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2020-09-23 17:48

第194回 髙村彰典氏(株式会社サイバー・バズ代表取締役社長)【前編】

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インターネット広告の黎明期にサイバーエージェントに入社。
インターネット広告代理店事業で事業責任者を経験後、2005年に取締役に就任し、その5年後の2010年に、株式会社サイバー・バズの代表取締役社長に就任。社長就任の9年後の2019年に東証マザーズに上場するまでに成長させたエピソードから、経営のヒントが得られますのでぜひお聞きください。




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社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、株式会社サイバー・バズ代表取締役社長)秋村さまでいらっしゃいます。
まずはプロフィールの方をご紹介させていただきます。
1974年生まれ、小倉県出身、青山学院大学卒業後、1997年に工和株式会社に入社。
1999年、株式会社サイバーエンジニアにご入社されていらっしゃいます。
インターネット広告の例明記事から、株式会社サイバーエンジニアの設立から10ヶ月後に入社されております。
インターネット広告代理店事業で事業責任者を経験後、2005年に取締役、サイバーエンジニアの取締役にご就任されていらっしゃいます。
5年間取締役を務めた後、2010年に株式会社サイバー・バズ代表取締役社長にご就任。
2013年はサイバーエージェントよりサイバー・バズの株式会社を取得し、2019年9月にはサイバー・バズ東京証券取引所マザーズ、東証マザーズで上場されていらっしゃいます。
上場企業の社長様でいらっしゃいます。高村社長様、本日はよろしくお願い申し上げます。
はい、本日はよろしくお願いいたします。
まず最初のご質問ですが、ご出身は岡山ということで、小学校・中学校時代はどんなお子さんでいらっしゃいましたでしょうか。
そうですね、岡山でもかなりの田舎になりまして、小学生時代は山や川でひたすら遊びまくるというような、そういった小学校時代だったかなと思います。
比較的、中学・高校とかもそうなんですけれども、小学校の時から学級委員長とかをする機会というのは多かったかなと思っています。
みんなをまとめるとか、もともとお得意でいらっしゃったんですか。
その時はあまり得意かどうかはわからなかったんですけれども、そういうのをなぜか自然とやってしまっていたような気がします。
本当にもともと社長様、機質と言いますか、マネジメントできる機質でいらっしゃったんですね。
そう言っていただけると嬉しいなという感じですけど。
ありがとうございます。高校は岡山の方でいらっしゃいますか。
はい、岡山の県立の高校です。
高校時代の思い出なんてございますでしょうか。
そうですね。高校時代は、もともと僕ずっと野球部に入っていまして、中学・高校と野球はやっていたんですけれども、中学はキャプテンで野球をやっていました。
それで新学校が一つしか同じエリアにいなくて、そこの県立高校に行き、そこでも野球をやろうかなと思っていたんですけれども、野球部がなかったんです。
それで最初、当時スラムダンクとかが流行っていて、バスケットボールがやっぱりモテるんじゃないかなと思ってバスケットボール部に入ったんですけど、なかなかそこで活躍するっていうのは少し難しい。
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いきなりやってっていうのはありつつも、どうしても途中で野球を続けたいなということがありまして、高校2年の時に野球の同好会をみんなで作って、高校3年でそれを実際に部活動に変えた。
高校で野球部を作ったというのは、僕の中では結構印象深い思い出では残っています。
じゃあ割と企業するとか創業するとかいう側に、司会側がお得意でなくなるんですか?
多分自分がもうこれだとか目的を持ってやりたいと思って決めたことに対しては、とことんやらないと気が済まないところがあるのかもしれません。
なるほど、素晴らしいですね。大学は青山学院大学にお住みになってらっしゃいました。青学校を選ばれた理由は何かございますか?
特段はなく、東京で基本的には東京に出たいなという気持ちの方が強かったので、そこであればどこでもというような形でした。
ただ実家がもともと商売を自営をやっておりまして、幼少期の頃から家のお手伝いみたいなことで、
例えばお酒が1本とか1ケース売れたら、そこから利益がいくら入ってくるかみたいなことをずっと小さいところから計算してたことがありまして、
どうやったら儲かるんだろうっていう、そういうのがあったので、経営学部というのはそういうことを学べるんじゃないかなという意味ではいいのかなと思いました。
学生時代、全く自慢ができるようなほど学校に行ってなかったので、行ってなかったですね。
何を大学時代は特にやってらっしゃったんですか?
アルバイトばっかりやってました。
例えばどんなアルバイトをされたんですか?
