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2025-01-15 14:47

第417回 松永考子氏(株式会社Liberte代表取締役)【前編】

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今回は、株式会社Liberteの松永考子氏にお越し頂きました。

 

上場企業の新規インフラ事業に参加し、役員を経験。

子会社を買い取り株式会社Liberteの経営者となり、お客様の要望から新しい事業を始められるお姿から、経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。

 

なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。

■経営者インタビューメディア「経営ノート」

https://keiei-note.com/

 

■WizBiz社長塾

https://www.youtube.com/channel/UC16VkcI4PaUISDD4UL7pFvQ

サマリー

今回のエピソードでは、株式会社Liberteの松永考子社長が自身の経歴や不動産業界への移行について話しています。新潟県上越市での幼少期や高校時代のスポーツ経験を振り返りながら、銀行での研修エピソードや価値観に影響を与えた出来事も紹介されています。松永社長はゼネコン業界への転身や不動産事業の経験についても語っています。また、再就職活動での困難や面接でのエピソードについても触れています。

松永考子社長の経歴
社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、株式会社Liberte代表取締役社長松永考子様でいらっしゃいます。
まずは、経歴をご紹介させていただきます。
月間収の編集担当ページのスタイリングなどを公文社様で行い、その後、不動産の売買等を行っていらっしゃいます。
その後、ゼネコンで土地探しや銀行証書のサポートなどをなさい。
そして、その後、東京証券取引所第一部の有名企業様に移られ、インフラ事業の立ち上げに参加。
営業部マネージャーから役員も経験なさっていらっしゃいます。
そして、その後、子会社を変え取り、称号を変更し、今現在のLiberte様の社長様ということで運営をされている女性社長様でいらっしゃいます。
本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
まず最初のご質問ですが、ご出身はどちらでいらっしゃいますでしょうか。
もともと新潟なんです。
新潟のどちらですか。
上越市になりますね。
結構雪深いところでいらっしゃるんですね。
かなり雪深いです。
小学校時代も上越にいらっしゃいますか。
そうですね。小学校時代も上越で。大学入るときにも嫌で嫌で、逃げるように出てきてしまいました。
なるほど。ありがとうございます。
上越の雪深い中での小学校時代はどんな少女でいらっしゃいましたでしょうか。
生意気ですね。一言で言うと。
生意気ということは、やっぱり今の社長さんになられてるぐらい、ある意味、頭が良くて元気な女の子ってそんな感じのイメージでしょうか。
そうですね。常に後ろに男の子が連れて歩いてるみたいな。
そうすると、ガキ対象的でいらっしゃいますかね。
もうおっしゃる通りです。なので、昔の親戚ですとか知り合いに会うと、もうそのお話ばかりです。
なるほど。社長様らしいエピソードでいらっしゃいますけれども。中学も上越でいらっしゃいますか。
そうです。上越です。
中学時代はどんなことして過ごしたなんて思いでございますでしょうか。
もうスポーツばかりでした。
どんなスポーツをなさってたんですか。
陸上やってました。
競技的には短距離ですか。
短距離ですね。
足も早かったんですか。
そうですね。県大会とか出てはおりました。
なるほど。やっぱり社長様らしく運動神経が多い社長さん多いですが、そういう感じでいらっしゃいます。
すごく活発な女の子ってそんな感じでいらっしゃいますか。
もうその通りです。
なるほど。ありがとうございます。高校も上越、新潟ですか。
はい。高田高校というところです。
不動産業界への移行
なるほど。その地域でナンバーワン高校でいらっしゃるんですね。
