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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、ドリームベッド株式会社代表取締役社長 堀出克己様でいらっしゃいます。
まずは、経歴のほうをご紹介させていただきます。
山口県出身で、広島銀行を経て2003年ドリームベッドに出向されています。
そして2004年ドリームベッドに移籍。
今後、取締役専務取締役の機に、2017年に代表取締役社長に御所任なさっています。
2021年には、東京証券取引所スタンダード収容旧東証二部に上場している上場企業の社長様でいらっしゃいます。
これで社長様、本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
まず最初のご質問ですが、ご出身は山口県とのことで、小学校時代はどんな少年でいらっしゃいましたでしょうか。
そうですね。海が近かったものですから、学校から帰りましたら、ランドセルを玄関口に投げ捨てて、ずっと海の近くで過ごしたというふうな少年時代だったというふうに思います。
非常に自由奔放に育ったかなと。山もありますし海もありますし、非常に自然環境に恵まれた環境の中で育ちましたので、
そういう意味では、今もって非常に懐かしさが思い揚げてくるような環境だったかなというふうに思います。
やっぱり社長様のようになっているね。ガキ大将とかそんなこといらっしゃったんですか。
いやいや、そんなこともないですよ。割と小学校時代はですね、どちらかというと控えめな方だったかなというふうに思います。
あまりリーダーシップを取るような人間では当時はなかったのかなというふうに思います。
言われれば仕方なく前に出るというふうな状況の少年だったかなというふうに思いますけども、ただ言われれば本気でやるという性格だったかなというふうに思います。
ありがとうございます。中学校時代はどんな思いでございますでしょうか。
そうですね、中学校時代も同じ地域で当然育ったわけですけども、地域の中から小学校から3校ぐらいあったんですけど、
みんなが集まってくるような中学校で、当時私も南海世代のちょうどの真ん中ですから、
今のように一クラスが20人、30人というようなことはなくて、50人近いクラスでですね、田舎の学校だったんですけども、
当時確か5クラスぐらいあったかなというふうに思います。今では信じられないような様子に、教育環境だったかなというふうに思います。
中学校ではずっとやったわけではないですけども、バスケットをやりまして、今でもですからバスケットはどちらかというと、
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野球も好きですけどもバスケットにも非常に興味があるということで、最近のやっぱりBリーグあたりはですね、非常に関心もありますし、
アメリカなんかのバスケット論、渡辺くんあたりも活躍しているのを見ますと、こういう若い人たちが私もできればよかったかなというふうなことを思うときも時々やっぱりありますね。
勉強はどちらかというと、あまりしなかった方なんですけども、あまり勉強した記憶はないんですけども、ただ、もちろん成績が悪かったかというと、決してそうではなかったのかなと。
意外に成績は比較的弱かったかなというふうに思いますけども。
なるほど。ありがとうございます。高校は山口県内の高校ですか?
そうですね。私は山口県の柳市というところにあります。柳市商工高校ということで、当時は今でもちょっと珍しいと思いますけども、商業学校と工業学校が一緒になりました。
高校でした。男女教学でしたので、ここで私は商業科というところで3年間を過ごしたわけですけども、ここで今でも非常に役に立っている募金ですよね。
こういう勉強を結構させてもらったのが、今でも非常に役に立っているというふうに思います。
ただ、その頭で考えた会計であるとか云々であるとかいうことだけではなくて、実際にいろんな仕分けを直接的にするとかですね。
当時は面白かったのは、商業高校、今でもあるのかも分かりませんけども、商業実践と言いまして、実際に銀行であるとか卸しの業態である、小売の業態であるといったものを任されて経営をするというふうな授業もあって、
ここは非常に今も思いますけども、非常に役に立った経験だったのかなというふうに思いますね。
ただ、残念ながら当時はまだ計算機、パソコンなんか当然ない時代で、商業学校ですから当然ソロ版というものがあるんですけども、ここはもう全く駄目でですね、卒業の時に先生に特訓をしていただいて、何とかソロ版の単位をもらったというふうな記憶があります。
ただ今もですね、ソロ版は結構指を動かすということでは役に立つので、今の私の机の上にあたえるソロ版を置いてですね、時々はやっぱり使ったりします。
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なるほど、ありがとうございます。高校時代はどんなことして過ごしたのか、勉強以外は何かされていらっしゃったんですか?
