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第480回 坪内 知佳氏(株式会社GHIBLI 代表取締役)【前編】
2026-04-01 18:02

第480回 坪内 知佳氏(株式会社GHIBLI 代表取締役)【前編】

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今回は、株式会社GHIBLIの坪内知佳氏にお越し頂きました。

漁師たちとの出会いから、知見のなかった漁業の世界に飛び込み、2011年3月に約60人の漁業者をまとめ「萩大島船団丸」を設立し代表に就任。持続可能な漁業を目指し、六次産業化に取り組むお姿から、経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。

なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。

■経営者インタビューメディア「経営ノート」

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サマリー

株式会社GHIBLI代表取締役の坪内知佳氏は、福井県出身で、幼少期から客室乗務員やパイロット、経営者に憧れていた。大学中退後、翻訳・コンサルティング業を営む中で萩の漁師たちと出会い、持続可能な漁業を目指して「萩大島船団丸」を設立。自身の余命宣告の経験から、誰もがやり直せる社会の実現を目指し、漁業の世界で活躍する姿が語られる。

坪内知佳氏の経歴と幼少期の夢
社長に聞く!in WizBiz
本日の社長に聞く!in WizBizは、株式会社GHIBLI代表取締役 坪内 知佳氏です。
まずは、経歴をご紹介します。福井県生まれ、大学を中退後、 萩市内で本役とコンサルティングの業務を行う事務所を設立しています。
その後、ファーストペンギンというドラマや本にも出てきております、 漁師たちの代理から知見のなかった漁業の世界に取り組まれていらっしゃいます。
そして、60人以上の漁業者をまとめ、千段丸ブランド一号となる 萩大島千段丸を設立し、代表に合称になさっていらっしゃいます。
そして大成功され、今現在は株式会社GHIBLIとして法人化し、漁業の世界で大活躍していらっしゃいます。
女性社長様、坪内 知佳様でいらっしゃいます。本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
まず最初のご質問ですが、福井県のどちらご出身でいらっしゃいますでしょうか。
出身は福井県福井市です。
福井市でどんな小学校のどんなお子様だったかなんて思いでございますでしょうか。
どんな?
私特に漁村の生まれとか漁師の娘とかではないので、普通に一般的に街中って言ったらですけどね。
オフィスワークというか、普通に父は漁業に関係ない仕事をしていまして、母も専業主婦でという家庭で育ちました。
活発なお子さんだったとか、ガキ大小って調整の場合は言わないと思うんですけども、勉強ができたとか。
割とそんなに特別勉強ができるわけでもなく、特に目立つわけでもなくというふうに、今でも小中高校の恩師に会うことありますけれども、
特にそんなに目立つ思い出がない子だねというふうに言われます。
普通の一般家庭の子みたいな子だった?
だと思います。
生徒指導部に連れて行かれたような覚えもないですし。
今のお姿からちょっとびっくりする感じでございますね。
そうですか。
元気いっぱいなのかと思ってましたが。
中学時代はどんなふうに過ごしていられた思いでございますでしょうか。
中学の時にはCAになりたいみたいなのは決まってたので、留学ができる高校に進学したいなみたいな感じで、勉強してっていう感じでしたかね。
幼少期、やっぱり福井県福井市って中小企業経営者数日本一って言われてて。
昔って授業に失敗すると保持保証ついてて首つんなきゃいけないとか、福井なんで東尋坊で自殺したよみたいな話があったりとかして。
人は豊かに生きるために働いてるのに、働いて失敗して自殺しちゃうってどういうことなんだろうみたいなのを思って。
もともと海の上にチャプチャプ浮かべるカモメのような生活って羨ましいなってキラクリいいなって思ってたんですけど。
カモメのように生きるために、当時はスッチーとか言われましたけど深淵になりたいなって思うようになって。
でもちょっと戻たどると実は、幼少期カモメのような生活って船乗りさんが一番近いじゃないかなと思っていて。
船乗りになりたいなってちょっと思った時期あったんですけど。
船乗りになりたいなって思って、でも船乗りは何ヶ月も陸に上がれないから大変だって母に言われて。
その時にじゃあパイロットになりたいって言ったら、パイロットは女の子なかなか目が悪かったり虫歯があったりして女の子だと難しいって言われて。
両親に深淵になりなさいと、当時スッチーになりなさいと言われて。
でも中学校になる頃にははっきりと赤い羽の方の客室乗務員になりたいというふうに思って勉強してましたね。
夢の実現と経営者への志
じゃあもう中学時代から船のことの頭の片隅にはちょっとあったって。
そこなんですよ。なので私も忘れてて、ある日魚屋始めてからですよ。
何年も経って東京に営業行った時にちょうど羽田に着いたら台風直撃で山口うめびんが結婚になって帰れなかったことが一回あって。
