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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、株式会社コンヴァノ代表取締役社長・CEO 坪井茂人様でいらっしゃいます。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
1987年、日本マクドナルドに入社。2011年、直営コンサルティングマネージャーになられていらっしゃいます。
その後、2012年、コンヴァノに入社され、財務経理本部、本部長をなされ、情報システム本部長を兼任されていらっしゃいます。
そして、2013年、当社の鳥島区CFOに就任され、2019年、代表取締役社長・CEOに就任されていらっしゃいます。
2018年に、当社を待たずに上場したコンヴァノ様でいらっしゃいます。
本日は、よろしくお願い申し上げます。
よろしくお願いいたします。
まず最初のご質問ですが、ご出身はどちらでいらっしゃいますか?
出身は大阪でございます。
大阪の小学校時代、中学校時代ってどんな少年だったのか、思い出はございますでしょうか?
小学校時代ですか。普通に表に出て活動的に走り回っている子供だったんですが、
特に他の子たちと違ったのは、一人っ子だったので、家で自由に一人で遊べるので、
プラモデルを弟や兄弟に邪魔されずに、ずっと一心不乱に作っていたのを一番覚えていますね。
割と外に遊び回るというよりは、家の中で遊ぶほうがお得でいらっしゃいましたか?
昼間は友達と外で遊んでいましたが、帰ってきてから晩御飯ができるまで、日課のようにプラモデルを作っていましたね。
中学校時代の思い出なんてないかございますでしょうか?
そうですね。そのプラモデルとか作っていたのが影響しているのかどうかわからないですが、
その頃から電気や機械、そういうものに興味を抱き始めまして、
電化製品が壊れたとか、あるいは乾電池を入れて動くおもちゃが壊れたとかというと、
分解せずにはいれない子供でした。
ドライバーとニッパーを持って全て分解してからゴミに出すという。
おそらくどんな仕組みになっているんだろうか、みたいなことに非常に興味を抱いていたんでしょうね。
割と物作り系みたいなのがお好きな感じのタイプじゃないですか?
そうですそうです。ですからそれから理系に進んで、
メーカーで物を作るんだ、研究学開発をするんだ、みたいなことをおぼろげながら将来像として考えていた気がしますね。
なるほど、そうですね。
高校は大阪でいらっしゃいますか?
はい、高校も大阪です。
高校時代はどんなことをして過ごしたって思い出がありますか?
高校時代に一番時間を費やしていたのは、クラブ活動でブラスバンドに入っていましたね。
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音楽活動をされていたということですか?何をやっていらっしゃいましたか?
担当はドラムというかパーカッションですね。
中学時代に悪い友達連中と一緒にバンドの遊びでバンド活動をちょっとやったんですが、
高校に行った時にそうやってバンドをやりたいなと思っていた連中が、
普通なら軽音楽部に入るんですけれども、たまたま私の行った高校に軽音楽部がなくてですね、
そういうことをやりたいと思っていた人間がみんなブラスバンド部に集まったんですね。
私はパートがドラムだったので、失礼的にパーカッションに入り、
普段は吹奏楽をやっています。
それはそれで非常に有意義で楽しかったんですけれども、
文化祭前になると、にわかバンドがいっぱいできて、
文化祭は本業の吹奏楽よりも自分たちのバンドの方に力を入れていた。
そんなことを3年間やっていましたね。
小中高の思い出をお話しすると、わりと多才でいらっしゃるんですね。
それは今でも時々言われます。
ちょっと趣味が多すぎちゃうみたいな。
あちこち取り留めないよねってよく言われます。
後ほどもお聞きしようと思ったんですが、好きなこと好きなものですごいいっぱい書かれて、
たぶん過去最高にいっぱい書かれたのが、すごい社長なんじゃないかと思うんですが、
後ほどそんな話はお聞きしたいなと思っております。
大学は大阪でいらっしゃいますか?
大学は京都です。
同志社大学です。
何か同志社大学を選ばれた理由というのは何かございましたでしょうか?
同志社大学を選んだ理由ですか?
国立を落ちて滑り止めの同志社に行ったって別にあまり大きな意味はない。
でも同志社大学に受かるってことは、やっぱり頭は本当によろしかったけどもっていう感じではありますよね。
高校は確かに新学校だったんですけど、新学校の中でそうやってバンド活動とか吹奏楽に熱を入れてたので、
高校の中ではどっちかというと落ちこぼれだったんですよ。
だからみんなが高校率いったけど、僕は私率みたいな。
そういう未だにそのことに対するコンプレックスがちょっと潜在的に持ってます。
大学時代の思い出なんてございますでしょうか?