そうですね、高校時代はですね、特にクラブっていうのは決めたクラブはなくて、最初は当然すぐバスケットに入ったんですけども、かなりやっぱり私はそんなに性が高い方ではないんで、あまり高い人たちの間に挟まってですね、やっててもあんまりうまいこといかないかなということで、途中で半年ぐらいで辞めてしまいました。
その後、柔道部ですよね、ここへ入ったり、あるいは某キーの要するにクラブに入ったりですね、駆け持ちで3クラブで駆け持ちで、変わったところでは演芸部にも入っておりまして、いろんなクラブの活動を楽しませてもらったかなと。
非常に高校時代もですから非常に、今も思うと懐かしいですね。今思ってですから、当時のメンバーとはよく比較的会って話をする機会もありますけども、当時の楽しい思い出っていうのをですね、よくやっぱり話しますね。
【佐藤】ありがとうございます。大学はどちらにお勧めですか?
【高橋】私はですね、大阪の近畿大学へ入りました。
【佐藤】近畿大学を選んだ理由って何かございましたか?
【高橋】そうですね、やはり商業高校でしたので、やっぱり受験勉強ということで、最後の高校3年になってですね、大学へ行った方がいいんじゃないかと、私自身の思いがあってですね。
それまでに親からは、もう高校でやめろというふうに言われてたんですから。
というのは、私の実家がですね、釜木を製造する事業って言いますか、あれを親がやってたもんですから、それを当然継ぐんだろうというふうな思いの中で親からそういうふうに言われてて、
本人もそういうふうな思いもあったんでしょうけども、やっぱり高校へ行って周りを見ていると、これは今まで高校だけで終わったんだよ、今後やっぱりなかなか難しくなるんだろうなというふうな思いが本人もあってですね。
当時は商業高校から大学へ行くというのはですね、我々の高校でもですね、本当10人足らず、おそらく300人ぐらいいたと思うんですけども、商業科、その中で10人足らずということですから、かなり無謀な挑戦というか、特に勉強をせずにですね、ということで、
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この最後の1年間ぐらい、少し先生に海外授業をしていただいたりとか、当時は呼び子も当然ありませんので、そういうことで、なんとか近畿大学に滑り込んだということです。
【佐藤】でも、たった1年の勉強で近畿大学まで行かれると、やっぱり頭はよろしかった?
【高橋】いえいえ、そんなことないですけど。
【佐藤】近畿大学ではどんなことをして過ごしたかと思えてございますか?
【高橋】そうですね、近畿大学はですね、当時はご多分に漏れず、ちょうど段階の世代はみんな経験してますけども、大学では学生運動が華やかれし頃ということで、近畿大学そのものはあまり学生運動が活発だったということではないんですけども、
そうは言いながらですね、やっぱり講義がないというふうなことも多くてですね、大学での本当の勉強をしたなという感覚は今あまりないんですけども、
ただ、だけど帰ってですね、授業があるときには集中して結構勉強をしたのかなと。特にゼミ活動は先生あたりがですね、非常に授業がなかなかしづらいということで、ゼミにはですね、非常に力を入れておられたということもあって、
あの人数も少なくてですね、しっかり鍛えていただいたのかなというふうに思います。
ゼミは何の専攻だったんですか?
