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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、株式会社真面目代表取締役社長 平川アズサ様でいらっしゃいます。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
1982年生まれ、岩手県森岡市市高出身。23歳までモデルの仕事をなさっていらっしゃいました。
その後、フジテレビのドラマに出られたりなさっていらっしゃいまして、
その後、自主制作映画をお作りになり、そしてその後、製作会社にご入社。
その後、30歳で株式会社真面目を立ち上げられました。美人の女性社長様でいらっしゃいます。
本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
まずは最初のご質問ですが、ご出身は森岡ということで、小学校時代はどんなお子さんでいらっしゃいましたでしょうか。
そうですね。先生からすごく姿勢が良くて、ずっと先生の顔を見てくれる子どもだねと言われていた記憶があります。
社名の通り真面目なお子さんでいらっしゃいますか。
もしかすると真面目だったのかもしれないです。
なるほど。クラス委員とか生徒会長とかもやっていた側ですか。
そうですね。1年生の1学期にすぐ前を見ていたからという理由で学級委員長に指名されまして、
そこから長とつくものはある程度私に任せられるような小学校生活を送っていたかなと思っております。
なるほど。優等生という感じですね。
そうですね。成績上は優等生だったと思います。
ちょっと羨ましい感じですが、中学校時代はどんな子として過ごしたと思いませんか。
はい。唯一運動をして過ごした3年間だったなと思っております。
本当に校庭一周走るぐらいなら読書感想文100枚書いたほうがいいというぐらい運動苦手だったんですけれども、
小学校の先輩に陸上部に入るとかなり反強制的に無理やり入部させられて、
断るという選択肢もないまま中学校時代は3年間陸上部に何とかしがみついてやってきたという苦い思い出があります。
何の教諭をやっていらっしゃったんですか。
バンというピストルの音が嫌いだったので走り幅跳びをやっていました。
なるほど。
あれがないのが。
走り幅跳びをやっていらっしゃる方は短距離が得意で100mとかもやれると思うんですが、それはやっていなかったんですか。
やっていないです。唯一苦肉の策で選んだのが走り幅跳びというところでやっていました。
走り幅跳び専門はかなりレアなケースだと思いますが。
そうですね。
高校は森岡高校でいらっしゃいますか。
森岡です。
高校時代はどんな子として過ごしたと思いませんか。
高校時代は中学の苦い思い出を真似に絶対運動部に入らないぞと決めまして。
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お金を稼ぐという楽しさを覚えましてバイトに結構明け暮れているという1年生2年生を過ごしていたと記憶しております。
森岡でバイトというとどんなバイトなかったんですか。
典型的にクリーニング屋さん、ラーメン屋さん、焼肉屋さんという3大高校生バイトは全てクリアしたと思っております。
結構稼がれた感じですか。
そうですね。やると決めたら結構徹底的に入るタイプなので気まぐれにというよりは、
ただその時に稼いだバイト代を何に使ったか全く記憶ないんですけれども、
そうですね。入れるバイト時間はかなり入っていた記憶があります。
なるほど。その後モデルの仕事をなさっていらっしゃるということですが、モデルになったのはいつぐらいからですか。
そうですね。ちょっとラジオお聞きの方は私の背が分からないと思うんですけれども、身長が170センチあります。
小学校時代、10代ですね。とても高い身長がすごくコンプレックスで、
ずっと2、3センチ小さく見えるように背中を丸めて生活していたんですけれども、
こんな生活、生涯送っていくのしんどいなと思って、
その時に岩手の新聞のチラシか何かに地元のフラワーショーのモデルを募集しているものを見かけまして、
人生ちょっとトライしてみようかなと思って高校2年生の時にモデルの募集に応募したというのがきっかけでスタートしました。
なるほど。じゃあもう16とか17くらいからですか。
そうですね。そのぐらいからその仕事はしていたと思っています。
その後、大学には行かずにモデル業が専門になったんですか。
そうです。高校の頃から仙台と東京のモデル事務所に所属をして、
東京に骨費出していただいて送り出していただける働き方というかしていたので、
一択で大学に行って何かを学ぶというよりも、この仕事を生涯やっていくものなんだとすごい漠然と思っていたので、
大学進学ということは一切選択肢の中にはなかったです。
なるほど。周りはみんな大学に行くのにモデル専門みたいなそんな感じでした。
そうですね。もう95%以上進学する学校だったんですけど、
本当に先生が最後の最後まで本当にそれでいいのかというのを何度も面談していた記憶があります。
なるほど。モデルの仕事は東京にも進出して仙台も両方だったのが、中心は東京に移って、そんな感じですか。
そうですね。その当時の仙台の事務所の社長が東京でも通用するんじゃないかということで、
東京のCMだったりとかグラフィックのモデルのオーディションによく出していただいておりました。
なるほど。フジテレビのドラマのアテンションプリーズに出たというふうに出てて、
私、ラジオを聴いている方は知らないかと知っている方がいらっしゃいますが、
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週40本ドラマを見るという暇な人間なんですが、
そうなんですね。
アテンションプリーズを見ていたなと思ったんですが。
いやもう本当に気まずい。目田彩さんと同じクラスメイトという役で出ていて、今でも見れるじゃないですか。
たまに友達が冷やかしで連絡が来るんですね。いやあの時のお前は本当に芋だったねみたいな。
今はあまり変わっていないけれども、芋を見つけるのが楽しくてドラマを見返しているよというのも。
なるほど。ありがとうございます。
モデルさんって僕の印象ですと、最近の若いモデルさんも皆さん方、どんどんドラマ側に行き、
