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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、株式会社スペースマーケット代表取締役社長)大輔様でいらっしゃいます。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
1976年、千葉県生まれ。2000年、東日本電信電話株式会社にご入社。
その後、株式会社アホトクレートに参画。
当初、マザーズ上場を経験され、2014年に株式会社スペースマーケットを創業されていらっしゃいます。
そして、2019年には、当初、マザーズに上場されています。
今現在のグロース市場ですね。
こちらの方に上場されている上場企業の社長様でいらっしゃいます。
茂松社長様、本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
まず最初のご質問ですが、ご出身千葉ということで、小学校時代はどんな少年でいらっしゃいましたでしょうか。
小学校時代は、社長の皆さん変わっている人多いと思うんですけど、やっぱりちょっと変わっていたみたいで、
スポーツはすごい好きで、野球をやっていたんですけども、
図書館とかすごい好きで、一人で結構いろんな地元の図書館に行って、いっぱい本を借りてきて、いっぱい本を読んでるみたいな、そんな小学生でしたね。
どんな本を読まれていらっしゃったんですか。
なんか当時松本成長とか、そういう推理小説を読んでたりとか、ほし新一とかすごい好きでしたね。ショートショートみたいな。
なんかちょっと、おじさんとかおばさんが読みそうな、小学生にして松本成長を読む方はかなり珍しいんじゃないですか。
珍しいんじゃないですかね。
小学校の頃から新聞記者とかにすごい憧れて、
本田克一の本とかもすごい読んでて、ジャーナリストになりたいなって当時思ってまして、
朝日新聞とかに自分で連絡して見学させてもらったこともあったんですけど、
その時朝日新聞の人にお勤めの方ですかって言われて、
いやいや僕小学生ですとか言ったら、めちゃくちゃ老け顔だったってのもあるんですけど、めちゃくちゃびっくりされたことを今思い出しました。
割と積極的というか、自分でいろいろ情報を仕入れたりとか、人に会いに行ったりみたいなことはやってる、ちょっと変わったおっさんくさい小学生でしたね。
中学校時代はどんなコーチしてるんですかね。
中学時代も野球部、野球すごく好きでやっていたのと、
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あとはあれですね、結構生徒会とか、生徒会長やらせてもらって、
これも先生からやってみないかみたいに言われて、生徒会長をやってましたね。
野球部では副キャプテンだったんですけど、やっぱりリーダーシップを張るみたいなのは当時から、
割と自分がやるのもあるんですけど、結構周りから勧められるみたいなのがあった中学生だったなと思ってます。
割と周りからすると、いつも先頭を立ってくれる茂松という感じでいらっしゃったんですかね。
そうっすね。
小学校6年くらいから顔とかも全然変わってなくて、
今、昔の友達だと、お前全然変わってないなって言われるんですよね。
若いなみたいな、当時は老けてたんだっていう話だったんですけど。
なるほど、ありがとうございます。
高校は千葉東高校でしたんですが、高校時代はどんなことをして過ごしたのか教えてください。
高校は、僕は小学生の頃かな、スクールオーズを見て、
えらいハマったんですね、ラグビーの青春ドラマなんですけど、
それにめちゃくちゃハマって、絶対俺将来ラグビーやりたいなと思って、
中学はラグビー部がなかったんで野球部だったんですけど、
その時よく花園に出てた千葉の共合校で、しかも新学校だった、千葉東高校だったんで、
当時の自分の学力からするとちょっと上のランクだったんですけども、
ちょっと頑張ってラグビー部入って花園に出たいなと思って、
それで東高に入学をし、念願のラグビー部に入ることができて、やっぱり厳しい部活だったんですけど、
1年2年の時は先輩は途中で負けちゃったりとかしたんですけど、
僕が高校3年で首相キャプテンやってた時に、一応春は決勝まで行って、
当時今も競合ですけど、琉球大歌手は負けたんですけど、
それで関東大会に千葉県代表で出ることができて、秋木は決勝でまた琉球を倒すぞって言ってたんですけど、
秋木はベスト4で他の高校に負けちゃって、
それで終わってしまったんですけど、思い返すと本当にラグビーの厳しい練習と、
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授業をほとんど覚えてないんですけど、
ラグビーのことしかほぼやってなかった高校生だったなと思ってます。
高校から始められてキャプテンまで行かれて競合校ということは、運動神経も大変よろしかったんですか?