最初は伊東洋華堂のお肉屋さんでアルバイトしてまして、そこも結局、僕そこが結構一番面白かったんですけど、
製肉屋さんとかって、例えば急に雨が降ると顧客が来ないとか、スーパーの棚ってよくできてるなと思うんですけど、
一番下の段が一番売れるんですよね。下から1段、2段、3段って積んであると思うんですけども、食材が。
一番下が一番売れるっていう結構不思議なことを経験したり、定期法によって売り上げが変わったり、それによってどう仕入れるのかなのかなみたいなことを、
お肉屋さん、製肉屋では一番勉強、消費活動みたいなものを観察してたんですけど、結構面白かったですね。
あとは普通に、飲食店のウェイターをやったり、キッチンやってみたり、広告代理店でアルバイトしてみたりとかっていうのをやってました。
ちょっとかっこいい高村社長からすると、お肉屋さんっていうのはちょっと意外な感じがするんですけど、
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なんとなく雰囲気としてはおしゃれな感じの高村社長って感じのイメージで思ってたものですから。
今はすごく地味なことをやってました。
そうでいらっしゃいますか。ちょっと大変びっくりしてるんですけども、
卒業後、コーア株式会社に入られてらっしゃるんですが、こちらの会社を最初に選ばれた理由は何かあったんですか?
そうですね。僕たちのときがとても就職が氷河期だったということがありました。
そういった中でも、やりたいことが学生時代にあまりなかったんですね。
ただ、自分たちで商売とかができたらいいなというのはぼんやりは考えてはいたんですけども、
何をやろうかなというふうに考えたときに、大きな仕事とか海外とかモテるみたいな3つの要素でいろんなものを
企業を探していたという節がありまして、今思い返すと。
それで大体、外資系と商社しか受けていなかったです。
いくつか泣いていただいたんですけれども、ゼミの先生と相談して、国内の企業のほうがいいんじゃないかということで、
あまり何も考えずに一旦働こうというような感じで、社会人がスタートしました。
なるほど。その後、2年ぐらいですか、サイバーエンジェントに移られていらっしゃると思うんですけど、
移られた理由というのは何かあったんでしょうか。
そうですね。僕は大企業というか、トラデーショナルな会社というのは素晴らしい会社だとは思うんですけれども、
やはり自由が利きづらいなということと、自分たちが考えたことをやっぱり新卒で実現させるというのは基本的に難しいということを感じた部分がありました。
それと、どうしても出世という意味で考えると、課長が大体40歳ぐらい、部長で50歳ぐらいというような、
これから10何年やって課長マネジメントというふうに考えると、少し僕の生き方の中では時間がかかっちゃうなというふうに感じまして、
それであれば何か新しくチャレンジできるようなことがないのかなというのをぼんやりと考えていたときに、
藤田さんは大学の先輩ではあるんですけれども、たまたま共通の知人からインターネットのベンチャーの会社を作ったらしいよと、
立ち上げたばかりで面白そうだからという話を聞いて、藤田さんに話を聞きに行きました。
そのときに、インターネットがすごいこれから来るから、これからは若い力とインターネットで日本を変えていかなきゃいけないんだという話を藤田さんから聞いて、
もうそれ一撃で感化されまして、もうすぐ行こうというふうに決めました。
なるほど。当時のサーバーエージェントさんと本当に始まったばかりなんで、本当の無名の企業でいらっしゃいますよね。
そうですね。入ったときに、後から聞いたら社員番号一番だったらしいんですけれども、
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本当に役員の方とバイトの人で5人ぐらいしかいないときに入ったという感じです。
サーバーエージェントの思い出と言いますか、そういうのは何かございますか。
そうですね。もうがむしゃらにやるっていうのしかなかったっていうのがあるんですけど、
そうですね。思い出深いところで言うと、僕自身がずっとリーダーとか、
人を引っ張っていくことをやってきたという部分が自分自身にあったなというふうには思っていたんですけど、
どうしてもベンチャーで個人で成果を残していかなければいけないというときに、
自分よがりになりすぎてしまったことがあって、例えばインターネットなんて誰もノウハウがないことをやっている中で、
自分がすごい営業成績が上がったときに、自分のスキルとかノウハウを人に伝えていく、
無償で教えるみたいなことよりも自分の成績を残すということに、
そちらばかりに自分の力を使ってしまっていたなという部分があって、
マネジメントとしては全然ダメダメな、ずっとマネジメントになれなかった時代があったんですね。
個人での成果というのはすごく残していつつも、マネジメントとしてになることができないと。
そういうときに、それを藤田さんに相談したときに、
基本的に一人でやっていることを、自分の分身を5人作れば5倍になるだろうと、
そういう発想で物事を考えていかなければいけないというようなことを知った激励していただいたことがありまして、
そういうときにサイバーエージェントの中で、
マネジメントに進む、若くてもマネジメントに進むためには、
ここが大事なんだなというのを学んだという意味では、すごくそこは記憶に残っています。
2005年には取締役に御就任されていらっしゃいまして、
その当時だと同級生の中では一番の出世頭ぐらいだったんじゃないですか。
どうなんですかね、結局そのときまたベンチャーブームだったので、
