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2022-06-22 19:06

第285回 酒井誠一氏(株式会社ティムコ代表取締役社長)【前編】

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今回は、株式会社ティムコの酒井誠一社長にお越し頂きました。

国内フライフィッシングのパイオニアとして、フィッシング ・アウトドア関連用品の企画開発、輸出入、製造及び販売を行い、東証スタンダード市場へ上場をする企業の社長です。

父が仲間と立ち上げた会社を若くして引継ぎ経営者になった酒井氏。
後継社長として同社の事業を成長に導かれたエピソードから、経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。

なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。

■経営者インタビューメディア「経営ノート」
https://keiei-note.com/




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社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、株式会社ティムコ代表取締役社長)誠一様でいらっしゃいます。
まずは経歴をご紹介させていただきます。
1968年生まれ、明治学院大学経済学部卒業後、フジゼロックス株式会社、現フジフィルムビジネスイノベーション株式会社さんにご入社されていらっしゃいます。
1992年に株式会社ティムコにご入社され、その後取締役社長室長、そして2011年は代表取締役社長になられていらっしゃいます。
ティムコさんは1996年点灯市場に公開されておりまして、点灯市場はその後ジャスダックになり、今は東商スタンダード市場になっていますので、上々企業の社長様でいらっしゃいます。
酒井社長様、本日はよろしくお願いいたします。
まず最初のご質問ですが、ご出身はどちらでいらっしゃいますか。
東京ですね。
東京のどちらでいらっしゃいますか。
新宿区なんですけれども。
お金持ちの地域って感じですかね。
そういうわけではないと思うんですけれども、もともと父の方は埼玉の方だと思うんですよね。
そこから、おじいちゃんの世代ですかね。
ちょうど戦争があった時代ですけど、そこでこちらの新宿区の下市というところなんですけどね。
ここら辺の土地が手に入って、そこに住んだという形になりますね。
じゃあ高田のババとかそっちの方にちょっと来たりとか。
そうです。目次郎と高田のババの間になりますね。
なるほど。
小学校時代はどんな少年だったと思っていますか。
今思うと少し混ぜていたように思うんですよね。
なんで少し先輩から目をつけられたりだとか。
髪の毛はちょっと茶色かったんですよ、今よりもね。
それで格好つけているんじゃないかと言われたりとか。
あとはですね、わりと小中等して足は速かったですよね。
そういう意味ではすごくかけっこは得意だったんですけどね。
あとは工作が好きで、とにかくこもっていろんなものを作ってプロモデルをやったり自分で工作を作ったりとかいろいろやってましたね。
なるほど。じゃあ表になっていたんじゃないですか。
どうなんでしょう、それは分からないですけれども。
なんでしょう、目をつけられるという意味では少し目立つ感じのあれだったかもしれませんね。
なるほど、ありがとうございます。
中学校時代はどんな少年でいらっしゃいましたか。
中学入ってからはですね、私音楽をやって小学校の高学年ぐらいからギターと、今はその後ずっとベース中心なんですけどね。
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ギターをやってまして、ほとんどその時も足は速かったんでリレーなんかでは大勢アンカー取れていたんですけど、
あんまり運動はしていませんで、ほぼほぼ音楽に打ち込んでいましたね。
あとは小学校からずっとスキーをやってましたんで、中学の頃も割とこれはもう親と一緒ですけどね、やってましたね、スキーを。
なるほど。世代的な尾崎豊とかそんな感じの先生ですか。
が少し、そっか僕よりちょっと上ぐらいになるのかな。
一番聴いていた音楽はどんなのを聴いていたとか。
当時はですね、割とフュージョンという楽器中心のものが多くて、わかるかカシオペアとかですね、あのあたりが割とプレーするのは中心で、
バンドはロックが流行っていましてね、そのジオズボーンとか。
ハードロック系ですか。
そうですね、当時はそういうバンドしかほぼなかったですね。フュージョンやってくれるようなメンバーはいなくて。
たぶんリレー社の皆さん方、カシオペアが懐かしいみたいなことを今喋っていらっしゃる方いらっしゃるんじゃないかなと思いますので、確かに少ないかもしれないですね。
割とテクニカルで難しかったです。
当時、今カシオペアのベースなんですかね、当時は違ったんですけど、ナルスヨシヒロさんというベーシストがいまして、その方にずっと、実は中学時代は教わっていたんですね。
そうなんですか。
それもあって、ベースだとスラップという素法があるんですけど、それもずっと一番目が割れでもやっているという、そういう感じのストイックなことをやっていましたね。
割と本当に本物のプロにならっていたってことでいらっしゃいましたね。
そうですね。ラッキーで全然知らなかったんですよ、ナルスヨシヒロさんがすごい方ってことは。
だから後から知って、こんなすごい人だったんですね。
中学校時代は音楽でプロになるなんてそんなことはお考えにならなかったんですか。
そうですね、中学高校とかはそういう若気の至りというか、みんな音楽をやっている人は通るバカな発想をしていましたね。