私はですね、ゼミはですね、会計のですね、ゼミでした。高校では毛期実践というところでのあれだったんで、やっぱりその体系的な部分でちゃんとやっぱり勉強しなきゃいけないなという思いもあって、会計のゼミをとりまして、非常に絞られましたけども、いい経験を4年間ですね、最後の2年間はさせてもらったのかなと。
いうふうに思います。ここも非常に今も会社の経営を考える上ではですね、基礎ベースになった、いろんなベースができた時期だったのかなと思いますんで、中途半端ではありましたけども、ある程度、今役立つような知識を吸収できたということでは非常に良かったのかなというふうに思いますね。
なるほど。会計士、税理士とかを目指そうとは思われなかったんですか。
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当時ありまして、当時はですね、ですから税理士研究会というところにも入って勉強もしてました。
一部ですから当時税理士もですね、単位がいろいろ、科目がいろいろありましたけども、地方税部分については試験もですね、一部通ってはいましたけども、なかなかやっぱりまとまった勉強ということが当時できずにですね、途中で挫折してしまいましたけども、
私の友達、当時の友達は今3人ぐらい税理士がですね、やっぱりいます。
なるほど、ありがとうございます。新卒で広島銀行でいらっしゃいます。
そうですね。
山口県は山口銀行があって、広島では広島銀行がトップ銀行で、広島銀行を選ばれた理由というのは何かございましたか。
そうですね、やっぱり経済的に私も山口県とは言いながらですね、岩国市ということで非常に広島に近接した地域で、経済的にはですね、広島とのつながりが非常に強いという地域でしたので、どちらかというと、やっぱり広島の方がですね、円が深いということもありまして、
本日は地元へ帰るのか、それとも関西あるいは東京あたりで就職するのかということで、大学4年の時に就職がその中で迷ったんですけども、どうしても親がですね、帰ってこいというような要望もありまして、
たまたまおじが紹介をしてくれた関係もあって、広島銀行受験を、入社試験を受けまして、なんとか合格できたということで、銀行への就職を決めました。
なるほど。その広島銀行の支店長を歴任されていらっしゃるんですが、その途中段階では、かまぼこ屋さんにお戻りになれみたいな話はなかったんでしょうか。
なくはなかったんですけども、やっぱりもう基本的にもそんなに大きな、当然会社でもありませんし、親もある程度先行きを考えたときに、銀行に入っているものをわざわざまた戻してというふうな思いはですね、あまりなかったのかなというふうに思います。
詰めるようになって実家から通ってましたけども、あえて後を継いでというふうなことを親から言われたことはなくてですね、私も結構銀行へ入って生活を楽しんでいた部分もありましたので、銀行自身のいろんな業務も面白い部分もあってですね。
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一番最初に配属されたのが屋内支店ということで、当然高校がありました地元でしたので、非常に縁の深い地域でもありましたし、知った人もたくさんいてですね、当時は高校へですね、ボーナス時期になりますと先生のところへボーナスをいただきに行くというふうなこともしたりしてましたので、
意外にあまり、どうですかね、家に戻ろうというふうな気持ちは当時あまりもうなかったのかなというふうに思います。
なるほど、ありがとうございます。
なんか広島銀行時代の思い出とか、一番思い出に残っていることなんてございますでしょうか。
そうですね、当時の銀行というのは今とも全く違いまして、それこそなんですかね、親方日の丸的な、非常に銀行としてはいる人たちにとってもいい時代だったのかな、厳しい側面もありましたけども、非常に経営的にはそんなに危惧されるような状況では全くなくてですね、非常に銀行の立場に強い時期でもありますし、
今のようにその権利で言われるようなこともほとんどなくて、どちらかというと貸してやるみたいな環境の中での経営ですから、そういう意味では銀行自身も非常にいい時期だったということもあってですね、そんなに特別苦しい思いをしたということは当時あまりなかったというふうに思います。
ただ、限られた資金をどうやって配分するのかというふうなことは、当時の融資係をしていた当時はですね、いろんな中小の企業の社長さんからですね、攻められたというふうな、こちらから貸すというようなことではなくて、企業さんから求められるということでですね、
できるだけ多く資金を配分してくれというふうなことの様子に言われるということでですね、その配分に苦労するというようなことはですね、当時は多かったというふうに思いますね。金利を生むと言われることはほとんどなかったですから。
なるほど、ありがとうございます。