そうですね。言ってみればそんな感じかもしれません。
勉強もかなりできた方でいらっしゃるんですか。
そんなにできた方ではないんですよ。もう嫌いでした。勉強は。
嫌いでもできたんですね。
もう必要性を感じないと何もやらない性格です。
なるほど。ありがとうございます。高校にならどんな子として過ごしたなんて思いでございますでしょうか。
ずっと剣道やってました。
今度はじゃあ陸上から剣道に。
そうなんです。やってみたかったんですね。格好がやってみたくて格好から入ったんですけど、結局2段までは取りました。
やっぱり運動神経に何でもおできになられる感じですね。
のめり込んでしまう性格です。
そこも社長様らしい社長様で。
なるほど。
その後、大学はどちらにお勧めでいらっしゃいますか。
日芸です。
そこもまたちょっと優秀でいらっしゃいますね。ちょっと珍しい。
日大の芸術学部というのは大変有名な学部。有名人もいっぱいいるところだと思います。
なぜそちらに行こうと思われるか。
映画が好きだったんですね。
映画撮る側ですか。
制作側ですね。
映画監督とかそういうの目指したんですか。
ビジネスが好きでした。
そうですか。じゃあ当時からそういう映画ビジネスに関わろうみたいな、そんな感覚ですか。
そうですね。
日芸の時の思い出なんてございますか。
特段思い出っていうわけではないんですけども、本当にやりながらずっとアルバイトやってたんですよ。何かに関わりたくて。
それが公文社の雑誌のスタイリストのアシスタントだったんです。
なるほどなるほど。
じゃあそのまま御就職になっていく感じですか。
そうなんです。実は銀行に親に言われてそんなところというところで、当時医者か銀行か、もう本当に公務員かっていう時代だったので。
銀行に普通に就職はしたんですけど、研修でなんと授業を出してしまったという。
銀行受かってたんですね。
受かってました。
どちらの銀行でいらっしゃったんですか。
もうないですよ。当時自宅からじゃないと銀行って、特に都市銀行は女性は取ってくれなかったんですよ。
なのでちょっと外れて、要するに東海銀行だったんですね。
まあ都市銀行っちゃ都市銀行でしたね。今のみちびしUFJ銀行の、UFJの方がですね、東海銀行。
そうなんですよ。
でも都市銀行に入られるぐらい、日下か都市銀行に入られるとやっぱり優秀でいらっしゃいますね。
でも東海銀行で研修中に受業を出すなんて異例中の異例だったんじゃないですか。
異例です。相当怒られました。ありえないと言われました。
それは上司の方から怒られたんですか。
怒られました。学校からも怒られましたし、もう世間を知らないというか、やめるならきちんと受業を出さなきゃいけないという、本当にバカな一つ覚えだけだったんですね。
松永社長様らしいエピソードで、さすがという感じでございますが、やっぱりスタイリストというか、そういう洋服というか、そっち側に行きたいみたいな、強く思われたんでしょうか。
思いましたね。やっぱり物を作る側もすごく楽しかったし、スタイリスト携わって一つの雑誌が出来上がる。
あとそれに加えてコマーシャルの方も若干やってたんですけども、物が出来上がるっていうことがすごく面白かったんですよ。
やっぱり道芸古文社様というのは、映画作りとか雑誌作りとか物作りというのにすごく興味を持っていらっしゃったという、そういうエピソードでいらっしゃいますね。
そうですね。
古文社さんはどんな雑誌をなさりました。
まずクラッシーの創刊後と、あと私が入った頃まだJJが出来て、そんなに経ってなかった頃なので、JJとクラッシーをやってました。
この辺は多分リスナーの皆さんもさすがにJJあたりになると、みんな知ってるって感じだと思いますけど、なるほど。ありがとうございます。
古文社にお勤めの後、不動産関係に移られていらっしゃいます。これ何かきっかけとかございましたでしょうか。
実はそのときに結婚したんですよ。
なるほど。結婚して不動産業界に移るってそんな感じですか。
そうですね。夫が不動産をやってたので、身を見真似で宅勤を取ってしまったというところがあって、そこからです。
なるほど。ご結婚なさってご主人様が不動産関係だったんで、宅勤を取ろうとまずは思った。
そうなんですね。取ってみようかなと思って取りました。
宅勤はよく取れましたね。宅勤はやっぱり難しくて、うちの息子も宅勤は落ちてましたけども、うちの息子ぐらい頭悪いと落ちるんだなと思いました。
