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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、フーディソン株式会社代表取締役CEO 山本徹様でいらっしゃいます。
まずは経歴の方をご紹介させていただきます。
2003年に株式会社SMSA創業メンバーとして、三角ゼロからIPO後の成長性質まで人材事業のマネジメント・新規業界に携わられました。
2013年には、今のフーディソン株式会社を創業され、代表取締役のCEOに御就任なさっていらっしゃいます。
2022年には、東証グローツショーに上場をなさりました。上場企業の社長様でいらっしゃいます。
山本社長様、本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。今日はありがとうございます。
最初のご質問なんですが、ご出身はどちらでいらっしゃいますでしょうか。
出身は、埼玉県の本庄市というところです。
本庄市での小学校時代からどんな少年でいらっしゃいましたでしょうか。
ごく普通の小学生だったんじゃないかなと思います。特に特徴もなく。上に姉がいますので、姉が割と勉強ができたりとか、運動も優秀だったりしたので、いわゆるコンプレックスのある次男という感じだったんじゃないかなと思いますね。
なるほど。勉強もスポーツもそこそこぐらいの感じで。
本当に普通という感じですね。
中学時代はどんな少年だったと思いますでしょうか。
中学時代も引き続き姉がさらに優秀になって、勉強も優秀で、家族では姉はすごく褒められているというのを見て、よりコンプレックスが強化されていくような感じだったんじゃないかなと思います。
ちょうど親戚がですね、私と同期の親戚がいまして、その親戚がまた優秀だったりしてですね、さらにコンプレックスが強くなるっていうのはあったんじゃないかなと思いますね。ごく普通の学生だったと思います。
なるほど。ありがとうございます。高校は埼玉県内でいらっしゃいますか。
はい。高校までは同じ本城市にずっといましたね。
なるほど。高校時代はどんなことをして過ごしたと思いますでしょうか。
そのコンプレックスの裏返しで、もう何とか勉強だけは何とかしてやろうという思いになっていまして、高校受験は失敗してたんですよね。
田舎で言うと私立よりも公立の方が学力が高いっていう傾向があると思うんですけど、県立の高校を受けてそこはうまくいかなくて、地元の私立に行ったっていう感じで、なかなかうまくいかないなっていう感じで行ってたんですけど、高校からはかなり進学実績がない高校だったんで、そこで高校のカリキュラムがあって、
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カリキュラムに依存してるとまたうまくいかないんじゃないかなっていうのがあって、高校1年から割と自分で勉強のプログラムを考えて、自分で学習していくっていうことを実践し始めたっていう感じでしたね。
なるほど。じゃあ成績もよろしかったんじゃないですか。
そうですね。学校の中では良かったですね。
なるほど。高校時代は勉強一職みたいな感じでいらっしゃいますか。
そうですね。何とか抜け出さなきゃいけないっていう感覚が強くて、勉強をしっかりやって、その高校で初めての旧定代の大学に行くっていう結果を出せたんですけど、それなりに自分でよく考えて実行した中でいうと良い結果が出たんじゃないかなと思いますね。
結構そのときにいろいろ自分で工夫しながら実践していったっていうのは、その上で成功体験を得たっていうことになると思うんですけど、それは後の人生に相当影響を与えてるなと思いますね。
なるほど。ありがとうございます。大学はどちらに行かれたんですか。
大学は北海道大学に行きました。工学部に進学しましたね。
じゃあ北海道大学旧定代の理系ということは本当に頭がいい方という感じになるんですが、相当努力をなさった感じなんですか。
だと思いますね。基本的にはずっと勉強してましたし、勉強の仕方も全部自分で考えてて、塾とかには行かなかったですし、自分で工夫したって感じですね。
塾行かなくても受かるもんなんですね。
その選択肢はもうあまり考えてなかったですね、塾に行くっていうのは。
すごいエピソードなんですが、北海道大学ではどんなことを過ごしたなんて思いでございますでしょうか。
北海道大学は、私は今まで出会ってきた人と全然違う人たちと出会った期間だったなっていうふうに思ってまして、一番象徴的な出会いは、まず大学の入試の時に、
大学の入試がですね、私結構直前で北大に受験するっていうのを決めたもんですから、
そもそも私大学は、埼玉の家から出られればどこでもよかったっていう感覚があって、北海道か九州か京都かとか、そんな感覚だったんです。東京以外を選ぼうと思っていて、
なので、修学旅行で行った北海道が雰囲気として良くて気に入ったみたいなのがあって、直前で北大選んでたら、受験用の宿が全部の沖並み埋まっていて、
