吉永尚氏の紹介と経歴
社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、NCU合同会社代表社員の吉永久志様でいらっしゃいます。
シニアの企業ということで、今日はインタビューをさせていただきたいと思います。
まずはプロフィール経歴の方をご紹介させていただきます。
東北大学中退後、東京理工&北海道理工で法人営業をなさりました。
その後、ドコモショップの運営会社で専務取締役をなさっていらっしゃいます。
その後、有限会社ネットカンパニーUを設立、営業代行・営業支援をなさっていらっしゃいました。
その後、外資系生命保険会社で法人営業をなさり、現在のNCU合同会社を設立し、
営業支援・人材育成・経営者ネットワークの構築などをなさっていらっしゃいます。
社長様でいらっしゃいます。吉永社長様、本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
まず最初のご質問ですが、ご出身はどちらでいらっしゃいますでしょうか。
札幌生まれです。
なるほど。札幌なんでスキーとかはやられていらっしゃったんでしょうか。
ところが運動本地で全然ダメです。
そうですか。
小学校時代はどんなお子様だったなんて思いでございますでしょうか。
そうですね、あまり目立たない感じでしたね。
ワンパックグループの端っこにいて、なんとかすがりついてるみたいな感じでした。
今のお姿からは想像つかないかな。
いや、今もそんな感じです。
そうでいらっしゃいますか。ちょっと私の知ってる吉永さんと違うような気がするんですが。
中学時代はどんな子として過ごしたなんて思いでございますでしょうか。
中学時代は転校していじめられたんですよ。
転校生だっていじめられちゃって。
それでも2、3ヶ月したらみんなと溶け込んで仲良くなれたんですけども、
そのいじめられた記憶は後々まで響きましたね。
ガキ大さん対抗したとかそんな感じで。
いやいや、全くないですよ。ただ転校してきて、
お前はなんか意気がってんじゃねえぞとか、わけのわかんない因縁つけられて、ちょっといじめられたっていうのがありまして。
でもそれをうまく突破できる能力もあられたということですよ。
ある意味長いものに巻かれただけです。
そうでらっしゃるんですか。ありがとうございます。
高校も札幌の方でらっしゃいます?
そうです。高校も札幌ですね。
高校時代はどんなことして過ごしたのかお覚えでございますでしょうか。
高校時代はですね、前半の1年半は、
自分一人で男女交際同好会というのを設立しまして、
3年間会員会長オール私一人というのをやってたんですけども、
その前半はですね、女の子ばっかり追いかけてですね、
彼女を作るって遊ぶことだけを前半やってまして、
なぜかその子と別れた後ですね、後半ですね、もう勉強してました。
1日8時間とか毎日バカみたいに勉強してですね、
受験勉強ばっかりしてました。
男女交際を一生懸命やろうみたいなことを思ったのは、
何かきっかけがあられたんですか。
いや、なんとなくです。非常に行き当たりばったりですね。
俺は今日から男女交際同好会を立ち上げるって宣言だけして、
ただ一人で活動してて、要はクラスの女の子にちょかいかけてただけです。
お友達とかお仲間ができて、そういう話になったりという感じではないんですね。
相変わらず一人で何か始めるっていうのが大好きで。
ちょっとそこらへんが企業家らしい感じがしますね。
勉強に目覚めたのは何かきっかけがあられるんですか。
あのね、ケツ庭が出たんですよ。
何でかわかんないんですけど、朝起きてトイレ行ったら、
あの葡萄酒みたいな感じだったんですよ。
それで大学病院とか行って、いろいろ親に心配かけたんで、
結局なんでもなかったんですけども、
その時にこんなに親に心配かけて何かできないかなって思って、
ちょっと気合入れて勉強してみるかって言って始めたのが、
高校2年生の夏だったんですよね。
なるほど。で、大学は東北大学のお入りになってらっしゃるんですが。
入るだけは。
東北大学はもちろん国立大学で素晴らしい大学なんですが、
東北大学が選ばれた理由っていうのは何かございましたか。
恥ずかしいんですけどね、英語が全然ダメだったんですよ。
それで当時は、今は違うんですけども、
当時は東北大学の二次試験に英語がなかったんですよ。
私は工学部だったんで。
北海道大学に本当は入りたかったんですけども、
北大は二次試験に全部英語があったんです。
ところが当時は東北大学は、私の時は二次試験に工学部英語がなくて、
それでそこを選んだと。
なるほど。東北大の工学部というのは理系ですので、
