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2023-11-01 17:43

第355回 井口恵氏(株式会社Kanatta代表取締役社長)【前編】

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今回は、株式会社Kanattaの井口恵氏にお越し頂きました。

ジェンダー平等の実現に貢献することを理念に、女性のドローンパイロットのコミュニティーを発足。現在はドローンに加え「宇宙業界へのキャリアを身近にすること」もテーマに加え、会社経営をするお姿から経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。

なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。

■経営者インタビューメディア「経営ノート」
https://keiei-note.com/

■WizBiz社長塾
https://www.youtube.com/channel/UC16VkcI4PaUISDD4UL7pFvQ





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社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、株式会社Kanatta代表取締役社長 井口恵氏様でいらっしゃいます。
まずは、経歴をご紹介させていただきます。
2010年、横浜国立大学経営学部卒業。
その後、有言責任あずさ監査法人にご入所。
その後、LVMHモエヘネシーウィトンジャパンに転職。
そしてその後、Kanattaを創業されている女性の社長様でいらっしゃいます。
本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
まず最初のご質問ですが、ご出身はどちらでいらっしゃいますでしょうか。
出身は、一応横須賀市というふうにお問い合わせさせていただいているんですけれども、
父が天金族だったので、結構いろんなところに住んでいて、生まれたのは大阪です。
横須賀出身というか横須賀で過ごしたのが長い。
長いんですけど、中学1年生から横須賀で、それまでは5、6回引っ越しているので、
小学校は全部アメリカでした。
なるほど。アメリカのどちらでいらっしゃったんですか。
どちらでいらっしゃったんですか。
東海岸のコネチカット州というところに2年と、
あと西海岸のオレゴン州というところに4年住んでいて、
なので小学校は全部アメリカでした。
私の息子もオレゴンの大学に留学していたので。
そうなんですか。
オレゴン大学ですね。
オレゴン大学ですね。
シャートルの大学の2年生から4年生のオレゴン大学に返任みたいな感じで。
すごい良いところですよね、オレゴン州。
オレゴンが美味しいという。
息子は飲めないと言っていました。
そうなんですか。私も飲めないので。
美味しいらしい。
アメリカでの小学校時代の思い出なんてございますでしょうか。
そうですね。いっぱいあるんですけど、
最初はとにかく英語がわからなかったので、すごい厳しいというか、
1、2年は英語がわからないので大変な思いをしたというのは覚えているんですけど、
ただ、2年目、3年目から言っていることは理解できるようになったので、
そこからすごい楽しく過ごさせていただいて、
アメリカの自由な交風というか、国の当たり前になっていたので、
日本に帰国してからの方がちょっと厳しかったです。
なるほど。どんなお子さんでいらっしゃったんですか。活発なお子さんなのか、静かなお子さんだったのか。
活発だとは思うんですけど、弟が2人いるので、結構親代わりみたいな形で、
別に年は離れていないんですけど、2個下と4個下なんですが、
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特にアメリカに行ってからは家族の中で私しか英語がしゃべれなかったので、
結構弟の学校の三者面談とかにも、親じゃなくて私が行ったりだとか、
親と一緒に私が行って、私がほとんど受け答えをしたりだとかをしていたので、
自分で言うのも何なんですけど、小学校の時は結構しっかりした感じだったかなと思います。
なるほど。ありがとうございます。
中学は先ほどおっしゃった通り、横須賀に戻り日本に戻ってきて、
中学を過ごした感じでいらっしゃいますか。
そうなんです。ただ横須賀に戻ってきたというよりは、
アメリカに行くまでは関西に住んでいたので、
父が東京の本社に戻るとなったときに、どこに住もうかという話をして、
私が横須賀市を選んだんですけど、
当時はオレゴン州が結構田舎で好きだったので、
田舎に住みたいというので横須賀を選んで、
今思えばすごいなと思うんですけど、
当時アメリカから一度も家を見ずに父は家を買って、
当時ネットもそんなに詳しい情報が載っていたわけではないのに、
一度も実物を見ずにマイホームを買うというすごいことをしていました。
お父さんは割とそういう同居というか、
社長様らしい同居的なものを持っていらっしゃったと思いますか。
同居なのか、急に帰国が決まったからそうせざるを得なかったのかわからないんですけど、
小さいときは家を一度も見ずに買うんだぐらいだったんですけど、
大人になってから考えたらすごいなと思っていて、