大学時代は電気工学部に入ったので、そういう実験とか普通にやってたんですけれども、
実は大学1年生の時に全職で正社員として働いていたマクドナルドの学生アルバイトを始めたんですよ。
実はそっち側にのめり込んでしまいまして、大学生活の間、学校に行ってた時間よりもマクドナルドの店にいた時間の方が長いという。
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それが自分の今の経歴に大きな影響を与えてますね。
大学卒業後そのままマクドナルドに入社でらっしゃいますか?
はい、そうです。
アルバイトから入社みたいな感じで。
アルバイトから正社員になりました。
それと理系でそれも同士社でだと珍しいご就職だったんじゃないですか?
実は同士社大学の電気系のあるいは機械系の先輩もマクドナルドに数名いらっしゃったんですけれども、
でも学校の中で見るとかなり異業種に入った方です。
普通であれば当時だったら、私も今でいうAI、人工知能、そんなことを研究しているゼミに入ったりしてたので、
普通であればシステムエンジニアであるとか、あるいは元々自分が目指してたメーカー系の開発部門だったりとか、
そういうところに入って叱るべきだったんでしょうけど、ちょっとある思いがあって、それをやめてマクドナルドに入社したということですね。
先生や親御様はご反対になさなかった?
先生は別に何も言いませんでした。
ただ私の両親、特に父親はかなり、え?とクエスチョンマークがついていたようですね。
本当にそれでいいのかというのは何度も聞かれましたね。
マクドナルドでの思い出とかそういうのはございますでしょうか?
そうですね。まずマクドナルドに入社したその時の思いを話しておかないといけないと思うんですけど、
アルバイトを始めての時に最初は夏休みの短期バイトのつもりで、1ヶ月で辞めればいいやと。
面接の時に長期でできますか?って当然聞かれるんですけど、はいって言いながら1ヶ月で辞めてやるって思ってたんですね。
ところが実際に働き始めると、あの会社のシステムよくできてて、アルバイトでありながらすごい権限以上をするんです。
任されて、人を使って仕事をするっていうことを初めて体験したわけですね。
学校ではそれまで実験だ、数字だ、道具だ、機械だ、そんなものを相手にしてたんですけど、
人と接することの楽しさっていうのをすごく肌で感じてしまって、
1ヶ月で辞めるつもりが、そのまま大学生活の間ずっとバイトを続ける。
しかもお店に行かれたらわかりますけど、社員と同じ格好をしていて非常に若い人がいるわけですけど、
実はアルバイトなんですね。ほぼ社員と同じような権限を与えて店を任せている。
私もそれにならしてもらいまして、そうするとスケジュールを作ったり、もうお店の根幹ですよね。
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そういうことを任されたりとか、資材の発注をさせていただいたりとか、いろんなことにお手を染めてて、これは楽しいと。
私が就職活動をするときに、いよいよマクドナルドなのかそれとも普通の電気系のメーカーなのか、
どっちに行くんだという選択を迫られていた頃に、当時はニュースステーションという名前でしたかね。
久米博さんが司会をされていた。
あのニュース番組の中で、ちょうど4月の頭だと思います。
27年前の話ですよ。30年近く前の話ですけど、今、何らかの役職をもって定年退職をされる方の確率が何十パーセントか。
かなり高い数字をおっしゃっていました。
今、就職する人たちが定年を迎えるときに、役職をもって定年を迎える確率が十数パーセントしかない。
そんなシミュレーションが成り立つというような話をその当時されたんですね。
それを聞きまして、例えば電気メーカーやコンピューター会社に入ってシステムエンジニアになっても、
大きなピラミッドの一番下からスタートするわけですよね。
しかも、ある程度の年齢がいってついていかなくなったら使い捨てにされるみたいな話も聞いていたので、
これだったら、自分はもうガラッと方向転換をして、マクドナルドで人を使う仕事。
使うって言ったらちょっと上から目線で失礼ですけど、
人と一緒にやっていく仕事の方が自分は向いているんじゃないかなって思い始めたんですよ。
ですから電気とか機械とかそういう好きなものは趣味にしておいておいて、
仕事はそっちに変えようというのが一番大きなマクドナルドに入社したきっかけですね。
じゃあ最初からマネージメント志向でいらっしゃったんですね。
はい、その当時は偉そうにそう思っていました。
マクドナルドに入られてからいろんなマネージメントされたと思うんですけど、
どういう思いで勉強になったとかそういう思いはあられましたでしょうか。
