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2023-11-15 15:08

第357回 大竹啓裕氏(株式会社ハッチ・ワーク代表取締役会長)【前編】

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今回は、株式会社ハッチ・ワークの大竹啓裕氏にお越し頂きました。

不動産業界にストック型やフランチャイズのような仕組みを導入したいと起業。
古い業界に売上予測システムなどの新しい仕組みを作り、活用することで業績を上げていくお姿から、経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。

なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。

■経営者インタビューメディア「経営ノート」
https://keiei-note.com/

■WizBiz社長塾
https://www.youtube.com/channel/UC16VkcI4PaUISDD4UL7pFvQ




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社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、株式会社ハッチ・ワーク代表取締役会長大竹隆博様でいらっしゃいます。
まずは経歴をご紹介させていただきます。
福島県ご出身、千葉工業大学工学部卒業後、セコム株式会社株式会社ビルディング不動産グロービートジャパン株式会社にご入社となっていらっしゃいます。
その後株式会社ハッチ・ワークを創業されていらっしゃいます。
代表取締役会長様でいらっしゃいます。大竹会長様、本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
ご出身は福島とのことで、小学校時代はどんな少年でいらっしゃいましたでしょうか。
福島の山深い田舎育ちといった方が分かりやすいと思いますけれど、本当に自然に覆われたところで、
小学校の全校生徒が約100人ぐらいという小さな小学校の、僕は生徒会社をやったことがありまして、そういう意味ではリーダーシップは取れたんだと思います。
小さい頃からだからその辺はあったんでしょうが、案外野心家ではなくかなり真面目にそこをまとめていこうということを結構真剣に考えていた。
子供ながらにそんなことを考えていましたね。
優等生でいらっしゃったんですか。
今思えば優等生ですね。もっと優等生じゃないほうが良かったなと思います。
中学校時代はどんなふうに過ごしたかと思いますか。
僕の原点は、小中高あたりは田舎にいたもんですから、中学校が越境入学をしまして、片道8キロの道のりを毎日自転車で通うということをしておりまして、
結局時間がないんです。朝もものすごく早く出ても学校に着くの遅いじゃないですか。
社会人で言えば遠距離通勤みたいなもので、そういう意味で言うと部活動もできないんですよね。時間が拘束されてしまって。
何も大きな辛い思いはなかったと思ってはいるんですが、結構環境は悪かったなという思いはありますね。
あとは、辛い思いってなかったわけじゃないというのは、中学1年の時に父親を僕はたまたま病気で亡くしまして、実家が商売をやってたもんですから、
そういうお金で困ったというよりは、やっぱり環境の変化には幼いながらにかなり影響を受けてたと思いますね。
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中学校には1時間以上かかりますよね。
1時間以上かかってましたね、たぶん。
なるほど。高校も福島県内でらっしゃいますか。
そうなんですよ。高校は学法石川高校というちょっと変わった名前の高校で、野球が強いんで一時期有名だったんですけども、かなり文武両道。
本当にかなり厳しい学校だったですね。もともと男子校でバリバリの、昔の不良もいれば天才もいるようなそんな面白い学校だったですね。
我々世代だと学法石川の甲子園によく行ってる高校で。
そんな時代でした。
高校時代はどんなことをして過ごしたのか、お思いでございますでしょうか。
高校時代が一番遊んだですかね。やっぱりやっと心が解放されたというか、悪い友達もいい友達もたくさんできて、高校時代は友人の家に入りびたりで、
何してたんですかって言われると、当時のことですからね。
僕は漫画を読んだりするのが好きだった。漫画大好きだったんですよね。
好きな連中が集まると、その連中の中からは高段車に行って、世界的に評価された漫画の編集者になったりですね。
意外に面白い奴らが集まってたって感じですね。
なるほど。ありがとうございます。
その後、大学は千葉工業大学ということで、何か理系の大学を選ばれたりはないかございましたでしょうか。
どこでもよかったって言うと語弊がありますけど、僕は田舎から出たくてしょうがなくて、とにかくこの環境にいてはダメだという、ものすごく背中を押されてる部分がありまして、
正直言いまして、たまたま英語が苦手だったので理系になったという、昔ながらのよくあるあるなんですけども、それで大学を選んで、
ただ行ってみると、やっぱり工学が面白いなっていうのは正直ありましてですね。
僕なりにはすごく楽しい学生生活になりましたね。
大学時代はどんな風に過ごしたかと思いますか。
大学時代は、僕はアメリカンフットボールにハマってしまって、1年生の時からアメリカンフットボール大好きで、そちらに、
本当に田舎にいてスポーツあまりできない環境がたまたまあったんで、それをむしろ反動してですね、
社会人になって、実は大阪に行ってもアメリカンフットボールのクラブチームに入ったり、そんなことを続けてました。
そうすると、アメフトでクラブチームまで、相当お上手でいらっしゃった。
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上手じゃないんですけど、面白くてしょうがない。作戦を立ててフォーメーションでやるっていう、
ゲーム感覚が大好きだった。これでも仕事にめちゃめちゃ生きてますね。
アメフトは大変頭の使うスポーツということですね。
本当に楽しいと思います。
戦略的なところだと思います。
その後、新卒でセコムでいらっしゃったんですか?