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すごい不便なところにあるホテルしか開いてなかったんですよね。そこを仕方なくとって、実際初めて北海道に受験の日に、修学旅行以降で初めて行った時に、
そのホテルから雪の中で歩いて受験会場まで行ったら、結構時間がかかる。1時間ぐらい歩かなくちゃいけないっていうことがその段階で分かって、
そうするとホテルで朝食を食べてから行くと試験に間に合わないんですよね。
朝飯だけはなんとか食べたいなと思って、食事を取れるところを探していて、道端にいた60歳から70歳くらいの方に、
おじさんにお声掛けをして、この辺で食べられるところありませんかって言ったら、もうないからうちで食べていきなさいって言って、その人が受け入れてくれたんですよね。
それで結果そのまま家でご飯食べさせてもらって、翌日もホテルに電話もくれて、朝食も食べさせてくれて、
試験会場までも送ってくれて、試験に臨むっていうことができたんですよね。
これは本当に無償の愛みたいなのをすごい感じた機会で、今まではわりと親から自立を求められて生きてくるみたいなことがずっとあって、
強く生きていかなきゃいけないっていう感じだったんですけど、身内以外でそんな人がいるんだっていう体験が受験の直前にあって、
かなりそれでなんか自分は支えられたなっていう感覚がありますね。
実際その後ずっと北海道在住の間は北海道の父親みたいな感じになってくれて、おじさんとおばさんいたんで北海道の両親っていう感じなんですけど、
なってくれて僕の生活をずっと支えてくれてたんですよね。
なのでそういう学生の友達っていうのは当然たくさんできたんですけど、そういう日常生活で出会う友人以外に年配の方の経営者の方との出会いもありましたし、
そういう今まで付き合ったことのない人とのつながりみたいなことができたのがすごく象徴的ですよね。
なるほど。ありがとうございます。素晴らしいお話でございました。ありがとうございます。
北海道大学を新卒で卒業後、他の経歴で不動産会社新卒というような感じで、
ご入社しているようにお書きになっていらっしゃるんですが、どんな会社にお入りになったらしいですか。
新興の不動産デベロッパーで、当時50名ぐらいの規模の会社で一部上場したばかりの会社でしたね。
なるほど。何かそこを選んだ理由というのがございましたでしょうか。
大学を選んだ理由も割と感覚的に決めているところもあったように、就活に関してもあまり仕事感がなくて、かなり自己分析とかもしないままでしたし、
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北海道で言うとそもそも就活ってあんまり流れがなくて、北海道自体がすごいのんびりしているので就活の流れもなく、
かつ工学部だったので、私の周りの人ほとんど99%ぐらいマスターに行くんですよね。
なんで気がついたら、もう就活の最終段階ぐらいの時間になっていて、今から就活始めるみたいな感じになってたんですけど、
さっき言った大学時代に出会った不動産の経営者がいるんですよね。
その方もまた相当影響を与えてくれたんですけど、私の父親は公務員なんです。
公務員で職業感がないまま大学に行って、なんとなく理系の勉強が得意だったので、工学部を選んで、
実際に授業を受けてみるとあまり興味が持てないということに早々に気づいてくるんですね。
そうすると主軸が学校ではなくて、学校以外の生活になってきて、
そこで出会う方がさっきみたいなおじさんがいたりとか、経営者の方と会ったりしていくと、
そういう世界の方が全然楽しそうって思うようになったんですよ。
その方が言ってたのが、先々会社の名前で生きていこうとして、
世羅場大寺の陰で生きていった時に、急激に梯子を外される時っていうのが来た時、
生きる力が問われるっていうふうに言われていて、
なんでお前みたいな、学校の名前でいい会社に行こうとしてるようなやつは、
どっかで生きていけなくなる瞬間が来るっていうふうにずっと言ってて、
その方は確か中卒だったんですけど、
そういう意味で大学に対してのまた違う思いがあったのかもしれないんですけど、
そういうことをすごく言ってくださって、
実際にその方の商売をしていく姿とかを見てると、
世の中を切り開いて生きていっているそのバイタリティみたいなことを感じて、
自分で経営するっていうのはすごい面白いっていうふうに、
それを見させてもらう中で感じたんですよね。
単純にその方がやってた不動産っていうところから、
自分もその販売ができる力をまずつけようというところから、
不動産の会社を選んでるんですけど、
唯一あったのがですね、私が新卒で入った会社からDMが来ていて、
当時ですね、かなり最短ぐらいのスピードで一部上場まで行ってた会社なんですよ。
成功の秘訣を教えますみたいなDMがあって、
むちゃくちゃ短絡的に、
じゃあそれ学びに行こうっていう感じで受けたんですね。
私、新卒で受けた会社は2社しかなくて、
そのうちの1社だったっていう感じで、
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そこが内定出たんで行きましたっていう感じですね。
なるほど、ありがとうございます。
大学院に行こうとは思わなかったんですか?
