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2025-07-09 17:49

第442回 渡會雄一氏(株式会社ZEAL代表取締役社長)【前編】

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今回は、株式会社ZEALの渡會雄一氏にお越し頂きました。

 

プロボクサーとして活動した経歴を持ちながら、飲食店の販促ソリューションや、運用型広告事業、中古マンションのリノベーション事業を経験。

その後、デジタルマーケティングを生業としながら、ボクシングフィットネスを展開した経緯から、経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。

 

なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。

 

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サマリー

渡會雄一氏は株式会社ZEALの代表取締役社長としての経歴や、ボクシングフィットネスのフランチャイズ運営について語っています。彼の出身や学生時代の経験、リクルートでの成長が際立っています。また、リクルートでの経験、転職のきっかけ、デジタル広告業界での活躍についても話しています。特にオンライン広告の魅力や、自身のビジネスへの影響について深く掘り下げています。

渡會雄一の経歴
社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、株式会社ZEAL代表取締役社長)雄一様でいらっしゃいます。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
プロボクサーとして活動した経歴を持ちながら、株式会社リクリートにご入社。
その後、運用型のデジタル広告を扱う会社に転職。
その後、株式会社AA、株式会社Jack & Beansを設立。
その後、リノベル株式会社のトレッシュマークCMOになられていらっしゃいます。
その後、Jack & Beansに復帰後、株式会社ZEALを設立し、
ボクシングフィットネスのフランチャイズ本部を手掛けていらっしゃいます。
渡会社長様でいらっしゃいます。本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
まず最初のご質問ですが、ご出身はどちらでいらっしゃいますでしょうか。
出身は東京の大田区になります。
私、今、池上に住んでいます。大田区です。大田区はどちらでいらっしゃいますか。
大田区の船族の方なので、どちらかというと品川寄りなので。
住所的には南船族か北船族ですか。
北船族です。
私の母の生家は南船族。
そうなんですか。
ゼロ歳から私は南船族に行っていましたので。
そうなんですね。
歴史的に言うと北船族、赤松賞とか。
赤松小学校出身です。
私のだから、母とか、おばとか、いとことかは赤松賞の大森六中とか。
大森六中です。
船族影響の横で。
ちょっと大変びっくりしたので、大変久々が込み上げてまいりました。
赤松賞の小学校時代はどんな少年でいらっしゃいますでしょうか。
小学生の頃はですね、スポーツがすごく好きでして、最初はサッカーから始まるんですけど。
小学校の3年生、4年生の頃に大きな病気にかかりまして、全くスポーツをやれない2年半くらいあったんですよ。
その間に、勉強に目覚めまして、塾に行くみたいなのが趣味になりまして。
本当にスポーツと勉強に集中する2つが混ざった小学校時代だなというのが、今思うと不思議な小学生だったなと思います。
赤松賞では成績上位者でいましたか。
あんまり記憶がないですけど、公立の小学校なんで、そんなに成績成績ってなかったですけど、テストとかで困ったことはなかった記憶はあります。
いやいや、でもそれでも赤松賞は越境しても集まってくる頭のいい小学校なので、そこのご出身ということが大変そうめいでいらっしゃる。
いやいや、そんなことないです。
その後大森六中とおっしゃいましたが、中学時代はどんなことをして過ごしたなと思いでございますでしょうか。
中学時代はどっちかというと、私のキャリア自体もそうと思うんですけど、ちょっと天の邪悪というか、
小学校からもそうなんですけど、サッカーもみんながフォワードとかミッドフィーダーとかやりたいという中で、一人だけゴールキーパーやりたいというような、