普通に店舗に配属され、店長を経験し、それから数店舗を受け持つスーパーバイザーを経験し、
その営業職をやっていったわけですけど、今振り返って一番思うのはやっぱり人の考え方、人ってそれぞれなんだなって。
それを最大公約数的に取りまとめていくことの簡単そうに見えて非常に難しい。
多分正解がなくて、どうすれば全員、100人の考え方、性格を持っているものを全てを満足させるような方法ってなかなか見つからないんだか、
じゃあそれをそれでも引っ張っていかなきゃいけないのでどうしていったらいいのかなっていうことを、
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ずっとそういうことを模索しながらやってた営業時代でしたかね。
なるほど、ありがとうございます。
マクドナルドのコンマノさんにお会いになったんですが、これは移られた理由というのは何かございましたでしょうか。
実はコンマノという会社は、私のマクドナルド時代の同僚が先にマクドナルドを退職して始めたビジネスだったんですね。
最初から僕も誘いたかったらしいんですが、さすがにそれはちょっと遠慮したみたいで、
その中で私もマクドナルドを退職するということになりましたので、
彼に誘われて、じゃあうちのビジネスを手伝ってくれということで参画させていただいた、そういう経緯です。
まあ、友達、創業者の誘いですね。
なるほど、ある意味ヘッドハンディングに近いような感じでお支えですから。
そう言っちゃうと聞こえがいいですけど、そんなことはないと思います。
コンマノさんではどんなお仕事を中心になさったんでしょうか。
入った時には、それこそ経理のおじさんです。
創業者、友達の奥様が経理をやっておられたんですけど、それを引き継ぐ形で、
普通の会計書員を一人でやってました、最初は。
マクドナルドでは経理を経験されてらっしゃるんでしょうか。
経理では直接はないんですけれども、最終的には直営店舗のPLとか、
そういうものを分析して、アドバイスを指導したりするような部署にはいましたので、
簿記は3級しか持ってないんですけど、大尺ぐらいはわかるレベルでしたね。
じゃあ割と、慣れたところまではいかないけど、そっち側のお仕事から始まったという感じになりますか。
慣れてはいないですけど、たまたまコンマノのその当時担当しておられた税理士さんとかも知り合いの方だったので、
これはマクドナルド時代の繋がりで知り合いの人だったので、
簿記の基礎も一生懸命教えてもらいながら、こんな感じの科目もあるんだみたいなことを言いながら、
日々学びながら、芸理作業をやってましたね。
途中でCFOにお付きになってらっしゃるんですが、コンマノさんは最初から上場を目指されてらっしゃるんですか。
創業者の頭の中の遠いシナリオにはあったかもしれませんが、
私が入ってしばらくしてから会社は次のステップに進んでいくために上場しようという意志をしっかりと持ち始めました。
じゃあCFOに就いた時はもう上場を目指しててということですか。
はい。それは目指す前提で就きました。
なるほど。そうすると、私の知識ですと上場を目指すとCFOの方が一番寝れなくなるというのが私の常識なんですけども、
そんな感じですごくご苦労とかあったんじゃないでしょうか。
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それはまさにその通りですね。
寝れなくなるまではいきませんでしたけれどもね。
幸い優秀な管理部部長とか部下に恵まれましたので、徹夜したことは数えることでしたけれども、
やはり初体験ですので、話はいろいろ証言会社の方とかいろんな方から
聞いてますし資料も頂戴しますが、実体験がないのでやはりスケジュールが進むにつれてですね、
あれ次何をしなきゃいけないんだっけ、今日何と何が必要なんだっけという情報整理ですね。
これが一番苦労しましたね。
最初のうちってCFOとして相手をするのは監査法人であったり証券会社であったり限られた人たちで、
その間とのやり取りだけをしてたら済んだんですが、準備期間数年間ありましたけど、最後の最後ですね。
突然相手をしなきゃいけない、相手先が一気に増えるわけですよ。
それこそ証券代行者、当省さん、財務省、今まで片手で済んでたものがもう二十数個の相手先とやり取りをしなきゃいけない。
それが相手さんもご自身のご都合があるから、こっちの都合関係なしにどんどん情報がやってくる質問には答えなきゃいけない。
そこの情報整理をしながら上場当日を迎えるまでというのが、
ちょっと今思い出すと言われても何をしてたかわからないくらい混乱と、
でも目標が明確なので、それに向けて頑張ろうという気持ちと、それで乗り越えた記憶がありますね。
何か上場に向けて一番苦労したのはこの点だなというのは何かございましたでしょうか。
