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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、株式会社AlbaLink代表とします河田憲二様でいらっしゃいます。
まずは、経歴のご紹介させていただきます。
大学・在学中にウェブマーケティングの事業を創業、その後、株式会社グリーンライトを設立し、
法律面では運営、その後、不動産賃貸業を展開。
不動産に対応する中で、何らかの価値を抱えた不動産売却で多くの人がこもっていくことにお知りになりました。
その後、空き家問題も含めて、法律メディアの方を事業売却し、
Zoomセレクト社、現在のAlbaLink社を買収し、不動産業に専念されていらっしゃいます。
東京プロマーケットの上場を2023年11月にされた上場企業の社長様でいらっしゃいます。
川田社長様、本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
まず最初のご質問ですが、ご出身はどちらでいらっしゃいますか?
出身は大阪ですね。ただ小さい頃にすぐ、東京都の江戸川区の方に引っ越していまして、
地元という認識があるのは江戸川区、火災とか西火災とかその辺りですね。
なるほど。小学校時代も火災とかその辺でいらっしゃいますか?
そうですね。小、中、高校は船橋だったんですけど、ずっと住んでたのは火災ですね。
なるほど。小学校時代の川田少年はどんな少年でいらっしゃいましたでしょうか?
川田少年はですね、スポーツが得意というか好きだったので、基本的には外で遊んでいて活発な感じでいたかなと思います。
運動神経も良くという感じでいらっしゃいますか?
そうですね。ある程度小中の中ではある程度上の方にはいたかなという認識していて、
高校は野球をやってたんですけど、一日直しという学校で野球をやらせてもらって、体育課でまさにスポーツばっかりやってたみたいな感じの学生時代ですね。
なるほど。小学校時代は表になったんじゃないですか?
いや、そうでもないですね。足も速かったんですけど、全然普通に過ごしていました。
なるほど。ありがとうございます。中学校時代はどんなことを過ごしたなんて思いでございますでしょうか?
中学校も軟式野球をやっていて、基本的にはスポーツとか野球中心の生活だったんですけど、
小学校の時は勉強もできたんですが、やっぱりどうしても中学校に入ってくると努力も必要だなということに気づいたのが中学校ぐらいですね。
なるほど。勉強は結構なさったんですか?
いや、全然全く。中学校の時は素振りをしているか、部活をしているか、
あとは本はよく読んでいましたけど、勉強は全くやってなかったですね。
本がお好きだったんですか?
本はそうですね、中学校ぐらいからよく読んでいましたね、いろんな本。
どういう系がお好きでいらっしゃったんですか?
ビジネス書というか、あまりお金なかったというか、本にお金かけれなかったので、
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百均に行ってよくわかるなんちゃらシリーズみたいなのがあったんですけど、そういう心理学の本とかそういうのを読んでいましたね。
中学校時代にそういうのを読んだんですか?
読んでいました。
ちょっと大人びた少年でいらっしゃいますね。
うーん、ちょっと斜めに構えるみたいなところは多分あったんで、
学校の勉強をしても、ちょっとあんまりこれどうなんだろうなっていうのが結構あったんで。
なるほどね。
高校は一律船橋ということで、一律船橋はじゃあ野球をやるために選ばれるという感じでいらっしゃいますか?
そうですね。一つ上の兄がいるんですけど、兄も一律船橋で野球をすでにやっていて、後を追うようにして入ったみたいな形ですね。
なるほど。高校時代はどんなことをして過ごしたかというお思いでございますでしょうか?
高校も本当にまさに朝から晩まで7時くらいに学校に行って、授業の前にちょっと野球の準備をして、
午後は野球漬けで、家に帰るのは11時みたいな感じの生活だったんで、本当に現役時代は野球ばっかりやってて、
夏ぐらいに、3年生の夏、7月ぐらいに予選で我々負けてしまったんで、そこからは一般生徒としての学生生活を謳歌するっていう感じですね。
なるほど。ありがとうございます。大学はどちらにお勧めになったんでしょうか?