そうなんですよ。実は新卒では本当に短い期間大阪の会社に行ったことがあったんですけども、
やはり在京のこれから成長する企業に入りたくて、すぐにセコムに移って、
セコムでかなりいろんなことを鍛えられた。僕の原点はそこにあるかなという感じがしますね。
セコムでの思い出って何かございますか?
セコムでの思い出はですね、これがきっかけでストックビジネスの教科書という本を書いたんですが、
セコムの社内でストックビジネスっていう共通言語があったんですよ。
かなり昔の話なんですが、つまり積み上げ型のビジネスは素晴らしいんだっていう文化があそこにありまして、
売り上げ私たちは100億だけど、これは勝者でいえば1000億以上なんだっていう、
妙なプライドを持ったそういう会話が存在したんですよね。
僕はビジネスの作り方ってこうやって作るのかみたいなところは、そこですごく刺激を受けました。
なるほど、ありがとうございます。
その後、ビルディング不動産さんに移られていらっしゃいますが、何か移った理由というのはございましたでしょうか?
この辺からやっとですね、僕はヤンチャーになってきたところなんです。
やっぱり人間、いろんなものから解き放てていくべきだなと思っていますが、
私は生まれた経緯も多少あるのかもしれないですけど、あんまり自分でヤンチャーなことをそうしてこなかったつもりだったんです。
セコムに入ってから、仕事で夜も昼もなく仕事をする。
これ辛いというよりもチャレンジする楽しみを。
その時に取引先だった会社がビルディング不動産という会社だったんですね。
当時オフィスビルのデベロッパーとしてはベンチャーで1位の会社で、かなり大きい会社だったんですけども。
ある時、セコムで機械警備を売るという仕事をしてたんです。
私はそこの担当だった。
ところが、アザブのビルに機械警備を入れて、明日からオープンという日に電話回線が入っていないという事件が起こりまして。
その事件に対しての対処方法として、その事件で手配を忘れたのはお客様だったんですよ。
お客様に対して、なぜスケジュール通り手配しなかったんですかって言いましたら、
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それはこちらが悪いけど、お前何とかしろって言うわけですよ。
絶対に何とかできないの分かってましたんで、何ともできませんって言ったら、それを何とかするのがお前の仕事だろって言われて。
ものすごい私はその人に対して感情的に怒って、まず暴言で、じゃあ私は今晩一晩ここに泊まって警備をさせていただきますということで。
まだ工事中ですけどね、完成したといっても、そこのビルに電気が入っている程度のところに一晩玄関先で泊まったんですよ。
雨の日、覚えてますけれど。
玄関先で泊まって、一晩起きていって、それで朝7時、お前何とかしろと言った部長に、朝7時に電話しまして、何もございませんでした、警備完了しました。
これ、社内規定違反ですよ、当時は。
ことはそれで済んだんですけれども、そうしましたら一か月後にその方からスカウトされまして、
君は面白いと、うちの会社に来いと言われて、それがきっかけで移ったんですよ、実は。
面白い経緯でらっしゃる。
その方が実は今私の会社の株主でもあるという、ちょっと面白い経緯がありますね。
なるほど、縁でらしてますね。
その方自身もちょっと変わった方で、化学の世界でやったら強い方で、アメリカの原子力発電所の設計とかやってるぐらいの変な人だったんですけど、変なもの同士の相性が良かったんだと思いますね。
なるほど。
ビルディング不動産での思い出ってのは何かございますか。
ここでは私の不動産に関連する基礎知識はここで学んだという。
私の思い出は一つだけ言えば、ある手法を使ってビルの相場を計算式で出すというシステムを作ったんですね、当時。
簡単なシステムなんですよ。
その概念ですね、設計概念を全部入れましてできて、いろいろ名前を付けたんですけど、そのシステムが私なりに非常にうまくいったという記憶がありますね。
そのシステムは実は後に1億で売れたという噂は聞きました。
もう私は退職してからですけど。
なるほど、やっぱり理系でいらっしゃるんですね。
そこは理系なんですよね、多分ね。
数字で結果出したくなるんですよね、分かりやすくしたいというか。
なるほど、ありがとうございます。
ビルディング不動産の後、グロービートジャパン社に移られてらっしゃいました。
こちらは移られた経緯は何かございましたでしょうか。
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そうですね、これは当時バブル崩壊がありまして、ビル業界がメタメタでものすごい数の倒産がありました。
集話さんが潰れたりいろいろあったんですけども、実は当時やはり同じような形で私が所属していた会社も倒産しまして、
私自身がその時にたまたま席を並べていた仲間とラーメンのチェーンをやるんで、
私もラーメンというのは好きだったものですから、やってみたいということで、
フランチャイズの仕組みを作るということで、仕組み作りが大好きなので、
フランチャイズの仕組みを一緒に手伝おうかということでやらせていただきました。
なるほど、ありがとうございます。グロービートジャパン社での思い出なんてございましたでしょうか。
ここでも同じなんですよ。売上予測システムを作ったんですよ。
これが全く同じ手法を使いまして、やっぱり不動産業界の相場を見るのと一緒で、売上の相場ですね、言ってみれば。
道路幅だとか、市民性だとか、周辺人口だとか、交通量、これ全部データで入れると一定の法則で消費加えが出てくるという、
そういうビジネスの仕組みを作って、それを業界で初めて作れて、それが出店を加速する材料にも正直になって、
私的にはいつも同じようなことをやっているなという、そんな感想はあります。
システムを作るのがお得意というか、お好きというか。
業界初が大好きなんですよ。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウィズビズが運営するウェブサイト、
経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。また来週。
15:08

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