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2024-09-25 23:36

第401回 大野萌子氏(一般社団法人日本メンタルアップ支援機構代表理事)【前編】

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今回は、一般社団法人 日本メンタルアップ支援機構の大野萌子氏にお越し頂きました。

2000年からカウンセラーの資格を得て、2万人以上を担当。
シリーズ累計51万部突破の「よけいなひと言を好かれるセリフに変える言いかえ図鑑」などを著書に持ち、「世界一受けたい授業」など多数のメディアに出演することとなった経緯から、経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。

なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。

■経営者インタビューメディア「経営ノート」
https://keiei-note.com/

■WizBiz社長塾
https://www.youtube.com/channel/UC16VkcI4PaUISDD4UL7pFvQ




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社長に聞く!in WizBiz
本日の社長に聞く!in WizBizは、一般社団法人日本メンタルアップ支援機構代表理事)大野萌子様でいらっしゃいます。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
法政大学卒業後、日本通にお勤めになられます。
その後、学研エディケーショナルにお勤めになり、その後、産業カウンセラーの資格を取得。
産業カウンセラーの要請、カウンセルの実務をなさっていらっしゃいます。
そして、その後、日本メンタルアップ支援機構を設立し、メンタルアップマネージャーの資格付与及び講座を開放されていらっしゃいます。
そして、著書には余計な一言を好かれるセリフに変える言い換え図鑑というものが51万部を突破し、累計では65万部売れている著書であり、
そしてテレビにも多数出ていらっしゃいまして、本媒で家庭TVなどメディアに多数出演されていらっしゃいます大野さまでいらっしゃいます。
大野さま、本日はよろしくお願いいたします。
大野さん、よろしくお願いいたします。
まず最初のご質問ですが、ご出身はどちらでいらっしゃいますか?
大野さん、神奈川県の横浜市です。もう50数年になりますが、ずっとそちらにいて、
もう胃の中のカーズでございます。他の地域に出たことがないというところです。
なるほど、いい地域ですね。横浜で小学校時代はどんなことをして過ごした、どんなお子さんだったなんて思えてございますか?
そうですね、私今でこそ人前で話す仕事をしているんですが、どちらかというと人付き合いが苦手で、
お友達とか先生とかと話をしたいから、これを話そうと思って準備していくんですけど、いざとなると何も言えなかったりとかっていうことがよくあって、
よく学級会とかで刺されるのが本当に苦手で、司会者とできるだけ目が合わないように下向いてるみたいな会議で、
何か意見求められたくない社員の気持ちが今よくわかるんですけど、そういう感じで割と人との関わりっていうのに悩んでいたっていうほどで、
小さい頃なのでないんですけど、ちょっとうまくいかないなっていうのを、なんかジレンマを感じていた記憶があります。
なるほど、そうすると小学校の同級生や先生はテレビでさんまさんにバンバン言ってる姿はちょっと驚きな感じでらっしゃるんですか?
そうかもしれないですね。本当に今でも小中学生とかの友人たちと仲良くしてるんですが、なんかでも塗り替えられちゃうのかな、記憶って。
記憶っていいことも悪いことも塗り替えられちゃうって、もしかしたら今の私のことに塗り替えられてるのかなっていうふうに思います。
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じゃあテレビの姿がどうなのか。
そうかもしれないですね。
なるほど、ありがとうございます。中学時代はどんなことをして過ごしたと思うでございますでしょうか。
そうですね、小学校が2つか3つ統合された中学校だったので、ちょっと今までにいなかった方々っていうところで、また違う関わりが出てきたかなと思って、そこでもまた頑張ろうっていう気になったのか。
割と社会が、世界が広がったっていうところで、私も試行錯誤しながら、でも私通信教育やってたんですね、中学校の時。
その時にお便りコーナーがあって、昔は今ネットとかじゃないので、先生にお悩み相談を書くわけですよ。