みんながやることの中にいたくないというような、そういうタイプの人間だったと思います。
大森六中ではサッカーもなさっていましたか。
そうですね。2年間だけサッカーやってまして、その後帰宅部になっちゃうんですけど、勉強のほうが頑張っていたというふうに伝えたわけです。
でもその当時から社長さま気質が出ていらっしゃったんですか。
いや、今思えば、そういうのがビジネスの世界で役に立つんだなというのは思いますけど、当時はただただ擦れていたというか、
みんながテレビゲームにハマる中で、一人マージャンにハマっちゃうみたいな感じとか、
とにかくみんなと違うことをやりたいというのは常にあったと思います。
社長さまらしいですね。高校はどちらにお勧めになったんですか。
高校はその後、都立の小山大高校という、武蔵小山にあるハエ高校に進学しました。
私の父といとこの後輩になられるみたいな感じでございますね。
すごいですね。近いですね。
母は都立の伊達で、父は都立小山大で、で、いとこも都立小山大が一人ひとりです。
そうなんですか。びっくりですね。
ちょっと今びっくりしますが、小山大は皆さん方、先にご説明リストの皆さんに説明すると、そうは言っても大変頭のいい学校でございますもんですね。
小山大時代はどんなことをして過ごしたかと思うでございますでしょうか。
小山大はですね、私その学生の方に結構コンプレックスがあるので、病気からあったりとかコンプレックスがあるんですけど、
なんか唯一その体もメンタルもともに、しっかり自分自身を表現できた3年間かなと思ってまして、
本当は高校時代にプロボクサーになろうって決めてたんですけど、たまたまちょっと誘われたラグビー部の体験に行ってみたときに、
すげえな、サッカーじゃ使えない手を自由に使えて、サッカーじゃ絶対ファールになるタックルしていいんだっていうところに、
ものすごいこの高揚感を覚えまして、はまってしまい3年間ひたすらラグビーをするっていうそんな3年間でしたね。
ラグビーではどこのポジションにやっていらっしゃったんですか。
基本的に弱小校だったんで、バックス全般やりましたけど、メインはセンターでやってました。
なるほど。ありがとうございます。その後大学はどちらに行きになられたんですか。
大学は明治の方に進学させていただきました。
ボクサーをやりたいとは途中で出ていらっしゃいましたが、高校のときボクサーをやろうと本当は思ったんですか。
そうですね。一番最初にボクシングに興味を持ったきっかけが東京ドームでマイク・タイソンの前座でやった辰吉対薬師寺戦を見てですね、
それまでは大っ嫌いだったんですよ。当時は世界タイトルマッチがあると必ず地上波でボクシングの中継がありまして、
私の父が大好きだったんで絶対見てるんですけど、私としては裏側でドラゴンボール見たいとか、アニメ見たかったりとか、見たいわけですよね。
殴り合いが楽しいんだろうなみたいな感じだったんですけど、その流れで辰吉対薬師寺さんの試合を見たときに、
ものすごいなっていうのを幼少ながらに感じまして、たまたま親戚のお父がキックボクサーだったので、
ボクシングを教えてやるよみたいな感じで遊びくらいでやってたんですけど、
どっちかというとチームプレーが苦手だったので当時は。
これすごいスポーツだなと思って、かっこいいし、当時若かったので強いイコールかっこいいと思ってたので、
モテるんじゃないかなみたいなのもあって、プロだろうと。
自分で調べたときに17歳からプロになれるってのがあったので、高校生からいけるんだってのがあったので、
そっちに行こうって思ってたという感じですね。
でもラグビーのほうはやった?プロボクシングのほうは後回しになった?
一切ボクシングはやらずに、ひたすらラグビーやってました。
大学も明治ではラグビーですか?
弱小学校だったので、そんなにラグビーを続けようと思ってなかったので、
大学入って最初は大学生なので、いろいろ遊ぶというかバイトも頑張ってみたいな時期が半年から1年くらいあって、
そろそろボクシングやりたいなってなってきて、きちんとプロジムに通い始めたという感じですね。
大学時代の覚えで何ですか?
大学時代は本当にボクシングしかしてないんですよね。
大学2年生になってすぐにプロジムに通い始めて、半年通ってテスト受けれるんですね。
練習に打ち込んで、ちょうど6ヶ月でプロテストを買って、その3ヶ月後にはすぐデビュー戦をするので、