最近でしたら荒木裕子とか池田偉太とかみんなそうですが、どんどん女優側に移っていくんですが、
そっちの道に行こうとは思わなかったんですか。
その道に行きたくて、映画の脚本を書き始めていた時期でもあります。
なるほど。ご自身で脚本を書こうと思ったんですか。
そうです。女優さんになりたいなと思ったんですけど、この無限にいる女優の中でどうやったら目立てるのかとか、
どうしたら他の人とは違う能力をピックアップしてもらえるのかと考えた時に、
まず自分でできることをと思ったので、脚本が書ける女優だったら、
一つ違う色が出せるんじゃないのかなと思って、身を見真似でパソコンを一台買って、
ワードというものを使って文字を書き始めたのがその時期です。
なるほど。じゃあ、モデルやりながら女優やりながら、ある意味映画制作まで携わっていく、
ドラマ制作まで携わっていく、そんな目標を描いていたんですか。
描き上げた台本を誰かいつか撮ってくれればいいと思っていたので、
制作をしようとは未然も思っていなかったです。
そうですか。でも途中で実出制作映画を作られてらっしゃいましたね。
これはどんなきっかけで作ることになったんですか。
その台本まがいのものというんですかね、脚本まがいのものが、2年半かけてちゃんと書き終えられたんですね。
きっと映画を撮りたいなと思う人も、脚本を書きたいなと思う人も無限にいると思うんですけど、
書き終えられた人というのは、ほんのわずかなんじゃないかと思っていて、少しだけ自信がつきました。
その時に、当時一緒にお仕事をしていたCMのプロデューサーとか、テレビのカメラマンとか、
そのあたりに、本当に恥ずかしい思いで、裸見られる思いで、
裸見られる思いで、その台本たるものを読んでもらったら、すごく内容的に面白いから、
これを撮ってみたらいいんじゃないかという風にアドバイスをいただいて、
天性のあまり深く考えないタイプなので、やってみようという風に25歳の時に思いまして、
身を見真似で、出資を募らないといけない、お金がないと機材も借りられない、
関わってくれる人のご飯代も出せないということで、協力費を350万円当時集めまして、
機材費と来ていただくお弁当代とかに充てて、半年かけて映画を撮り切ることができました。
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その映画はいろんなところで上映なさったんですか?
渋谷の単館の映画館で上映できるまでに、はい、1年かけて完成することができました。
ご自身のご評価としてはいかがでしたか?
作品のクオリティーは別としても、できないことは何もないんだなという風に思いました。
それが今の何でもやってみようの現体験につながっているので、
映画の面白い面白くないでいくとちょっと自信はないのですが、
まだ会社立ち上げて3期目ぐらいのときに唯一、うちのメンバー、社員に見せたことがあって、
思っていたより面白かったですというふうに評価いただけたのが、
当時頑張ってよかったなと思って、私の感性的な評価なのかなと思っております。
ありがとうございます。その後、映像制作会社にご入社なさっていらっしゃるんですが、
これは映画を自分で撮ろうみたいな感じのイメージですか?
いえいえ、映画を撮ろう、撮り終わったときに唯一できなかったことが編集でした。
思いだけで演出や書くことや出演することもできたのですが、
何がどうしても技術的なものは朝起きて目覚めたらできるものではないので、
その編集技術を習得したいと思って制作会社に入りました。
ただ、キャリア的に高卒なので、入れるようにならないので、
当時就職活動もしたことがなかったので、何を見て探すかもわからない状態で、
高卒制作会社みたいな検索ワードで出てきた2社ぐらいを受けて、
そのうちの1社に入社をしたという経緯です。
制作会社はどんな仕事をなさったんですか?
某超一流アーティストのミュージックビデオのメイキングを撮りに
カメラ1台渡されて、3日間寝ていたんですが、
メイキングのカメラを回しに行くという最初の現場だったことを記憶しています。
ご自身でも持たれていたんですか?
そうです。本当にハンディカムみたいな小さなカメラなので、
それでメイキングで回していたところが、
一番制作会社に入ってやった仕事の一つです。
何か思い出とかございますか?
本当に常識がないまま入っている、社会人経験がないまま入っているので、
A音とB音の差も分からず、エクセルでも手書きでもいいから、
明日資料を作ってと言われて、どっちでもいいなら手書きでと思ったら
大きく怒られたりとか、資料の保ちキス止めができなくて
すごい怒られたりとか、当時モデルという自分が媒体となって
仕事をしていたので、何か目で見たものを写真を撮って投稿するということが
何にも悪いものだと思っていなかったのですが、
そのアーティストが写っていないけれども、現場の入り口を撮って
SNSに上げたところ、当時の社長にむなっすぐ怒られて
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お前はタレントじゃないと言われた。確かにそうだなと
すごく反省して、恥ずかしい思いをしたことが今でも覚えております。
なるほど。ありがとうございました。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり、誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月に放送されます。
1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
その内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもウィズビズが運営するウェブサイト、経営ノートでも
閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく、文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社系に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で、経営ノート、スペース、社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。また来週。