友達とうまく話すにはどうしたらいいですかっていう質問を書いて、長々とお返事をいただいたっていうのがすごく強く残っていて、準備してっちゃったんですよね。
明日これを話そうっていう、すっごい準備して、これで完璧と思って人と話すと、2言目に違うセリフが返ってくるんですよ。
シミュレーションがもうそこで2言目に崩れちゃう。もう次が言葉が出ないみたいな、本当にそういう感じで、小学校と同じ感じだったんですけど。
でもやっぱりいろんな方がいらっしゃって、受け手が変わってきて、いろんな返しがあって、バリエーションが私の中で増えて、準備していかなくていいんだみたいな。
カッコつけてる前は全然なかったんですけど、言いたいことってそんな決めていかなくていいんだって、後半中3ぐらいから割と肩の力が抜けてきて、そこからお友達も増えたかなっていう、
勉強もすごい頑張ってたんですけど、友人関係も楽しくなってきたかなっていう時期だったかなって思います。
中学時代が基本になって勉強して、今のテレビでの急な返しにパチッといけるみたいな、そんな感じで勉強なさったんですかね。
なんかやっぱり基礎学力って今になって、本とかをたくさん読んだなっていう記憶があるので、やっぱりなかなか今、本から知識を得るって難しい。
この前例になると難しかったりするんですけど、やっぱりその時の蓄積がもしかしたら生きてきてるのかなとは思います。
なるほど、ありがとうございます。高校も横浜の方の高校でらっしゃる?
はい、そうですね。法政大学の付属の女子校に行っていたんですが、初めてそこで女子だけっていう世界に入って、自由でしたね。
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もう本当に楽しかったです。もう夏休みとか冬休みとか早く終わんないかなって思っていて、毎日学校に行きたいっていう感じでしたね。
やっぱり思春期で異性の目がないってすごいですよね。みんな弾けてって。
やっぱりそこでもそんなに発言する方ではなかったんですけど、バンバン発言とかディベートとかね、当時からディベートはあったんですけど、
そうですね、うわーって圧倒されるみたいな。こんな人に意見したり、なんか自分の気持ちをぶつけていいんだみたいなカルチャーショック。
同じようにはもちろんできなかったんですけど、その分書くこと、要は付属校だったので受験勉強しなくて済んだ、こういう言い方はどうかわかんないですけど。
なので、発言するっていうことを小論文とかっていうのがすごく授業の中でも多用されてたので、そこで書くっていうことは培われたかな、そこでと思います。
なるほど。じゃあ著者の勉強は高校時代に学んだくらいですか?
もうなんだかっていうと、何文字でもまとめて来た際とか、小論文みたいな宿題が多かったりとか、あと試験も社会とか国語とかも半分ぐらいは知識を尋ねるもので、後半裏面使って○○について考えかけみたいなね、そういう試験が多かったかなって、今思い返して思います。
なるほど。ありがとうございます。その法制女子高時代の一番の思い出なんてございますか?
何でしょうね。もうお弁当の時間なんだろう。仲良しグループで10人ぐらいでいつもお弁当を囲んで、勉強じゃないんだっていうところなんですけど、お弁当を食べながらたわいない話をして、その後にギリギリまでトランプをするっていうのがお昼の楽しみだったかなと思います。
でも授業も楽しかったです。もともと大学と同じ90分授業だったので、割と先生も知識を深掘りして教えてくださってたのかなって思います。一つ一つはすみません、覚えてません。
ありがとうございます。女子高生らしい女子高生だったという感じですね。
そうですね。しゃべって、しゃべることが楽しいみたいな。どうでもいいこと。
その後そのまま法政大学のオススメになりましたが、法政大学時代はどんなことをして過ごしたかというお思いでございます。
そうですね。やっぱりその頃本が好きだったので、文学部日本文学科っていうところに進学したんですけど、大学ってそんなにすぐ研究をするっていうわけではなくて、
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一般教養で高校の授業の延長から始まるじゃないですか。とにかく単位を取って早く楽になろうみたいな。楽になろうってのも変なんですけど、とにかく先に取っちゃえと思って。
1年生は本当に朝から晩まで授業に出てたっていうイメージなんですけど、留学生が日本文学科なので結構いらしたんですね。
アジア圏から多かったんですけども、そこで留学生の友人ができて、初めて海外旅行に行ったのが19歳、1年生の終わりくらいかな。
留学生のいらしている方のご自家に遊びに行くっていうので、初めて海外に私はその時に行って、そこからもう本当に海外旅行にはまりまして、旅行っていう非日常のことだったり、
