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2025-03-12 15:30

第425回 築山英治氏(株式会社Sapeet代表取締役社長)【前編】

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今回は、株式会社Sapeetの築山英治氏にお越し頂きました。

 

大学院時代、アメフト部で体重を60kgから100kgに増やし体格が変化し、オンラインでの衣服購入に悩む。これをきっかけに3D着装シミュレーションの研究に従事。

この研究を元に株式会社Sapeetを設立し、上場企業へと導いたお話から経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。

 

なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。

■経営者インタビューメディア「経営ノート」

https://keiei-note.com/

 

■WizBiz社長塾

https://www.youtube.com/channel/UC16VkcI4PaUISDD4UL7pFvQ

サマリー

築山英治氏は、株式会社Sapeetの社長としての経歴を語ります。東京大学での学びとアメフト部での経験が彼の人生に与えた影響について深く掘り下げています。工学系の大学院での学びや起業の夢についても語り、物理シミュレーションやオンラインショップの試着システムを構築しようとした経緯を説明します。特に、3D着想シミュレーションに早くから取り組んだことが印象的です。

築山氏の経歴
社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、株式会社Sapeet代表取締役社長 築山英治様でいらっしゃいます。
まずは経歴をご紹介させていただきます。東京大学大学院工学系研究科卒業後、
その後、大学院でクラウド3D着想指名書の研究に従事、その後株式会社Sapeetを設立。
そして、2024年には東商グロース市場に上場している上場企業の社長様でいらっしゃいます。
本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
まず最初のご質問ですが、ご出身はどちらでいらっしゃいますでしょうか。
出身は岡山県の倉敷になります。
なるほど。倉が有名な倉敷でいらっしゃいますね。
アサドラにも出ていた感じですね。
小学校は倉敷でという感じでいらっしゃいますか。
そうですね。倉敷の中の中正というところで、本当に田んぼがあったりとか一定の住宅街でもあるんですけれども、
そういったちょっとすごい田舎寄りの地域で生まれて育ったような子どもでございます。
なるほど。倉敷時代の小学校時代の月山少年はどんな少年でいらっしゃいましたでしょうか。
そうですね。小学校の時よりもっと明るくふざけたような形が結構前半だったんですけど、
途中ぐらいから同時に野球もやっていたので、スポーツが好きで結構動きが旺盛なそういった学生だったかなと思いますが、
途中塾に行ったりとかして、そういう勉強面も頑張っていて、そういったところは真面目にやっていて、
そういった分部平等な少年だったんじゃないかなと思います。
割と活発だけど頭もいい少年という感じでいらっしゃいました。
そうですね。そこそこ小さい地域の中で割った感じです。
中学も倉敷でいらっしゃいましたか。
中学からは赤岩群というちょっと神戸、兵庫寄りの岡山県の中なんですけど、
そっちの倉敷から電車で50分、1時間ほどするぐらい離れた地域のところに通っていました。
じゃあ和核私立と。
そうですね。
受験をなさって受かっていらっしゃいました。
なるほど。
中学時代はどんなことをして過ごしたのかお思いでございますでしょうか。
そうですね。中学時代も小学校をやっていた野球と同じく野球部に入りまして、
基本的にはずっと野球をしながら粛々と友達と帰り際に岡山駅でここ一でご飯を食べたりとか、そういったことをしていました。
なるほど。野球はポジションとかどうやっていらっしゃったんですか。
一貫して行っていたのは外野ですかね。
運転センター、レフト、ライトとか転々しながらずっとやっていました。
大学時代とアメフト
たまにピッチャーとかもありましたけど、基本的には外野でした。
じゃあ肩が良かったんですね。
そうですね。肩もそこそこで、足が速かったのがあったかもしれないです。
なるほど。ありがとうございます。
高校もそのまま中学からそのままですね。
中高一貫校だった。
高校時代はどんなことをして過ごしたかと思いますでしょうか。
