1. 社長に聞く!in WizBiz
  2. 第429回 細川馨氏(ビジネスコ..
2025-04-09 21:15

第429回 細川馨氏(ビジネスコーチ株式会社代表取締役社長)【前編】

spotify apple_podcasts youtube

今回は、ビジネスコーチ株式会社の細川馨氏にお越し頂きました。

 

2003年に保険会社から独立し、2005年にビジネスコーチ株式会社を設立。

より良い組織創りを追求し「クライアントの成果にこだわる、唯一無二のプロフェッショナル集団」である同社を率い、上場まで導いたお話から経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。

 

なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。

 

■経営者インタビューメディア「経営ノート」

https://keiei-note.com/

 

■WizBiz社長塾

https://www.youtube.com/channel/UC16VkcI4PaUISDD4UL7pFvQ

サマリー

ビジネスコーチ株式会社の社長、細川馨氏の経歴や若い頃の思い出が語られています。彼の柔道や学校生活、大学時代のアルバイト経験が紹介され、セゾン生命でのキャリアの始まりや営業成績の向上についても触れられています。細川馨氏はビジネスコーチ株式会社の成功に至る過程や、社員とのコミュニケーション、営業部の設立の重要性を強調しています。また、フィードバックの重要性が彼の成長に大きな影響を与えたことも明らかにされています。