その時に羽田空港のターミナルでさあどうしようかなどこ行こうかなみたいな感じでフロアを見てたら。
そういえば私昔CAになりたかった理由って思う存分飛び回りたいというか、自分の力で行きたい場所に飛べる。
自分になりたいからCA目指してたよなと思って。
そしたら私CAさんよりもよっぽど年間のフライト時間長いんで。
ひょっとしたらCAになってたよりも夢かなってんなと思った後に、
そういえば私もともとパイロットの前って船乗りになりたいと思ってて、今船乗ってんなみたいな。
魚を売りながら誰よりも長いフライト時間飛んでる自分って。
ひょっとしたらやりたいかもって思ってた夢が全部叶ったのかもって思って。
その時にもう一個思い出したんですけど、私すごい幼少期にCAになれなかったらもう一個になってみたい将来の夢は経営者になりたいと思ったんですよ。
それなんでかっていうと、ちっちゃい時に親子の関係で、
例えば親と子で、ちょっとこう対人関係というか、ちょっと勉強できないとか、ちょっと発達障害あるとか、
なんかちょっと上手く合わないみたいな感じで問題児扱いされちゃうと、
なかなか親子の関係でこけた子っていうのは教員と生徒の関係で学校に入ってからもトラブルケース多いかなと思うんですよね。
今度親子の関係トラブって、いい教員に出会って持ち直せた子はラッキーですけど、
ここでも持ち直せないと、次どこで持ち直せるのかっていうと、
就職でまた多分、家でこけて学校でこけたら就職もこけるみたいなパターン結構多分多くて、
うちで言うとやっぱり船に乗ってくる子たちで、高学歴ではない子たちっていうのは背中に絵が入っちゃってたりとか、
社会的に機械損失を結構してるなみたいな。
そういう子が社会のお荷物とか、こいつバカだからとかいうことではなくて、
誰でもいつでもやり直せて、やりたいっていう子が社会で成功体験詰めるというか、
もう一回チャンスがもらえる場が就職の場であって、老子の関係かな。
だから親子、教員生と老子っていうこの3つが社会の中で手を取り合うというか、
繋がりですごく肝かなというふうに思って。
なので今、経営やりながら魚を売って、世界中飛び回りながら、私、CM目指してて英語が喋れたので、
魚を持って、水産わかって英語も喋れるみたいな、海外にも営業に行けるみたいな感じだったんで、
毎月1週間ぐらいずつ海外飛んで行ったりもしてたんですけど、
だからやりたかったことが全部できる人生に今なってるなっていうのをその時にすごく思いましたね。
でも中学時代から経営者もいいかなとか思ってた?
そうですね、そう思ってました。
教員になれるだけの脳みそがないっていうのは自分でもわかってたので。
高校・大学時代の経験と人生の転機
そんなことはないと思うんですけども、大変頭のいい方でいらっしゃると私は認識しておりますが、
次の質問させていただければともさん、高校時代はどんなことして過ごしたなんて思いでございますか?
なのでもう高校からはずっとひたすら海外行けるだけ行って、高校入ってすぐ台湾に行って、
それからまた戻ってきて1週間ぐらいでオーストラリアに1年行って、
あとはもう1年生入って準備して台湾、オーストラリアに帰ってきて大学受験っていう感じですよね。
なるほど、ありがとうございます。
その頃の思い出なんてございますか?
そうですね、単身やっぱり親と一緒じゃなくて、留学として海外に行ったので、
やっぱり台湾は兵器があることにものすごいカルチャーショックを受けたりとか、
オーストラリアに行ったことによって、その後大学入ってすぐにカナダ、バンクーバーにも行くんですけど、
留学してるとやっぱり海の向こうに憧れて、海の向こうを目指したはずだったのに、
なんか世界を見れば見るほど、日本って素晴らしい国だなって、日本食って素晴らしいなって、
すごい海外に長くいるとどんどん日本食が恋しくなって、
日本いいなってすごく思うようになった時代でしたね。
なるほど、ありがとうございます。
その後大学は、プロフィール見させていただくと名古屋外国語大学の外国学部になっていらっしゃいますが、
何かこちらを選ばれた理由はございましたでしょうか?
やっぱり航空産業が盛んなので、愛知県って、赤い羽の方の方、
ちょうど当時の人事部長さんが客員教授でその大学にいらっしゃって、
大学滑り止めで最初受けてたんですけど、
国立受ける前に大学からちょっと特待生みたいな枠で、
どうですかみたいなこと言っていただいてたので、
じゃあまあいいかみたいな、自分が行きたい進路にはちょっと近道そうだなということで、
進学を決めたという感じでしたね。
なるほど、大学の時代の思い出なんてございますか?
もう大学入ってすぐに病気してほとんど大学行けてないので、
あまり楽しかった思い出とかいい思い出っていうよりは、
とにかく人生の転機というか、余命戦国を経験したりとか、
その経験があって自分が医者とかになって、また人の病気を治したりとかはできないんだけども、
自分がものすごい大学1年生の時に病気で苦労したので、
私牛豚ですね、お肉があんまり食べれないというか、
お肉に入っている、使われている、飼育に使われている、
何種類かの薬剤の消化酵素がないっていうのはわかっていて、
なのでタンパク園としては私は主にその天然菌開業のお魚を食べるっていう生活をしているので、
自分が本当に安心安全だっていうふうに担保できる魚と野菜を、
本当最後の医者になっても人切れになっても売りたいなっていうような思いで、