そこからはひたすらアルバイトとボクシングで、逆に学校の単位がやばいという記憶しかないです。
プロボクサーとしては大学時代にデビューして、どのくらいのレベルまであったんですか?
全然1回4回戦防衛と呼ばれるレベルで終わっちゃったんですけど、
最近はたまたま、私が現役の時にチーフトレーナーでやってた方が当初の仕事で手伝ってくれてるんですが、
最近はもう笑い話で、もう20年以上前の話なので笑い話なんですけど、
私が6戦やってるんですけど、そのうちの3人は日本チャンピオン以上になってるんですよ。
どんなマッチメイクだよって話じゃないですか。
最後引退させて決めた相手なんかは世界タイトルマッチまで行っちゃうような人間だったので、
そういう意味では圧倒されなく辞めたのかなとは思ってますね。
大学卒業した時に辞められたんですか?
大学卒業の時に戦績がちょうどトントンくらいだったので、どうしようかなと思ってて、
ただそのまま辞めちゃうと後悔しそうだったので、就職をしないで、
アルバイトしながらボクシングに集中する1年をやるって決めて、
その中で自分の目標というか、ここまで行けたら続けようという目標があったので、
それを決めてやったんですけど、その1戦目でとんでもないのに当たってしまって、
全く記憶がないくらいやられまして、辞めようと思いました。
ありがとうございます。
リクルートでの成長
一番最初がリクルートでよろしかったですか?
そうですね。ボクシングに引退してその後リクルートに来ました。
リクルートが選ばれた理由って何かございますか?
これは父の影響で知って、私の父はいわゆるサラリーマンなんですけど、
人材系の仕事をしていたので、取引先にリクルートさんがいたようで、
よく飲みに行くんですよ、父とは。一応20歳を超えてからですけど。
父からなぜかリクルートの影響マンっておもろいんだよみたいなことを常に聞かされていたので、
なんとなく知っている会社がリクルートだったんですよ。
ボクシングに引退して、1年スタート遅れの中で社会人ビジネスマンになろうと思った時に、
やっぱり営業を身につけたいなと。営業さえできれば生きていけるんじゃないかという浅はかな考えがありまして、
営業強い会社ってどこだろうと調べたらリクルートが出てきたので、
親父に聞いた会社だなと思って、なんとなく受けたらそのまま入っちゃったという感じです。
一社しか受けていないですね、当初。
ご友人でいらっしゃるから入られたと思いますが、リクルートでの思い出なんて何かございます?
リクルートは思い出だらけですね。結局今の私の仕事感を作っているのは、結局1年ちょっとしかいないんですけど、
そのリクルートにいた期間にほぼ形成されたんじゃないかなというくらいたくさん思い出があるなと思ってますね。
例えば具体的にこんな思い出とかございますでしょうか。
リクルートでの経験
よく当社の若手にも伝えるんですけど、リクルートは2回くらいの面接で入れちゃったんですよ。
現場のマネージャー面接がない中で、当時川崎の編集部に配属されまして、
初めて行ったときにマネージャーと会うんですけど、初めましてと会議テーブルみたいなところに座らされて、
当時まだフリーペーパーがメインだったので、見本紙っていうこれから配られる発行するやつを見せられて、
過去分全部見せられて、見せられたのがクーポン紙じゃないですか。読むの特にないんですよ。
ワーって一応読んでるふりして、そしたら読んだかって言われたんで、読ました。
じゃあ営業行ってきてって。え?みたいな。
ボクシングしかしたことないんですけどみたいな状態で、マジかみたいな感じで、
それでそのまま外に営業に行くっていう、あれは鮮明に覚えてますね。
リストとか渡されてます?
問い込みです。飲食店全部営業先だから。
あの辺みたいな感じですか。
で、どういうの作ってるか分かったでしょみたいな。
まあまあクーポンですよねみたいな感じで行きました。
だからビクルートラさんらしいってことですね。
そうですね。今思えばそのマネージャーが私人生で唯一の上司に当たることになるんですけど、
見透かされてた気がします。
一から教えるとそつなくこなしちゃうタイプではあるので、
あの時に自分で考える力がついたというか、
本当はリクルートっぽいエピソードでやるんですけど、
最初飛び込んだ時に初めて名刺ってものに気づくわけですよ。
でも名刺ないなって思ったんで、仕方ないので文房具屋さんに行って、
ネームプレートみたいなカードのやつ買って、
