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2023-12-20 13:41

第361回 柴田未央氏(株式会社ユーブローム代表取締役)【前編】

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今回は、株式会社ユーブロームの柴田未央氏にお越し頂きました。

子どもが幼稚園に入るタイミングで、東京理科大学薬学部に入学。
その後、肌フローラを活用した事業を行うユーブロームを起業。大学の研究室に所属しながら経営を行うお姿から経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。

なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。
■経営者インタビューメディア「経営ノート」
https://keiei-note.com/
■WizBiz社長塾
https://www.youtube.com/channel/UC16VkcI4PaUISDD4UL7pFvQ





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社長に聞く!in WizBiz
本日の社長に聞く!in WizBizは、株式会社ユーブローム代表取締役 柴田未央様でいらっしゃいます。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
大学を卒業後、出版系などを得て、専業主婦になられていらっしゃいます。
そして、子どもさんが、お子様が幼稚園に入るタイミングで、東京理科大学の薬学科に入学。
その後、ユーブローム社を起業。
そして、2023年には、東洋経済のすごいベンチャー100に選出された女性社長様でいらっしゃいます。
柴田社長様、本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
まず最初のご質問ですが、ご出身はどちらでいらっしゃいますでしょうか。
出身は沖縄県になります。浦添市という那覇市のすぐ近くのところになります。
なるほど。小学校時代はどんなお子様でいらっしゃいましたでしょうか。
小学校時代は、わりと何でもよくできるようなタイプの子でして、
そんなに苦労せずとも、勉強も運動もそこそこできちゃうみたいなタイプでしたね。
私、母がいわゆる、今では当たり前かもしれないんですけれども、バリキャリーでして、
なかなか帰ってくるのが遅かったりしてたので、結構うちの子ども、何でもご飯は作らなかったんですけれども、
お皿洗ったり、洗濯物片付けたりなんかは結構私の方が蘇生してやったりとか、
結構今考えると、とてもお利口さんのタイプの子だなと思います。
じゃあ優等生タイプでいらっしゃったんですね。
そうですね。とても手がかからなかったと思います。
なるほど。中学も沖縄でいらっしゃいますでしょうか。
そうです。中学、高校まで沖縄県でした。
中学時代はどんな子として過ごしたと思いでございますでしょうか。
中高になってくるとだんだん思春期になってきて、そうすると、今まで求められてたような優等生から、
あれ、これは何か違うなっていうギャップがどんどん生まれてくるようなところがあって、
割と学校に対しても親に対しても常に反抗しているようなそんな子で、
中高6年間ほとんど親と口は聞かずに過ごしておりました。
結構周りの友人の中には恵まれまして、部活動はほとんどしてなかったんですけれども、
授業が終わった後はずっと友達と喋ったりですとか、
スクールバスだったんですけれども、バス待っている間はみんなで外で体を動かしながら遊んだり、
おしゃべりをしたり、お菓子を食べたり、そんな風にして過ごしていました。
【田中】なるほど、ありがとうございます。
高校時代はどんなことをして過ごしたか、お目でございますでしょうか。
【森】そうですね、中高一環だったので、高校時代もあまり変わってはいなかったんですけれども、
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逆に受験がなかったせいで、勉強する習慣がずっとないまま、
高校2年生ぐらいになって慌てて受験をしなきゃいけないということになり、
そこから一生懸命勉強を始めるような形でしたね。
【田中】なるほど、ありがとうございます。
大学はどちらにお勧めになられましたでしょうか。
【森】最初の大学は青山学院大学の国際政治学部になります。
【田中】なるほど、じゃあそこで東京に出られるという感じで。
【森】そうですね、それもそこに行きたいというよりは、早くうちを出たいという一心で、
ここだったら親も説得できるかなという、ちょっと消極的な理由で進学しました。
そういう形になります。
【田中】なるほど、ちょっとリサーサー方のために説明すると、
青岳の国際政治はですね、国際政治はトップクラスですね。
偏差値でも、教授のレベルでもかなりトップクラスなんで、
素晴らしい大学で、頭も大変よろしかったんじゃないですか。
【森】勉強することは苦ではないですね。
結構ゲーム感覚でできるということは、とても楽しくやれる方だと思います。
ただ大学行って、勉強自体はそんなに苦労してないんですけれども、
やっぱり沖縄から田舎から出てきたというところと、
周りの青山学院、本当に青山学院、キラキラしたような方たちいっぱいいるっていう、
そこの、本当はみんながそう思ったかどうかは別としても、
私の中の気持ちの上で、とても劣等感を感じながら過ごす大学生活でした。
【田中】なるほど、大学時代の思い出というのは何かございますでしょうか。
【森】国際法に関する勉強会をするサークルに入っておりまして、
模擬裁判という形で国際社会を舞台にした国家間の紛争を、
模擬裁判形式でやるような大会というのがあるんですね。
そこに毎年各大学の人たちが参加して、大学同士で競うというのがあるんですけれども、
そこで私も出て、部長をしたこともあるんですけれども、
そういったこともやっていました。
一度、国際大会までオーストラリアでそういうこともやったりもしました。
【田中】なるほど、じゃあ割とやっぱり、最初はあれでしたけど、
青がかいて活発に動かれてて、慣れてきたらやっぱりリーダーシップを発揮するぐらいでらっしゃったんですね。
【森】そうかもしれないですね、はい。
【田中】なるほど、ありがとうございます。
その後、新卒で出版系の会社さんでらっしゃいますでしょうか。
【森】そうです。実はですね、私もともとがあまり就職に対して前向きではなくてですね、
