大学時代に触れたデジタルアートから、インターネットの世界に魅了された御手洗氏は、卒業後、日本電信電話株式会社に入社(現NTT)。
その後、1999年9月バックテクノロジーズ株式会社を設立。大学当時から考案していた、口コミレビューサイトを立ち上げ、第一人者として活動されました。後に、美容系総合ポータルサイト「@コスメ」を運営する、株式会社アイスタイル社外取締役もお務めになられます。
2004年12月には、株式会社日本技芸(現rakumo 株式会社)を設立し、代表取締役社長に就任。クラウド環境で動作するオフィスツール製品を提供し、Google Workspace に足りない機能を補うアプリケーションは、1,800社以上、75万ライセンスが利用する企業にとってなくてはならない存在へと成長を果たしました。そして、紆余曲折ありながらも、設立当初から目指された上場を、2020年9月28日に果たされました。(東京証券取引所マザーズに上場)
「仕事をラクに。オモシロく。」「人」が楽しく働くことを通じて社会に参画し、発展を支援されるエピソードから、経営のヒントが得られます。ぜひインタビューをお聞きください。
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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、rakumo株式会社代表取締役社長)大輔様でいらっしゃいます。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
1996年、日本電信電話株式会社、今のNTTですね、銀行巡社されていらっしゃいます。
1999年、バックテクノロジーズ株式会社設立、代表取締役でいらっしゃいます。
その後、2004年、株式会社日本技芸設立、代表取締役の社長として設立され、
現在のrakumoさんの前身でいらっしゃいますね、を設立されていらっしゃいます。
そして、2020年9月に当初を待たず上場された、直近で上場された上場企業の三田雷社長様でいらっしゃいます。
本日はよろしくお願い申し上げます。
よろしくお願いします。
まず最初のご質問なんですが、ご出身はどちらでいらっしゃいますか?
私、生まれは愛知県なんですけれども、母方の実家はそもそも愛知県にあったということで、
出産のために愛知県に帰ったというぐらいでして、
ただ、その後ずっとてんてんと父親の仕事の関係でいろんなところを覚えていたので、
あまり出身といえるところがそんなに確としてある感じではないですね。
じゃあ、小学校、中学校自体も転校、転校でいらっしゃいますか?
そうですね。幼少期、4歳ぐらいからナイジェリアという国にちょっと仕事の関係で2年ぐらい行っていたりですとか、
日本帰ってきてから東京とか横浜とかいろいろとてんてんとしている感じではありまして、
海外も含めいろんなところにいたという感じでありますね。
小学校時代の思い出とかございますか?
そうですね。あんまりいろんなところにいたというのもあるので、
転校していろんなところに本当に過ごした。
特に友達と仲良くなったのでまた別れなきゃいけないみたいなことも結構多かったというのもあって、
そういうところがちょっと自分なりには寂しかったところとしてありました。
中学校時代はどの辺にいらっしゃったんですか?
中学校の頃は東京にずっといまして、たまたま中学を卒業するぐらいのタイミングで
また父親が海外に出ることになったこともあって、それで私も海外に出るような感じにはなったと思います。
中学校時代の思い出なんてございますか?
そうですね。中学時代。何かすごい思い出というわけではないんですけれども、
生徒会の仕事を少し当時やらせていただいたりですとか、
学校全体に関わるお仕事みたいなものをやらせていただいたりというのが
記憶にはちょっと残っているところですかね。
あと部活かな。軟式のテニスとかをやっていたので、そこはすごいいろいろと覚えているところでありますね。
生徒会をやっているということは成績も良くて選ばれてみたいな感じでいらっしゃいますね。
どうなんですかね。仕事としてはリーダーのポジションというよりは、
当時会計といわれるお金を計算したりするポジションだったので、ちょっと経路は違うかもしれないですね。
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ただ成績が悪いほうではなかったと思います。
なるほど。高校は東京ですとか?
私の父親が高校に私が上がるタイミングでシンガポールに転勤になったこともありまして、
私はイギリスに立教の文校があるんですけれども、
そちらの寄宿舎の学校のほうに移ることになったという感じですね。
高校からロンドンですか?