そうですね。変わらずずっと野球をやっていたのと、大学受験が迫ってきていたんですけど、
野球が3年の夏くらいまですごく忙しくて、それくらいまであまり注力できていなかったんですけど、
そこから勉強を頑張り始めて、基本の大学に行けたという、そういった流れになりました。
わりと短い期間でも勉強ができてしまうという、そんな感じでありますか。
結果的に野球に集中していたというのもあって、
そういった集中力自体はそういったところで養われたというか培われたみたいなところはあったかもしれないです。
なるほど。ありがとうございます。
大学は東京大学でした。
東京大学はもう最初から理系でいらっしゃったんですか。
入学当初は文化二類というところで入りまして、
もともと親が医者だったということもあって、医学を目指す中で理系だったんですけれども、
高校2年生の時に担任の先生から、医者以外だったら何になりたいかみたいなことを言われて、
初めてそれ以外の道を考え始めまして、
当時ビットバリーと呼ばれるような堀江門とか藤田さんとか、
そういったITベンチャーの社長さんがテレビとかに出る時期があって、
そういったものを見ていて、ふわっとした憧れだったりというのがあって、
そういうのをいろいろ見てみようかなというので、いろいろ本を読んで、
面白いんじゃないか、社長になるには経済学部に行ったほうがよさそうというふうに短絡的に考えまして、
そこで文系にまた変わりまして、それに入学しました。文系で入学しました。
分離だと皆さん経済系がずらっと、社長さんになっていらっしゃる方もずらっとという感じなんですが、
当初から社長になるとそんな感じでいらっしゃったんですか。
そうですね。本当に大学入学した頃にはそうなっていて、
そういった東京大学、インカレだったんですけど、そういった学生団体みたいにも所属していました。
東京大学の大学時代はどんなことをして過ごしたいという思いでございますでしょうか。
そうですね。最初は本当に学生団体でいわゆる企業サークルみたいな団体だったんですけど、
そこでビジネスコンテストの企画運営をしてみたりとかというのが最初ありまして、
ただ前輩で起用されている方々もいらっしゃったんですけれども、
当時テレビで更新を見たときにすごい熱い高校求人たちがいて、
でも僕ももともと高校求人だったので、
そういうビジネスチックなことって別に社会人になればできるし、
逆に今しかできないことって何だろうって改めて考えたときに、
そういう部活とかが頭に入ってきて、
もともと新館のときにアメフト部のメンバーとか先輩とかすごい知り合いも多かったので、
そこで試合を見に行ってみるかというところからヒョンヒョンと進んで、
一年生の途中、秋ぐらいですかね、途中入りをアメフト部にしました。
東大の体育会系のアメフト部というと、
そうは言っても皆さんお上手というかすごい上手い方いらっしゃると思うんですが、
足がやっぱり速かったんでアメフト部では活躍なさったんじゃないですか。
そうでもなくてですね、最初本当に足が速いポジション、
ランニングバックの中でテールバックというところがあったんですけれども、
そういったところに入りまして、ただいまいち直々試合に単発的に出させていただくことはあったんですけれども、
すごい定常的に出るということがずっと3年の途中ぐらいはいなくてですね、
本当にやめようかなとかというのも考えていた時期に、
ちょうどコンバートですね、ポジション変更を言われて、
ランニングバックの中でもどっちかというとブロック寄りのフルバックといったところと、
タイトエンドといったポジションですね、それはラインの中でも一番端っこで、
パスも取ったりとかブロックもするしといったところのポジションを兼任するようになってですね、
そこから選手名刊とかを見てそのポジションを見ると、
当時大体3年生で70キロちょっとぐらいの体重だったんですけれども、
ポジションを見ると皆さん100キロとか90キロとか結構重い方々ばっかりだったので、
これは大変だぞと思って筋トレをして、どうにか近づいた頃に活躍できるようになってきて、
それぐらいからだんだん試合に定常的にスターメンとして出れるようになってきて、
それぐらいからようやく活躍できるようになってきました。
60キロから100キロに体重を増やしたというお書きになっていらっしゃいますが、
今そのお話もされましたが、増やすのすごい大変じゃなかったですか?
大変でしたね、みんな苦労しているんですけれども、
比較的太る才能自体は当時あったほうでして、
1日5、6食ぐらい食べるんですけれども、
とりあえずお腹が減っているという状態がマイナス、体重が減っているという状態なので、
3時間ぐらい経ったら食べるというルーティンの作業のようにしていました。