難しいと思うんですけど、案外さらっと取られました。
一回で取りました。
やっぱり頭もいいですね。素晴らしいですね。
なるほど。公文社を辞めるのがあまり躊躇はなかったんですか。
不動産からゼネコンへの転身
いや、ありましたありました。かなり躊躇ありましたけども、結婚して子どもも生まれて、なかなか打ち合わせが夕方から始まって、本当に夜中の仕事なんですね。
早朝から撮影に出てて、時間がとてつもなく考えられないような時間帯でしたので、これはちょっとしばらく休まなきゃいけないなと思って休んで、そのままでしたね。
なるほど。結婚、出産を機にという感じで。
そうです。
不動産関連をやられた後、ゼネコンに移られてらっしゃるんですか。これはきっかけとかございましたか。
不動産、結構当時だったので、夫が実はちょっと亡くなって、不動産は私の方で本格的にっていうことだったんですけど、バブルが崩壊してすぐぐらいだったんで、とてもとてもちょっと危ないというか、取引先が危なかったという。
普通にまともな仕事にしてほしいと親にも言われました。
なるほど。不動産事業やってたけど、じゃあゼネコンに染めようかと。こんな感じでやられたんですか。
そうです。
不動産事業は社長様でやられちゃったという感じですか。
はい、そうです。夫の残したものそのまま。
なるほど。ご主人様の引き継いで社長様をやって、その後ゼネコンは普通に就職でらっしゃるんですか。
そうです。普通に探しまして入りました。
なるほど。かなり珍しいですね。社長様やって、もう一回サラリーマンって、また社長になって、こんな感じの経歴でらっしゃる。
そうです。
世の中ではかなり。
小っちゃかったので。
かなりレアなんじゃないですか。
そうかもしれません。
ゼネコンでの思い出なんてございますでしょうか。
再就職活動の困難
そこから地主さんとかいろんな方とのつながりがかなり深くなってったので、非常に今でもつながってる地主さんがおいでになるというところが、ちょっと不動産とは違うところかな。
地上から始まって、地主さんの相続問題から、それでマンションを建てて、一貫したものをやってたので。
結構大手、ゼネコンにお勤めになってそういうことをやられた感じですね。
大手ではなかったです。上場してなかったんですけどね。
不動産の経験が全部生きて、さらにもっともっと大きくなっていってるという感じのご経験でいらっしゃいますね。
そうですね。不動産だけでは学べなかったものが学べたので非常によかったです。
なるほど。ありがとうございます。
その後、投票一部の有名企業に移られたりする。これは何かきっかけがございましたでしょうか。
これはですね、また別のことをやってみたくなったんですよ。
割といろんなことにご興味を持たれるご体質でいらっしゃいました。
興味持ちましたね。入ったきっかけ自体は、ちょっと他で再就職しようかなと思った時に、もうその時点で40歳過ぎてました。
実はもう本当に8カ所ぐらい落ちたんですよ。その理由もわからず。
なんでそんなに落ちたんだろうなって、おかしいなと思いながら、実はそこの一番最初入ったところの人事部長と話をして、
山津永さんって言われて、すごい経歴だけど、この経歴普通に全部出したのって言われて、
出しました、当然ですよって言ったら、じゃあ全部落ちたでしょって言われたんですよ。
え?って思って、なんでこの人知ってるんだろうと思って。
なんでわかるんですかって言ったら、そりゃそうだよって。そんな経歴出されたらめんどくさいから雇いたくないって言われました。
なるほど。よくわかるエピソードで出したんですね。
で、その会社は普通に取ってくださったんですか?
そうなんです。面白そうだから取ったって言われました。変わった会社ですね。
なるほど、なるほど。確かにおっしゃる通りですね。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの生光社長、生光経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウィズビズが運営するウェブサイト、
経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長肉インウェズではここまで。また来週。
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