運動神経はあまり良くなくて、
どっちかというと、僕はフォワードなんですけど、
体を鍛えて、とにかく密集プレーというか、あとはタックルですよね。
ディフェンスのところで何とかギリギリレギュラー、
キャプテンだけどもしかしたらレギュラーになれないかもしれないみたいな、
下の学年のやつが結構突き上げてきたんで危なかったんですけど、
なんとかレギュラーを支出してやってました。
そうですか、ご結婚だとは思うんですけども。
その後、早稲田大学法学部にお勧めになっていました。
早稲田の法学部を選んだ理由というのは何かございますか?
早稲田法学部を選んだ理由なんですけども、
当時、私立文系、高校3年間ほぼ勉強してなかったんで、
最短でそれなりの学校に入ろうと思ったら、
科目を減らして、いける学部どこかなみたいなところで、
あんまり弁護士になりたいとかそういうのは考えず、
メディアというか記者とかそういうのになれるような学部はないかなと思って、
政系とか法学部と、あとは文学部とかも当時受けてましたね。
たまたま早稲田法学部はなんとかギリギリ引っかかったんで、
消去法ではないですけど早稲田法学部に入ったっていう感じですね。
でも早稲田の法学部だと、早稲田の中では政研法学部は上のほうで。
勉強も結構お出来になったんじゃないですか?
勉強ですか?
はい。
勉強はもう何ですか、必死に暗記のところは得意というか短期集中でやり切ったんで、
そうですね、今思うとだからよく受かったと思うんですけど。
ありがとうございます。
しげまちゃんからすぐご謙遜なされるんで。
いやいやいや。
大学時代はどんなことをお過ごしになったんですか?
大学時代は早稲田なんで、ラグビー部とかも先輩がいたんで、声とかかけてもらったんですけど、
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本物の選手というか、花園行くような連中をしてたんで、
とてもじゃないけどこの中でレギュラーとか絶対無理だなみたいなのも思ったんで、
ラグビーは純体のサークルに入って、あとはとにかくいろんなことを経験しようと思いまして、
アルバイトですね、めちゃくちゃいろんなアルバイトをやってました。
まずラグビーサークルのコネバイトみたいなのがあったんですけど、
それがNHKの番組のアシスタントディレクターというか、ADの仕事があって、
当時は試して合点って言うとですね、最後は合点っていう番組でつい去年ぐらいに終わって、
今もとも25年ぐらいやってた番組なんですけど、
その番組のちょうど立ち上がった時期でアルバイトしてみないかなみたいに言われて、
そこで入らせてもらった。
結構いろんな仕事があって、当然撮影の現場の補助というか、
そういったところから、あとアルバイトエキストラをかき集めるところ、
当時SNSもないし、スマホもないんで、
最初の頃は家庭のところに留守電入れてとか、ポケベル使ってとか、
そんな感じでいろいろかき集めたりとか、
あと実際に自分も番組に出演させてもらったり、
出演というかエキストラというか、再現シーンとかで自分が登場したりとかしてました。
非常に楽しいバイトで、結局大学の2年から5年までNHKやってました。
あとは結構いろんなバイトをやって、家庭教師も自分で家庭教師センターとかそういうのを使わずに、
自分で張り紙を当時銀行とかいろんなところにスーパーとかに貼って、
連絡先をちぎってもらって、興味ある方が連絡をもらうっていうスタイルだったんですけど、
これが結構取れたんですよね。
当時千葉に住んでた時期と、あとは東京に引っ越してもですね、
結構いろんなお医者さんとか、刑事者とかの息子さん娘さんが多かったんですけども、
その方たちを2時間とか3時間教えて、時給3000円で、
それを1日2軒ぐらいはしごするみたいなことをやってました。
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あとはかぐれ坂のバーでですね、今でもあるんですけど、
ウィスキーバー、エムズカフェっていうバーがあるんですけど、
そこでバーテンというか、ちょっとお酒がすごい好きだったんで、
酒を勉強したいなっていうのもあってですね、バイトで応募して、
そこでちょっとバーテンもどきみたいな、振らせてはくれなかったんですけど、
アシスタント的なところでやらせてもらったりしてました。
なるほど、ありがとうございます。
その後、新卒でNTT東日本ですか?
