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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、株式会社雨風太陽代表取締役 高橋博之様でいらっしゃいます。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
1974年、岩手県花巻市生まれ、青山学院大学卒業後大秘書等を終えて、岩手県議会議員に初当選。
その後、岩手県知事に出発も辞典で落選、そして政界引退され、
2012年にNPO法人東北開墾を立ち上げ、その後、雨風太陽を設立、そして代表に御就任なさっていらっしゃいます。
そして、2023年には東商グロス市場に上場された上場企業の社長様でいらっしゃいます。
高橋社長様、本日はよろしくお願いいたします。
どうぞよろしくお願いいたします。
まず最初のご質問ですが、ご出身は花巻ということで大谷翔平さんと一緒ですが、
小学校時代はどんなお子様でいらっしゃいましたでしょうか。
通信簿にいつも落ち着きないって書かれていました。
割とガキ外装的な感じでいらっしゃいますか。
そうですね、いたずら好きでいつも怒られていましたね、学校でも家でも。
じゃあ人気者でいらっしゃったんじゃないですか。
人気者かどうかわからないですけど、いつも賑やかな中心にいたいな気がしますね。
なるほど、ありがとうございます。
中学校時代はどんなことして過ごしたかお覚えでございますでしょうか。
ずっとアルペンスキー競技スキーやってたので、冬になるともう1ヶ月ぐらい山にこもって合宿してましたけれども、将来スキーの選手になるって思ってた頃なのでスキー三昧でしたね。
じゃあオリンピックに出ようみたいなそんな感じでございますか。
そうですね、本当に将来スキーの選手になりたいと思ってたんで。
夏もそれに向けてのトレーニングだとか、とにかく寝ても覚めてもスキー好きでしたね。
なるほど、ありがとうございます。
高校も花巻でいらっしゃいますか。
高校時代はどんなことして過ごしたかお覚えでございますでしょうか。
高校は寝蔵でしたね。
スキーで怪我して、カツキにぶつかって半年ぐらい入院してて、競技スキーは高校入ってからやらず。
よく学校サボって映画ばっかり見てましたね。
3年生の時はあんまり学校行ってなかったな。
スポーツとかそういうのはあまりやらないんですか。
やりませんでした、帰宅でした。
なるほど。ちょっとお姿からは想像できない感じなんですが。
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その後は青山学院大学にお勧めになってるんですが、勉強もわりとできた方でいらっしゃったんですか。
田舎の普通の学校なので、青山に入るのは10クラスあって1人2人とかそういう感じの学校。
東大生は4年に1人とかそういう感じの、いわての普通の田舎の学校なので、
普通にかもなく不可もなくっていう。
そうなると頭いい側だと思いますので、勉強ができたのではないかなと思ったんですが。
そういうのが好きでしたね。
青山学院大学は学部はどちらでいらっしゃるんですか。
経済です。
なるほど。青山学院大学の経済は選ばれた理由とかございましたでしょうか。
慶応大学に落ちたからです。慶応の経済学部に行きたかったんですよ。
まあ受かんなかったんで。
高校のときに、将来青年実業家になりたいって思って、
いろいろ調べたら慶応の経済学部が一番経済人を排出するってことだったんで、
都会への憧れも相まって。
失望したんですけどダメだったんで、青山学院の経済学部に行きました。
なるほど。ありがとうございます。
大学時代はどのように過ごしたなんて思い出ございますでしょうか。
大学はね、結局やりたいことあって東京に出たわけじゃなかったので、
何のために学校に行くのかわかんなくなっちゃって、行かなくなっちゃったんですね。
で、高校までは家に暮らして、一緒に育った同級生がみんな学校に行くから、
それに合わせて寝てたようなところがあったんでしょうけど、
大学に行くと自由なので、何のためにってそもそも論考える立ちなので、
そうすると学校に行かなくなって、2年生3回やりましたね。
当時青山って厚木になったんですよ。田舎から出てって青山に入ったのに、
花巻以上に田舎の森の里青山っていう山の上の学校で、厚木返しって2年から3年に上がれないやつが厚木返しって言うんですけど、
2回厚木返し食らって2年生3回やったっていう。
海外行ってましたね。当時サルガン石のヒッチハイクのあれあったじゃないですか。
あれ見ていいなって。よくある自分探しの旅でバックパックで海外ブラブラしてました。
どの辺の海外に行かれてらっしゃったんですか。
アジア南米ですかね。見つかるわけもない。
何ヶ月ぐらいとかで行くんですか。
1ヶ月2ヶ月行って帰ってきてまたバイトしてお金貯めてみたいな。
なるほど。ありがとうございます。
その後、大学卒業後はすぐに大地市の秘書でいらっしゃいますでしょうか。
いや、新聞記者になりたかったんですよ。
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4年生のときも伺わらず、新聞論にするって言って、2年ぐらいやりました。
当時春採用秋採用だから6回チャレンジして、全国市から地方市まで受けまくって、
もう100回以上エントリーシーズンかけましたよ。全滅。
慣れなくて、いつも最終面接で大体対策練ってると引き付けも取って、面接も行って、
最後まで行くんですけど、いつも最後まで落ちちゃうんですよね。
いつも聞かれてた質問が、どんな社会経験しましたか。
それ答えるのなくて、社会経験今から積んで答えれるようにしようかなと思ったときに、
たまたま大学のゼミの先輩で大地市やってる人いて、
その人がカバン持ち探してたんですよ、車の運転手。