そうですね。ロンドンの郊外のほうなんですけれども、
ロンドン近いところに日本の寄宿舎のある学校というのがあって、
そこにずっと行っていたという感じですね。
なるほど。ある意味高校から留学という感じでいらっしゃいますね。
英語をすごい勉強するとかそういう感じではなかったので、
ただ環境は相当異国のというか日本にはあまりないような環境の中で
3年間勉強ができたというのはありますね。
その当時にどんなふうに過ごしたかと思いますでしょうか?
イギリスの学校は寄宿舎だったので、一番大きい部屋だと
2段ベッドが15戸並んでいるみたいな感じでした。
2段ベッドが15戸並んでいるみたいなお部屋で、
みんなで共同生活をするみたいな感じではあったんですね。
それまでそういう経験は全くなかったので、
いろいろともちろん人と人とのぶつかり合いみたいなものとか、
一緒に何かをやるみたいなことはすごいいっぱいあったんですけれども、
そういう意味ではすごいイギリスにいた3年間というのは
思い入れ深かったというのがすごくありますね。
大学は日本に戻ってきてという感じですね。
大学時代はどんなことをして過ごしたかと思いますか?
大学は私は大学の専攻が変わっていまして、
芸術学という経済とか理系のものとは全く違う
芸術評論みたいなものをやっていたんですけれども、
そういう意味では大学の先生があまり大学に来なくていいよと、
そこからいっぱい作品を見てくださいとか、
作品に触れてくださいということをかなりおっしゃっていたので、
だいぶそういう意味では大学ももちろんそれなりには行っていましたけれども、
外でいろんな作品を見たりとか、いろんな方と一緒に創作のお手伝いをしたりとか、
そういうことを当時はやっていた感じでしたね。
将来的には芸術の方に行こうというのが本来の目的でやらせたんですか?
あまり大学に行くときに何をやろうということは決めてはいなくて、
皆さん大学に入るときにすごい強くこれをやりたいみたいなものが入られる方って、
そんなにたくさんいらっしゃるわけではないと思うんですね。
私もどちらかというとイギリスに行った頃にヨーロッパをいろいろ見ることがあって、
そこでいろんな絵画とか作品に触れる機会がある中で、
自分はこういうものが好きだなと思ったので、
これをもうちょっと理解したいということで、そういった学部に進んだというのもございます。
その後、ご就職がいわゆる今のNTT、日本電信電話株式会社だと思うんですが、
選ばれた理由というのは何かございましたでしょうか?
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大学に通っているときに、ちょうど私が通っているときに、
日本でもインターネットというものは少し出始めた時期ではありまして、
その当時の芸術作品にもインタラクティブアートみたいな、
いろいろとやり取る、何ていうんですかね、
見る人が何かアクションを起こすと、
それに対して反応があるような作品みたいなものが多く出てくるようになったんですね。
アーティストって結構新しいものがみんな好きなので、
インターネットを触っている人たちもすごい当時から多くて、
そこを作品の発表の場とかにしている方も結構いらっしゃった。
私もインターネットをかなり早い時期からいろいろと始めていて、
それでいろんな外部の方と知り合う機会が出る中で、
これもうちょっと自分としてインターネットを少し頑張って
いろいろやってみたいという思いができてですね。
それで大学で最初にインターネットを使ってみようと思ったんですけど、
私は文系の学部だったので、あまり大学で当時のインターネットの環境を
使わせていただけなかったのもあって、
自分でもだいぶやってたんですけれども、
大学卒業した後はちゃんとインターネットをいっぱい触れるような環境において、
インターネットでそのインターネットの環境を
お仕事を作っていけるようなことをやりたいと思って、
当時一番その通信環境を持ち合ったNTTさんに就職をしたというのがありますね。
NTTでの思い出なんてございますか?