そうですね、新卒でNTT東日本に入社。
正確に言うとですね、私大学4年の時にNTTに、
当時は一社採用だったんで、NTTに内定してたんですけど、
卒業間際にですね、ちょっと留年しちゃって、
単位が8単位ぐらい落としちゃってですね、留年をして、
当時、超就職氷河期だったんですね。
本当に厳しい時期、2000年なんで、めちゃくちゃ厳しい時期だったんですけど、
もう1回何か受けさせてもらって、また拾ってくれて、
NTTがですね、拾っていって、いろんな企業も、
総合視聴者とか、テレビ局とか、
そういうところのきなみ最終面接で、5社ぐらい落ちて、
またNTTが拾ってくれたんで、これは運命なんだなと思って、
NTT東日本に入社しました。
なるほど、小さい頃からジャーナリストと目指されたり、
NHKでのメディアのアルバイトの経験とかからすると、
メディア側に行きたいなぁなんて思われるんですか?
そうですね、メディア側も行きたいなと思って、
テレビ局でMIDやってたっていうのもあるんで、
あったんですけど、野木並谷のテレビ局はですね、
氷河期っていうのもありますし、当時やっぱり超人気業種だったんで、
もう全然箸にも棒にもかからない感じだったんで、
これはちょっと向いていないのかなと思ってですね。
インターネットが好きだった、ちょうど始まった頃というか、
インターネットが好きだった、
なんかインターネット絡みのビジネス面白そうだなと思って、
インターネットの会社ではあるんですけど、
インフラ寄りのNTTに入社したという感じですね。
なるほど、ありがとうございます。
NTTでの思い出なんてございますでしょうか?
そうですね、NTTは最初配属されたのが平均年齢55歳みたいな、
そういう職場で、
インターネットの当時ISDに入社した時は、
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インターネットあんまりそんなに好きな方というか、
使ってる方があんまりいないような職場で僕が入社して、
一生懸命インターネットの素晴らしさみたいなのを説明するみたいな、
そんな時代が最初、本当に新卒初期で、
その後ISDNからADSLとか光ファイバって移っていって、
常に新規申し込みというか、
インフラが変わるたびに申し込みがバッと増えていくわけで、
そこに対応するみたいなことを3年ぐらいやりました。
残りの2年で、私5年半で辞めたんですけど、
企画的なセクションですね、法人営業部門の企画セクション、
そこは大体20代から30代ぐらいの若い人たちがいる企画部門で、
現場の方が元々電話を引っ張るみたいな、
電話を開通させるみたいな時に大量採用された50代の方が多かったんですけど、
3年目から企画セクションに行って、
PR氏の編集長みたいなことをやらせてもらって、
そういう反則物を作ることをやらせてもらって、
これはすごく面白くて、
まさに編集というか、メディアっぽい仕事というか、
それですごく楽しかったのを覚えています。
ただ、あんまり肌が合わないというか、
本当に評価もすごくあまり高くなかった。
それは僕自身も合わなかったので、いろいろサボったりとか、
いろいろしょうもない感じだったので、
評価も低いし、合わないなと思ってて、
早く辞めたいなと思ったのが30手前だったという感じですね。
NTTは本当に今もとすごく良い会社というか、
良くしてくれた会社だと思うんですけど、
本当にあまり良い思い出がなくて、
そういううつうつとした20代後半だったなと思っています。
なるほど、ありがとうございます。
その後は、ホトクリエイトさん。
こちらは何か選ばれた理由というか、何か経緯がございましたでしょうか。
そうですね。ホトクリエイトの創業者の白政氏は、
NTTの最初の1回目に受かった時の内定者同期、