そうですか、バカじゃないと思いますよ。素晴らしい発想だと思いますよ。
高校はどちらの方にお住みになったんでしょうか。
高校は明治学院です。
高校から明治学院ですか。
高校から明治学院です。
何か明治学院の私立の明治学院大学の付属校ということですが、そちらを選んだ理由というのはありますか。
ずっと工作とかスキーとか音楽をやっていまして、このこと言っていいのかな。
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あまり勉強してこなかったものですから、
本当に塾なんかもやっと中学3年になってから通い、ちゃんと進学するようなものに通い始めて、
それこそ次の進学の面談とか学校の施設とかをするんですけど、
本当に明治学院を受けるのも、受けるだけだったらできますからね。
こっちくりと言われるような感じで、
ただ運よくマクシットだったんで、受かっちゃったんですよね。
それで純粋に行きたいなと思ってたんで、行くことになったという感じです。
明治学院の高校は偏差が高いので、やっぱり頭はよろしかったなと。
いやいや、本当にラッキーだったと思います。
高校時代はどんな風にスポーツ講師になられましたか。
高校時代はですね、やっぱりバンド活動もやってスキーもやってたんですけれども、
特段所属する部活というのをやってなかったんですね。
それ以外の、いわゆる帰宅部的なものだったんですけど、
ずっと、仲間がやっぱりちょっとおかしい学校で、
私の今、友人ってその頃の友達ってみんなラーメン評論家になったりとかですね、
映像クリエイターになったりだとか、
あともうミュージシャンも何人もいるんですよね。
あと明治学院ってそういう方が多いんですけど、2代目が多いのか社長さんも多くて、
すごく仲間に恵まれてたなと思いますね。
当然音楽もやってましたけど、
その当時だから割と中学校時代にそういうカシオペアとかテクニカルなことをやってる人が少なかったので、
高校に行くと結構目立ったんですよ、それもね。
あまりやる人がいなかったものですから、すごくいい時代を過ごしたと思います。
明治学院自体が割と自由な校風なのですかね。
本当にダメになっちゃう校はダメになっちゃいますもんね。
自由すぎて。
自由すぎて。
校舎伸ばせる人は校舎伸ばせるので、すごく良かったと思うんですけど、
ただ僕受験ってそういう形で一発勝負が苦手だって、
もう中学、高校受験の時に経験してますから、
高校の成績は頑張りましたね。
頑張って明治学院大学にそのまま上がられたと思うんですか。
経済学部を選ばれたという。
やっぱり経営的なこととか経済を学びたかったっていうのはあるんですけど、
ただ実は付属校じゃなくて、高校入った時に最初に開校一番言われたのが、
明治学院大学付属高等学校ではないく、明治学院高等学校であるっていうのに、
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最初にアナウンスされたんですよ。
いきなりですよ、入学式の時に。
そうなんだと思って。
上位成績、無試験でいけるのが、無試験って言ったら面接があったり論文があったりするんですけど、
本当上のちょびっとだけなんですよ。
ここらへんやらなきゃまずいんだって言って、
そのおかげで自分の好きな学部を選べたっていうことなんですよね。
なるほど。高校時代は相当成績は良くていけたって感じですか。
高校時代は頑張りましたよ。
なるほど。明治学院がそのままみんな上がるものだと私は思っていたので、ちょっとびっくりな話ですね。
そうなんですよ。本当はできれば外に出したいんじゃないでしょうかね。
そうなんですか。ちょっと大人気ですが。
大学時代はどんなことを過ごしたのか?
大学時代は音楽をやろうと思って、いろいろサークルもあったんですけど、
ちょっと私のやりたいことができるような音楽の部活なりサークルがなかったものですから、
スキーにやろうと思って、結果的にはスキーをやることになったんですけど、
高校時代に授業をやってますと、大体終わりの方の授業になると、
外で大学生が同じキャンパスですからトレーニングとかやってるんですよ。
大学生にもなってね、そんなことやって、青春ってそういうものじゃないだろうって思ってたんですけど、
自分が大学になったら思いっきりそういう大学会系のサークルではあったんですけどね。
トレーニングを一週何回かやるようなことをやってましたね。
じゃあスキーは競技スキーですか?
それがデモスキーという、当時でいうとデモンストレーターとか、
今もいるんですけどね、技術船とかそういう方向のスキーでしたね。
その後卒業後増え、藤戸翼さんにオススメになったんですが、
藤戸翼さんがオススメになった理由って何かありますか?
当時はすごく恵まれていて、わりと就職は売り手市場ではあったんですよね。
何社か受けた、ほぼほぼうまくいってはいたんですけれども、
藤戸翼さんの場合は市場に人事の方にすごい優秀な方を当てているっていうのは、
我々学生にもよく分かりました。
これは人材を活用するところに関してすごく武田会社なのかなと思って、
それでゼロックスに行こうと思ったんですね。
なるほど。
藤戸翼でお過ごしになった思い出とかでございますか?
この会社はまたすごい会社でして、最初の6ヶ月間は研修なんですね。
オフジェイティです。
そこでゼロックスに行って、
最初の6ヶ月間は研修なんですね。
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オフジェイティです。
そこでいわゆる、ある意味人間として作る部分ではあるんでしょうけれども、
そこでも社風はすごく自由な社風で、かつ自主性を育てるというプログラムが多くて、
すごく勉強になりましたね。
そこでのネットワーク、同期のネットワークが非常に強くて、今でもつながりがありますね。