ある意味、日本では東大、京大、東北大の理系、
この3つ以外はほぼ大学じゃないと言われてますけども、
そこで入られるということは、やっぱり理科、数学あたりはお得意でいらっしゃったと、
そんな感じでいらっしゃいますでしょうか。
数学だけは得意だったんじゃないですかね。
一応自己採点では一次試験も二次試験も満点でした。
素晴らしいですね。
そういう人初めて出会わせていただきました。
自己採点ですよ。本当かどうかはわからない。
でも自己採点でも素晴らしいですね。
東北大学の工学部での思い出なんてございますでしょうか。
ほとんどバイトに空けてまして、学業が追いつかなくなりまして、
一番はボランティアしてたんですよ。
たまたま知り合いになった障がい者の方がいらっしゃる。
手伝いみたいなことをやってて、そこでカルチャーショックがあって、
ボランティアに結構のめり込んでて、バイトとボランティアみたいな感じでやってるうちに、
学校に行きたくなくなってしまいまして、それで中退と。
東京理工での経験
なるほど。仙台市内で障がい者さんの方と出会って、
ボランティアしようと思った思いは何かございましたでしょうか。
やっぱりそれまで高校までの18年間の自分の人生の中で、
あんまり車椅子の方とのご縁とかってなかったわけですよ。
実際に車椅子の方のお手伝いなんかしてて、
街のちょっとした歩道の段差だとか、あるいは喫茶店に入るときの間口だとか、電車に乗るとき、
もろもろやっぱりなかなか今まで自分自身は経験したことのないことがいっぱいあってですね。
これって何なんだろうみたいなのは結構自分の中にあって、
こういったところから何か自分にできるんだったらこうしていきたいと。そんな思いがありました。
なるほど。ありがとうございます。バイトはどんなことなさっていらっしゃったんでしょうか。
もう何から何までやりましたね。ゲームセンターのバイト、測量会社の助手、運送会社の手伝い、サウナの受付。
ありとあらゆることをやりました。
バイト時代の思い出とかございますか。
学習塾のバイトが一番きつかったですね。小学生の生徒さんが10人ぐらいいる前で答弁を取るわけですよ。
算数とか理科とか教えてるんですけども、なんか冷ややかな目で小学生に見つめられてですね、
この先生大丈夫なの?みたいな顔されてるわけですよ。
それでこういうの向かないなと思ってショックを受けたっていうのが一番の思い出です。
なるほど。ありがとうございます。東北大学は中退なさってるということなんですが、中退後は東京理工に御就職でしょ。
そうです。
東京理工を選ばれた理由とはございましたか。
中退してみてわかったのは、世の中は厳しいっていうことだったんですよ。
そもそも面接に行けば、なんで中退したのか始まるわけですよ。
あんた資格あるの?何もありません。
結局営業っていう自分のイメージがあって、営業会社にだけは入りたくないなって思って、営業会社以外にばっかり面接行ってたわけですよ。
そしたらもうけもごろごろに担当者から悟されまして、あなた一体資格も実績も何もないくせして、なんで経理の仕事でうちに応募したんですかとか言われるわけですよ。
それでもどこも就職先ないなって思ったときに、たまたま営業会社はいっぱいあったんですよ。
それで営業会社に申し込んで、何社か内定をもらったうちの一発目が東京理工だったんですよ。
なるほど。東京理工だと東京の方に引っ越されて、そんな感じでいらっしゃるんですか。
そうです。
なるほど。東京理工での思い出なんか何かございますか。
東京理工の思い出はやっぱり一番は感謝ですね。
営業の面白さだとか、営業の素晴らしさみたいなのをやっぱり教えてもらったんで、感謝感謝ですね。
なるほど。ありがとうございます。
北海道理工に移られるのは同じ系列なんで、転勤みたいなそんな感じですか。
今は理工ジャパンって全国組織になってるんですけども、当時は結構全国分割されていて、分かれていたもんですから、
一旦退社して遺跡みたいな形で、それまでの経歴も加味した上で、役職もついて移動するみたいな形でした。
これは吉永様からご希望なさっている。
そうです。入社する段階で、東京が一番就職が良かったんで、就職先に選んだんですけども、
入社する段階で地元が北海道なんで、北海道に帰りたいですっていうのは言ってました。
北海道理工とドコモショップの思い出
なるほど。それで北海道理工に移られたわけですけども、北海道理工での思い出って何かございますでしょうか。
そうですね。やっぱり北海道理工での思い出は、東京と地方じゃ世界が違うっていうのがある。