00:04
社長に聞く＀inWizBiz
細川社長の経歴
本日の社長に聞く＀inWizBizは、ビジネスコーチ株式会社代表取締役社長 細川河原様でいらっしゃいます。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
北海道函館市ご出身。1980年、専門性名入社、定業本部長、そして即席を率いられました。
その後、2003年に独立。2005年にはビジネスコーチ株式会社を設立し、代表取締役に御就任なさっていらっしゃいます。
そして、2022年には東証グローブ市場に上場しました。上場企業の社長様でいらっしゃいます。
細川社長さん、本日はよろしくお願いいたします。
細川です。よろしくお願いいたします。
まず最初のご質問ですが、ご出身は北海道の八甲田県ということで、小学校時代はどんなお子様でいらっしゃいましたでしょうか。
そうですね。わんぷく、ガキ大将ということで、手がつけられなかった。
ちょっとだけ悪いお子様でいらっしゃいますか。
母親と父親がいつも学校から呼ばれて、小学校3年の時に。
で、まあ叱られてまして、じゃあお前かおる、柔道か書道どっちがいらないとか言われて、そうですかって言って、
まあ書道は別にねと、柔道を覚えましてですね。また柔道を覚えたら、またケンカで柔道をやりました。
柔道を悪用してたっていう。そんな感じですけど。
なるほど。でもお仲間を率いるリーダータイプでいらっしゃったってことですね。
そうですね。かなりヘシトッキの黒文化が、そういうのがいましたね。
弱いものいじめはしないので、弱いものいじめするやつをやっつけてたっていう感じですね。
じゃあ割と正義のヒーローのリーダーシップ側と、そんな感じでいらっしゃいますね。
まあお山の大将ですよね。
ありがとうございます。中学校時代はどんなことして過ごしたなって思いでございますでしょうか。
中学校時代はやっぱ柔道をやったり、友達と遊んだり、ほとんど勉強しないで遊んでばかりでしたね。
高校も自分の学力からすると、まあいいが高校に入ったというか、先生は言ってましたね。
じゃあ勉強の方もできたんでらっしゃるんですか。
勉強はですね、歴史とか、まあ歴史が好きなんですね。日本史とか好きですよね。
英語はダメです。英語と数学は。
人が好きなんですよね。人を研究するっていうのが好きで、人名辞典とかすごいよく読んでましたね。
じゃあご自身の関心あることは一生懸命勉強されたのかな、そんな感じでいらっしゃいます。
あと昭和史、特に陸文だ、北陰文っていうね。
そういう小島昇さんっていうかね、あの人の本なんか読んでましたね。
じゃあ本当は勉強もできる側でらっしゃるんですか。
勉強は大したことできないんですけど。
ただ試験の前の日になるとちょこっと勉強してるっていうぐらいで。
高校時代はどんなことして過ごしたいというお思いでございますでしょうか。
高校時代は部活ですね。
柔道をやって、あと友達といろいろ遊んだりして、
毎日楽しく面白くおかしく遊んでたって感じですかね。
友達と遊んでるのが、家にはほとんど帰らないです。
友達の家に泊まったり。
大学はどちらの大学のお勧めになられましたか。
大学はですね、熊澤大学です。
こちらに行かれた理由は何かございましたでしょうか。
まずそこしか入らなかった。
熊澤大学と北海学園大学が合いまして、
北海学園大学は札幌なんですよね。
熊澤大学が、教養学部が北海道の矢見沢で、それから東京に来るんですけど。
大学に入るときにうちの家業が非常に経営が厳しくてですね。
学費もあまり出していただけないっていう。
最初1年生の子が出してくれたんですけど、あと自分で脱脱さなきゃダメだっていうことなんで。
それだったら北海道の方がいいだろうなっていうことで、まずは教養学というところで今みたいになったんですよね。
アルバイトばっかりしてましたね、大学の頃。
なるほど。
アルバイトばっかりしてて、仮新旧、仮新旧っていうことで。
範囲が足りないわけですよね。
ということで、大学4年で、1年生でやるわけではない、お前体育や。
卒業単位は28単位だかと思ってたのかな。
で、就職するときに、あなたところで卒業できるんですかって言われた覚えがあります。
なるほど。
いろんなアルバイトしましたね。
道路工事、渡方、寿司屋の出前道、それからなんか封筒張りとかですね。
封筒張りと同じ仕事をずっとやるんですよ。
30分くらいやってるともう嫌いな気がしてきました。
時計ばっかり見てましたね。
あとサンジェルマンっていう川崎のパン屋さん、夜中やるんですよね。
夜中入って、足が濡れてね。
あれは辛い仕事だった。
同じことをずっとやってるようなアルバイトはやっぱり自分に向かないなっていうのはあります。
なるほど。ありがとうございます。
セゾン生命での経験
その後、セゾン生命さんにご入社なさっていらっしゃいますが、こちらはなぜご入社なされたんでしょうか。
セゾングループに入りたかったっていうのがありまして、あの頃パルコとかかっこいいんですよ。
入りたいんだけど入れたのがセゾン生命しか入れなかったんで、みんな反対しましたね。
生命保険のセールス、大変だぞって言ってですね。
1年で辞める人が多いんだなって言われましたね。
僕、セゾン生命って変わった会社で、新卒が70人ぐらい取ったんですかね。
新卒で保険のセールスっていうのは変わってる会社でしたけど、その後2、3年後に全部の大学から就職断られまして。
セゾン生命、新卒最後それで辞めたんですけど。
1年間で半数辞めるんです。
同期になることの半数辞めました。
千葉県の山奥で研修1ヶ月間ぐらいやって、腕出すセンターとかランニングだとか、全然生命保険のセールス関係ないんですよ。
カロー山っていう、虎が出てカロー山っていう近くの研修センターみたいなところでやってました。
あの時は1ヶ月間ずれでしたからね、大変でしたね。
それで僕は出身が北海道の函館だったんで、函館にも営業所があるんだけど、その函館の営業所は人数が、解説したばっかりだから新人はちょっとって言われたんで、札幌に行ったんですね。
で、札幌で11年いました。
なるほど。生存生命様での思い出なんて、何か印象深いことがございますでしょうか。
やっぱりセールスをやるんですけども、生命保険のセールスって難しいですよね。
でもね、本当にね、生存生命に悪いんだけど、あんまりそういう細かいセールスのテクニックはあんまり教えてくれないです。
だからもう、自分で思うしかないというとね、成績に先輩から聞いたりして、セールスの術を覚えてきましたよ。
まずは一生懸命、声優ストアがお客さんなので声優ストアに行ったんですよね。
社員の方々に月掛け保険料2千円とか3千円の保険を獲得しましたね。
1ヶ月に20何件とか募集するんですけど、むちゃくちゃ忙しいんですよ。月払い保険料が2千円とか3千円なんですけど、1件は1件なんです。
これはあんまり効率が良くないなということになって、声優ストアの課長とか店長さんと仲良くなりましたね。
一緒に大阪の方に行って、課長さんから業者さんを紹介してもらって、受けを獲得するわけですけど、これは効率いいですよね。
プレッシャーセルフですね。課長からそういう業者さんのところに行って、お金を募集するわけですから。
でもね、やっぱりね、金額が大きくならないんですよ。金額が大きくならないので、これは効率悪いなということで、