ゼロックスのイメージ、われわれのイメージだと、いっぱい研修を社員にするみたいなイメージですが、やっぱりそんな感じではないですか?
研修を外に、研修センターとして売っているところもありますので、
ある意味社員でそういうプログラムを実験しているものもあるのかもしれないですけれども、
どちらかというと、そういう研修には時間とお金をかける会社であると思いますね。
ゼロックスが売っているほうが、コピー機とかは地形を売っていらっしゃるんですか?
いろいろあって、当時からすでにシステムが始まっていまして、
当時はコピーの、もちろん営業も、コピーも勉強しますし、あとはシステムですね。
今でいうとネットワークですよね。
そういったものを学んで、私はそっちの部署に、部署というか研修になったんですが、
あとはプリンターの大型の、いわゆる設計用のプリンターを売る部署があるものですから、
そこらへんを中心に、研修がそれぞれ先行で分かれていくみたいな形でしたね。
なるほど。
3分コンサルティング。ウィズビズが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングはS様です。始めましてよろしくお願いいたします。
私は現在29歳の会社員ですが、近々雑さらし、友人と共同でSSRを開業したいと考えております。
ぜひ頑張っていただきたいですね。
しかし企業に関してネットで情報収集をしていると、共同経営はうまくいかない。
友達との共同経営はトラブルに発展しやすいというネガティブな情報が多く出てきます。
共同経営をする上でのデメリットや注意点。
トラブル回避のための契約方法や事前の対策などにご協力いただく。今回投稿させていただきます。
ぜひアドバイスを受けたら幸いです。何卒よろしくお願いいたします。
大変難しい話ですね。
このポッドキャストで社長にインウィズビズのインタビュー番組を撮っていますが、
共同経営をやってナンバー2でやってきてどうもうまくいかないので、
最後自分でやって創業して上場したという企業の社長さんの話をインタビューしたときに、
共同経営はどうやったらうまくいきますかと聞いたら、
一個もうまくいかないから結局一人でやることになったから、うまくいかないよと言われたんですが、
そのやっている企業さんたちは割と上場したり大きくなったりするので、
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割とうまくいった方じゃないかなと思うんですが、それでもうまくいかないからとおっしゃっていらっしゃってですね、
どんなものなのかと思った思い出がございます。
ですので、おっしゃる通り共同経営はあまりうまくいく例は非常に少ないですね。
私が昔お会いした方でも共同経営をやっていたら、
そのナンバー2の方が私にそのナンバートップの方の話をずっとぐっちゅうと言っていらっしゃったことがございまして、
それはうまくいくのかなと思っていたらやっぱりうまくいかなかったですね。
倒産してしまっています。
ただうまくいった方も知っていまして、3人での社長さんが集まって、
3人の社長さんが集まって、3人の社長さんが合併をして、
3人でやってきて、いわゆる上場まで持っていったという企業さんがいらっしゃいました。
その時にナンバー2とかでやっていた方にどうやったらうまくいったんですかというふうに聞いたら、
それはもうトップを立ててぐっと我慢をして、
こっちが多少遠慮したから、引いたからうまくいったんだとこういうことをおっしゃっていらっしゃいました。
ですのでそこからの例を考えると、まず順位付けをしなければいけないですね。
トップとナンバー2と分ければならない。
そのトップをちゃんと立てなければいけない。
トップの思いをナンバー2が叶えていかなければいけない。
そういうことをやっていかなければいけない。
そしてナンバー2の方が重要なんでしょうね。
ナンバー2、ナンバー3の方々がちゃんとトップを立てて、
トップのやりたい方向性にきちんとある意味従って、
感情移入をしてやっていかねばならないし、
どうしても意見が違うなら裏で言うのだなと思って、
ちゃんとトップと話し合って解決をしていかなければいけない。
ですのでナンバー2の役割が一番重いのではないかなと思います。
だいたい陰口を言っているケースなんかは、
我解していくといいますか、うまくいかなくなりますというか、そんな感じですね。
ですのでそういう点で、
F様ともう一人の方だと思うのですが、
どちらがトップでどちらがナンバー2なのかを
はっきりさせねばならないとは思います。
経営圧とかそういう問題ではなくて、
事前にどちらがトップでどちらがセカンドでということを
お懸命になっていっしょにやっていったらいかがかなと思います。
もし何かそれでも問題点がございましたら何なりとお相談ください。
無料の経営コンサルティング、経営相談をしております。
リスナーの皆さん方も無料経営相談を受け付けておりますので、
何なりとご相談いただければと思います。
本日の3分コンサルティングはここまで。また来週。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
18:01
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
その内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもウィズビズが運営するウェブサイト、
経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆さんの会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。また来週。
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