばっかなんで、
やっぱりあふれてる中二的な感覚っていうのも
やっぱり世界を変えるっていうのは
絶対あると思うんですよね。
だから逆に中二っていうのは
自分を比喩してるような感じの、
まさに日本人マゾだって話じゃないんですけど、
33:01
Nobuhiro Seki
そういう感じで使ってるけど、
いやこれ実は恥ずかしくなくて、
これをいわゆる陽キャっていうかね、
明るくやって、
だからシリコンバレーとかも実は
ナードとかの集団で基本的に、
女性からすると気持ち悪い集団みたいなこと
ずっと言われてて、
それのある意味反動で
女性がいないっていうのがあるじゃないですか。
だから思いっきりこじらせた結果、
シリコンバレーが生まれたっていう風に
僕は結構思ったりするんですよね。
そうですね。
ちょっとなんか、
私はとても尊敬してるし、
Takuya Oikawa
今となってはそう見られてないと思うんだけど、
ビルケーツとかって完全な中二病だと思いますよ。
Nobuhiro Seki
中二病がかなり後まで中二病でしたよね。
Takuya Oikawa
と思いますよ。
彼は実際優秀なプログラマーだったと思うし、
目の付けどころもすごいけれども、
でも最初はやっぱり創業メンバーとかって、
俺たちは何かすごいとか、
すごいことできるはずだ、
すごいことやらなきゃいけないっていう、
そっちのほうが強かったと思うんですよね。
実際それができるような存在に
どんどん結果としてなっていったんだと思うんですよ。
Takuya Oikawa
人を集め、タレントを集めっていうことで。
Mika Ueno
確かにそうですね。
創業者みたいだとそうですよね。
Takuya Oikawa
上手い好循環を回していったんだと思うんですよね。
だからああいうのがあっていいと思うんですけど、
やっぱり自分たちが何か特別だと思うのは、
チャレンジザステータスクをっていう感じで、
現状を容認するのでなく、
それに挑戦しようっていうところの考え方が通じると思うんですよね。
Takuya Oikawa
やっぱりアメリカの相手企業ってみんなそうじゃないですか。
もうこれが定番のやり方だっていうところに対して、
本当にそうかっていうところを常に疑問を持ち、
Takuya Oikawa
それに対して新たな自分たちの考え方こそ最高じゃないかとぶつけ、
失敗するものがほとんどなんだけれども、
その中のいくつかがやはり、
その業界を破壊するようなものを作り出して、
実際に世の中が変わっていってるっていうところなんで、
Takuya Oikawa
中二病がやっぱり世の中を変えてるんだと思うんですよ。
僕はGoogleに行った時にすごい印象に残っていたのが、
やっぱり僕の部下でオーストラリア人、
アメリカにずっといて、今日本にいるかなって言って、
すごい僕はよく心を、
自分の組織のこととか全部話して、
彼もいろいろ言ってくれて、
あるミーティングの時に、
内容忘れちゃったんですけども、
ちょっとこれできるかなみたいな話をしてた時に、
彼が、
タクヤ、ここはGoogleだぜって言ったんですよ。
タクヤ、This is Googleって言ったんですね。
めっちゃかっこよくて、
どういうことかっていうと、
Googleだからできるに決まってんだろって感じのことが裏に入ってるわけですよ。
確かにと思ったけれど、
Takuya Oikawa
かっこいいと思ったのと同時に、
こういうとこに入れて素敵だなと思ったんですよね。
Mika Ueno
いい話。
36:02
Takuya Oikawa
そういうことが。
Mika Ueno
自己愛って捉えられがちですけど、
自分に対しての自分を尊重するとか、
自信の部分ってすごい大きいと思うんですよね。
私ね、結構日本ドメなところ、
ドメスティックなところが多いと思うんですけど、
特に言いたくないんだけど、
女性ってのもあるんですよ。
社会から期待される役割ってあるでしょ。
男性とか女性とか。
そういうのもあって、
Mika Ueno
自分が自信、
自分に対して持つべき自信とかっていうのが、
本当はこうあるべきが、
徐々に社会とかに出てくると
抑えられていくところがあって、
自分もそれがあるんですよね、周りから。
この部分が、
Mika Ueno
自分の自信っていうのはもっと持っていいし、
解放したほうがいいなっていうのは、
とても思いますよね。
それとね、いつも毎日日々戦いなんですけど。
Takuya Oikawa
戦いですよね。
戦いは自分との戦いでもあり、
自分がやろうとしているものとの戦いでもあると。
自分との戦いって結構あるんですよね。
やっぱり、
勘違いした自分がいて、
何かできるんじゃないか自分がいて、
でもそれを外にも見せちゃったりしたならば、
結果としてそれをやり切らなきゃいけない
っていうところは、
Takuya Oikawa
常に戦いのところがあるんですよね。
Mika Ueno
そうですね。
Takuya Oikawa
本当は戦いっていう言葉を使いたくないけれども、
でも実際戦いはたくさんあるなと思いますよね。
Nobuhiro Seki
ワークフロンホームとかもやっぱり
戦いですよね。
タイだとの。
やっぱりだから、
こういうミーティングを入れたりとか、
外に行くとかしないと、
いや別に、
ちょっと、
めんどくさいし、
昼飯食べてからにしようとか思って、
気がついたら昼飯をつくのに
2時間かけたりとかしちゃいますからね。
そういうね。
何もないと。
戦いというのか、
Nobuhiro Seki
適切な
無知が必要なのか、
Mika Ueno
っていう。
Nobuhiro Seki
でもそれがね、
ピアツーピアで、
いるだけで全然違う。
やっぱり人間って、
パーソナルスペースの話とかもありますけど、
やっぱり、
Takuya Oikawa
監視というか、
監視というか、
刺激を与え合うというか、
何かがあるのがいいんですよね。
そうですね。
Mika Ueno
中二病の話からいろいろ広がりましたね。
Nobuhiro Seki
中二病っていうと、
あれって思うけど、
でも、
今のキャリアは、
中二病で作られた感じは今はしますよね。
最初中二病って聞いた時は、
うんって思ったけど、
Nobuhiro Seki
今聞いたら、もろ中二病ですね。
って思いますけどね。
Mika Ueno
源でもあり、原動力でもあり、
それは良いんだぞと。
Takuya Oikawa
話が終わった時に、
こういうのがあれなんですけど、
実は僕中二病って、
どんなのが中二病っていうか、
39:00
Takuya Oikawa
今は中二病かなって言っちゃったんで、
中二病ってことで収まるのは、
それはそれで良かったです。
Mika Ueno
収まります、収まります。
Nobuhiro Seki
中二病っぽいですね。
大丈夫です。
ということで、中二病こそ、
人生の
Takuya Oikawa
目立つべき姿であるという結論で、
今回は終わりです。
Mika Ueno
良かった。