ただアメリカでも働いていたので、
その度胸はあるのかなと思います。
中学校時代はどんなふうに過ごしたかという思いでございますでしょうか。
中学校時代は最初帰国したときに、
とにかく学校が嫌いで、
アメリカってすごく自由で個性を評価してくれるところがあって、
科目別に飛び級もできたんですね。
私は数学がすごい得意だったわけではないんですけど、
最初にアメリカに行ったときに、
英語がわからないので、算数しかわからなくて、
それで算数がすごい好きになって、
最終的に6年たったんですけど、
日本に帰ってきたときに言われたことが、
数学はもうできるからやらなくていいと。
社会とか理科側もほぼ赤点だったので、
そっちを頑張れというふうに言われて、
それまで受けてきた教育と全然違ったので、
アメリカではどんどん数学が好きなんだったらそっちを伸ばしなさいと言って、
他の教科は平均取れればいいけど、
平均もいってなくて、
自分が得意なところをどんどん伸ばせという教育だったのが、
日本に来たら、
全部平均的にできる人が評価されるみたいなところがあったので、
最初はその文化というか評価制度に慣れるのがすごく苦労して、
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あまり学校が好きじゃなかった記憶があるんですけど、
途中からは友達もできてすごい好きになって、
日本ならではの集団のような教育ができて、
いいなって思えるまでになりました。
何か部活動とかはなさっていたんですか?
部活はやっていなかったんですよ。
とにかく最初は学校が嫌いすぎて早く帰りたかったので、
迷わず来た部分になって、
その時はピアノを一生懸命やっていたので、
学校から帰ってからずっとピアノの練習をしていました。
なるほど、ありがとうございます。
高校は横須賀の高校ですか?
はい、横須賀高校に進学しました。
何か高校は横須賀の地域にしようとか、
東京に出ていこうとか、
そういうのはあまりお考えにならなかったんですか?
そうですね。
当時は一番近いところで、
その学区で一番いい高校が横須賀高校でした。
自転車で行ける距離にあったので、
じゃあもうそこにしようみたいな感じだったので、
あまり受験して東京の市立に行こうとかは考えていなくて、
横須賀高校がすごい自由な校風だったので、
アメリカにいた時の自由さみたいなのを
すごく求めていたのもあって、そこに進学しました。
なるほど、ありがとうございます。
横須賀高校ではどんなことをして過ごしたんですか?
横須賀高校は特殊なんですけど、
3年間クラス外がない学校なので、
クラスの子と仲良くなって、
いろいろ行事とかをやっていた思い出がすごくあって、
体育祭と文化祭が交互にあるんですけど、
体育祭の時は応援団をやったりとか、
結構そういう学校の行事にも積極的に参加していました。
ただ、高校になってから部活には入らずに、
ちょっと迷ったんですけど、結局入らずに、
当時から私はすごいお金が好きだったので、
お金を稼ぎたいと思って、
本当は高校がバイト禁止だったんですけど、
届出をすればできるっていうのを知ったので、
入学してすぐ届出をして、
家の近くのマクドナルドで買い物をしたりとか、
お金を稼ぎたいと思って、
入学してすぐ届出をして、
家の近くのマクドナルドで3年間ずっとバイトをしていました。
週何回ぐらい入られていたんですか?
一番多い時は週6で入っていたので、
社員さんよりも私の方がいたんじゃないかというぐらい、
働いていました。
マクドナルドのすごいマニュアルは、
結構頭に入っていらっしゃるんですか?
そうですね。マニュアルは頭に入っていますし、
どのポジションでもできるというところまでは行ったので、
すごい楽しかったです、アルバイト。
その時、経営についてはほぼ学ばれてらっしゃるんですか?
経営についてというか、きっかけというか、
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マクドナルドで働いていたことがきっかけで、
経営に興味を持って、
いい商品をお客さんに提供するために、
作り置きをしないという方針だったので、当時から。
そうなるとやっぱりロストが出るので、
これはどうしたら一番いい塩梅で経営というか、
運営できるだろうというのは当時からすごい気になっていて、
発注とかも携わらせていただいていたので、
売上を予測して発注してみたいな業務もやる中で、
もうちょっとこの辺りの知識があったら、
うまくできるんじゃないかなと思って、
それもあって大学は経営学部に進学しました。
なるほど。まさに社長様になるために学んできた感じがしますね。
そんなことはないんですけど、
とにかくお金が好きでしたね、その時は。
なるほど。ありがとうございます。
大学は横浜国立大学経営学部ということで、
私の父も横浜国大の理系ですけれども、後輩になられますけれども、
横浜国大の経営学部を選んだ理由というのは何かございましたか?
当時私が理系選択だったんですけど、
高校3年生になった時に実験がすごい嫌いだということに気づいて、
アメリカにいた時はすごい実験が好きだったんですけど、
当時は答えがないことに対して試行錯誤して何か結果を出すみたいな感じだったので、
すごい好きだったんですけど、
日本の高校でやる実験って答えがわかっていることを
わざわざ何回もやるみたいなイメージがあって、
あんまり面白くないなということに、
自分が理系選択をしてから気づいて、