思わなかったですね。
そもそも4年間の間で1回学校辞めようかなって思ってたぐらいだったんで、
早く社会に出たいと思ってたんですよね。
なるほど、ありがとうございます。
年上に好かれる性格というか、人間性でいらっしゃるんですね。
それはすごい言われるんですけど、
おそらくなんですけど、僕が育った環境っていうのは、
父親はすごく僕を自立するように育ててくれたっていうのもあったのと、
小学校か中学校ぐらいからかな、
父親が単身婦人になっていて、
あまり近くに父親像がないまま育っているんだと思うんですよ。
多分そうなんじゃないかなって思うのが、
社会に出てから父親的な存在っていうのを
無意識的に求めてるんじゃないかなっていうのは思ってて、
自分を受け入れて、自分を育てて、
大人の男性に声をかけていくとかっていうのはあったでしょうし、
さっき朝ごはんを食べさせてもらった方は、まさに私から声をかけましたし、
もう一人、不動産の経営者の方は、
居酒屋と定食屋を経営していたんですよね。
その店で普通にご飯を食べるときに、
ビールをおごってもらうっていうのがあって、
そこから、
関係を持つようになったんですね。
無意識的にそういう父親的な存在っていうのは求めてたんじゃないかなって思いますし、
一社目であった後に一緒に会社を起業する社長がいるんですけど、
それも当時、私にとっては父親的な存在だったんじゃないかなって思いますね。
なので私は、
自分を育てて、
自分を育てて、
自分を育てて、
自分を育てて、
自分を育てて、
自分を育てて、
自分を育てて、
自分を育てて、
自分を育てて、
自分を育てて、
自分を育てて、
私はそんな存在だったんじゃないかなって思いますね。
なんで私は求めてたんじゃないかっていうふうには思います。
さすが、ミケイらしく、
ちゃんと論理的に分析されたところがさすがだなあという感じの、
マンションの営業をする仕事が主な仕事で、それ以外で言うとですね、社員が何でもやってたんですよね、チラシ配りもやりましたし、マンションのモデルルームの設営とかもやってましたし、だからマンションの販売にまつわるいろいろやってたなと思います。相当ハードに働いてたと思いますね。
なるほど、ありがとうございます。その後株式会社SMS様を創業メンバーとしてという話なんですが、こちらはどういった会社でいらっしゃいますでしょうか。
SMSという会社は、高齢社会の情報インフラを構築する、構築して社会に貢献し続けるというビジョンを掲げている会社なんですけど、ちょうどですね、介護保険というのができて、今まで国がその介護を施してあげるというような位置づけだったものが、介護サービスというのが生まれた瞬間だったんですよね。
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それが新たなマーケットができたというタイミングに着目した会社で、新たなマーケットができた中で、そこにある情報を整理する媒体というのが存在していないというところに着目をして、そういった介護にまつわる情報をつなげていく情報インフラを作っていこうという役割を果たそうとした会社ですね。
そのビジョンを掲げて、これがすごい後にも関係してくる企業の仕方、知らない領域での企業の仕方っていうのにすごい関係してくるんですけど、この領域って何かしらポテンシャルがあって、大きなマーケットになるんじゃないかっていうふうに思ったときの小さく一手を打っていくっていうのがすごく重要で、特にその領域のスペシャリストじゃない場合、
マネタイズをしながら、その領域の学習が進んでいけるところはどこなのかっていうのを選択するっていうのがすごい重要で、先ほどのような大きなビジョンを掲げながらも、一番初めにやり始めたのは、自分たちの強みが活かせる介護系の老人ホームの販売代理からスタートしたんですね。
こうすると、一応不動産のノウハウで家を売ることができる、売る営業力があると、それをやりながら業界内で介護保険の理解をしたりとか、ビジネスを通じてその領域の中を理解していくってことができるんですよね。
スタートは不動産のマッチングから始めて、その中で気づいたのが人材ニーズが実はすごい強いってことに気づいて、ケアマネージャーさんのマッチングに入っていくっていう感じで、事業領域広げていくんですよね。
なるほど。ありがとうございます。このSMSさんに一緒に創業しようというのは何か経緯とかあられたんでしょうか?