同じ早稲田で内定者同期で、
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入社する前からよく飲んだり遊んだりしていまして、
彼はNTTに入社して1年以内に辞めて、
まだ上場前の栽培人とジョインをして、
子会社を立ち上げたりとか、いろんなことをして、
その後、2002年からホトクリエイトを創業して、
僕もそのオフィスに何度か遊びに行ったこともあったんですけど、
ある時2005年ぐらいですかね。
お前そろそろそういう、明らかにお前NTT合ってないから、
辞めてチャレンジした方がいいんじゃないの?みたいな言われて、
そういえばうちの会社も募集してるけどどう思う?みたいな。
最近調子いいからどう?みたいな言われて、
それはそれで面白そうだなと思ってですね。
2006年の頭、結構入社まで半年ぐらいかかったんですけど、
NTT辞めるときに辞めさせない説得みたいなのがすごく多くて、
一目の面談5回ぐらいやるみたいな。
1回の一目面談が2時間とかそういうのもあったりとかして、
そういうのがあったんですけど、そういうのを越えてですね、
2006年にスタートアップの当時まだ十数人ぐらいの
フォトクリエイターにジョインしたという流れになっています。
フォトクリエイトさんというのは何をする会社さんでらっしゃったんですか?
フォトクリエイトはマラソン大会とかいろんなスポーツイベント、
バレーとかそういう文化イベント、吹奏楽とかそういったイベントから、
あとは幼稚園の運動会とか日常の撮影とかですね、
そういったいろんなイベントごとにプロのカメラマンを手配して派遣して、
そこで撮ったプロのカメラマンが撮ったデジタル写真をネットで、
イベントに参加している参加者に販売するっていう、
そういうインターネット写真販売のビジネスモデルを撮っている会社でしたね。
フォトクリエイトの前は本当に超アナログで、
アナログ写真みたいな、幼稚園とか保育園の壁に写真貼って、
番号で選んで封筒でお金を支払うみたいな、
それをオンライン化したっていうサービスでしたね。
フォトクリエイトでの思い出なんてございますか?
フォトクリエイト本当に感謝していて、スタートアップが本当に楽しくて、
最初入った時も十数人で、非常にカオスな感じだったんですけども、
いろんな取扱いのイベントが増えていって、
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思い出に残っては東京マラソンのオフィシャルの撮影権を獲得したりとか、
僕自身もいろんなところに読み巨人軍と提携して、
そこの選手の写真をネットで販売するみたいなことをやったり、
あとは自分はウェディング写真の販売のプラットフォームを自分で企画して、
それを本当に立ち上げて、
数年で2、3年で数億単位のビジネスになることができて、
それを本当にゼロから立ち上げて、
あとはメンバーを自分で採用したりとかして、
拡大して広げていくっていう、
そういう社内企業化、マイクロアントレプリナーみたいなことをやらせてもらい、
あとは社長、室長的なポジションもやったんですけども、
社長、僕は障害が得意だったんで、
どんどんいろんなイベントとか会合に出ていって、
どんどん会社のネットワークを広げるというか、
あとは自分自身のネットワークを広げるみたいなことをやってたんで、
非常に自分でゼロから会社を立ち上げる、
その後に企業するわけですけど、
非常に全職でいろんな技術体験ができたのは本当に大きかったなと思っています。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもウィズビズが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。
また来週。