これを大学になってもずっとやるのかって思った時に、
嫌だなって思って分転したっていうのがあるんですけど、
横浜国大の経営学部は理系でも受験できたので、
それがあって横浜国大にしたっていう経緯があるのと、
あとその高校もそうなんですけど、家から近いところに行きたいっていうのがあって、
同じ県内の横浜だしっていうので第一志望で進学しました。
わりと近場がお好きでらっしゃる。
何なんですかね。
あんまり通勤通学に時間をかけたくないっていうのがあったので、
近くにあるんだったらみたいな。
そういう意味では社長そのやつ、いわゆる効率を求めてらっしゃる。
そうですね。それはあると思います。
ありがとうございます。
横浜国大時代はどんなことをして過ごしたなんて思うでございますでしょうか。
横浜国大に入ってからは、そこでなぜか部活に入りました。
中高部活に入らなかったので、自ら望んで入らなかったんですけど、
中高日本で過ごした時に、
クラスメイトとかとは定期的に会うっていうのがあまりないけど、
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部活仲間とはずっと仲良しだっていうことに気づいて、
部活仲間っていうのが自分はいないので、そこがすごく羨ましくて。
大学に入ってからは、そういう一緒に切磋琢磨した仲間が欲しいって思って、
初心者なんですけど、いきなり体育会のテニス部に入りまして、
そこからは週6でテニスをする日々だったので、
朝の4時くらいに起きて始発で学校に行って、
6時半にはコートにいるみたいな生活をずっとしてました。
テニスも相当上手でいらっしゃったんじゃないですか?
いや、それが本当に体育会だったので、
ランキングで上位の人しか練習ができないみたいなところがあって、
夏休みのトーナメントの直前になると、
ほとんど私は球拾いばっかりだったので、
全然すごい技術があるかと言われたらないんですけど、
ただ部活の厳しさとか仲間の大切さっていうのは、
部活を通じて学ばせていただいたので、今ではいい思い出なんですけど、
当時は結構ヘロヘロでしたね、毎日。
上手くなっていかないと辞めやすくなるんじゃないかみたいなところがありますが、
そんな気持ちは全くない感じでいらっしゃいますか?
上手くはなっていたんですけど、
やっぱり小さい時からずっとテニスをしていた先輩たちには
かなわなかったっていうのがあって、
でもその時にすごい思ったのが、
テニスって個人競技なんですけど、
ただ一番大学として力を入れていたのが団体戦だったので、
その中で自分が何ができるかなっていうのはすごい考えていて、
ウィンブル・ボットンとかにもいますけど、
ボールガールやったりだとか、
福神出身、審判やったりだとかなんですけど、
その中で少しでもチームの役に立てるように何ができるかなっていうのは
すごい考えてやっていたので、
自分の技術力向上がもちろん一番なんですけど、
それと同時にチームの役に立ちたいっていう気持ちもあったので、
ただ部活は私は4年生までずっと続けたわけではなくて、
途中で公認会計士になりたいというふうに思ったので、
そちらの勉強との両立ができなくなってきてからは
途中で辞めてしまったんですけど。
公認会計士の資格は大学の在学中に取ったというふうに思ってよろしいですか?
そうです。在学中に取りました。
それを取ろうと思ったきっかけっていうのは何かあったんでしょうか?
取ろうと思ったきっかけは、私が先ほど申し上げた通りすごくお金が好きっていうのがあったので、
いい大学に行っていい会社に入るみたいなのが当時目標で、
どうやったらそうなるかなっていうふうに考えて、
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先輩の就職先とかを見てたんですけど、
当時たまたまなんですけど、
テニス部の先輩の就職先があんまりよろしくなかったって言ったら失礼なんですけど、
すごい第一志望に行きましたみたいな人はあんまりいなくて、
どうやったら自分はその中でいい会社に入れるかなっていうのを考えたときに、
横浜国立大学ってあんまりすごいブランド力があるわけではないので、
総計とかと比べて、
何か資格を持ってないと確実にいい会社に入っていけないっていうのがあったので、
大学に入るっていうのが難しいんじゃないかなって思って、
大学2年生のときに公認会計士っていう資格があるっていうのを知って、
この資格さえ取れば大学とか関係なく絶対にいい会社に入れるから、
じゃあこの資格を取ろうって思って、
最初は通信制にして部活とも両立できるようにして、
同時並行でやってたんですけど、
在学中に合格するっていう目標だったので、
どうしても両方はできなくなってしまって、
大学3年生のときからは勉強に集中するようになりました。
ありがとうございます。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり、
誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもウィズビズが運営するウェブサイト経営ノートでも
閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長肉インウィズではここまで。また来週。
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