僕がやるって言って、やって、結局面接で喋っても通らなかったんですけど、
それが結局日になっていったっていうか、やることもないし、
そのまま手伝いって言われて、秘書やってました。
なるほど、ありがとうございます。大地市秘書のときの思い出なんてございますでしょうか。
今までで一番厳しい時代でしたね。
今でこそありえないですけど、大地市秘書は大変です。
何でもあり、朝5時から車の運転もしてましたから、12時までほとんど休みなくやってましたし、
しかも当時カーナビだってポンコツで、Google先生とかいなかったので、
時間通りに都内にホテルだ、寮邸だって混んでるんですよ。
時間通りに行かないと怒られるので、
僕田舎者だから、夜道が空いてる都内を次の日の予定見ながら失踪してましたね、怒られないように。
昼になると眠いから寝てないから梅干し食ったり、レモン吸ったり、
それでも眠いときは安全ピンで桃刺して運転しましたね。
でも一番厳しかったけど一番力ついた時代でしたね。
すごい体験をなさってらっしゃいますが、その後岩手県議員になってらっしゃいました。
これは何かきっかけとかございましたでしょうか。
カバ持ちしてる間に、自分がやりたくなったんですね。
どうせやらなかったら、えもゆかりもない都内じゃなくて、自分のふるさと岩手なんで。
当時は花巻で、岩手県議で若い県議員もいなかったので、帰ってやろうかなと思ったし、
あと正月か盆に帰ってきて同級生と酒飲んでるときに、みんな愚痴ってたんですよね。
自分の岩手の産婦人科がないだとか、いろいろ言ってたんで、
ああすればいい、こうすればいいって偉そうに政治かじってるから、ちょっと垂れたんですよ。
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そしたら東京の人間に言われたくないって言われたんですよ。
それでグーのデモ出なくて、確かに僕ここに住んでるわけじゃないし、こいつらの気持ちわかんないなと思って、
だったら帰ってきていいよと思って、29のときから10年ぶりに帰京して、
それで県議会議員目指して。
なるほど。ありがとうございます。
岩手県議のときの思い出なんてございますでしょうか。
当時最年少県議会議員だったんですけど、
岩手は当時小沢王国って言われてて、
本当に小沢さんにあらずが人にあらずぐらい王国なので、
そこに弓引く形で無所属でね、やったんですよ。
本当に当時田舎で県議になるとしたら建設会社の社長か、
業界団体の代表する人たちが県議やってたところに、
ポッドでの30歳の若者がね、しかも無所属であるって言って、
みんなに反対、親にもね、頼むから早く東京に帰ってくれって言われて。
僕何をやったかって、金もない、組織もないので、
毎朝7時から9時まで、1年中街角つたって東京と違って、
朝街頭で演説してる議員いるじゃないですか。
あれは人がいるからです。
こっちは人いないですけど、田んぼなぜとかいろんなところで365日喋って、
無理だって言われてたんですけど、それで当選したので面白かったですね。
ありがとうございます。
その後震災の後に岩手県知事選にご出馬をさせていただきましたが、
これから出馬しようと思ったきっかけは何かございましたでしょうか。
やっぱり震災ですね。それまでリーダーになろうなんて気はさらさらなかったんだけど、
震災やって、僕も被災地に8歳4日後からずっと入ってて、
被災者と触れてる中で、自分が先祖に出てやりたい気持ちがポッと芽生えてしまったので、
あとたくさんの方が亡くなりになって、
明日が来るのは当たり前だと思って、みんな万全と生きてるじゃないですか。
でも明日が来るのは当たり前じゃないんだなって分かったので、
そのときに自分の中にポッと芽生えた心に、
嘘つかずに正直にいかなきゃいけないっていう気にもなってたので、
それもみんなに反対されて、でもやるって言ってやりました。
なるほど。ありがとうございます。
その後落選なさった後、政界引退をなさっていましたが、
この政界引退はどのように決断なさったんでしょうか。
前代未聞の選挙は普通、車乗って人が多いところに行って名前連呼するじゃないですか。
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僕は車乗らないと言って被災地を、青森の県座会から宮城の県座会まで、
与太県の被災地沿岸部250キロをずっと歩いてやったんですよね。
やっぱり被災地は、ある意味で課題がね。
もともと日本は当時から課題先進国と言われてましたけど、
その中でも過疎高齢化がより進んで、
日本の未来への課題を先取りした、世界の課題先進地みたいなところで、
課題が浮き彫りになってたんですよ。
もう一回選挙を通って4年待たないといけないじゃないですか。
でも課題を4年間待ってくれないので、
今すぐにでもやれることは何かなって考えたときに、
企業としてね、事業としてするってことであれば4年待たずにすぐにやれるので、
だからもうそこで切り替えて、政治はもうやめて。
あとね、やっぱり刺激になったのは都会からたくさんのビジネスパーソンが来てて、
若い企業家ですよね。
こういう生き方あるんだって言われてて、そんな人なかなかいないので。
総理に触れ合ったのも刺激になりましたね。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもウィズビズが運営するウェブサイト、
KAノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社系に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索でKAノートスペース社長インタビューと入力いただき、
KAノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に行くインウィズではここまで。また来週。