今その時の病気の経験があって、そこから大学を中退して赤い羽の方の就職の試験も進んでたんですけど、
それもちょっとお断りをして、今結婚してたまたまその後ハギに中退して移住したので、
そのハギの地で出会った漁師さんたちと、
この魚のビジネスを17年前に始めて今に至るというような感じの生い立ちとしてはそんな感じになります。
萩での起業と漁師との出会い
ドラマの本でも出てらっしゃるお話だと思うんですけど、そこだけもうちょっとだけ深掘りさせていただけますか。
大学中退してハギへの移住の怖さとかそういうものはあまりなかったのでしょうか。
全然全然もうどこでもよかったので、
よかったら本読んでいただけたら、私本当にハギの町初めて着いた時にすごい素敵な町だなって思って、
ここは長く住むんじゃないかなと思ったので、もう人生半分以上ハギに住んでる時間が福井よりも長くなりましたけど。
なるほどありがとうございます。
翻訳とコンサルティングの業務はもともとハギでやろうと思って設立なさったんでしょうか。
全然全然、結婚していったんですけど、元の主人と離婚した時に子供1歳半ぐらいで、
子供が熱出したりしても自由に働ける働き方という感じで、今では当たり前に在宅ワークとか言われますけど、
フルリモートで働ける仕事が雇われではなかなか当時は今から十何年前ですからなかったので、それで自分で在宅で始めたという感じですね。
なるほどありがとうございました。
翻訳コンサルティングの業務を行っている中での思い出は何てございますでしょうか。
そうですね、何ですかね。
でも、当時観光協会のホームページが日本語だけだったので、
そういった翻訳なんかさせていただいている間に、地元のホテルさんなんかと仲良くなって、
そこからまた手が空いてるんだったら、コンサル的な現場のおばちゃんたち見に来て、
業務改善じゃないんですけど、そういうこと興味ない?みたいな、いろいろと買っていただいて、ご声かけいただいて、
やってる間に萩の漁師さんたちと出会うことになるので、そこがなければ今はないみたいな感じですよね。
なるほどありがとうございます。
漁業への参入と仕事への向き合い方
漁師さんたちと出会って、結果的に漁業に入っていくわけですが、
この漁業に入っていく土地もそんなに恐ろしさはなかったものでしょうか。
そうですね、あまり意識はそんなふうに思ったことないですね。
最初から私が何とかするみたいな、こういう感じでいらっしゃいますでしょうか。
いやいやいや、全然そんなんじゃなくて、とにかく私は、これよく言われるんですけど、
私が何とかするっていう核役があるとか、賞賛があるとか、そういうことではなくて、
ご縁かなって。
その日その日、私は18、19の時に余命宣告されて、
その時に亡くなってても別におかしくなかったというか、亡くなっててもそこで元々みたいな意識でいるので、
毎日与えられている時間っていうふうに思ってこの20年生きていて、
私がどこまでやってやるわよとかそういうことではなくて、
今与えられている目の前の役目をどれだけみんな一生懸命生きれるか。
私は人はみんなサイズが違って大きさが違って、
サイズが違って形状が違って色が違う歯車だっていうふうに例えるんですけど、
だからみんな違うから、誰が優劣とかそういうことではなくて、
自分らしく自分ができることを今日の自分のベストで尽くすっていうことを、
みんなが毎日コツコツ続けていけば、どんなことでもなるんじゃないのかなって思っていて、
なので与えられたことは頼まれ事は試され事とか言いますけど、
やれることはやりたいなと思ってやってるっていう感じですかね。
なるほど。当時から漁業と関わり始めた時からそういうふうな思いでやってらっしゃるということですか。
はい、ずっとそうです。
漁業でのやりがいと経営の醍醐味
素晴らしい社長様だと思いますが、ご苦労とかそういうのはございませんでしたでしょうか。
あまり苦労もこれが苦労だったというふうには思わないですけど、楽しくやってます。
逆に楽しかった思い出とか過去の思い出とか漁業の関わりはございますでしょうか。
なのでやっぱりそうやって社会的になかなか成功体験詰めないような子が、
お前の魚のおかげでミシュラン採れたぞみたいなことがあったりとか、
中卒の子が大研とって留学してみたいですとか、魚取る側で、
でもやっぱりお客さんが直接食べてる姿を見るのがすごく楽しくて、
お客さんどこに行くのが楽しくて、だから実際自分が飲食店出してみたいですとか、
そういう世の中夢も希望もないぜみたいな子たちが夢とか希望を持って、
自分はこれが世間の役割だというか、社会でこうやって役に立ちたいみたいなふうに光るというか、
そういうのが経営の醍醐味かなって。
なるほど、かっこいいですね。ありがとうございます。
番組紹介と経営ノート
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの生光社長、生光経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウィズビズが運営するウェブサイト、
経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に行くインウィズではここまで。また来週。
18:02

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