大学院での学びと研究
プロテインも飲んで、筋トレもしたりとか、
それでもシーズン中はちょっと痩せてしまうので、
いかにシーズンオフのときに太れるか、みたいなことを頑張っていました。
お聞きしているとスモートフィーの方と近いのかなと思いますが、
でもそういう努力は割とあまり苦にならないっていらっしゃいますか?
なんとか乗り越えられたという形かなと思います。
なるほど。ありがとうございます。
その後、大学院にお勧めになっていらっしゃるということでよろしかったでしょうか。
こちらはもう最初から工学系ですか?
そうですね。東大がいわゆるシンフリという制度があって、
1、2年生の皆さん、文系で入っても教育学部というところに、
共通の学部に入るんですけれども、3、4年生のところに選べるんですね、学部を。
その際に、将来起業するといっても経済学というよりは、
当時ITの業界、今もいますけれども、プログラミングとかできて、
そういった知識がある方が有利なんではないかなといったところで、
やっぱり理系だと思い直しまして、理系に学部を進学することにしまして、
そのままの流れで大学院に進路として進みました。
文系から理系に行かれる方、結構珍しいと思われるんですか?そんなことないんですか?
そうですね。本当に珍しい方かなと思いますけれども、
東大、そういうシンフリという制度があるので、比較的そういう道を選びやすかったというのもあるかなと思います。
大学院では工学系ということですが、どんな勉強をなさったのでしょうか。
そうですね。もともとそういった物理シミュレーション、物理演算を行っているような研究室だったんですけれども、
それを選んだのも将来的に社長になりたいというお話があった中で、
いわゆる起業するテーマみたいなものをずっと学部生のときから考えていた節もありまして、
それも先ほどの学生団体の先輩が自分の研究をもとに起業して、それですごいうまくいって、
上場まで行かれた先輩もいたので、そういった自分の研究をもとに何か起業したいなと思っていまして、
というのと、雨太分のときに60キロから100キロに体重が増えて、
ネットショップでジャケットを買ったらパツパツで着れなくて、すごい苦い経験をしまして、
やっぱり周りの雨太分のメンバーも同じような経験をしているメンバーがいたので、
これどうにか解決できないかなというので、オンラインショップ上で試着ができるようなシステムを作ればいいんじゃないかなと思って、
そういった技術を学べそうな研究室を選ぼうといったところで、そちらの研究室を選びました。
なるほど。大学院時代の思い出とかそういうのはございますでしょうか。
そうですね。ひたすら、いわゆる先ほどのクラウド着想シミュレーションシステムといったものをどうやったら作れるのかみたいなものを、
いろんな論文とかを探して、実装して、実装したら誰かにどうだろうかと聞いてみてだったりとか、
あとは研究室発表みたいな5月祭のイベントがあるんですけど、そういったところで実際にブースを出してみたりとかして、
3Dスキャナーの会社さんと組んで3Dスキャナーをした3Dの自分のアバターに服の3Dデータをちゃんと物理演算を元にまとわせてみて、
似合いません、似合いませんねとかといったところ、そういったイベントごととか事業の検証とかをしておりました。
なるほど。割とその当時だと3D着想シミュレーションというのは早い方なんじゃないですか。
そうですね。当時全然世界にもなくて、そこで本当に私たちが最初に出したかなと思います。
大学院に行っている中で教授を目指そうとは思われなかった。
そうですね。もともとゴールとして起用するというのがまずあったので、そのためのステップとして捉えていました。
インウィズウィズの紹介
なるほど。ありがとうございます。
本日も社長に聞くインウィズウィズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウィズウィズが運営するウェブサイト、
K-NOTEでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社系に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いました。
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索でK-NOTEスペース社長インタビューと入力いただき、
K-NOTEのサイトをご覧になっていただければと思っております。
本日の社長に聞くインウィズではここまで。また来週。
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