3分コンサルティング。みずみずが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングは有写様でいらっしゃいます。当社は就業期間に明文化しておりませんが、10分前出勤が定着しています。
8時30分が修行時間なんで、皆8時20分が席につき業務を開始しています。しかし先日ある社員が修行時間の2分前に出社し、手洗いやパソコンの立ち上げの時間が取られ、8時半開始のチームミーティングに若干遅れを生じました。
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その際、チームリーダー10分前出勤を徹底するよう指導したそうですが、遅刻をしているわけではないのに注意されるのはおかしいと反発したそうです。
確かに彼はたまたま遅れてしまい注意を受けただけで、やるべきことはこなし、高いパフォーマンスを発揮する優秀な社員です。
とはいえ、早い社員であれば8時に仕事を開始している者もいるので、会社としてあえて10分前出勤を規則として強制していなくとも、組織の習慣として大事にできる社員を育てていきたいと考えています。
出社時間を変える等は試案に入れておりません。情報修長が最適な関係や答えを導きたいと考えておりますが、新大佐さんはどのような指導をされますか。アドバイスよろしくお願いします。
これはなかなか難しい問題ですね。200名も従業員がいて、10分前出勤を皆さんがやっているというのは本当に素晴らしい組織を作っていらっしゃると思います。
その方向性で変えないというのがあれば、まずはこの2分前に来てチームミーティングが送られた方とチームリーダーと、そして前に行った社長様が入って、お三方なり他の中間管理者もあって話し合いを持つべきだと。
それで理解されないんだったら、やっぱりしょうがないですから、この勇者様に入れないんじゃないでしょうか。200名の方々が10分前出勤をきちっと守っているというのはそういう組織風度なんだと思います。
かつ企業文化がそういう風になっているので、それに合う形で採用してはいけないんだというふうに思います。
一方でご理解いただければ、ちゃんと納得いただくまでお話し合いはちゃんとすべきだと思います。
例えばこんなことをお話しされたらどうでしょうか。10人のメンバーが参加する会議だったら、1人1分ずつ遅れれば10分損している。
2分遅れたら20分ずつ。
なので人々の時間がもったいないんだ。
だからこそ10分前に出勤し、会議が早めにスタートし、みんなの時間をもったいなくさせないことが、ある意味200名の従業員たちのクライベートも大切にしていることになるんだ。
こういう話をしてみてはどうでしょう。
実際私なんかは、若い頃は朝7時とか7時半に会社に行ってました。
9時までに1日の仕事を終えるんです。
そうすると会議とかがあってもどうにかなるし、何なら5時半で終わりですから、5時半ぴったりに飲みに行けるわけですね。
なのでわざと朝7時とか7時半に出勤して、その日の仕事というか、ある意味1週間分の仕事をその1時間とか1時間半の間で全部こなすみたいなことをやってました。
その方がですね、効率的なんですね。
人がいないときの話しかけられないので、すごくスピード早くですね、準備ができる。
何なら1週間分の訪問の準備も全部添えて終わってしまうぐらいのことをやってました。
ですので、そういうことをしてたからこそ、それなりに当初一部上場状況の上部まで上がってますし、今現在社長もやってると。
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こんなような話をすると、もしかすると一生懸命働いてくださるかもしれません。
先ほど言った1人1分の時間を損してるんだという話でもいいかもしれません。
それ以外にもいろんなことをですね、有者様ではチームリーダーの方もいろんなことを考えてらっしゃるでしょうが、ちょっとお話し合いになっていただいたらいいんじゃないかと思います。
それでも合わないようだったら、やっぱりその御社、有者様の企業文化や組織風土が合わないということになってくるので、そうしましたら他の会社で活躍いただくべきなのかもしれません。
その辺しっかりと話し合っていただいて、組織風土、企業文化を大切にされたらいいんじゃないかなと思います。
そんなような形でお話ししてみてはいただくかなと思います。
もしもっと細かいことご相談がございましたら、無料の経営相談が載っておりますので、何なりとご相談ください。
本日の3分コンサルティングはここまで。また来週。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
その内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウィズビズが運営するウェブサイト、
経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社系に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。また来週。