まずは、一番売れてた、北海道で一番売れてた人に聞いたら、セゾングループはたくさん建物を建ててる。
建設会社だったら、もう所長から紹介もらったらいいぞって教えてもらいましたよ。
建設会社の所長、すごい絶大な権利を持ってたんですよ。
そこに行って、取引業者さんのところに行って、受けをお願いしますっていうのを2年目からやってて、これで全国で5人ぐらいだったんです。
3年目になってくると、もっと効率的な方法はないかということで、やっぱりお客さんから紹介もらうっていうのがすごいんですよね。
ということで、お客さんに一生懸命貢献する、紹介もらう。それで全国で2位になるんです。
ということで、5年ぐらいセールスやりましたけど、ベスト10には全部入ってる。
給料すごかったですね。23とか4か月ですね。結構給料高くて。
お客さんにはおいしい物越しとなって、夜はクラブとかクラブに連れて行ってもらって、
お客さんに言うと、さよならって言った後は自分でね、夜中までずっと飲みに行ってましたね。
札幌時代は楽しくて仕方がない。
でもやってるうちに、1人でセールスやってるよりも、自分もチームリーダーみたいな仕事もやってたんですよね。
やっぱりそれはすごい楽しかったですね。自分の後輩を育てると。
彼らを成功させるっていうの大好きで。
ですから営業所で、僕の持ってる地位がすぐ数十だったんですからね。
そしたら5年中ってやったら、今度は所長にならないかって言われて。
で、所長の試験を合格して、最年少、25年、26年、27、28歳で所長になったんです。
なるほど。どんどんご出世なさっていらっしゃるかと思うんですけども、
営業成績を上げるのも、自分でノウハウ開発みたいなことをなさった感じでいらっしゃるのですか?
そうですね。28歳で所長に赴任して、まず自分で自分の営業をしてきた、
ビジネスの成長と社員管理
お客さんを大事にしてお客さんから紹介をもらう。それから、いかに早く契約をもらう。
強い紹介をもらうっていうノウハウを、うちの部員に教えていくんですけど。
苦しかったのはね、自分はできるんだけど、人はできないわけです。
それでも、1年目の売り上げは前年比200%とか、3年目には最初の売り上げの400%くらい。
400%って相当無理しますよね。
ということで、4年目、5年目くらいになると、一回成績のままで、
社員が辞めていくんですよね。辛いから。この辞め方は良くないなぁということで、
ドラッガーの本とかですね、内幸男さんの本とか読んでですね、やっぱり人を使うとはどういうことなのか。
ということは本当に真剣に考えた時期ですね。
5年経ちまして、今度は福岡に、札幌から福岡にできる。
札幌時代もそうだったんですけど、僕は部下を鼓舞するためには、北海道で営業部を作るぞっていう。
君たちは今度は所長だ!帯広の所長だ!
札幌第3営業所の所長、こういうふうなやり方で延ばされる。
で、福岡に転勤になりまして、福岡も同じやり方ですね。
まず九州営業部を作る。ということで北九州に営業所を作る。熊本で営業所を作る。
あとはね、社員に話をよく聞くっていうことですね。
福岡に行った時に、社員の話をよく聞いたなぁ。
で、1人1人役割を決めるんですね。君は研修のリーダーになってくれ。君は顧客を変えてくれるリーダー。
そういうふうにして、やっぱ自発性のある人たちに役割をやってやるわけです。
そうしたらやっぱり福岡営業所もすごい業績が良くなりました。
3年目ぐらいになってきたら、今度はナンバー2は福岡営業所の時もナンバー2が必ず行ってですね。
福岡に行って、もう32ぐらいで直轄営業部っていう部の次長になるんですね。
部の次長になって福岡営業所長になるんですけど。
直轄営業部って百何十人の部隊ですね。そこがナンバー2になるわけです。
フィードバックと成長
だからやっぱりもう天狗になってたんでしょうね。
だから人の話もよく聞いて、一旦私が朝早くから会社に行ったり、私がギリギリまで行ってですね、会社に行ってですね。
で、偉そうにするようになるわけですよ。偉くなっちゃってね。
そしてある女性の社員からですね、営業日誌っていうのが、その中に手紙が入ってた。
そうした強烈なフィードバックを受けたんです。
福岡に赴任したときは、小坂さんは人の話も聞くし、素晴らしいリーダーだった。
でも最近の小坂さん、人の話も聞かない。朝もギリギリ。
気が逆流しました。
言えなかったです。あまりにも悔しくて。
で、うちの奥さんが心配して、パパどうしたの?どうしたの?
言い分かるんですよ。
あ、実はこういうタイムは。
で、うちの奥さんも逆流して。
そんな人、クミネーションサービスですか?
で、でもよくよく考えてみたら、俺が悪いんだなと思って謝りました。そうして。申し訳ないと。
それからますます九州へ、九州の福岡縁優賞が設計を行いました。
本当に最優秀縁優賞に選ばれて。
それで5年間ぐらい福岡に行って、そこから今度は東京の一番でかい縁優賞の所長になるんですね。
所長って自長なんですが、自長兼所長ですけども、その時はもう50人ぐらいだったのかな。
トップセールスの本店ですよ。
そんな形で今度は新しい部隊の責任者になっていたということですかね。
なるほど。
そのマネジメントを成功させてきている理由は今のお話でも出てきましたが、
社員さんたちのお話をよく聞くというところだったんでしょうか。
そうですね。大体その社員がどういう性格なのかっていうところまで見ることができる話をする。
社員さんの分析というか、この人はこういう性格だし、こういうのが向いているとかいうのはお得意だったということでしょうか。
うちの商売やってたからじゃないですかね。
商売をやって、ひらり前になって、働いてた職人さんたちが、すごいストライキみたいなことをしたことがある。
子供の頃見てましたからね。
ああって人って変わるんだ、こんな優しいおじさんたちが。
会社の業績が悪くて給料が払わないとか、そういうふうな恐れがあるっていうのがあるんだな。
人はよく見ますよね、子供の頃から。
社員があると、一人一人がどういう性格なのかということは分かって、
じゃあどういう道が一番伸びるんだと考えるんですね。
なるほど、ありがとうございます。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの生光社長、生光経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
その内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもウィズビズが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく、文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社系に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で、経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければと思っております。
本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。また来週。
21:15

コメント

スクロール