そうですね、うちの場合で言うと、創業時は知らないんですね私。
創業してしばらくしてから入社しているので、自分が実体験としてこの会社で見てきたこと、
以前のことを聞かれ、質問され、それを掘り下げて調べていくのに一番苦労しましたね。
想像や聞き伝えでいい加減なことを言うわけにはいきませんから、その辺の根拠を過去のデータを引っ張り出したりとかね。
ですから今上場を目指しておられる方がもし聞いておられるとしたら、できるだけごエビデンスは残してですね、
少なくとも人が入れ替わってもその後の方が資料をひっくり返せば何だか見つかるというような状況にしておかないと。
当社もベンチャーで始まっているので、最初はもう代表が寄ったことが全てで。
倫理とかね、そんなのまだない時から物事が始まっているので、その当時のことを調べるのに一番苦労しましたね。
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なるほど。
3分コンサルティング。ウィズウィズが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングは、K様、ビル経営だそうです。
はじめまして、都内でビルを経営するAと申します。
これまで企業向けにテナントの貸し出しをしていましたが、テレワークの浸透などで空きが目立つようになりました。
この空きをどうにかしようと、企業や個人向けに貸し買いリストなどを行おうと考えております。
30人以上が入ることができるため、セミナー会場などで需要があるのかと思ったのですが、気になることがございます。
セミナーの流行を知るために、いろいろと調べてほとんどがウェブセミナーになっており、リアルでの開催が珍しくなっていると感じました。
そこで、月200回以上のセミナーを開催する新谷さんにご質問がございます。
今後のセミナーですが、コロナが完全に収束してもウェブが主流になると思うでしょうか。
活用方法を根本から見出すつもりですので、ご意見をお聞かせいただければ幸いです。
おっしゃる通り、うちはオンラインで月200本セミナーをやっているわけですが、正直、全部オンラインになるんですね。
このコロナが始まってから、ちょうど1年ぐらい、1年以上経つこととしていますが、もう1年以上前から。
かつ去年の3月ぐらいは、社長さんたち50人ぐらい集めるから、Zoomでオンラインでセミナーをやってくれ、資金調達のと言われて私は喋っています。
10分か15分でいいからと言われて、30分でいいからという方が、実際は20分ぐらい喋りましたが、そんな感じです。
おっしゃる通り、ウェビナー、もしくはオンラインセミナー、Zoomライブセミナー、YouTubeセミナー、Facebookライブセミナー、動画セミナーみたいな感じになります。
ですので、そう思ってください。
リアルのセミナーはちょっと減るんじゃないかなと思います。
だいぶ減ると思います。
コロナがなくなってもリアルのセミナー、それでも少ないんじゃないかなと思います。
一方で、みんなオフィスがリモートワーク、テレワークになってきまして、会議室とかを自社の会議室を手放していたり、オフィスを小さくしたりするわけですね。
そうなっていくと、貸し会議室の需要は元に戻るというか、逆に増えるかもしれないという予測が実用とされています。
ですので、もしかすると貸し会議室はいけるかもしれない。
会議用ですね。セミナー用というよりは会議用。
だから、小さい部屋から4人ぐらいでミーティングできる部屋から、30人、50人でミーティングっていうのもあるのかもしれませんので、そういう部屋から、そういうのも必要になるのかもしれないなと思います。
そういう意味は、セミナーに焦点を当てるんではなく、オフィスの貸し会議室、本当の会議を行う部屋というので考えていただいたら、よろしいんじゃないかなと思います。
ぜひその辺を考えてですね、経営計画なり事業計画なり立てていただけたらいいんじゃないかなと思います。
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本日の3分コンサルタはここまで。また来週。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウィズビズが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社系に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノート、スペース、社長インタビューと入力いただき、経営ノートのサイトをご覧になっていただければと思っております。
本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。また来週。