今まで使ってなかった言語で異文化だったりっていうのね、やっぱりすごく刺激を受けて、そこから私多分13回ぐらいかな、大学時代に海外に行ったのかな。
ごめんなさい、あんまり昔で忘れちゃったんですけど、と同時に旅行会社に勤めようと思って、旅行会社でアルバイトを始めました。旅邸管理っていう当時資格を取って、夜間の観光スクール、観光専門としている専門学校にちょっと通って、
旅行主任者っていうのを今もあるのかな、国家資格。それに受験するような勉強を少しして、その受験自体はしなかったんですけど、3カ所ぐらい旅行会社でアルバイトをして、と家庭教授をして、そのお金で海外旅行に行くっていう、その繰り返しをしていました。
大学時代から企業家らしいエピソードが出てくるんですが、13カ国は全部ではなくていいんですか、どんな国にご旅行なさったんですか。
アジア圏とヨーロッパ圏と、それからアメリカとカナダとかメキシコにも行きましたね。
結構もう幅広く行ってらっしゃる。
そうですね。スーツケース一つあれば世界中行けるなって、その時は思ってました。
それは一人旅ですか、それともお父さんと一緒に行くんですか。
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最初は本当にお友達のお家に行くみたいな感じで、ホテルとかじゃなくて、そこのご実家にお世話なので、1回か2週間とかっていう感じ。
短くても10日とかって、そこから旅行にちょっと慣れてくると、そこから旅行に行ったりとかっていうことをしていて、行く時は一人でも向こうに誰かいるとか、あとは大学の友達と一緒に行くっていうところでしたね。
なるほど。じゃあ大学時代はかなり青春を謳歌した感じですね。
そうですね。振り返ってみるとそうですね。
ありがとうございます。その後、日本ツーにお勤めになってらっしゃるんですが、日本ツーに入られた理由は何かございますでしょうか。
旅行会社にアルバイトしてたんですけど、一つは店長員のバイトをしてたんですね。
もう本当にパッと全部料亭票渡されて、もうその頃就勤から全部やるっていう、もう常に胃が痛いみたいな感じで、3泊4日とか、もちろん仕事は国内だけだったんですけど、もうなんか神経がすり減るみたいな。
楽しいんだけど、自分が旅行してるのとちょっと違って、30人もお客さんも連れて行ってるのに、メインの美術館休みみたいなこととかあったり、もうどうすんのみたいな。
もう本当に胃がキリキリするような、誰か具合悪いとかみたいな、そういう夜も眠れないみたいなことで、あとジムもやってたんですけど、当時バブルだったせいもあるんですけど、もう電話がひっきりなしで声が出ない。
飛行機とかの予約とかの端末とかを使ってたんですけど、もうなんか1秒の争いだったり、ずっと電話をかけながらその1秒の争い。もうなんかお腹いっぱいになっちゃって、ただ旅行会社しか見てなかったので、なんかちょっと私の中での選択肢が全然なかったんですね。
もう不勉強で。日通さんは日通旅行っていうのがあって、なんか最初そこからちょっと行こうかなっていうので、1つ候補に上がってたんですけど、もうなんか就職活動してる時に旅行から離れようっていうところで、日通さんも当時陸海空ってあって、航空事業部っていうところに私は入ったんですけども、
なんかそこの流れっておそらくグローバルな企業っていうことで、説明会に行った時にすごく感銘を受けたというか感動したっていうところですかね。すごい今で言うビデオっていうか会社案内の動画が素晴らしかったですね。感動しました。
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なるほど。ありがとうございます。日通さんでの思い出なんてございますか。
女性だからっていうことで先に返してもらえて、男性はもうタクシー帰りが当たり前みたいな、電車がなくなってしまってっていうような感じで、とにかくずっと働いてたイメージです。
なるほど。ありがとうございます。
中継科っていうところにいたんで、経理にいたので、なぜか。
なるほど。じゃあ経理もお得意でらっしゃるんですか。
いわゆる会計とか、多分その会計家さんとか資金家さんとかだと、きっと経理のことを学んだ方が入られてると思うんですけど、中継科って言われると予算とか決算とかをする。
本当に笑い話で恥ずかしいんですけど、すいません500円合わないですって言いに行った時に、500円じゃないでしょ、5億だよとかって言われて、その単位をわからないぐらい、もう本当ごめんなさいって感じです。
ありがとうございます。日本通は結構大きに対策なさってたじゃないですか。
そうですね。私たちの時代はことぶき大社っていう言葉が当たり前のようにあったので、結婚しますと言ったらいつ辞めるのっていう感じでした。当たり前のようにそういう感じで辞めました。