結構ベンチャーの社長をやっている友達もいたかもしれないですし、
ただ僕の周りではあまりいなかったかもしれないですけど、
あまりそこは気にしたことはなかったです。
役員をやっていて、サイバーエージェントさんですと今ではもうビッグ企業ですが、
役員をやっていて苦労とかそういうのはあられましたでしょうか。
そうですね、人数が大きく増えてくるので、やはりミドルマレージメントの育成であったり、
組織をどういかに確立していくかというのが非常に難しかったなというのがあります。
あとは組織を引っ張っていくために、
現場にもどうメッセージを落とせばいいのかというのを結構考えていました。
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なかなか自分がこうしたい、ああしたいと思って、
いわゆるマネジメントチームとミーティングをしても、
なかなかそれが実現できない、実行されない、現場が動かないというときに、
自分に何がためなんだろうなというのを考えると、
メッセージの出し方、方向性の示し方というのが意外とシンプルでなかったということ。
人に伝えるには、なるべく600人、700人の人たちに伝えるには、
なるべくシンプルに分かりやすく、これをやっているんだというのを、
いかに伝えるのかというのが大事だというのを結構学んだことと、
そこを進めるためには結構苦労したところはありました。
もう結構バラバラしてしまったりということもありましたし、
あとは、今働き方改革で、なかなか夜遅くまで働いたりできない。
だけど当時ベンチャーで僕らが立ち上げていたときは、
本当に寝ないで働くようなことをやっていて、
いわゆる寮室に変えていくような仕事の仕方だったと思うんですけど、
だんだんその働き方というか育成の仕方、
入ってくる社員の人たちもすごいベンチャーに来るんじゃなくて、
ある程度大きなベンチャーで働くというような社員に変わってきたときの働き方を、
やっぱり自分たちも変えなければいけないというのは結構苦労しました。
過去の成功にとらわれすぎていて、
同じやり方を教えていこうとしたことを、
それは過去のものであり、新しいものに変えなければいけないということは、
結構苦労したなと今から振り返ると思います。
ありがとうございます。大変勉強になるお話で、大変やりたいんですけど。
経営者を応援する。社長の孤独力、番外編。
本日の社長の孤独力番外編は、
9章3項、本業の肩書きが多く、社長業に専念できない。
これは結構ありません。
本業に支障させようならやめろと書かせていただいていますが、
私自身、上場準備したときに、
証券会社に、券務禁止と言われて、
すべての協会とかの理事とか、運営員とか幹事とか、
そういうのを全部やめろという指示が来ました。
指示じゃなくて、こうしてほしいという要請ですが、
実質の指示ですね。
全部やめました。
ある理事だけはやめにくかったので、
証券会社に相談した。こんな言い方をされました。
やめなくてもいいですが、そこで何か問題が起こったら、
そのせいで上場が一生できなくなります。
よろしいですかと言われました。
なるほどですね。
なので、やめました。
やめたら何が起こるかって、すごいですよ。
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本当に時間ができるんです。
時間ができるというのは、面倒くさいことが少なくなる。
面倒くさいことが少なくなると、時間ができるってすごいですね。
やっぱり集中できるんですね。
With With株式会社。
集中できると、やっぱりWithの業績が上がります。
そういうものですね。
私は他の中で、お引き受け事を断りすべきじゃないかな、
というふうに内心を思っております。
もちろん、どうしてもお付き合いでというとあると思います。
その場合には仕事が少ないのをやるべきだと思います。
あまり仕事が多いのをやると、大変だなという感じです。
唯一許せないのは、自分の会社主催で、自分が主催で経営者の会をやるのは、
営業にもつながる部分もあるし、
前回のやつで言ったかもしれませんが、
メンターを見つけやすくなるという部分もありますので、
そういう意味では、そういうのはいいんじゃないかと思います。
人脈を広げるとか、友達ができるとか、
飲み友達があって、悩みを相談できるという部分では、
いい面があるんですが、
私はあまり本業に指標を立つような、
外部の理事とか幹事とか、
なんちゃらとかいうのはやめたほうがいいんじゃないかな、
というのは私が思っていることでございます。
ぜひお考えください。
本日の社長のご独力、番外編はここまで。
それではまた。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞き下さり、
誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべて適当化いたしまして、
このウィズビズが運営するウェブサイト、
KA-NOTEでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社系に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトのほうにもさせていただいています。
ぜひネット検索でKA-NOTEスペース社長インタビューと入力いただき、
KA-NOTEのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に行くインウィズではここまで。また来週。
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