たまに東京の支配の社長に電話すると、あれ吉永さんなんかのんびりするようになりませんか、なったんじゃないですかって言われましてですね。
確かにやっぱり空気感とか時間の流れがちょっと違いましてですね。
結構違いを目の当たりに感じたっていうのはありました。
なるほど。ありがとうございます。その後ドコモショップの運営会社に移られたので会ってらっしゃいますでしょうか。
そうです。
これは何かきっかけがございましたでしょうか。
お客さんだったんですよ。そこの社長はまた面白い社長で、
昼時に行くと隣の中華料理屋であんかけ焼きそばを送ってくれるんですよ。
だからその社長のところに、あんかけ焼きそばを食べたくて11時半ぐらいに狙っていくっていうのを、毎月1、2回繰り返していて。
そのうち社長から、今度ドコモショップをやることになったんで、ちょっと手伝ってよって言われまして。
それでいいなと思って、離婚をやめてそちらにご役に立った。
なるほど。ありがとうございます。
ドコモショップ運営会社での思い出なんてございますでしょうか。
そうですね。やっぱりこれだろうかっていうぐらい働いた気はありますね。
本当に社長に信頼していただいて、しかも肩書きもいただき、また年収もかなり増額させて、
後退軍で迎え入れていただいて、さらに車が必要だろうって新車まで買っていただいて、すごい後退軍でかつものすごい信頼。
その社長はもう最初からお前が次期社長だまで言ってくれてですね。
そんなことでだったもんですが、本当に練馬申しんで働いたような気がしてます。
なるほど。北海道のドコモショップっていらっしゃいますか。
そうです。
じゃあ北海道中を歩き回って店舗を作っていくみたいな、そんな感じで。
そこは函館のドコモショップだったんですよ。
で、道南地域を営業所とか支店とか作ったりして展開してました。
なるほど。ありがとうございます。
そちらを辞められて有限会社ネットカンパニーUを設立であってらっしゃいますでしょうか。
はい。
それのきっかけは、創業のきっかけは何かございましたでしょうか。
一番はやっぱり息子の死なんですよね。
創業する2年前に、小学1年生の息子を交通事故で亡くしまして、
その時に教えられたことがやっぱり2つあって、
人は必ず死ぬんだと。
それから時間は有限なんだと。
この2つを息子に教えてもらいまして、
私自身もやっぱり自分の人生が限られていて、いつ何が起きるかわからない。
そんな中で今やるべきこと、今したいこと、今願うことを実現させるために何が必要なんだろうと。
そんな思いから企業、自分で経営者として歩むのが、
一番自分の時間の有効な使い方につながるんじゃないかっていうのが原点です。
なるほど。ありがとうございます。
ドコモの会社からは、辞めないでくれとか引き止めとかそんなのはございませんでしたでしょうか。
社長はもう、お前どうしたと。疲れたんだったら少し何ヶ月でもいいから休めと。
休んで落ち着いたら戻ってこいって非常にありがたいこともいただいたんですけども、
一生懸命説得して永遠前に対処させていただきました。
有限会社ネットカンパニーの設立
有限会社、ネットカンパニーでの思い出なんて何かございますでしょうか。
いやー苦しかったですね。
なんせ意気揚々ですね。ある程度蓄えもあったんで、
大盤振る舞いをしながらですね、全国を飛び回ってですね。
ネット上にオフィスビルとデパートを作る。
インターネットの会社を作ろうと思って始めたんですよ。
どんどんどんどんお金はなくなっていくし、事業は立ち上がっていかないし、
もう2年も経たないうちに方向転換を余儀なくされてですね、
その後はもう大きなことは言わないと。地道にコツコツやろうということで、
営業支援、営業代行をやってたんですけど、
それでもやっぱり十何年かなりうまくいかずにスタモンダスタモンダしてました。
なるほど。何か学ばれたこととか思い出とかございますでしょうか。
そうですね。やっぱりコツコツやるっていうのが、
経営者はコツコツコツコツやるべきだというのを身にしみて思いました。
なるほど。ありがとうございます。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべて適当化いたしまして、
私どもウィズビズが運営するウェブサイト経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社系に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければと思っております。
本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。また来週。