大学は国資館大学ですね。世田谷の目が丘にキャンパスあったんですけども、政治経済学部でそちらで4年間経済学を学んでましたね。
なるほど。経済を選ばれた理由は何かございましたか?
それも市立野橋の体育館って市定高推薦枠がすごく多く来るんですけど、ある程度評定は高いと選ぶことができて、その中で一番良さそうだなっていう選び方ですね。
国資館大学では野球はやられたんですか?
やってないです。高校の時にある程度このぐらいが限界かなって自分の野球っていうスポーツの中での立ち位置はある程度認識してたんで。
大学でこれ以上やってもちょっと難しいかなって思ってたんで、大学は普通に部活とかは一切やってないですね。
大学時代はどんなことをして過ごしたかった思いでございますでしょうか?
大学時代は飲み会、麻雀、旅行、バイク、スノボー。
あとやっぱ通学が結構長かったんで電車の中で本読んだりしてましたけど、普通の学生だったと思います。
じゃあちょっと遊び中心に。
遊び中心ですね。
野球から遊びにちょっと変わった。こんな感じでいらっしゃるんですか?
まさにそうですね。
なるほど。でも本はやっぱりお好きでいらっしゃったんですね。
なんか答えというか、生きる上でのヒントみたいなものは本に多くあるかなっていうのはすごく感じてたんで、ことあるごとに本は読んでましたね。
大学時代はビジネス書とか心理学の本とかを中心に読まれたんですか?
大学はがっつりビジネス書ばっかりですね。どうやったらお金儲かるかみたいな本ばっかり読んでたと思います。
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大学、在学中にウェブマーケットの事業を創業されていらっしゃるとお聞きしているんですが、やっぱりそれは本の影響とかもあるんでしょうか?
そうですね。まず順番としては就職活動を僕は普通にしたんですけど、いくつか受けて、受かる見込みがなかったので、選択肢として生きていくんだったら自分で何かするしかないってまずはなったんですよね。
その上でいろんな本を読んで知見を持っていたんですけど、いわゆる資源というか経営資源一物の金みたいなところで何もない状態で学生でっていう一人でスタートだったんで、
じゃあその中でお客さんに何かを届けるっていうのはインターネットの力を使うしかないなっていう選択肢で消去法でそうなったみたいなイメージですね。
なるほど。今風なウェブマーケティングが今風なんですけども、他にもいろんな事業が世の中にあると思うんですけど、やっぱりインターネットが一番簡単そうというか、私の会社もネットの会社なんですが、簡単そうというかそんな感じでいらっしゃいますか?
簡単かどうかというのは難しいんですけど、自分の労働力というか自分が手間をかければある程度レバレッジが効いてうまくさえいけば、うまく物を伝えられればそれがビジネスになる可能性はあるかなというのは思っていて、
中学校とか高校の時にもヤフオクションを使って物を展売してみたりとかっていう経験はあったので、やっぱりインターネットすごいなっていう手応えというか手触り感はすでに持っていたので、それもあってですね。
なるほど。ありがとうございます。そのウェブマーケティング事業は思い出とかございますか?
ウェブマーケティングといっても、最終的にはアフィレイト、SEO対策をしてウェブメディアを検索上位にして収益を出すというモデルに行き着いたんですけど、一番最初の頃は本当にビジネスで何も分かっていなかったですし、
インターネットでホームページを作って何か商売をやろうと思っていたので、アフィレイトに限らずイベントをやって、ウェブサイトを使ってイベントをやってみたりとか、バイクのオークション代行の事業をやってみたりとか、
その集客の起点としてインターネットを使っていたみたいなこともあったので、結構初期は苦労というか、それも楽しくやっていたんですけど、遠回りしたなという気は今は思うとしますね。
ご両親はご心配なされませんでしたか?