なるほど。そうすると専業主婦もご経験なかったんですか。
そうですね。もうそこから専業主婦に入って、ただやっぱり将来も不安っていうか、手に職を持ってないとって、自分で使えるお金がないって、別に誰に言われたわけでもないんですけど、ちょっと恐ろしいなって思って。
私、大学時代に教員免許もバイトに空けてたんで、教員免許取ってないんですけど、将来何か役に立つかなって思って、就職したと同時に通信で教育課程をちょこちょこと免許してたんですね。
なので退職してすぐに実習に出て、教員免許を取ったので、それを機に自宅でできる仕事ということで、今は学研エデュケーショナルっていうお名前になってますけど、そことライセンス契約みたいなのを結んで教室を開くっていうのを始めました。
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なので、本当の専業主婦でいたのは1年とか、でも学研もちょっとお休みしたこともあるので、延べ3年ぐらいかなと思います。
なるほど。学研のシステムが多分わかんない方もいらっしゃると思うんですけど、学研はご自宅で教室を開いて、生徒が来て教える。それで稼ぐって言い方があれですが、事業所から。こんな感じでございますでしょうか。
フランチャイズなので、売り上げの何パーセントを支払うっていう形で、自宅じゃなくて貸し会場でももちろん構わないんですけども、そういう形でいわゆる個人事業主ですよね。そういう契約でやらせていただいたりとか、あとは当時から発達障害っていうのも言われるようになってきたので、
そういうお子さんも受け入れてたね。自閉症とかその他、もろもろ発達の診断を受けた方とかも受け入れてたんで、割と一般的な街の教室というよりかは、遠くからも結構電車に乗ってきてくださるみたいなところがあって。
で、そこでやっぱりカウンセリングっていうのを、他にも理由あるんですけど、すごく重要性を感じて勉強したいなって思い始めたのもきっかけの一つかなって思います。
そうなると、この専業主婦から一番最初の独立ですよね。本来的に言うと。そうすると、その独立をなさるときに周りで反対する方とかそういう方いらっしゃらんかと思うんですよ。
家でやるっていうのがすごいハードルが低かったんだと思います。なんかこれ外に出て、なんかするって言うと多分すごく時代背景的にも難しかったかなって思うんですけど、家でできるっていうので、もうなんかあ、そうみたいな感じで、特段家でやれるんだったらいいんじゃないみたいな感じだったと思います。
なるほど。ありがとうございます。この学研の教室運営をやっているときに思い出とかご苦労とか何かございますか?
そうですね。もうなんか自分で募集とか当たり前のようにやらなくてはならなくて、なんか別になんか大きな看板があるから人が来るっていうわけでもなくて、初めて人生で初めて多分ポスティングっていうのをやりました。チラシを巻くっていうんですかね。
なんか結構精神的に来た。来ました。なんかすごい泥臭いっていうか、若いからできたっていうとちょっとなんか時代に怒られそうなんですけど、そういうこと言っちゃう。
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はい。なので結構なんか嫌な顔されたりとかもするので、集合住宅とかそのチラシ入れちゃいけないとかって言って、管理人さんに怒られたりとか。屈辱的な感じがありましたね。ごめんなさい、そういう話でしたっけ?
はい、そういう話でした。
もちろん独立はね、一番ご苦労なさるので、たぶんリーさん、皆さんも今一番注目しておきたい。
そうですね、やっぱりこうなんていうかな、泥臭いことしないと、なんか綺麗にっていうかなんか楽して稼ごうはないと思ってます、今も。
なるほど。学研のその教室はどれくらいやられたんですか?
延べ17年やってました。最後のほうはもう本当に時間も曜日も本当に限定的で、カウンセリングのほうの仕事がメインだったので、もう本当に並行して最後のほうはやってるっていう感じでしたね。
はい。
なるほど。ありがとうございます。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの生光社長、生光経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容は全て適当化いたしまして、私どもウィズビズが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、サイトのほうにもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長肉インウィズビズはここまで。また来週。
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