そうですね。1社目の会社で私と同期だった者が1人いて、その2人で企業しようって言ってたんですよね。
企業テーマとかも全然決まってなかったんですけど、会社の中では会社自体がすごくハードだったっていうことと、今後に期待があまりできないなっていうのを、自分たちのパフォーマンスも含めて難しいんじゃないかなっていうのはある程度想像していて、
それだったら自分たちでやり始めちゃった方が、むしろリスクが低いんじゃないかっていう話をしてまして、2人で企業しようって言ってたんですよね。
その彼は今でもずっと仲がいい親友なんですけど、そうなった時に同じ会社の1個上に先輩の社員がいて、その2人がどうやら会社辞めて企業したという話を聞きつけまして、
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これは自分たちでいきなりゼロからやるよりも、この会社にこのタイミングで上院して経験した方が、何らかリスクが低いんじゃないかみたいないう思いを持ちまして、入れてくださいっていう感じで言ったんですね。
何やってるか分からなかったんですけど、もう辞める方がいいって思ってたんで、自分たちの知り合いの中で一緒にやらせてもらうっていう選択肢を取ったっていう感じですかね。
株式会社SMSさんでの思い出なんてございますでしょうか。
思い出いっぱいありますね。
一番初めにやっぱり自分たちで考えて事業を作って、そのサービスでお金を生んだ瞬間とか、っていうのはやっぱりすごい感動する瞬間でしたし、
お金を生む瞬間っていうのはお客様が喜んでいただけた瞬間っていうことなんですけど、
登録いただいた求職者の方が就職が決まり、
企業側にも喜んでもらって、実際にそれがお金になって口座に入ってくるっていうことが一番初めに喜びを感じたところですかね。
っていうのと、改めて給与が毎月定期的に入ってくるっていうことが当たり前じゃなくなったんで、
自分たちが稼がなきゃいけないっていう意味なんですけど、
今まで社会人やってて給与が決まったタイミングで入ってくるっていうのは、
すごく実は当たり前だったけど、当たり前のように感じてたけど、
当たり前じゃなかったなっていうことに気づいたっていうこと。
あと、サービスが決実してキャッシュを生むまではですね、
自分たちが社会から爪弾きにされているような感覚を持っていて、
誰にも貢献できてないっていうのは、すごい辛い思いをするんだなと思ったんですよね。
これも後々関係してくるんですけど、
今私が会社やってるっていうのは、
世の中とつながりを持つっていうのが、
世の中とつながりを持つために重要なのは、
ミッションビジョンであって、
どういう思いを持った団体なのかっていうのがあって、
初めて世の中に受け入れてもらえるっていうのがあると思っていて、
そのときに一定期間仕込み中のときにですね、
自分たちが社会に入ってきて、
自分たちが社会に入ってきて、
自分たちが社会に入ってきて、
自分たちが社会に入ってきて、
その期間仕込み中のときにですね、
社会から阻害感を勝手に感じてたんですけど、
誰かから阻害されてたわけじゃなくて、
感じてたっていうのは、後々でその起業をして、
社会とつながりたいっていう動機にすごく影響してるなっていうのは思いますね。
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本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり、
誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもウィズビズが運営するウェブサイト、
経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで、
新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で、
経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。
また来週。