どうなんでしょうね。そこは聞いたことはちゃんとないですけど、全部事後報告というか、就活を辞めたというのもそうですし、
今何の授業をやっているとか、どういう方針で考えているというのも基本的には後で報告して、結果こうなりましたみたいな感じだったので、
僕も今子供いるんですけど、冷静に考えると心配だったような気はしますね。
でもいわゆると自由にやらせていただけるご両親だったという、そんな感じですか?
そうですね。どっちも両親2人とも、自分で考えなさいということは常に言ってくれていたような気がするので、自分で考えますというスタンスでやっていました。
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なるほど。その後、グリーンライト社を設立して、法律メディアをね、この法律メディアに至った経緯とかそういうのはございますでしょうか?
はい。その頃はアフィレーターというか、いわゆるアフィレートの活動を完全にやっていたんですけど、
要はどの領域というか、どのジャンルのメディアを作ったら一番儲かるんだろうという、まずは情報収集とか選定をする必要があるなと思っていまして、
アフィレートサービスプロバイダーASPに載っている広告主さんの商品、サービスを単価順に上から全部並べて、一旦全部やってみたんですよね。
全部上から単価順に並べてウェブサイトを作ってみて、その中で一番最初に成果が出たのが、法律系の債務整理とか事故破産とかそういうメディアだったんですけど、
が一番手応えがあったというか、だったんで、じゃあまずはそこに注力して、その中でスモールスタートしようという方針を決めて立ち上がったという感じですね。
なるほど。こちらの方の思い出なんてございますか?
そこが一番僕がアフィレートしていて、資料対策とかするのに全身全霊をかけてやったメディアというか、一番の主力事業ではあったので、もちろん思い出深いなというのはあって、
何がというと、やっぱり外注さんあってのメディアだったので、私自身は全然法律とか詳しくないですし、記事もそんなに書くの得意ではないので、
じゃあ誰にこういう依頼をして、どういう記事をあげていただくのかというところでいうと、いかに気持ちよく記事を書いてもらうかというか、そのディレクションがやっぱり一番肝だなと思っていて、
そこはいろいろ試行錯誤というか、いろいろ工夫してやったなという思いではありますね。
なるほど。ありがとうございます。その後、不動産賃貸業にお入りになったんですが、これは何かきっかけをあらわれたんですか?
きっかけはちょっと遡るんですけど、高校ぐらいのときに、よくあるケースなんですけど、金持ち倒産、貧乏倒産という本を読んでいまして、
最終的にはビジネスオーナーになるとか、クアドラントみたいなものがあると思うんですけど、
あれでいうと途中で不動産投資をするとか、権利収入に動いていくという流れがあるんだなというのはわかっていて、
まずはアフィレイトとかSEOメディアで儲かることができたら、その資金は不動産に投資していくというのはもうあらかじめほとんど考えてはいて、
というのと同時にその頃にアフィレイトメディアがうまく立ち上がって右肩上がりになったタイミングで、
家族ができて子どもが生まれてというライフイベントもあったので、ちょうどこのタイミングで資産をそっちにポートフォリオを作っていって、
2個、事業収入と賃貸業というか不動産投資からの収入を2本柱で立てていけば、ある程度個人としてはしっかり人生の基盤ができるかなというので、
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あらかじめほとんど決めていたみたいな感じですね。
高校生のときに決めていたというと、随分増えたお子さんでいらっしゃったんですね。
高校生か大学入っていたかは定かじゃないんですけど、野球を引退してからすぐにそういうのに行こうかなというのはシフトしていたような気がするので、
ぼんやりですけど、とはいえ就職活動もしていますし、その辺はブレながら。
なるほど。いやいや、お若い頃から社長に向かって進んでいらっしゃるお子さんでいらっしゃったんだなと感じますが。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの生光社長、生光経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべて適当化いたしまして、私どもウィズビズが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に行くインウィズではここまで。また来週。