というのも、母が結構、すごく働くことに対して辛そうにしているのを、
ずっとそこまで見てきたっていうのがあって、働くことイコール辛いっていうのがずっとあったんですよ。
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なので、あまり働くことに対して前向きではなかったっていうのがありまして、
出版系は拾われる形でほとんど就職活動もすることもなく、
むしろみんな何を基準に、いろんなところで説明会行って、
専攻を受けて何をしてるんだろうって周りからも結構心配されましたけれども、
拾われる形で最終的に出版系に入ったっていう形です。
【佐藤】だから拾われる形っていうのは何か、来たらみたいな感じで誘われたみたいな、そんな感じでらっしゃいました。
【森】そうですね。知り合いの会社だったっていうところです。
【佐藤】なるほど。その会社ではどんなことをして仕事をなさったかなって思うでございますでしょうか。
【森】はい。編集の補助って言いますか、
後世後越もしますし、あとはお使いみたいな形で、
よその出版社に行って取り継ぎなんかもしますし、そういったことをしていましたね。
ずっとですね、何で働かなきゃいけないんだろうっていう気持ちだけがずっともやもやして、
別にしたくもないことを言われたままやる、言われたらできるけれども、
それでいいんだろうかって気持ちをずっと抱えながら過ごしていました。
【佐藤】なるほど。出版会社の後は他のこともなさったんでしょうか。
【森】出版会社もほとんどいなくてですね、1年もいなかったんですけれども、
あとは派遣社員で転々として、いろんなことを逆にさせてもらえたのはラッキーだったんですけど、
営業をしてみたり、いろんなところをバックオフィスしてみたり、人材機に行ってみたり、そういったことをしました。
【佐藤】なるほど。やっぱり働きたくないって気持ちは、
その時もまだ思ってらっしゃったんでしょうか。
【森】そうですね。小さい頃にアンパンマンマーチの曲で、
何のために生まれて、何をして生きるのかっていうのが入るんですけれども、
ずっとわからなくて、これがね、みんな何でそんなに働けるの、働くことで
そんなに前向きでいられるのかが、ずっとわからなかったです。
【佐藤】なるほど。ありがとうございます。その後、結婚を契機に専業職になられたんでしょうか。
【森】そうです。結婚をするタイミングで、ちょっと引っ越しなんかもあったので、
子供もできたっていうのもあり、しばらく専業職でいいかっていう形で専業職になりました。
【佐藤】なるほど。その後、お子様が幼稚園に入るタイミングで、他がまた面白いですが、
東京理科大学役が他に入学なさったんですか。
東京理科大で思ったきっかけって何かございましたでしょうか。
【森】はい。今までバリバリ働いていた母が、ようやく自分の時間を持てるってなったタイミングで、
がんになって、しかも結構進行しているっていうのがわかって、
そこですごく、余計に私としては何で働いていたんだろうって思ったっていうのはあったんですけど、
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そこで母を見てくれた、かまぼよとで見てくれた先生が女性のお医者さんでして、
母にはもちろんなんですけど、私に対してもとても気持ちを聞いてくれて、
母と私の溝を埋めてくれるようなことまでしてくれた先生の働く姿を見たときに、
先生は意思として治すことを目的として働いていたのではなくて、
さらに上位の概念として、何か本人が達成したいことがあって、だからこういったこともできるんだなって、
すごく感激を受けたっていうのがあります。
その先生を見て、私も医療系に携わりたいと思って、それがきっかけで、
近所の大学行ける範囲のところを探したら、東京理科大学だったっていうのが、東京理科大学の入学のきっかけになります。
行ける範囲というのは、入学できるというよりは通える範囲という意味で。
そうですね、通えませんですね。
東京理科大学行けるレベルというと、かなりレベル高い感じになってしまいますね。
私正直知らなかったんですよ、入るまでは東京理科大学。
大変勉強ができるという、最初の方の話と繋がる話で、さすがという感じなんですが、
ご主人さんは東京理科大に行くと言った時に、反対はなさらさなかったんでしょうか。
私の夫はですね、私が家の中で引きこもって、専業主婦をしていると言っても、
そんなにママとママと交流するわけでもなく、家の中で引きこもっていたので、
それはとても心配をしておりまして、それだったら何か新規って新しいことをチャレンジするのはいいんじゃないか、
というので、結構心よく送り出した形になります。
なるほど。東京理科大学学科でのどんなことをして過ごしたなんて思いでございますでしょうか。
1、2年生は教養という基礎的な実験をするんですけれども、
私は実験器具もまともに使ったことがないので、結構他の学生さんを頼りながら、
あまり向こうも年上だというふうに感じずに、結構気軽に頼りまくって、
むしろ頼りまくって教えてもらって、苦手な物理も科学も全部周りの子たちがフォローしてくれながら、
何とか対応を取っていくみたいな、そういった生活でした。
何か思い出とかそういうことがございますでしょうか。
そうですね。東京理科大学の学生さんってみんなとても真面目でして、
講義の合間でしたり、講義終わった後もみんな残って実習して勉強するんですよね。
なので、ほぼ日課という形で、みんなでお菓子を買ってきて、
お菓子広げながら、つまみながら、課題をこなしたりですとか、そういうことをやってました。
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なるほど。ありがとうございます。
本日も社長に聞くイン・ウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの生光社長、生光経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウィズビズが運営するウェブサイト、
経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで、新たな発見や気づきがあり、
みなさんの会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で、経営ノート、スペース、社長インタビューと入力いただければと思います。
本日の社長肉インウィズではここまで。また来週。
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