自分で手書きの名刺本当に作って、
汚い、僕本当に字だけ苦手なんですけど、
汚いなって思いながらそれで配ったのを覚えてます、本当に。
ビクルートさんらしいですよね。
作り話っぽくて嫌なんですけど、
でも本当に鮮明に覚えてるからいいものができたかなと思ってますね。
多分リスナーの、聞いていただいてる社長さんたちに
大変喜んでくださるかと思いますが、ありがとうございます。
ありがとうございます。
その後、デジタル広告を扱う会社に転職なさってらっしゃるんですが、
これはどうして転職をなさったんでしょうか。
ちょうどリクルートの、私がいたところはホットペッパーっていう
飲食の部門だったんですけど、当時も絶頂でして、
ただフリーペーパーがメインだったんですよ。
ほんとタイミングが良くて、ちょうどオンライン版が立ち上がって、
無料でもいいから掲載店かき集めるっていうときにいたんですね。
なので、私たちはまだどっちかというとオフラインの人間なので、
フリーペーパー楽しかったんですけど、
オンラインめちゃくちゃ面白いな、ウェブ面白いなってなったのがきっかけで、
そこから結構飽き性なので、1年ちょっとやると、
もうやり方見えちゃったなみたいなところがあって、
オンラインやりたいなっていうところで、外に行くんです。
出たっていう感じですね。
なるほど。デジタル広告を扱う会社ということで、
デジタル広告業界の展望
そちらのほうでの思い出は何でございますでしょうか。
それこそ今、上場されているイノベーションという会社に行くんですけど、
そこの社長もリクルート出身で、本当に可愛がってもらったんですけど、
ただそこ自体、実は6ヶ月しか行かないくて、
当時、いわゆるリスティング広告といわれる検索型の広告に、
リクルート時代に気づいて、これすごいなと。
みんな見たくないものを向こうから見に来る仕組みって何だっていうくらい
感銘を受けまして、それでちょうど転職活動をしている中で、
そのイノベーションの参照会を受けて、そこにそれをやりたくて行くんですけど、
本当に衝撃的だったのは、誰もやり方がわかったらいいんですよね、当時。
いわゆる今でいう運業型広告といわれる世界なんですけど、
今やだいぶGoogleアナリティクスとか、一般のビジネスの方でも
一応ワード押しというふうになったと思うんですけど、
当時一応それの部門なんですけど、誰も見方もわからなければ
設定の仕方もわからないんですよ。マジかみたいな。
一応本屋さんに行くと本はあるので、片っ端から読みなさって、
アクセス解析ツール売っている会社さんとかを
僕クライアント持ってますよという感じで読んで、
アクセス解析の仕組みを説明させながらとかやるんですけど、
それをやっていると、オンラインに使えると本当に何でも
いけるんだなみたいな。そういうのを受け入れてくれる会社だったので、
気づいたら私一人でアナリティクスを売ってたりとか、
アナリティクスコンサルを売らせてもらったりとか、
あの時は本当にまだ黎明期なので、人の入れ替わりが激しかったので、
すぐに80案件くらい見させてくれたりとか、回るのかこれと思いながらですけど、
それもやっぱりモトリー・グループだからなんですかね。
そういうのがあって、激しくやっている中で起業するきっかけになる
クライアントに出会うみたいな感じですね。
なるほど。
イノベーションさん、富田社長の方、
ご出演もこのポッドキャスト、社長日記のリツでも
イノベーションさんが出演いただいてますので、
リツさんの皆さんもしよろしければ、
富田社長のインタビューも聞いていただいたり、
読んでいただければと思っております。
本当に聞くinWizBizをお聞きくださり、誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもWizBizが運営するウェブサイト、経営ノートでも
閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社系に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいてます。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければと思っております。
本日の社長日記inWizBizはここまで。
また来週。
17:49

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