いろいろとNTT時代もお仕事を良いことはやらせていただいていまして、
当時私ちょっと変わった部門に、研究と事業開発の間みたいな部門にいたんですね。
新しい仕組みを事業化していくみたいなところの、
言ってみればビジネス開発みたいなことをやらせていただいていたんですけれども、
そこでちょっと考えさせていただいた仕組みというか、
それが当時会社でもご評価をいただいて、
それでアメリカの仕事に関わらせていただく機会があったんですね。
だいぶアメリカと日本を行ったり来たりという感じでお仕事をさせていただいたんですけれども、
そこでだいぶアメリカのベンチャーの会社に出資をするという機会があって、
それを一緒に立ち上げる、その事業を一緒に立ち上げていくというのを
当時やらせていただいたんですけれども、
その頃に企業のダイナミズムであったりとか、
こうやってインターネットで新しいことを考えたことを
ちゃんと仕組みにしていくとか事業にしていくということが
面白いことだなというふうに気がついて、
それでだいぶいろいろ考えたというのがありましたね。
じゃあその当時のNTTでの経験が今のラクモさんの上場とかにも
つながってきているという感じでいらっしゃいますでしょうか。
そうですね。そういう意味で言うと、インターネット事業をやっていくというところに関して言えば
当時の経験というのは非常に大きかったと思いますね。
なるほど。その後、バックテクノロジー株式会社さんを設立していらっしゃるんですけれども、
これは創業と思ってよろしいですか。
そうですね。この間に実はちょっと大事なところがありまして、キャリア的にはですね。
私が学生の頃から非常にお世話になっていた方に、
当時デジタルガレージの取締役をやられていたりとか、
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ご自身でもインキュベーターを、ネオテニーというインキュベーターをやられていた、
もう今退任されてしまったんですけれども、
マサチューセツ高科大のメディアラボというところの所長をやられていた伊藤常治さんという方がいらっしゃって、
彼が私が会社を辞めると言ったときに、一緒に何かやろうよということで、
改めてお声掛けをいただいたんですね。
彼と一緒にしばらくカバン持ちみたいな形で仕事をさせていただいていたんですけれども、
その中で彼がアメリカのベンチャーキャピタルから自身の会社に出資を受けて、
それでインキュベーションをやっていくみたいなことをチャレンジされるというお話がなる中で、
三田役も何か一個やりたいものがあったらやってみたらどうみたいなお話があってですね。
それで私ももちろん自分の手持ちのお金であったりとかそういうものを出資しながら、
その値を手にのご支援をいただいて、その会社を立ち上げたという経緯でございます。
NTTを辞めようと思ったきっかけというのは何かあるんですか?
そうですね。もちろんアメリカのベンチャーと一緒に仕事をしていて、
非常にスピード感というか早いところに皆さん進んでいらっしゃると、
新しいことにすごくチャレンジしているというところが面白いと思いましたし、
なかなか悪く言うわけではないですけれども、
もともとNTTさんは大きい会社さんなので進むスピードもなかなか難しいところがあったりとか、
いろんな方のなかなかコンセンサスを取っていかないと物事を進めづらいというところがある中で、
非常に焦っているときにたまたま当時のアメリカにいた上司の方から、
このままずっといると本当によく考えた方がいいよということが言われてですね、
今思えば非常にいいことをおっしゃっていただいたというところがあるんですけれども、
そういうご支援というかご声援をいただいたこともあって、
であれば自分で昔からやりたかったこともいろいろ挑戦してみたいということでやめたというきっかけがありますね。
なるほど。バックテクノロジーズさんというのはどんなことを事業内容とされていらっしゃったんですか?
これは私が学生の頃から少しやりたかったことであって、
当時はまだインターネットがそんなになかった時期だったので、
製品のレビューとかいわゆる物を買おうとすると雑誌を見たりとか、
情報誌からしか情報を取ることができなかったと。
でもそういった情報というのはどうしても広告がビジネスとしたりとしてなっているメディアの事業からすると、
正しく本当に書かれているのかどうかというところについていろいろ疑義がどうしても出てしまうと。
だけどユーザーさんが使った評価とかレビューみたいなものを自由に投稿できて、
それを他の購買者の方が参考にするようなメディアができれば、
結構これは面白いんじゃないかと、プラットフォームとしてですね。
そういうものをちょっと考えて、まずはデジタルガジェットと言われるような携帯電話みたいなものですとか、
PCとかそういったものを中心としたレビューサイトの事業というのをやる会社だったというところであります。
なるほど。今お聞きすると、レビューサイトも普通になっているんで、
Amazonでも何でしょうね、どんなところでもそうなっているんで、
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そっちで言っても上場できたんじゃないかと思える感じなんですけども。
当時まだすごい若かったのもありますし、
まだインターネットのユーザーも多分全国で1000万人いるかどうかみたいな感じではあったので、
そもそもメディアとしても全然成立が難しい状況だったんですね。
インターネット広告のビジネスもそんなにまだ発達していない時期でしたし、
ちょうどそれこそサイバーエージェントさんが助成されるかどうかみたいなタイミングだったというのもあって、
しかも私も全然広告のビジネスとか分かっていないところでそういうことをやり始めたというのもあって、
いろいろといきなり資金繰りに困るみたいなことも結構ありましたし、
かといってベンチャー投資のスキームみたいなものも当時しっかり環境としてできていたわけではないので、
私もそんなことはあまりよく知らないというのもありますし、
それもあってどちらかというといろいろ苦労をしながら、
たまたま創業の時から技術に非常に強いパートナーがいたので、
彼がいろいろとインターネットのサービスをつくる、
自宅の仕事というのをコツコツやりながら、
そのサービスもコツコツやっていたという感じでした。
3分コンサルティング。水水が社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングは、事業請求のために今から準備できることはということでございまして、
F様、70代の男性だそうです。東京都だそうです。
新体操を始めまして、弊社は創業20年目の美容室向けのヘアコスメのメーカーです。
具体的な時期はまだ決めておりませんが、体が元気なうちの引退を考えておりまして、
事業請求についての質問です。現在後継者を呼べる家族、役員、社員はおりません。
外部の第三者への請求という選択肢もありますが、
どのような計画を作り、どう進めていけばよいのかわかりません。
今すぐ対策をしなければと、必要に駆られていないためか、
なかなか具体的なイメージができる。現時点で相談するべきなのは、
税理士なのか、金融家なのか、M&Aなのか、仲介会社なのか、どうすればよいのかわからないといった状況で、
私のように、請求の時期も方法も具体的に決まっていないものが、
事業請求のために今から準備できることはあるのでしょうか。
そして、他にどういった選択肢があるのでしょうか。
ぜひとも新体操さんのご意見をお聞かせくださいということで。
これは大変難しいですね。
息子さんを依頼しちゃったら、事業請求は10年かかると昔は言えたので、
最近はそこまでかからないかもしれませんが、準備を今すぐしたほうがいいということになります。
一方で第三者に引き続くとなると、いわゆる一番おそらくのM&Aを売っ払うということですね。
もう一つの変形パターンは、外部から社長を招聘しという方法になります。
一方で内部からになると、社員役員から育てていただきたいということになります。
そういう意味でいくと、どの方法かと言われると、もうおっしゃっていただいているとおり、
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M&Aなのか、それとも内部招聘なのか、それとも外部から社長を引っ張ってくるのか、
ぐらいしかないんじゃないかなというふうに思います。
そういう意味では、どれを選択するかも含めて、
専門家に相談するのはいいことなんじゃないかと思います。
税理士さんでM&Aが得意だったり、事業承継得意な方がいらっしゃったら、
そこに相談してもいいし、金融課でもご相談のれる方いらっしゃると思います。
一方でM&A中華会社さんもいいかもしれませんが、M&A中華会社さんは売ってほしいので、
売る方に傾けてお話しされるんじゃないでしょうか。
一方で皆さん方、セミナーよくやっていますので、事業承継セミナーなどがいっぱいありますので、
弊社もウィズブの例にも出ず、事業承継のセミナーをいっぱいやっておりますので、
もしよろしければ、そちらの方にあれこれと参加してみて、
何なら10個ぐらい参加してみて、勉強してどうしようかなって悩まれるのがいいんじゃないかと思います。
70代でいらっしゃいますので、あと10年は多分やられるでしょうから、
10年間の間、もしくは5年間の間で悩まれていいんじゃないかなと思います。
最後は、どうしようもなくなったら、M&Aで売っ払うということなんではないでしょうか。
そういう意味で、この辺は千切符な話になってまいりますので、
ご相談のらさせていただきます。何々とおっしゃっていただければと思います。
本日の3分コンサルティングはここまで。また来週。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞き下さり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの生光社長、生光経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
その内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもウィズビズが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく、文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。また来週。
17:53
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